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世界輪廻のアシリレラ  作者: 道峰ユヤ
10/16

九滴『風が吹いて、起立する石々を縫って、荒れて』

 青々とした木々の拍手が耳を撫でる。

 ざわ、と無数に共鳴する風が涼を運ぶと柔らいだ陽光を持ち去って、エインは少し肌寒さを感じた。

「よっ……」

 左手で、肩に担いだ斧を振りかぶる。

 柄と手のひらの馴染み具合は良好。もう使い物にならないと思っていたが、自ら切断したエインの左腕は今やすっかり完治に至った。

「ふっ」

 斧を水平に振り抜く。まるで、そこになんの遮蔽物もなかったかのように、真横に線が引かれた。

 そこにあったのは大きな木。腕を回せない程太い幹に、家一軒はあろうかという背丈は巨木と呼ぶに不足ない。

 エインの斧が胴元を通り抜けるのを見届けると、その細腕によって、巨木は簡単に押し倒された。

 先程とは違う木々の拍手がエインの耳を擦る。木に痛覚などないことは分かっているが、エインはその音がまるで抗議の声のように聞こえた。


「ただいま」

 簡素な手製の木の扉を押し開け、エインは玄関を潜った。担いだ八段の薪が肩に食い込むが、それでエインが痛みを感じることはない。

「おかえりなさい、エイン」

 そして、それを出迎えるのは、アシリレラの微笑。

 ぱたぱたと少し忙しなく駆け寄って来る様子も、屋敷と同じエプロン姿も、尻尾のようにアシリレラの背中を追い掛ける亜麻色の髪も。もう幾度となく出入りを繰り返した室内の様子は、エインが薪を取って来ようと枝葉で頬を切ろうとなにも変わることはなかった。

