表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界輪廻のアシリレラ  作者: 道峰ユヤ
16/16

十五滴『一振りの下に伏す、その絶望と共に』

 少しずつ、意識が戻るのを感じる。

「っ……」

 完全に手放したはずの生にまだ燻ぶるだけの力が残されていたのは、幸か不幸か。

 呼吸と思考の次に動かせたのは、眼球。次いで蘇ったのは痛覚と嗅覚。死して尚身体の痛みの発生源を探しつつ、土の臭いを感知する。生きるため、そして任務を成し遂げるために施された躾けの根深さに、ツヴァイは呆れ果てた。

「俺は……?」

 暗転する前後の記憶を求めるが、徐々に膨張する生の実感に眩んで見えなかった。

 湿った土を引っ搔いて、立ち上がる。

 狂った平衡感覚に煽られ、右膝を付く。エインに寸断され失った下腿の断面は、出血した痕跡すらない。まるで施術後の患部の如く、再生した皮膚に覆われている。

 ふら付く全身と呼吸を落ち着かせ、ゆっくりと辺りを見渡す。

 青々と茂る森は、眠ったように静かだった。枯れ枝のように根元から折れた倒木だけが、ここで起こった戦いの痕跡だった。

「生きてんのか……?」

 そびえる大樹を支えにして、ツヴァイは今一度立ち上がる。

「マジかよ……」

 視界がぼやける。頭痛も酷い。血を失い過ぎた影響もあるが、それ以上に眠っていた時間が長過ぎた。

「どれだけ寝てたんだ……? 」

 恐らく数週間単位での昏睡だろう。一日や二日程度の眠りが覚醒の妨げになることはないが、エネルギーを蓄えた上で休眠状態に入るならともかく、それ以上の眠りであれば餓死してしまうからだ。

 エインに刺された腹部に触れる。痛みはない。衣服に付着した血液はとうに乾き、患部の傷口も完全に塞がっていた。

「チクショウ……!」

 いっそ一思いに殺して欲しかった。だが、不甲斐なくも生かされた。

 エインに不殺の意思があったかは定かではない。だが切り結んだその瞳に躊躇の枷が掛かっていたのは確かだった。

 そして、そんな相手に対して、時間稼ぎすら出来なかった。

 歯噛みする。奥歯が軋む。

 それでも、重い身体を引き摺るしかない。ツヴァイはドライが進んだ方向を目指した。

「チクショウ……!」

 ドライなら躊躇なく殺せるというのか。辿り着いたその場所を踏み締める。

「チクショウ!!」

 朽ちた棺とクローンアーミーの亡骸に追い付いて、気付いた。

 エインはまだ生きている。当然アシリレラも。この世界が未だ存続していることがなによりの証拠だ。

 そんな中で自分は生かされた。何のために? 誰のために?

 目指す地のない現世を今一度彷徨うことになるのは、幸か不幸か。

 終わらせるための戦いに失敗したツヴァイは、それでも尚戦うことを強いられる運命を呪った。

 惨めに泥を啜って這い回ることには慣れている。如何なる困難であろうとも、抱いた目標への道ならば邁進することが出来た。

 だが一度掴み掛けた光が指の間から擦り抜けてゆく感覚が、ツヴァイの心を手折ろうとして止まない。

 それでも、今は進むしかないのだ。残された世界の残滓の中、必死に生きようとする者を探し出して、光を再び手中に取り戻す、その時のために。

 

