ガリマーロの追想 中編
この章、前後編と書きましたが、長すぎたので3部に分かれます。
あと1回、若い頃のガリマーロにお付き合いください。
10/31 ミスを訂正しました。
銀狼騎士団は、カイヤンスに向かう街道を騎馬で北上した。追走するのは、ボレムの兵士たち、それから馬車に乗った救護班の神官たちである。途中、麦の畑が広がる平原からボレム方面に逃げる避難民が街道をのろのろと歩く。歩くのがやっとの人々は機敏に馬をよけられず、進行は難渋を極めた。神官たちの馬車はほとんど立ち往生して進めない。
「どうなんだ、村の様子は」
パルトスはひらりと馬を下り、その中の男に尋ねた。だが、男の話はまったく要領を得ない。
「だんな、あいつらは、悪魔です」
「どんな連中なんだ」
「悪魔みたいなことをしやがるんです。あんなものは、見たこともありません」
わからないものを説明できるはずがない。パルトスは男を放し、また馬に飛び乗った。
ようやく丘の上に天然の要塞のように広がるカイヤンスの町が遠目に見えた。が、同時に、その空に狼煙のようにあがっている煙も認めざるを得なかった。
「畜生! 火を放ちやがった」
パルトスが歯ぎしりの音とともに吐き出した。
「急ぎましょう。まだ救えるかもしれません」
ジェロードが馬を駆ると、のろのろと歩いていた避難民たちが慌てて道を空けた。
一歩先に行ったジェロードをフィラーロが追いかけると、さらに町に近づいたところで、退却する騎士団や兵士と遭遇した。カイヤンスの石英騎士団と思われる男たちは、凍り付いたような目をして歩いている。手に刀はなく、楯もない。
「おい、いったい何があった!?」
「わからない。遠くから、やられた」
「弓か?」
「違う。見えないほど小さい何かだ。だが当たると死ぬ」
「敵兵は? まだ村にいるのか? 占拠したのか?」
「引き返した。なぜかわからんが、ミッテルスラムトの方に向かっていった」
ジェロードは男たちに救護班の馬車の位置を指し示すと、再びカイヤンスの村を目指して、つづら折りの坂道を馬で駆けた。
村の入り口で、ふたりは様子をうかがった。低い丘の頂上を這うように築かれた石造りの村は、天然の要塞と呼んでも差し支えなかった。だが今は家の扉は壊され、壁は煤で黒ずんでいた。そして何より、村の中に醜悪な臭いが充満している。鼻をつくような刺激的な臭いが強い。その中に、覚えがある生臭さも漂う。狩った獲物を捌いたときの、血の臭いを連想するような……。周囲を見回したフィラーロの胃が、瞬時に締め付けられた。
家の奥、折り重なって倒れている村人の姿。生死を確認するべきだと思いながら、一歩も身体が動かない。
「残念だが、彼らは手遅れだ。あとで埋葬を頼むしかない」
「敵兵はまだ残っているだろうか」
「わからん。気を抜くな」
ジェロードに支えられ、フィラーロは歩き始めた。逃げ遅れた婦人や老人の亡骸に手を合わせながら、生存者を探す。ミッテルスラムト兵の姿は見えなかった。すでに総員退却したのだろう。
村の中心の広場に行けば、積み上げられて火を放たれたと思われる扉やテーブルや椅子の残骸が無残な姿をさらしていた。
「くそ、やりたい放題やりやがって」
フィラーロが低くうなると、ジェロードが耳に口を近づけた。
「静かに、向こうに誰かいる」
ジェロードが指さす向こうには、扉を破壊された石造りの家があった。中から何かを壊すような、大きな音が聞こえてくる。
敵か、生存者の村人か。どちらの可能性も考え、ふたりはゆっくりと歩いた。そっと家に近づき、すでにただの切り取られた穴になっている戸口から、家の中をのぞく。
そこにいたのは、鎧の上に見たこともない紋章付き外套を着ている兵士であった。初めて目にするミッテルスラムト兵だ。その男は、フィラーロが見たこともない長い棒状の物体を肩に背負い、家の中を物色しているようだった。
捕まえて、捕虜にする。その想いを込めてジェロードと顔を見合わせ、うなずき合う。男が長持ちの中をのぞいたその機会を捉え、走り出そうとしたときだ。
「ジェロード! フィラーロ! そこにいるのか!?」
騎士団の誰かが発した声で、ミッテルスラムト兵が顔を向けた。
「動くな、仲間が来ている。おとなしく投降すれば、命は奪わないと約束する」
ジェロードが説得するが、男は慌てて肩から棒をおろし、棒を地面に立て、細い枝のようなもので、何かを先に押し込んだ。不意に、その棒の先をジェロードに向ける。不吉な予感が身体を走り、フィラーロは自分でも意識しないうちに、ジェロードに体当たりをしていた。
