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託した手紙

10章になります。

長いので前後編に分けます。

「それにしても、ティリアーノさん遅いですね」

 宿屋近くの食堂の中、アルネリアは、スプーンを持つ手を止めた。心がこもった田舎料理を出す店で、目の前のテーブルには、塩漬け豚肉とキャベツを煮込んだ皿が載っている。惜しみなく入れてある香草が豚の塩の強さや脂のしつこさを和らげ、キャベツの中には芳醇な肉のうまみがしみこんでいた。

 投宿していた宿は食堂があっても営む気がないらしい。しかたなくアルネリアたちは、近隣の店まで歩いて行った。初めのうちは面倒くさがっていたが、この料理を口に運んだとたん、やる気のない宿屋の主人が食堂を開いていなかったことに感謝したくらいだった。

「まあ、彼には特殊技能がありますから大丈夫でしょう」

 ヴァレリウスは涼しい顔で答える。すでに彼の前の皿は空になっていた。そういえば贅沢な食事に慣れているはずの王太子なのに、旅先で出された食事は何でも喜んで食べている。つい先日、「珍しい人もいるものだね」とアルネリアがパウラに語ると、虚無の深淵を覗いているような目で見られた。

「ビルギッタさん、ネクタル酒はいかがですか?」

「やめておきます」

ビルギッタは、手を軽くあげてヴァレリウスの申し出を断った。その視線の先は、彼の腰につけている彼女のバッグである。ソレイヤールは比較的治安がいい国だが、掏摸や泥棒がいないわけではない。あなたの懐が狙われるといけない、といって半ば強引に奪い取ったものだが。おそらくビルギッタが持っていた方が、1万倍は安全だろう。

 並べられた皿が空になり、テーブルで会計をする段になった。

「50ルーロになります」

 給仕の男性に言われ、ヴァレリウスはビルギッタのバッグを開いた。

 さすが、世間知らずとはいえ王太子。自分の国の通貨のことはよくわかるのだろう。他国の通貨にはなかなか慣れないアルネリアが見ていると……。

 ヴァレリウスがそっと隣のビルギッタにささやきかけた。

「どの銅貨?」

 ふううう……。ビルギッタが深いため息をついて、バッグを取り戻し、自分の腰に巻き直した。


 食堂を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。見上げると雲はまだ空にあるようで、星も月も見えない。アルネリアたちは、頼りない炬火(かがりび)の光を頼りに宿への道を辿っていた。

 暗すぎて視界がにじむような夜の中を歩くのは、久しぶりである。

 それにしても……アルネリアはちらりと隣を歩くヴァレリウスを横目で見上げた。失敗の連続で、全くいいところが見せられていない。今までお忍びで街に繰り出していたと豪語するが、ティリアーノに任せきりだったことがバレバレだ。しかし、ヴァレリウスの足取りは、なぜかやりきったというような躍動感にあふれている。

 もしかしたら、王太子なのに……いや、王太子だからなにもさせてもらえないのかもしれない……。アルネリアがそこに思い至った、そのときだった。

 路地の陰から足音が聞こえてきたかと思うと、駆け寄る人影が見えた。

「危ない」

 アルネリアを守ろうと駆け寄ったビルギッタの腰のあたりに、その影がしがみついた。

「離せこの野郎!」

 もがくビルギッタは、次の瞬間には背後から羽交い締めにされていた。

「母上ぇ!」

 駆け寄ろうとするパウラに向かって、ビルギッタが叫ぶ。

「来るなパウラ! 姫を守れ!」

 パウラが一瞬躊躇したそのときに、ビルギッタは男に背中を預けたまま腹筋を使って勢いよく両足を揃えて振り上げ、着地をした刹那、「ふん!」というかけ声をあげた。ビルギッタが前屈みになった勢いで、男は背中から投げ飛ばされる。

