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世界輪廻のアシリレラ  作者: 道峰ユヤ
13/16

十二滴『砂地の魔女』

 応急的に巻かれた包帯は、結論からすると殆ど役に立ちはしなかった。

「アシリレラを助けてくれたんだってね」

 負った傷は、半日でほぼ塞ぎ切った。瓦礫の上で倒れてここに運び込まれた段階で大きな傷は残っておらず、全身に点在していた擦り傷から僅かな出血があっただけ。現に包帯は白いままだ。倒れ、眠りに付いたのは、受けたダメージの回復に多くのエネルギーを割いたからに他ならない。

「アンタもね」

「ああ」

 互いに不遜に言葉を投げる。先に頭を下げたのはエインだった。

「ありがとう」

 言葉の中に一人分の謝意しか含まれていないことにミネットは違和感を覚える。と同時に、どこか尺に触る。

 なぜ自分はこいつを助けたのだろう。

 まるで悪気のないエインの様子に、ミネットは小さく嘆息する。別に礼が欲しくて助けたわけではない。極論、ミネットにとって他人など自分への悪意さえなければ、いてもいなくても構わない存在だった。

「アンタ、ホムンクルスでしょう」

 ホムンクルスの気配は、人間とは違う。

 アシリレラのように明確に判別出来るわけではないが、ミネットも、人間とホムンクルスを概ね見分けることが出来た。

 僅かだが立ち昇る、不快感を齎す煙のような熱苦しさ。

「そうだけど」

 特にエインから感じるそれは、他のホムンクルスとは明かに違う。

 立ち上がる熱量の差は、まるで蒸気のように熱い。エインのそれに比べれば他のホムンクルスなど、霧程の希薄さだ。

「嫌い?」

「ええ、嫌い」

 どこか煽るようなエインの物言いに、無関心のように言い放つ。

「生意気」

「そうかな」

「だからよ。嫌いなの」

 ミネットはソファから腰を上げ、ベッドで上体を起こしているエインの包帯を剥がす。

 包帯は抗うことなくするすると剥がれた。皮膚に触れていた筈の面は、赤い糸のような血液が付着していること以外は綺麗なままだった。

 剥がした包帯を丸め、紙袋に詰めきつく口を結ぶ。

「はい」

「うん」

 促されて、エインはベッドから離れる。

 白い部屋を見渡した。窓の一つもない、簡素そのものとも言える飾り気のなさ。

「アシリレラは?」

 だがそれよりも、エインにとっての最優先事項をまず先に聞き出す。

「隣の部屋。今、アンタの服を縫ってる」

「服?」

「ボロボロだったでしょう」

 言われて気付く。見下ろすと、見慣れた確かに服は脱がされ、見覚えのないローブに、エインはその身を包まれていた。

「そう、か……」

「継ぎ接ぎだらけ」

「それしかないから。もう」

 エインは「アシリレラを見てくる」とだけ言い残して、部屋を後にした。

 

