裏話
△ クロエの部屋
豪華な夕食の後、使用人としての仕事を終えたクロエは、自分でいれた紅茶を飲みながら自室の椅子に腰掛けていた。
ヴァロア家の屋敷は住んでいる人数に対してあまりにも広いため、こうして使用人でも自室を持つことが許されている。
もっとも、ヴァロア家では使用人もみな家族、という方針が1番大きな理由かもしれないが。
ふぅーと長く息を吐いて、背もたれに深く腰かける。
リラックスした状態で考えることは昼間のことだ。
日を追う事に凄まじいスピードで技術を吸収し成長する2人を見て、ならば実践で彼らの実力を見ようとオリバーに提案したのはクロエである。
結果はおおよそクロエの見込み通りと言っていい。
本来、一般的な冒険者ならば3〜5人で倒すのだが、固有スキルや適正に恵まれている彼らなら可能だろうと判断した。
とは言え、想像通りでなかったこともいくつかあった。
1つは思っていたよりも早かったこと。
想定では20〜30分程度だったが、2人の討伐時間は約5分程度。2年前まで剣の握り方すら知らない子供とは思えない成長スピードだ。
2つ目は集中力とメンタル面。
初めての魔物、さらに初めての本物の殺気を受けて、あれだけ冷静に動けていたことは、普段常に冷静を心がけているクロエから見ても驚くべきものだった。
もしかしたら、2人はそういう意味では戦闘に向いているのかもしれない。
そして最後に見せた2人の集中力は才能と言っていいほどだった。
確かに危ない場面ではあったが、エーバーの速さなどものともしない正確な魔法と咄嗟の事態にも臨機応変に対応する行動力。
固有スキルと術で2人を隠れて後ろから見ていたが、あの時のあの眼。思い出してみても、一瞬ゾクッとする。あれは並の人間では出来ない眼だ。まるで、いくつもの修羅場を潜ってきたかのような、そんなことを感じさせる眼だった。
稽古の時に見せたことは1度としてない。クロエやアメリアと模擬戦をした時でも、あそこまでの集中を見せたことはなかった。
(……本当に、どこで見つけてきたんでしょうか)
クロエはティーカップをくるくると揺らしながら愛おしそうに笑う。
正直なところ、最初はどこで見つけてきたか分からない子供に少し警戒していた。まあ、ヴァロア夫妻とアメリアは初めから嬉しそうであったし、それも杞憂とわかった今は、かわいい大事な家族なのだが。
(……だとしても、もう少しは疑ってもいいとは思うのです。もし誰かに騙されそうになったら私が止めに入りましょう)
少しぬるくなった紅茶を飲みながら、クロエは心の中で小さく決意をした。
すると、部屋のドアがコンコンと音を立てる
「クロエ~、ちょっといいかしら~」
「…はい、少々お待ちください」
クロエはよく見知った声にこんな時間に来るのは珍しいと思いつつ、ドアの鍵を開けた。
「……お待たせ致しました。ただいま紅茶を入れます」
「ありがと。お邪魔しま~す」
クロエはエミリーを部屋に迎え入れると、自分が飲んでいたものより少し高い紅茶を戸棚から取り出した。
「ごめんねぇ、こんな夜遅くに。どうしても今日のうちに聞いておきたくて」
「……構いません。昼間の実戦のことですよね」
「さすがクロエね。話が早くて助かるわ」
うふふっと笑った後、エミリーは部屋の中を見渡す。
「それにしても、もうちょっと物を置いてもいいんじゃないかしら?好きな物買っていいっていつも言ってるでしょう?」
部屋には生活出来る最低限の家具とティーセットのみが置かれている。確かに、女性の部屋としては少し質素に見えるかもしれない。
「……私はこれくらいの方が落ち着くんです。それに茶葉やティーカップなど沢山置かせてもらっていますし」
「うふふ、いつも美味しい紅茶をありがと」
クロエはお茶、特に紅茶が好きで様々な茶葉を集めている。ちょっとした紅茶博士になりつつあるクロエだが、最近は自分で茶葉の栽培まで始めてしまったほどだ。その他も含めて現在屋敷の植物は全てクロエが世話をしている。
「……私が好きでしていることですから。それよりも今は2人のことです」
クロエは照れを隠すようにエミリーに紅茶を渡すと、少し強引に話を戻した。
「そうだったわね。……それで、クロエから見て今日の実戦はどうだった?」
「……どう…とは実力的なことでしょうか」
「んーそうね、まずはそれを聞こうかしら.」
ちょうどその事を考えていたおかげで、困ることなくスラスラと言葉が出てくる。
「……そうですね、初めての実戦にもかかわらず、2人とも冷静に動けていたと思います。固有スキルや魔法の使い方も良かったですね」
「そうね、私もそう思うわ。正直に言うと出来すぎなくらいね」
「……はい、これまでの成長スピードを考えると、固有スキルや適性も含めて、天性の才能があると言ってもいいと思います。」
「やっぱり、クロエもそう思うのね……」
そこで1度エミリーは少し考える素振りを見せてから、少し慎重に口を開いた。
「そうなると、気になるのはあの子たちの生い立ちなのよねぇ……クロエはどう思う?」
「……そうですね、名前で考えるのであればシェルツェンの出身ですが、6年前なので2人がいたかどうかまでは…」
「そういえば、クロエもシェルツェン出身だったわね」
クロエは故郷のことを思い出そうとして、止めた。今の自分は使用人である。あるはずのないことを考えても仕方の無いことだ。
「……出身、親族、なぜ2人だけでオラルーク高原にいたのか、戦う技術も知識もない状態でどうやって生き残っていたのか……正直なところ、2人に関して多くの疑問が残ります」
「まあ、明らかに不自然ではあるわよねぇ」
うーん、とエミリーは困惑の表情を浮かべた。
そんな彼女を安心させるように、柔らかい表情でクロエは語りかける。
「……確かに、不明な点は多いですが彼らはとてもいい子です。この先も何も心配いりません」
するとエミリーは一瞬きょとんとしてぱちぱちと瞬きを数回した後、ふっと小さく笑った。
「分かってるわ。2人はとっても優しくて、かわいくて、いい子だもの。この間だってね」
「…それはまた今度にしましょう。今からでは世が明けてしまいます」
「え~、朝まで付き合ってくれてもいいじゃない」
「…………本当に朝までのつもりだったのですね。続きはゆったりとできる時間にして、今日はもうお休みください。エミリー様も明日の仕事がありますから」
「そうね、もう遅いし今度にするわ。ごめんなさいね、夜遅くにお邪魔しちゃって」
「……いいえ、私もお話出来て楽しかったです」
「うふふ、そう言って貰えると助かるわぁ。それじゃ、おやすみ」
「……はい、お休みなさい」
エミリーが小さく手を振りながら出て行くのを軽いお辞儀で見送る。クロエは1人に戻った部屋を見渡し、先程までエミリーが座っていた椅子を見つめる。
「……大丈夫ですよ、きっと」
小さく、だが言葉とは裏腹に妙に確信めいた声音でクロエは呟いた。その顔は先程までのように笑ってはいない。何かを羨むような、懐かしむようなそんな表情だ。
「……あの子達は、1人じゃありませんから」
クロエはチラッと時計を見る。時刻は既に、午前2時半を回っていた。