光
パチンと何かが叩く音がした。
それ同時に頬に激痛が走った。
「痛い。」
反射みたいに声がこぼれた。
満天の笑みの珠理ちゃんが見下ろしていた。僕は持っていたリュックを枕にしてベンチで寝かされていた。やけに柔らかいと思っていたら、そのリュックは珠理の細い太ももの上に乗っていた。
「はやく起きてよ。」
そう言って太ももを横に揺らした。鉛のように重たい体を起こした。ぬるい風が体を包む。
「ここはどこ?」
周りを見回した。結論が出る前に、彼女が毒づく。
「どこって、見れば分かるでしょう。駅よ。駅。湖の最寄り駅。」
「助かったの?」
愚門だった。
「当たり前でしょう、私のおかげでね。頭打ったの。大丈夫?バカになっちゃった?」
そう言って自分の頭を指さした。その無邪気な笑顔につられて微笑んだ。
「珠理ちゃんには言われたくないけど。それと、そのケガどうしたの。」
彼女の腕の傷に絆創膏がつけられ、足首には包帯が巻かれていた。
「真美ちゃんがしてくれたの。」
自慢げに答えた。
「どこに居るの?ど、どうも。こんばんは。」
真美ちゃんは僕の後ろに立っていた。たぶんさっきからずっと居たのと思う。
何故か制服姿だった。
その顔は今日見た悪霊を含めて一番怖かった。
「ねえ、先輩絶対に行かないでくださいねって言いませんでした?」
春風みたいに温かった。
でも、気温差が大きいってことは、突然の雷雨に気を付けないといけない。
「死にますって言いませんでしたかあ。何でこんなムチャしたんですかあ。」
感情が乗っていない。そういうマニュアルみたいに。
「先輩は、バカなんですかあ。それともあほなんですかあ。」
語尾が訛っている。機械のように言う彼女にただただ怯えていた。
「バカです。すみません。」
圧力で自分はバカですっと言ってしまった。確かに本当にバカだ。
「自分が行けば何とかなると思ったんですかあ?だったらうぬぼれてんじゃねえよですよ。先輩みたいなごく普通の人間がよくそんなことを思いましたよね。何様ですかあ。このド素人が。」
もう泣きそう。彼女って年下だよね。2歳も年下だよね。
でも、それほどのことをしたという自覚はある。本当に死ぬ直前だった。ほんの少し運が悪ければもうこの世にはいなかったに違いない。
体を震えながら下を向いていると顎を掴まれ無理やり顔を上げられた。
そこには真美ちゃんの顔がある。キスができる距離だ。もちろんそんな考えは通過しただけだ。ぎりっと睨み荒々しく手を離した。
隣に座って来た。
「幽霊について何も知らないくせに。先輩のしたことは、溺れている子供を川に飛び込み救うとか、ホームから落ちた女性を線路に降りて助けると同じだと思わないでくださいね。先輩のしたことは、マフィアに拉致られたお姉さんをたったひとりで、しかも裸でアジトに行き助けようとしたことと同じです。無謀です。もう一度言います。あなたはバカです。」
散々言われたけど、心が温まるのを感じる。
真美ちゃんには悪いけどとても嬉しい。怒ってくれる人が居るって幸せなことだよね。愛があるよね。日頃使ったことがない単語とか語尾を無理やり使って脅している感じで。
目が子猫みたいに潤んでいる。ちょっと可愛いと思っている自分を強く抓る。
怒ってくださっているんだから猛省しないと。
「私が行かなければふたりとも死んでいたんだからね。」
少し頬を膨らましてそっぽを向いた。
「ごめんなさい。」
本気で初めて謝った気がする。搾りだすように声を出した。それと同時に深く頭を下げた。
「めちゃくちゃ怒られている。」
珠理ちゃんが隣できゃきゃ笑いながら言った。珠理ちゃんの太ももをポンと叩き、小声で黙れって言った。もう遅かった。
「はあ?もとはと言えばお姉さん、あなたのせいでしょう。あなたが怪我をしなければ、じゃなくて、その前にあなたがひとりで行かなければこんなことにならなかった。違いますか?」
さっきよりも流暢に言い慣れた感じだ。彼女たちの関係が垣間見れた。
「そうです。ごめんなさい」
こっちも怒られ慣れた感じ。下を向いてしゅんとしているけどそれは演技なのか。
「お姉さん、先輩のことを守る立場ですよね。それなのに危ない目に合わせて、名門上門寺家が聞いて呆れますよね。それに、どうしてひとりで行ったんですか?私と一緒じゃだめなの。そんなに私って頼りない?」
急に声が震えていた。涙で目がきらきらと光っている。
その様子がとても悲しく弱々しく愛おしい。
「そんなことないよ。絶対にない。だって私怖くなかったもの。必ず真美ちゃんが助けに来るって信じていたからね。」
そう言うと両手を広げて、にかっと笑った。天使のような笑顔とはこれをいうのかと思った。
真美ちゃんが吸い付くように抱きつく。しっかりと抱いた。お母さんと娘みたいだ。純黒の髪を世界で一番大切なものみたいに優しく手グシした。かなりドキッとした。隣に僕が居るのを忘れてほしい。気にしないよう頑張るから。
「もうしない?」
真美ちゃんはもうメロメロだ。子犬のようなうるんだ瞳で彼女を見た。
「しないよ。ごめんね。今度からはちゃんと真美ちゃんと一緒に行くから。約束するよ。」
頭をボンボンと柔らかく叩く。ふたりがニコニコと見つめ合う姿はとても絵になる。こういう映画のポスター見たことある。
赤ちゃんを抱くお母さんみたいな顔をしている珠理ちゃんを抱きしめているように見ている自分が居るのに気が付いて、ゆっくりと目を逸らし、手で口を覆い隠した。真美ちゃんが僕に気が付いた。
「ちょっとトイレ行ってくるね。」
顔を熟した桃みたいに赤くして走って行った。




