第1話:ご飯を食べよう!
次に目覚めたとき、わたしは主人の腕の中にいた。主人の腕が腹にのしかかりとても重く、不愉快だ。
するりと主人の腕から抜け出し、改めて自分の主たる存在を見つめた。
間抜けそうな寝顔。わたしがいなくなり寒いのか少し顔をしかめている。というか起きないのか。気が付いたら抱きかかえられていたわたしが言えたものではないが。
寝床を独占していたのはわたしなのだが、主人に奪われておもしろくない。
仕方がないので部屋を観察し、わたしの寝床には劣るがふかふかしていそうな椅子に陣取ることにした。うん、寝床よりも硬いがこれはこれで良し。わたしの第二の寝床となるがいい。
一応主人に召喚されたものとして、外敵が来たときだけは守ってやろうと、意識だけは主人に向けたまま再び微睡みかけたとき、ピピピピ!!と機械的で大きな音が部屋中に響いた。
せっかく閉じた目を再びぱちりと開き、毛を逆立てて瞬時に警戒の体制をとったが、わたしの中の妙な知識が「これは目覚まし時計か何かのアラームであり、外敵ではない」と教えてくれた。
アラーム。特定の時間を知らせる道具である。なんてことはない。緊張で張りつめた体がぐんにゃりと脱力していく。
全く驚かせてくれる。これの原因は十中八九主人だろう。なんだか腹が立ってきた。
のそりと動き、音源である道具がある第一の寝床に向かう。主人には攻撃はできないが、主人ではないただの道具には攻撃ができる。わたしは八つ当たりのように未だ鳴り止まぬ道具を前足を使って地面にたたきつけた。壊れる道具。鳴り止む大きな音。
わたしもついつい力んでしまったがあの簡単な一撃で木端微塵とは軟弱な。
フンと鼻で笑ったわたしは、あの大音量でもなお起きなかった主人の寝顔を再び覗き込んだ。
相変わらず間抜け。今にもよだれがたれそうな顔を見ていると、わたしは一つのとてもいい考えが浮かんできた。
わたしは主人を攻撃できない。これは常識だが、召喚された魔物は主人を害することはできないのだ。……悪意のある場合に限る、が。
いやあわたしはなんて主人思いの魔物だろう。今からわたしは善意で、全力でこの尻尾を主人の顔に叩きつけようじゃないか。起きようとも起きられなかった主人を健気にも起こしてあげるのだ!
いざ覚悟しやがれ。いや、ちがうな。おはようご主人いい朝だよがベストだ。体制を低くして、いつでも飛びかかれるように準備する。三、二、い――
「おっはようございますマスター!!」
「あだぁ!?!?」
バアン!と主人の顔面に大きな本がぶつかった。いざ飛びかかろうとしていた私は出端をくじかれずるりと転んでしまう。コメディか。
主人の顔面に強烈な一撃を与えたのは召喚されたときに見たあの宙に浮く本だった。わたしと違って100%善意の行動なのだろう。いい音を立てただけあって主人の顔が赤い。
「さあさあマスター!朝ですよ!魔力の回復は十分ですか?ダンジョンポイントの回復も十分ですよ!今日も張り切ってダンジョンクリエイトしていきましょうね!!」
「う……うるさっ…!」
全くその通りだと思う。どこからそんな声量が出るのか、仕組みはわからないが本はテンションがとても高い。
主人は本に急かされるように起き上がる。髪の毛はぼさぼさ、髭が生えていないのはおそらくこの主人が老いることのない体であるせいだろう。
目は半開きだし服はよれよれだし、とてもじゃないがこの世界の脅威たるダンジョンマスターには見えない。
「ほらほら!キャンディーちゃんも張り切っているようですよ!」
「んあ?そういえばあのぬくもりが……」
主人はばたばたと手を動かして何かを探す仕草をした。ぬくもり、本の発言、そこから導き出されるのは……。
わたしの名前が、キャンディーちゃんというものであるということ。
(だっっっっさ!!!)
