バジエの町、そしてならず者の森へ
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8500字。長めですがお許しください。
春から夏にかけての季節は、ソレイヤールの乾期にあたり、雨が少なく晴天が続く。ただ、一行が宿を出発したときには、めずらしく小雨が降っていた。
アルネリアは馬車の窓に額をつけ、いつものようにパウラに向かって語りかけた。
「雨模様の町って、なんかわびしいね」
「でもよく見てごらん。緑が生き返ったような色になってるよね? 乾期には、こういう雨もありがたいものだよ」
だが、返ってきたのはヴァレリウスの言葉。そのときアルネリアは自分がパウラとは違う木馬車に乗っていたことを思い出した。
「失礼しました。殿下は、細かいところをよくご覧になっていますね」
「本来なら、政治や、国交、そういうことに携われと叱りつける神官もいるけどね」
ヴァレリウスは笑い声を漏らしたが、少しさみしそうな響きがあった。
「レオーニスさんですか?」
「君もよく見ているね、人を……」
「商売人の息子ですから、人を見なくてはね……」
「私は、教育係にこの国の生き物や自然すべてを愛することを学んだんだ。とてもすばらしいお方だ。そうだ君も会ったことがあるよ。バレムイーダ大神官だ」
アルネリアはかすかに眉を寄せた。
「うちの国はそれほど宗教は盛んではありませんが、ソレイヤールでは教育係が大神官になるのですか?」
「我が国の伝統はそうだよ。次期国王の教育はとても大事だからね」
それはそうでしょうけど……。アルネリアは胸の中で答えた。
「それに、あの方は私の恩人でもあるんだ。呪われた絶望していた少年の私に、この世界の愛と喜びを教えてくれたのは、あの方だった。ねえ、知っているかい? 悪というものはこの世にはないんだ。あるのは、愛が足りない世界なんだ。悪は闇で、光という愛が差し込めば、その世界は愛に満ちあふれる。だから私は、希望を胸に生きていけるんだよ」
表情は見えないが、ヴァレリウスの声は湿っていた。外れない仮面を10年も身につけながら、王太子が純粋培養な心を失わないでいられるのは、宗教と大神官の力もあるのだろう。
「いい師に巡り会えて良かったですね」
アルネリアの言葉に、ヴァレリウスは満足そうに頷いた。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
雨雲が重く垂れ込める空の下、木馬車はしばらく走り続け、ボレム近郊のバジエという村に着いた。
「では、私たちはここで、話を聞いてきます」
アルネリア、そしてパウラとビルギッタがそれぞれ木馬車を降りると……。なぜかヴァレリウスもそれに続いた。
「殿下、なにを?」
怪訝な顔つきのティリアーノに、ヴァレリウスは「なにが?」と問いたげな声で答える。
「私も行くんだよ」
「ボレムに帰るんじゃないんですか、私と一緒に」
「ティリアーノには仕事があるでしょう。でも私はそれほど忙しくはない。私もこれだけは、人任せにしないで自分でやりたいのです」
はあああああ。ティリアーノは大きなため息をつくと、しぶしぶ、といった具合で木馬車を降りた。
「わかりましたよ。僕も付き合います。ただその前に、このガリマーロさんを森まで送って帰ってきますからね。あんまり危険なことしないでくださいねっ!」
「大丈夫大丈夫、私に任せなさい」
ヴァレリウスはいつものように軽い調子で手を胸に当てる。
「あなたの大丈夫ほど心配なものはないというのに……はあ……」
ティリアーノは馬車だまりに一台木馬車を止め、人目につかない魔法をかけた。そしてなんども振り返りながら、再び木馬車に乗り込む。彼らを乗せた木馬車は、カラカラという音と共に街道の奥へと消えていった。
バジエは周囲に壁を巡らせている古い町である。そしてアルネリアたち4人は、石造りの門をくぐり、町の中に入っていった。
初夏とはいえ、霧雨が降り続いている町の中は暗い。
城壁都市は、王都ボレムや港町ヒシのような開かれた町とは異なり、常に町のどこかに壁が作る影が落ちているものだ。そのため、晴れていても陰鬱でじめじめした印象を与えてしまう。それでもその暗さが、自分たちが生まれたアーレンの町と重なって、アルネリアはかすかな懐かしさを覚えた。
