献花
腰が抜けて倒れそうになったのを木の幹で支え何とか立った。
バタバタとリュックの中で暴れているチーちゃんを出してあげた。行きたいところに行かせてあげよう。僕はここから動けない。情けないことに、力が全く入らないのだ。
珠理ちゃんを見つけて帰る。そう思っていたからここに来たのに、それが叶わない今、もうどうだっていいや。自分だけ助かる気なんてない。もう彼女が居ないのなら。
もうどうでもいい。もう死ねばいい。ゆっくりと目を瞑った。
「こっち。」
はっきりそう聞こえた。目を開けてそちらを見ると、チーちゃんがちっちゃな指を指している。その先をみるとキノコみたいに手が生えていた。
恐る恐るその手の方に行くとそこは急な斜面になっていた。
覗くとうつ伏せで倒れた珠理ちゃんが居た。
転げ落ちないようにゆっくりと斜面を滑り、彼女に近寄った。
彼女の華奢な身体を仰向けにして抱き寄せた。あぐらをかきお尻がちょうど隙間に収まり、右腕に彼女の頭を乗せた。汗で濡れた彼女の髪が腕に吸い付く。長いまつ毛が動くことなく、とても安らかに眠っているように見え起こすのがかわいそうと一瞬思ってしまった。腕や膝に傷が見えるが目立った出血はなかった。名前を呼んで体を揺さぶった。
「痛い。頭。」
でこの辺りを手に置いて寝起きみたいな声を出した。
「よかった。生きている。」
涙が彼女の頬に落ちた。
とても素直に感情と体が反応し合っていることに自分が驚いた。
「何でここに居るの。来るなって言ったでしょ。このバカ。」
睨みながら言った。
「よかったあ。」
通常運転だ。いつもの彼女でほっとする。
「何泣いているの?気持ち悪い。勝手に触ってなんかしたんじゃないよね。」
そう言っているものの僕の足の上から離れようとはしない。
「助けに来たの。帰るよ。」
「そうだったの。どうも。でも先に行ってね。ちょっと用事あるから。」
まるで、コンビニでもちょっと行くようなノリだ。「あ、そうかあ。」って言いそうになった。
「用事って。早くここから出ないと、もうすぐ日の入りだぞ。」
語尾を荒らげ言った。
やはりいつも以上に感情が素直に言動になる。
「だから、早く帰ってて。私はちょっと湖に行かなければならないの。」
彼女も負けずに言う。口で彼女に勝てる気は決してないが、ここは彼女の思考が落ちているのを信じて言い返す。
「何言っているんだ。早く帰って病院に行きなさい。頭打ったんだから。それに今日じゃなくても良いでしょ。明日一緒に行こう。」
「今日じゃないとだめ。今日じゃないと。あと、頭打っておかしなこと言っているんじゃないからね。」
全然絶好調。いつも以上に返事が早い。しかし、負けてはいられない。
「どうして。早く帰らないと死んじゃうだろう。」
しかし彼女は全く聞く耳を持たなかった。
「お願い。本当にお願い。一生のお願い。」
寝た状態で両手を合わす。それと同時に眉間にしわが寄るぐらい強く目を瞑った。
「だから、そのお願い聞いたら一生が終わっちゃうだって。」
彼女の顔に唾が飛んだ。
しかし、彼女は別に気にした様子もなく反論した。
「終わっちゃってもいいの。お願い聞いてくれないなら、ここから動かないから。」
そう言ってそっぽを向く。
彼女ぐらいだったら、無理やり引っ張って帰ることは可能だろう。
でも、この様子だと何が何でも湖に行く気がする。
例え何時であっても、死んでも行きそうな気がする。だったら、まだ時間があるうちに急いでいった方がいいのか。
いや、ここでもう一度気絶してもらって、部屋で拘束するか。
しかし、そんなことしたら彼女に僕が殺される気がする。
「早くして。」
どうして彼女に急かせらなければならないのか。もういい。何とかなる。
「分かった。その代り僕も行く。」
「え、大丈夫。ひとりで行くから。」
大きな目をさらに大きくさせて驚く。その表情に少しムッとした。
「一緒に行かないなら、行かせない。」
そう言って彼女の体をしき寄せた。さすがの僕でも華奢な彼女をお姫様抱っこして帰る自信はあった。彼女がため息をついた。やれやれみたいな感じだ。
「分かったよ。足手まといにならないでよ。」
お前が言うな。もちろん心の中で。
彼女を世界で一番壊れやすいものみたいにそっと地面に置いた。
そして彼女に背を向けてしゃがんだ。
「何?」
その反応にイラつく。
「おんぶ。足痛めているでしょう。かなり腫れているし。早くして。」
「大丈夫よ。だって……。」
もぞもぞしていた。そんな態度にさらに腹が立った。
「いいから早くしなさい。」
「うん。」
恋人に甘えるような声を出した。
何だか彼女の上に立ったような気がした。実際は彼女が僕の背中の上でおんぶされているのだがなあ。
彼女の弱みを握った。特殊な条件でしか効果のないものだが。
「大丈夫?」
耳元で囁く。女子らしい柔らかい声だ。
「全然。軽いよ。」
自分でも気の利いた答えだと思う。すぐに玉砕されたが。
「それは当たり前だけど、私に触れているってことは。」
立ち上がり前を見た。そこには、左目が飛び出し今にも落ちそうで、右目はもうない、赤く腫れあがり痣だらけの顔の人がいた。それ以外にもたくさん。見たくない。
恐怖で彼女を落としそうになったが、しっかりふんばり横を通った。
「怖くないの。」
彼女が笑いながら言った。バカにされているのが何だかホッとする。
「大丈夫。大丈夫。」
自分に言い聞かせた。
「そこの花束って。」
彼女が倒れていた近くに白い花束が落ちていた。もちろんその花の名前は知らないが、この花束の意味は分かる。
「あ、お願い。」
彼女を背負ったまま、膝を曲げて小さな花束を右手で掴んだ。膝を再び伸ばした。ずり落ちてしまわないように、おんぶし直した。腕を僕の首に絡ます。彼女の体がしっかりと密着している。美味しく柔らかい温もりと甘い独特な香りで珠理ちゃんが女だと意識づけされてしまう。
「おっぱい小さいと思っているでしょう。」
彼女が笑いながら言った。これはせめてもの救いだ。遠慮せずに抱きついてもらえる。もちろん走っても落ちないためだ。今は、彼女を運ぶ仕事だ。
しかし、そう簡単には行かなかった。