 カルモーを横断する街道では、衝突と崩壊が続いていた。

 地表ごと抉り取らんばかりの衝撃が一面に響き渡る。地で、宙で、あらゆる場所で。

 衝撃が均等に拡散することはなかった。ひと際大きな振動の波が、花弁型に放散する。

 花弁の発生源から一粒の影が打ち出された。小さな影は弾丸となり、最速を維持したままカルモーの家屋に突き刺さる。

「かはっ……!」

 瓦礫が固いと思ったのはいつ以来だろう。容易に打ち砕ける筈の瓦礫に預けた全身が、まるで拉げたように、際限なく軋む。

「げほっ……!」

 気道を塞ぐ血液を吐き出す。裂傷を負った額から流れ落ちる滝越しに、エインは青空を仰いだ。

「腑抜けたか?」

 一歩。近付く足音が、砂利を踏み締める。

「口程ほどにもない。世界種などと言っても、戦いから離れればこんなものか」

 消せる筈の足音。それをあえて響かせることで、自身の接近を知らせている。それは威嚇か、はたまた余裕の表れか。

 また一歩。足音が近くなる。

「くそっ……!」

 意を決して、エインは跳ね起きた。

 敵の……フィーアの姿をしたそれの襲撃に備え、構える。

「こっちだ」

 声は背後から。振り返る間もなく、エインは蹴鞠のように弾き飛ばされた。

 声すらその場に置き去りにして、街の対角にある区画まで飛翔する。飛ばされた先で待ち受けていたフィーアに喉元を捕まれ、エインはようやく停止した。

「つまらんな」

 咄嗟にフィーアの右手を掴み返す。華奢な腕。これまで幾度となく打ち合ってきたものと変わらない、きめの細かな白い腕。

 エインは声を潰されながら呻いた。

 この腕を振るうのは、いったいどんな怪物か。エインは両足を浮かせたまま、フィーアの瞳を覗き見た。

「こんな奴に苦戦させられていたと思うと、我ながら頭にくる」

 それは、静かな瞳だった。揺らぎのない瞳は、戦いの中にありながら、波のない湖面の如く、平静を保ち続けている。

 よく知るフィーアの瞳そのものだ。眼光こそ鋭くあれども、瞳の奥に隠した炎まで、エインの知るフィーアのそれとなに一つ違わない。

 だが、目の前にいるフィーアは、まるで別人であった。

 フィーアはエインに対抗すべく、その身に備える精神を幾度も切り変えながら立ち向かって来た。その度に、戦闘力も人格も、まるで着せ替えたかのように大きく変化してきた。

 そして今回見せた変化を以って、フィーアはいよいよその全容を別の次元へと移したのだ。

「このまま縊り殺しても構わんが……どうする?」

 エインに掴み返されていることなど意に介す様子もなく、首を握る力を強めてゆく。

「こ、のっ……!」

 ぶら下がったままだったエインの左足が、風を切る。

 軸足は使えない。唯一支点として機能するのは、掴み返したフィーアの腕だけ。だが、それで充分だ。

 足元から閃光が走る。蹴りがフィーアの頬を捉える。

 まるで剛体を打ち据えたようだった。これ以上ない打感を左足に感じながらも、フィーアは顔色一つ変えず、エインの返答を受け止めた。

「下らん答えだ」

 そして、表情一つ変えることなく、吐き捨てる。

 わざと蹴られたのだ。受けようと思えば、開いたままの片手でいくらでも受けられた。衝撃を逃がそうと思えば、エインを捕らえた腕を動かし、衝撃を流すことも可能だった。

 だがフィーアは一切の抵抗を見せなかった。頭部へのダメージすら無意味であると。圧倒的な戦力差を、その身を以ってエインに思い知らせるために。

 エインの返答に、フィーアは締め上げていた手を緩める。

 自由になり落ち行くエインの下で、フィーアの身体が翻る。

 打ち込まれたのは足刀。大地を踏み返さんばかりに張り詰められた右足が、エインの腹部に深々と届き込む。

「っぐ……!?」

 漏れ出したのは、肺に残った空気と、鮮血。

 これまでのカルモーでの戦いのダメージの総量を遥かに上回るエネルギーが、矢のような衝撃波となってエインを吹き飛ばした。

 視界が明滅する。次の瞬間、地面への直下を強制される。音に限りなく近い速度で打ち出されたエインを、フィーアが拳で叩き落としたのだ。

 エネルギーが水平から垂直に、一切の減衰なく変換される。大通りの路地を突き破って、エインは地下道に叩き付けられた。

「ぐ、あ……!」

 地下の湿った地面を背中に感じながら、血の塊を吐いた。

 いったいどれ程の血を失ったのか、今となっては分からない。

 共に零れ落ちた瓦礫の遠く向こうに、青空が見える。雄大に広がっているはずの空も、こんな小さな穴から見上げたのでは、ちっぽけな水溜まりのようだ。

 アシリレラの目には、世界はこんな風に映っていたのだろうか?

