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第八十七話・『犬猿の仲』

受験後の燃え尽きのせいで記憶が所々飛んでいるこの頃。

 気が付くと、頬に何か冷たい物が伝っているのに気づく。

 朦朧とする意識を確たるものにしながらいつの間にか大の字に寝転がっていた体を起こす。

 小さな水溜りに座っていた。道理で体が妙に濡れているわけだ。

 口の中に入っていた砂を吐き出しながら、ふらふらと立ち上がり周りを見渡す。

 まるで牢獄だった。

 頑強な石造りの部屋。隙間は所々に見られるが、せいぜい蟻一匹通れるかどうか程度の物。出口と言えば、半開きになっている鉄格子だけだった。

 部屋の壁や天井、床に使われている石レンガはかなり風化しており、苔などもこびりついている。明らかに数十年はまともに手入れがされていない様子だ。雰囲気としてはとても不気味だが、ある物が誰が置いたかもわからない火を灯している小さなランタンだけ。まるでホラー映画の撮影場に紛れ込んだようだ。

 そしてやっと我に返り、自分がどうしてここに居るかを思い出した。


「くそっ、ウィンクレイの奴め……」


 確かウィンクレイの手により空間転移されたのだ。

 曰く特別区画。俺たちの様に苦も無く最上層にたどり着けるような輩に対する一種のカウンターだろうが、流石に度肝を抜かされた。

 更に床を見渡すと――――ソフィとエレシアが寝転がっている。可愛い寝顔だ。今が日常ならば眺め続けるのもやぶさかではないが残念ながら緊急事態の真っただ中。今すぐたたき起こすべきだろう。


「おい、起きろ。おい!」

「う、ぅうん……」

「……お父、さ……ん」


 駄目だこりゃ。

 荒療治は行いたくなかったが一刻を急ぐ事態だ。

 イリュジオンを腰から引き抜いてその二刃を互いに当てる。

 そして――――『重力操作フェイクグラビティ』による高速振動。金属同士が超高速で衝突を繰り返す騒音が大音量で室内に反響する。


「~~~~~~~~~ッ!?!?」

「あ、うわっ、あああ~~~~~~!」


 二人とも耳を抑えて悶絶している。俺もそうしたい気持ちだがあとにしよう。

 キンキンする耳を気にしない様にしながら二人の頬を軽く叩いた。


「起きたか。意識は、気分は?」

「最悪だよ糞がッ!!」

「お父さぁぁ~~ん…………」

「誰がお父さんだ……」


 俺まだ十六だぞ。

 とりあえず身体的な異常はないようだ。ウィンクレイの事だからてっきり何か細工でも仕掛けてくるんじゃないかと勘繰ったが、杞憂で終わったらしい。


「くっ……至近距離で音爆弾とか何考えてんだクソ野郎」

「お前が口を開けば罵詈雑言。何時からそこまで頭が高くなったんだか。別にいいがな」

「あぁ?」

「少しは黙ってろ馬鹿が。調子に乗った奴ってのは大体後から落ちることになるぞ」

「……今お前を殺してもいいんだぞ」

「やるならやれよ。俺のその価値があるかは俺も知らないがな。俺を殺して事態が改善するならとっくの前に死んでる。ほら、俺を殺すことで何かが変わるんなら、やれよ」

「…………頭どうかしてんじゃないのかお前」

「良く言われる」


 ソフィの不機嫌を適当に流しながらエレシアの様子を見る。

 どうやら荷物を一個多めに背負ってしまったようだ。こいつを連れたまま『塔』に来たのはどうやらミスだったようだ。こんな事なら集落でフェーアに預けておけばよかった。

 今更な後悔をしながら、半開きの鉄格子の先にある空間に目を凝らす。


「……何だありゃ」

【映像解析――――……完了。結果を掲示しますか?】

「言え」

【エルダーベヘモスと、本システムは推測します。推定レベル550、最大で700程。通称は大甲殻亀だいこうかくき。古代から未だ生き残っている希少種でありギルドから公式にSSS級危険種と指定された超大型モンスターです。通常固体でも全長300m、全幅120mほどであり、一体だけで一つの国を三日で地図から消せる強力な種です。普通ならばS級、SS級探索者が大規模なパーティを形成して討伐に当たる種ですが】

