届けられた肖像画
10/8 章とサブタイトルを設定しました
春まだ浅いある日。空は晴れ、地上に朝の青い光が降り注いでいた。まだ風は冷たいながら、木々の枝に芽吹いている若芽が目にやさしい。
ノルデスラムトの王都アーレンは、城塞都市である。中心部の広場の周りは、ぐるりと木組み造りの建物で取り囲まれている。
この広場では週に1度、午前中に市場が立つ。肉や野菜などの食材を扱う露店、布や台所用品、馬具などの生活用品を売る露店などが軒を連ねているその様子は、にわか作りの迷路のようだ。
その市場の中を、弾むような足取りで、ひとりの少女が歩いていた。少女――アルネリアが被っているつば付き帽子の下から、淡い色の髪の毛がのぞき、時折日に透けてきらりと光る。青い木綿のワンピースに白いエプロンを重ね、弦で編んだ籠を手にしている風情は、どこにでもいる町娘そのものだ。
しかし、露店を通りかかるたび、野菜や肉をまじまじと眺めて、ときどき目を光らせる様子は、他の町娘とは違って明らかに不審である。ただ、幸いなことに露天商たちは皆忙しく、好奇心旺盛なアルネリアの様子に目を向ける人はいなかった。
その彼女の鼻腔に、芳ばしく、濃厚な香りが忍び込んできた。
「この匂いは……」
アルネリアがすばやく目を向けたその先には、新鮮な野菜を炭焼きにする屋台があった。香ばしい匂いは、出回り始めた春ポルラン茸というキノコの串焼きから立ち上っているらしい。真っ赤に焼けた炭に、キノコからこぼれる水分がしたたり落ち、じゅっ、と音を立てる。
少女は屋台の前に立ち、露天商に愛想のいい笑顔を向けた。
「わあ、立派なポルラン茸」
「だろう? どうだい、おねえちゃんには、特別におまけしちゃうよ」
「じゃあ、2本ください」
銅貨1枚と引き換えに茸の串焼きを受け取ったそのとき、後ろから駆け寄ってきた者がいた。この地方の少年たちが好んで身につける胸当て付きの短いズボンと、皮のベストを身につけている。長い金髪を後ろでひとつに束ねた髪の毛は、最近の男子の流行である。
「こんなところにいたんですか。探したんですよ」
「遅れたパウラが悪いんだよ。いっそふたつとも食べてしまおうかと思ったくらいで」
パウラは、差し出されたキノコを受け取ると、声を落としてアルネリアに話しかけた。
「少しは危機感持ってください」
「どうして? 昔一緒に城壁によじのぼって遊んだじゃない。そのパウラに言われたくないし」
「子供の頃と今とではわけが違うんです! 私のそばから離れないでくださいって、申し上げているでしょう。ご自分の立場をわきまえず、あっちフラフラこっちフラフラして、ちょっと目を離すとこうして買い食いばかりしている。もし、毒でもいれられていたらどうするおつもりですか?」
アルネリアは両手に持ったポルラン茸に目を近づけ、香りを丹念に嗅いだ。
「こういう素材そのものを扱った料理に毒が混入されていれば、見た目や匂いに変化が現れるんじゃないかな。もともと毒キノコである場合は別だけど……けれどもこのキノコは鑑定済み。なぜなら……」
「露店の台の上に、毒キノコではないことを証明する、植物鑑定師のサインと日付が書かれている鑑定書がある。だから毒キノコを食する心配はない。そしてその仕組みを考えたのは、ご自分である、とおっしゃりたいのですね」
パウラがあきれたように続けると、アルネリアは誇らしげに胸を張った。
「そう。私の心はいつでも国民とともに……」
「おいしいものを食べたいという執念と、その食い意地を美辞麗句にすり換え詭弁を弄する才能は、この国一、いや世界一だと思いますよ」
「なぜ私のことを私以上に知っているの。乳きょうだいはあなどれない」