 一瞬、耽る。現実逃避か、あるいは、走馬灯か。

 そんな悠長な感慨の最中、胸倉を引き上げられて、現実に引き戻される。

「こんなものではない筈だろう」

 違う。今見るべきは、目の前の敵。過去でもなければ、目を背けることでもない。

「そうでなければな」

 高々と掴み上げられたエインの目は、まだ死んでいない。

「見せてみろ。貴様の本当の力を」

 フィーアは、エインを上空へと投げ飛ばした。

 意識が持っていかれそうになる程の上昇加速に、思わず声が漏れる。

「馬鹿力……!」

 しかしながら、この投擲力だけでも分かる。それ程までに、今のフィーアとの力の差は歴然だ。

 フィーアの力、技、そして速さ。どれを取っても、今のエインでは到底太刀打ち出来ない。しかもフィーアはまだ相当の余力を残している。それでいてこちらの拳は鼻先にさえ届かないのだ。

 捌かれ、受け止められ、被せられ、二手先まで先制される。

 当然だ。フィーアの本分は素手での白兵戦。戦闘特化型のホムンクルスではないとはいえ、単純な技術面に於いて他のホムンクルスの追随を許すことはない。

 そのフィーアが、命のセーフティを外してまで力を発揮しているのだ。身体能力と実戦経験だけで押し通すエインとの打撃戦を制することなど、フィーアにとっては赤子の手を捻るように容易い。

 対し、剣術に本領を見るエインにとって、今は本来の強さの半分も出し切れていない。

 もし、ドライとの戦いで失った剣が健在であれば、少しは戦えていただろうか?

「っ……!」

 腕を交差する。その交点へ、拳が振り下ろされる。

 浮遊感が反転する。カルモーの上空から市街地目掛けて、一筋の彗星が打ち込まれた。


 ひたすらに走った。ただ真っ直ぐに、流れてゆくカルモーの街並みを、振り返ることなく。

「はあっ……はあっ……」

 誰に手を引いてもらうことなく走る。

 どこまで来ても同じだった。いざという時、自分は逃げることしか出来ない。せめて遠くまで。エインが迎えに来てくれることを期待して。

 屋敷から逃げ出した時も、独り戦い続けるエインを、アシリレラは肩を抱いて待つことしか出来なかった。

 あの時と違うことがあるとすれば。

「ミネットさん?」

 隠れ家の先。ポータルを潜ったその先で、ミネットが待っていた。

「無事だったみたいね」

 断崖の縁に立つ。その背中越しの呟きが、アシリレラを迎えた。

「ミネットさんも、よくご無事で……お怪我はありませんか?」

 静かに佇むミネットの姿に、アシリレラは胸を撫で下ろした。だが、ミネットがその問い掛けに応える様子はなかった。

 寄せる大波が断崖を打つ。悶えるような白波の音だけが、二人の間に流れる時を揺らした。

「ミネットさん?」

 ふわりと。

 断崖の真下目掛けて、ミネットの身体が舞う。見るのは二度目とはいえ、見慣れることはない。

 アシリレラは小走りで縁まで駆け寄って、屈み込んだ。

「戻れるか、分からないから」

 岩肌から飛び出た足場に降りたミネットは、今一度、慣れた手付きで、真円のようになめらかな囲いを描く。

 幾何学的で、法則性の強い図形。時には三角形を、時には歯車のように凹凸のある幾重もの小さな円を。

 これまで幾度となく繰り返した工程。ミネットの指捌きが、外苑を埋め尽くす。

「これで……」

 そう、これで。

「アシリレラ」

 ミネットは徐に立ち上がると、頭上のアシリレラに手を伸ばした。懐に潜り込むように伸びて来た手に有無を言わさぬ力を感じて、アシリレラは思わず握り返そうと手を返す。

 白く、無垢なままの手と、土を掻き分けてきた手が触れる。

 そして。

「っ……」

 ミネットの手に触れた瞬間、全てを受け取った。

 生と死を司る、世界樹。アシリレラはその世界樹の新たな命。

 魂の色。生命の状態。命の輝き。手に取るだけで、手に取るように全てが分かる。

 ミネットに抱き止められるようにして、アシリレラは断崖の足場に降り立った。

「結局何の卵か分からなかったわね」

「そう、ですね……」

「まあ、無事孵化出来れば良いわ、なんでも」

 素っ気なく言い放つ姿は、二人が初めてここに来た時となにも変わらない。

 変わらない筈なのに、アシリレラの目にはなにもかもが違うものに見えている。

 出会ったのは、ほんの数日前。それは見送ってきた時に比して、一瞬にも満たない、僅かな時間。

 その一瞬に、彼女は何を思い、何を感じたのか。

 香のような思いも、感情も。今だけはアシリレラでさえも推し量ることは出来なかった。

「さようなら」

 もうここに戻ることはない。

 孵化することのない卵に別れを告げて、ミネットとアシリレラは屋敷へ戻った。

 

