ガリマーロの追想 後編
更新が遅くなりました。
10/31 ミスを改訂しました。
季節は秋を過ぎて冬に突入した。気候が温暖なソレイヤールの冬は雪がなく、ただジメジメした毎日が続くばかりだった。
各騎士団や兵たちが、国境を目指して出陣をしたのも、重い雲が垂れ込める日であった。
前回同様騎士団は騎馬で、兵士たちは徒歩で、そして神官たちは馬車で行進を始めた。神官たちの馬車も救護神官の馬車だけでなく、4人乗り、6人乗りの馬車が列をなしている。以前よりも人員が多い。その上、見たこともないような黒い箱状の物体を、荷車に乗せてひいている。
非戦闘員である神官たちの数や、黒い箱に疑問を持ったフィラーロが隣にいたジェロードに語りかけようとしたとき、不意にジェロードが顔を向けた。
「フィラーロ。今のうちに話しておきたいことがある」
「なんだ」
「今まで黙っていたのだが、俺は、字が読めないんだ」
フィラーロはすぐに答えることができなかった。だが黙ったままではいられず、口を開くと喉に引っかかるような声しか出ない。
「いや、そういう人は珍しくはないだろう。むしろ今のような状況では、学問など役に立たない。力の方がずっと……」
「そうかもしれないな。だが、俺がそうした学を当然のように身につけていれば、防げたことも守れたこともあったはずだ。以前渡した本は、この国の戦いの歴史をおまえに読んでもうつもりだったのだ。だが、違う本を渡したことことすら、わからなかったのだよ、俺は」
「今から学べばいい。おまえなら、きっとできる」
ジェロードは、ぐっと手綱を引き寄せた。
「人にはできることとできないことがある。根性だけでは何もならないことも」
ジェロードはそのまま口を結び、無言のまま馬を走らせていった。
ソレイヤール軍がミッテルスラムト軍を迎え撃ったのは国境近くであった。
ミッテルスラムトの銃撃は、楯部隊が前面に立って攻撃をしのぐ。相手が弾を込めている間に間合いを詰め、弓で銃を手にしている兵を狙う。さらに敵に近づくと、すでに銃は不利だ。そこで槍を構えた兵士や騎士たちが、敵兵の中に切り込んでいく。
以前とは違い、銃への備えができているソレイヤール軍は、見違えるような攻撃をしかけていた。
「退けー」
ミッテルスラムト語で退却の号令がかかり、ここにきて初めてソレイヤールはミッテルスラムト兵を退けることができた。
だが――
退却したミッテルスラムト軍を追跡するように、石英騎士団と一部の兵が進軍を始めた。それも、黒い箱を乗せた荷車と一緒に。
「我々も前進だ」
騎士団パルトスの号令で、銀狼騎士団も国境を越えてミッテルスラムト領内に進む。全軍が、国境沿いの平野部分に達したとき、停止命令が下った。フィラーロは新たな命令をまっていたが、それ以上軍が進むことはなく、陣幕まで張り始めた。
「一同、ここで待機」
何をする気なのだろう。作戦を知らされていないフィラーロは疑問に思いながら、パルトスの命に従った。
低い音声が響いている。振り向くと、揺れ動く黒い森が見えた。
いや違う。あれはソレイヤール領内の丘だ。そしてその上に黒い法衣姿の神官が、ずらりと並んでいるのだ。地響きのような音が聞こえた。みなそれぞれが魔法を詠唱しているようだ。見渡す限り黒い衣の群れ。ソレイヤールの神官の全員が国境に集結したのではないかと思われた。
フィラーロが静かにパルトスのそばに近づくと銀狼騎士団長が不意に振り向いた。
「フィラーロ」
「はっ!」
フィラーロは胸に手を当て、敬礼で応える。
「おまえにしか頼めないことがある。聞いてくれないか」
「なんなりと。ご命令に従います」
するとパルトスは、手袋を外し、指にはめていた指輪を回しながら抜き取った。
「娘に……メリーサに届けてほしいものがある。渡し忘れていたものだ。わしの父から伝わってきた指輪だ」
パルトスは、フィラーロの手に、宝石がついた大ぶりの指輪を渡した。
「今……ですか? しかし、持ち場を離れるわけには……」
「今は待機中だ。いい機会ではないか?」
フィラーロは指輪を押し戻そうとした。
「この戦いが終わったときに、生きて帰って団長が渡してください。勝てる戦いです」
「いいから、渡してくれ。そうしないと安心して戦えない。渡し終わったら、急いで戻ってきてくれ。待っている」
パルトスは、豪快な笑顔でむりやり指輪をフィラーロの手に握らせた。
「それなら、私のほかにも」
「いいから、行けフィラーロ。団長の頼みくらい聞けないのか? 恩知らずめ」
ジェロードは、あきれ果てたという顔で、追い払う仕草をしている。
怪我をしたから、これくらいのことでしか役に立てないというのだろうか。フィラーロは憮然としながら、指輪を受け取った。
「了解しました。これよりフィラーロ・メイラル、メリーサさんに指輪を届けに行きます」
「頼んだぞ」
パルトスは、いつものように太い右腕でフィラーロを抱き寄せ、勢いよく離した。
「行け。我が息子よ」
戦場から離れ、神官たちが集結している丘の上で、国境を振り返りったフィラーロは見た。
ミッテルスラムトの国内から大勢の人間たちが、国境に向かって押し寄せて来ているところを。そして、騎士団や兵士たちは、その人々を通すまいと、槍や刀で防戦していた。
「な、なんだあれは!?」
フィラーロは今来た道を戻ろうとした。
そのとき、なん人もの神官がフィラーロを取り囲み、引き留めた。
「戻ってはいけません」
「なにをいうか、皆が戦っているのだぞ」
「命令です」
「誰の命令だ!?」
「銀狼騎士団団長と、お父上でございます」
なんだって?