「おはよう、エイン」

 目に映ったのは、エインの寝ぼけ眼。

 久しぶりに見る油断し切ったエインの表情に、アシリレラの表情が綻んだ。

「おはよう」

 どうしてこの表情だけをずっと見ていられないのだろう。この道を選んでしまった時点で付き纏う、まるで呪いのような未来は、こうして時折愛おしい。

「もうすぐ出来ますからね」

 縫い合わせ、継ぎ接いで、紡いでゆく。

 何度も何度も繰り返す。針が生地から顔を出す度に、新しい土地が空いた穴を埋めてゆく。

「……ごめん」

 敷居を跨ぐのを、なんとなく躊躇した。

 直ぐにでもその目を見つめたかった筈なのに、直視するのを躊躇する。

「良いんですよ」

 アシリレラは手を止めずに、下げた視線のまま微笑んだ。

「何度だって、直しますよ」

「そうじゃなくて」

 言おうとして、アシリレラが先に手を止め、やめさせる。

「それ以上、言わないで」

 表情一つ変えず、そよ風のように諭すようにアシリレラは、エインにはなによりも強く見えた。

 エインはなにも言わず、戸に掛けた手を少しだけ握り直した。親指を掛けた戸板が少し痛々しく軋んだ。

 少しだけ、無言のまま時が続いた。

 アシリレラの手が動き出し、通す糸が傷口を覆い隠す。

「はい、出来ましたよ」

 綺麗に仕上がったエインの服を、心底嬉しそうに掲げて見せる。

「ありがとう」

 エインがローブを脱ぐと、過去に受け、白い肌に浅く残った傷達が、アシリレラの目に留まった。

 細い身体だった。自分より遥かに大きな敵に敢然と立ち向かう姿など、まるで想像出来ない。

 脇腹に走る枝のように細い傷。肩口から背中を横断する、歪な裂傷痕。左腕に腕輪のように刻まれた、最も濃厚な切断痕。

 エインは確かに戦ってきたのだ。戦争に引き出され、生き残るために。そして、何かのために。

 それは、エインがこれまでに刻んできた軌跡。

 そこに、アシリレラが知っているものは、ただの一つもなかった。

「あ……」

 気付けば見入っていた。

 はっとして上げた視線がエインとかち合うと、少し気まずそうに目を逸らされた。

「ご、ごめんなさいっ」

「うん……」

 エインは、そそくさと、渡された服に着替えた。

 元の寒色基調の色合いと、新しく整地された淡い桜色が、不思議と高い親和性を放っていた。

「どう?」

「似合っていますよ」

 確認するように見渡すと、壊れた上から急造されたそれらは、まるで、そのように収まるべき物であったかのように思えた。

 きっとそうなのだ。そうであって欲しいとは、言いたくなかった。

 

 応急的に縫い合わされたエインの服に、ミネットは珍しく感心して目を少し見開いていた。

「ふぅん。なかなかじゃない」

 ソファに身体を沈ませたまま、エインとアシリレラを見比べる。

「ありがとうございます」

 満足そうに微笑むアシリレラ。エインは二人の間で自然に行き交う言葉の柔らかさに安心感を覚えていた。

「良かったね」

「はい」

 恐らく、アシリレラにとってミネットは、エインを除けば初めての友人ということになるだろう。

 エイン以前に屋敷を訪れていた人物や機関のホムンクルスをどう思っていたかは分からないが少なくとも、アシリレラが生きる筈だった世界の住人として見れば、初めてのように思う。

「ところで……」

「はい?」

 途端に、怪訝な表情になるミネット。アシリレラを上から下まで眺めると、首を傾げながら立ち上がった。

 そして、そのままアシリレラに歩み寄る。妙な圧を感じて、アシリレラは踵一つ後ずさる。

「お、お金ならないです……」

「は?」

 思い掛けないところで、ほんの少し抜け切らないミネットへの警戒心が垣間見えた気がした。

 尤も、アシリレラにとってはミネットの顔が怖かったというだけの話なのだが。

「今更お金なんて持っててもしょうがないでしょう……。それより、こっち来なさいよ」

 手を持って、ベッドまで誘導される。ふと目覚めたときの記憶がフラッシュバックして、アシリレラは頬が少し熱くなったのを感じた。

「座って」

 言われるがままに腰掛けると、戸惑いながらエインに視線を送った。

 敵意はない。

 そう言いたそうだ。違う、そうじゃない。

 ミネットはその場にしゃがみ込むと、アシリレラのローブに手を伸ばし、太腿までたくし上げた。

「え? え?」

「……あなたも大概ね」

 捲られた足元を見つめる。

「あ……」

 痛々しくも厳重に固定された足が目に入り、アシリレラは、自身の負傷の度合いを今一度思い出す。

 折れた足は、もうすっかり完治していたのだ

 痛みすらない。まるで障子を張り替えるように、怪我の感覚など跡形もなくなっていた。それこそ、怪我のこと自体を忘れてしまう程に。

「つまり、やっぱりあなたが……」

「え?」

「なんでもない」

 アシリレラを縛っていた包帯と固定具を取り外す。

 本来の真っ白な肌が姿を表す。

 細かな傷は疎か、黒々と染み付いていた痣でさえも消え去っていた。

「……若いって良いわね」

 誤魔化すように言い捨てて、目の前の綺麗な肌を掌で軽く張ってやる。

「ミ、ミネットさんだってお若いのでは……?」

 理不尽に叩かれた軽快な痛みは、どこか心地良い。

 謙遜するように言い捨てられた言葉を拾って、アシリレラはミネットに理屈っぽく返す。

「そうかもね」

 買い言葉もないミネットの返答からは、表情さえも感じ取れない。

 アシリレラの傷の治りが早いことは、エインもよく知っていた。

 屋敷での生活に於いて、アシリレラはよく料理を作ってくれていた。

 その過程で、指を切ったり火傷をすることは一度や二度ではない。その度にエインが処置をしようと救急箱を持ち出すのだが、用意が出来る頃には、浅い傷など治ってしまっていることが殆どだった。