「勝ち目は」

【当機の計算結果――――ユーザー、いえ、マスターの実力を全て発揮すれば討伐不可能なモンスターではありません。確率としては75%ほどですが】

「高いな」

【私はマスターを高く評価しております故】

「そりゃどうも」


 イリュジオンを一度納刀し、一人でエルダーベヘモスの元へと歩き始める。

 瞬間頭に固い物がぶつかった。どうやら後ろから石レンガが飛んできた様だ。

 エレシアがそんな物騒な真似をするわけないので、当然実行犯はソフィということになる。俺を殺す気かアイツは。


「どこ行く」

「前」

「そう言うこと聞いてんじゃねぇよ!」

「じゃあなんだよ。デカい亀に食われて死にたいんなら止めないが」

「俺も闘える」

「…………あ、っそ。付いてきたいんなら勝手にしろ。エレシアは……そうだな、待て」


 即座に『心眼(偽)』を使用しエレシアのステータス閲覧。


【ステータス】

 名前 エレシア HP120/120 MP25/25

 レベル4

 クラス 未熟者ビギナー

 筋力3.12 敏捷4.30 技量2.28 生命力5.39 知力3.87 精神力2.91 魔力1.14 運1.00 素質12.00

 状態 混乱0.88

 経験値 19/380

 装備 絹のシャツ コットンパンツ

 習得済魔法 無し

 スキル 格闘1.10 狩り0.91 解剖技術2.18 野生の勘??.?? 第六感??.?? 補助魔法特化適正1.00 野生児1.00 怖がり??.??


 スキルの数は申し分ない。いくつか不明な物が多いが、要点だけまとめれば戦闘の経験が極めてない者といえよう。格闘の熟練度は多少齧った程度。狩り、はおそらく向いていないのを無理に習得した結果1.00にすら届いていない結果。解剖技術は……一体何をしたのだろうか。野生動物でも解体したか。そして野生の勘は、そのまんまか。第六感スキルは謎が多いが危険察知能力が高いという点では優れものだ。魔法適正が特化しているのは、あまり良いとは言えない。何せ全ての攻撃魔法が使用不能という事だからだ。獣人はそもそも魔法が使えないので使えるだけマシなのだろうが。そして野生児、は称号みたいなものか。怖がりも同様。効果については面倒なので細かく詮索はしないが、総評的には「死にやすい」か。