 さらに彼女は男の足下に素早く回ったかと思うと、その最大の弱点を靴で蹴り上げた。

「いっ!」

 男は足を縮めた姿勢のまま、両手で問題部位を押さえ、細かく震えていた。その横で光っているのは、ナイフのようである。

 ビルギッタは急いでそれを拾いあげた。

「そこでなにをしている!」

 遠くから声が聞こえた。男の声である。と、見ればその方角から鎧の兵士が駆け寄ってきた。

「よかった、木偶の兵士が来てくれた」

 ヴァレリウスが安堵の声を漏らした。……が。

 木偶の兵士は、横たわる男を捕まえるどころか素通りし、手にしたハンマーを振り上げながら、まっすぐに王太子とアルネリアに向かって進んでいく。

「危ないっ!」

 叫ぶアルネリアの前に、ヴァレリウスが立ちはだかった。

「君は逃げて」

「何を言ってるんですか、逃げるのはあなたですよ」

 ふたりが揉めている間にも、木偶の兵士は確実に距離を詰め、ハンマーを頭の上に振り上げた。

「パウラー!」

 そのときすでにパウラは、しなやかな動きで木偶の兵士のところに駆け寄っていた。そして、その勢いのまま滑り込んで、木偶兵の足下を狙った。

 木偶の兵士の片足に、パウラの両足による蹴りが入る。と、木偶の兵士はぐらぐらとバランスを失い、パウラの隣にずん、と倒れた。

「よし、いい判断だ!」

 ビルギッタが走り寄って、木偶の兵士の腕からハンマーを抜こうとする。

「殿下ぁーっ!」

 そこに、つんのめるような姿勢で走ってきたのが、ティリアーノだった。

「無事ですか? ああ木偶がなんてことを」

「私はいい。だから、あれを止めてくれ!」

 のっそりと木偶の兵士は起き上がろうとしている。そこにティリアーノが駆け寄り、鋼の鎧の隙間から手を入れた。

「大地の精よ。この木偶に授けてくださったあなたのお力を、今お返しいたします」

 その瞬間、木偶の兵士の身体はガラガラと音を立てて地に落ち、バラバラの木片と鎧に変貌した。

「あぶなかった……」

 ティリアーノが、額に流れる汗を拭いたそのとき、アルネリアは見た。炬火の下まで駆け寄っていた法衣姿の男が、立ち止まったかと思うと後退り、夜の闇の中に消えていくところを。目の中に、男の黒髪と、黒い法衣が焼き付いている。

「大丈夫? とにかくここを離れよう」

 地面に横座りになったままのアルネリアに、ヴァレリウスが声をかけた。ところが立ち上がろうとしても、腰から足に力が入らず、ふにゃあ、と座り直してしまう。

「立てませんか? 無理もないよね」

 ヴァレリウスは屈み込むと、アルネリアの脇と両膝の下に手を差し入れた。

 ふわり。立ち上がったヴァレリウスの腕は、アルネリアを横抱きにしている。

 慌てたのは、パウラとビルギッタである。

「いや! いやいやいや、それは!」

「でで殿下にそんなことをさせられません。自分の子は自分が背負います」

 アルネリアも黙ってなんども頷いている。結局ビルギッタがアルネリアを背負い、そのまま宿に戻ることになった。


 部屋に戻ったアルネリアは、パウラにしがみついて、ひんひん泣いていた。先ほどまでは興奮していたが、今安全な場所にいると、震えが止まらなくなってきたのである。賊の侵入や暗殺といった危機であれば、回避方法を想定することもできる。だが、今回のような得体の知れない相手となると……。

「怖かったよう、パウラぁ」

「そうでしょうねえ。あの大きなハンマーを、目の前で振り上げられたんですからねえ。殿下を置いて逃げれば良かったのに」

「だって……」

「それにしても、パウラ、あの行動は見事だった。よくやった」

 ビルギッタが、アルネリアの髪を撫でながら言う。

「気がついていたら、身体が動いていたんだ。ガリマーロさんの言うとおりだった」

「そうだな。こうして実戦を重ねていけば、おまえも強くなれる。……姫様も、武器を持って迫ってくる敵にもう少し慣れた方がよろしいでしょう。恐怖に駆られて動けなくなると、それだけ命を失う危険性も高くなるのだから」

 ビルギッタに諭され、アルネリアは泣くのをやめた。

「ん……国に帰ったら、訓練してもらう。いいなあパウラは強くて」

「えー、姫様が泣いてるのは、いきなり殿下に抱っこされて動揺したのも……」

「パウラ……」

 ビルギッタは、彼女の娘の言葉を目で止めた。

「姫様の強さとパウラの強さは違うんです。わかったらもう、眠った方がいいですよ」

「そうだ! 大変なことを忘れていた。さっき、街灯のところに……」

 起き上がって話し出そうとするアルネリアの唇を、ビルギッタが人差し指で押さえた。

「それは明日聞きます。今は忘れておやすみなさい」

 ビルギッタに手を握っていてもらい、アルネリアは涙の跡をつけたまま、ベッドに横になり目を閉じた。


◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆


 翌朝。ティリアーノは木馬車を駆って、バジエの町から王都ボレムの大神殿に直行した。アルネリアやパウラたちも乗せたままである。アルネリアとしては、できれば商館に戻りたかったのだが……。

「魔法がらみの事件は、大神官に報告しなければなりません」

 ティリアーノにぴしりと言われてしまったため、やむなく彼の言葉に従うことになった。

 しかし法衣を着ているのはティリアーノだけで、あとの人々は、王太子も含めて浮かれた旅装のままである。アルネリアはいたたまれない思いだったが、ヴァレリウスは涼しい顔で、大神官のいる聖務室に入っていった。

