呪われた王太子
がしゃんがしゃんがしゃん……
鋼と石畳がぶつかる音が響く。
鎧の兵に抱えられたアルネリアは、激しく身をよじった。だが、鋼の腕はびくともしない。
「放せ」
パウラの声が聞こえた。彼女も腕を振りほどこうとしているらしく、素手で金属を叩くような鈍い音が続く。
力に差がありすぎる。このままでは徒に体力を消耗させるばかりだろう。それよりも抵抗をやめて機会を探り、逃げ出すほうがよさそうだ。そのためには……
「体力を徒に使うな!」
アルネリアは叫んだ。
その一言で意図を汲んだらしいパウラは、急に暴れることも叫ぶこともやめて静かになった。
そのまま兵士たちは無言で、アルネリアたちを宮殿に運んでいく。
「あの宮殿の中に入ったら、無事に国に帰れるのかな……」
自分たちが連れていかれる先が、牢屋の中かもしれないこと、または拷問にかけられるかもしれないことに思い至る。アルネリアの全身に戦慄が走った。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
一方、鎧の兵士たちから開放されたビルギッタとガリマーロは、群衆をかき分けて急いでアルネリアたちを追った。だが、そのときにはすでにふたりの姿はなく、なすすべは何もなかった。
「こうしていても仕方がない。いったん商館に戻ろう」
ガリマーロに静かに諭され、ビルギッタは、何も言わず肯首した。
王宮前広場を離れたビルギッタは、唇を強くかみしめた。
ソレイヤール兵士によるノルデスラムト王女の拉致。このことがノルデスラムトに伝わったら、間違いなく国際問題になるだろう。危害でもくわえられたら、戦争に発展してもおかしくない。
だがアルネリアは、王女として入国したわけではない。それどころか偽名を使い、身分も性別すらいつわっている。騒ぎが大きくなった場合、こちら側に分はない。
ビルギッタが縋れるものは、一筋の細い糸しかなかった。
商館に帰り、部屋の扉を締めたとたん、ビルギッタは、鋭いまなざしをガリマーロに向けた。
「本当のことを話してくれ、ガリマーロ」
ビルギッタはガリマーロの前に歩み寄り、人差し指を彼の胸元に突きつけた。
「お前はソレイヤール人なんだな?」
ガリマーロは一瞬だけ驚いた眼をしたが、穏やかに頷いた。
「生まれたのは、この国だ」
「なぜ黙っていた?」
「国を捨てたからだ」
「それならなぜ、この護衛の仕事を受けた?」
「断った! だが、俺以外の適任者がいないと押して頼まれた。ほかの騎士や傭兵は、ミッテルスラムトやソレイヤールの地理に明るくないという理由で」
「おまえが、あの子たちの誘拐を手引きしたのではないのか?」
「違う! 俺がフィラーロという名を捨て、国を出たのは10年前だ。以来帰ってもいないし、ここ数年は連絡も受けていない」
「なぜ国を出た」
「一言では言えない。ただこの国には秘密がある」
「秘密?」
「知れば、あんたにも累が及ぶかもしれないが」
ガリマーロの声が一段と低くなった。ビルギッタは黙って部屋の隅に隠していた片手剣を手にした。
「どんな手がかりでもいいから欲しい。話せ」
ビルギッタの手の中の片手剣が、照明を受けて鈍い光を放った。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
鎧の兵士たちは、アルネリアたちを抱えたままカーブを描いた外階段をあがり、宮殿の内部へと入っていった。その瞬間、白い壁に金色と、極彩色の装飾画が施された内装と赤いじゅうたんが目に入り、アルネリアは眩しいほどの華やかさに瞬きをした。
兵士たちはさらに階段を上る。構造が分からないながら、アルネリアは羽を伸ばした白鳥の右側の翼の先に当たる部分までたどり着いたことを、おぼろげながら感じていた。