刹那――
棒が雷鳴のような音を発し、火を噴いた。同時にフィラーロの左肩に激烈な衝撃が走り、彼の身体は弾けるように床に倒れた。立ち上がろうとすると、肩から腕にかけた部位の痺れて動けない。倒れ込んだ顔の前では血の染みが広がってきていた。
「フィラーロ!」
ジェロードがフィラーロにかがみ込んだと同時に、銀狼騎士団のひとりが家の中に走り込んだ。
「その棒に気をつけろ!」
だがジェロードが叫んだときには、騎士団の槍持ちがミッテルスラムト兵に突進していった。体当たりされた兵士の棒は沈黙したまま、倒れていく男の足下に落ちた。
鎧を外され、ジェロードとパルトスにより、救護班の馬車まで運ばれたフィラーロは、馬車に入るなり、驚きのうめき声を上げた。
縦に長い馬車の中には、形ばかりの寝台があった。そしてその前には白い前掛け姿のパルトスの娘のメリーサ。さらに白い帽子で髪を覆っているレオーニスまで乗っていた。
「しっかりしてください、フィラーロ」
「な、なぜ……ここに」
「けが人の治療は神官の仕事だ。そんなことも知らないのか」
レオーニスは、人を癒やす治療官ではなく、魔法を創造する立法官を目指しているのではなかったのか? フィラーロの頭に浮かんだ言葉が口に上らない。それ以上に痛みで考えることもできない。
「ああ、しゃべらないで、フィラーロ」
メリーサはエプロンが汚れるのもかまわず、フィラーロを抱きかかえると、寝台に運んで横にし、はさみで丁寧にシャツを切った。
「よし。そのあとは、蒸留したネクタル酒傷口にかけろ。そして煮沸と乾燥をしたあとの布で拭け。あとは私がやる」
メリーサが透明なネクタル蒸留酒を傷口にかけると、フィラーロが野獣のような咆哮をあげる。その後をレオーニスが引き継ぎ両手をフィラーロの肩口にかざした。
「大地の精よ。地の力よ。汝の恩寵にてこの傷を癒やし、生きる力を授けたまえ。この者の痛みを取り去り、抗う力を生じさせたまえ」
レオーニスの詠唱は格調高く力強く、フィラーロの肩の傷にしみていく。
「兄……うえ」
感謝しますという言葉が声になる前に、フィラーロの意識が遠のいた。
銀狼騎士団は、一旦ボレムに戻った。先に退却したカイヤンスの石英騎士団を交えたほかの騎士団と今後の作戦を協議するためである。兵士を倒してしまい、捕虜にできなかったことは悔やまれるが、村人に悪魔といわせた「火を噴く棒」を入手できたことは幸いと言えた。
一方、フィラーロは治癒神官団管轄の治療院で治療に専念していた。
火を噴く「棒」から放たれたものは、薄い鎧の板金とともに、フィラーロの腕を切り裂いた。その傷そのものは深くなかったが、問題は、ジェロードと共に倒れ込んだときに、荷重がかかりすぎた上腕あたりを骨折したことである。
「相手が下手くそで命拾いをしたな。頭に当たっていたら、おまえはここにはいなかっただろう」
一日に数度、レオーニスは治癒魔法を施す。相変わらず口数が極端に少ないが、その治療の間に、言葉をかけることがあった。
「あの火を噴く棒はなんでしょうか」
「銃だ。あの細い筒に小さな鉛玉を込め、火薬を爆発させてその玉を押し出す武器だ。ミッテルスラムトでもノルデスラムトでも使われて、すでに改良もされているというのにこの体たらくか。こんなことも知らずに戦っているとは、あきれてものも言えん」
フィラーロは反論をしようと口を開いたが、ぐっと奥歯をかみしめた。今はそんなことを言っている状況ではない。
「カイヤンスが焼き払われ、石英騎士団が敗退したのは、その銃というものがあったからか?」
「少しは頭を使え。おまえのペラッペラな鎧など、切り裂くような玉が飛んでくる。それがおまえたちの攻撃が届かない位置から。そしておまえたちはその武器についての知識がゼロ。さて、どうなる?」
「残念ですが、今の我々の力では手の打ちようがありません」
「そういうことだ」
「兄上はご存じだったようですが、その話を騎士団となぜ共有しなかったのですか?」
「聞く耳も、頭の中身も足りないくせに、人の話は聞かない。いつも目先のことしか見えない上に、動くときには行き当たりばったりで、先のことなどみじんも考えていない。カイヤンスのような地形を利用した要塞があるからと油断しきっている。人を襲ってはいけませんと言えば、相手も襲ってこないと信じ込んでいる。そんな連中になにを言えと?」