「薪、取って来たよ」

「わ、こんなに沢山!」

 アシリレラは、床に置いても見上げる程高々と積載された薪の塔に、感嘆の声を上げた。

「裏手の窓が古くなって来ていたから、それ用にもね」

「ご苦労様です。これで薪にはしばらく困りませんね」

 満足げに微笑むアシリレラ。だが、エインは少し悪戯っぽく口角を曲げて、アシリレラをじっと見つめる。

「どうかな?」

「え?」

 その不適な笑みに、小首を傾げる。

「アシリレラは寒がりだから、三日くらいでなくなるかもね」

「そ、そんなに寒がりじゃないですよ!」

「本当? この間も夜中に薪がなくなって、寒そうにポタージュ、ポタージュってうわ言みたいに……」

 見透かしたようなエインの物言い。そのふわりと漂うようにかわす態度に、アシリレラは不思議と心地良さを覚える。

「み、見ていたんですか!?」

「いつもアシリレラより後に寝てるからね」

 だが、いつまでも取り合ってくれないようだとアシリレラは拗ねてしまう。

「も、もう! それならそうと言って下さい!」

 アシリレラはむっと頬を膨らませてエインから顔を背けた。

「ああ、ごめん。ごめんね、アシリレラ」

 こうなるとエインは途端に弱くなる。目線を下げて必死なようで薄っすらと笑いながら謝罪の言葉をいくつか並べ連ねる。

「なんだか今日のエインは意地悪ですね……」

「そうかな」

「今朝だって……」

「だ、だからごめんって……」

「良いですよ」

「本当?」

「今度薪がなくなったら、エインのお布団に入らせてもらいますから」

 エインを思い掛けない反撃が襲う。

「……え?」

 その言葉の意図が掴めず、アシリレラをきょとんと見つめ返す。

 一瞬。

「…………あ……! あああああああの、そそっそそそれはそういう意味ではなあわわくってぇ……!」

 何かに気付いたかのように、アシリレラが顔を真っ赤にして、慌てふためき出す。同時にエインも顔を俯け、耳まで赤くなった表情をアシリレラから隠した。


 石の街『カルモー』

 切り立った岩盤と峡谷を削り出して作られた、世界有数の防衛能力を誇る城塞街。

 その強固な門扉と堅牢な街並みを知らない者はいないとされており、最盛期には多くの住民が住み、旅人や商人も頻繁に訪れるような大きな街だった。

 エインですら、カルモーならもしや、と思った程であった。だが乾いた砂埃が二人の前を横切ることで、そんな淡い希望も風化して消えていった。

 それでも建築物がしっかりと形を残していたのは流石としか言いようがなかった。

 一部倒壊を始めた家々こそあったものの、それらを除けば、修復さえほぼ不要な状態で現存している家ばかりだったのだ。

 エインとアシリレラは形骸と化した門扉から離れ、街角に奥まった部屋を見付けるとそこに荷を下ろすことにした。

 二階に寝室と展望台を設け、裏手にはアシリレラが望んだ、小さな庭を作った。

 日差しも良く、立地は快適であったが、環境そのものは決して楽なものではなかった。

 扉と窓の修繕を行い、石釜を組んで薬草と山菜を食む日々が続いた。

 左腕が痛むうちは、常に展望台から周囲を見張っていなければとても落ち着くことなど出来なかった。もし追っ手が現われでもしたら間違いなくお終いだった。

 そんなエインを見ても、アシリレラは笑っていた。

 エインの血走るような目を見つめて、何度も語り掛けた。

 ツヴァイとドライのことをおくびにすら出さずに。

 アシリレラがエインのために笑う度、エインは安寧と活力を取り戻した。

 生きる理由にはあまりに贅沢な手の温もりが、そこにはいつでもあったのだ。


 カルモーの時は止まっていた。

 二人が入居した時から動くことのなかった時は、新たな住人を迎え入れても動き出すことはやはりなかった。

 大通りを歩く。

「ねえ、エイン」

 エインの隣を歩くアシリレラが、エインの袖を摘んで興味深げに街の一角を注視する。

「どうしたの?」

「あれは何ですか?」

 エインはアシリレラの指差す先に視線を向けた。

 短く折られた柱が一本、街道の端にぽつんと直立している。

「何だろう? 街灯かな」

 無意識に、二人の足は柱の方へ向いていた。

「街灯にしては太いね」

「一本だけ、というのも不思議な感じですね」

 恐らくモニュメントの名残だろう。エインはそのすっかり削り落ちてしまった遺産を惜しむ様子もなく、再び歩き出した。

「そういえば……」

 だが少しも歩かないうちに、ふと思い出したように語り出した。

「昔、この街には著名な彫刻家が住んでいたという話を聞いたことがあるね」

「その方の作品でしょうか?」

「分からないけど、石像家だったと思うから、もしかしたら……」

 意思など込めたつもりのない、他愛ない薀蓄に過ぎなかった。

 だがそんな曖昧な言の葉に打たれる者もいる。

「探しましょう」

「え?」

「その方の作品です!」

 まるで、新しいことを発見した子供のようだった。

 アシリレラはエインに迫るように身を乗り出して、その好奇心を思うがまま連ねて見せる。

「でも、どこに住んでいたかまでは分からないし……。そもそも最期までこの街にいたかどうかさえ分からないよ」

「大丈夫です」

「どうして?」

「石像家さんにとって、ここはとても良い環境の筈ですから」

「……確かに」

「ね?」

 一里ある。カルモーは世界有数の砕石所でもあり、外界との交易も盛んだ。芸術家にとって大切な刺激と資源をもたらすための条件が、ここには数多く揃っている。