「さて、どこに行きましょうか。靴、帽子、手袋……いろんな工房があるけど」
目抜き通りを一目見るだけで、工房を兼ねる店の種類がわかる。軒先に特徴的な吊り看板が下がっているからである。皮をなめすときには、相当な悪臭が漂う。そのため、ノルデスラムトでは、なめし専用職人と、それに細工を施し販売する職人は、別の区域で暮らしている。その点は、ソレイヤールも同じらしい。
「それもそうだけど、先に宿を取っておこう。今日中に調べきれないかもしれないからね。ティリアーノと私が1室、あなたたち3人で1室」
ヴァレリウスは、熊が描かれている吊り看板を指さした。レンガと木組みを組み合わせたような建物は古く、中に入ると埃や煤が混じったようなにおいが鼻をつく。
ほとんど営業しているとは思えない食堂の奥で、ヴァレリウスは鈴を鳴らした。しばらくして、店の奥から陰鬱そうな顔の中年男性が現れる。
「5人でふた部屋ですが、空いてますか?」
「先払いだがいいか? 5人で80ルーロだ」
ヴァレリウスはしばらく自分の腰のあたりを手で探り、そのあとおもむろに顔をビルギッタに向けた。ビルギッタは静かに息を吐いたあと、腰の袋から銅貨を取り、宿の主人に手渡した。
その様子を見ていたパウラが、そっとアルネリアの上着を引く。
「大丈夫ですかね?」
「なにが?」
「だって地獄を見てきたガリマーロさんと、世情に長けてそうなティリアーノさんがいなくて、ここにいるのは、見事なくらい世間知らずばかりでしょう? まだ子供の私たちと、戦うことしか知らない母上と、あと……」
「皆まで言わなくていいから」
偽物の少年である自分たちとは違い、ヴァレリウスはとにかく本物の男性である。もしかしたら、子供と女性の組み合わせになることを心配して、ヴァレリウスはここに残ると言ってくれたかもしれない、とアルネリアは思う。ただ、おそらくヴァレリウスとティリアーノが力を合わせたところで、ビルギッタひとりの力には及ばないと思うが……。
「さて、部屋も取ったし。これから町の散策に行きましょう」
皆を促すヴァレリウスは、肩の辺りに、いかにもやりきったという達成感を漂わせていた。
それから4人は、手当たり次第目についた店に入り、対応した人に質問を投げかけた。
「10年ほど前、戦のときに仮面の注文を受けませんでしたか?」
返ってくる答えはバラバラだった。
「うちは靴しか作らないからね」
「手袋なら作りましたけど」
ただ、帽子の吊り看板が出ている工房は違っていた。
「そういえば作らされましたね。でも話を受けたのは先代でしたから、詳しい話は知りません」
だいたい中年にさしかかった頃と思われる男性が、思い出しながら答えてくれた。
「そうですか。ほかに、どなたか同じ仕事を請け負った方をご存じじゃないですか?」
男性の職人はしばらく頭をかいてから、ぼそりとつぶやいた。
「確かではないんだけど、この裏通りにある、カエルの吊り看板の工房ね、うちよりも向こうの方が多く引き受けたって話だよ」
「ありがとうございました。そこに行ってみます」
ヴァレリウスが頭を下げて、工房を出ようとしたとき、「あ、ちょっと」と職人が呼び止めた。
「なにか?」
「悪口は言いたくないんだが、その人、ちょっと変わってるんだよ。昔からこの町にいたわけじゃなくて、工房付きの店を買った人でね。それでこの町の職人を金で引っ張って、自分の工房の職人にしたという」
なるほど。商売敵になっただけでなく、優秀な職人を引き抜かれた恨みもあるかもしれないというわけか。アルネリアは話半分に聞くことにした。
帽子店を出て目抜き通りをしばらく歩く。町の入り口から遠くなればなるほど、建物から華やかさがなくなり、薄汚れた風情が漂う。さらに裏道に入ると、通りも狭く、看板を出している建物も少ない。
誰も住んでいないと思われる建物もあり、壊れた木の扉の向こうには、傾いだ木材や崩れた上階の床が見える場所もあった。
「カエルねえ……あ、あれじゃない?」
キョロキョロ見渡していたパウラが指を指した先に、小さく黒ずんだ看板が見えた。目をこらせばカエルの絵に見えなくもない。
「うーむこれは……」
アルネリアは店の前で腕を組んで看板を見上げた。
