旅の仲間
ついにここまで来てしまいました。
あとは終章のみです。
よろしくお願いいたします。
ノルデスラムトの王都・アーレンに夏が訪れた。
やぁー!
とぉー!
シュバスト城の中庭では、ビルギッタが見習い女騎士たちを鍛える声が響いている。
長い間訓練をしていなかったにもかかわらず、パウラの成長が著しいとビルギッタはほくほく顔である。
そしてアルネリアは自分の居室で、侍女のミーアから髪の手入れを受けていた。
「ほんっとに、髪がパッサパサ。なにをしても元通りになりません」
ソレイヤールから戻って、新月が満月に膨らむ頃になっても、ミーアは同じ小言を言う。
「ソレイヤールは、乾燥してるし日差しが強いからねえ」
「お肌もこんなに日焼けして! もう……」
こういうときのミーアには逆らえない。アルネリアは黙って首をすくめていた。
「でも……お美しくなられましたわ。しばらく見ない間に」
意外なことを言われ、アルネリアは振り向いた。
「姫様はこれから、ますますお美しくなられるでしょう。楽しみです」
ミーアが目を細めたところで、侍従が居室の扉を叩いた。
「アルネリア姫様、ユシドーラ姫様がお呼びでございます」
ユシドーラに呼ばれたアルネリアは、足早に廊下を歩いた。
目指すは狩猟の間。これは父王が重臣や娘たちに重要な話をする際に用いられる部屋である。
これは、ソレイヤールからの正式な求婚に違いない。そして最大の功労者である自分に対し、ねぎらいの言葉をかけてくれるつもりなのだろう。アルネリアの胸は否応なしに高鳴った。
狩猟の間の扉を開けると、壁には歴代の王が射止めたという鹿のトロフィーが見えた。ベルヴィール宮の優美さと比較すると、こういうところはなんともがさつで荒々しい。
「アルネリア、お呼びに従い参上いたしました」
顔を上げると、部屋の奥で父王とユシドーラが座っていた。
「ソレイヤールから書簡が届きました」
威圧感たっぷりの声と顔で、ユシドーラが告げる。
アルネリアはその場で優雅に膝を折り、父王の言葉を待った。
コホン、国王エルムンドは咳払いをしてから、おもむろに告げる。
「ヴァレリウス殿下から、直々にフロレーテとの結婚についてのお話があった」
「ついに、正式な申し込みがあったのですね」
アルネリアは、じわじわと胸に広がる達成感を噛みしめながら、次の言葉を待った。
「なかったことにしてほしいそうだ」
「まったくもって祝着至……えええ?」
一瞬、話を理解できずにいたアルネリアだったが、父王とユシドーラのなんともいえない顔つきを見て、やっと飲み込んだ。
「なんでええええ!?」
「フロレーテのことは、よく知らないから無理だそうです」
ムズムズした顔でユシドーラが答えた。
「まだそんなことを言ってるんですか。あんなにフロレーテ姉様の魅力を伝えたというのに! 肖像画は送ったんですか?」
「もちろん。ルーナス・ナバラに描かせました。それはもう、すばらしい出来でしたよ」
「なぜそれで断るかな!?」
「真実の愛ではないんだそうです」
しんじつのあいだってえ?
「そんなもの、これから育てればいいじゃないですか!」
「その相手が見つかったそうです」
……ということは、自分が去った後で、ちゃっかり相手を見つけて、「真実の愛~」とうかれているということか! アルネリアの脳裏に、ヘラヘラ鼻の下を伸ばして、きれいどころに囲まれているヴァレリウスの姿が鮮明に浮かんできた。
そんな人間だとは思わなかった。今まで苦労して、危ない目に遭ってまで呪いを解く手助けをしたのはなんのためだったのだ! 人のこと、旅の仲間だっていったのは、その場限りのでまかせだったということか!
