10
「ヤッホー。」
山以外でヤッホーなんて言う人が居るんだなあと思っていると、それは僕にやまびこを求めていた。やはり思ったがやはりだ。黄色の手さげを持った珠理ちゃんが手を振っていた。僕はトイレから教室に帰る途中で、濡れた手をハンカチで拭いていた。
「一緒にご飯食べよ。」
まるでそれが習慣であるかのように言った。
「やめときます。」
はっきり言った。えっみたいな顔をされた。
「昨日のこと怒っているの?ごめんって。」
猫みたいな顔して笑った。どうしてそんな顔ができるのか不思議に思いかつ羨ましく思った。
「そういうことじゃなくて、珠理ちゃんと一緒に居たらまた殺されかける。」
教室に戻ろうとするけど、小さな体で行く手を阻む。
「大丈夫。大丈夫。変なことしなければ何の問題もないよ。へえへえ、怖かったんだ。弱虫だねえ。昨日ことを話してあげてもいいよ。ねえ、どうして私が家が分かったか知りたくないの。」
少し考えた。確かに気になってはいた。午前中の授業は黒板で問題を解かされた時以外はそれを考えていた。僕の中では、結論はパパとぐるで保険に入らすための芝居だということに至ったのだが。
「知りたいかなあ。」
「じゃあ来て。」
彼女が僕の手首を掴んだ。結構力が強い上に、彼女の長い爪が皮膚に突き刺さった。でも、それよりも、
「う。」
腕を大きく振り彼女を睨んだ。今、目の前の見たことない制服の男子生徒にぶつかりそうになった。
「慣れないと大変だよ。」
キャキャ笑いながら言った。彼女に見えているからもちろんわざと僕に見せるためだ。
「早く行くよ。」
「ちょっと待って触らないで。購買行くから。」
彼女を振り払うように早歩きで歩きだしたら、また彼女が僕の肩に手を置いてきたので幽霊とキスしそうになった。子ザルのように笑う彼女をもう一度睨んだ。
「大丈夫よ。達也君の分も作ってきたから。」
はいと言って手さげからアニメのキャラクターが書かれた袋に包まれた四角いものを出してきた。
「まあ、それはどうも。」
「嬉しくないの。」
本当に不満な顔をして言ってきた。感情の起伏が激しい。誰もそんな山には登れないだろう。
苦笑いするしかなかった。
「嬉しいよ。ていうか、弁当持ってきていたらどうするの。」
「そんなこと、絶対ありえないから。」
とても強く言った。目玉焼きには醤油みたいに。
「絶対?どうして。」
とても不思議だった。もちろん彼女と一度食事ことはないし、同じクラスだったことはない。
だから、僕がいつも購買で買っていることを知らないはずだ。それにどうしてそんなに自信満々なんだ。例えいつものことであったとしても、今日は弁当を持ってきているかもしれないと考えないのか。まるで、あのことを知っているみたいだ。
「だって、あれでしょう。」
「あれって?」
「まあ、どうでもいいでしょう。早く行くよ。綾香が待っているから。」
上手くあしらわれた感じだが、深く聞くのはやめた。墓穴を掘りそうな気がしたからだ。
「どこに行くの?」
「部室。当たり前でしょう。」
当たり前なのかと疑問に思ったが付いて行くしかなかった。
「そういえばチーちゃんってどこにいるの?」
彼女を見えない綾香は、小さなお弁当箱の卵焼きを箸で切りながら聞いてきた。ここは部室というか第四理科室だ。校舎の一番北側の角なので人よりも幽霊の方が多い気がする。だだ広い部屋にたぶん3人。少し湿った部屋はとてもひんやりする。きっとというか絶対居るだろう。
「僕の部屋に居るよ。」
少し恥ずかしながら言った。
「いいなあ。気に入られて。」
「いやですよ。家にいっぱい居るんだから。誰かさんのせいで。」
手で口にミニトマトを入れようとしている珠理ちゃんを見て言った。
「楽しいよね。大家族って。」
珠理ちゃんは言った。ミニトマトを口の中で左右に2回ずつ転がしてから咀嚼していた。あまりにも子供ぽく笑えなかった。
「珠理ちゃん、ちゃんと説明してよ。」
呆れた声で僕が言った。
「いいよ。長くなるけど話してあげよう。」
食べ終わった弁当箱に蓋をして話し出した。
