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王太子の提案

物語は再びアルネリア王女の軸に戻ります。

 ノルデスラムトの毛皮商会から、ビルギッタ宛てに書状が届けられた。

 ――毛皮の取引の件の進捗を知らせよ

 差出人は、ユシドール・トロヤとある。もちろんこれはユシドーラの偽名で、アルネリアに向けたものだ。短気なユシドーラがしびれを切らしたのだろう。1行だけの手紙だが、筆跡からいらだちがじわじわとにじみ出ていた。

「様子を知らせる間もなく拉致されてしまったので、連絡のしようがなかったんですよ、姉上」

 アルネリアはぶつぶつこぼしながら、姉宛への手紙をしたためる。

 ――この国の楯は、噂以上に見事な出来でした。土産を持って帰ります。毛皮取引は進めていくのがよろしいかと存じます

 楯は軍事力。毛皮は結婚の符牒(ふちょう)である。これを読めば、ユシドーラは両国の婚姻を強く意識するはずだ。フロレーテの細密肖像画は描かせているだろうか。いやすでに用意してあるかもしれない。

「絶対に、ソレイヤールは敵に回してはいけない国だ。それになにがあっても天敵エステスラムトと手を結ばせてはならない。かくなる上は、フロレーテ姉上だけが頼りだ。王太子が呪われていることを知ったら嫌がるだろうけど……そのときは泣いてもらうしかない」

 ガリマーロの過去話を聞いたとき、パウラは感極まったらしくしゃくりあげていた。同じ騎士として感じるものがある上に、多感な時期である。だがアルネリアは泣けなかった。ソレイヤールが「悪魔」なる正体不明の魔法で、ミッテルスラムトを惨敗させたことが明らかになった今は、なおさらだ。ガリマーロに問いただしたところで無駄だろう。真相を知っているのは、おそらくその場にいた神官たちだけに違いない。

ビルギッタの名で署名をしたため、封蝋(ふうろう)を施すと、アルネリアは手紙を商館の人間に託した。そして大声でパウラを呼んだ。

「行くよ、パウラ! 王宮に乗り込むよ」

 ユシドーラに呼び戻される前に、なるべく多くの情報をつかんでおきたい。

「いい顔してますね。力がみなぎってる」

「ありがとう」

「呪いを解く自信があるんですか?」

「解決法が見つかれば幸い、見つからなかったら、そのまま姉上と結婚式を挙げてしまえばいいだけよ。なに、誓いのキスのときに周りの人の目さえごまかせれば、それでいいんでしょ?」

「私は初めてフロレーテ様に心から同情しました」

「姉上ひとりの涙で、多くの国民が救われるなら上等というものよ」

アルネリアは商館を出て、早足に王宮へと向かう。パウラも急いでその後についていった。


 ◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆


 ベルヴィール宮の青の間に通されたアルネリアは、椅子に座って王太子を待っていた。まもなく廊下に軽快な足音が聞こえ、勢いよく扉が開いた。

「賢者君! 戻ってきてくれたんだね! そのまま国に帰ろうと思えばできただろうに。私を見捨てないでいてくれたんだね! やっぱり君は信用できる人だ」

 不吉な仮面の王太子が、にこやかに微笑みを口元に浮かべながら室内に飛び込んできた。

「休息の時間をありがとうございました、王太子殿下。おかげでもうすっかり元気になりました」

 見捨てたとかそういう問題ではありませんよ。打算に決まっているじゃないですか。これが外交というものですよ、たぶんあなたもまだなにか隠してるんでしょうね王太子。アルネリアは、深く頭を下げる振りをして、そう告げたい表情を隠した。

「ところで王太子殿下。折り入ってお願いがふたつございます」

「うん、なんでもいいよ。賢者君の願いなら、何でも聞いてあげよう。できること限定だけど」

 予防線を張られたことを感じながら、アルネリアはなるべくあどけない笑顔に見えるように微笑んだ。

「このたびのことで、母が僕たちのことをたいそう心配していましたので、母を安心させるために、たびたび商館に帰りたいのですが、よろしいでしょうか」

「それは、賢者君たちの好きにすればいい。君たちは途中で仕事を投げ出して逃げ出したりはしないとわかったからね」

 やっぱり試されたのか。それにいつの間に仕事になったんだ、という言葉をかみ殺し、アルネリアは続ける。

「それからもうひとつ。ソレイヤールは美しい国だと聞きました。せっかくですからこの機会に、いろいろ巡ってみてもいいでしょうか?」

 これがアルネリアの狙いであった。ソレイヤールの視察をし、できるだけ多くの情報を手に入れて、国への土産にする。すでに呪いを解いて交渉を有利にしようという野望は捨てていた。悪魔を牛耳っている国を敵に回さないだけで手一杯である。

