梅雨の空を見上げる巫女
一の章 梅雨の日の記憶
「いらない子...。」
「気味の悪い...。」
「いなくなればいいのに...。」
その少女は俯いていた。幼くして両親に先立たれ、縁者も無く、独りぼろ屋に暮らす彼女に手を差し伸べる者はいなかった。灰色の雲が低く立ち込めるある日、彼女はその日の糧を手に入れるため、鬱蒼とした山に入った。途中ですれ違う村人達は彼女を見ても、ただ迷惑そうな視線を向けるだけだった。彼女は、その華奢な体で背負うには大き過ぎる罠と籠を引きずるように歩く。しかし彼女を手伝う人はいない。山に入り兎を捕らえ野菜を籠に入れた。帰っても食卓には誰もいない。沈鬱な気分の中、さらに追い打ちをかけるように雨が降ってきた。折しも季節は梅雨、じめじめした空気がさらに彼女の気分を沈めた。しかし俯いてばかりいては生きてはいけない。そう思い直し前に踏み出した瞬間、泥に足を取られ転んだ。獣道の横は断崖絶壁、収穫は崖の下に落ちてしまった。絶望が彼女から最後の力を奪おうとしたその瞬間、目の前に手が差し伸べられていることに気が付いた。女性の手であった。
「大丈夫? 怪我は無い?」
彼女は巫女装束を纏い、清らかな声と若々しさにあふれた屈託の無い表情で、心配そうに自分を見ていた。幸い怪我はかすり傷程度であった。
「ああ、よかった、大したこと無くて。梅雨で雨続きだから気をつけないと。」
彼女は気遣ってくれたが、そんな優しい言葉を久しく受けてなかった少女は、返答に困った。
「あら、あなた、何か訳ありなのかしら? どう、うちの神社で休まない?」
神社で...休む?
「自己紹介がまだだったわね。私の名は彩芽、隣町からこの町の神社にお使いの用があってね、 近道と思ってこの山を通って来たの。あなたのお名前は?」
彼女は今まで名で呼ばれた事が無かった。返事も出来ず所在なく俯いていると、彩芽と名乗った女性が言った。
「じゃあ、梅雨の頃に出会ったから『つゆ』、そう呼ばせてもらうわね。濡れたままでは風邪を引くわ。早く神社で着替えましょう、つゆ。」
その少女、つゆは物心ついてから、このような親しみのある言葉を受けたことがなく困惑していたが、彩芽の纏う慈愛に満ちた温もりに惹かれ、彩芽の手を自然に握っていた。
二の章 偽りの幸福と前触れ
「...あ、夢だったんだ。」
つゆは目を覚ました。神社で巫女の修行をしている今でも、つゆは過去の忌まわしき記憶と彩芽との出会いの夢をよく見る。彼女から心の傷が消えることは決してない。しかし彩芽との出会いの記憶がそれを掻き消してくれる。
「あの人のようになりたい、強くなりたい。」
彼女はそう願い、巫女の修行を受ける決心をしたのであった。 つゆが身支度をしていると、戸を叩く音がした。彩芽であった。
「またうなされていたみたいだけど、大丈夫?」
「はい、大丈夫です、彩姉!」
つゆは元気よく答えた。
「彩姉、じゃないでしょ! 修行中は彩芽様と呼ばなきゃでしょ?」
彩芽は優しくたしなめると、急いで部屋を後にした。つゆは、彩芽が宮司様と年に一度の御祓いの儀式の準備に追われている事を思い出した。彩芽はつゆだけを見ているのでは無く、宮司様の下、神社の全ての巫女を纏める重い責務がある。そのことを改めて自分に言い聞かせて、つゆは 部屋を後にした。
つゆは朝の日課である境内の掃除を始めた。先輩の巫女達とすれ違う度「おはようございます」と丁寧に挨拶をした。巫女たちはにこやかに挨拶を返したが、つゆから少し離れると、ひそひそと話し始めた。
「ねえ、あの子って何か妙な雰囲気を感じない?」
