化け狸と侵入者-2
のう。
誰か我の頬っぺたを思いっきりつねってくれんか?
若しくは平手で豪快に打ち据えてくれてもいい。
信じられないことが起こる時、それは大抵が夢じゃ。
自身の願望が忖度なしに表されるものじゃから、その時は幸福じゃよ。
じゃけども寝ぼけ眼で起きて、それが夢だったと分かった時の虚しさや気恥ずかしさは筆舌に尽くしがたい。
じゃからこそ、夢は夢のうちに夢だと自覚する必要があるのじゃ。
事前に腹を据えていれば覚悟の一つも出来るというものじゃし。
「後生じゃあ! 一思いにやってくれえっ!」
そう叫んだ途端、風を切る音と共に我を襲う一撃。
我は炬燵から引っこ抜かれるように吹っ飛ばされ、奥の襖に逆さまにめり込んだ。
「あがが……」
歯の根が合わなくなるほどの衝撃。
じわじわと頬から伝わる熱と重く鈍い確かな痛みが、これは夢じゃないと我に伝えておった。
じゃとすればこれは現実……?
我の目の前で張り手を振り抜いた姿勢のまま不敵に笑う可憐な少女は間違いなくここに存在しておる……?
「もう! ダメですよ! 本当だったら暴力なんてしないんですからねっ! ……ワタヌキさんだから特別、なんですよ?」
悪戯っぽく小さく舌を出しながら、少女は我に手を差し伸べる。
我はその手につかまって身を起こしながら、今の状況がなお信じられず消え入りそうな声で訊ねた。
「……な……なんで、ここにおるんじゃあ? 『ぬいちゃん』?」
ゆーとぴあプロダクション4期生・狐宮しらぬいがそこにいた。
めたばぁす空間での通信を介した間接的な関わりではなく、確かな肉体を持って我の手を握っている。
我の問いにぬいちゃんはきょとんとした顔をした。
なんでそんな当たり前のことを聞くの? とでも言いたげじゃ。
「ワタヌキさんに会いにきたんですよ? さっ、行きましょう?」
そう言って我の手を思いの外強い力で引く。
我はよろめいてぬいちゃんに抱きついてしまう。
……いや、わざとじゃないのじゃよ!?
顔面ぶっ叩かれて三半規管がおかしくなっとったからで、ここになんのやましい気持ちも下衆な考えも存在はしないのじゃあ!
とは言いつつも我の体は言うことを聞いてくれないわけで。
体温が上昇し口を開けばしどろもどろと拙い言葉しか吐き出されぬ。
「い、いいっ、行くってど、どこにじゃあ?」
「ん〜……いいところ、ですよ? 楽しみにしててください♪」
***
「ねぇ〜なんなの〜。いきなり集合って。しかも、ワタちゃんいないし」
「そうだぜ。俺もたまの休みだ。嫁の相手してたところだったのによ。……いや、逃げる口実が出来て良かったなんて思ってねえぞ?」
「私は……これから、配信、なのですが……」
「儂もだ! 今日はルーちゃんとお話しする予定なのだ!」
会議室に集められたミカガミプロジェクトの面々は口々に文句を垂れる。
それもその筈、各々思いのままの時間を過ごしていたところをユーフォンに吸い込まれる形で問答無用に召集されたのだ。
ヒメは不機嫌な顔を隠そうともせず不満の矛先を元凶であるであろう深鏡へ向けた。
「ヒメはー! 今全力で頑張ってるの! 歌の練習してたのに邪魔しないでよーっ!」
「……申し訳ありません。皆様も強引にお呼びたてして重ね重ね申し訳ありません」
深鏡のあまりに素直な謝罪にヒメはたじろいだ。
どうせ鏡に反射するように嫌味を返してくるものだと思っていたからだ。
不審に思い深鏡をまじまじと観察する。
よく見ればいつもパリッと襟を立てているコートは少しよれている。
深鏡の様子もしきりに眼鏡をかちゃかちゃと弄って何処か余裕がないように見える。
「いや、別に良いんだけどよぉ……。おヒメさんもそんなに怒ってやるなよ、素直に謝ってるじゃねえか」
「うっ……むぅ……」
「そんで一体全体どーしたのだ?」
ヒメは何か自分が悪者にされたような気持ちになって口を噤む。
ぴーんと龍未が高らかに手を上げて深鏡に質問した。
深鏡は鎮痛な面持ちに怒りを滲ませた声音で呻くように呟いた。
