女房と菓子と筆と紙
時は平安、都にて。
徒然に筆を取り物語を綴る、女房ひとり。下人達から面白可笑しく聞いた話を取り敢えず書き記す。合間に摘むのは、唐菓子をいくつか。
書くと腹が空く気がする女房、高坏の上には膳所に命じて、日替わりで何かしら用意をしていた。
陸奥紙に、おろしたての筆。新しい穂先にたっぷりと浸した墨でさらさらと下書き。
落ち潰れた貴族の屋形があった。築地には穴が開き、そこから牛飼い童が入り込み、茫々な庭の草を牛に食べさせている有様。
屋台骨がしっかりとしているのか、屋根や床が抜け落ちてもまだ形を保っている、寝殿創りの屋形には、乞食が雨露を凌ぐ為に潜り込み、盗賊が酒盛りをするために入り込み、時々に魑魅魍魎達の鬼火、人魂が、ほうほうと邸内を跋扈していた。
竹取の翁と呼ばれる爺がいた。
糟糠の妻と共に、人里離れた場所で竹細工をし、鄙びた暮らしをしていたのだがある日、竹藪にて子を拾う。
幸いにしてその日暮らしの上に、既に枯れ枯れだった爺。よちよち歩く薄汚れた幼子の手を引き、小屋へと戻っても、
「町の遊び女に、爺の子を腹ませたのかや!」
などと喚かれ平手を喰らう事なく、子を夫婦して育てることになった。元は立派だったであろう破れかぶれな着物を脱がし、川で丁重に洗い清めると。
美しい子どもが姿を表した。さらさらとした絹糸の様な髪、紅を引いたような唇。母となった婆は手を叩いて喜んだ。子の着物を灰汁でこすり洗った婆。なんとか汚れは落ちたものの、到底着れる様な代物ではなかった。
枯れ草を敷きつめた寝床で、裸でうずくまる吾子の為に、着物を買う金子の工面をしようと、爺は寝ずに竹細工に精を出す。数が揃うと、開けの鳥が鳴くと共に町へと売りに行った。
古着だが、見目麗しい吾子に似合う物を見つけた爺。なるべく破れが少なく、丈が長いのを。婆に言われた物が手に入った。
雨後の筍の様に、すくすくと育つ爺と婆の子。婆が袖や裾をから上げした着物も直にそれを解く。子の成長とはなんと速い。爺と婆は目を細めて喜んだ。やがて髪が腰にかかり、美しい娘になりそうな子の姿を、竹細工を買い付けに来た折、目にした里の人の口にのぼる。
なんという、可愛らしき娘じゃ。きっと天からの授かりものに違いない、いやいや、都に住む力ある貴族の子やもしれん、あの様に美しい子じゃ、野盗にでも攫われ、すきを見て逃げ出したんではないか。
ひと目、子を見ようと竹藪に人が押し寄せる。貴族の娘の様に、しとやかに扇で顔を隠すこともしない、その日暮らしの爺と婆の娘。
やがて騒ぎを聞きつけた、この地を治める受領の使いの者が訪れた。このままだと小うるさい受領に、吾子を献上しなくてはならない。夫婦は全てを持ち都へと出る事にした。
町で細工物を売りさばいていた時の伝を頼り、件の屋敷を手に入れる。
竹藪の隙間風通りゆく小屋暮らしから、真新しい木の香が漂よう屋敷住まい、大勢に殿様、北の方様、姫様とかしずかれる毎日。
成金街道まっしぐら、人の噂に上る家族。殿上人では無いから堅苦しい付き合いもなく、夏の虫の如く遊び暮せば良いだけ。
四季折々、牛車に乗り今日は長谷寺へ、ある日は清水へ、嵯峨野へと、贅を凝らした暮らしを満喫していたある日のこと。
賄い方から運ばれた膳の上の粥が違う事に、すっかり世俗にまみれた姫が気がついた。
粥と言えば、ここに来てからというもの、高価な山の芋をふんだんに入れた、ぽってり濃い粥に、これまた高価な、あまずらの汁が垂らされた芋粥だった。
来る日来る日も、薄ら甘い芋粥、芋粥、芋粥、芋粥、芋粥。飽きることなく芋粥。おかずに、なれ鮨、なれ鮨、なれ鮨。ソレに、鴨肉の汁物や、漬物や醤、蘇がついていたのだが。
それが。
少しばかり薄い白粥に変わっていたのだ。添えられたおかずも、醤と青菜のお浸し、肉の細切れがぷかりと浮いた汁物のみ。なれ鮨も無ければ、蘇も無い。
……、もしや?金子が無い?親代わりの爺さま婆さまは、竹細工を売るしか能がない。他の金儲けなど考えた事も無いだろうし……。このままでは暮らして行けなくなる。
今では、艷やかなぬばたま色した黒髪を滝のごとく背に流す姫に育っている姫は、どうしたものかと考えた。徒然に思い出す、竹藪にて暮らしていた頃の事を。
美しい子どもだ。是非とも欲しい。
住んでいた場所はもちろん、噂を聞きつけた近在の金持ち達から贈られた絹地に珊瑚、瑪瑙、瑠璃に玻璃。高価な贈り物の数々。それらを売り払い、今の暮らしがあった。
「お前、市に出た時にわたくしの噂を流しなさい」
側仕えにとあてがわれた女の童に言いつけた彼女。
「美しい姫がいると、上手くいったらご褒美を上げましょう」
美しい茜染めの糸で組まれた紐を女の童にみせた姫。あい。わかりました。素直に従う女の童。
女の童はきれいな紐が欲しくて、懸命に役目をこなした。やがて、噂は噂を呼び、彼女が住まう屋敷をぐるりと囲む築地の前に、姫をひと目見ようと、彷徨く輩が増えたと、二親から話を聞いた姫。
姫は行動に移す。
琴にしようか、琵琶にしようか。出入りの商人を御簾の前に呼び付け、相談を持ちかけた彼女。出し衣の色目は鮮やかに趣向を凝らし、香も濃く焚いた。そして側仕えの女の童に命じてある策を練っていた。
「ちらりと、わたくしの姿が見える様、風の悪戯に見せかけ、御簾の端をめくるのよ、上手く出来たらお菓子をあげるわ」
高坏の上の甘い餅をちらりと見た女の童は、あい、わかりましたと返事をする。
……、天女がいた!
