青の間から王宮へ
この章は長いので4分割します。
青の間と扉でつながる部屋が、アルネリアたちに与えられた寝室だった。4本の支柱で天蓋が支えられており、その下にベッドが2台並んでいる。
燭台の明かりを消した後、淡い眠りに落ちそうになっていたパウラは、隣のベッドから聞こえてくる寝返りと、深いため息に目を覚ました。
「眠れないんですか?」
「……いろいろ考えてたら目が冴えた」
パウラは半身を起こした。カーテンの隙間から差し込む細い月の光が、パウラの白い肌と白いシャツを、青みがかった色に染めている。
「変なことに巻き込まてしまいましたね」
「王太子に呪いをかけた犯人、わかるかな。でも結果出さないと、ノルデスラムトに帰れなくなるんだろうね。呪いの魔法をかけている犯人を特定して、その人から魔法を取り上げれば、呪いは解ける……でも、これまで10年間わからなかったものが、私たちにわかると思う?」
隣のベッドで、パウラがアルネリアに向き直った。
「……これはノルデスラムトの騎士団の話なんですけど、同じ王家に仕える騎士団と、王家の女性を守る女騎士団は、表向き同等と言われてますね。けど、発言力は向こうが上なんです。私たちが騎士団のちょっとした不正のようなもの……例えば見張りをさぼって怠けてたとか。そういうことを発見しても、密告しにくいのです。そんなことをしたら、姑息な報復をされるから。だから、見つけても気づかないようにしているうちに、いつの間にか本当に目が曇って気にならなくなってしまう。そういうことがあるのです……」
「知らなかった。言ってくれたらいいのに」
「言ったら、ユシドーラ様に伝えますよね。そしたら絶対大騒ぎになりますよ。私以外の人が報復の標的になるかもしれない。みんなはそこまでの犠牲を払っても改革したいとは思っていない。そこが問題といえば問題なんですけど」
「そうか、参考になったよ。要するに、権力の均衡の乱れは、それがあたりまえになると、見えなくなるんだね。何も知らない人なら、違う角度からみられるかもしれない……けど……」
アルネリアが不意に黙り込んだ。
「まだ、なにか気がかりなことが?」
「なんで王太子殿下はあんなに焦っているんだろう。外国人の私たちを宮殿に幽閉してまで、呪いを解きたいだなんて」
「なにか、まだ話していないことがあるのでしょうね。それはしかたないですよ」
「あとわからないのは、肖像画だ。画家によって違う人に見えるのは、魔法のせいだってわかったけど。でもなぜ3枚も送りつけてきたんだろう。不自然だよ。明日聞いてみようかな」
「それ、やめた方がいいと思います」
アルネリアは、なんで? という目をパウラに向けた。
「王室に届いた肖像画を、なぜ一介の商人の息子である私たちが知っているんですか」
アルネリアはあああ、と呻きながら、頭を両手で抱えた。
「そうだった。ありがとう忘れるところだった……しかし、こんな奇妙な国に嫁ぐことになったら、フロレーテ姉上はどう思うかな?」
「あの方は、あなたが思っているよりもたくましいです。この国は豊かだし、人はおしゃれだし、おそらく仮面の顔の下の顔がよければ、お喜びになるのではないでしょうか」
「一番心配なのは、仮面の下の顔が残念だったときか」
アルネリアは、安心したように、頭を枕にうずめた。その顔を、じっとパウラが見つめている。
「そういうこと考えていらしたのですか。申し訳ないです。てっきり夕食のときにキジの丸焼きと、鴨肉の包み焼きが出なかったことかな、とばかり」
沈黙の後、アルネリアは静かに答えた。
「……それもある。でも薄切りの燻製肉がおいしかったから今日はがまんする」
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
翌朝。
パウラは、扉を叩くかすかな音で目を覚ました。
「お目覚めでしょうか、お客様」
女性の声である。
「今、目覚めたところです」
パウラは、寝間着をめくりあげて素早く胴衣を胸に巻き付け、扉を開けた。
扉の向こうには、金色の髪を上品に結い上げた女官が、手にたたんだ衣類を捧げて立っていた。
「殿下からお客様にお届けするように言われました。お召し物でございます」
鎧の兵士は魔法で動く人形だったが、給仕や身の回りの世話をする女官は人間である。それも王太子付きらしい。上品で美しい人である。
アルネリアはようやく目を覚ましたようで、まだベッドの上でもぞもぞしていたが、下がろうとした女官を引き留めて、言った。
「すみません、ちょっとお願いがあるんだけど」
その後、アルネリアとパウラは、ベルヴィール宮の青の間で、ヴァレリウス王太子の訪問を受けることになった。アルネリアたちが身につけているのは、ソレイヤール製の男性用衣類だ。レース付きの肌着の上に、袖付きの上着を合わせている。生地は丁寧な刺し縫いで、アルネリアには黄色、パウラには青が与えられた。