なぜこの人は他人を見下さずにはいられないのだろう。フィラーロはこれ以上会話を続ける気力を完全に失っていた。
「お話中失礼します。フィラーロ、身体を拭く時間ですよ」
声をかけられ、入り口を見ると、金色の髪の毛をひとつに編んだにしたメリーサが笑顔で洗面器を抱えてたっていた。
「い、いや、自分はいいです」
「なにをいってるんですか。病を治すのは魔法だけではない。体調を万全に整えることが大切だってみんな言ってますよ。ねえ、レオーニス様?」
洗面器をベッドの横に起きながら、メリーサはレオーニスに視線を走らせる。
「その通りだろうな」
「じ、じゃ、上半身だけお願いします」
よりによってレオーニスの前で堂々とした態度がとれない自分の弱さを、フィラーロは呪った。しかしそんなメリーサの甲斐甲斐しい看護の成果か、フィラーロの傷は順調に回復していった。そして秋の風が木の葉を巻き上げる頃には、肩を固定しながらも治療院を出て、兵舎に戻れるようになっていた。
久しぶりに治療院から外に出たフィラーロは自分の目を疑った。王都ボレムの町の広場には、避難者小屋に入りきれない避難民たちがあふれ、顔を出した騎士団の詰め所は、緊張感以上に強烈な悲壮感に覆われていた。治療院にいた頃、すでに騎士たちが運ばれてきていたことから、ある程度の苦戦をなめさせられていることをフィラーロも覚悟していた。
団長パルトスが皆を集めた。しばらく見ない間に、10歳くらい年をとったように見える。
「諸君。知っての通り、カイヤンスに続き、ナブール、マセラらの国境の村は壊滅状態になった。連戦連敗である。このまま敵の攻撃を甘受していることはできない。奴らはこの王都ボレムを蹂躙し、王宮や大神殿を破壊するであろう。今こそ我らは騎士団のみならず、兵士、民、神官ら国民が一丸となって、進軍するやつらを国境の外へと追い出し、そこで一網打尽にしなければならない」
鬨の声があがった。それは勇ましいというよりも、覚悟を決めた、悲痛な声にも聞こえた。もう後がない、という……。
ぽん、と背中を叩かれ、振り向くとジェロードが立っていた。
「もう身体はいいのか?」
「ああ。治癒魔法のおかげでよくなった。その間、役に立たなくてすまん」
「いや、おまえがいなかったら、俺は生きていなかったかもしれない」
「とっさに身体が動いただけだ」
フィラーロが答えると、ジェロードはぷっと吹き出した。
「それでは、おまえにとっての守りたい人が俺、ということになってしまうではないか」
「そうではないだろう。守りたい人がいると身体が動くと言っているんだ団長は!」
フィラーロが顔を真っ赤にして否定すると、ジェロードがふと真顔になる。
「冗談だ。話を戻すが、敵の武器が手に入ったのは、お前が犠牲になったからといえる。あれではどんなに楯が丈夫でも、ひとたまりもないだろう。それがわかれば、作戦も立てられたようなものだよ」
疲れているせいなのか。頼もしい内容とはうらはらに、ジェロードの声は沈んでいた。
銃を持たないソレイヤールの騎士・兵・神官らの軍は、銃への対応に追われていた。
敵軍はいくつかの村を襲撃しているが、その村を拠点にして、補給部隊の到着を待って次の村を襲うという戦略をとっていない。一度国内に引き返し、装備を調えて別の村を襲っている。
ここから考えられることは、攻撃の目的は占領ではなく、示威的な行動であるということであろう。和平交渉に持ち込まれたときに、条件として国境線を南にずらすことを織り込んでくる可能性が高い。
ソレイヤールとしては、この攻撃の時間差を利用し、できる限りの対策を講じなくてはならなかった。
神官は楯をさらに強化する魔法をすべての騎士と兵士に施した。兵士には剣ではなく弓を持たせ、銃を構える兵を狙わせる。さらに、鳥の目を借りる魔法を使える神官は、敵の動きを察知することに専従した。つまり空を飛ぶ鳥に意識を移し、その目借りて、下界を偵察する魔法である。
「これだけの体制が前もって整っていればなあ……」
フィラーロが漏らすと、ジェロードも頷いた。
「しかたないさ。長い間戦を知らなかったんだから。だけど不思議に思わないか? なぜ我が国は今まで、攻め込まれずにいたのか」
それでジェロードは本を読ませようとしたのか。その件についてフィラーロが意見を求めようとしたが、、ほかの兵士に用事を頼まれ、結局聞けずじまいになってしまった。




