海辺にて
海回です。
よろしくお願いします。
「ううう、太陽が黄色い」
宿屋から一歩表に足を踏み出したとたん、ティリアーノは目を細めた。
昨夜は暗くなっていて見えなかったが、港町であるヒシの町は、活気あるところだった。降り注ぐ陽光の中に、明るい色彩の4階建ての建物がひしめき合って並んでおり、初めて見る南国の港の風景に、アルネリアは目を輝かせていた。
その中でひときわ異彩を放つのが、黒い法衣のティリアーノだった。
「じゃあ、僕は神殿に行きますから、皆さんは適当に遊んでいてくださいねっ」
彼が手を振ると、アルネリアとパウラが周りを取り囲んだ。
「ご苦労様です、ティリアーノさん」
「とても助かります、ティリアーノさん」
「頼りにしているよ、ティリアーノ」
ヴァレリウスまでが笑顔を浮かべている。
「な、なにがあったんですか、いきなり気持ち悪いじゃないですか」
昨夜のことを覚えていないらしいティリアーノは首をかしげながら、入り組んだ迷路のような市街の中に消えていった。その奥に神殿があるのだろう。
「さて俺たちも、どこかに行こうか、どこがいい?」
ガリマーロがアルネリアたちに尋ねる。
「僕、海を見たことがないんです」
「僕も。海見たい!」
「それはいい。私も海で遊んだことがない。泳いでみたい」
ヴァレリウスもアルネリアたちに同調する……と。一同の顔から笑顔が消えた。
「ダメです」
砂浜は、港の近くにあった。その砂浜の先には、海に突き出すように伸びている岬が見える。
「海すごい」
「大きい、視界に収まりきらない」
アルネリアとパウラは波打ち際まで行くと、靴と靴下を脱ぎ捨て、裸足になって膝まで海中に入っていった。足の指が砂に埋まっていく感触と、その砂が波に洗われる感触に、思わず笑い声を立てる。大きい波が押し寄せると、キャーキャーと悲鳴を上げながら、砂浜まで逃げ、また波が引くと追いかけていく……それを幾度も繰り返している。
「子鹿と、子犬のようですね。とても生き生きしていてうらやましい」
砂浜に腰を下ろし、ふたりをうらやましそうに見つめているヴァレリウスに、ビルギッタが声をかけた。
「あなたも行って、仲間にお入りになればよろしいのに?」
「私が言ったら、あの子たちが嫌がるのでは?」
「うちの子供たちは、そういう子ではありませんよ」
ヴァレリウスは、頷いて立ち上がり、そっと靴と靴下を脱いだ。日焼けしていない足の白さが目についた。
「パウハルト君、アルベルト君」
「あ、いいところに。あそこ見て!」
波打ち際に近づいたヴァレリウスは、ふたりの間に迎えられるなり、歓声を上げた。
「魚が跳ねた! 海ってすごい」
「ソレイヤールは、国そのものが半島だから、ぐるりと海に囲まれてるじゃないですか」
アルネリアが見上げると、ヴァレリウスはさみしそうに水平線を眺めた。
「でも私は、こんなふうに海に入って遊んだことはなかったから」
そのあとヴァレリウスのめくりあげたズボンの裾がぬれるのもかまわず、3人でじゃぶじゃぶと波打ち際を歩き回り、疲れたら砂浜に横になった。
さらに5人は岬の突端まで歩き、大海原を見下ろした。夏に向かう季節なので、海に日が沈むまではまだ時間がある。それでも、紺碧の青い海を眺めているだけで、いつの間にか陰の位置が動いている。じっとしていると落ち着かない体質のアルネリアだが、この何もしないでいる時間が妙に心地よい。
「こんなに楽しい時間は、私の人生には訪れないかもしれない。これから先も、今日のことを懐かしく思い出すだろうな、きっと」
「そんな大げさな」
ヴァレリウスの言葉にパウラが軽く応じる。だがアルネリアは答えられなかった。
たぶん、私もそうだ。こんな自由に遊べる日は、もう自分の人生ではありえないんだ……そう思うと胸の中に冷たい風が吹き込んでくるようだった。
「おーい」
遠い声に振り返ると、手を振りながら歩いてくるティリアーノが見えた。緩やかな登りになっている岬を、下からゆっくりと上がってくる。
「なにかわかったか?」
「それがですねえ……」
奥歯に何かが挟まったような言い方で、長くなりそうだと感じたアルネリアは辺りを見回し、ごろごろと転がっている適当な大きさの石に腰を下ろした。
「まあ、座って話を聞きましょう」
「現在いる神官の名簿は、どの神殿にもありますから、ツがつく名前の人を調べてもらいました。その中にツニ、とかツリというような人物はいませんでした。引退したのだろうかと思って、記録を見てもらおうとしたんですよ。そうしたら、おじいさんの神官がね、妙なことを言い出したんです。『ツニヤーダという神官なら昔いましたよ』って。そこで、彼が戦の時分にバンドールの工房に現れたのを見た人がいるって言うと、『そんなはずはない』というわけです。なぜなら『あの人は戦よりももっと前に、神官の身分を剥奪されているのだから……』と」
