化け狸とネット文化-1
山奥の秘境に住む化け狸たる我は近頃あることに悩んでいる。
もうかれこれウン百年ひとりで山奥に篭っていたが、そろそろ人恋しくなってきた。
昔は時折山に訪れる人間を驚かしたりして暇を潰していたのだが、最近ではこんな山奥に訪れる人間も殆どおらんくなった。
別にもはや妖の身である我は人の恐怖など無くてもかまわん。
清らかな薄霞を食らって、特製の煙草を燻らせていれば悠久の時を生きられる。
ただ、心を動かされることはとんとなくなった。
楽しい、とか、悲しい、とか。
そんなもの久しく感じとらんのだ。
そんな悶々とした日々を送っていた我の元に客人が現れたのは、6月にしてはからりとよく晴れた気持ちのいい朝だった。
「よう。綿狸の。息災かい」
ガサガサとカヤの茂みを退けて細面の糸目の男がヒョッコリと姿を現す。
「おや、白孫の。なんだ珍しいじゃないかよ」
綿狸ってのは我の呼び名だ。名前はまた別だが首元にこんもりとこさえた白毛からの通り名だ。
姿を現した白孫ってやつは古くから付き合いのある化け狐だ。
かの白蔵主の子孫だって触れ込みからそう呼んでいる。
白孫は懐から唐草色のキセルを取り出し、ボッと狐火で着火した。
ふかあ、とうろんげに一服すると近くの岩場にどっかと腰をおろす。
「なあに、近くまで来たもんで寄って見ただけだい。耄碌狸がくたばっちゃいないかとね」
「へ、まあだくたばりゃしねえよ。とにかく客人は大歓迎じゃあ。仙酒を出してやろ。呑むだろ?」
「気前いいじゃねえの。ご相伴に預かりますかね」
酒も酔うばっかりでひとりで呑んでも何も面白くない。
しかし、こんな客人が来た日にゃあとにかくいっぱい呑むに限る。
ぽん、と手の中に瓢箪を二つ取り出し一つを白孫に投げ渡す。
白孫はキセルを吸いながら尻尾で受け取ると、器用に尻尾の先で瓢箪の蓋を開け、ぐいっと煽った。
「カァー、美味いねえ。甘露たあ、まさにこのことさあ」
「口が回る野郎だ。山菜とヤマメを取っといたのがあるからな。これをつまみにやろうや」
それからはちびちびと酒を煽りながら話に花を咲かせた。
くだらない話ばっかりだ。長らく生きている化け物同士、昔話だけでも相当な量だ。
小一時間ほど話を続けたところで白孫が、綿狸のと切り出す。
「なあ、こいつを知ってるかい」
そう言いながら白孫が懐から出したのは、人間の手のひらほどの大きさの鏡だった。
ただの鏡じゃねえかと思いながら受け取ると、その鏡から微弱ながらも妖気が漂ってくるのに気づく。
「……ただの鏡じゃねえようじゃが」
「形は変っちゃいるが、そいつは雲外鏡ってんだ。千里の道を見通す鏡の妖怪さ」
「雲外鏡だって?」
雲外鏡ってんなら我も知っている。
だが我の知っている雲外鏡はこんなちゃっちいなりはしていなかったし、何より名が知れた妖怪だ。低級にも満たない妖力で雲外鏡とは冗談だろ。
我の訝しげな顔を見て白孫がにやにやと笑う。
「そりゃそうなるよな。雲外鏡と言っても、こいつは一部みたいなものだ。雲外鏡が新しい商売を始めてな。これはその試供品さ」
「商売?」
「綿狸の。最近人間界に降りてないだろ。インターネットって言ってもわかんねえよな」
「いんたーねっと?」
「電話は知ってるか? ああ、流石に知ってるか。その進化系みたいなものだ。音や声だけじゃなく文字や映像なんかもやりとりできる。本当ならスマホやらパソコンやら使ってやるもんなんだけどな」
すまほ? ぱそこん?
何やら聞き覚えのない単語がずらずら出てきて頭が混乱してくる。
「この雲外鏡は妖怪用の携帯端末で雲外フォン、通称ユーフォンって呼んでる。雲外鏡の大元がネット回線に割り込んで、その機能を拝借してるんだとよ。まあ、わかりやすく言やあ、遠くにいながら相手の顔を見て話をすることのできる便利な道具なんだよ」
「はあ、なるほど。よく分からんが、近頃は妖怪界隈も進んでるんじゃなあ」
「そうだぜ。山奥に隠居した狸には難しすぎたか。そんでな、丁度お前のために試供品をもう一つもらって来てやったんだ。それはやるよ」
「くれるってんなら、ありがたく貰っておくがよ。我はこういう難しいのは好かんぞ?」
「どうせ暇を持て余してんだろ?人間どもの娯楽は進化してるぜ。そう言ってるやつ程ハマるからな」
言いながらニンマリと口の端を吊り上げた白孫の顔が印象的だった。
我は手のひらに乗せたユーフォンとやらをしげしげと眺め懐に仕舞い込む。
それからはまた他愛もない昔話をダラダラと話していたが、光陰矢のごとし、楽しい時間は早々と過ぎ去り、日も暮れてきた頃に白孫は赤ら顔の千鳥足で我の居を後にした。
「また気が向いたら来てやるよ。婆アが生きてるか確認しにな」
「うるせえ言ってろ、若造の狐ジジイ」
書き始めました。
がんばって書いていきますので、
引き続きご覧になっていってくださいませ。