通常看板というものは、客の目を引いて、店に呼び込むためにつけるはずなのだが、これはどちらかというと、単なる目印にしかなっていないようである。
店はというと、ガラスが汚れて中が見えない。扉の金具も触るだけで手が汚れそうである。それでもアルネリアは、扉に手をかけて、引いた。ギィ……という鈍い音が響く。
店の中には、何の灯火もない。薄闇に目が慣れるまでに、しばらく時間がかかった。ようやく室内の輪郭が浮かんで、アルネリアは周りを見回した。
店内は、予想と違って片付いていた。その前に訪れた手袋店や帽子店には、商品が乱雑に積み重ねられていたが、この店には、ぽつりとカウンターがあるだけで、ほとんど商品らしいものがない。それでも、皮革独特の染料のにおいがかすかに鼻腔を刺激する。
「すみません」
人がいなかったので、ヴァレリウスが呼びかけた。間があって、奥で人の気配があった。
「誰だ」
のそり、と出てきた人物は、禿頭で小柄な男性だった。革職人がよく着ている短めのベストの下には白いシャツ。ズボンの上に余った肉がだらしなく乗っているような、初老の男性であった。
「紹介状でもあるのか、なんの用だ?」
男はしわがれた声と、うさんくさそうな目で一同を威圧した。
「10年ほど前、戦のときにマスクの注文を受けませんでしたか?」
ヴァレリウスが同じ質問を投げかけたが、
「知らねえ」
とりつく島もない、という態度である。
「では、ツニヤーダという神官に覚えは」
「あるわけねえだろ! ここはおまえたちが来る所じゃねえ、帰れっ!」
男の口から飛んできたつばをよけるように、アルネリアは店の入り口の方に後退った。「帰ろうよ。ここじゃないらしい」
アルネリアは言いながら、扉を押し、外に出た。
元来た道を引き返す一同は、無言だった。思うことはもちろんあるが、口に出してはいけない。そんな用心を強いるような気配が、裏路地のあたりに強く漂っている。
目抜き通りに入ると、空を覆っていた厚い雲が流れ、青空ものぞくようになっていた。だが時は夕刻に近く、そろそろ店が扉に鍵をかけ始める頃になっていた。
「あ、ちょっと待って」
アルネリアは途中の一軒の店に立ち寄った。吊り看板にペンの絵が描かれている店である。そのあとで、宿に引き返した。
買ったものは1枚の紙で、アルネリアは霧雨に濡れないように、宿に着くまで上着の下に大切にしまいこんでいた。
「ごめん、ちょっとだけひとりにしてくれないかな」
パウラにそっとささやいたアルネリアは、明らかに何かを企んでいた。その表情から何を言っても無駄だと察したパウラは、ビルギッタとヴァレリウスをしばらくの間別の部屋に誘った。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
一方。
木馬車でボレムの町外れまで送ってもらったガリマーロは、川沿いの道から森を目指した。すでにあがっている雨が、昨秋から降り積もったままの落ち葉をしっとりと濡らしている。
曇り空の明かりは、十分に木立の中には届かない。方向感覚を失いそうになる薄暗さの中にガリマーロは踏み込んでいった。
滑らないように、慎重に歩く靴の底から、ジク、ジクとぬれた落ち葉を踏みしだく音が漏れ、思わず彼は振り返った。「気をつけろ」と出そうになった言葉を飲み込む。そこには当然誰もいない。ノルデスラムトを出発してからずっと続けていた護衛の日々が、いつしか習性になってしまっている。
聡いがどこか危なっかしい王女。筋はいいがまだ未熟さが目立つ騎士見習い。そして、圧倒的な強さと殺気を常に押し殺している女騎士。……ときどき身体を動かしたくならないのだろうか……。それに、純粋培養された王太子に、おしゃべりな神官が加わって、寝る時間以外は常に誰かの存在を隣に感じている日常だった。そこから、突然森閑とした静けさの中に突き放されたガリマーロの聴覚は、まだこの森の環境に慣れることができない。
彼はしばし立ち止まり、ノルデスラムト北方の辺境に配置されたときの感覚を、身体の奥から引き出した。今、生き物の気配は感じられない。
歩きながら視界を凝視し続けたガリマーロは、左手前方の、やや枯れ葉が盛り上がっている一帯に目をとめた。枯れ枝を拾い、そっと近づく。