「うんうん感じる。微かに人の気配じゃないような。ちょっと気味悪いかも。」
つゆには彼女達の話が聞こえていたが、聞こえていないふりをした。こういう陰口には慣れている、大丈夫、彩姉がいて下さる、と何度も自分に言い聞かせながら。
三の章 紅葉と風雷
つゆはその日も日課通り境内を掃き清めていた。季節は梅雨、若葉の茂る季節である。にも関わらず、彼女の持つ箒の先に、季節外れの赤い紅葉の葉が一枚舞い降りて来た。つゆが不思議に思っていると、風に乗って何枚もの紅葉の葉が宙を舞い、つゆの足元に落ちた。風上を見ると、赤い着物に身を包んだ長い髪の美しい女性が立っていた。
「私は静鶴、彩芽の姉です。今日はあなたに会いに来ました。」
つゆは、今まで人に訪ねられることも無ければ、女性に見覚えも無かった。しかも彩姉の姉と名乗っている。慈愛に満ちた彩姉と違い、静鶴と名乗る女性は、有無を言わせない厳しい雰囲気に包まれていた。
「あなた、隣町育ちね。今すぐ私と来てほしいの。あなたにはあなたが知らない危機が迫っている。それを未然に防ぐのが私の務めです。」
静鶴の度重なる言葉につゆは気が動転した。危機?何の事?つゆは恐ろしくなり、後ろへと一歩引いた。すると静鶴はすっと前に進み、つゆの手を取った。
「さあ、私と来てもらいます。」
あまりの恐怖につゆは声が出なかったが「彩姉、助けて!」と強く念じ続けた。するとつゆの心の叫びを聞いたかのように、彩芽が現れた。
「姉さん、何やってるの!」
「彩芽、この子にはとてつもない妖が憑いているわ。尋常じゃない気配をたどって私はここまで来たの。こんな近くにいながら気が付かないなんて…。」
「姉さん、つゆは純真よ!妖なんて憑いていないわ!」
「問答無用、この子は連れて行きます。」
静鶴はつゆの手を強引に引こうとした。その瞬間、彩芽は右手を前に差し出した。すると彼女の身長ほどもある長い木の杖が現れた。彩芽はそれを握ると、意を決して言った。
「たとえ姉さんであってもそんな理不尽は許しません。つゆの手を離して!」
「彩芽、あなた本気ね。いいでしょう。久しぶりに稽古をつけてあげます。」
静鶴はつゆを掴んでいた手を離した。同時に虚空から真っ黒に染まった薙刀が現れた。静鶴はそれを掴み、彩芽に言う。
「いつでもいらっしゃい。」
静鶴は薙刀を下段に構えた。すかさず彩芽は杖で打ちかかったが、静鶴は軽くそれを払った。その直後すっと前へ歩を進め、薙刀を彩芽に対し横から振り払った。対する彩芽は杖を縦に構えて薙刀を防いだ。杖と薙刀がぶつかった瞬間、激しい音が炸裂した。
「体術はなまっていないようね。」
静鶴が言うや否や、彩芽は杖を横に振るった。すると杖から暴風が生まれ、静鶴に向かって吹き荒れた。静鶴は上空へ跳ね上がり、境内の木の上に場所を移した。静鶴は冷酷に告げる。
「もう一度言うわ、その子を渡しなさい。姉妹で無駄な争いはしたくない。」
「姉さんこそつゆを連れて行くのを止めて!この子は何も悪くない!ずっと私が傍で見てたんだから!」
静鶴は彩芽の返答を聞くと、再び地面に舞い降りた。
「彩芽、これは現世の危機なのよ。あなたが必死に止めても、私は私の責務を果たすのみ。」
「姉さん。もう聞かない。何があっても私はつゆを守る。それだけよ。」
彩芽は固い決意の言葉を静鶴にぶつけた。それに対し、静鶴からの返答は無かった。その代わりに静鶴の纏う気が、先程の冷静なものから、強烈な怒気を孕んだものに変わっていった。そして炎の如く彩芽を睨みつけた。相対する彩芽は怯まずに静鶴を睨み返した。杖に気を込めると、雷光が杖に満ち、黒い雲が空に立ち込めた。風と雨と雷を手足の如く操る彼女の能力が発現したのである。