 レベルが低いのでまだ何とも言えないが現状エルダーベヘモスとの戦いに巻き込むのはお勧めできない。素質が高めだが所詮素質。本人が育っていなければ意味はないだろう。

 幸い、本人が離れていてもパーティリーダーがパーティだと認めていれば距離関係なく経験値が配布されるようなのでここに居てもらっても問題はないのだが。


「私、も……行く」

「死ぬかもしれないぞ」

「そ、れでも」

「…………わかった、じゃあ来い」


 小さな体を抱える。下手に手をつないで連れまわすよりもこちらの方が動きやすい。

 急にソフィの視線が冷たくなる。


「お前、幼児性愛者ペドフィリア?」

「死ねくたばれ野垂れ死ね。二度目を言ったら舌を引っこ抜くぞ」

「……しばらく俺の近くに来ないでくれ」

「わざとやってんならお前本気でベヘモスの口の中に放り込んで纏めて消滅させるぞ?」


 何故こいつは一々俺の逆鱗を殴りに来ているのか。

 悪神と善神の触覚という互いの立場の違いもあるだろうが、これほどガキを殴り倒したい衝動に駆られたのは初めてだ。いや、あっちゃダメなんだろうけど。


「……で、お前。戦う算段はあるのかよ」

「問題ない」


 ソフィはそれだけ告げその小さな両手に白い本らしき物を出現させる。

 一目見てそれが『異質』であるとわかる。『魔力感知』スキルによる効果で明らかにおかしい質と量の魔力がアホみたいに溢れ出ていた。


「《全知は此処に在りロード・オブ・グリモワール・アーカイブ》、これは――――」

「魔導書か。しかも魔力貯蔵と魔力生成のおまけつきだ。最高位魔導書でもここまでインチキじゃないぞ」

「――――ほう、一度見ただけで我が身の性質を理解するか」

「しかも人格付き。面倒くさい物を手にしたな、お前」

「……言うな」


 同じく人格付き道具インテリジェンスアイテムを所有している身、その苦労は痛いほどよくわかる。何せ人格を持つ魔剣と体内には悪魔の人格と変なサポートシステムと未だ目覚めてはいないが恐らく勘では確実に目覚めるであろう魔竜が眠っているのだ。


「まぁ、同情はするが……代償が無い分こっちより使いやすいって、ふざけんなよテメェ」

「逆切れしてんじゃねぇよ年上が」

「それは汝にも同じことが言えるのだがな、ソフィ」

「るっせぇ黙ってろクソ本が!」

「…………そういやさ、気になったんだが」


 微かに心に引っかかっていることを口に出すべきか迷う。

 これは本人が肯定か否定をしないとわからない問題だ。ステータスにも表示されていない情報。

 反面、気にしなければ特に後の行動に支障がないというのも何とも言えない問題だ。

 俺個人が気になるという理由だけで今後の関係を崩壊させるわけにもいないのだが――――別にこいつと仲良くなりたいわけでもない。むしろ野に放り捨てたいと思うぐらい生理的に「NO」だ。

 それでも傍に置いているのはその所持しているスキルの希少性だ。

 数々のチートスキルを持っているソフィ。後々的に回られたら面倒どころかあちらに勝機が存在する。

 何せこいつ――――俺と合わなかった期間内で万を超える数の魔法を習得している。恐らく全族種、しかも固有魔法付きだ。しかもパーティ機能の忌々しさか成長してやがる。つまり俺が強くなればなるほどこいつも比例して強くなっていくという事だ。迷惑千万とはこの事か、糞が。


「お前ってさ…………前世の記憶とか持っていたりするか?」

「…………………」


 空気が一気に静まっていく。

 ソフィ本人は「何を言っている」でもなく「なんでそれを」といった目でもない。

 単純だ。


「それを話したら、お前は俺を信頼するのか?」


 それだけだ。

 話したところで俺とこいつの関係が悪化することはない。何せすでにマイナス方面でカンストしているのだから下がる余地が無い。

 なら、何というべきか。


「……そうだな。信頼はしない。恐らく百年経ってもすることはない」

「そうか」

「でもそれはお前『個人』に対してだ。お前の『力』は普通に賞賛するし評価する。むしろお前の人格面以外なら信用しているさ。問題はお前が生理的に無理だという事だ」

「一番最後、致命的な問題なような気がするが。つまり俺という人間は信頼せず、力だけを信用すると?」

「ああ。俺自身が保証する。お前はこのままいけば世界最高の魔導士になれる。それだけは魔法に関しちゃズブの素人同然の俺でも断言できる。だからお前は味方にしておきたい。――――それだけだ」

「それだけ、か。……成程、変に『お前に魅入られた』とか『お前を仲間として認めたから』なんて戯言ほざいていたら即座に見限っていたが……『脅威になるから、味方に付けておきたい』か。中々姑息な理由だな。だが、悪くない。むしろ良い。下手な詐欺師よりかは、よほど信用できる」

「あっそ。じゃあ頼むぜ――――最悪の相棒」

「こちらこそ。――――最低のイカレ野郎」


 俺たち二人のやり取りを見て全く理解できないのかエレシアは俺とソフィの顔を交互に見て「?」といった顔を浮かべている。しかし理解されても面倒なので適当に頭を撫でてごまかしておく。