金で彩られた白い扉が開き、アルネリアとパウラは無言で降ろされた。
豪華な部屋である。壁に掛けられた絵画や、小テーブルに置いてある壺は、すべて青で統一されている。壁に描かれている不可思議な文様の装飾画も、青がベースになっている。それら趣味のいい調度を眺めながら、アルネリアは困惑しながら歩き回っていた。
「地下牢にでも押し込められるとばかり思っていたのに。この部屋の中、みんな青いね。ナバラが滞在したところも『青の間』と言ってたけど。ここがそうかな」」
「でも幽閉されてる意味では牢屋と同じですよ。鍵がかかってます」
閉められたばかりの扉を確認したパウラが、肩を軽く叩いた。そのあとで、扉とは反対側にある窓に向かう。窓は開くが、3階である。脱出は不可能だ。
「ねえ、さっきの栗色の髪の男、どこかで見たと思うんだけど。どこかわかる?」
問いかけると、窓に張り付いていたパウラが、素早い動きで振り向いた。
「忘れたんですか? 壁にバラが絡んでいた食堂にいたじゃないですか! あなたが仮面がどうしたこうしたと大声で言ったものだから、ふたりの男の人がいきなりいきり立ってこっちに来たでしょ!」
ああああ! アルネリアはうめき声をあげながら頭を両手で抱えた。
「なんでそこに気づかなかったかなあ、私。仮面の男が衝撃すぎたのもあるけど。そうだ! 仮面! 王太子も仮面をかぶってた!」
パウラが急に真顔になった。
「だからその仮面ってなんのことですか? 私は見ませんでしたよ、そんな人。あの食堂でも、特別席でも」
「ちゃんと見た? 王様の後ろにいたじゃない。こんな仮面の……」
アルネリアは指で長く伸びた鼻を宙に描いた。
「王太子なら見ました。なんか陰気で、パッとしなくて、陰険そうでフロレーテ姫様の趣味じゃないって一目でわかる顔でしたけど、仮面も帽子もなんにもつけてませんでした」
「……ねえ、フロレーテ姉上の趣味ってどんなのか知ってるの?」
「知ってますよ。有名ですから。目が大きくて、役者みたいに整った顔の人がお好きですよね。むしろさっきのチャラチャラした明るい栗色の髪の人なら、文句なしでしょう」
「あーもう、姉上すぐそういうこと口に出しちゃうからな。面食いだと知れ渡ったら、後々問題に……って。今、そんなことはどうでもいい! ねえ、本当に仮面じゃなかった?」
「なんども同じことを言わせないでく……」
パタパタパタ……。その瞬間に聞こえてきた廊下を走る軽やかな音で、パウラは口をつぐんだ。
「お待ちください。まだ御前試合は終わっておりません」
「いや、陛下がご覧になっているから問題ない!」
ふたりの男性の会話が扉越しに聞こえる。
「アル、後ろに」
パウラがかばうように前に立ち、アルネリアはその背中にしがみついた。
鍵が開く軽快な音が響き、扉がゆっくりと開いた。
「友よ! 賢者よ! ようこそわが宮殿へ!」
扉の向こうから、長身で、痩せ型、金色の髪を後ろで1つに結び、礼装と思われるきらびやかな刺繍入りの上着を来た人物が、叫びながら笑顔でアルネリアに駆け寄った。
ただ、異様な点は、鼻から上が仮面に隠されていることだった。
感極まった声と両手を広げた青年の態度に、パウラとアルネリアはただひたすらとまどうばかりだ。
「あなたは……ヴァレリウス王太子殿下ですか?」
おずおずと問いかけると、青年はさらにそのまま歩み寄り、いきなりパウラの背後にいたアルネリアを抱きしめた。
「そうだ! 私がヴァレリウスだ! それがわかるということは、やはり君は賢者なのだね! よく来てくれた!」
痩せ気味に思えたヴァレリウスだが、15歳のアルネリアを包み込む腕は予想外に逞しい。驚いたアルネリアは硬い表情で逃れようとした。