姉妹は互いに睨み合ったまま動かなかった。つゆには、静鶴の怒気も彩芽の姿も今まで感じたことのないほど恐ろしいものであった。つゆは声も出せないままただ呆然と立ち尽くした。それは数分の間にも、一秒にも満たないようにも感じられた。
境内に静鶴と彩芽の二人の膨大な気が渦巻いていた。その片隅でつゆは為す術も無く震えていた。心の中はただ恐怖に満ちていた。すると突然頭の中に、ここにいる者以外の誰かの声が響いた。
「その恐怖、取り払ってやろうか。」
つゆは辺りを見回した。声の主は続けて言った。
「ふふ、これだけの力が集まれば、忌まわしき封印を破るなど、いとも容易い。」
声の主がそう言い終わると、姉妹の間に満ちていた気の固まりが突然つゆに向かって迸った。つゆの体が太陽のように激しく輝いた直後、彼女は叫ぶ間もなく気を失った。
四の章 届かぬ刃と失われる希望
姉妹は突然の出来事に対し何も出来ず、ただ倒れたつゆの方を見つめるのが精一杯であった。辺りに溢れていた膨大な気は消え去っていた。しばらくして、静鶴はつぶやいた。
「まさか、これが目的だったなんて…。」
「姉さん、それはどういうこと?」
すぐにつゆの体に異変が起こった。倒れ伏した背中から煙が渦のようにとぐろを巻いた。煙の固まりはゆるゆると上昇しながら、次第にその色を濃くしていった。
「我は煙羅煙羅。地獄の業火より生まれしもの。」
「まさか、お前が…。」
静鶴は絶句した。煙羅煙羅は煙と炎の妖で、普段は自ら選んだ少女の心の中に潜み隠れている。しかし一度現れれば、その煙の体で集落一つを瞬時に包み込んで地獄の業火で焼け野原と化してしまう。そして退けようにも、すべての刃はその煙の体を貫くことができず、あらゆる退魔師の術は為すすべも無く躱されてしまう。煙羅煙羅は静鶴が今まで戦ってきた妖を凌駕する存在であった。彩芽も言葉を失っていた。
「まさか、つゆの中にそんな妖が潜んでいたなんて…。もしかして隣町の住人が彼女を忌み嫌っていたのは、このことに気づいていたからなの?」
彼女たちからやや離れていたところで倒れ伏していたつゆは、意識を取り戻した。全身の力が抜けたかのような脱力感を感じたが、ゆっくりと身を起こした。そして彩芽と静鶴、煙羅煙羅の間に満ちた張り詰めた空気に息を呑んだ。
静鶴は怒気を込めて煙羅煙羅に問う。
「貴様、古の退魔師より二度と復活が叶わぬように強力な封印を施されたはず。どうやって解いた!」
煙羅煙羅はふざけたように軽く答えた。
「お前たちが姉妹喧嘩をして吐き出した気が、封印を解くのに充分な量だったからだ。娘共のお遊びにしては上出来だな。」
静鶴はこの言葉に激しい怒りを覚え、薙刀を繰り出した。
「散れ!煙羅煙羅!」
彼女の薙刀は、あたかも何本も同時に煙羅煙羅に向かって振るわれているように見えるほどの速さであった。しかし、切っ先は煙羅煙羅を貫くものの、文字通り煙を切るがごとくであった。
「無駄無駄無駄ァ!」
煙羅煙羅は全く動じず、逆に煙を凝縮した礫を静鶴に放った。静鶴は薙刀を振り回して躱したが、幾つかは彼女の着物を容易く切り裂き、肌に傷をつけた。
「姉さん、下がって!」
彩芽は静鶴の前に立ち、杖を左手に持ち替え、右手を煙羅煙羅に差し出した。すると大きな雷の塊が現れた。
「はっ!」
彩芽が気を込めると、雷光が一直線に煙羅煙羅に向かって迸った。それは瞬時に煙羅煙羅を包み込み激しい光を発したが、すぐに煙に包まれ消滅した。そして、煙羅煙羅の体が一回り膨らんだ。