 そしてなぜかものすごく甘えてくる。


「お父さ、ん……大好き」

「……何時から俺はお前の父親になったんだ?」


 まぁ、別にいいけど。アウローラの事もあるし、ぶっちゃけ世話を見る子供が一人増えただけだ。養う分には問題ない。むしろこんなかわいい娘なら大歓迎だ。適度に甘えてくるし、かわいいし、なんだか母性を掻き立てられるようなフェロモン分泌しているような感じだし。

 ああ、胃に空いた穴が塞がっていく。癒される。


「ところで……そろそろあのデカい亀の眼前なんだが」

「あ。忘れてた――――」


 重要なことをすっかり忘れていた。

 気が付くとすでにエルダーベヘモスまで五十メートルを切っていた。しかし全長三百メートルクラスのバカデカい亀からすれば五十メートルなど短いのなんの。こちらに対して威嚇の目線と小さな唸り声を放ってくる。

 しかし、何というか。


「…………あれ、全然怖くないんだが」

「え」


 ソフィは緊張で身を固くしていたが、俺は全然そういった兆候は無かった。むしろ無表情。

 何というか、何と言えばいいか。

 ヘルムートとか、ウィンクレイとか、ディザとか、レオニードなどの化け物どもと相対した経験があってこそなのだろうが。

 この巨大な、怪獣映画にでも出て来るような亀に対して全く恐怖心を掻き立てられないのである。

 そろそろ俺の認識が麻痺してきたのだろうか。



『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!!』



 巨大な石レンガ造りの部屋――――エルダーベヘモスが居てもまだスペースが有り余っているので推定でも幅一・五キロ、高さは一キロほど――――全体が震えるほどの大咆哮。

 それを正面から浴びたことでソフィはいよいよ身体の各所を震わせているが、俺はどうなんだと言うと。


「……汚ぇしうるせぇな、糞亀が」


 大量の唾液を浴びたことによる不快感しかない。

 そろそろ頭のネジが何十本も飛んでしまったのだろう。自覚がある分ストレスの種にしかならなかった。


「蠢け、侵せ、消せ――――『月蝕の右腕エクリプス・アーム』」


 自己暗示の様にキーワードを呟きながら右腕を横につき出す。

 そして数秒もしないうちに右腕が急激に膨張し、黒く変色していく。やがて形成されたのは、巨大な腕部。黒い、人間の物と比べて酷く巨大な右腕だった。

 これこそ俺の切り札の一つである『月蝕の右腕エクリプス・アーム』。ルキナの力を局所的に微弱に解放した産物。体験した『暴走』の経験から生み出した忌むべき技能。

 その反面有用性は絶大。敵をふれただけで己が身体に取り込み自身の糧へと変える。さらには離れていても侵食は止まらないという点も評価できるし、侵食を促す『ディフィート・スフィア』なる代物を放つことができるのも利点だ。

 要するに一歩的に戦闘を行うことができるという事だ。


「ふん!」


 肥大化した右腕で噛みつこうとしてきたエルダーベヘモスの顔面をぶん殴る。

 流石というか。悪魔の加護を受けたことにより右腕だけと限定的だが途轍もない筋力によりエルダーベヘモスの顔面は問答無用で体の中へとめり込んだ。『魔力放出マナ・イジェクション』も威力増大を促しているというのだからその威力は想像を絶する。

 具体的には――――殴った頭部が胴体を貫通し、遥か向こうの壁へとめり込んだ。

 当然エルダーベヘモスは絶命。

 超高レベルモンスターはたった一撃により粉砕されたのであった。

 その頑強なる表皮を全く生かすことも、というか通用することも無く。


「……そういや、モンスターって殺したら消えるんだよな。折角だし肉を食ってみたいが……」

【ならばスキル『任意解体』を習得するのがお勧めです。このスキルは任意でモンスターの死骸を現界、または消滅させることのできるスキル――――】

「ああ、じゃあ勝手にやっといて。飯食うから」

【了承しました、マスター。……質問ですが、マスターは『ユーザー』と『マスター』、どちらの方が良いでしょうか】

「……勝手にしてくれ」

【では今後はマスターで統一します】


 サポートシステムとどうでもいいやり取りを終え、黒い巨腕を消滅させながらエルダーベヘモスの死骸に近付く。俺の戦闘……というか一方的な殺害を一部始終見届けたソフィは今度は何をするつもりだといった懸念そうな顔で覗いてくる。