ダサすぎる。なんだキャンディーちゃんって。わたしは魔物の中でもそこそこの脅威として恐れられるネコマタだ。それなのにキャンディーちゃん。ペットか。このネコマタをペット扱いなのか。
信じられない事実に体が震える。もちろん恐れが理由ではない。怒りだ。これは明確な怒りだった。
嘘だと思い自分のステータスを確認したが、そこにはたしかに「キャンディーちゃん」と登録されていた。キャンディーだけではなく“ちゃん”も込みで登録されている。まったくばかげている。
「キャンディーちゃんおはよう」
主人はわたしの怒りに等気付かず呑気に挨拶をしてくる。なんだ。にゃあとも鳴いてやらんぞ。
「キャンディーちゃん、昨日は寝ちゃってたから言えないけど、出来たら、その、ずっと昨日みたいな姿でいてほしいなー、なんて」
下心満載なのが見て取れる。鼻の下を伸ばす主人はよっぽどあの姿が気に入ったらしい。本はといえば、マスターのやる気が上がるのであれば!と見守っている。
仕方ない。実に仕方ない。これが主人でなければ爪で切り裂いた後に炎で炙って骨まで残らずしゃぶってやろうと言うものを。
ふぅというため息とともに昨日と同様人型を取る。
人型になると爪も牙も軟弱になるから、人を騙すときぐらいにしか使わないのだが主人の命令だ。名前からしてもこのネコマタのわたしに戦力の期待はしていないのだろう。怒りを通り越して悲しくなってきた。
「いやー、やっぱクーデレネコ耳美少女最高!」
たまらん!と主人がはしゃぐ。完全に目が覚めたようで何よりだが、さっさと餌を渡すか命令をしてほしい。主に戦闘系の命令であれば何よりだ。この怒りや悲しみが今なら大きな力となりやがてはダンジョンの脅威として恐れられることだろう。
二股に分かれた尻尾がゆらゆらと揺れる。召喚されてから何も口にしていないのだ。腹も満たすためにも狩りに行きたい。
「あれ、なんか機嫌悪い?」
「もしかしてお腹空いてるんじゃないですか?昨日も何も食べていないようですし」
配下のモンスターをきちんと管理するのもいいダンジョンマスターの条件だのなんだのと本が主人に説明する。
今のところわたしにとっては緊張感もネーミングセンスのかけらもない、強さだっていまいちわからない、言ってしまえば駄目な主人だ。挽回する機会はあるのだろうか。
「ご飯かぁ……昨日みたいにダンジョンポイントでだしたご飯とかでも大丈夫か?」
「ネコマタの主食は魔力です。昨日のご飯もマスターの力であるダンジョンポイントで作られているので魔力はたっぷりあるので問題ありません!」
「おし、じゃあ今から飯を作るか!」
本には顔なんてないがドヤ顔をしているのが伝わってくる。自信たっぷりの本を主人はめくり「クリエイト!」と叫んだ。
するとどうだろう。なにもなかった寝床の上に何やら湯気の出ているものが現れたではないか。
恐らくダンジョンマスターの力で召喚したのだろう。とてもおいしそうな匂いがする。そして、わたしはそれが何なのか知っている。
「朝だしキャンディーちゃんは猫だし、やっぱ焼き魚定食だろ!」
そう、ほかほかの白ごはんに香り立つ味噌汁。真ん中には焼き立てを主張するかのようにぷつぷつと油を跳ねさせる焼き鮭の組み合わせはどこからどう見ても日本の朝食だった。
ネコマタのわたしはうまそうだがどうやって食べればいいか疑問に思うが、元日本人の意識は焼き鮭の皿の近くにある二本の棒――箸を使って食べるのだと主張する。
寝床の上は“はしたない”かもしれないが、腹が減っているしここに召喚したのは主人だ。どうやらこれは私のものらしいので、遠慮なくいただくとする。
箸を持ち、まず最初につやつやと光る白米を口に放り込んだ。
――うむ、うまい。主人もなかなかやるようだ。
「う゛っ!!!」
「マスター!どうしたんですか!?」
「キャンディーちゃ……」
「キャンディーちゃん!?キャンディーちゃんがどうかしたんですか!?」
「笑顔がめちゃくちゃキュート…!」
ぐは、と恍惚の表情を浮かべて寝床に倒れ伏す主人はどこからどう見ても不審者だが、今はこの美味い餌に免じて見なかったことにしてあげた。
わたしはネコマタである。名前はとても不本意ながらキャンディーちゃんである。