彼女の彼氏
反射的に顔を逸らしたものの遅かった。はっとした表情でこっちを見た彼女は、ゆっくりと口を閉じ、目を下げ顔を降ろした。
涙はいつの間にか止まり、不穏な空気が立ち込めた。
彼女にはばれてしまったがここで黙っていれば、この場を凌ぐことはできたかもしれない。ただ、好奇心というのは思考とは関係なし生まれてくるものだ。
「この人ってもしかして。」
つい聞いてしまった。どこかで彼女なら笑ってごまかしてくれるだろうという甘えも存在していたのかもしれない。
「勝手に見んなよ。」
とても低くどすの利いた声だ。先ほどと同じ彼女とは思えないほど、冷淡な表情だ。
しかし、とても震えていた。怯えているようでもあった。
怒ってくれたらどれだけ楽かそう思った。
「ごめん、見るつもりはなかったんだ。でも、それって彼氏だよね。前に言ってた。」
ただ、言い訳するだけで良かったのに、余計なことを言ったと気がついたの頃には、彼女がこちらを名刀のような切れ味でものすごく睨んでいた。
「そんなはずないでしょう。バカじゃないの、彼は私を捨てて死んだのよ。私は彼に見捨てられたんだからね、気持ち悪い。もう気分悪い。あんたのせよ。お母さんに会えて感動、ああよかった、シクシクで良かったじゃん、最悪。あんたが変なこと言うから。吐き気がする。」
ほとんど息継ぎをせずに彼女が吐き捨てた。薄暗く顔色がよく見えないが、彼女の体温が上がっているのが分かる。
「さっさと帰ってくれる。」
何もできずに呆然と立ち尽くしていると彼女が怒鳴った。
「はよ、帰れ。」
部屋中のものが揺れるほど大きく叫んだ。周りにいただろう幽霊が消える感じがしたほどだ。このままだと、持っている鏡を投げてきそうだ。
「分かった。帰るよ。」
ゆっくり真っ直ぐ進みエレベーターの方へ向かう。ガタッと何かが床に落ちる音がしたが、振り返らなかった。
眩しいほど明るいエレベーターの中に目をチカチカさせながら入る。ボタンを押して、ゆっくりとドアが閉まっていく。ドアの隙間から見えるはずの彼女が見えなかった。だんだん狭くなるドアの隙間から顔を伸ばして見渡すものの、モノがたくさん在って周りは見えない。ドアを開けて戻ろうと思ったが、気が付いて辞めた。
ズボンの中を手で探るがなかったので、しょうがなくカバンのポケットから封の開いていないポケットティッシュを取り出し、エレベーターから出る前にそこの床に置いた。
せめてもの感謝の気持ちと優しさだと彼女に伝わってくれればいいなあと心から願って。




