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教室に出ると彼女は誰かと話していた。珠理ちゃんより少し背が高く体格が良い。
決して太っているわけではなく女性らしく必要なところに適切な量だけ脂肪が付いている。形の良い耳が見えるほどのショートヘアーがとても似合っている。少し丸身を帯びた顔には高い鼻と薄い唇が最適な場所にある。目が猫のような形をしていて珠理ちゃんを見ているときの目力が強い。
もし彼女を描いて説明するならば多くの人は、まずその目を一生懸命に書くだろう。あと、笑うと見える小さなえくぼも。
「綾香。」
珠理ちゃんが彼女の肩を叩いて、こちらを指さした。ふたりがとことこと寄って来た。
「あなたが、達也君?いいなあ、幽霊見えるんでしょう。私、珠理とずっと一緒に居るのに一度も見たことないの。」
思った通りの人懐っこい声で僕に話しかけてきた。話している間も僕をしっかり見て、彼女の瞳の中に落ちてしまいそうだった。
「いい時間だから。見えるかもよ。」
珠理ちゃんのその発言と笑顔に全身の毛が立った。綾香ちゃんは慣れているのだろう笑顔で応えていた。まるで今日あった楽しいことを聞いてあげているみたいに。僕たちはゆっくりと玄関に向かった。彼女たちが前を歩きその後ろをついて行った。ふたりが仲良く話すのがとてもよく見える。
「それより、何抱えているの?」
綾香ちゃんが言った。
「ああ、これ?少女の幽霊。すごくかわいいよ。ねえ、達也君。」
そう言って珠理ちゃんがこちらを見た。ドキッとしたがすぐに彼女が前を向いた。
「いいなあ。幽霊見たい。」
あのケーキおいしそうと聞き間違えそうなテンションで言った。だったら変わってあげようかと言いたかった。
「今、教室に何人いた?」
不意に珠理ちゃんが言った。
「え、ひとりだったけど。他に居た?」
僕が答えた。綾香ちゃんに同意を求めたはずだが応えてくれなかった。明らかに彼女の顔が曇っていた。もしかして誰も居なかったのか。
「何の話、教室って何?そこ、中庭でしょ。」
彼女の言葉に愕然とした。あふあふと口を動かしているのを珠理ちゃんが見てきた。何とも意味ありげねな含み笑いなこと。
「戻って見に行ってみれば。」
後ろを振り返ることも怖くてできない。幾分、綾香ちゃんよりを歩きだした。よく晴れた真冬の朝よりも身体が縮こまっているのが分かる。不意に誰かに後ろから声を掛けられたら、彼女たちに抱き着いてしまうだろうと本気で心配した。
「今まで幽霊なんて見たことないのなんで?」
恐怖と不満をぶつけるように珠理ちゃんに聞いた。
「今までは気が付かなっただけかもよ。それに今見えているのは私と一緒にいることと、あと時間帯かな。」
終業式終わりの小学生みたいに微笑みながら言った。
「私は見えないのに。」
綾香ちゃんが不満で口を膨らませて言った。その顔をやめてすぐに振り返った。
「達也君は幽霊が見えるんだね。」
目をキラキラさせて、彼女は僕を見た。むしろこっちがその目をしたい。いいなあ、見えなくて。
階段の踊り場には男子たちがたむろしていた。全員同じユニフォームを着ているから、部活終わりなのだろう。そこの横を通ると、制汗剤の鼻を刺すような臭いがした。
「学校って幽霊いっぱい居るのよ。今この廊下に10人ぐらいかなあ。何人見える?」
「5人。」
これには自信があった。だってさっきからチラチラと目が合っているのだもの。前を三人の女子生徒がこちらを時々見て、今ふたりのカップルの横を通った。
「ひとりも居ないよ。私たち以外に。」
また寒気がした。6月と言うのにカイロが欲しいぐらい。
「歩くの大変なの。ぶつかったりしちゃうからね。」
笑いながら彼女が言った。何がそんなにおかしいのだろう。
「珠理ちゃん。ときどき、変なことするよね。ときどき止まったり、壁にぶつかったみたいに突然吹っ飛んだり。私は知っているから大変ねえと思えるけど、知らない子たちは変な顔するのよね。しょうがないけどね。」
確かにこれだけ幽霊が見えてさらに触ってしまうと生活は大変だろう。見えない人たちには到底理解できないし、多くの人は幽霊とは触れられないものだと思っているだろう。幽霊と話しあやしている彼女の行動は他の人からしたら気味が悪いに違いない。
もし、僕も見えていないならば、そのうちのひとりだっただろう。そう思うと彼女の横顔を見て寂しい気分になった。
「私の友達は幽霊と幽霊を見える人だけ。」
ぼそりと彼女が言った。でも、彫刻で書かれたみたいに僕の心の中に届いた。
その中の一人になりたいと純粋にそう思った。
「私は見ないけど。」
えくぼを見せて言った。けど、慰めを求めているようだった。
「綾香は特別よ。親友だもの。」
わざとらしく、演技のようにも聞こえたが、それを言われて彼女の瞳はうるっときていた。綾香ちゃんは抱擁を求めたが、珠理ちゃんが慌てて避けた。彼女は空を抱きしめた。
本当にそこには何もなかった。
「何するの?」
その強い目で彼女を睨みつけた。かなり迫力があった。
「ごめん。でも、私、今女の子抱いているの。」
「そうだった。」
スイッチを押したようにパッと彼女の表情が明るくなった。どうやら納得したようだ。その一連のやりとりから彼女たちの仲の良さが伝わってきた。見ることが出来ないのにそれを一切疑わない。珠理ちゃんがそこに居るというから居るのだ。綾香ちゃんが疑う余地など全くない。果たして、それほど信頼関係の出来た相手は、僕には居るのか考えるまでもなかった。彼女たちに嫉妬を覚えたが、微笑ましく思えた。
ほんの少しだけ彼女たちに近づいて歩いた。