化け狸と忘失の姫君-2
ひめは物憂げにそう呟くと、小袖を翻した。
すると、今まで我が這いつくばっておったい草の畳は消え失せ、むっとした匂いのする草の茂みに放り出された。
思わず周りを見渡すが先程まで確かにあった城郭は何処にもない。
疎に林立する木々とまるで海かと見まごうほどの大きい湖がそこにはあった。
「どう。綺麗な湖でしょ?」
ひめが空からふんわりと降りてくる。
「猪苗代湖っていって、日本でも有数の大きさを誇る湖なんだって。人間たちはここで水浴びしたり魚を採ったりして暮らしてた。みんなの生活の中心にあったのがこの湖。今でも夏になると行楽客で溢れるし、冬には白鳥たちが憩いの場を求めてやってくるんだ」
我のことを見ずに湖を眺めながらひめは滔々と語る。
どこかひめの姿は大人びて見えた。
「アタシはこの湖を眺めるのが好きだった。天守閣よりももっと上、城の屋根の上で暖かな陽光を浴びながら過ごすのが大のお気に入り。でも、それはもう叶うことはないんだよね」
「ひめ、お前は……」
「アタシは本当の名前は『亀姫』。猪苗代亀ヶ城の城化物。今はもう忘れ去られた廃城の化身だよ」
ひめは、亀姫はくすりと自嘲気味に笑う。
「ワタちゃんも見たでしょ。あんなに立派なお城が、アタシがここには建ってたんだ。だけどそれを覚えてる人はもうどこにもいない。これ見てよ」
ひめは懐から赤茶けた平べったい石のようなものを取り出した。
「お城の瓦。その破片。アタシはこれを頼りにこうやって存在してる。こんな頼りない石くれが今のアタシの全てなの。アタシには何もないんだ。あいつが言ってた通り、歌も踊りもやったことないよ。言動を可愛く整えて虚勢を張ってただけのちっぽけな存在。だけど、猫被ってたのばれちゃった。怒った人間たちがまたアタシを壊しに来るかもしれない。そう考えるとアタシはもう戦えないの。だから、辞めるしかないの」
目を伏せてあははとなおも笑うひめ。
……気に入らん。
お前はいつも我を揶揄ってからからと小憎たらしく笑っておったろ。
それがなんじゃあ。
なんでそんなにも涙の落ちそうな顔をして笑っとるんじゃ。
「……ひめはそれでええんか」
我の悪いとこじゃ。
口をついて出た言葉は思ったより刺々しく響いた。
「アタシは……ヒメはもー辞めるって決めたの。いきなり辞めたらワタちゃんも寂しいでしょ? だからワタちゃんには言ってあげたんだよ。感謝してねー」
「それで良いってんなら我は止めん。じゃが、本当に辞めるってんなら最後くらい本当のこと言ったらどうじゃ。我に向かって猫被ってても仕方ないじゃろ」
「……」
「我も勝手に考えて空回ったかもしれんが、ひめが我に態々辞めると告げたのはどうにかして欲しいという気持ちの顕れじゃあないのか?」
そうじゃ。
心に決まっているのなら、誰にも告げずにひっそりと居なくなれば良かったんじゃ。
そうすれば我のようなお節介に乱入されることもなかった。
ひめの心は惑っている。
そうでなければ今もこのぶーすでうだうだしていることもないじゃろう。
「……じゃあ、ワタちゃんはヒメを助けてくれるの?」
ほら。そうやって泣き出しそうな顔で縋ってくるじゃないかい。
まあ、我の答えは決まっているがな。
「阿呆か! なんでも他者に頼るんじゃないわい! 自分のケツは自分で拭くんじゃなあ!」
「ええっ!?」
ひめは目をまん丸にさせて驚いておる。
助けてもらえるとでも思ったか?
我とて自分のことで精一杯なんじゃあ!
「えーーーっ! そこは我が助けてやる! って格好良く言うものじゃないの!?」
「はン! やはり助けてもらいたがっとったんじゃないかい」
「いやっ、そうじゃないけど〜……でも心情的にホラ、さあ? 可愛い女の子が弱ってたら手を差し伸べるのがフツーじゃないっ?」
「だーれがお前みたいなクソガキ。我は年長の義務感でやってきただけじゃあ。へーのぷーじゃ、ボケがあ」
「ナニソレ! ひどいひどいひどい! 長生きしすぎて思考回路ショートしてんじゃないのー! このポンコツ狸! ばーか! 消えてなくなれーっ! 」
そこまで言ってひめはしまった、と口を押さえる。
大方配信でのこいぬへの悪口を思い出したのじゃろうが、我相手に何を今更。
「……本当はこんなこと思ってないの。でも、つい」
「かーッ! 何をしおらしくなっとるんじゃ! さぶいぼが出るっ!」
ひめの本性がどんなだろうが、我相手にしおらしくしとるのは正直言って気色悪いぞ……!