 エレシアを降ろし、周囲に敵対生物が居ないことを確認してイリュジオンでエルダーベヘモスの肉を抉る。

 そして徐に齧りついた。


「なっ、何やってんだ!?」


 当然の反応だ。モンスターというものはそもそも食用に適していない。魔力を通すだけに特化した肉体が故堅い筋肉が多く、肉質も悪いとしか言えない。食用に使うのはかなり追い詰められた状況でなきゃ野生児でさえも食すのは拒否するほどだ。それに人体への悪影響もある。強力なモンスターほど人体への拒否反応が凄まじい。拒否反応が起こる仕組みとしては簡単だ。

 そも、モンスターは変質した一定濃度以上のエーテルによって生み出される。エーテルはまだ全容が解明されていない物質であるが、まれにエーテルが悪質な方向に変質する現象が多々起こるのだ。しかも濃度が濃ければ濃いほど変質しやすい傾向。そして焔失したエーテルは周囲の変質したエーテル同士とくっつく性質がある。それにより自然に強固し、その副次的な現象として魔力へと変換されて発生するいわば魔力で構成された生物がモンスターだ。

 変質したエーテルを還元して作られた魔力を内包している以上、当然その魔力も変質した物。普通の生物が内包する魔力と比べると明らかに性質が異なっており、その性質は『身体能力増加に伴う凶暴化』『理性の欠如』。そして『正常な魔力との極端な反発反応』。端的に言えばこの魔力を正常な魔力を保有する生物が喰らえば拒否反応が起こり、体内をズタズタにされる。魔力を持たない獣人達ならば食せないことはないが、味が味だ。好きで喰う物好きも殆どいない。

 だからこそ俺の取った行動は異常と言っていい。何せモンスターの血肉を自分から食おうとしているのだから。最悪死ぬことも知っているはずなのに。

 とはいえ、俺は既にモンスターを喰った経験があるのだが。焼けばある程度魔力の毒性も下がるので焼けば食えなくないが――――生で食うというのは中々に痛烈な行動だ。

 ムシャムシャとエルダーベヘモスの肉を喰い終えた俺は口周りについた血を袖で拭く。


「やっぱ……不味い」


 何というか、堅い。凄く固い。予想はしていたがまるで固いゴムを喰っているような感覚だ。しかも味は最悪。ガソリンのような悪臭もさながら味は想像を絶しており、まるで腐肉の様な味だった。食ったことはないが、臭いがそうだった。つまりは最悪。

 更に胃から強烈な拒否反応が発生し始める。内臓は暴れるように蠢き、血管は独立した生き物のように俺の意思に反して破裂を開始する。


「がぁぁぁぁぁッ…………!! お、ぁあああがぁァッ……!?!?」


 強烈な痛覚。

 全身の細胞が崩壊を開始する。流石にエルダーベヘモスの魔力は強力過ぎたのか、俺の身体は徐々に口始める。しかしそれを許さない要素が三つ。

 ルキナ、イリュジオン、『土の現身』の再生能力による超高速再生。朽ち始めた個所から即座に新しい細胞が顔を出していく。今まで俺の命をつなぎ止めていた要素という事もあり、やはり強力な再生力。痛烈な体験を伴うが全身の細胞が壊死して死ぬことはなかった。


