化け狸と炎上-4
さて。
勢いよく飛び出したはいいものの、一体全体ひめは何処に棲んどるんじゃ?
自分の用事が済めば霞の如くいつの間にか消えておるからのう。
こういう時は雇用主に聞いてみるのが一番じゃ。
そうでなくとも千里の眼を持っておるのだからひめの居場所は分かるじゃろ。
「呼びましたか?」
「ぬぉおっ!?」
突然耳元で囁く声。
驚いて後ろを見るといつの間に現れたのか深鏡が眼鏡を光らせて立っておった。
「はー…………心臓が止まったわい……殺す気か」
「いやいや、心臓が止まったくらいで貴女は死なないでしょう。それで、私を探していたのではないですか?」
「おお、そうじゃった! って、そのにやけ顔は我の用事も分かっているのじゃな?」
「ええ。私としてもこんな早期に人員が欠けるのは避けたいのでね。ヒメさんですが、ブースに閉じ籠っているようですよ」
「ぶーすにか?」
「あのブースは自分の理想の世界を構築できますから。ヒメさんの一番心穏やかでいられる場所なのでしょう」
はいる君の体験会だったか。
ひめの構築した世界を見たことがある。
大きな湖を望む城郭。
その天守閣からぼんやりと湖を眺めていたひめの姿が思い浮かぶ。
いつもの騒がしい様子とは違い、ぼんやりと胡乱げな様子を良く覚えとる。
「うむ! では向かってみるとするかの! それではなーっ!」
よし、ひめの居場所が分かればこの陰険眼鏡に用はない。
さっさとめたばぁすへ向かうのじゃ。
***
風が吹き抜ける。
アタシの短い髪がはたはたと細かく揺れた。
このメタバース空間はとても良い。
今は失われたものでもアタシが覚えているならば、こうやって目の前に懐かしき風景が広がるのだ。
天守閣から眼下を見下ろす。
春先の柔らかな陽光に照らされた新緑と、光をゆらゆらと照り返す湖面が眩しい。
穏やかな時間が過ぎていく。
---ずっとこの時間が続けばいいのに。
でも、もう諦めなきゃいけない。
ミカガミプロジェクトとして参加しているからこそ得られた特権。
辞めると決めたアタシには使うことができない。
あのコラボ配信でアタシは図星をつかれた。
白状すれば私はアイドルなんてよく知らない。
ある時気晴らしに街を歩いていた時のことだ。
街頭の大型テレビジョンに映し出された煌びやかな衣装を纏って歌い踊る少女たち。
そしてそれを見ながら熱狂する人間たち。
興味をもったアタシは近くにいた小太りの男に声をかけた。
「ねえ! あれなーに!?」
「おっふ! なぜこんなところにロリがいるのですかな!?」
「あれなーに!?」
「Spicaを知らないのですかな? ふぅむ、年頃の女の子には珍しいですなあ。Spicaは我が日本の誇るアイドルですぞ! その人気は国内に収まらず世界中で彼女たちを知らないものはいないと言われるほどです!」
「アイドル……?」
「一度見たら忘れられない最高に魅力的なアイドルちゃんたちなのですぞ。きっと拙者が歳を取ってもSpicaだけは忘れないでしょうなあ〜」
小太りの男と話していたら、制服の男たちがわらわらと近づいてきたので面倒ごとになる前にその場を離れた。
男の言葉は楔のように胸の奥に食い込む。
忘れ去られたアタシにとってその言葉は甘い毒の如く容易に心に染み込んでいく。
アイドルになれば誰もアタシを忘れなくなる?
そう頭に浮かんだ時、タイミングを見計らったように深鏡からのメールが届いたのだった。
自分の考えが間違っていないと後押しされたような気がして、アタシはそれに応募した。
アタシは自分で言うのもなんだが可愛らしい。
少しキャラを作って媚びれば誰でも言うことを聞いてくれる。
世の中可愛いは正義だ。
可愛ければ多少の困難は無視できる。
だってミカガミプロジェクトにもこんなにも簡単に受かったでしょ?
それが証拠じゃん。
だからアイドルにも簡単になれると思った。
歌もダンスも経験はないけど、可愛ければ少しくらい甘くても許されるんじゃない?
そう考えていたからこそあの柴原こいぬに責められた時何も答えられなかった。
一方的にアタシを責めてくれちゃって。
でも、あいつの言葉には確かに力があった。
言葉の裏から滲み出る、なんて言うの? 凄み? 妖怪のアタシがたじろぐ程の圧力を感じた。
あれは体感を伴った当事者の正論だ。
アタシの薄っぺらな防御なんて正面からぶち破ってくる。
防御が破られれば、後に残るのは本当のアタシだ。
正直な話、こいぬの言ってたことは何も間違ってない。
言い方はきつかったかもしれないが、あの子は口下手なだけでアタシに忠告しようとしていただけだと思う。
アタシがもう辞めようと思った理由はそこじゃない。
今までアタシを可愛いとチヤホヤしていた視聴者が、手のひらを返したかのようにアタシに対する罵詈雑言をdo!tterに書き込んでいたのを見てしまったから。
ああ、終わっちゃったんだなあって思った。
可愛いだけでやっていこうと思っていたアタシがこんなにも嫌われてしまったら、じゃあこれからどうやって活動していけばいいというの。
裸一貫で戦場に放り出された気分。
アタシの前にはこいぬ率いる大勢の視聴者。
挑もうにもアタシの視聴者は今や敵となって後ろから刺してくる。
可愛い仮面が剥がれたアタシには最早武器はない。
四面楚歌ってこういうこと?
アタシにできるのはその場に蹲って、頭上で渦巻く負の感情をなんとかやり過ごすことだけ。
なんて惨めだろう。
なんて情けないんだろう。
こいぬの言葉を借りるならば、アタシには覚悟が足りなかったんだ。
不用意に足を踏み入れようとしたからこんな目に遭う。
まだ入り口に立った時点でこの様だ。
これからトップを目指すのならば、どんなに恐ろしいことが待っているのだろう。
そう考えると、足は前に進まなくなった。
地面に根を張ったようにぴたりと動かなくなってしまった。
アタシにはこの目の前の暗闇を進む勇気がない。
こんなとき、ワタちゃんならどうするんだろ。
がーん、と落ち込みそうな気もするし、勝手なこと言いよって、とか言ってぷりぷり怒るような気もする。
でも、ワタちゃんはすぐに笑うんだろうな。
気にしてないみたいに脳天気に笑うんだろうなあ。
やっぱりそこは年季の差というか心の余裕の差を思い知らされる。
ヒメはそんなに強くないよ。
ヒメにはもう逃げることしか出来ないよ。
だからワタちゃん、お別れだね。
じゃあね。
公園で暖かな日差しを浴びながらの昼食は良いものです。
散りかけの桜もまだまだ風情がありますね。
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