「駄目……ですか?」

 それまで勢いを保っていたアシリレラだが、一転して大人しくなり、エインの顔をしおらしく見上げた。

 あくまでエインの同意の下、一緒に探さなくては意味がないからだ。

「分かったよ」

 これからのプランを考えながら、エインは嬉しそうに嘆息した。

 だが実のところ、頼み込まれ、少々迷いはしたものの、これといってアシリレラの提案が棄却となる理由はなかった。

 強いて挙げるならば、夕食の時間を忘れてはならない、ということだろうか。

「でも、暗くなる前には帰るよ。まだ瓦礫や建物の状態だって分からないからね」

 それに、エインにとってその申し出こそ、アシリレラに与えたかった時間の一つでもあるのだから。

「はいっ」

 言い付けられた子供のように笑って、アシリレラは少し歩を速めた。

「それでは、急いで探しましょう? 日が傾くまであまり時間もありませんから!」

「はいはい。……ああ、あまり走ると……」

「ひゃあっ」

 アシリレラの爪先が、街道の段差を突く。支えを失った身体がふらりと揺れて、そのまま地面に吸い込まれてゆく。

 柔らかな衝撃を感じ、アシリレラは、ぎゅっと閉じた瞼を開く。

「大丈夫?」

「あ……」

 身体は依然として支えを失っていた。代わりに、ひんやりとした腕が身体を支えていた。自分よりもほんの少しだけ大きくて、なによりも暖かい。

「こんなところで怪我でもしたら大変だよ」

「ご、ごめんなさい……」

 どうやら、自分は少し迂闊なところがあるのかもしれない。アシリレラは愚鈍な自分の行いを恥じながらも、しかししっかりと全身を覆う抱擁のもたらす多幸感が、それらを容易く押し退けていくのを感じていた。

 それすら幸せであると思わせる。

 その幸せが押し退ける、大切な現実さえ、今は自ら追いやって。

「立てる?」

「はい」

 なんてことなかった。それでもエインは背中を支えてくれる。

 そんなエインに甘えたくなって、しっかり両足で捕まえた地面を、わざとらしく反対側に蹴って逃がす。アシリレラはその羽毛のように軽い身体で、エインにしな垂れ掛かった。

「おっと」

「ふふっ」

「抱き上げるよ?」

「そ、それは恥ずかしいから駄目ですっ」

 今更恥じることなどないというのに。

 それを見る人も、それを残す者も、もうここにはいないのだ。

 幸せすら、情景すら。


 無色になったカルモーの砂を踏んで歩く二人を包むのは、街の欠片を運ぶ風の音。

 削り出されたかつて生活を彩った街家の皮膚は最早粉々になって舞い上がり、風の流れの中で循環してゆく。

 少なくない砂塵を被ったエインとアシリレラは、ぽっかりと開いた家屋の口に入り込んだ。

 律儀にも玄関先で砂を払い落とすのは、かつての社会生活の名残か。

 昼間でも薄暗い手狭な室内を見渡して、アシリレラはエインを率いるように踏み入る。

「ここは、民家でしょうか?」

 この街で二人が初めて訪れたのは、恐らく、辛うじて原型を残したダイニングキッチン。

 一人用のキッチンと、倒壊したテーブルだけが、ここでの生活の名残だった。

「二人部屋……かな」

 突き当たりの壁には通路が続いており、奥に更なる部屋があることを仄めかす。

 そうなると、アシリレラの足に迷いはなかった。

 勝手に入っては、と言い掛けて、エインは口を噤んだ。許可を取るもなにもないからだ。

 廊下を突き当たった先の小部屋は窓が一つあるのみで更に薄暗く、おまけに埃に塗れていた。

「エイン、見て下さい」

 だがその閉ざされた環境が功を奏してか、吹き込みも日差しも少ない室内は風雨に晒されることもなく、比較的綺麗な状態を残していた。

「毛布にナイフ、ランプ、ろうそく……これは掘り出し物だね。使わせてもらおう」

 食料は残されていなかったが、仮に残っていても腐敗している可能性が高い。だから今はこの物資だけで充分と言える。

 持ち運べそうな物を抱えると、エインは踵を返し、部屋を後にした。

 廊下を数歩進んだところでアシリレラが付いて来ていないことに気付き、もう一度踵を返す。

「どうしたの?」

「エイン、これ……」

 部屋の真ん中にしゃがみ込んだアシリレラの手には、一対の人形が握られていた。形状からして男性と女性を模った物だろう。直立して手を差し伸べる四肢に、すらりとした体躯。人の形状と差異があるとすれば、互いの背中に、対となる片翼が生えているところか。

「石像、だね」

「はい。とてもよく出来ていると思います!」

 アシリレラは嬉しそうに微笑みながら、対の石像をエインに差し出した。

「これ、エインの言っていた彫刻家さんの作品ではないですか?」

 エインは反射的に石像を受け取り、繁々と眺める。

 そう問われても、生憎と戦いばかりに精を出していたエインは芸術などの文化には疎く、これが件の彫刻家の物かどうかなど見当もつかない。

「どうかな。彫刻家なんて他にも沢山いるだろうし……」

「せめてお名前でも分かれば、ここに……」

 アシリレラに促されて、石像の足下を支える台座を覗き込む。

 文字は擦れつつあったが、辛うじて輪郭を掴むことが出来た。

「読めますか?」

「『オリーヴ・ノア』……かな」

「オリーヴさん……ですね」

 不思議な感覚だった。

 ここに来て、別の人間の気配を感じることになる。

 機関の追っ手が現れたわけでもなければ、街の生き残りを発見したわけでもない。ただ人の歴史より長く刻み込まれたこの石像が、この石像を掘った人物が生きた証を、後世の二人に残したに過ぎなかった。


