チーちゃんの涙
僕には見えない……でも、彼女には見える。
そうだ。見えないけど僕はひとりじゃないんだ。
「あの、幽霊さんたち。僕は君たちを見ることができない。声も聞けない。でも、見えているだろう。聞こえているんだろう。だったら彼女のところに連れて行ってくれ。それができないなら彼女を探して。お願い。大切な彼女を救って。」
その場で膝をつき泣き崩れた。無駄なことだと分かっている。僕が聞こえないってことは幽霊たちも僕の声が聞こえない可能性が高い。それに幽霊の手を借りられるなら、彼女自身がそうしてここから逃げ出しているに決まっている。そうできない状態だから。
つまり、絶体絶命な状態。早く見つけないと、でも、体が動かない。何度も何度も地面を拳で叩いた。何もできない自分が悔しい。こんな状況なのに自分を守っている自分が居るのがもどかしい。泣いている場合じゃないのに、涙が止まらない。
「じゅ、じゅ、じゅ、じゅ。」
チーちゃんも助けたい気持ちは同じなんだろう。もうあきらめかけた僕を睨みつける。
チーちゃんの髪をくちゃくちゃにして頭を撫でる。幽霊なのに人の温もりを感じた。頭に置かれた手を見ようと顔を上にあげ、こちらを見た。
何しているの早く探せ。そんな感じの表情だ。不満で一杯だ。でも、
「よし探そう。」
自分を奮い立たせた。地面を強くたたき立ち上がった。
チーちゃんが突然僕の顎を両手で押し上げた。その力は強く顔を無理やり前に向かされた。視野の右端に黒い影が見えた。はっとそっちに顔を移す。チーちゃんがリュックの中でモガモガと体を動かして正面を見た。
そこには誰かが居た。もちろん彼女ではない。男性のように見える。ここから20メートルほど先なのだが、さらに遠くに居るようにも見える。
たぶん、いや絶対に人ではない。幽霊なのか人の霊なのか分からない。たぶん後者の方が高い。こっちを見ている気もするし、全く違うところ見ている気もする。
じっと見た。
すると、こちらに向かって手を振ってきた。
そして、ゆっくりした動作で手招きをした。全身が影のように真っ黒なのにその手だけははっきりと見えた。
彼女のところに連れて行ってくれるの。いや、森の中に迷い込ませる可能性が高い。悪霊の可能性が高いからだ。
でも、迷っている場合じゃない。どうせあと少しで死ぬならほんの少しの可能性にかけよう。鉛になった全く動かない足を無理に動かし、できる限りの早歩きで彼の方に向かった。彼は森に吸い込まれるように消え、僕が森の入り口に立つと僕の見える範囲に立って行った。どこに行くか分からないが案内しているようだ。
唾をギュッと飲む込みチーちゃんの手を握り薄暗い森の中に入っていた。
空気が変わった。世界中でたったひとりぼっちになった気分だ。木の根に気をつけながら彼の行く方へ走る。一定の距離を保って消えてまた現れて、現れてはまた消える。
ときどき「消えろ」とか「一緒に来て」とか「死ね」とか耳元で言われる。もう感覚が麻痺して何が何だか分からない。枝に擦れ手や足に痛みを感じることが嬉しく感じる。
まだ生きている。
どれだけ行ったか分からないが、森の奥へと導かれていく。こんなところに彼女が居るとは思えない。
しかし、ついて行くしかなかった。たくさんの何かと一緒に。
「日の入りまでにここから出るのは不可能だ。」後ろの声と気配に気を取れていると男は居なくなっていた。
「終わった。」
深いため息とともにぼやいた。
そこには珠理ちゃんは居なかった。