「ちょ、殿下。離れてください、それではただの不審者ですよ」
栗色の髪の男と、パウラが一緒になって、王太子とアルネリアを引き離した。
「ああ。これは失礼。待ち焦がれた人が現れたから、うれしさを抑え切れなかったのだ。ソレイヤール語はわかるようだね。よかった。ああもう、どこから話せばよいだろう」
高くうわずった声で、うろうろ歩きながら、さらにヴァレリウスはまくし立てる。その勢いに押されたアルネリアは、言葉もなく、ただパウラにしがみついていた。
「殿下。少年たちが怯えていますよ~。もうちょっと落ち着いて話をなされるほうがよろしいんじゃないですかね~」
栗色の髪の男は、ヴァレリウスを腕で制してから、アルネリアたちに向き直った。
「我が国の王太子が興奮して申し訳なかったね。私は王太子付き補佐官で神官のティリアーノ。覚えたかな? それで、君たちのお名前は?」
アルネリアと顔を見合わせたパウラは、小さく頷いてティリアーノたちに向き直った。
「僕はパウハルト、そして弟がアルベルトです。ノルデスラムトから来ました」
「よろしく、兄君パウハルト君と、賢者アルベルト君」
握手を求めようとした王太子が一歩前に進み、アルネリアは後退った。かすかな失望のため息をついたヴァレリウスに代わり、ティリアーノが前に出た。
「パウハルト君、だったよね。ひとつ質問をしていいかな。君は王太子殿下の顔がどんな風に見える? 遠慮はいらないよ~。答えておくれ」
パウラはしばらくためらってから、おずおずと口を開いた。
「目がつり上がっていて、鼻が高く、鼻筋が高い顔です。今、口元が引きつってます」
「弟君のほうは?」
「黒い仮面をかぶってます。クチバシみたいな鼻がこんなふうに長~く伸びてます」
アルネリアが指で鼻の形をまねると、ヴァレリウスがああ、と感極まった声をあげた。
「では、パウハルト君。ちょっと殿下の顔に触ってみてくれないか?」
「ええそんなことできませんよ。王太子殿下ですよ!」
「いいから、遠慮しないで」
ヴァレリウスはつかつかとパウラに歩み寄り、その手を取って自分の顔に押し付けた。その瞬間。
「え? えええええ?」
パウラは驚きながらも、何度も確かめるように王太子の顔を手のひらで探った。
「どういうこと? 感触が顔じゃない。クチバシみたいな鼻がある!」
「だからそう言ってるじゃん」
唇を尖らせるアルネリアに、パウラは必死で訴えた。
「見てるものと、そこにあるものが違う!」
ティリアーノは、それを聞いてうんうん、というように頷いた。
「わかりますよー。それが普通の人の反応。僕だってそうですからね。どういうわけか、本人と国王陛下以外には相当残念な顔に見えてしまうんですよ。人によっては化け物に見えるんだって。なぜそうなるのかというとね。王太子殿下には、呪いの魔法がかけられているからなんですよ」
「魔法?」
アルネリアとパウラは、同時に叫んだ。
「10年前。突然私にかけられた呪いの魔法のために、顔から仮面が外れなくなってしまったのだ」
ヴァレリウスは両手で仮面に手を添えた。
「その間仮面が見えるという人はいなかった。だけど……私のこの仮面が君には見えるらしい。これはきっと、待ち望んだ賢者に違いないと」
「確かに仮面は見えます。けど! でもその賢者ってなんですか!?」
するとヴァレリウスは優雅な手つきで、ティリアーノを指し示した。
「優秀な神官であるティリアーノに占ってもらったんだ。いつか賢者が現れて、真実の愛を教えてくれる。呪いは真実の愛を知ったら解けると出たんだ!」
声を弾ませて力説する王太子。それを聞いたアルネリアはめまいでぐらつきそうな頭を押さえる。
「どうした、大丈夫か? 賢者殿」
