涙
「だから、真美ちゃんに達也君を任せるって。」
「違うよ。守るべきは珠理ちゃんあなたでしょう。一番傷つけて、傷ついているのは誰。どうしてそんなに自分に嘘つくの。自分の気持ちに正直になりなさいよ。このままだと前と同じじゃない。優しすぎなのよ。いつもガツガツ行くくせに。」
奥歯に物が挟まる言い方にイライラする。
「だから、どういう意味なの?はっきり言いなさいよ。」
床を両手で叩いた。子供ぽいとか考えている場合じゃない。
そんな様子の私を混じりけのない笑顔で見ていた。本当に純粋そのものだった。
「珠理ちゃん、前の彼氏にはもう言えないけど、ちゃんと好きって言うべきよ。幽霊から彼を奪い取るべきよ。」
そう言って拳を握り上にあげた。
「ちょっと、勝手に盛り上がらないで。百歩譲って達也君のことは好きだとして、」
「やっぱり。」
「うるさい。もしもの話。好きだとしてもあいつは私を裏切ったのよ。どうして、今更そんな奴に好きって言わなきゃいけないのよ。」
やっぱり何を言いたいのか分からない。勝手に好きだのと言われて気持ちが右へと左へと揺さぶられて、完全に手玉に取られている。
それなにどうしてこんなにも穏やかな気持ちなのか。
「だって、好きなんでしょう。今でも。」
彼女の言葉にぞっとした。私が今まで散々に悩み苦しんでいたのに、彼女がいとも簡単に結論を出してしまったからだ。それはとても簡単な言葉で片付けられてしまったのに、とてもしっくりした。
「どうして、そう思うの?」
彼女に聞いた。混乱で吐きそうだ。
「当たり前でしょう。何年一緒に居ると思うの。」
そう言って綺麗な八重歯を見せた。とても幼い笑顔が私を安心させた。
当たり前って、当事者が一番分かっていなかったんだ。
私が黙っていると彼女が呆れるように言った。
「分かりましたよ。ハッキリ言わせていただきますよ。お姉さんどうしてあの湖へ行くんですか?」
「それは、命日だから行っているだけで。」
違う。それは自分が分かっていた。でも、まだ整理できない。だから、また嘘を言った。
「彼のお墓はちゃんと違う所にあるのに?」
「不幸な死に方をしたから、その場所で弔う必要があると思っているだけだよ。」
また、嘘を言った。その度に心が削れていくのが今初めて分かった。痛い。今までのどんな怪我よりも痛かった。
達也君が言っていたのってこれなんだ。
「でも、それだけじゃないですよね。彼を探していますよね。」
もう全部分かっているんだね。過去の自分が恥ずかしくなって、下を向いた。あの時怪我した足首はすっかり治り、後すら残っていない。
それなのにずきずきと痛み出した。そういえばあの時彼が助けてくれたんだっけ。
頭の先から真美ちゃんの声がした。私はただじっと耳を傾けた。
「彼のことをもう悪く言わないでください。彼のことを未だに大好きなあなた自身が一番傷ついていますよ。」
彼女の声は泣いていた。それなのに絹のように柔らかく温かい。
彼女は戦士のように強く、天使のように優しく言った。
「彼を忘れないのは大切なことだと思いますよ。忘れることで本当に死んでしまうと言いますしね。彼を好きなら好きでいいんです。でも、ないものはないんです。彼をいくら好きでも彼にはもう会えません。それにお姉ちゃんが好きな彼は一番素敵な彼でしょう。美化された思い出の中で輝いている空想の彼にすぎませんよ。これを憑りつかれる以外なんて言うの。」
ひとつ間を置いて言った。
もういいよと思ったけど聞き続けた。
「死んだ人のための人生にしないでください。それよりも好きなら好きって言いましょう。達也君に。彼のために自分自身のためにも。今のままだと、達也君を裏切ることになりますよ。幽霊に憑りつかれるかれた彼があなたにしたことのように。」
涙目になって両肩を震わせながら言った。それでも目はじっと私を見つめていた。
「でも」
「うるさい。好きって言いなさい。あなた自身のために。」
弱気な私を玉砕した。力強く言った彼女がとても大きく、輝いて見えた。私なんかよりも何倍も大人だ。
ぽろぽろと大粒の涙がこぼれだした。決壊した川のようにもう止まらない。私の感情と関係なしに壊れたように声を出せず静かに泣き狂った。肩を丸めぶるぶると震わせながら。