「無駄無駄無駄ァ!雷は我が血肉と成すことが出来る。お前の攻撃は全くの無駄だ!」
「ならば!」
次に彩芽は杖を地に突き刺し、両の掌を合わせた。すると静鶴と対峙した時の何十倍もの、台風の如く荒ぶる風が渦巻き、煙羅煙羅を襲った。しかし、一度は暴風で消し飛んだかに見えた煙羅煙羅はしばらくすると再び集まり、元の姿に戻った。彩芽は歯噛みするしかなかった。彼女の術は巫女として人々を守り育むものである。雷も風雨も確かに厳しいものだが、大地に恵みをもたらし人々の暮らしを豊かにする。ただ人を傷つけるのみの術を彩芽は持っていなかった。
「小娘共よ、私も忙しいのでな、けりをつけさせてもらうぞ。」
煙羅煙羅の体から激しい光の塊が生まれた。炎とも雷ともつかないそれは、煙の体の中を一巡し、そして大地に叩きつけられた。閃光が炸裂し、辺りは地獄の業火に包まれた。姉妹とつゆは逃げる暇もなく、炎の中に身をうずめていった。
五の章 決意と禁忌、そして…
つゆは目を覚ました。隣にはつゆの左手を力強く握った静鶴の姿があった。静鶴とつゆは、少し離れた前方で倒れ伏している彩芽の姿を見つけた。煙羅煙羅が業火を放った瞬間、静鶴は防御の陣を張り、つゆをその中に引き入れていた。静鶴は彩芽も守ろうと、彼女の腕を掴もうとした。しかし彩芽は素早く前に進み出て、その身を盾にして煙羅煙羅の発した業火に立ち塞っていたのであった。
「彩芽、しっかりしなさい!」
静鶴は叫ぶ。しかし彩芽の着物は激しく焼け散っていた。巫女の装束に込められていた防御の力によって最悪の事態は逃れていたようだったが、失神しておりこれ以上の行動は不可能なことが誰の目にも明らかであった。 薄れゆく意識の中、彩芽はつゆを連れ帰った時のことを思い出していた。
『あなた、大丈夫?怪我は無い?』
『梅雨の頃に出会ったから『つゆ』、そう呼ばせてもらうわね。』
『つゆ…』・・・・・「つゆ!」
奇跡的に彩芽は意識を取り戻した。彼女のつゆへの強い想いがそうさせたのだろうか?しかし彩芽は満身創痍であり、荒く息を吐き、体をふらつかせながらゆっくり立ち上がるのがやっとであった。
「煙羅煙羅、絶対に許さない。私の手で倒す!」
「瀕死の小娘に何が出来る。他の娘共々、即刻引導を渡してやるわ!」
煙羅煙羅の煙の体の中から再び激しい光の塊が現れた。あれをもう一度受けては煙羅煙羅の言う通りになってしまう。静鶴はそう思った。しかし彩芽は違った。つゆを振り返り、優しく、決意に満ちた声で凜と告げた。
「つゆ…あなたは私が守ってみせるわ。必ず、ね。」
彩芽は再び煙羅煙羅を正面に見据え、精神を集中させ両腕を前に突き出し、指先で複雑な印を組み始めた。同時に人語とは思えぬ音階の詠唱を始めた。
「それは…もしかして!止めなさい、彩芽!自分の身を犠牲にするつもり!」
静鶴は制止しようと彩芽に駆け寄った。しかし彩芽の周囲に輝く円陣が現れ、静鶴を弾き飛ばした。彩芽はただひたすら詠唱を続けた。
「やってみるがいい、小娘。無駄だがな。」
煙羅煙羅の挑発にも乗らず詠唱を続ける彩芽。その音階は時には高く響き、時には地を這うように低く響いた。足は震え、立っているのがやっとのはずなのに、詠唱には力強さが宿っていた。 やがて、煙羅煙羅の周囲に異変が起こった。光の輪が煙羅煙羅を包むと同時に、後ろの木々や山々が歪んで見えるようになった。静鶴には分かっていた。あれは数年前、彩芽を巫女として送り出す際に、決して行使してはならない禁忌として授けた秘術であった。全身全霊を残さず振り絞ることで、ある奇跡を起こす。しかし代償として自身の身を確実に滅ぼすものであった。 煙羅煙羅を包む光の輪はやがて渦と化し、空間の歪みは誰の目から見ても異常であった。 「こ、これは…、なぜだ、渦に引き寄せられる!」