 夜間に焚く火は遠くまで明かりを届ける。

 今夜こそ、今夜遂にと持ち続ける警戒心に従って、エインもアシリレラも、日が落ちてからの火の扱いには一層気を使うことにしていた。

 戸の隙間を埋め、窓も締め切り玄関と同様に明かりが漏れる余地を丁寧に潰してゆく。

 そこまでの戸締りが終わり次第、夕食の準備に掛かる。今夜もアシリレラが釜戸に火を入れて、汲んでおいた水を沸かす。

 山菜を切り分けているうちにエインが裏庭から野菜を採って来て、二人で手際良く調理していく。

 味付けもなにもない、裏庭で育った人参の甘味だけで染められた、極めて質素な食事。

 だが二人がそれに不満を漏らすことはない。食卓に灯った小さな明かりを挟んで、他愛のない言葉を交わし合う。静かに過ぎ行く夜空は、今宵三度目の満月を抱えていた。


 一度やると決めたらやり通すアシリレラの活力と根気に、エインは驚きを隠せずにいた。

「ここにもありませんね」

 これで七件目。

 今朝は早朝から床を出て、身支度を整えるとアシリレラは直ぐに街に飛び出した。

 当然エインも連れ立ってのことだが、まるで水に放たれた魚のように泳ぎ回るアシリレラの勢いに思わず引っ張られる形になってしまっていた。

「物資もあまり見付からないね。まるで揃って処分したみたいだ」

 家々の間を軽快に掛けて行くアシリレラの後を悠然と歩いて続くエイン。

 作品探しを楽しむ権利はアシリレラに譲渡して、ただ黙々と、生活を支えるための必需品回収に主眼を置き探索を続けていた。

 とはいえ、機関による『処置』を受ける前に処分したのか、肝心の物資は殆んど見付からなかった。律儀なことだが彼らのその真面目さが今は少し恨めしい。

「昨日の小さな石像じゃ駄目なの?」

 隣家に突入していくアシリレラの残滓に語り掛ける。

「駄目、ということはないですけど……」

 一度入室したアシリレラが、ひょっこり顔だけ覗かせて言った。

「けど?」

「やっぱり、もう少し大きなと言いますか……。その、エインの言っていた著名な彫刻家の方の、出来れば代表作と言える作品を見てみたいんです」

 エインは、入り口から覗かせたアシリレラの頬を撫でるように持ち上げると、肩に手を当て室内に導き入れる。

「ここもボロボロ」

「ですね」

 カルモーという街自体に芸術の粋が染み込んでいるのか、室内の配置から構造に至るまで同じ物は殆んど見受けられなかった。

 この家は、入って直ぐの部屋には殆んど配置物はなかった。玄関口をエントランスホールに見立てて、四方に短い廊下を伸ばしている。廊下の奥はそれぞれ個室になっているようだが、やはりと言うべきか、ドアは崩れ、その室内にも人が暮らしていた頃の形跡は殆んど残されていなかった。

