世界一可愛いよ! 魔王様。
雷鳴が鳴り響き、閃光が暗雲を切り裂く。
一瞬のそれに、仄暗い魔王城の玉座が、そこに座る者の姿を一瞬だけ浮かび上がらせた。同時に、ついにその場所へとたどり着いた勇者の姿を浮かび上がらせる。
彼女は勇者の称号と聖女のそれを承った、聖女勇者レナ・ディーン。
そして、その眼前に佇むのは、
『ふっふっふ、よく来たな、勇者よ。さあ、我れの前に跪く覚悟はできたか?』
魔王――は、そう深い渋みと酸味が溢れる声を漏らす。
純度の高いカカオチョコのよう、ただ苦み奔るだけでなく、耳の中に聞き心地の良い残響が残る。それは舌の上で蕩ける様な甘みを醸し出す、ダンディズムが溢れる媚声だ。それは女性を悉く虜にするような声だった。
だが、それは魔王城へ訪れた者への冷たい最後通告だった。
――筈なのだが。
「いえ、あの……いま、なんて?」
「――クマ! くまくまくま、クマ!」
実際にはそう聞こえていた。
――何故ならば。
「……どうしてそんなところに居るんですか? かわいいテディベアちゃん?」
「ク~~~~~~~~~~~~マ~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
――そしてそれは、それは悲痛な嘆きだった。
可愛い熊のぬいぐるみ(魔王)は戦った。力の限りモコモコの腕を振り回して。
ふかふかの魔王は戦った。それはもうプニプニのボディーを吶喊させて――
素早く、珍しくちゃんと呼び鈴を鳴らして入って来た勇者を相手に、出来る限りのお茶とお菓子もお出しして、穏便にお帰り頂こうと、とりあえずしめやかな宴席を開き、そして会談の席に着いて貰った。
子供用の足長の椅子に、ちょこんと、侍女さんに抱っこして座らせて貰い……。
蝶ネクタイのアイテムを首に着け、
『訳:ちょっと待て! 今ちゃんと翻訳掛けるから!』
「え? ごめんなさい? なんとなく必死なことは分かるけど……ごめんね? 多分あなたのご主人さま――魔王様はどこかしら? 呼んできてくれる?」
「――だからここに居るクマ! 私が、この城の城主、魔王なんだクマ!」
「まあ、ダンディな声ね――でも語尾が……」
「くっ、呪いの影響で翻訳魔法すらこの始末……クマ! ええいくそっ! クマ!」
「……ええっと、とりあえず事情を説明してくれる? クマちゃん?」
「全然信じてないクマ!」
「その語尾じゃ」
「……実は」
魔王は説明した。自分が先代女魔王をうっかりベットの上で天国に送ってしまいその称号を引き継いでしまったことを。そして、先代の業務である女性の駆け込み寺を預かり、日夜バッドエンドを迎えてしまったような彼女たちの治療と看病に明け暮れていることを。
そして、昼夜を問わず親身に接する中で心を通い合わせた女性たちと、ちゃんと合意を得た上で手を出しうはうはハーレムしていることを。
だが、
「……亡くなった最初の奥さんに夢枕で怒られたクマ、んでクマになっちゃう呪いを掛けられたクマ。これ以上無闇に奥さん増やしちゃ駄目って。私の生まれ変わりにあいじょうたっぷりのキッスしてくれたら呪いは解けるって。でもそれ以外の娘にキスしちゃったら一生そのままだって。反省しろって」
「――まあまあ、それは大変ですねえ……」
「絶対信じてないクマ!」
「だって、こんなかわいい見た目で……ねえ?」
「優しく微笑むなクマ! あっこら! こっちきて膝に抱えるなクマ! そんなことしたらこっちだって頭の上にあるおっぱいをパフパフするクマ!!」
「あらあら、おませさんな年頃なの?」
「クマ?! ならば……このままベッドに連れて行かれてイケない事されたいのかクマ!!」
「まあ……男性器もないのに、どうやってそんなエッチな事するんですか?」
「貴様! 女性が伏字も規制音も使わずそんなこと口にしちゃだめクマ!」
しかし聖女は膝に抱いたぬいぐるみの股間を割と遠慮なしにV字開脚させ、そしてパカパカさせ、魔王に自身の男として機能不全な姿をガッツリ確かめさせた。
魔王は辱められた。その余りに恥ずかしさに両手で顔を覆った。
「やめて、もうやめて……私のHPはもうZEROクマ」
「ふふふ? こんなかわいいクマさんが魔王様だなんて……ほら、いい子いい子――」
聖女が聖母にクラスアップする。
おもっクソ子供扱いされ頭をなでなでぽむぽむされた。
魔王の心は傷付いた。この上なく傷ついた。
そして鶏冠に来た。
「くっ、こ、こいつめ! もう容赦しないクマ! こいつめ~~~~~クマ!」
魔王は立ち上がり(膝の上で)一生懸命聖女に向かってぐるぐるパンチした。ぽかぽかぽかぽか殴り付けた。
攻撃力0、モフモフ度MAX! どう見ても子供が親に駄々を捏ねているようにしか見えない!