「大丈夫ですが……」
「ああ賢者殿。思ったことがあったのなら、何でも言ってくれ。どんな発言でも賢者殿なら許そう」
「では申し上げます王太子殿下。これはなにかの冗談ですか?」
「なんでそんなことを言うかな!」
ティリアーノが憮然となった。
「話がおかしいからですよ。呪いをかけるのは、相手をとことん追い詰めたいからでしょう。そんな人間が真実の愛を知ってめでたしめでたし、なんて甘っちょろい結末にするわけがないでしょう」
「王太子が真に成長するための試練だとしたら?」
「こんな罰をくらうほど、とんでもない悪ガ……やんちゃな少年だったんです?」
「まさか。殿下はおとなしくてよい子だと評判でしたよ」
ふたりのやりとりを感心したように眺めていたヴァレリウスが、いきなり空気を読まない高らかな拍手を始めた。
「すごいな。アルベルト君は。そんなことを考えたことはなかった。やっぱりきみは賢者だ」
妙な賛辞に、アルネリアはぎこちなく微笑んだ。
「現実的なだけです」
「つまり、それほどの賢者が現れたんだから、ティリアーノの占いも当たっているということだよね」
王太子は笑みと共に両手を強く握った。
「ん!?」
「とにかくアルベルト君が特別だということは間違いないんだけど。まだ信じられないという顔をしているね」
「信じられるわけがありません。だって僕らの国では言い伝えに残されているだけで、魔法使いはいないんです」
「そう。ではおいで」
ヴァレリウスはアルネリアとパウラを誘い、窓辺に立たせた。
ガラスの窓を外側に押し開けると、緑豊かな宮殿の敷地が広がる。そこで王太子は、やや遠くにある丘に建つ、荘厳な建物を指さした。大きな水晶の結晶が、天に向かって伸びているようにも見える。
「あれは、ソレイヤール大神殿。大地の精に祈りを捧げる場だよ」
「大地の精……ですか?」
「この大地を支えている、もっとも偉大な力だよ」
聞いたことがなかったが、この国の宗教なのだろう。アルネリアはそれ以上口を挟まず、先を促した。
「その大地の精の力を使えば、頭に思い描いたものを、現象化させることができる。それが魔法だ。魔法を創ったり、使ったりするのは神官の仕事。創った魔法は会議で発表され、王が承認する。簡単に言えば、これが我が国の魔法、という『法』の仕組みなんだ」
「火を出すとか、雨を降らせるようなことができるのですか?」
「いや、ソレイヤール神官の魔法は、基本的には生命を司る魔法だ。病気の人を元気にしたり、畑を肥やしたり、作物をおいしくしたり、人形に命を与えて人のように動かしたりする、幸福の魔法なんだ」
そこでパウラがぴょんと背筋を伸ばしてヴァレリウスを見上げた。
「もしかして、あの鎧の兵士たちは」
「そう、人形だよ。僕たちが魔法で動かしてるのさっ」
「御前試合で戦っていたのも」
「当然木偶人形の兵士たちさ。あんな過激なこと人間ができるわけないでしょ?」
「この国に騎士たちは?」
「木偶人形の兵士と魔法があるのに、そんなものが必要?」
ティリアーノは大げさな身振りで自分の胸に手を当てた。
「魔法は神官だけに与えられた特権だけど、神官たちはその魔法を使ってソレイヤールと国民のために尽くすことになっているんだ」
王太子ヴァレリウスはやや誇らしげな様子で言う。
「国のために尽くすのなら、どうして王太子殿下はそんな呪いにかかっているんですか? 魔法使いに解いてもらえばいいじゃないですか」
「それができれば苦労はない」
ヴァレリウスは正面からじっと顔を見つめてくる。仮面の奥に、美しい緑色の目が見えて、宝石のようだなとアルネリアは思った。
「誰が呪いをかけたのか、わからないのだ」
ヴァレリウスが言葉を続けたとき、その宝石が一瞬濡れたように光った。