第八十四話・『覚醒せし灯火』
蒼い空の下に広がる雲海をソフィは見渡す。
足元にはふかふかの羽毛が広がり、それに青ざめた顔でどうにかしがみ付いているのはスカーフェイスとジルヴェ・ライムパール。時間にして五分足らずの超高速上昇により嘔吐しそうになっているのを我慢しているのだ。
そもそもの話、酸素濃度が一気に減少したはずなのに未だ気絶する素振りすらない時点で色々可笑しいだろう。――――ただの高密度魔力を纏っただけで遥か格上の二人を凌駕する身体能力補正を発揮しているソフィも十分すぎるほどおかしいが。
だがソフィが色々やらかしてくれたおかげであの砂嵐から脱出できたのは二人は理解している。
しかし「まだ」感謝の言葉を述べる時間ではない。
何せ自分たちを閉じ込めていた怪物が今自分たちを追いかけてきているのだ。今まで手を出してこなかった存在が遂に牙を剥けてきた。ソフィの行動が吉か凶か、彼女――――彼といった方が本人的にはよろしいか――――の行動次第だ。
退けられるか、撃墜されるか。
無責任に脱出の行動をしたのではないのだと証明しなければならない。
――――瞬間、雲が爆発するように巻き上がる。
ソフィはタイミングを見計らい、その手に持った白き書物《全知は此処に在り》を開く。
自身の魔力貯蔵庫と魔法を発動するための媒介となっている存在を握りしめ、彼女は自分の乗っている幻獣、鳥の王ジャターユに念を送る。
ただ「飛べ」と。
それに応えてジャターユはその全幅五十メートル以上ある翼を羽ばたかせ、一瞬にして最高速度に到達。
推定でも時速二〇〇〇kmオーバーの速度で縦横無尽に飛び回る。
老いてもなおその衰えない飛行能力は、たとえ最新鋭の飛行船であろうと付いて行けないであろう旋回性を見せていた。まるでどこかのゲッ○ー的な変態軌道を披露している。
「ぐぅぅぅぅぅぅううっ」
しかしそれに耐えられるかどうかは別問題だ。あまりの速度と旋回性能に乗っていた三人が付いていけていない。ジャターユが全力で飛べないのはそれが所以でもあった。
だが相手は手加減などしてくれない。
こちらを超える速度で、周囲の風を操り容赦なく襲撃してくる。飛来する風の刃や砲弾は一撃喰らえば即座にそのまま地面に落下確定の威力。ジャターユの巨体でそれを回避しているというのは中々におかしい光景だが、そこは幻獣である生物の本領というものだ。
ソフィの持つ《全知は此処に在り》は小さく「仕方ない」と呟くと、魔力を固形化した紐でジャターユと三人を直接固定。気の利いた援助に感謝しながらソフィは書物のページをめくる。
「何か使える魔法は……!」
相手は音速以上の速度で迫る風の化身。
それが例え罠のように用意された分身であってもその実力は舌を巻くものだ。本人の実力がそうさせているのだろう。しかし分身だからこそできる策もある。
相手は思考能力を持っていない。精々目の前の標的を全力で排除しようとする行動を起こせる程度。
ならば意識を逸らすことは簡単だ。
ソフィは即興で呪文を構築する。
「《歪む光が見せるのは偽りの姿、今映し出すのは空しい幻想》――――《一瞬だけの幻想》……!」
本来ならばかなりの時間を要する即興呪文作成。
詠唱は本来ならば三倍近い物になっているはずであった。何せ洗礼も何もされていない、一般的に普及されている魔法を宝石だとすれば原石に近い状態のそれだ。効果も芳しくないそれは本来ならば戦闘時ではなく非戦闘時に生み出し少しずつ磨いていくのが普通だ。
故にソフィの取ったのは魔術師にとってはあまり好ましくない選択である。
しかし彼女の有り余る才能と超級のスキル補正により、生み出されたのは原石の状態でも煌びやかに輝く物。
普通ならば分身一つ出すのが精一杯なはずの魔法は、人知を超えた存在が生み出した魔導書とその存在が生み出した最高の魔導士になりえる者の才能により数十の分身を生み出すのに成功していた。
何十ものジャターユの幻想は一瞬にして散らばり、追っ手であるウィンクレイの分身の注意を散漫にし攻撃を散らばせる。
そこに決定的な隙が生まれる。
「スカー、ジルヴェ。あれには何が有効だ!?」
「風なら土だが、生半可な魔法じゃ返されるだけだ!」
「そもそも土が無いだろ……」
「……わかった、何とかしてみる」
ソフィは魔導書を捲る。
すると不意に白紙だったページに彼女の望みに最も近い魔法が表示される。
それを見てソフィはかなり苦々しい顔を見せるが痕が無いことを理解し、渋々と術式の構築に移る。
「二人とも、二分だけ稼いでくれ!」
「了解!」
「おう!」
二人は何も言わずにソフィの要求を承諾すると、ジャターユの背中から跳躍。
そして本来ならば実体が存在しないはずの分散した分身に乗り移る。ソフィと魔導書の恩恵あってこそ実現できた実体のある分身。それを利用して二人は迫りくるウィンクレイの分身に攻撃可能範囲まで接近する。