「まず、そもそもの原因は達也君が橋の上で私を襲ったことねえ。」
「違う。」
はっきりと否定したが、ふたりともニヤニヤ笑っているだけだ。分かっているって綾香ちゃんが言ってくれてよかった。
珠理ちゃんは、長年継承された伝説を言うように抑揚つけて話し出した。あまりにも、上手に話すからありもしない事実を言われても訂正するのを忘れるのが多々あった。
彼女が言うには、殺されかけたのは橋の上のあれが原因だった。もちろん、あれは僕が襲ったのではなく、彼女が無理やり自分の肩の上に僕の腕持ってきたのだが、どうやら、それを彼女の監視役が見ていたらしい。式神と言われるもので、それが間違った情報をパパに伝えたそうだ。彼女はそれに気が付いて慌てて帰ったのだがもう遅かった。パパは式神に僕の後をつけさせて家を見つけ出した。
珠理ちゃんはもちろん僕の家は知らない。そんなときに、現れたのはチーちゃんだ。珠理ちゃんが言うには彼女は、ただ僕に会いたかっただけらしい。僕にとっては、ピンチに登場したヒーローだ。彼女をリュックに入れて道案内させて僕の家に着いた。だから、チーちゃんは僕の命の恩人だ。
一生大事にしようそう心に誓った。
「今日、部活来てよね。」
彼女に貰った弁当箱を返すとほぼ同時に言われた。彼女の教室の前で、教室の中に綾香ちゃんが何か作業しているのが見えた。
優しく聞こえたけど、目はとても力強い。はいを強要された。でも首を振った。
「僕、部活に入った覚えないんですけど。」
「何言っているの?私が行かなかったらあなた死んでいるのよ。ちょっとぐらい私に恩を返してもいいと思うけどね。」
「ちょっと待って、もとはと言えば、珠理ちゃんのせいでしょう。」
「はあ?あんた嫌らしく抱きつからでしょう。下心見え見えなのよ。ばあか。」
ついに本性をあらわにした。口調が急に下品になった。さらにバカと言われた。
「それにあんたのためなんだからねえ。」
少し声が大きいよ。教室の方から無数の視線を感じた。でも、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「僕のためって言うけど、幽霊について教えてあげるってことでしょう。確かに専門家である珠理ちゃんと一緒に居たいけど別に部活に入らなくても。」
彼女の口調に合わせるように強い口調で言った。だってもう3年生なんだもの。今頃入っても仕方ないじゃないか。
「なあに、あなたは私を利用してもいいのに、私のお願いは聞けないの?」
「別に利用するとかじゃなくて。」
嫌になる。もっと上手く話すことが出来ればどれほど幸せなのだろうか。
「達也君は甘いのよ。何もわかってないのよ。特別なのよ、あなたは。」
「特別?」
どきっとした。彼女の顔を見ると優しい空気に包まれて貴重な鉱石のように輝いている。
身体をくねくねさせて、上目遣いでさらに下唇を軽く噛み、ほのかに頬っぺたを桜色に染め、じんわり体温が伝わってくる。
綺麗。少女がお花畑を前にした時の気分。自然に考えることなく思った。彼女は美しい。
そんな彼女をいつまでも見ていたいと思った。
「好きなの。あなたのことが。特別に幽霊たちが。」
言い方に悪意を感じる。顔が固まった。それを見て悪魔の子供みたいに笑っていた。
「だから気を付けないといけないのよ。ひどい目に合うからね。下手したら死ぬよ。」
冗談でしょうっと言ったら彼女の目が真剣だったので、恐怖が増した。
彼女は僕の心を弄び、人気のジェットコースターみたいに、心を上下へ大きく揺さぶる。
「冗談じゃないわ。あなたみたいな性質の人が幽霊に殺されたことはあったんだからね。」
まるで身内に起こったことのように、目を伏せて悲しそうに言った。何故だか自分のことのように悲しくなった。
「とりあえず、死にたくなかったら、私の言うことを聞くことね。それと、私と一緒に居ることね。」
バイバイと手を振って教室の中に入って行った。理不尽だと思ったものの諦めた。可愛いだけましだ、そう心で呟いた。