「そこで褒められてもうれしくないです……」
パウラが短く息をついたとき、空の中にのぼる一筋の白い煙が目に入った。
城塞都市の中心部に堂々と聳え立つ、岩石で築かれた、灰色の堅牢な城。その名もシュバスト城。ノルデスラムト王国の国王の居城である。
煙はその城の一室の、細めに開けた小さな窓からあがっていた。
パウラは、耳元でそっと囁く。
「合図です。早くお戻りにならないと。アルネリア姫様」
アルネリア・ヨールファ・フェン・アーレンゲルト――ノルデスラムト王国第3王女――は手にしたポルラン茸の串を急いでほおばり、幸福そうに味わいながら、城への道を急ぐ。女騎士見習いの少女パウラ・クーラルハイゲも、アルネリアに続いた。まだ正式に叙任されてはいなかったが、乳姉妹でもあることから、特別にアルネリアのガードをすることも多かった。特にこんなお忍びのときには、少年にしか見えないパウラの存在は貴重なのである。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
ノルデスラムト王国のエルムンド王には、3人の娘がいた。長女はユシドーラ、次女はフロレーテ、そして末娘がアルネリアである。王妃は、アルネリアを出産後に命を落とした。以来王は新しい妻を迎えたが、新しい王妃は子に恵まれなかった。
王家に跡継ぎの男子が望めないとわかった時点で、法に則り長姉ユシドーラが王位継承権第一位に決まった。
窓からあがった白い煙。それは、そのユシドーラからの呼び出しを意味している。
濠を眼下に臨みながら、その上に架けられた跳ね上げ式の木橋を渡る。城に帰ったアルネリアは、居住棟のらせん階段を滑らかに駆け上がった。途中で脱げた靴を急いではき直し、最上階の自室に滑り込むと、侍女ミーアが待ち受けていた。
「なに?」
「ユシドーラ王女様からの伝言がきました。お部屋でお待ちだそうです。別にお急ぎではないそうですが」
「かといって、のんびりしていたら怒る。姉上はそういう人だからなあ」
アルネリアは急いで町娘の扮装を解いた。次にミーアが用意していた補整用の胴衣で胴体を締め付け、ドレスを身につける。最後の仕上げに髪を軽く梳いて背中に流せば完成だ。
「それでは、いってまいります」
「お待ちください……お口のまわりが……」
「……ありがとう」
ミーアはアルネリアの口元を、ハンカチで丁寧に拭った。
滑るように廊下を進んでいくと、ユシドーラの居室の黒々とした扉が見える。アルネリアが合図をすると、間もなく「おはいり」という姉の返事があった。
「失礼いたします」
重くて古い木製の扉を押す。明り取りから入り込む淡い光に、白い馬と優雅な女性の姿が浮かび上がる。壁に掛けられた大きな織物の絵柄だ。部屋の隅には陶器製の暖炉がある。春なので朝の早い時間だけに火を入れてあり、今は余熱だけで温かい。その前に、長姉ユシドーラと、2番目の姉フロレーテが寄り添うように座っていた。
幼いころから帝王学を学んできたユシドーラは、眼光鋭く、齢20歳の若い女性とは思えないほど、圧倒的な威圧感を備えていた。座右の銘は質実剛健。国内の結束を強めるため、ノルデスラムトで国王の次に位の高いブレイビ公の子息を婿に迎えている。
2番目の姉フロレーテは、はかなげな雰囲気で、いつも夢を見るような眼をしている。口癖は、「おしゃれときれいなものが好き」。年はアルネリアよりも2歳年上の17歳になったばかりだ。質素を旨とするアーレンゲルト王家の中で、唯一華美な暮らしを許されているのは、ひとえに父王エルムンド王がフロレーテに甘いせいである。
「お呼びでしょうか」
ユシドーラは空いている椅子を指さし、座るように命じてから厳かに告げた。