「何やってんだよ……」

「お、お、お父ざぁぁん! だ、いじょ、うぶ!?」


 ソフィは呆れ、エレシアは号泣して俺に抱き付く。

 ああ、この癒し要素が少しでもあの糞餓鬼に備わっていてくれたらよかったのだが。

 それより確認したいことがある。


「おいサポートシステム。俺のステータスに変化は」

【――――確認。細胞の休息の壊死と再生を繰り返したことにより身体構造がより強固な物へと変化。更にエルダーベヘモスが培ってきたであろう経験値が多少ながら追加されています】

「……モンスターを喰えば経験値を取り込めるという事か」

【結論から言わせてもいらえば。新発見ですね】

「そうだな。じゃあ栄養補給のついでだ。――――二人とも、死にたくないんなら真似すんなよ」


 それだけを言い残し――――俺はエルダーベヘモスの肉に齧りつく。そして引きちぎり食らう。

 不味い、不味い、不味い。そんな感情など吹き飛ばしただ食らいついた。

 強くなるために。ただ一心不乱に噛みつき食らう。


「お、お父、さん…………」

「……生き急ぐ奴って、こんななのかよ…………?」

「黙って、ろ…………ッ!!」


 自分の中の狂気を押し殺して肉にかぶりつく。

 全身が焼けるように痛い。炎への絶対耐性を得てから味わわなかった痛みだ。

 久しぶりの痺れるような激痛を利用し意識を留めながら俺は腹を満たす。

 強さへの執着。

 それだけで、俺は自殺にも等しい行為を繰り返す。



――――――



 呆れ。その感情しか感じなくなったのは何分前の事だろうか。

 スカーフェイスもといライルは運がいいのか悪いのか、現段階で守護者ガーディアンであるリザとペアとなってしまった。ライルにとっては心強い味方なのだろうが――――リザからしてみれば自分にしつこくついてくる羽虫が偶然自室に入ってきたような気持ちだろう。とどのつまり最悪の心情だ。

 そのせいか無言で巨大な蜘蛛型のモンスター『ドレッドノート・ファントムスパイダー』を相手にモクモクと高速移動しながら強力な魔法を撃ち続けている。一応レベル400台の超高レベルモンスターの端くれだというのに全く苦戦する様子もまたなく、むしろ苦戦を強いられているのは大蜘蛛の方だった。

 昆虫の類には滅法強い水系統に特化した魔導士であることもさながら、百年以上培ってきた戦闘経験と戦士としての勘、更に『魔女ストレガ』としての高水準の能力からワンマンアーミー顔負けの戦闘力。これらをフルに動員すれば確かに在んな巨大なだけのモンスターなどにリザが後れを取るはずもない。

 戦闘開始から立った二分後、流石にその足に何度も水の弾丸を数百発もぶち込まれればファントムスパイダーはその八本の脚に力を入れられなくなり、崩れ落ちる。最期の抵抗として比較的無事な脚でリザの小さな体を押し潰そうとするが――――逆に鋭い水の噴射、ウォーターカッターの様な魔法で足を切断され絶叫する。

 機械の様にそれを行いながらいつもの人を舐め切ったような口調すらいまだ一言も出ていない。完全に不機嫌メーターが振り切っている。

 リザは冷ややかに塵を見るような目を保ったまま、跳躍。

 右手に巨大な魔方陣を展開しそれをファントムスパイダーの腹部めがけて突き出す。


「《湖の(Ecce c)乙女は(anunt )嘆き(dolor )歌う。(lacus.)王に授け(Dedit ergo)た聖剣( regi glad)は水へと(ium S. ran)還る。(a aquas.)永遠に(Placitumqu)訪れな(e opperiri)い王の( renascent)再誕を(ia adierat)待つが( regem in )ために(sempiternu)(m.)》――――《処女の涙は剣と成りやヴァルゴス・ラクリマ・グラディウス》」


