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彼の物語  作者: 桂木イオ
1/1

H川君の悲愴


 私は他の皆様と比べば、まだ生まれて日も浅く、半人前で御座います。ですが、どうか話す事をお許し下さい。彼ほどかわいそうな男を、私は今までに見たことが無いのです。


 H川君と初めて話をしたのは、今から丁度二つき前、街路樹の欅が青々とした葉を天高く伸ばしていた頃です。


 私はようやく新しい生活にも慣れ、気の合う仲間もそこそこ出来ていましたし、入学当初はぼんやりとしていたクラスメイトも、だんだんと顔と名前がわかるようになっていました。


 彼も私と同じクラスで同じように学び、同じように気の合う仲間をつくり、気さくに話していた事を知っていました。


 ですが、彼は時たま、学園内にある若い楠木の下に座り込み、悲しそうに遠くを見ているので、私はいよいよ彼が心配になってきました。そこで、私は彼がまたいつもの楠木の下で溜息をついている所で、何気なく声をかけてみる事にしました。


「こんにちは、H川君。隣いい?」


 H川君は私に気づかなかったのか、一瞬その黒い目を開かせたかと思うと、すぐににっこりと笑いました。


「ああ、いいよ」


 そうして彼はまた、遠くを見はじめました。私は彼が会話の中で何か彼自身について話してくれるのではと、何度かありきたりな言葉をなげかけましたが、彼は曖昧にしか答えてはくれません。


「ここは気持ちがいいね」

「そうだね」

「H川君はここが好きなの?」

「まあ、そうかな」


 おおよそこんな塩梅なので、話かける私の声だけが、吹き抜ける風の中に虚しく溶けるばかりなのです。


 普通(といっても、これは私の友人関係の中から得た経験なので、一般にはわかりませんが)話を重ね、仲良くなれば、聞かずとも自分から悩みや愚痴を言うはずなのですが、彼は決して彼自身の事を話そうとはしませんでした。


 彼はあの楠木の下にいる時以外は、どこにでもいる、やんちゃな青年です。私も何度か彼の遊び道具にされ、苦笑いを浮かべたり、冗談で怒ったりしました。特に、授業中人のノートに人の糞を書かれ、それに私が気づかず先生にノートを提出してしまった時は・・・。いや、この話は止めましょう。本題とずれてしまいます。


 それから時がたち、夏の終わりの頃でしょうか?彼が帰り道、珍しく一人で帰っているのを見つけ、私は一緒に帰ろうと声をかけました。


 H川君は「いいよ」と、私に笑いかけてくれましたが、その瞳はいつもより涙を多く溜めている様な気がしました。


「H川君、どうしたの?」

「え?」

「気のせいだったらごめんね。なんか泣いてるように見えたから」


 彼は私の言葉を聞いてから、しばらく返事をしませんでしたが、やがていつもの人懐っこそうな笑顔を貼りつけ、白い頬を掻きました。


「やっぱりわかる?俺、ススキアレルギーでさ、この時期辛いんだよね」

「あれ?H川君って、アレルギーないんじゃなかったっけ?」


 数日前、クラスメイトのM田を彼がからかっている時、彼はアレルギーは一切ないと公言し、M田を「ティッシュマン」と馬鹿にしているのを私は横目で見ていましたから、彼の発言は意外でした。


「そんなこと言ったっけか?」

「言ってたよ?H川君」

「・・・」


 H川君は、それから駅のホームにつくまで、何も言いませんでした。落ち込んでいるような、それでいて、何か考えているような顔を髪の毛で隠しているので、私は特に何か言う事もなく、黙々と駅まで足を運びました。