「実は、フロレーテに縁談があるのだけれど」
「それは喜ばしいことです。それでどちらの国の王子でしょうか」
アルネリアは、優雅にスカートをさばき、椅子に腰を下ろした。
「ソレイヤールの時期国王、ヴァレリウス王太子ですよ」
アルネリアは、扇を口元に当てて、考え込むように視線を天井に向けた。頭の中で地図を思い浮かべる。大陸の中心部からやや北に位置するノルデスラムト。そこから南に下り隣国ミッテルスラムトを抜け、さらに南下すると南の海上に突き出している扇を逆さにしたような形の半島がある。そこがソレイヤールだ。
「太陽と豊かな土地に恵まれた、なかなか豊かな国とうかがっております。そのヴァレリウス王太子といえば、確かユシドーラ姉上と同い年。フロレーテ姉上とも釣り合いが取れていることですし、政治外交の駒としても、最大限の活躍ができるのではないでしょうか?」
政治外交の駒。それは次期女王ユシドーラが、ふたりの妹に最も厳しく言い聞かせてきた言葉であった。
「その通りです。王家の娘の存在は、国際社会における政治というゲームの駒のひとつ。婚姻で外交手腕を発揮する外交官ともいえます。相手国の発展に寄与しつつ、水面下では祖国の利益へと誘導していく。両国の関係が安定すれば、無益な争いは避けられ、双方の国家も国民も安泰です。あなたたちは、人である前に国家の礎。自覚をもってその務めを果たさなくてはなりません!」
力説している割には、ユシドーラは浮かない顔である。
「あの……なにか?」
アルネリアが様子をうかがうと、フロレーテが、手元の細密肖像画3枚のうち2枚を、テーブルの上にそっと置いた。近年貴族たちの間で評判になっている、小型の肖像画である。壁に飾るような大きなものではなく、片手でも持てるくらいの大きさと手軽さが人気の秘密のようだ。
「これをご覧」
どれどれ? アルネリアは2枚の肖像画を手に取り、1枚ずつ眺めて……そして首を傾げた。
肖像画の1枚目には、推定年齢40歳から45歳の、目がしょぼしょぼしたさえない中年男が描かれていた。
2枚目に描かれているのは、20代の男性と思われる姿だが、頬の肉がはち切れそうにふくらみ、脂で皮膚がテラテラしている。共通点は、宝石で縁取られた豪華な衣装を着ているところだけだ。
「これはなんですか?」
「ヴァレリウス王太子だそうよ」
「……どちらが、王太子ですか?」
「ふたりとも王太子だっていう話です」
「別人じゃないですか!」
「……でしょう。あと、これもあるの」
フロレーテが手元に残していた1枚を受け取ったアルネリアは、ぐぅっと息を飲み込んだ。
そこに描かれていたのは、豪華な衣装に身を包んだ怪物だった。目は吊り上がり気味で赤く血走っており、鼻はかぎ型で、口元まで伸びていた。しかも耳は大きく先が尖っている。それでいて肌の色は真っ白である。
「こんなものを、誰が」
「サインをごらんなさい。ルーナス・ナバラって書いてあるでしょ」
アルネリアは目を瞠った。怪物を描いた絵。その片隅にあったのは、当節、鏡よりも忠実にその人を再現すると名声が大陸中に轟いている、ノルデスラムトが誇る第一級の絵師のサインである。以前、家族の肖像を描いてもらったこともあるほどだ。国王などは絵からそのまま抜け出しそうなほどよく似ている。残念ながら姉妹たちはまだ幼かったため、今ではそれほど似ていないが。
他の2枚のサインを見てみた。どれも、肖像絵師として耳にしたことがある名だ。肖像絵師が、本人に似ていない肖像を描くということはありえない。本人の特徴を残しつつ、しかも本人が見て満足するように、少し上方修正して姿を描くところは愛嬌だとしても。だが似ていない肖像を描いたという噂が立てば、おそらく廃業に追い込まれてしまうだろう。