「外部から侵入を受けました。侵入者は未だ特定出来ておりません。そして……綿狸さんが姿を消しました。これを残して」
そう言って懐から全体に蜘蛛の巣の如き罅の入ったユーフォンを机に置いた。
「談話室のひしゃげた襖の側に落ちていました。まるで何かが強くぶつかったかのように無惨にひしゃげた襖です」
「ワタちゃんに、何か、あったってこと?」
「現在調査中です。ですが、壊れたユーフォンが物語ることは言わずとも分かるでしょう。綿狸さんは攻撃を受けた。恐らく侵入者によって」
ヒメが椅子を蹴って跳ね上がる。
そのまま会議室を足早に後にしようとするのを善童が抑えつけた。
「う〜〜〜ッ! 何すんのッ! 離してよッ! ワタちゃんがタイヘンなんだよ!? 助けに行かなきゃあッ!!」
「落ち着けよ、おヒメさん! 当てもねえのに一人でどこ行こうってんだ!」
「知らないッ! いいから離してよッ!!」
ヒメは善童の太い腕に抵抗し遮二無二暴れる。
このまま抑え込むことは容易だがこうも暴れられてはいつかヒメ自身が怪我をする。
どうしたものか、と頭を悩ませる善童は不意に寒気を感じぶるると身を震わせた。
見ると氷霞が白い息を吐きながら静かに佇んでいた。
「少し、頭を冷やしてください。無闇に、暴れても、意味がありません」
ととと、と歩いてきてヒメの顔を正面から見据えながら話す。
「貴女の怒りは、尤もです。ですが、貴女だけ、ではありません。私も、怒っています。……分かりづらいかも、しれません、が」
氷霞の言葉は抑揚がなく感情が読み取りにくい。
だがそれでもその裏に確かな熱が感じられた。
「……うー。分かったよ」
怒りでのぼせ上がった頭も氷霞の冷気と言葉で幾らかは落ち着いたのか、ヒメはだらんと脱力し抵抗する意志を無くした。
それが分かった善童も、寒さで鳥肌の立った腕をさすりながらヒメを解放する。
各々無言で再び席に着く。
龍未はというとその小さな騒動をぼけっと見つめていただけだった。
突然ヂリリリリと会議室にベルが鳴る。
深鏡が眼鏡のツルの部分を人差し指で触ると会議室にどこか胡散臭い声音が響いた。
『いやぁ、本当に大変な目に遭った。深鏡社長連絡遅くなってすいませんな』
「白孫ですか。急ぎの用でないなら後にして頂きたい」
『こっちも緊急なんでなあ。……もしかして何か騒動でも起きてますかい。あちゃあ遅かったかあ』
「……何か知っているのですね。話しなさい」
『綿狸の婆アにはちっと話したんですがね? その後取っ捕まって岩の下敷きにされて死にかけましたわ、ハハハハハ!』
「要点を話せッ!」
『……佐渡の二ツ岩ですわ。綿狸の婆アと知己だってんで動画を見せたんですがね? なんでか知らんが激昂して飛び出して行きましたよ。もののついでとばかりに儂を薙ぎ払ってよ。いや、やっぱりあの狐嫌いに儂を向かわせるのは無謀ってもんだと思うんですがね。そこんとこどう思いま……』
白孫の言葉を最後まで聞かず深鏡は再び眼鏡のツルを触って会話を終了させた。
「ねえ、今の……」
ヒメの方を見ずに深鏡は顎に手を当ててぶつぶつ呟いている。
「そうか。佐渡の二ツ岩、団三郎。芝右衛門、太三郎と並び三大狸と称される大妖怪であれば納得できる。しかしどうやって侵入したのだ? ……もしや電子信号に変化してネット回線に紛れ込んだのか? そんなことが可能なのか? いや実際にこうやって発生している以上可能であるということなのか。意思のある電子信号などどうやって対処しろと……」
「ねー! ぶつくさ言ってないで説明してよー!」
「そうだー! メガネ野郎ー! 情報は共有するのだー!」
ヒメと龍未の野次に深鏡は我を取り戻したようで、ずれた眼鏡を中指で直して姿勢を正した。
「……失礼。此度の下手人が判明いたしました。今から説明しますので確りと聞いてください」
暖かくなってきたとは言っても夜はまだひんやりしておりますね。
油断して窓を開けて寝た日にゃあ翌日は声ガラガラですね(1敗)。
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