 屋敷の前に立つ。そこでミネットが歩を止める。

「そこで待ってて」

 促され、裏手へ消えてゆくミネットを見送ると、アシリレラは言われるがまま立ち尽くした。

 追い掛けたかった。今ミネット見失ってはならないと思ったからだ。

 ほんの数分。待ち焦がれるアシリレラの横を、風の音だけが数多過ぎてゆく。

「お待たせ」

 素っ気ない声に、アシリレラの心臓が跳ねた。

「いえ、待ってなんて……」

 いない筈がない。失いながら、孤独な未来を永遠に待つのは、もう散々味わった。

「それは?」

 ミネットの手には、見慣れない、一振りの太刀が握られていた。

「持って」

 漆黒の柄に、相対する曙色の鞘。どす黒い深紅の柄巻と下緒に、金色の柄頭。

 思わず受け取った太刀は、両手で持っても余す程に重たかった。

「あいつに届けて」

 エインは刀剣を用いてこそ、本来の力を発揮する。ここに来るまでの戦いで失った物は多い。エインの得物もその一つだ。

「ミネットさんが作られたんですね」

 アシリレラは刀剣に関しての知識を持っていない。だがこの太刀にミネットの感情が強く込められていることは、触れただけで分かった。

「あなたが気に病むことはないでしょう」

 アシリレラの表情を見て、ミネットは嘆息する。

「さあ」

「ミネットさん……」

 エインに刃を振るわせるよう、促すのだ。

 だが、素直に頷くには、目の前の現実はアシリレラにとってあまりにも。

「また繰り返すんでしょうか……」

「……え?」

 抱え込んでいたものを、少しずつ形にして吐き出してゆく。

「私のために……私が、この世界で生きるために……」

 生きるために、奪い続ける旅。

 もう何度も失ってしまった。失うことでしか明日を得ることは出来ない。始まった時から終わりへ向かう旅。果てなど知る由もない旅。

 それでも歩み続ける。そのための一振り。ミネットが己の心血を滲み込ませた、悔恨の太刀。

 それを届けてまで、自分は何がしたいのか。

 何を得ようとしているのか。

 この世界で。

「よく聞きなさい」

 だが握ってしまった太刀を戻すことは、もう出来ない。

 ミネットが、太刀を握る手を両手で包む。

「あなたが始めた旅ならば、終わらせることが出来るのもあなたよ」

 その口から綴られる言葉と共に、現実が伝播する。それでも淡々と、いつもと変わらぬ様子で語り掛ける。

 香る程度に強い語気だけが、本心を暴いていた。

「けれど、そうじゃない。これはあなただけの旅じゃない。分かっている筈でしょう」

「だから辛いんです。二人で歩いているようで、辛いこと、嫌なことを私は何一つ知らないんです。エインの未来さえ。これじゃあまるで……!」

「お姫様ね」

「それでも、知らない素振りを続けるしかないんです。もし私が知ってしまえば、エインは悲しむから……。そういう旅だって、私に知られたくないって思ってるから」

「囚われのお姫様」

 凍り付いた時間から逃げ出して、それでも尚、世界はアシリレラを捉える。

 両足に絡み付く茨を裂く代償は、誰かの命。そして、かつて失われたこの世界の全てのもの。

 そしてその茨を引き裂く度に、傷を負う者がいる。自分は茨の痛みすら知らぬまま、傷口を隠す痩躯の前で笑顔を被り続ける。

 それが、この旅の本質。

「例え屋敷を抜け出しても、この世界にいる限り、私は……」

「違うわね」

「え?」

 奥底で循環する思考の海流から引き上げられ、アシリレラは頭を上げた。

「見付けなさい」

 崩壊し掛けた瞳を覗き込むミネット。眼前にある筈のその双眸が虚像であることが、アシリレラにとっての苦痛と現実そのものだった。

「見付けられない何かを見付ける。旅ってそういうものでしょう?」

 確かに、その姿は虚像かもしれない。だが、感情も、言葉も、込められたものは全て本物だった。それはミネットの本心そのものであり、長い時の中で抱き続けてきたもの。そして、この世界に残したかったものだ。