両手で枝を下向きに掲げ、力一杯突き降ろす。と、枯れ葉に覆われた地面だと思われた一帯が落下し、四角くぽっかりと開いた穴が現れた。
「ふん、やはりそうか」
罠に気づいたのは、地面の一部が正方形の形に浮き上がって見えたからである。自然界が偶然に作り上げるものが、直線的な構成物になることは、ほとんどない。ガリマーロは穴を横目に見ながら歩を進める。
しばらく木々を抜けながら歩いているうちに、自分以外の足音を前方に感じたガリマーロは足を止めた。
「隠れてないで出てこい。いるのはわかっているんだ」
張り詰めた声が木々の中に響いていく。長すぎるほどの間を置いて、がさりという音と共に、3人の男が幹の陰から姿を現した。ひとりは、頭を布で包んでいて、髭も切りそろえていた。残りのふたりは、髪を伸ばし放題に伸ばし、髭面で、泥に汚れた黒革のベストを着て、手にナイフを持っていた。ガリマーロはつばを飲み込んで、両手を広げ、落ち着いた声で言った。
「聞きたいことがある。おまえたちに親分がいるなら、そこに連れて行ってくれないか」
男たちは顔を見合わせ、頷き合った。
「来な」
男たちは背を向け、森の中を慣れた足取りで歩き出す。ガリマーロも滑る枯れ葉に足を取られそうになりながら、後を追っていった。
地表にはみ出し大きくうねった根を乗り越え、低く伸ばした枝をくぐって進んでいくと、いきなり開けた場所に出た。その中央には、木造の大きな家がある。いかにも素人が手作りをしたような無骨さだが、頑丈に作られていることがわかる。
「入れ」
頭を布で覆った男が顎を動かし、扉の代わりの筵を開けた。
ガリマーロは用心しながら入る振りをして、とっさに右側に飛び退いた。どん! 男の靴が大きな音を立てて床を踏む。後ろから蹴り上げるつもりだったのが、外れたようだ。
「ご挨拶だな」
ガリマーロが振り向くと、男たちが殺気だった目を向ける。襲いかかろうとした男の前でガリマーロは腰を落とす。今まで頭があった位置で、男の拳がぶん、と空を切った。
「やめねえか!」
部屋の奥からの声で、全員が動きを止めた。ガリマーロが視線を走らせると、暗がりの中から、大きな男がゆっくりと現れた。
伸び放題の髪と髭。広い肩幅と隆々とした筋肉を持つ上半身には、黒いベストだけをつけている。
「頭領、こいつが森の中をふらふら歩いていたので連れてきましたぜ」
「こいつ、罠を壊しやがったんで。制裁もお願えします」
頭領と呼ばれた男は、ずかずかと靴音を立ててガリマーロの前に来ると、ぐい、と胸ぐらをつかんで、食い入るように顔を見つめた。
「いい度胸してやがるな、貴様……」
だが、その見下すような目が、瞬時に驚愕の色に変わる。
「まさか……おまえ、フィラーロか?」
頭領と目を合わせたガリマーロの全身も、硬直した。
「……ジェロード……なのか?」
体つきも変わり、雰囲気もやさぐれて、荒みきってはいるが、その目の色は紛れもなくかつて語り合い、鍛え合った戦友、ジェロードのものだった。
「こんなところでなにを……」
頭領……ジェロードはそこで言葉を切り、顔を手下たちに向けると、一喝した。
「いいから、外に出ろ。しばらくここに近寄るんじゃねえ」
「だが頭領……こいつは……」
「いいから、俺の言うことが聞けねえのか!」
怒気におびえた男たちが、逃げるように家から出ると、ジェロードは身近にあった椅子に座った。そのあとで対面にを差し、座るように促した。ここにある椅子は、形も高さも皆バラバラだった。
「なぜ生きてるのかって顔だな」
「あ、ああ……」
ガリマーロの喉はカラカラに乾いて、うまく言葉が出てこなかった。
「そうだろう。墓地に俺の墓があるもんなあ。だが、あそこに入っているのは、身寄りのない誰かだろうよ。こうして俺は生きてるんだからな」
ジェロードはがさつに笑った。覗いた口の中から前歯が1本欠けている。
「なぜだ、一体なにがあったんだ……」
なにもわからないまま戦場に出て、なにも知らされないまま追い払われた、あの日の苦い記憶が蘇る。
「まあ、そう焦るなって。久しぶりの再会なんだから。……で、おまえは今なにをやってるんだ?」
「辺境で傭兵をやったあと、今は護衛の仕事をしている」