かなしいことに、そんな綿花と化学繊維で作られた腕では彼女を慈悲深い女神のよう、そして子供を見守る母のように微笑ませるだけだった。
それどころか反撃にまた頭をぽむぽむ、なでなでされてしまう!
魔王のダンディズムは0になった! 大人の男としてもう戦闘不能だ!
その余りの虚しさに崩れ落ちる……。そして、聖女のお腹に正座気味にしがみ付いて泣きついた。
「……う、うおおおおおおおおおおおおおお! この始末、この始末クマ! いつもこんな感じクマ! 挙句な果てにこの城にやってきた勇者パーティーの姫とか姫騎士とか女勇者とか女戦士とかに抱えられて連れ去られるんだクマ!」
「え? 姫を攫うんじゃなくて、攫われているのですか?」
「戦利品クマ! 危うく一生このままになるところだったクマ! でも、あいつら男より男らしかったり凛々しかったりするくせに――」
思い出す。姫は帰ったら政略結婚でくそ爺と結婚させられるとか、姫騎士は腹筋がキレイに割れてて彼氏に『カブトムシとは無理』と言われたとか、女勇者は男尊女卑の業界パワハラで仕事を回しに回され悪夢にうなされるとか、女戦士はビキニアーマー強制で、日常化したセクハラがきつくて転職を考えてるとか。
みんな割とっていうか、ガチな悩みを抱えていて……。
放っておけるわけが無くて、一晩中添い寝しながら悩みを聞いていた訳で。
そいつらぶっころしたわけで。
そんな、弱みの告げ口みたいなこと、言えるわけが無かった。
ダンディズム!
「……ベットの中ではめちゃくちゃ可愛い女の子クマ!」
しかし! 聖女は冷静に微笑み、
「……で、またつい浮気しちゃったと?」
「――本気クマ! じゃなくて。この唇だけは死守したクマ! でもこの間は近所の子供にすらお持ち帰りされて、そこにいたお母さんにまで『いくら?』って聞かれたクマ!」
「それはまあ……盗んだものをお金で解決しようとするなんて、いけませんね?」
「そう解釈するクマ!?」
「ところで、私もあなたを倒せば、お持ち帰りしていいんですよね?」
「くま!? 今日の友は明日の敵クマ!? そんでかわいいフリフリのパジャマとか着させられるんだクマ!」
「……大丈夫ですよ? 私はそんなことしませんから、ね?」
聖女はそっと優しくぬいぐるみを抱きかかえた。
「ほ、ほんとクマ?」
「ええ、大丈夫ですよ?」
――そしてスッッと魔王城を出た。
侍女たちも何故か恭しく礼をしてそれを見送った。
「……どこに行くクマ?」
「あら、あそこに座っているから戦利品扱いされているのでしょう? なら、とりあえず今日だけでもそこを離れてみたらいかがですか?」
「そ、それもそうかもしれないクマね……」
聖女は手早く鍵を貰い宿の部屋に自然に入り込んだ。
扉が閉じられ、その鍵が後ろ手に閉められる。
チェーンロックも掛けられた。
「……ね、ねえ……なんで別々の部屋にしなかったクマ?」
「……あら、寝込みを襲われたらどうするんですか? 大丈夫ですよ? 私がちゃあんと守ってあげますからね? ふふふ?」
「そ、そういうことクマね?」
魔王は安心した。しかし聖女の腕の中に抱えられながら、部屋を見渡し、
「……ねえ、」
「はい?」
「じゃあなんで……大きなベッドが一つなんだクマ?」