煙羅煙羅は初めて驚愕の声を発した。 彩芽の持つ力は気象や空間、地脈を操る。その力を限界にまで昇華させ、この世ではない別の世界に通じる穴を作る、それが彩芽の秘術であった。
「こ、小娘め、よくも!」
煙羅煙羅は光の渦の中へと吸い込まれ、脱出する事も叶わずそのまま消滅した。同時に、彩芽は詠唱を止めた。光の渦も輝く円陣も消え、彩芽は地に倒れ伏した。 「彩芽!」
「彩姉!」
誰の叫びも彩芽に届かなかった。
六の章 梅雨の雫と奇跡
煙羅煙羅は彩芽が倒した。しかし彩芽も倒れ伏したまま動かない。静鶴は自らの怪我をかばいつつ、ゆっくり近づいた。彩芽の顔は蒼白で血の気が全く無く、呼吸も止まっているようであった。その時、今まで呆然と立ち尽くすのみであったつゆが、泣き叫びながら彩芽に抱きついた。
「彩姉!彩姉!いやー!!」
つゆは脇目も振らず泣き叫んだ。双眸から涙の粒がぼとぼとと彩芽の顔にしたたり落ちた。 梅雨の雨の如く落ちる涙。静鶴は、涙の粒の中に、非常にかすかではあるが清らかな輝きを見た。
「あれはもしや…。」
彩芽の顔に落ちたつゆの涙の粒に、次々と清冽な光が宿りはじめた。光は徐々に強くなり、彩芽の全身を覆い、蒼く激しく輝き始めた。
「まさか、あの子は、古の癒し手の末裔?」
静鶴がつぶやくと同時に、光の輝きは絶頂に達した。そして、光は唐突に消えた。静鶴はそこに奇跡を見た。
「う、ううん…、つゆ?」
彩芽の目が開き、つゆの名を呼んだ。
「彩姉!」
つゆは感激のあまり叫んだ。彩芽の顔に生気が戻り、ゆっくりではあるが上半身を起こした。そして元の慈愛に満ちた笑顔で優しくつゆを抱きしめた。
「ありがとう、つゆ。今度はあなたが私を助けてくれたのね。」
つゆは彩芽の胸に顔を埋め、何度も首を縦に振った。二人にはそれ以上の言葉は必要なかった。
「もう、驚かせるんじゃないわよ。」
静鶴は安堵の表情を浮かべ、妹の奇跡の復活を心から喜んだ。
結の章 梅雨の空を見上げる巫女
あの日の後、彩芽は自室で傷を癒やしていた。つゆは自ら申し出て、彩芽を甲斐甲斐しく看病していた。
「癒し手の末裔のその子、きっといい巫女になるわ。」
静鶴はそう言い残し、どこへともなく去って行った。 つゆは未だに、自分にあのような妖が取り憑いていたとは信じられなかった。しかしあの日以来、自分の心の傷が少しずつ癒やされていくのを実感していた。もしあの町へ帰ることがあったとしても、今なら住人達に素直に笑顔を向けられるような気がした。もちろんそれはつゆの我儘ではあったが、彼女を覆っていた暗い影が完全に消え失せたことも意味していた。自分を身を挺して助けてくれた彩姉のおかげでこうなれた、と感謝の念を持って彩芽の方を振り返った。
「あ~、お腹空いた~。つゆー、おかゆまだ~?」
彩芽はのんびりした声で食事をねだった。そんな彩芽を微笑ましく思いつつ、つゆは笑顔で返事をした。
「はい、今お持ちします、彩姉!」
彩芽も朗らかな笑顔でいつも通り答えた。
「修行中は彩芽様、でしょ?」
二人はくすくす笑うと、相通じるようにお互いを見つめた。 季節は梅雨、じめじめして嫌な季節だという人も居る。しかしその雨のおかげで稲が育ち若葉が茂るのだ。少しでも人々の豊かな暮らしの手助けが出来る巫女になりたい、とつゆは決意を新たにし、彩芽と共に雨の滴る梅雨の空を見上げるのであった。