 秘密のある子なのだろう。だからこそ、政府も警護に力を入れるのだ。結局その秘密の全容は最後まで知らされなかったが、それも今なら納得出来るというもの。

「あなたももう着替えたらどう?」

 関心を失う素振りを見せるとミネットは立ち上がり、アシリレラに背を向け、再びソファに腰を下ろした。

「そうですね……あ」

「何よ?」

「私の着物も、直さないといけませんね……」

「はあ?」

 自分のことそっちのけでエインの服を直していたらしい。

 相手がエインだからなのか、それにしてお人好しが過ぎるアシリレラにミネットは思わず呆れてしまったが、そんなところを見せるからこそ、目を覚ましたあの時、無理に追い出さなくて良かったかもしれないと思わされる。

 

 アシリレラは再び、隣室にて衣服の縫い直しに着手し始めた。

 夜までの作業だ。間もなく日は沈む。尤も、窓のない部屋から夕日を見ることは出来ないが。

「ミネット」

「馴れ馴れしいわね。何?」

 エインとミネットだけとなった室内は糸を張ったように静かだった。

 静かなだけなら良い。だがエインのいる静寂はミネットにとっては静寂とは言い難い。

「これからどうするの?」

「これから?」

 ベタ付くような感覚から柔らかな心地で投げ掛けられる問いに、ミネットの脳が理解を拒む。

「ここにいるつもり?」

 聞いておいてなんだが、お互いにとって面倒なことになっている。それがどことなく共有出来ていることはエインもミネットも感じていた。

「出来ればそうしたいわね」

 だが無下に突っ撥ねることも出来ないというのが実情であって、もどかしくもあり、むず痒くもある。

「アシリレラが、気に入ってるみたいだ」

「そうね」

 だからこそもどかしく、むず痒い。

「それに、ここだっていつまでも隠れられるわけじゃない。いつ機関に見付かるか分からない」

「そうね」

 機関の手に落ちるのは気に食わないが、その時はその時だ。そう思って生き続けてきたミネットにとって、機関から逃走するということは首を縦に振る理由にはならなかった。

 なのにこの不愉快さを即座に振り払えないばかりか、仄かではあるものの、時間と共に薄っすらと舗装路が見え始めていることに戸惑いを隠し切れない自分がいる。

「そうね……」

 徐に立ち上がる。

「ねえ、少し見て欲しい物があるのだけれど」

 

 ミネットはエインを連れて、小屋の裏手に回った。壁に沿って備え付けられた大きなゴミ箱の蓋を開く。空になって久しいそれを、今度は観音開きに解放する。まるでパズルのように解放されてゆくゴミ箱だったそれは、最後に底部の

取手を持ち上げられ、地下への階段へとその姿を変えた。

「緻密な……」

「いつ襲われても良いようにね」

「機関に? 機関が相手じゃあ、こんな仕掛けしたって……」

「来て」

 何に襲われようが、エインには関係ないだろう。ミネットは追って話すことは敢えてせず、地下へとエインを招いた。

 壁は一面土嚢のように固められており、触れると土が薄っすらと指に着くものの強度や密度は石のようにしっかりとしていた。

 ミネットは壁に掛けてあった燭台を手に取ると、懐から取り出したマッチで火を点けた。

 完全な暗闇だったがぼんやりと照らされ、足元の低い階段がその姿を覗かせる。

 つんとするような土臭さの中を下って行くミネット。

「どうしたの?」

「……いや」

 エインが一瞬入り込みするのが見えた。ミネットの背筋に涼しい風が流れる。

 思わず口角が上がりそうになるのを抑えると、思わず目付きが少し悪くなる。

「早く」

「……分かってるよ」

 エインが少し早足で、ミネットの後に続いた。動きがいつもより硬いのは、ミネットの気のせいではない。

 

 最下部へと辿り着く。

 そこは小さな空間で、最低限の食料と生活空間が確保された蔵のようだった。

「備蓄?」

「だいたいそんなところね」 

 睥睨するエインを尻目に、ミネットは蔵の奥へと踏み入って行く。奥と言っても踏み入って数メートル。階段の麓から一望出来る向かいの壁に立て掛けられた木組の檻に手を掛けると、ミネットはそれを真横に開いた。