「いいよ。ソレイヤールは素晴らしい国だ。王都ボレムも美しいが、地方ものどかだよ」

 王太子は軽い調子で答えた。

「寛大なお計らい、感謝いたします」

「どういたしまして。そうだ。いっそのこと私も同行したらどうだろう。友人のためだからね。それがいい。すばらしい所を案内してあげるよ!」

 ヴァレリウスは、おそらく仮面がなければ満面の笑みを浮かべていたことがわかるような声で言った。

「うそでしょっ?」

 アルネリアの口から、驚愕の叫びがほとばしった。


それから小一時間ほど、アルネリアは王太子をなんとか翻意させようと努力を重ねた。

 王太子には仕事があるのではないかと尋ねると、

「どうせ、国のほとんどのことは神官がやるから大丈夫」

 身の安全が保証できないというと、

「私たちの変装は完璧だし、ティリアーノがいるから大丈夫」

 アルネリアたち4人に、王太子とティリアーノがいれば大勢過ぎて目立つといえば、

「この国の人たち、他人に興味ないから大丈夫」

 何を言っても大丈夫で丸め込まれてしまう。

 アルネリアが徒労感をかみしめていると、パウラがぽん、とアルネリアの肩に手を置いた。さすがパウラ。王太子を説得してくれるんだと、期待を込めていると……。

「王太子殿下。私は武器工房の見学をしたいのです!」

「君は、防具に興味があるの?」

「はい! 私は騎士になりたいのです。だから貴国の防具を買って帰るつもりなんです」 なんのことはない。どさくさに紛れて自分の欲求を満たそうとしていただけだった。

「御前試合のときに、ゆっくり見せてくれなかったでしょ?」

 パウラがアルネリアの耳元でネチネチとささやいた。武器の出店から引き剥がしたことを、まだ根に持っているらしい。

「それはいい。武器工房は木偶人形ではない現役の職人たちがたくさんいる場所だよ! 興味があるなら見るべきだと思う! よし、善は急げだ。明日出発しよう。バンドール工房があるウブラ地方に行ってから、西の岬を目指そう。ティリアーノ! どこにいる?」

 自分のペースで話をどんどん進めていくヴァレリウス。しかし防具なら、パウラだけでなく、ビルギッタも、ガリマーロも興味を持つだろう。皆が喜ぶのなら、それもいいかもしれない、と半ばあきれながら、アルネリアは思い直した。

 

 ◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆


翌朝、アルネリアたちは、2台の木馬車に分乗して、王宮前を出発した。先頭の木馬車には王太子とティリアーノ。いつもなら、フリルや金色の縁飾りがついた豪華な衣装を着けているヴァレリウスも、今日は庶民が着るような白いシャツにズボンという軽装である。ティリアーノも法衣を脱いでいる。

 そのあとを追う木馬車には、アルネリアたち4人が乗り込んだ。身につけているものはやはりソレイヤール製の旅装で、魔法で染め上げたという鮮やかな青のシャツをパウラが、緑のシャツをアルネリアが着ている。

 御者もなく、魔法で走る木馬を初めて見たビルギッタは、警戒心をむき出しにして、馬車の中でもほとんど口をきかなかった。

 身内だけとはいえ、乗せられているのは魔法で動いている馬車である。日常会話をするときも気が抜けない。当たり障りのない話をしているうちに、アルネリアとパウラのまぶたは次第に重くなり、いつの間にか眠りに落ちていた。

  

 アルネリアが目を覚ましたとき、あたりの景色はすっかり変わっていた。右手には、ゆったりと流れる川が見える。左手には立ちはだかる大地と切り立った崖。その下に連なるように細長い村があった。バンドール工房がある、バンドール村だ。

「あれはリーヌ川、そびえているように見えるのはカラナル台地だ」

 ガリマーロがビルギッタにしきりに話しかけている。

「来たことがあるのか?」

「この町全体が工房のようになっている。間違いなくソレイヤール一の品質だ。それは10年前と変わらない。あのとき世話になった親方はまだお元気だろうか」

 いつも渋い顔をしているガリマーロが、子供のように声を弾ませている。ビルギッタの瞳も輝いているから、やはり来てよかったのだ。アルネリアはまだ隣で眠っているパウラの頬をそっとつついた。寝かせておいてもよかったのだが、早くパウラが喜ぶ顔も見たかった。


「わあ、本当に村中が工房なんだ!」

 木馬車から降り、村に足を踏み入れたパウラは、感極まった声をあげた。崖を背にして並ぶ、レンガ造りの小さな建物の群れ。川に張り出した橋桁の上には小さな水車小屋がある。村の至る所から、カンカンという金属音が聞こえている。

