12
そこは普通のカフェようだった。
駅から少し離れたところにある古びた外観のこだわりが強そうな店だ。
壊れそうだが、幽霊が出そうな雰囲気はない。何の変哲もない。ただ、そこまで風が強いわけではないのに、ときどき扉が開いたり閉まったりしている。もちろん人はいないのに。
中に入ると3組の客が居た。誰もが大人な感じがして、店の雰囲気は少なくとも高校生が制服で入るような店ではない。
「いらっしゃい。おお、上門寺のお嬢さん達か。適当に座ってよ。えーと今日は4人かそれとも7人なの。」
「5人よ。」
「いや、4人です。」
と怖い会話のやりとりが繰り広げられた。サンタクロースみたいな白い髭を生やしている、優しそうなおじいさん、この店の雰囲気と少し合わなくとても明るい感じだ。
水の入っていたコップ4つをお盆に載せて来た。
「相変わらず、暇人どもだなあ。ちゃんと勉強しろ。勉強を」
「おじさんこそ相変わらずガラガラじゃないの。」
珠理ちゃんが言った。他のふたりも微笑ましい様子なので頻繁に訪れているのだろう。
「いいんだよ、俺は。ここは趣味でやっているだけなんだから。そんなことよりもあんた新入りじゃねえか。」
僕の方を向きながら言ったので、しっかり名前を言って自己紹介した。
「で、あんたも見えるのか。」
そのいきなりの質問に静電気が来たときみたいに体をビクッと動いてしまった。
「少しだけですが。」
口から洩れたような擦れる声で答えた。
「だろうね。たくさん居るぞ。まあ、悪いのは今のところ居ねえみたいだけど、気を付けるには越したことはないからなあ。この嬢ちゃんが守ってくれると思うがなあ。ところで、何する。」
各々ドリンクを注文した。珠理ちゃんが見た目通りホットチョコレートを頼んでいるのをかわいいと思ってしまった。
「そういえば、あとふたり部員が居るって言っていたけど、どういう人たちなの?」
僕が珠理ちゃんに聞いた。
「どういう人って、まあ普通かなあ。」
「そうですよね。普通ですよね。普通に幽霊見えますもんね。」
真美ちゃんが答えた。
「それって普通なの。」
綾香がレモンティーを飲みながら突っ込んだ。
「ふたりともバスケ部で真美と同じぐらいの身長でギャルじゃないけど派手だよねえ。ふたりとも彼氏がいるリア充って感じ。」
「どうして、こんな部活入ったんだろう。」
僕が言った。
「こんなって失礼な。何もしていないくせに。」
珠理ちゃんがぷくっとほっぺを膨らませて、わざとらしく怒った。
「え、だってバスケ部に入っているのにわざわざ兼部するなんて、あれですか。珠理ちゃんが無理やり引っ張ってきたんですか?」
真美ちゃんが見かけによらずきついことを言う。
「無理やり入れたことは、一度もしていません。バーカ。ていうか、彼女たちの場合誘ってもないんだから。」
「そうよ。珠理が誘った子たちはいつの間にか居なくなっているんだから。今部活に来ている人たちは自分の意志で入っているのよ。そうでしょう達也君。」
綾香ちゃんが首を曲げて念押しをしてきて、コーヒーを吹き出しそうになった。
「まあ、運命のイタズラ的なもので。でも、自分から入って来るなんてすごい変わっていますよね。」
僕が言った。少し調子に乗りすぎたと思っていると
「失礼な。水掛けるよ。」
水の入ったグラスを持ち珠理ちゃんが言った。冗談に聞こえなくて怖い。
「本当に変わっていると思います。オカルトとか霊にとても興味があるとおっしゃられていましたが、それだけではない気がします。何か黒いものが彼女たちには見えるんです。」
「暗いって悪霊とかそういうこと?」
僕が言った。
「いえ、暗いと申し上げたのは例えで具体的に何かが見えるわけでなくて、邪悪で危ない気がするという意味です。それが彼女たち自身なのか彼女の周りの霊なのかはよく分かりませんが。それに、行動がおかしいです。この前も、このあたりの有名な幽霊スポットに行きたいと言っていましたし、幽霊を呼ぶまじないのようなものをしておりましたし、とにかく恐ろしいです。あと苦手です。」
顔を暗くしながら言った。誰とでも上手くいきそうな真美ちゃんにはっきりと苦手ですと、言われ人たちと上手くやっていける気がしなかった。
「また、そんなこと言ってる。ただ興味があるだけでしょう。見えないものを見たがるのは当たり前のことだし、ましてや中途半端に見えちゃうとさらに見たいと思うんじゃない。それに一般人を悪い霊から守るのも私たちの役目だし。」