「いつまでもこんな地下の底にいては、なにも見付からないわ」

 悠久の時を暗闇で過ごすうちに、忘れつつあったものがある。

「見付けてきて」

 それは、この世界を旅するための地図のようなもの。

「私の代わりに」

 もう見付けることの出来ないそれを託すために、ミネットは戻って来たのかもしれない。

「ミネットさん……」

 しっかりと、もう離さないと握り締めた太刀は、世界を切り開くための物。

 後悔は残さない。

「はいっ……!」

 そんなちっぽけな想いを受け取って、アシリレラは強く頷いた。

 踵を返し、走り出す。見失う前に、最後に一度だけ、振り返って、深く頭を下げた。

「ありがとう」

 遠く遠く離れてゆく。その背中を見送る瞳は、悔恨と蟠りを切り開いた先の光だけを見ていた。

 以降、振り返ることはない。例え振り返っても、そこにはもうなにも残っていない。

 

 カルモーを揺るがす応酬は止まることなく続いた。

 エインは何度打ちのめされようと、その度に立ち上がった。

「グッ……!」

 垂直に飛翔する拳がエインの防御を擦り抜け、腹部を捉える。

 膝が顎を打ち上げ、上擦った喉に手刀が迫る。

「少しずつ……」

 それを、エインの両腕が受け止めた。

「見えてきたぞ……!」

 ここにきてエインの世界種としての特性が強く現れる。戦いの中で加速度的に成長する、相手を打ち倒すための特性だ。

 目が、耳が、そして第六感が、目の前の敵を越えるために臨界点に達する。 

「では試してやる」

 それまで目で追うのが精一杯だった、矢のような右腕。それに反応し、首を傾けて後方に逸らす。

「ほう」

 伸び切った肘を取った。担ぎ、直下に叩き付ける。地面に激突する瞬間、フィーアは反対の腕一本で受け身を取った。

 舞い上がった両足をエインの後頭部に浴びせる。フィーアは手を振りほどき、両手を支えにしてエインの顔を蹴り上げた。

 空を切る。打感が感じられない。エインは上体を逸らして直撃の衝撃を逃がしていた。勢いのまま仰け反ったエイン目掛けて、フィーアは拳を振り下ろした。

 だがエインはそれを読んでいた。限界まで仰け反ったエインは後転しながら足をしなり上げ、フィーアの顎を打った。

 一瞬の虚に差し込まれた打撃に、フィーアの拳が止まる。

「負けられない……」

 体勢を整え、相対する。

 打ち合いの後、エインが両足で立ったままフィーアと対峙したのはこれが初めてだった。

「必ず、アシリレラを迎えに行く……!」

 眼光がフィーアを射貫く。

「なるほど……はったりではないようだ」

 久しく感じることのなかった強い殺意。

 意表を突くような動きとはいえ、顎を捉えた一撃は鋭く、そして正確だった。リミッターを完全に外した今のフィーアにとって痛覚はおろか、臓器を揺るがす衝撃でさえも然したるダメージにはならない。それでも、エインの一撃が戦闘用のホムンクルスさえ脅かす程の物であることが、情報として伝わって来る。