「……仕方ありませんよ、ぬいぐるみは持ち物扱いですから」
「そ、それもそうクマね……、いや、あの」
「――なんですか?」
「……じゃあ、なんで、こんな……いかがわしい……」
毒々しいまでのピンク色の照明が、ミラーボールで爛々。鏡張りの壁が、ガラスの浴室が。
どう見ても、浮気、不倫、NTR、そんな言葉が思い浮かぶラブホテル。
どう見ても、聖女が入っちゃいけない場所である。
「……それはですね?」
「――それは? クマ?」
「……ほら、私はこれでも有名人ですから……普通の宿に泊まると部屋まで人が押し寄せてくることも……」
「そ、そういうことかクマ!? それなら仕方ないクマ! ……いや、それは怖かっただろうクマ……」
魔王はまた無自覚に素で心配をしていた。
包容力!
「……ふふ、優しいんですね? 魔王様は」
「そ、そうクマ、私は女性に優しい魔王なんだクマ!」
そうこれ、これなんだ!
魔王は男としての自信を取り戻した――
――からの一瞬で、
「……だから、今日だけ? いいですか?」
絶望のどん底に落とされた!
いや、じょせに優しく。いやこいつ、自分を永遠にクマちゃんにして無力化するつもりか?
だがどっちだ。
聖女じゃなくて魔女なのか。
でも、本当に怖い目に遭っていたら……。
1%でもその可能性があったなら。
「……ク、クマ?」
「……いえね? ここまで一人旅でしたから……久しぶりに、クマのぬいぐるみを抱っこして寝たいなあ……」
ジリ、ジリジリ。
すっ、すすっ……。
じっ、ピタ。
眼がそらせない。
彼女は弱っている……とは思えない。
そんな女がこんな強い目力をしているだろうか? こう、奥さんに、何かカマを掛けられているような。デジャヴが。
「……こ、子供じゃないんだから、クマ」
「……聖女なんだから、そんなものは持って行くなって、お気に入りのクマちゃんも取り上げられてしまい……」
二人は心の距離と、物理的な間合いを測り合う。
あくまで自然な仕草で。聖女は如何わしいベッドの上に腰掛け、魔王は、さり気なくソファーの上を陣取った。聖女がそこへ鞄の中から侍女に手渡された着せ替えセットを取り出し隣に来れば、魔王はさりげなく背中を向け備え付けの冷蔵庫に向った。
そして、聖女の物悲しげな視線の即効に、負け、
「……しょ、しょうがないクマ……今日だけだ!クマ」
「――じゃあ、一緒にお風呂に入りましょうか?」
ビクン!?
「……ダメダメくま。ぬいぐるみだから一緒に入れないクマ。ドライヤーじゃ中まで乾かせないクマ。だから君だけでゆっくり……そう、ゆっくり! 体を温めてくるクマ」
「ゆっくり、ですか?」
「長旅で疲れてるんだろう?クマ。疲れを取り風邪をひかないようにしろクマ。女性の長風呂くらいその身の苦労を鑑みれば逆に嬉しいものクマ。出てきてからは僕が抱っこして身も心も深く寝かしつけてやるクマ」
「……魔王様」
流石にそれは超えてはいけない一線! 魔王は必死に浮気の阻止限界点を死守しようとする。聖女はすっと立ち上がり、そして浴室に向かった。脱衣所まで透け透けガラスで囲まれたそこに。
そして、振り返り、
「……見ないでくださいね?」
「当然クマ!」
「……決して、見ないでくださいね?」
「……何で二度確認したクマ?」
怪しい!