その場の空気を浄化した珠理ちゃんが何だか大人びて見えたが、口元にチョコレートを付けたまま話をしていた。どうやら僕以外気が付いていないらしいので、口元を指でなぞるゲスチャーをしてあげた。彼女は慌ててナプキンで口を拭き、チョコのついたそれを見て僕を見た。彼女が親指と人差し指で丸を作って笑いかけると、こっちも笑顔で頷いた。
その様子をカウンターの中から微笑ましく見ている店主が見ているのに気が付いてもう一度ふたりでほほ笑んだ。
カフェを出てすぐに珠理ちゃんとふたりきりになった。話は周辺の心霊スポットについてだった。
「近くの心霊スポットと言えば、学校の近くにあるあの山ね。幽霊っていうのは自然が多くて人があまりいないところに集まってきやすいんだけど、あそこは昔の戦で死んだ人をまとめて埋めていたらしいからね。ある程度の数はいるね。でも、古いからそこまで心配をしなくてもいいんだけどね。」
珠理ちゃんが言った。持ってと言われたので彼女をカバンを持つことになった。相変わらず中身がなく軽かった。しかし何か入っている気配はあった。たぶん、彼女が持つと重たくなるのだろう。
「古いと大丈夫なの。イメージとして古い方が怖そうだけどね。落ち武者とかそんな感じで。」
僕がそう言うと鼻で笑ってから答えた。
「確かに見た目は怖いけど、霊の気持ちが冷めちゃっているからね。死んで霊になるには生きていた時の強い思い、憎しみとか恨みとかを残して死ぬことが必要なの。でも、どんな強い思いだとしても何百年も保てないわ。せいぜい数十年ぐらいじゃないかなあ。それに完全に無くなるのがそれぐらいだからねえ。この数年、あの山で死んだって聞かないし遺体も見つかってないと思うからたぶん大丈夫よ。死にはしないよ。」
「死にはしないって。」
半笑いで答えて彼女を見ると、全く笑っていなく真剣な顔だったのでそのまま顔を表面に戻した。まだ日が沈んでなくてよかったと本気で思う。
「どうなるかは保証できないよ。行く時間、その人の性格、性質、その時の状況とかいろいろが悪い方に重なったときは、知らない。」
ニヤニヤしていた。そこで笑われると悪霊なんかより珠理ちゃんが怖いと思ってしまう。
「怖い?」って幸せな笑顔で聞いてきたので怖がっている僕を見て笑っていたと気づき彼女のことがさらに怖くなった。
「夜はなるべく近づかないことね。そこよりも、あなたの家の近くの湖よ。あそこは絶対に行っちゃだめ。本気だからね。」
表情を感情に合わせてコロコロ変えていて、臨場感がありその言葉にぞっとする。
「そこぐらいは知っているよ。最近も男性が自殺しているし、雰囲気も暗いし行けって言われても行かないよ。」
「へえ、達也君でもさすがに知っているんだ。絶対行っちゃだめよ。半径5㎞近づかないでね。」
いつもよりかなり優しい彼女が可愛くもあり恐ろしくもあった。
「そんな大げさでしょう。あそこ、観光客にも人気な紅葉スポットだし、夏も避暑地として結構人いるらしいし。」
ふんと鼻で笑われた。
「素人はこれだから困るよ。本当にバカだね。見えない人にはそこまでじゃないの。死ぬつもり行ったり、人が居ない時期に行ったり、夜中に行ったりしない限りはたぶん大丈夫だけど、見える人が行くと大変。見たくもないものがたくさん見えるのよ。」
「見たくないものはいつも見せられているし、誰かさんのせいで。」
「そんなに可愛くないよ。そこで見るのは死骸そのものだから。ゾンビみたいな感じねえ。」
珠理ちゃんは僕が怖がっているのが分かって喜んでいる。だったらこれ以上この話には付き合いたくない。ジャンプしたみたいに急に話を変えた。
「怖いからもういいよ。それよりも石之神さんって何者なの?」
「彼女気になっちゃう。まあ。可愛いからしょうがないね。私みたいに。」
「……。」
「笑えよ。笑ってよ。冗談で言っているんだから。」
目がウルウルと今にも泣きそうになりながら言った。
「あ、ごめん。そういう性格なのかなと思ってちょっと引いちゃって」
前にもこういうやりとりが在った気がする。これは彼女の十八番のようだ。
「そういう意味で聞いたわけではないけど。」
改まった口調で彼女が言った。
「彼女は私と同じ霊媒師一家だけど、私と比べられないぐらい身分が低いからね。」
「身分って。」
呆れるように言った。あれだけ仲が良さそうなのにそんなことを言うなんて、少し彼女に対して幻滅した。