 一瞬で魔法陣は巨大化し、魔法によって無から創造された純粋な水が剣を形作る。その鋭利で巨大な刃は高速で伸びて行き、ファントムスパイダーの腹部を見事に貫いた。

 それだけでなく、生成された水の剣は一瞬にして凍結。それに腹部を貫かれていたファントムスパイダーは当然その凍結現象に巻き込まれ、問答無用で氷の彫刻と化した。リザは宙に浮いたまま、自身の右手に触れている氷の剣を軽く小突く。それだけで氷の剣とファントムスパイダーの亡骸は空しく砕け散り氷の粒となって空に散った。

 戦闘終了。

 戦闘の開始から終了までを遠くで傍観していたライルはただただ頭が痛くなるだけであった。

 無視されるのはまだしもまさか勝手に戦闘を開始し挙句無傷で完全勝利。

 こんな無茶苦茶な奴を見たのは――――とライルがそこまで考えた瞬間、心の中に何かが引っかかる。

 似たような奴を知っているような、そんな感覚がふと脳裏を過ったのだ。

 しかしリザがまたこちらを無視して勝手に進行しようとしたのに気づき慌てて追いかける。

 そして少しだけ抗議しようかとその肩に手をかけようとして――――火薬でも弾けたのか途轍もない勢いでその手は弾かれる。咄嗟に力を受け流していなければ腕は確実に折れていただろう。


「触るな、塵虫が」

「……それが本性ってわけか?」


 今までに聞いたことも無い殺気を含んだ声音でリザはそう言い捨てまた歩き出す。

 確かにリザがライルに話しかける理由も必要もないし、逆もそうだ。しかしライルとて必要が無いから話しかけないというのはどうも腑に落ちないのだ。そんな理屈ならば道端で困っている老人に対して「自分のやる必要性がないし関係ない」と冷たく言う様な物だ。

 なのでせめて雑談程度は、と思ったのだが――――どうにもリザは『人間嫌い』らしい。

 ライルが口を開いた瞬間その首に見切れない速度で、リザは小さく細い華奢な手でライルを釣り上げた。

 見た目は貴族令嬢のそれ。

 しかし内包している力はそこらの雑兵程度とは桁違い。特殊能力なしという前提でライルとリザの単純な戦闘力を比較すれば1と10程。当然ライルが1の方だ。あくまで特殊能力なしでの話なので厳密には違うのだが。それでも筋力はリザが圧倒的に上回っていること自体は覆すことのできない事実だった。


「いいかしら? 私、あなたの様な人間か嫌いなの」

「がっ……ふっ、ぐぅっあ………!?」

「特に正義だ善意だとかほざきながら無償で人を救おうとする阿保が一番ね。そういう奴っていうのはなにかしら。余計なお世話という言葉を知らないのかしら。それとも――――自殺願望でもあるの?」


 優しく、聖母のような笑みで。

 しかしその裏にはあまりにも濃すぎる殺気を秘めながらリザはそう問いかける。

 ただし答えは求めていない。首を絞めているのだから喋らせる気も端から存在しない。


「実を言うと――――私、貴方に面識があるのよ。聖杯騎士団非公式特殊独立部隊『十二使徒ロイヤルナイツ』所属、№IIIX『番外の神具使いイレギュラー・ゴッズウェポン』。ライル・ハイライト・ヘンシュヴァルト」

「なっ、ぜ…………それ、を!?」


 未だ記憶が取り戻せていないライルだが、少なくとも本名を言い当てられ知っているキーワードを口に出されては驚愕するしかない。この女が自分の記憶の手かがりなのか。そう考えた。