言われてみれば、以前ティリアーノの口から、身分を剥奪された神官がいる、と聞いたことがあった。
「やめさせられた神官の名が、ツニヤーダなのか」
「そのようです。今、彼がどこにいるのか聞いてみたのですが、そこまでは知らないと。まあそうでしょうね。逆になぜそんな人を探しているのかとか聞かれちゃって、ごまかすのに苦労しましたよ。まあ、僕のことですから、うまくごまかしましたけどね」
ティリアーノが少しだけ得意げに髪をかきあげた。
「すごいですねティリアーノさん」
「かっこいいですねティリアーノさん」
アルネリアとパウラに続けざまに言われ、ティリアーノは一瞬戸惑ったが、じわじわとうれしさがこみ上げてきたのか、ニコニコし始めた。
「それで、これからどうするんだ?」
腕組みをするガリマーロにアルネリアは、海を見つめながら答えた。
「もう少しこの海で遊んでいたいけど……バンドールに戻っていいですか? もう一度、鍛冶工房の人たちに確かめてみましょう」
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
翌朝。一行は鍛冶工房の村、バンドールを再訪した。一昨日と同じように、水車ハンマーの音が響いていたが、なぜかレンガ造りの工房から響いていた槌の音が聞こえてこない。それどころか、工房長ディディエの工房の前で、大勢の人が集まっている。皆、口々に何かを訴えているので、わんわんという音が響いているだけで、よく聞き取れない。
「おい、なんの騒ぎだ」
人々の後ろで、様子を見ていた村人に、ガリマーロが話しかけた。
「見ればわかるだろ、工房長に陳情してるんだよ。なんとかしてくれって」
「なにかあったのか?」
「なんかってわけじゃないけどさ。忙しすぎなんだよ。注文は殺到する、それでいて納期がきついときてるからな。寝る間もねえ」
確かに2日前、ディディエが忙しいと言っていた。その顔を思い出しながら、アルネリアはひょいと人の波の中に入っていく。
「おまえらの仕事の納期を決めたのは俺じゃねえ、おまえらが客に『できます』と言ったんだろ? 俺はできもしない空約束はしてねえ。忙しいが、できない相談じゃねえ」
ディディエが太い腕を振り回しながら、大音声で反論していた。しかし、その剣幕にも屈しない若い男が、一歩前に進み出た。
「納期を延ばせば、それだけ金が入ってくるのも遅くなるだろ。だから魔法を使えばいいじゃないかって言ってるんだよ。それを工房長が拒否するから」
「魔法は認めん! 魂がこもらない」
ディディエがぶん、と勢いをつけて手を振った。
「なら水車のハンマーだって同じだろうが。あの水の力に気持ちとか魂とかこもってんのかね。俺たちが言いたいのは、もっと効率よくすれば、暮らしも楽になるってことなんだよ。農民は使って、暮らしが楽になったっていってんだろう」
「はあ? じゃおまえらは、木偶人形が作った飯を食いたいか? ソレイヤールの料理屋はみんな料理人が手で作ってるだろ? 木偶人形にはな、ちょっとした塩梅がわかんねえんだ」
「鎧に繊細さなんていらねえだろ、頑丈ならいいんだからよ!」
「とにかく、俺の目の黒いうちは認めねえ! 俺が引退してから木偶人形でもなんでも、勝手にすればいいだろう!」
ディディエに叱り飛ばされた村人たちはしぶしぶ、というふうに工房の前を離れていった。残ったのは、その場にぼんやり立ち尽くしているアルネリアたちだけである。
「おう、なんだあんたたちは」
「実はカリエさんに用があって来たんだが、……あんたも大変だな」
「若いもんは、すぐに新しいものに飛びつこうとしやがる。木偶人形の仕事は早いが、なんでもかんでも平板すぎて、面白みがねえんだ。どこで誰が作っても同じで、バンドール工房でつくる意味がなくなっちまう。そうなると客は工賃が安い方に流れるわな。自分で自分の首を絞めることになるっていうことが、あいつらにはわかんねえんだろうな」
「そうだろうな……」
ガリマーロはこういう場で、うまく相手の懐に入っていく。
「ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだ。その、あんたが嫌っている魔法とも関わりがあるんだが……」
ディディエはキラリと目を光らせ、周りを見回した。
「聞きたいことがあるようだな。俺に答えられることだったらいいぜ。来な」
ディディエに招き入れられた工房は、パウラの鎧一式を注文したフェリヤンの工房よりも一回り大きかった。
「話ってのは、10年前のことなんだ。この村にツニヤーダっていう神官が来ただろう? あいつも木偶人形を押しつけようとしに来たんじゃないのか?」
「ツニヤーダ……ねえ……。ああ、そういえばそういう名前の神官が来てたな。いろいろと偉そうに注文しやがったぜ。フェリヤンのところには、仮面の原型作れと言ったらしいが、俺のところには、台車に乗せられるくらいの、鋼鉄の箱だった。しっかりと蓋が閉まるものにしろ、と」