「やはりお前は危険過ぎる」

 フィーアの両手が上がる。身体の前でゆらりと揺れるしだれ柳の如き五指。エインとフィーアを隔てるそれは次第に熱を持ち、玉鋼のように赤熱して濛々と湯気を立て始めた。

「あまり時間は掛けられん」

 この身体も持って後数分が限界だ。フィーアレベルの肉体強度で世界種であるエインに肉薄するというのがどういうことか、それは自身が一番理解している。

「ッ……!?」

 身構える。エインを見据えるフィーアの目に、これまで以上の闘志と、決意と、そして殺気が膨れ上がった。

 瞬間、フィーアの両手が破裂し、その五指が炎を纏う。

「スパイラル」

 剛炎矛弾頭式十連装砲『スパイラル』

 真っすぐ突き出した五指に宿る炎の銃弾が、エイン目掛けて一斉に打ち出された。

「な……!」

 反応が遅れた。エインは咄嗟に真横に飛び込んだ。

 瞬間、着弾。

 数舜前にエインが立っていた地点より遥か後方、カルモーの敷地を越え、凡そ五里に至る地形を荒ぶる灼熱と空間を歪ませる程の爆炎が、根こそぎ吹き飛ばした。

 それが、更に十発。

 今度は大きく飛ぶ。決して見切れない程の弾速と破壊面積ではない。だが機関砲に匹敵する連射速度とエネルギーを前に、エインは逃げる他なかった。

 優に百を越える炎の矛。だが、エインはそれを、時に避け、時に上空に蹴り飛ばしながら、全てかわし切って見せた。

 破壊の限りを尽くした一瞬の静寂の後、煙を縫って、エインの死角をフィーアが取った。

「フレイム」

 兜と鎧、そして四肢を覆う、質量を持つ程に圧縮した炎。硬質の紅蓮装具を纏ったフィーアの確殺の一撃が、エインを捉えた。

 意識が薄れる。もらってはいけない一撃を、あろうことか胴に受けてしまった。

 それは一瞬か、或いは数分に渡る昏倒か。

 死にさえ届く紅蓮の剛爪が、エインの腹部を通り過ぎた。

 腹部から濁流のような炎が一直線に生える。抜かれた臓器が焼ける。出血はない。傷口が即座に焼け付き、濡れる間もなく潰された。

 貫通した炎が抜き去られる。既に胃の半分を喪失していた。膵臓の殆どと、大腸も半分程持っていかれたか。

 不思議と冷静に状況を見ている自分がいる。それこそ、意識と身体が分離して状況を俯瞰しているかのように。

 生命に危機に瀕して、感覚が拡大しているのだと思った。実際死に際の感覚を味わったのは今回が初めてではない。

 だが、今まで味わってきたそれとは、明確な違いがある。

 今、エインが握り締めた掌の中にある物は、何か。

 それは、もう戻らないと思った全身の感覚に、まるで問うように語り掛けた。

「立てるでしょう?」

 どうして、ここにいる。

 フンフはどうした? アシリレラは無事なのか?

「まだ、守りなさいよ」

 それは声ではない。鼓膜を介さず意識に直接訴え掛ける、言霊の一種だ。

 物に宿り、全てを委ね、自身の消滅と引き換えに、この世界に残す、最後の言葉。

「あの子が……見付けるまで」

 それを受け取った。受け取ってしまったのだ。

 ならばもう臓器を焼かれようが、腹を抉り抜かれようが、エインにとってそれは然したる問題ではない。

 アシリレラが望んで、それを伝えたのだ。

 ならば、それを叶えよう。この世界で、たった一つの答えを紐解くその時を、共に。

「は……」

 呼気。毛先が僅かに揺れるような緩やかなそれと同時に、エインの姿は掻き消えた。

「何……!?」

 フィーアは確かに、エインから目を離すことをしなかった。僅かながら自身の動きに対応し始めたエインに、確かな脅威を覚えつつあったからだ。

 瞬き一つ許さなかった。だがエインはその瞬間、全てのリミッターを解除していたフィーアの動体視力を上回った。

「走る時は、いつでも逃げる時でした」

 少女の声。

「アシリレラ様」

 接近に気付いていなかったとでも言うのか。

 そんな筈はない。彼女は特別な存在だが、特別な力も肉体の強さも持ち合わせてはいない。

 ではなぜ知覚を潜り抜け、彼女は目の前に立っているのだ。二つの予期せぬ事態が、フィーアを挟み撃ちにする。

「初めて、あなたに寄り添うために走りました」

「うん」

「追い付いて、駆け寄って、追い付けなくても、私は走りたい。この旅から、もう逃げたくありませんから」

「……ごめん」

 隠していたのは自分だ。

 この世界を歩く。そのための荷物は、アシリレラにはあまりにも重過ぎると思ったから。

 それが間違っていると薄々分かっていながらも、エインは一人で抱え込み続けると決意した。アシリレラの優しさが、この針の山のような荷物を降ろさせようとすると思ったから。

 だがそんな不安も、今、この時までだ。

「エイン」

「うん……ありがとう」

 漸く打ち解けた気がした。最期の障壁がすっと引いてゆくと、返す言葉が、自然と解れて。

「行って来ます」

 必ず、ここから旅立とう。どこへでも良い。あなたがいるなら、どこへでも。

 その手には、一振りの刀が握られていた。白い鞘に、反対色となる漆黒に濡れた刀身。

 茎に刻み込まれた銘は、今から凡そ四百年前。差表に刀工『オリーヴ・ノア』の名を携えて、エインの意思に呼応するように大きく、鋭く閃いた。

「決着を付けよう、フィーア」

 抜刀。勝負は一瞬で決する。

「死んで服従するには、まだ早い」

 フィーアはエインの太刀筋に反応すら出来なかった。

 魔女をして最高傑作と言わしめた刀はその名に恥じることなく、フィーアの纏う頑強な炎の鎧を、いとも容易く切り裂いた。

 切られた実感が湧かない。痛みらしい痛みすらなかった。だがエインが放ったたった一振りの斬撃は、炎の鎧ごとフィーアの肋骨を全て唐竹割にしてみせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