 ティリアーノは、バレムイーダ大神官の前に跪き、自分が見たこととヴァレリウスやアルネリアたちに聞いた話を総合して報告した。

「ほう……それで王太子は、木偶の兵士に襲われたということか」

 大神官は壇上に座り、静かに豊かな髭を撫でていた。夏の夕方に吹く風のように、人の心を穏やかに静める声である。

「はい。咄嗟のところで私が間に合い、兵士を元の木偶に戻しました」

「それは仕方があるまい。王太子を救うためであったのだから」

「しかし聖下、問題は、兵がトロヤ夫人を襲った賊を捕らえることなく、王太子に向かって行ったことでございます。そして神官と思われる人物が、木偶の兵を放った後で姿を消したことも事実……」

「しかし、王太子および、その友らは無事であったのだろう? それにちょうどいい頃合いでティリアーノが向かったのであろう? それはなぜだ? すべて大地の精のご計画であるからではないか」

「……それは……」

 ティリアーノが言葉に詰まった。

「そなたも、大地の精の教えを忘れたわけではなかろう。どのようにして魔法が生まれているか考えてみるがよい。そうだ。心の思いが大地と触れた瞬間であろう。このように心の思いはすべてを動かしうる力を持つ。まして普通の人ではない王太子、ティリアーノとなると、その一瞬一瞬に生まれては消える思いですら、大地の精は受け止めて、そなたらの思いに応えてくださっているのだ。善きことであれ、悪しきことであれ、その思いはこの世界に顕現する」

「…………」

 ティリアーノは、深く頭を下げた。大神官バレムイーダはゆっくりと立ち上がり、ヴァレリウスの前に歩み寄った。

「のう、ヴァレリウスよ。大地の精はすべてお見通しである。そなたの心の中を。人を妬む気持ち、焦る気持ち、精進を怠る気持ち、人を疑う気持ちがほんのひととき心に生まれただけでも、大地の精はそれを体現しようとなさるのだ。そなたはこの者たちと旅をしたのだろう? 呪いが解けない絶望感、結婚という義務を果たせず焦る思い……それをいっとき忘れたいという気持ち、冒険を求める若さを、私はとがめ立てはしない。ただ、その結果、思いがけない事件が起こってしまった」

「聖下……、私は……」

 ヴァレリウスは唇をかんだ。

「よいよい、そなたの気持ちはすべてわかっておる。そなたに罪はない。それなのに、課せられたその呪いに、我が身を呪いたいこともあるだろう。この世のすべてを憎みたくなる夜もあるであろう。それでもそなたは、心を清浄に保ちなさい。そうすれば、すべての厄災はそなたを避けて通るであろう。そなたの心を清めることが、この国のためになり、民のためになり、そして最後に、そなた自身のためでもなるのだから」

 アルネリアは恭順の姿勢をとりながら、見えないようにぱちぱちと何度も瞬きをした。

「仰せのままにいたします、聖下」

 ヴァレリウスは胸の前で両手を重ね、頭をバレムイーダに預けた。

「聞くところによると、木偶兵が襲ったのはそこの少年ということ。防御魔法をかけ損なっただけであろう。ティリアーノは、その少年たちにしっかりとかけ直してやりなさい」

「はっ」

 ティリアーノはアルネリアの前に来ると、額を押さえ、親指で十字の形を描いた。

「これは、本来入国のときにかける魔法。これがあると、木偶の兵士は攻撃対象から外すんだ。君、ちゃっかりとそれを逃れたんじゃないの?」

 アルネリアは、不満そうに唇を尖らせたが、バレムイーダの前でもあるため、口を慎んだ。

「わかったら行ってよろしい」

 バレムイーダは立ち上がり、白い法衣を揺らして聖務室から出た。

 えっ、もう終わり? あの街灯の下にいた男の追及は? アルネリアがきょろきょろと周りを見回したとき、ティリアーノがそっと耳に口を近づけた。

「君も見たはずの、あの神官ね。僕はあれがレオーニス立法祭司に思えたんだ」

 アルネリアは驚いた目でティリアーノを見つめ、そして落とした声で答えた。

「暗くてそこまではわかりませんでしたが、確かに髪は黒かったような」

 するとティリアーノは、自分の明るい栗色の髪を指に巻き付けて、ハラリと解いた。

「この国で、ああいう黒い髪というのは、それほど多くないんだよ。黒い髪の人間は、ガリマーロさんと立法祭司くらいのものだ」

「でも彼、偉い人なんでしょう? そんな人がなぜあんなところに」

「それを聖下と相談したかったのだけど……まあ、あの人も殿下と同じで、人を疑わない人だからねえ」

 アルネリアはしばらく思案をし、服の下から丸めた紙を取り出した。

「これを……父君に見せてください。それで何か心当たりがあるようなら、教えてください。もし、何もないようでしたら、燃やしていただけませんか?」

 ティリアーノは静かに頷くと、その紙を法衣の下に隠した。

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