鋼鉄の箱……とガリマーロが口の中で繰り返す。
「そのときには戦が始まっていたんですよね?」
ヴァレリウスが控えめに尋ねた。
「ああ、そんなすぐにはできねえって突っぱねたが、『間に合わせでいい、しっかり蓋が閉まればいいんだ』ってねじこみやがってよ。鎧も急ぎ仕事で作らされた上に、さらに奇妙な注文しやがって。忘れもしねえ、徹夜でやらされたぜ畜生。それで、『必要なら木偶を貸してやってもいい』だと。ならおまえらで作れっていってやりたかったぜ」
「災難だったな。で、どんなやつだった?」
「背はそれほど高くなかったと思うな。とにかく痩せ型で目がギョロリとして、白髪交じりの黒髪長髪の、妙に迫力ある男だったぜ。こいつに関して覚えてるのはこれくらいだ」
曖昧な印象だが、アルネリアはその人物像を心に刻み込んだ。
「十分だ。助かったよ」
ガリマーロがディディエの二の腕を、ポン、と叩いた。。
「必要なら、また来てくれ」
「ああ。次回は鎧を頼みに来るさ」
「時間も金もかかるぜ」
「それに見合う価値があるんだろ?」
ガリマーロが手を上げて、工房から出て行き、アルネリアたちもそれに従った。
工房から村の通りに出たところで、川下のほうから走ってくるリコと出くわした。
「あ! またきたの?」
「うん、ちょっと用事があってね」
リコはうれしそうに両手でパウラとアルネリアの手を取った。
「あのねあのね、おじいちゃん、よろいつくってるよ。おにい……おねえちゃん? の、よろい!」
アルネリアとパウラは一瞬硬直した。
「ここは水車の音がするから、ちょっとこっちでお話ししようね~」
パウラがリコを元来た道に連れて行き、アルネリアは青ざめながら、ヴァレリウスとティリアーノを盗み見た。幸い、ふたりは神官の話でもしているようで、今のリコの言葉が耳に入っていないようだった。
「リコちゃんはいい子だねー」
パウラが抱き上げて振り回すと、リコは噴き上がるような笑い声を立てた。
用が済んだら早くこの村を出た方が良さそうだ……。アルネリアがビルギッタに視線を送ると、彼女も密かに了解のサインを送ってきた。一方、ヴァレリウスは、顎に指を当ながら、ティリアーノたちと向き合っていた。
「これから、ツニヤーダの足取りをどうやって追えばいいのだろう……仮にだけど、もし君が要職を追放されたとしたら、その後の身の振り方はどうすると思う?」
「そんなことわかりませんよ。うーん、ガリマーロさんだったらどうするかな?」
「俺か? 俺はこの国を出たな」
「……でしょうね」
わかりやすく肩を落としたティリアーノの肩に、ガリマーロが手を置く。
「いや、冗談だ。それまでの収入が良ければ、家に蟄居するだろう。けれどもどうしようもなく追い詰められていたとしたら……」
――森には近づくなよ。ならず者が潜んでいるからな。
ふとガリマーロの脳裏に戦友との記憶がよみがえる。
「森……か。ボレムの近くの森に、手がかりがあるかもしれんな」
「そういえば、森にはならず者たちが集まるようですからね」
ティリアーノも腕を組みながら頷く。
そこに、パウラとリコを先に行かせたアルネリアが近づいた。
「あと、仮面を作らせた皮革職人はどうでしょう。フェリヤンとカリエに聞いてみてみますよ」
「頼みます」
軽く頭を下げるヴァレリウスにアルネリアは頷き、身体を翻して川下のほうに駆けていった。
数分後。ふたりは息を弾ませながら戻ってくると
「聞いてきました! たぶんボレムの近くのバジエという村にある革細工の工房だろうって言ってました!」
「さすが賢者君とその兄上ですね。ではこれから我々は、ならず者の森と、革細工の工房を訪ねてみることにしましょう」
ならず者の森……どんな国にもある暗部――社会からあぶれた者たちが集まるような場所。ノルデスラムトの首都アーレンにもそんな場所があるという。治安が悪く、地区の衛生状態も悪いため、無論アルネリアも危険すぎるためにパウラも足を踏み入れたことはない。
「全員で2カ所も回ることはない。二手に分かれればいいだろう。革細工の工房は、ビルギッタと子供たちに行ってもらおう」
「では、我々がならず者の森ですね?」
ティリアーノの言葉に、ガリマーロは首を振って否定をする。
「そこは俺だけで十分だ。ティリアーノさんは、おやじさんに聞き出すことがあるだろう? ツニヤーダが神官を剥奪された理由とかな……」
「うーん、父上がたやすくしゃべるかなあ……。あの頃の黒歴史って言いたがらないんだよなあ……」
渋面のティリアーノに、ビルギッタが片目をつぶってみせた。
「お父上にお土産を買っていったらいかがです? たとえばこの地方のネクタル酒などを。会話が弾むかもしれませんよ……」