「なあ、六角」


 改札口を通ったあたりで、彼は私に声をかけました。


「はい」

「お前がもし、恋愛して、恋が成熟できない相手だったら、お前はどうする?」


 ――――思えば、この言葉が、彼の心の叫びだったのでしょう。不器用な彼の救難信号を、鈍感な私はこの時は感じていませんでした。


「そうだね・・・。」


私は、自分がそのような状態に置かれていることを想像しました。が、まともに人に恋をしたことがない私には、せいぜい童話の人魚姫を思い浮かべることしかできません。


「多分、見てる事しか出来ないんじゃないかな?何も言えず、痛みに耐えながら、じっと見てると思うよ」

「――」


 H川君は、私が答えた後、何かを言いかけましたが、すぐに取りやめ、代わりに笑顔をみせました。


「ふふっ。お前、ほんとクソ真面目だよな。普通こんな事聞いたら馬鹿にするだろ」

「生憎、私は普通じゃないからね」

「だろうな。こんな真面目が普通だったら世界がどうかしてる」


 からからと彼は笑って、反論する私から逃げる様に反対側のホームに走り去ってしまいました。


 彼が彼自身の内面について私に話しをしたのは、これが最初で最後でした。


 その次の日、H川君は自らの手で命を絶ちました。話を聞く限り、自室で首を吊っていたのを、朝起こしに来た母親が見つけたそうです。


 朝の学校は阿鼻叫喚で、いかにH川君がクラスメイトに愛されていたかがよくわかりましたし、私自身、非常に悲しくなると同時に、焦りを覚えました。


 何か、引っかかるのです。前日の彼の言葉と、楠木の下で座り込む彼の姿を思い出し、緊張から吐き気がこみ上げてきました。


 気分を悪くした私は、そのまま早退し、家に帰りました。帰る途中、郵便配達のバイクとすれ違ったので、私は無意識に自分の家の郵便受けを覗きました。


 いつもは宣伝のはがきや何らかの証明書が送られてくるのですが、郵便受けに入っていたのは、私宛ての茶封筒でした。


 友人からの手紙にしては無骨すぎるし、なにより文字が乱雑で、私ははじめ嫌がらせの手紙かと思いましたが、裏返して送り主を確認すると、頭が真っ白になりました。


 こう言えばもうお分かりでしょう。そう、送り主はH川君その人だったのです。


 私は大急ぎで自室に行き、茶封筒を開きました。中には一枚、真っ白なが安っぽい紙が二つ折りになって入っていて、震える手で開くと、そこには彼の、あの乱雑な文字でこう記されていました。




  六角へ

俺は痛みに耐えていたが、もう耐えられそうにない。

苦しかったが、誰にも話せなかった。

だがお前は真面目だから、俺の苦しみを知っても、軽蔑しないだろう。

いや、俺がそう信じたいだけだ。お前はどう思ってもいい。

あの木の下は、俺が好きだった奴が好きな奴と一緒にいるのを見るには、一番の場所なんだ。

俺の好きな、今でも愛している奴は、小さくて、身体が弱くて努力家だ。だがあいつを好きになることは、社会では普通じゃない。

おかしいお前なら、わかるはずだ。

―――六角、お前は、俺のようにはなるな。

                            H川



 私は、この手紙の事は誰にも話しておりません。私自身が臆病で、誰にも話せないという事もありますが、彼自身の尊厳を守ろうと思ったためです。


 後日、体調が回復した私は、彼が好んで座っていた楠木の根元に腰を降ろし、彼がしていたようにぼん

やりと遠くを見ていました。


 どうやらこの場所は、小高い丘になっていて、少し先のテニスコートを覗けることがわかりました。

そこをじっと、彼がするようにじっと眺めていますと、一人の小柄で線の細い少年が、懸命に練習に励んでいました。


 ああ、彼はこの少年を好きになってしまったのか。私はそう思いながら、その少年のどこか頼りないサーブやレシーブの練習の様子を見ていました。


 数十分の練習の後、二つ縛りの女の子のマネージャーが、少年に駆け寄ってきます。


 それから、少年少女は周りに人がいない事を確認すると、そっと唇を合わせました。

 その光景を見て、私が驚愕で目を見開いていたのはわざわざ言うまでもないでしょう。

 問題は、今は亡きH川その人の心境です。

 彼はあの日までずっと、彼の姿をここで見ていたのでしょうか?

 誰にも言えず、自身の気持ちを殺しながら、ただじっと、痛みに耐え、声を殺し、叶わないと思いながら、じっと少年を見ていたのでしょうか?


「六角」


 はっとして顔を上げると、H川に散々からかわれていたM田が、心配そうにじっと私を見ていた。


「ああ、こんにちは、M田」

「どうしたの?花粉症?はい。どうぞ」

「ありがとう。でもM田、私は花粉症じゃないんだ」

「へ?」

「ちょっと、誰かの悲愴を感じているんだ」

「ひそう?って何?」

「悲しいことだよ。」

「・・・六角、疲れてるの?それとも、いつもの変人なの?」


 箱ティッシュを抱えながらゆらゆらと首を傾げるティッシュマンに、私は笑いかけました。


「勿論、いつもの方だよ」


 それからは、H川の本心を探る事はなく、ただぼんやりと時間が過ぎていきました。

ですが私自身人に恋をしてしまった時は、常々H川を思い出すのです。

 彼の下手な作り笑顔と、私にあてて送った、乱雑な文字の中の絶望を、思い出さずにはいられないのです。


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