 ただ一つだけ、これまで見て来た家々と違う点があった。

「エイン! 見て下さい!」

 壁の半分が崩壊した部屋に踏み入る。アシリレラは、思わず隣室のエインを呼び付けた。

 珍しく大きな声を出したアシリレラの元にエインが駆け付けた。

「これは……」

 部屋の入り口に立ったエインの目に、アシリレラ以外の人の影がいくつも飛び込んで来たのだ。

 正確には人ではない。人を模した、小さな石像だ。それが壁際に整然と並べられている。

 背中に翼こそないものの、大きさや形など、先日発見した物との類似点が多いように思える。

「こんなに沢山の石像があるなんて……凄いですね!」

 興奮のあまり語彙を投げ捨てたアシリレラの横を通り過ぎ、エインは、横に習って立ち並ぶ石像達をまじまじと眺めて回った。

「エイン。……エイン!」

 なんだか無視されたように感じたアシリレラは、ほんの少し腹を立て、エインの名を連呼する。

「……え? あ、ごめん、アシリレラ」

「もう……そんな夢中になって」

 無理もない。アシリレラが見付けたこの石像群を見た時、エインは思わず肝が冷えるような思いに駆られたものだった。

 半壊した家屋。指先一つに至るまで、欠損のない造形。瓦礫の上という配置。それらを見て、エインは確信した。

 この石像は比較的最近、それも百年や五十年ではない。ここ数年以内に作られた物と見て間違いないだろう。

「アシリレラ」

「なんですか?」

「これは凄い発見だよ」

「え?」

 直前までぷりぷりと膨らませていた頬を一転しさせ、小首を傾げる。

「こんなに綺麗な状態の石像があるなんて、考えられる?」

「……あっ」

 逡巡して、閃いたとばかりに手を叩くアシリレラ。

「じゃあ、ひょっとして……!」

「そうだね、きっとこれは」


 しかしながら、カルモーに人の気配はない。

 当てのない石像探しは生存者探しに移っていたが、無作為に点在している石像と違い、一切手掛かりのない中で一人の人を探すというのは骨が折れる。

 その後もカルモーの通りや裏路地を半日程彷徨ってはみたものの、人影は愚か、有用な手掛かりを掴むことすら出来なかった。

 やがて夕日に頬を染められ、二人は帰路に就いた。

 思い掛けない急展開だった。そんな初日の探索に気落ちすることなく、二人はとりあえず夕食の支度に取り掛かる。

「どうしましょう」

 くつくつと野菜を煮込みながら、アシリレラが呟いた。困ったように眉を顰めて、まるで進展のない探索を思い返していた。

 そんなアシリレラの表情を、隣のエインが食器を拭きながら、ちらりと伺う。

「考えても浮かびません。なにか手掛かりがないと、探そうにも探せません……」

 野菜を煮ながらずっとそんなことを考えていたのだ。無理もない。まだこの世界に生き残りがいる可能性がある以上、関心が大きく傾くのは当然のことだ。

「石像なら沢山見付かったけどね」

「はい。どれも素晴らしい作品だったと思います……けれど」

 うんうん悩んで、手元を見ないで鍋を噴き溢して、慌てて床を吹きながら。

 そんな調子は翌朝まで続いた。

「まずは手掛かりを探しましょう!」

 すっきりと目覚めて、朝食を食べながらアシリレラは瞳を閃かせ、言った。寝るまでの間考えていたアシリレラなりの妙案なのかもしれない。

「そうだね」

 手掛かりを探すための手掛かりが必要そうだ。

 スープを口に運びながら、エインは口角を上げた。

 その時だった。

 首筋に悪寒が走る。

 玄関で、明確に風ではない何かが二度、こんこんと、扉を叩く音が部屋の中に響いた。

 咄嗟に応答しそうになるアシリレラの口に手を当てる。静まり返った扉に、エインは視線を突き刺す。

「エイン……」

 そっとスプーンを置いたアシリレラの表情が、エインに縋る。

「大丈夫……静かに、ね」

 分からない。

 けれど、気配も足音も一切感じることはなかった。感が鈍ったか。例えそうであっても、エインの察知能力を掻い潜る者などそうはいない。

 それが今ある情報。それだけで、訪問者の程度が伺える。

 エインは手でアシリレラを部屋の隅に促した。

 音もなく扉の脇に移動し、隔たれた先に神経を集中させる。

 ほんの少しだけ漂う、香水の香り。清涼感のある花のフレーバーには覚えがあった。

 意を決する。僅かに、扉を開く。

「やあ。こんにちは」

 エインの目に、黒いフードを被った、優男の柔和な笑みが飛び込んで来た。

 この世界で久しぶりに目にする、アシリレラ以外の者の顔。

 それは、探していた人物とは違う、招かれざる訪問者。

 終焉を迎えたこの世界を作り直す『世界再配置委員会』の構成員、フィーアの姿が、エインの前に立ちはだかった。

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