 檻の奥は更に細く狭い空間が続いていた。旋毛を擦りそうになりながら歩くミネットは平静そのものだったが、狭さと暗さにエインは僅かながらもストレスを感じていた。

 細道をどんどん踏み入る。終わりは直ぐに見えた。

「これは?」

 行き止まりの壁と同時に姿を現したのは、古ぼけた簡素な台座と、判別不能な記号的文字の綴られた長い掛け軸。両脇には火を失った背の高い燭台が突き立てられている。

 台座の天板には、垂直に伸びる四本の支柱があった。

 艶々と煌く漆喰の支柱は先端で二股に別れており、その股座で、同色の漆喰に濡れた薄い板と、反対色の白い筒をそれぞれ支え持っていた。

「……ミネットの物、ではないよね?」

 板は緩やかな曲線を描いており、その影のような漆喰はどこか下弦の月を想起させる。

 筒を抱えたもう一対の支柱は少し低い位置に添えられており、白い筒があって初めて、月の姿を完成させている。

「街で像を見たでしょう?」

「ああ、アシリレラが興味を持って、二人で探し回ってたよ」

 ミネットは台座の前に跪くと、三段ある引き出しの上段を開けると、中に納められていた巻物を取り出した。

「これは、あの像を掘った人間が作った物」

「オリーヴ・ノア」

「そう。これは、あいつの作品。人を殺めるための唯一の物にして、最高傑作」

 ミネットの口振りは赤の他人に対してのものではなかった。

 けれどそれすらも、いつものように無関心。装うように言って突き放し、一対の明暗を一瞥する。

 握り締めた巻物を解く。その内部は金型のように刳り抜かれていた。

 型に納められていたのは、長方形の握り手……柄と、鍔。そして小袋が一つ。

 次にミネットは、台座の中段を開けた。取り出したのは手甲。甲の部分に掛け軸と同じ記号的文字が刻み込まれた、白鋼の物だった。

 ミネットは手甲を嵌め、膝を突き合わせ、台座に向かい合った。

 一時、見つめ合う。二人揃い、共に動こうとはしなかった。

 先に手を伸ばしたのは、ミネットだった。

 黒い弧を下から摘み上げ、支柱から引き抜く。

 次いで、小袋からいくつかの金具を取り出した。穴の開いた楕円の薄い金板と、同様に穴が開いた、長方形の金具。

「それは?」

「はばきと切羽」

 素っ気なく答えると、ミネットは、金具を通してゆく。

 金属の擦れる音がどこか懐かしく感じる。久しぶりに耳にした筈だったが、それは不思議と聞き覚えのない波長を流しているように感じられた。

 最後に、柄を填める。柄頭を掌で叩き上げると、水を流すように柄の中に収まった。

 そして、目釘を差し込む。柄に当てがった目釘は、不思議なことに、まるで自らの意思を持つかのように柄へと飲み込まれていった。

「オリーヴは彫刻家であると同時に、刀匠でもあったわ。生計の支えとして、当初は家庭用の包丁や工具を作り出した」

 反り立つ弧を……漆黒の刀身を見つめる。

「けれどある日、オリーヴの刃が人を殺めた。いいえ、その刃があまりに鋭い物だった。それだけのこと」

「武器になると思われた」

「そうね……きっとそう」

 刀身を見つめる。壁に掛けた燭台の炎を受けて、漆黒の刀身が闇の中で艶かしく畝る。

 忌々しい物を睨み付けるように細められた目尻には、確かな憤りと、ほんの僅かな憂い。

 それは、誰に向けられたものだろう。エインには分からない。あるのは、微かに脳裏を擽るような、朧げな感傷。

「それが軍備への転用ならまだ良かった。けれど、先に目を付けたのは街の無法者だった。奴らは挙ってオリーヴの刃で人を切って回ったわ」

 ミネットは、視線をエインに向けた。

「そしていつしか、オリーヴは違う名を持たされるに至った。……魔女、とね」

 その刃は人を狂わせる。ただの包丁が、根拠のない幻を生み出し、人々の恐怖の受け皿となっていった。

「まあ、実を言うとね、あながち間違ってもいなかったのよ。オリーヴはある術を用いて刃物を作っていたから」

「術?」

「オリーヴは優れた土の術の使い手だった。その繊細な術の精度を利用して、土に含まれている微細な金属を操ることに成功したの」

「金属を? そんな術は聞いたことがないな……」

「そうね。なんせ今から四百年くらい昔のことだから」

 四百年。それはエインが屋敷で過ごすうちに過ぎ去った、膨大な時間の一つ。