「あの、バラ色頭の王太子めー。呪いが解けたからって大した気になって、恩知らずにもほどがあるわ!」
「これ、アルネリア。口が過ぎますよ」
「お言葉を返すようですが、姉上はよく平気ですね。失われた黒の魔法のことだって、まだよくわかってないんですよ。ソレイヤールとつなぎをつけて、その情報を引き出すんじゃなかったんですか?」
「それもまあ、おいおいね……」
父王もはっきりしない態度である。
「文句があるなら、ソレイヤールの使者に直接伝えなさい。使者が謁見室で待っていますから」
「わかりました。そうさせていただきます」
使者には罪はない。だがこの憤りをすべてぶつけて、それを本国まで届けてもらおうじゃないの! 我が怒りを思い知るがいい。アルネリアは、くるりと向き直って、狩猟の間を出た。そしてそのままどすどすと廊下を歩き、謁見室の扉をバーンと押し開けた。
しかし、そのままの姿勢のまま、固まった。
謁見室で満面の笑みを浮かべていたのは、法衣姿のティリアーノだったからだ。
「なぜここに……」
「やあ……って、すみません癖でつい馴れ馴れしくて。アルネリア姫様。ご機嫌いかがですか?」
そこでアルネリアは、当初の目的を思い出し、ずかずかと歩み寄った。
「いいわけないですよ。だいたいあの殿下はなにを考えているんですか。私がこれほど両国の発展のためにがんばってきたというのに」
「まあまあ、それは僕に言われてもわかりませんよ。殿下に直接言ってください」
アルネリアは憮然とした顔を隠そうともしない。
「では、どうしてここにいらっしゃるのですか?」
「これを、あなたにお渡しするためにお待ちしていました。手紙ですよ」
アルネリアは、ティリアーノの手から、くるくると巻かれた書状を受け取った。
「殿下からあなたにです。この巻紙を開くとね、王太子の肉声が聞こえます。苦労したんですよ。すごい魔法でしょ?」
思いっきり弁明でもしてくるのかな? アルネリアが手紙を開こうとしたとき、ティリアーノがそれをとどめた。
「ちょーっと! こういう手紙は人前で読んじゃダメですよ。僕は遠慮しますから、おひとりで読んでくださいねー」
踊りながら、ティリアーノが部屋を出て行くところを見届けてから、アルネリアは手紙を開いた。
王太子の流麗な文字が目に入った瞬間。
「賢者君」
王太子の懐かしい声が聞こえて、アルネリアは辺りを見回した。
しかし部屋にいるのは自分だけ。
そして目の前の紙の上からは、インクで描かれた文字がひとつひとつ剥がれて宙に舞い上がった。
『賢者君。久しぶりだね。ああ、本当はアルネリア姫だったね』
王子の声は、飛んでいく文字から聞こえてくる。確かに、すごい魔法だ。
アルネリアは、驚きながら手紙の先を目で追った。
『わかっているけど、なかなかうまく切り替えられない。それほど、私にとって賢者君の存在感が大きかったんだからね。正体を偽っていた君も悪いよ。まあ、事情はわかるけど』
話し言葉で書いている文章だから、そのまま話しかけられているようだ。
『君たちのおかげで私の呪いは解け、いまいましい仮面をつけたまま生活しなくても良くなった。顔も洗えるし、とても快適だ。実はね、今まで洗顔には苦労させられていたんだよ。……詳細は省くけど。
それに、なによりいつでも妃を迎えられるようになった。感謝している。
さて。君たちがソレイヤールを発ったとき、入れ違いにノルデスラムトから肖像画が届いたんだ。姉君、フロレーテ姫の肖像を見たよ。本当に君が熱弁を振るった通りの美しさ、愛らしさだ。ボレムの街を彼女が歩いていたら、みんなが大騒ぎするだろう。国民だって、彼女の美しさに見惚れてしまうに違いない。
そこで私は考えた。君の提案に従い、この魅力的な女性と結婚して、君の義理の兄になるという選択肢について。君に「あにうえ」と呼ばれるのは悪くない。それに妹も欲しかったんだ。
でも、それだと君は、いつか私の手が届かない遠い国に行ってしまうかもしれない。
王家の姫とは、そういうものだからね。
ねえ考えてみて、賢者君。その国が私の国と袂を分かったら。
君がは遠くに行ってしまい、私はせっかくできた義理の妹と、旅の仲間を同時に失ってしまうことになる。
君だって、キジの丸焼きと鴨肉のパイを食べる機会を永遠に失ってしまうよ。
ねえ、賢者君。
あの旅は楽しかったね。
波瀾万丈だったけれど、終わってみるといい思い出だ。
これから続く人生もあんな旅になるといいと思う。
懐かしく思い出して、笑いながら語り合える人生なら理想的だ。
でもあの旅は、きっと君がいたから楽しかったのだろうと思う。
私たちは永遠に、旅の仲間でいられると信じている。
そこでひとつ提案があるのだけど、聞いてもらえないかな。
賢者君。
これから長く続く人生という旅を、一緒に歩いてもらえませんか。私の伴侶として』
「え? ちょっと待って。え? 私!?」
ようやく気づいたアルネリアのつま先から頭のてっぺんまで熱くなり、顔色が一気にダリアの花よりも赤くなった。
「な、なななななななんで? 」
動揺のあまり考えがまとまらず、アルネリアは床にぺたりと座り込んでしまった。
「え、伴侶って? それって……」
そのとき、またヴァレリウスの声が手紙から聞こえてきた。
『賢者君のことだから、きっと今頃、思ってもいなかったことを言われて、動揺しているだろうね』
そこでアルネリアは手紙に続きがあることに気づいた。
『そうはいっても、まだあなたは結婚年齢に達していないそうだね。困ったな、私は犯罪者になりたくない。
それに……まだ我が国は大神官の罷免で混乱の中にあります。レオーニスが言ったように、問題は山積。あの戦のような不幸な歴史を繰り返さないためにも、私たちは頑張らないといけません。
あなたが大人の女性になるときまでに、私もレオーニスたちとこの国を立て直します。だからこの話は、そのときに改めてすることにしましょう。
絶対に待っていてください。絶対他の人のところには嫁がないでください。
あなたを迎えに行けるときには、きっと自然にアルネリアと呼べるはずだから……
あなたのヴァレリウスより』
アルネリアは手紙を巻き上げると、火照ったほおを冷やすように、窓を開けた。
「さて……なんて返事をすればいいものやら」
それでもアルネリアは自覚していた。
ヴァレリウスの声が、たまらなく懐かしくなっている。
そして彼がいない日々に、物足りなさを感じている。
そう。自分の心はもう決まっている。
目の前に広がるノルデスラムトの大地に、夏の風が吹く。
そしてアルネリアは、その風の中に、人生の新しい扉が開かれる音を聞いていた。
 




