化け狸と侵入者-1
この日は何処かおかしな日じゃった。
いつもの様に他愛もない雑談配信を小一時間しとったのじゃが、我が声を荒げずに終わったのじゃ。
視聴者たちがやけに静かというか、微風に煽られて僅かに揺れる水面のようにそこに佇んでおるだけのような、若しくは何か猛獣の危険に晒された小動物がそろりと気付かれぬように移動していくような。
いつもはいらんちょっかいを出すわ、揚げ足を取るわで、大いに波風立てておるくせに。
こめんとが無いわけではない。
じゃが誰もが品行方正で毒にも薬にもならんようなことしか言っておらん。
我を揶揄うようなこめんとはひとつも見つけられん。
「むぅ。行儀良くなったのはええんじゃが、これはこれでちとつまらんのう……」
なんだか釈然としない気持ちを抱えたまま我はぶーすを後にする。
ふと不安が襲ってきおった。
もしかして……飽きられっちまったんじゃろおか?
思えば、雑談などと言いながらも本当に中身のないことしか話しておらん。
今日だって春先のふきのとうは苦いが香りがたまらない、だとか川魚はやっぱり塩焼きが一番じゃなあ、なんてありきたりなことしか言っておらん気がする。
これじゃあつまらんと見切りをつけられても仕様がない。
「はぁ……あまり考え無しにやるのもいかんのじゃな。そうじゃ、次は積極的に視聴者どもと交流することにしようかのう。少しくらい揶揄れても……そん時は怒りを飲み込んでやるわい」
とぼとぼと歩く我の背中を見ていた者がいたのにこの時は気付かなかった。
我のぶーすに潜む黒く大きな影に。
「久しぶりだナ。綿狸の」
***
深鏡コーポレートシステム管理部門。
妖式メタバース管理の要で、ミカガミプロジェクトの中核を担う最も重要とされる部門である。
人の大きさほどもある姿見が無数に並びたつこの場は今狂騒に包まれていた。
雲外鏡一族の運営職員が滅茶苦茶に走り回っている。
ビーッビーッビーッ!!
耳をつんざく鋭い無機質な電子音と血のように辺りを真っ赤に照らすレッドランプ。
沢山の鏡に反射したその光は影が存在するのを許さない。
全身を真っ赤に染めた雲外鏡一族の若者がしどろもどろで近くの鏡に触れて、泣き顔で部屋の外に駆けていく。
なおも電子音が鳴り響く赤い部屋に、先程の若者に連れられて深鏡がやってきた。
いつも余裕の態度を崩さない深鏡であるが、その顔には僅かばかりの困惑と焦燥が見てとれる。
「一体、何の騒ぎですかッ!!」
深鏡も若者に連れて来られただけで状況は把握していなかった。
問いただしても「とにかく来てください」の一点張りだったからだ。
一見して異常な事態であることは見てとれる。
しかし深鏡が現れたことなど誰も気にも止めていない。
深鏡の疑問は天から降ってきた声によって答えられた。
「メタバースヘノ侵入者アリ。システムヘノ敵対意識ヲ確認」
「馬鹿なッ!? アリエナイッ!!」
人間による電子工学技術と雲外鏡一族の妖工学によって産まれた電脳妖・夢幻鏡の電子音声が無感情に告げた。
深鏡は悲鳴の如き声を上げる。
「夢幻鏡! 貴様の防壁を破った者がいるというのかッ! 魔王ですら突破は困難と言わしめたあの防壁をッ!」
「結界ヲ含メ防壁ハ傷ツケラレテオリマセン。シカシ侵入サレマシタ」
人で言えば心臓に当たるシステムの核。
だからその分警備は厳重にしていた筈だ。
そもそも人間に気づかれぬよう結界を張った上でのシステム構築。
いかに凄腕のハッカーがいようがその存在すら気付かないのであれば侵入することはできない。
「……同類か」
だとすれば結界に気づく可能性のある妖怪。
それも結界や防壁を問題にすることなく煙のようにすり抜けることのできる力ある者。並の腕じゃない。
「者共ォッ! 静まれいッッッ!!!」
地鳴る怒号がつんざく電子音を上から押しつぶす。
慌てふためいて走り回っていた職員がびくりと身を竦ませて動きを止めた。
「これは明確な我々への敵意であるッ! 我々一族が骨身を砕いて作り上げた技術の結晶を灰燼にせんとする非道な意志であるッ! 許しておけぬッ! 一族総力戦! 必ず見つけ出せェッッッ!!」
号令に職員がびっと背筋を伸ばす。
深鏡の檄によって目に力と意志が灯った。
鏡の一族が侵入者を打倒せんと動き出した。
***
さて、ところは変わってマヨヒガの談話室(居間)。
若づくりの古狸は最早ここが我の居場所じゃと言わんばかりに炬燵に入ってダラダラしていた。
「んー、なんか騒がしいのう。深鏡のやつがまた何かしておるのかのう」
蜜柑の代わりに置いてあった落花生をパキパキと割りながら、薄皮を剥いて口に運ぶ。
うーん、蜜柑もええが炬燵といったら落花生じゃよなあ。
しかしこいつの難儀なとこはやめ時が分からなくなるところじゃのう。
とでも思ってるのか?
無様に頬を緩めて情けない。
折り紙の要領で作った殻入れには割れた殻がこんもりと積み上げてある。
自堕落の極みと化した古狸を見て溜息が漏れる。
あの頃の炯々と燃える眼光はどこにいったんだ。
噛みつき肉を引きちぎるその牙はもう抜け落ちたのか。
違うだろ。
お前はそんな能天気な奴じゃないだろ。
……お前は誑かされているんだナ。
何故童女の姿をしているかは知らんが、大方これもあの狐のせいなんだろう?
やはり狐というものは信用ならんナ。
綿狸には治療が必要だ。
その骨身に染み込んだ小賢しい狐の匂いを取らなきゃいけない。
それには環境を整えねばなるまいナア。
狐と会うことのない理想の楽園、佐渡なんていいんじゃないかあ?
フンフン。
我ながら良い考えだよナア。
綿狸とオイラの二人っきりであの頃の血湧き肉躍り血肉乱れる祭りをするんだ。
そうと決まればどうやって綿狸を連れ出すかだが……。
……ハハア。
良いことを思いついたア。
雨に降られて靴はびしょ濡れ。
気分はぐーんと下降中です。
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