「冗談よ。まあ、私は2000年以上続く名家だけど、彼女は1000年ちょっとていうだけの話なんだけどね。世界で一番の霊媒師一家と二番目ってことで、昔は明確な師弟関係みたいなものがあったみたいだけど、まあ、今は親戚みたいなものかなあ。」
それを聞いて安心した。
「まだまだ、甘ちゃんだけどね。私の足元に及ばない。だってまともに幽霊を見ようとしないのよ。変なものつけちゃって。」
「そういえば、彼女が言っていた幽霊が見なくなる眼鏡って本当にあるの?」
真美ちゃんが言っていたあの魔法のような言葉が頭から離れなかった。僕が持っている彼女のカバンの中から眼鏡ケースを出してきて、開いて赤いフレームの丸いレンズの眼鏡を出してきた。
「これのこと?」
「下さい。」
彼女の手から取ろうとした。犬みたいと自分で思った。
「だめ。こんなの何の意味がないから。むしろ危険よ。こっちが見えなくても、向こうは見えているからね。こうやって、手を目につけて歩いているようなものだからね。」
そう言って両手を僕の目に置いた。じんわり温もりが目と背中から広がった。
「これで歩けって言われているものよ。さあ、歩きなさい。」
「無理だし、ていうか眼鏡持っているなら貸してよ。」
「それだといつもと変わらないじゃない。あなたがほとんど見えないのだから。さあ、歩け。」
柔らかく温かい手から体中に彼女の体温が伝わり、彼女の甘い香りが意識もせずに鼻から入って来てしまい、さらに熱くなる。こんなに近いともちろん彼女の正面全体が僕の背中に触れる。彼女ですらこんなに心を乱れるのに、彼女ではなかったら何をしているか分からない。だって彼女は僕がアタフタするのを笑いたいのだから。ここは変わらず歩くしかない。ゆっくりと歩きだした。運動会でこういう競技あったよね。たぶんあった。
「殺される。また昨日みたいに殺される。」
本気でそう言ったがやめてくれなかった。それどころかむしろ面白がってさらに身体を密着させてきた。
猫のお腹のような柔らかい感触がはっきりと背中にあった。
「それってパパのこと?大丈夫よ。同じ失敗を私がするはずないじゃん。今、誰も居ないからやっているのよ。」
彼女が喋るたびにすうすうと耳元に息が当たる。くすぐったくてやめてほしかった。もう彼女に従うしかなかった。ゆっくりといつもの半分以下の歩幅で歩き出した。
「ごめんなさい。」
誰かに当たってしまった。
「何に謝っているの。何もいないわよ、誰も。」
彼女の笑い声が耳に刺さった。
「さっきから、肩が当たるんだけど、ていうか笑い声が聞こえるんだけど。」
彼女の香りの方が周りの幽霊よりドキドキする。あと、羽毛布団みたいに包み込む彼女の体の柔らかさが。
「もうやめて。」
僕の負けだ。彼女が勝ったわけではないが。
「こんなことになるのよ。絶対無理でしょう。」
「確かに怖すぎ。でも、彼女も珠理ちゃんと同じぐらい霊感が強いんだよね。だったら彼女がそんなの付けていたらまともに歩けないんじゃないの。」
「確かに、あのコンタクトしていたら見えないし、実際に幽霊に躓いていたけど、何も目だけで幽霊を確認するわけじゃないからね。視覚以外の感覚を屈指しているから、できているけど彼女ぐらいにしかできないね。少なくともあなたみたいな鈍感君には一億パーセント無理ね。」
なぜか彼女が勝ち誇った顔で話す。
「でも、そんなのどうして彼女が持っているの?」
「彼女の家はそういう便利なものを作って売っているのよ。霊が寄ってこないクスリとか、呪いをかけるジュースとか、霊と交信できるテレビとか、とりあえず変なものばっかだよ。」
「霊が寄ってこないクスリ。」
なんて魅力的な響き。どうせ僕には関係ないか。
「あげようか。」
僕の心を読んだように彼女が言った。
「絶対何かあるよね。珠理ちゃんがこんなに優しいはずないものね。無茶苦茶高いんでしょう。きっと。」
「まあ、高いね。」
やっぱり。
「でも、私の家にあるからタダであげるよ。でもね、幽霊だけじゃなくて人も近寄らないからね。すごく、周りの空気を悪くしてその場に誰も居られなくするの。それでも欲しいよね。」
「要らないかな。そんなもの使う人いるの?」
「欲しい人がいるから売っているんじゃないの。バカじゃない。」
そりゃそうだけど。このまままっすぐ行けば駅だが、もうすでに薄暗い。
「家まで送るよ。」
勇気を出して言ってみた。
「いいから、じゃあね。バイバイ。」
そう言うと彼女は子供みたいに元気一杯駆けて行った。とても嬉しそう、そんな走りだった。