「あそこに水車がある」

「あ、ちょっと、先に行ったらダメですよ」

 小走りで先に行くパウラを、ティリアーノが追う。こーん、こーん、という硬質でひときわ大きい音が、間断なく続いていた。

「子鹿みたいですね。美しい」

 ヴァレリウスが感心したような声をあげた。

「兄の身体能力はすごいです。昔よく一緒に遊びましたけど、兄には勝てませんね。多分本気で走ったら誰も追いつけない」

「では勉強はどうです? お好きですか」

「兄も僕も、それほど好きではないですよ。僕は、本は好きですけどね。殿下はどうです?」

「しーっ。ここでそれはだめだよ。ヴァレリーと呼びなさいと言ったでしょう?」

 ヴァレリウスは細い人差し指を唇に当てた。

 呼べと言われても……激しい抵抗感に襲われながら、アルネリアは無理に発音する。

「ヴァレリーさん……は、勉強がお好きなんですか?」

「好きな人はいないでしょう。でも私も本は好きですよ。気が合うね。そうだ。王宮に図書室がありますよ。帰ったら行ってみるといい。え、なぜ笑ってるの?」

 ヴァレリーと呼ばせておいて王宮の話をしていたら世話がない。そう言いたかったけれども、笑ってしまってアルネリアは答えられない。

「ノルデスラント語の本もあるはずだよ。私もそれで勉強したのだから。あ、でも図書室といっても好きな本を読めるわけじゃないよ。神官以外には貸し出し禁止のものもあるからね。そのときは諦めてね」

「お心遣いありがとうございます。帰ったら、行ってみます」

 アルネリアはこみあげる笑みをこらえようとしたが、だめだった。それでもヴァレリウスは気を悪くしたふうではない。川からあがってくる心地よい川風が、ヴァレリウスの髪を揺らしている。

「そういえば賢者君は、ソレイヤール語が上手だね。誰に習ったの?」

「父が、家庭教師をつけてくれました。いずれ、商売の役に立つだろうと」

「御父君は、確か毛皮商人だと言っていたね。ソレイヤールと取引するのかい? ここは暖かいから、毛皮の需要はそう多くないよ」

 アルネリアの背筋を冷たいものが走った。ノルデスラントでは毛皮商人の羽振りが良いから、その設定を使っただけだが、言われてみればソレイヤール語を学ぶ必要はない。この王太子、頭隠して尻隠さないときがあるかと思うと、突然鋭くなるときもあるから侮れないのである。

「……新しい市場を開拓するのが商売です」

「なるほど! さすが商売をやっている人の息子さんの言葉には重みがあるね」

 ヴァレリウスの緑色の目がまっすぐにアルネリアを見つめた。いろいろと偽っているためか、たまにアルネリアは、彼の汚れない瞳と向き合うことが辛くなる。

「ところでお……ヴァレリーさんは、うちの国の王女をご覧になったことがありますか?」

 アルネリアは、ごり押しと言っていいほど唐突に話題を変えた。

「ありません」

「肖像画などでは?」

「一度も」

 ないのか。今まで大臣たちはなにをやっていたのか。アルネリアはぐっと奥歯をかんだ。

「フロレーテ王女はお美しくて、僕たちの憧れなんですよ。笑うと、こう、ぱあっと大輪の花が開いたような感じなんです」

「そう、一度お目にかかりたいものだな」

「彼女が、お妃様になったらいいですね。両国の友好のためにも」

 アルネリアは、胸の中で心臓が大きく打っているのを感じていた。さりげなさを装っているが、この話を切り出すのは初めてである。注意深く話を進めよう。不自然に見えないように……。

「それもそう……だね。期待してるよ、賢者君」

 ヴァレリウスは、アルネリアの肩に右手を置いた。

「最悪の場合でも、なんとかなりますよ。結婚式のときだけ、大神官や周りの目さえごまかせればいいじゃいですか?」

 だがヴァレリウスは、物憂げな様子で首をふるふると左右に振った。

「それは難しいよ。それに……私は妃に愛されたい」

「おっ……」

 予想外の言葉に、アルネリアは息を詰まらせた。愛だの恋だのとぬるいこと言う王族を初めて見た気分だった。大陸の外に生息しているという珍獣よりも珍しいかもしれない。だが、そういう正直なところが憎めない。

「たとえ……そのままの姿でも、愛されないわけではないでしょう。性格がよくて、努力さえすれば愛されることだって夢じゃないんじゃないですかね」

「ありがとう」

 ヴァレリウスがさみしそうに微笑んだとき。

「おーい、みんな早く~。増援を頼む」

 パウラを抑えきれなかったティリアーノが、向こうで手を振っている。

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