守護霊の鏡
「達也君の気持ちは複雑すぎて、私には理解できない。でもねえ、彼女は会いたかっているよ。」
不意に顔を上げて彼女を見た。満開の桜のような誰も魅了しそうな百点満点の笑顔だった。
「どうして。どうして、そんなことを言うの。」
彼女の香りが強く感じたと思ったら、両頬に熱を感じた。それが彼女の両手だと気が付くのにそれほど時間はかからなかった。抵抗もせずに彼女の方へゆっくりと向かせられた。目を細めた彼女と目が合った。もちろんすぐに逸らしてしまった。ずるいと思った。
彼女の手が離れているのにしばらく気が付かなかった。
「いい加減、こっち見なあ。まあ、無理かなあ。私みたいな美人となんて恥ずかしくて目も合せられないかあ。弱っちい男だ。」
「……。」
「笑えよ。笑ってよ。冗談で言っているんだから。」
目がウルウルと今にも泣きそうになりながら言った。
「あ、ごめん。そういう性格なのかなと思ってちょっと引いちゃって。」
「何それ最低。」
お約束のやりとりに子供みたいな声を出して笑い合った。
「そうやって笑っているよ。お母さんも笑っているよ。それに、会うって言うけどただ見るだけよ。動画を見る感じでこっちが見ているかどうかも向こうには分からない。」
「でも、」
「うるさい。」
彼女の叫び声が部屋に響く。
「うるさいよ。あなたがどう思っているかはもちろん大切だと思うよ。さすがにこんなにデリケートなことに、無理やりやろうとなんて思わないわ。でも、彼女は会いたいと思っているんだから、あなたが死んでも会いたくない限り会えばいいじゃん。死んでも家族なんだから。で、どうする?」
うんと言うしかなかった。
「会いたい。合わせて下さい、珠理様。」
彼女の気迫に押されて半ば強引だった。でも、このときばかりはとてもありがたかった。
「よし、完璧。」
そう言って、愛犬を愛でるみたく、僕の髪をくちゃくちゃにした。
痛い。手を離す時に髪を抜きやがった。儀式に必要なのかと思ったが、無邪気に笑う彼女を見るとただ抜いただけみたいだ。
「どうすればいいの。いつもみたいに珠理ちゃんに触れればいいの。」
そう言って彼女の手首を握った。思っていた以上に細く、そして温かった。なぜかこれまで以上にドキドキした自分に驚いた。
「ちょっと何するのよ。」
手を大きく振り下した。そのせいで彼女から手を離すだけではなくイスから落ち地面に膝をついた。見上げると頬を赤めた彼女がそっぽを向いていた。ちょっとふざけすぎたかなあ。
珠理ちゃんと一緒に居るとどこまでの冗談が大丈夫なのかの判断が鈍る。ごめんと謝り、イスに座り直す。
髪を振りこっちを見る。
「相変わらずだねえ変態。そんなことをしても見えないよ。守護霊というのは真後ろに居るんだからね。よく考えてよ。ただ見ようとしてもコントみたいになるだけだから。私にも自分の守護霊が見えないんだから。ホント何も考えてないんだねえ。バカ。」
相変わらず一言多い。もちろん心の中で言った。
「鏡を使うのよ。そんなことも想像できないの。」
呆れ顔で言った。ていうか鏡に霊って写るんだあ。まあ、写真にも写るしそういうものなのかなあ。
「もちろん普通の鏡じゃ無理よ。霊的なものが写らないことはバカでも知っているじゃん。あなたみたいな。」
心を見透かされたような気がしてぞっとしたが、いつもみたいに僕を見下しただけだろう。
「この世にたった一枚だけ霊が映る鏡があるの。」
彼女が言った。
「それってどこかの秘境とか、厳重に管理されている城とか、もしかしても、この世ではなくあの世とか。」
冗談で言った。そうよ。当たり前じゃんって言われそうだったが違った。
「だったら、勝手に行けって感じ。よく考えなさい。あなたにそこまでする価値があると思うの。」
「ないです。」
冗談が通じないってよりも、冗談って分かってどんな言い方をすれば僕が傷つくかを瞬時に判断して言葉をしっかり選んで言うというなんて頭のいい人だ。
「だったらどこに?」
「うちにあるに決まっているでしょう。」
そうですか、決まっていますね。彼女の家に行かないといけないのか。なんか肩が重いなあ。
「やっぱり遠慮しとくよ。」
「何で?」
「だって。」
だって、彼女はどう考えても女の子なんだなあ。考えなくてもそうなんだけどね。女の子の家に行くということがどういう覚悟と勇気が必要なのか。勘違いされてはいけない、珠理ちゃんみたいな一人娘の過保護な父親がいる家に行くには。もう勘違いされているから、これ以上何かがあったらもう死ぬしかない。
「はあはん。パパが怖いんでしょう。大丈夫よ。さっきみたいに変なことしなければ何もしないから。少なくとも命は取らないから。」
そんな簡単に命取られたらたまったもんじゃない。
「それに、今日はパパ居ないから。今がチャンスよ。」
何がチャンスかよくわからないが、この言い方だと僕が彼女の家で変なことをする前提のような気がする。全く意味が分からない。僕にも理性というものがあるのだ。
彼女が立ち上げりカバンを肩にかけて僕のシャツの袖を引っ張る。
「今日じゃないとダメ?」
「別に予定ないでしょう。暇人。」
彼女がムッとした表情で言った。そんなに感情を自由に外に出されても困る。
「別にないけど。別にないけどさあ、心の準備が。」
そう言って手のひらで胸を叩く。
彼女が引っ張っていたシャツの袖を離す。
「そうねえ。私みたいな美少女の家に行くんだもんね。わくわくしちゃうよね。」
「しない。嫌そうじゃないから。いきなり守護霊に会うなんて。」
「行くよ。」
即答だった。
僕のカバンを手に取り、オモっと声を漏らして持ち、ドアのところまで走って行った。ドアの前で宝くじ売り場のまねき猫みたく手を動かす。しょうがないから、机に残っていた筆箱と宿題を抱え彼女の方へ向かう。
「部活は?」
「いい。誰も来ない。」