「ああ、それで、あの頃の甘っちょろい顔とは、多少変わってきたという訳か。だが相変わらず、粋がって誰かを守りがたるところは変わってねえんだな」
ジェロードは片方だけ口を歪めて笑った。
「そういうおまえはどうなんだ?」
「俺か? 俺は、まあ汚れ仕事ってやつよ」
ガリマーロは、ジェロードの顔から昔の面影を探ろうとする。だが今の下卑た顔つきの前では、すがすがしいかつての彼の表情が思い浮かばない。
「この森の奥にな……、きったねえ色の沼があってよ。悪魔の沼って言われてんだけどさ。そこに近づいてもらっちゃ困るわけで、おまえみたいなやつがうっかり近づかないように、監視してるってわけさ」
「森の番人ということか? 汚れ仕事というわけではないだろう」
ジェロードは吹き出した。
「苦労した気でいるようだが、やっぱりおまえはお坊ちゃまだ。この沼にいるんだよ、例の悪魔がよ」
「悪魔だと!?」
ガリマーロの顔色が変わった。
「まあ、聞けフェラーロ。俺はな、前からこの森にいたんだ。農家の仕事がなくなってからは、ほかのならず者たちと一緒に。団長に拾われるまでだがな。あるとき俺は、奴の懐を狙おうとしてしくじり、逆につかまっちまったんだ。もちろん半殺しにされたけどな。そのあとで、言われたんだ。『俺の下で、強くならねえか? まっとうに生きてみないか』って。できっこねえ話なんだが、ヤツがそう言うと、それができる気がしたよ。生まれ変わって、生き直せた気になってたよ。おまえがさんざん褒め称えてたような、立派なジェロードになれた錯覚さえしてたんだ。あの作戦まではな」
「あの戦の……」
「ああ。見えねえ悪魔をまき散らすから、逃げてくる敵を倒せって言われてた。覚悟は決めていたつもりだったからな。兵士や、男や女が血相変えて逃げてくるところを倒していたんだ。だがそのうち、逃げてきた連中も目の前で苦しみだしてな。気がついたらみんな倒れちまった。団長も、騎士団の連中もだ。生きているのは俺だけで、呆然としているうちに、それまで胸に流れていた熱いものがさーっと冷えちまってよ。しょうがねえから、鎧の上に着ていた自分の軍衣を脱いで、そこにいた男に着せたんだ。その横に楯も置いた。なんでそんなことをしたのかわからねえ。そういうわけで、みんなはそいつを俺だと思って、俺の墓に埋葬したんだな……」
「なぜ……」
「なんで生きてたかって? さあ、よくは知らねえけど。この森に住んでいたからじゃねえか? さっき悪魔の沼って言ったろう? あの沼の水を飲んだり、中に入ったりすると、たいていの奴は病気になって死んでしまうんだ。だが俺たちは、あの悪魔たちが吐く息をだいぶ吸ってるから、身体がすっかり慣れちまって、もう近づいたくらいじゃ死なねえのさ。それもそのはず、連中が使った悪魔ってのも、あの沼から取ってきたっていうじゃねえかよ」
「あの沼に悪魔がいて、それを神官たちが放ったと言うことか」
ガリマーロが強く握った拳が、震えていた。
「そ。そのことでちょいと神官脅してやったら、そいつ血相を変えやがったぜ。それからいろいろあって、俺はおまえがいう『森の番人様』になって、あの沼を見張ることになったわけだ」
ガリマーロは大きく息を吐いて、ジェロードの顔をまっすぐに見つめた。
「俺が言いたかったのは、どうしてずっと黙っていたのかってことだ。おまえが生きていれば、俺は……」
「言ったからってどうなる? 団長も死んだ。騎士団はねえ。どうやって生きていくのかってときに、昔のなじみの場所に帰って何が悪い」
重い沈黙が流れた。その空気を先に破ったのは、ジェロードだった。
「で、おまえがここに来た理由は何だ? 用があったんだろ?」
「ああ。ツニヤーダという神官を探してるんだ。心当たりはないか?」
「さあ、知らねえなあ。神官なら、おまえの方が知り合いが多いだろうよ。役に立てなくてすまねえな」
「いや……いいんだ。邪魔したな。元気でいてくれ」
ガリマーロは立ち上がって右手を出した。その手をジェロードが握り、しばらくふたりは見つめ合った。
そしてガリマーロが森の家から出ようとジェロードに背を向けたとき。
「悪く思わないでくれよ、フィラーロ」
ジェロードの言葉に振り向く間もなく、後頭部に衝撃を受けたガリマーロの視界は真っ暗になった。
 