「思った通り、よく似合うよ!」
仮面の下で表情はわからないが、ヴァレリウスの声は少し弾んでいた
「ありがとうございます。とてもエレガントです。しかも肌触りがすばらしい。客人の衣類にまで絹を惜しげもなく使うなんて、さすがソレイヤールですね」
普段はそれほど衣服に執着しないアルネリアだが、肌に吸い付くようなソレイヤール絹の魅力に、すっかり籠絡されていた。
「賢者君には、私のために働いていただくのですから、当然ですよ!」
鈎形の仮面の鼻の下で、形のいい王太子の唇から白い歯がのぞいた。呼称が「殿」から「君」に格下げになっているが、アルネリアは気にしないことにした。
「そういうときには『ご帰国の際にはお買い求めください』とおっしゃったほうがいいですよ、王太子様」
アルネリアの言葉に、ヴァレリウスは不思議そうな目で応える。
「外国人に自国のものを売り、外貨を稼ぐことも国の経済を支えるわけですから」
「本当に賢者君は現実的で逞しいね」
明るい声で笑うヴァレリウスに、アルネリアは突然つかつかと歩み寄った。
なにを……とヴァレリウスが言う間もなく、アルネリアは王太子の顔に手をかけ、力いっぱい仮面を引っ張り始めた。
「痛い! 痛い痛い! やめて助けて」
王太子は身をよじってアルネリアから逃れた。
「やはり剥がれないな」
「それで取れるなら、もうとっくに解決してますよぅ」
遅れてやってきたティリアーノが呆れたように腕を組んでいる。
「じゃあこれは?」
アルネリアはポケットの中から小型の爪やすりを取り出し、ヴァレリウスの仮面の、鼻に当たる部分を擦り始めた。朝、こっそり女官に頼んで持ってきてもらったものだ。
「それも痛い!」
ヴァレリウスはアルネリアの両肩をつかみ、そっと押しのけた。
「やっぱりダメか。長い時間をかけて擦り取ればいいかと思ったんだけど」
「それは試したことはなかったね~。さすが賢者君」
「感心してないで、やめさせてくれティリアーノ。 痛いから! この仮面は、力を加えると締まるようになっているんだ」
ヴァレリウスはアルネリアの手を逃れると、自分の頭をそっと抱えた。
「ちょっと見せてください」
アルネリアは容赦なくヴァレリウスの背後に回り、背伸びをしてマスクを観察してみた。
革の仮面は帯状のもので後頭部に固定されている。通常なら、簡単に外せるものなのだろうが、吸い付くように頭を覆って離れない。
「なるほど、これは仮面をどうかするより、仮面の取り方を知っている人を脅した方が話が早い」
アルネリアが頷くと、ティリアーノが有無を言わさないような圧力を、声に込めた。
「気が済んだようですね。では行きますよ、少年たち」
「ど、どこへ?」
「宮殿内をご案内しますからね。いろいろ観察してほしいんですよ。宮廷人や、宮廷に出入りする神官などを。君たちの目に期待していますよ~」
アルネリアとパウラは、ティリアーノの先導でベルヴィール宮を巡り歩いた。一度巡っただけでは覚えることができないほど広大で、豪華な内装を施された宮殿を歩くアルネリアは、ときおり感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
廊下の壁と天井には漆喰が塗られ、色彩と意匠が豊かな絵が描かれている。花や動物、見たこともないような生物……。立ち止まって眺めていると、ティリアーノに置いていかれてしまう。
そしてもうひとつ。行く先々で浴びるのは、人々の好奇の視線だった。
「おや、見慣れない少年たちがいるようですが、どなたなのでしょう」
「さあ。存じませんが、この国の者ではないようですな」
黒服の神官や、一目で上質だとわかる上着を着ている貴族たち。仕える女官や召使い……。みな直接聞いてくるわけではなく、聞こえよがしに探りを入れてくる。するとその都度、ティリアーノが現れ、宮廷人たちを目力で黙らせる。
そのせいか、半日後には宮廷人の表情から排他的な色が消え、訳知り顔の薄ら笑いが浮かぶようになってきた。
パウラは、こっそりとアルネリアの耳元にささやきかける。
「ティリアーノさん、僕たちをどういう立ち位置にしてるのでしょう?」
「モテない王太子殿下を元気づけるためにやって来た、道化の兄弟?」
「励ます前に、軽々しい言葉で王太子殿下の心を折らないように気をつけてくださいよ」
不意にティリアーノが振り向き、張り付いたような笑みとともに、声を張り上げた。
「さあ少年たち。間もなく殿下のご公務が終わるから、お側に行って、異国の楽しい話でもしてあげなさいね」
それと同時に、宮廷人たちの声を落とした噂話が、さざ波のように広がっていった。