商人はちらりと垣間見た姫の容姿をそう例えた。
姫の策略は当たった。続々と届けられる文にきらびやかな贈り物。香木、珊瑚に瑪瑙、翡翠に絹地、金や銀の細工物が続々と届けられた。
「どれもこれも受け取ってはだめですわ」
高価な品々を目の前にし、右往左往する育ての親に告げる姫。
「ふふふ。文には目を通しました。どれもこれも身分が低い者たちばかり……、ここは我慢のしどころ。安く見られてはいけません。わたくしに、まかせてくださいましな」
にっこりと微笑むと、商人から天女様にと贈られた、琵琶をベヘン。意味有りげにかき鳴らした。
気高く美しい姫の噂はさらに広がる。
たむろしている男達の中に、やんごとなき身分の使いの者達がちらほらと混ざる様になる。やがて、
殿上人からの恋の文、唐天竺渡来の贈り物の数々が日々、受領の者たちのそれらに混じり届けられる。
ざっと目を通す姫。
「姫や、返事をと待っておられるのだが。贈り物はどうしたものやら……」
爺が几帳の向こうでほくそ笑む姫に話す。
「そうですわね。身分ある皆様ですから。贈り物は受け取って下さいな。そう、こちらは良くてあちらは駄目となると、いけませんから全て受け取って下さいまし。文はわたくしが、きちんといたしますゆえ、そしてお父さま」
几帳近くに呼び寄せると、ひそりと何やら囁く姫。
「なんと!姫はそれでもよいのか」
「ええ。お母さまも、そろそろお飽きになられたのですって」
後は引き際ですわ。姫は文を選り分けながら策を練る。そうしている間にも、屋敷には高価な贈り物が夜も昼も明けず届けられる。
……、密かに。それを売り払い金子に変える爺。
……、密かに。鄙びた田舎の屋敷を探している婆。
……、密かに。姫は文の返事を書き溜める。
才知溢れる返事は、身分高き殿方に。
見た。ひと言書き記すのはそれなりの殿方。
卑しさを感じた文は見ただけで終わる姫の采配。
うず高く積まれた染紙は、四角い花弁の様。中には香が焚き染められているのも多い。
爺はせっせと聡い姫の言うとおりに動く。
婆はひと足先に、長持ちと共に都を後にした。
姫は文を出す事なく、文筥の中にしまい込む
そして。
「さっ、お父さま。何もかも捨て置いて、都落ちいたしましょう」
十五夜の月が、冴えた夜。主だった貴族、受領は管弦の宴とやらで、それぞれの主の元に寄っている。住まいの築地の周りは閑散としていた。
屋形の者達に、姫が振る舞う月夜の酒。それを呑み浮かれる、下人達。
長い髪をきりりと括り上げ、重い襲を脱ぎ捨て、裾短な着物姿の姫と、きらびやかな着物から、着慣れた単衣に着替えた爺。
こそりと。屋形を抜け出し、婆が先に行き待っている、田舎の小さな屋形へと向かった。
都のきらびやかな屋形、調度も着物も何もかも持ち出さずそのままに、まだ手つかずの贈り物もそのままに、姫の部屋には文筥の中には、出さぬままの返事の数々。愛した琵琶もそこに置き、抜け殻の様な色鮮やかな襲の衣。
やがて朝。主が居ないと分かると。
めいめいに、屋形の中からめぼしい物を手に手に、出ていく下人達。寄せ集めの彼ら達は主に忠誠心など無い。女の童は周りに習い、姫の脱ぎ捨てた着物を手にし、逃げ出す大人の中にいた。
屋形がもぬけの殻となった事を知ると、貢いだ物を返せと押しかけた公達、行方を探す公達、姫が残した文を手に取り、はたはた涙を流す公達の姿が累々と。
おうおう、おおう、おうおう。
涙と怒号と怒号と涙と。
騙された。と言う。
騙された。と嘆く。
騙された。と泣く。
おうおう、おおう、おうおう。
涙にくれる男達。やがて……。誰かがポツリと言う。
姫は真っ事、天女だったのであろう。十五夜の月の光に乗り、天に帰られたのだと。
時は平安、都にて。
徒然に筆を走らせていた女房、手を止めた。
物語の土台にならないかしら。例えば。
姫が本当に、天から降りた天女だったら……。
高坏の上の米粉を練って油で揚げた菓子を摘む。
竹取の翁といふ者。竹藪にて金色に光る竹を見つけた。
物語が始まる。