「ひめよ。お前がどんな奴だろうと我は人間たちのように色眼鏡で見たりせん。そもそも我には、おーでぃしょんの時に性格の悪さを露呈させておったろうに。変に気を遣うな。我にはそのままのお前でいいんじゃあ」
「……そのままで?」
いや、そりゃあしつこく揶揄われたら我も怒るぞ?
でも、それでも、今の負の方面に堕ちてやたら湿っぽいひめよりは断然良いに決まっとる。
「このままのアタシでいいってこと……?」
「ああ、そうじゃ。我は自信満々で小憎たらしいひめが良い。我も毒されたもんじゃあ。お前が揶揄ってこないと調子が狂う」
「アタシ、何も出来ないよ?」
「そんなの我に関係あるかい。我だって何も出来んわ」
「可愛いだけしか取り柄がないの」
「取り柄なんぞ一つでもありゃあ十分じゃろう。容姿なんざ望んでも手に入らないものじゃ。誇ればよかろ」
「でも……みんなに悪口言う子だと思われちゃった。もう可愛いなんて思ってもらえない」
「そこが間違っとるんじゃ。なーんで悪口言ったくらいで可愛くなくなる? 顔面ぶっ潰された訳でもなかろうに」
そう。
ひめの話を聞きながらそこがおかしいと思っとったんじゃ。
ひめは悪口を言ったことで自分が可愛くなくなったと決めつけとる。
きっとそれはこめんととかで直接的な言葉を投げつけられたからじゃろう。
……あれは心にくるものなあ。
うぅ……忘れかけていた初配信(婆ア)の古傷が……!
「でも……」
「でももへちまもあるかい! じゃあなんじゃ。我がひめは可愛いって言えば信じるんか?」
「えっ」
「正直なことを言うぞ? 我はなあ、ひめはクソガキじゃと思っとるが、それでも可愛いと思っとるわい。悪戯ぐらい可愛いもんじゃろうが。大体こめんとの奴らもな、大人気ない! 童の癇癪なんて鼻息で吹き飛ばせっつうんじゃ」
「……そんな風に、思ってくれてたんだ」
ふん、と鼻息荒く我がぷりぷりしておる横でひめは顔を伏せておる。
顔を伏せたままひめは呟いた。
「ワタちゃんは、このままのアタシでいいって言ってくれるんだね」
……そんなこと言ったか?
ひめがそう感じたなら、それでええじゃろ。
態々訂正する必要もない。
「ワタちゃん。アタシのこと、ずっと、覚えていてくれる?」
ひめはなおも顔を俯かせながらゆっくりと言う。
自分にも言い聞かせるように、ゆっくりと。
うーん、そうじゃなあ。
「忘れたくとも忘れられんじゃろ」
少なくともこの少女の姿でいるうちはな。
ほぼひめの注文通りで完成したこの変化の姿でいるうちは絶対に忘れることはない。
「……そっか。そっか……そっかあ」
ひめが俯きながら肩を震わせ始める。
「うぇっ!? な、何泣いとるんじゃあ!? 大丈夫かあ?」
我とて人情持ち合わせた徳のある狸じゃ。
童が泣き始めりゃあ、心配もするし狼狽もする。
慌ててひめの顔を覗き込むと、
「あーはははははっ! 騙されたーっ! ワタちゃんってば心配性なんだからー! あははははっ!」
企みが成功した子供のようにひめが堪えきれず笑っておった。
「やっぱりワタちゃんはヒメのことが大好きなんだね? そんなに慌てて心配してくれちゃって、ヒメ嬉しーかも! あははははっ!」
「……」
空いた口が塞がらんとはこのことじゃ。
ふざけんな!
人の心配を返せ! クソガキィ!
なんでいきなり寒いんですかねえ……。
雨まで降ってくる始末ですし。
いつも評価やブックマーク、評価も有難うございます。
面白いと思ってくれたのなら、ぽちりと気軽にしていただけると私がイエーイとなります。