「魔女への迫害は日に日に過熱していったわ。商店からオリーヴの刃物は消え、多くは闇市に流れた。そして魔女自身も、やがて人前から姿を消した」

「その後は?」

「さあ? ……世界樹様なら、何か知ってるかもね」

 ミネットは完成された刀を逆手に持ち、エインを見据える。

「この刀は、オリーヴの最後の作品」

「でも街にあった彫刻には、比較的最近の日付が彫られていた。となると、そのオリーヴは今、四百歳を越えていることになる。オリーヴはホムンクルスだった、ということ?」

「まさか」

 柄頭を、エインに向けて、ミネットは続けた。

「オリーヴは人間……いいえ、魔女。魔女なら、それくらい生きるわよ」

「それは……」

「だって生きたかったから。仕方ないじゃない。オリーヴの死は、つまり、魔女の死を望んだ者の思惑に他ならないから」

「……生は、復讐?」

「いいえ。死という服従が、魔女はお気に召さなかったの。……さあ」

 突き付けられた柄頭に、エインの手が伸びる。

「持って」

「え?」

「魔女ももう、意地を張り続けるのに疲れたんでしょうね。誰かをもう一度好きになる前に、終わらせて上げて」

 エインに柄を握らせて、ミネットはエインの手を、包み込むように握り締める。

「それは……」

 エインは刀を手にしても、構えようとはしない。

「何よ。人一人切れないの?」

 そうではない。エインには、この場で刀を振る理由がない。

「大丈夫……相手は、魔女だから」

 切れる筈がなかった。

 魔女でない者を、アシリレラの友達を切ることなど、出来る筈がない。

「……そう、か」

 エインの手を握っていた手が離れて行き、ふらふらとした足取りで、ミネットは数歩後ずさる。

「生きることは望まれず、けれど死さえも取り上げられる、か」

 ぼんやりと、呻くように呟いて、ミネットは一人、暗闇の中に溶け込むように消え入る。

「そんなこと、ないんじゃないかな」

 その手を取ったのは、エイン。

「オリーヴは、人間であることをやめなかった。この刀が最後の作品だなんて嘘だ。街に飾られた像の日付が、その証拠だ」


「もう行こう」

 刀を墓標のように突き立てて、ミネットの背中を押した。

「アシリレラが待ってる」

 こんなにも細くて華奢な背中で、一人で、ずっと踏ん張っていた。

 けれど、もう一人ではない。少なくとも、アシリレラがいて、傍にはエインもいる。

「ここに怖い魔女はいない。ミネットはその顔を見たことがない筈だ。見たことがあったとしたら、それが恐ろしい存在だなんて、思わない筈だから」

 

「本当に夜通し縫ってたなんて」

「えへへ……ちょっと張り切り過ぎちゃいましたね」

 朝日が登る少し前、アシリレラは着物を縫い終え、そのまま眠りに落ちた。

 目覚めたのは昼過ぎ。登り切った太陽がその眼差しをほんの少し傾けて、影が長く伸びるようになった頃だった。

 ミネットとアシリレラは地下を出て、地上にある菜園に来ていた。

 ミネットが家屋の屋上に作った菜園だった。屋上に作る事で、機関の構成員がカルモーにやって来たとしても、簡単には発見されなくなる。

 植物を育てるには陽光が不可欠だ。隠蔽術を使う事も出来るが、それを常時展開しておくのは現実的ではない上隠蔽術そのものに気付かれては元も子もない。

 試行錯誤の結果ミネットが行き着いたのは、極めて単純な方法だった。

「綺麗なお花ですね」

「殆ど薬とお茶を煎れるためのものよ。それはフウセンアカボウシ。種を磨り潰すと、粘り気のある塗り薬になるわ」

「種さん……」

 茎を撫でながら暗い声を出すアシリレラが、ミネットにはどこかおかしく写った。

「……何よ、種さんって」

「な、何で笑うんですか!? 種さんは種さんですよ!」

 種さん呼びではなく、そんなアシリレラの哀になり切れない切ない表情がミネットの笑いの壺に触れたのだが、アシリレラにはそれがよく分かっていないようだった。

「はいはい、分かったから。もう笑わないわ」

「むう……」

 ムクれてしまったが、アシリレラは決して怒ってなどいなかった。

 ただ、アシリレラには植物の声が一瞬聞こえていたのは確かだった。

 だが、ミネットがそれを聞く事はない。

「さ、とっと必要な分だけ採取して戻るわよ。あいつらがこの街に目を付けていない筈はないんだから」

 