 流石に死なれては困るのか、窒息寸前のライルをリザは手放す。

 強めに首を絞められたのもあってかなり苦しい様子だったが、リザはお構いなしに話を進ませ始めた。


「それは当然ですよ~」


 そしていつもの人を小馬鹿にしたような感情を含んだ声音で言い放つ。


「貴女の妻であるシエルティナ・ウィステリア・ヘンシュヴァルドは――――私の母が殺害したのですから」

「――――――――な、ァッ!?」


 突然言い放たれる驚愕の言葉。

 証拠など何もない。

 だが、それでも。認めたくはないが――――リザが嘘をついているとライルは思えなかった。

 理由としては簡単だ。

 此処でリザが自分にこんな嘘をついて何一つ利得が無い。

 利得が無い嘘など有る筈がない。例え精神的な光悦を覚えたくても――――見ず知らずの自分にはったりかましてそれが得られるはずもない。

 なら、答えは。

 真実。

 紛れもない、本当。


「ぐ、ぅぅぁぁあああああああああああああああああああああッッッ!!?!?!?」


 そう認識した瞬間脳内を無数の光景が駆け巡る。

 思い出した。思い出してしまった。

 二十七年前――――自分が世界的に指名手配されていた『濁血の魔女ケイオスブラッド・オブ・ストレガ』――――ヴェスティス・ネブラ・ディクライン=ヴァーミリオンと運悪く自分が派遣されていた遺跡調査への遠征中の調査部隊の移動中に鉢合わせになり、そのまま交戦したこと。

 二日にわたる不休不眠の激闘の末に自身は頭を血の刃で抉られ、死神の鎌に首を引っ掛けた事。

 最後に見た光景が――――自身の最愛の妻であるシエルティナとヴェスティスが差し違え、倒れた瞬間であるという事を。

 それから放心状態で何十年も大陸を彷徨っていたことも。

 全てを思い出した。


「まぁ、その時既に私は守護者ガーディアンになっていたので、遠くから見ているだけでしたが――――それでもあなたの顔はちゃーんと、覚えてますよ」

「…………母親の敵として、か?」

「いいえ、残念ながら私の母は人の親? いや、化物の親としては実に実に愚かでして。何せ自分の娘に魔族の刻印を有無を言わせず刻み付けて、できそこないの魔物に変われば適当に『塔』の中へとポイですよ。むしろ倒してくれて清々しいですよ。――――でもそれは私の話。あなたはどうです? 憎いですか? 妻を殺した奴の娘ですよぉ~? ほら、ほら。槍の矛先一つ向けたらどうなんですか?」


 完全に煽っていた。

 リザは蹲り肩を震わせているライルの様を楽しむように妖艶に嗤う。

 しかし彼女の予測とは別方向に話は傾き始める。


「――――恨まんさ」

「…………はぁ?」


 リザは予想外の答えの意味を理解し、疑問を持つ前に呆れてしまう。


「なぜ? どうして? 敵の娘ですよ? せめて滅茶苦茶に犯して殺してやるーとかいうべきじゃないですか此処は。空気読めない男ですねぇ」

「何故そんな発想になるのかお前に呆れるが……理由としては簡単だ。――――お前が俺の妻を殺したわけじゃない。それだけだ」

「…………馬鹿ですか? 馬鹿なんですね」

「馬鹿も何も、俺の妻をお前が殺したならば激昂ぐらいはするさ。でもお前は殺していない。なら怒る理由はない。むしろ怒る方が理不尽という物だ。その場にいないだけでなく干渉さえしてない者をどう恨もうか。それは俺の正義や社会の秩序にも反するし、道理に適っていない」

「…………こいつは呆れたお人よしですね。正義? 秩序? 道理? いやいや、これはとても馬鹿馬鹿しい。――――狂ってますよ貴方」


 誠実に言葉を並び立てるライルを、リザは「狂っている」と評する。

 それは実際、間違いではないだろう。

 何せ彼の在り方は理想その物。

 要するに――――


「貴方、理想その物になろうとしていませんか?」

「それが何か間違いでも?」

「そう考えるから狂っていると言ったんですよ。正義の味方きかいにんぎょう


 リザは初めて人間として、ライルに殺意が湧く。

 こいつは駄目だ。相いれない。何十年、何百年、何千年過ぎようがそれは絶対に変わらない。

 そう確信したのだ。

 だがここでは殺さない。

 しかるべき時に、しかるべき場所で――――こいつは必ず殺す。

 ライルを無視するふりをし、リザは歩み始めながらそう自分に誓いを立てた。




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