「……ふふ、大事な事ですから」
しかしおもむろに修道服を肌蹴はじめる。何故だ! しかもこちらを真正面から見据えたままだ。大胆過ぎる! それに耐えかね、
「――待つクマ!」
「あら……クマちゃんなら平気ですよ?」
完全に男扱いされてないのか。いや、男として許しているということか! そう思いたい。
ごくり。
しかし!
「だがしかし! ……そこに、スイッチがあるクマ」
「――灯りを消した方が?」
「いや、曇りガラスになるクマ」
「……」
「……その方が、みえそうでみえない、チラリズムがあるクマ……」
「……そうですか、てっきり……」
「なにクマ」
「――逃げる気かと」
冷や汗が流れる。
「……そんなことしないくま、私は女の子には紳士クマ。ほんとはただ見ちゃいけないって思っただけだクマ」
「……魔王様」
「……今はただのテディベア、くま」
それは本心であった。さすがに初めて会った女の子といきなりボディランゲージなんて!
余裕だけど。そういう問題ではなく、彼女の外聞とか貞操に関わるだけに、蔑ろにするわけにはいかなかった。
すると聖女は深く一礼し、脱衣所でふぁさり、シュ、するりと衣類を脱ぎ出した。しなり、生白いふくらはぎが露出し、ひたひた、踝がきゅっ……熱いシャワーが確かにしとどに肢体を濡れそぼらせ、排水口に流れだしたのを音で確認して。
全力で走り出す。逆に逆に彼女が女として本気?だということは分かった!
溢れるダンディズムが完全に裏目に出た!
何より今なら、流石に素っ裸じゃ外まで追い掛けられないだろうと、一目散にドアへ。
それは、たたかう、まほう、どうぐ、にげる、作戦、の五択だった。魔王は作戦を選び、→にげる、を選択したのだ。昇竜拳でチェーンを外し、鍵を開けそのノブに飛び付きぶら下がり、全力でフロントまで行き支払いを済ませ夜のネオン街に脱出した。
魔王は自宅にひた走った。もう浮気はしないと誓った奥さんの為に。
そして元の体を取り戻すため。
転生した奥さんを見つける為に、今日も城にやってくる女の子や不遇な女の子を拾っては助け、そしてハーレムに加えようと。その為にはまだ一人の女に縛られるわけにはいかない、いかないのだ!
だが、
「ふふふ、嫌とは言わせませんよ?」
「ア゛ッ!?」
聖女の鋼鉄の爪がモフモフぷにぷにの頭部に食い込む。
「知っていますか? ――魔王は勇者から逃げられない」
「くっ、しかし最初の一回……舐めプの時だけは可能クマ!」
「……だから、逃がしてあげたでしょう?」
「あ、」
「そして絶対……魔王《浮気者》は勇者《正義》に敗北する……」
「あっ、あっ」
そこはむしろ勇者《浮気者》は魔王《恐妻》に、ではないかと思いつつ。
「ふふふ、さあ、最後の踊りを始めましょうか?」
聖女は手の平を妖しくひらひらと蠢かせる。なんかこう、いいように手の平で弄ばれている感じに。
その瞬間、完全に迫っていた温かなマイホームが棺桶に見えた。それはもちろん押し入れ奥のおもちゃ箱の形をしていた。
そして無自覚に呟く。
「あ、あぁああ、も、もう浮気しないから、たとえ合意でも! 女の子に手当たり次第手を出さないから……」
「ダメです、許しません」
「た、助けて……」
「……そんなにその女がいいんですか?」
「あ、当たり前クマ!」
「でもダメです」
聖女は城の門をくぐり、問答無用で寝室までまかり通る。
そしてベッドにテディベアを放り込み、周りにいる侍女を下がらせた。
仄暗い蝋燭の火を灯す。
「くっ、……くっ殺せー!」
「それはあなたが口にしていい言葉じゃありません」
「あっ、あっ……アッ――――――――――――――――――――――!」
「もう、バカな人……」
チュッ。
そして、元の体に戻った魔王様は――
転生した元奥さんに、こってり搾り取られました、とさ。