 摘んだ花や薬草を入れて、民家の階段を下りて行く。石で出来た階段は強固だが、経年劣化は免れず、足を置いた場所は岩肌のように歪な凹凸を刻んでいた。

「わ、わ……!」

 登りよりも、危険なのは下りであった。

 おたおたとバランスを崩しながら一段一段下りるアシリレラに、ミネットはそっと手を伸ばした。

「まったく……。ほら、捕まりなさい」

「あ、ありがとうございます……!」

 まるで死線を潜り抜けたとは思えない程、か弱い姿。

 こうして見ると、なんとも頼りない、ただの少女にしか見えない。

「ほら、もう一段だから」

「う、あ、とっと……!」

 ミネットに支えられて、なんとか最後の一段を降り切ると、アシリレラは一仕事終えたとでも言わんばかりの表情でミネットに笑いか掛けた。

「ありがとうございます。過酷なお仕事でしたね……!」

「何言ってるんだか」

 菜園を作る時など、煉瓦や土を用意して、それらを屋上に運んだのだ。階段の上り下りなどついでにもならない。

 二人は引き上げようと、民家の軒を潜った。ミネットが一応の警戒に左右を見渡すが、街は相変わらず静かで、一先ず危険はなさそうだった。

「さ、とっとと帰るわよ」

 二人は連れ立って、民家を離れ、歩き出した。

 だが、数歩も行かぬうちに、ミネットはアシリレラを制して歩くのをやめた。

「どうしたんですか?」

 アシリレラは遮断機のように差し出されたミネットの手に歩を詰めた。

 ミネットを見やる。

 その表情は、鋭くも険しく、先を睨むように歪んでいた。

 眼光が突き刺す先。

「おやおや」

 民家の中から現れる、痩身の影。穏やかな表情を湛えた男性が、そこにいた。

「誰かと思えば……」

 フィーアだった。

 くたびれ、ところどころ破れたローブを見に纏い、ミネットとアシリレラをその瞳に捉え微笑む。

「貴女は確か、砂地の……」

「黙れ」

 フィーアが言い終わるより早く、草花の入った籠が、ミネットの手から投げ出された。

「おっと」

 フィーアが斜に身体を逸らすと、後方の壁で二度の爆発が起こった、

「血気盛んですね。相変わらず……いや、呼び覚ましてしまいましたかね?」

「っ……!」

 牙を剥き出しにするミネットを、アシリレラが仰ぐ。

「ミネットさん……」

 出会って間もないとは言え、ミネットがあまり表情を変えない人物だという事は分かる。

 そのミネットが牙を剥き出しにして、今にも飛び掛からんばかりの姿勢を取っている。

「砂地の魔女」

 フィーアがその名を口にした途端、ミネットの表情に、差し色が入った。

「魔女……?」

「耳を貸さないで! 奴の戯言よ!」

「戯言? ……そうですか。では貴女自身、罪を感じてはいると。そうでしょう?」

「罪? ミネットさんは、何も悪い事なんて……」

「アシリレラ様」

 フィーアは、一瞬でミネットの懐に潜り込んだ。

 ミネットはそれにまるで反応出来ず、殺生与奪を握られた時点で漸くその身を動かすに至った。

「その様子だとこの者が何者か、ご存知ないようですね。良いでしょう」

 だがフィーアはそれ以上何もしなかった。

 ただ魔女の心臓の真上に突き立てた指が圧倒的マージンである事は、誰の目にも明らかである。

 ミネットは身動ぎ一つ出来ず、身勝手に動き続けるフィーアの唇に、噛み付けない牙を向けるだけで精一杯であった。

「彼女はかつて、カルモーの街を震撼させた『砂地の魔女』……人々の欲望を掻き立て、殺人鬼を呼び覚ました魔女なのです」

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