「放せ」
鍛え上げた腕を振り回し、神官たちを振りほどこうとしたフィラーロだったが……。
「大地の精よ。力をお貸しください。この者の身体に休息を与えてください」
詠唱を唱えられ、魔法により脱力させられてしまった。
「頼む、俺だけ何も知らないんだ。何があったのか、教えてくれ」
フィラーロが跪きながら神官の膝にすがると、年若い神官が冷たい目で語り始めた。
「敵は、我々に銃という悪魔を突きつけてきました。だから我々も、連中の間に見えない悪魔を放ったのですよ。今頃悪魔が、連中を蝕んでいることでしょう。団長は、その悪魔から逃げた者たちから、ソレイヤールを守っているのです」
なんてことだ――
フィラーロは両手で顔を覆った。
「そうやって悲劇に酔っているのは自由ですが。あなたにはやることがあるのではないですか? 団長に何かを頼まれたんでしょう? それは、娘さんの身の振り方を考えてやれということではないんですかね?」
打ちひしがれるフィラーロを打つように、表情のない声で神官が告げた。
ボレムに向かうフィラーロに追い打ちをかけるように、パルトスとジェロードの訃報が届けられた。鳥の目を借りて偵察した神官からの報告だった。簡単に敵に殺されるような男たちではない。放たれた見えない悪魔とやらに殺されたとでもいうのか? だがその問いに答える者はいない。
砂袋のようになった身体を馬に預けて、フィラーロは王都ボレムに戻っていった。
かいがいしく尽くしてくれたメリーサに、事実を告げる。通りを歩きながらフィラーロの心は鉛のように重くなった。
治療院の入り口から入ると、もっとも近い部屋の扉がかすかに開いていた。
「レオーニス様……どうかご無事で」
隙間から漏れ聞こえる女性の声に、吸い寄せられるように目を走らせると。
メリーサが白い布を頬に当てている姿が見えた。どこかで見たことがあるとしばし考え、思い至る。あれは、レオーニスの帽子だ。
ああ……そういうことだったのか。彼女の想いを知っても衝撃はない。淡々と事実として受け止めるだけだ。
彼が後ずさりをしたとき、顔を上げたメリーサと目が合う。
「フィラーロ?」
後ろ手に帽子を隠したメリーサは、ばつが悪そうにこちらを見た。
「どうかしたの?」
事実を告げることは辛かった。
振り絞るように、パルトスの言葉と、その訃報を伝え、指輪を差し出すと……メリーサの目に涙があふれた。
「あなただけが生きて戻ったのね、フィラーロ。お父様を置いて。騎士団のみんなのことも置いて。あなただけが!」
フィラーロはじっとうつむいていた。苦い思いだけが身体を駆け巡った。
何も知らず、父や兄の庇護を受け続けながら、一人前の騎士になった気でいた自分の甘さ。パルトスやジェロードに守られながら、そばにいることもできず、生きて帰っている自分。もっと責めてくれたらいい。メリーサがいっそのこと言葉で矢や、銃の弾丸のように、自分の身体を貫いてくれればいい……。
その後、犠牲になった騎士や兵士たちの亡骸を弔った後、父親にメリーサを託したフィラーロは、そのまま家を出た。もう騎士団はない。家にいればメリーサと顔を合わせてしまう。彼にはもう居場所がなかった。
長らく封鎖されていた国境が再び開かれるのを待ってフィラーロは国境を越えた。
混乱の中で、身元を確認する者もいない。
どこに行こう。あてもなく歩きながらフィラーロは考える。
ふと思い出したのが、ジェロードに借りた本の一節だった。
「ノルデスラムトの、傭兵か……」
たぶん、死に場所としてちょうどいい。
そしてフィラーロは、故郷と自分の名前を捨てた。
今日でガリマーロの追想が終わります。でも物語はまだ続きます。
よろしくお願いいたします。