「で、このよりによってちぐはぐな肖像画が、なぜここに?」
「先ほど、送られてきたのです。ソレイヤールから」
「ええー? 変でしょ。これ裏があるよ、絶対」
驚いた際、アルネリアは言葉遣いにまで気が回らなくなり、王族らしい言葉の代わりに雑な口調が飛び出す。見習い女騎士たちとよく遊んでいるせいだろう。いつもなら姉にたしなめられるものだが、今はその姉たちもそれどころではないらしい。
「影武者がいるとか?」
「全然似てないけど影武者がいますって公表してなんの得になると?」
「やっぱりこんな話いや、姉上、この話を進めないように、陛下に頼んでください」
フロレーテが泣きそうな顔で、姉の腕をつかんだ。
「だけど、ソレイヤールとは同盟を結んでおきたいところだしねえ」
ユシドーラは眉間にくっきり縦筋を浮き上がらせ、妹の手を払った。
ノルデスラムトの東側にあるエステスラムトとは、建国以来仲が悪く、常に国境での小競り合いが絶えない歴史を共有している。
北方諸国とは和平条約を結んでいるが、いざとなれば平然と反故にしてくるだろう。ここで中立の立場を取っているソレイヤールが同盟国になることは、ノルデスラムトにとって願ってもないことなのだ。
「姉上はいつもそう。ご自分のことばっかり! 自分の王家が安泰なら私はどうなってもいいの?」
「はあ? 少しは脳みそを通してから物を言いなさいよ。私が王座についたら、このあたりがどうなると思ってるの。女が王座に就くと、バカなエステスラムトみたいな国がこれ幸いと攻めてくるんだから!」
「うちだって強い軍隊持ってるじゃない」
「戦争にどんだけお金がかかると思ってるの! ソレイヤールが後ろにいれば、周りの国も牽制できるし、いざとなったときにも金を引き出せるじゃない。少しは国のこと考えなさいよ、王女のくせに」
「王女王女って、どうせほかの国に嫁がされるのに! 結局得するのは姉上だけでしょ」
姉たちが慎みをかなぐり捨てて言い争っているところに、アルネリアは覚悟を決めて割り込んでいった。
「落ち着いてください姉上がた。やはりこの王太子の肖像の件はおかしいでしょう。そもそもソレイヤールという国は謎だらけだし」
おずおずと申し出ると、ふたりの姉が同時にアルネリアに向き直った。
「そうね。あの国の産業で有名なのは、ネクタルという果実酒。それから防具ね。これは意匠が美しく、儀式用に用いられるようですよ。めぼしいものはそれくらいで、前の戦争に勝った賠償金で潤っているだろうと噂です」
「列強諸国との関係は?」
「我が国はもちろん、エステスラムトや北方諸国と姻戚になっているとは聞かないし、50年ほど前まではほとんどの国と国交もなく、貿易もしていませんでした」
「ソレイヤールの王都に我が国の在ソレイヤール商会があるはずです。その者から話くらい聞けませんか?」
「それがねえ。みんなバカのひとつ覚えみたいに『特筆すべきことはなにもなし』と伝えてくるだけ」
「伝説に出てくるような、魔法でも使ってるんでしょうかね」
「それなら、よけいに興味があるわね」
ユシドーラはあおいでいた扇をパシッと音を立てて閉じ、フロレーテは不安げに姉と妹を交互に眺めた。
「でも、実際にどうすればいいの?」
「では、この肖像画家を呼び出し、聞いてみればいいではありませんか。本当はどんな顔だったのか、あるいはどんな状況で描いた、いや描かされたのか……」
アルネリアの言葉に、感心したように頷いたユシドーラは、ベルを鳴らして侍従を呼んだ。
「急いで、ルーナス・ナバラを城に呼ぶのです」
侍従は一礼して、急ぎ足でユシドーラの部屋を出た。