「《祖の揺蕩う海。深海に沈む英傑の槍は今、陽光を浴びる》――――来い、《偽・叡智の血骸槍》」
「《上位硬化付与・腕部限定》ォォォォォッ……!」
突如スカーの足元に血の様に赤黒い色の魔法陣が現れる。そこから黒の混じった青い液体が滲み溢れ、スカーの右手に収まっていく。集まり凝縮される液体は徐々に棒のように長く細く形を作り、やがては藍色に近い固体となって一本の槍を形作った。
反面隣に居たジルヴェは両拳を強くぶつけあい、簡易化した呪文を唱えるだけで戦闘準備が完了する。しかしその効果は絶大的。何もしなくても巨岩を粉々にするその拳は今や単純なパンチであろうがオリハルコンでさえ無事では済まないほどの剛拳と化している。
その二人に一瞬だが只ならぬ危機感を感じ取ったのか、ウィンクレイの分身は一旦攻撃を中断してしまう。
「ジルヴェ!」
「わかってるよ!」
スカーが槍を投擲するように振りかぶる。
その後ろには拳を大きく引いたジルヴェの姿。
「今思いついた秘技――――」
「喜んで喰らえ――――」
遠慮なくスカーは全力で槍を投げる。――――同時にジルヴェが槍の底部に豪速の拳を叩き込んだ。
「スーパーウルトラパワージャベリィィィィィィン!!」
「力無くして知無きや――――!」
「「――――え??」」
高速で打ち出される青色の槍。それを最後まで見届けず二人は互いの顔を見合わせた。
そして直感的に互いに胸倉を掴み合う。
「おいおい何だそのちょっとカッコつけてみました的な名前。もうちょっとシンプルに行こうぜ、な?」
「シンプル過ぎて子供でもつけられるような名前になっているのに気づいていないのか?」
「んっだと表出ろ」
「ここ表だろ」
直後二人の足元のジャターユが弾ける。真下から強烈な一撃を喰らった幻影が構成している魔力の結束を保持できずそのまま破裂してしまったのだ。二人は舌打ちしながら跳躍し、別々のジャターユの分身に乗り移ることで地面への落下を回避する。
「喧嘩は後にしよう! 今は時間稼ぎだ」
「ちぇ、わかったよっと!」
いまだ健在のウィンクレイの分身は比較的近くに居たジルヴェへと一直線に襲い掛かる。
分身とはいえ自身の姉の面影を残すそれを殴るのには気が引けたのか、動きが一瞬だけ止まってしまうジルヴェ。しまったと思ったときにはすでに遅く、風を纏った鋭利な手刀が高速で突き出される。
狙いは当然頭部。当たれば無事だという保障など有るわけがない。
「くそっ!」
ジルヴェは回避は無理だと断じ、そのまま体に力を入れてゆっくりと口を開く。
そして噛んだ。
迫ってきていた手刀を歯だけで食い止めた。二重の意味で。
「んごごごぎぎぎぎ」
「――――!?」
思考能力の低い分身でも流石にこの防御方法は驚愕するしかないようであった。
だが効果は覿面。驚愕と手を噛まれて動きを止められている以上、上空からの奇襲に対応できるはずもなかった。
遥か上空から急降下してくるスカーフェイス。
その手に握られていたのは再度作り出された青色の槍。
「でぇぇぇぇりゃぁぁぁぁあああああああああああああアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
両手でしっかり固定されたそれはスカーフェイスの全体重を乗せた急降下攻撃により一種の質量攻撃へと昇華する。圧倒的に不足している重量を速度で補いながら、スカーフェイスは衝突の寸前に爆発的な速度で槍を突き出すことで貫通力を向上させた突きを繰り出す。
記憶喪失の身だというのにそのあまりにも達人染みた突きはかつて彼が槍の名手だったというのが十分うかがえる。
ウィンクレイの分身が展開していた奇襲対策の風の防護障壁に衝突。何重にも張られたそれを容易く貫通する。しかし衝突の際に起きた衝撃によりウィンクレイの分身に一瞬早く奇襲を感づかせることになり、咄嗟に回避された槍の穂先は分身の核を貫かず、かすり傷程度で終わってしまう。もし防護障壁が無ければ今の一撃で終わっていただろう。
それに怒りという物を覚えたウィンクレイの分身は雄たけびを上げようとする。
しかしそれより早く二人の笑みを見て、背中に冷たい物を感じたウィンクレイの分身は自分が戦闘中に注意を払っていなかった上空を見上げる。
「《巨木の根は絶えず伸びる。人の恨み、嘆き、悲しみ、涙。それを糧とし、星の欠片を今一つに集める。成すは断罪。大地に落ちるのは我が母の叫び。――――星よ、人を導 くため無慈悲な一撃を。…………故に今沈め、叡智よ》」
遥か上空に、地表から無理矢理引き剥がされた岩盤が浮かぶ。
砂や岩が宙に浮かぶ光景は圧巻の一言。ソフィが指を軽く鳴らすと、それを合図に浮かんでいた物体全てが一転に向かって収束していく。瞬間、何処からともなく現れた巨木の根がそれらを強靭に掴み、束ね、つなぎ合わせソフィが維持できるであろう大きさの数倍以上の規模で術式を発展させていく。
形成されるは巨大な岩の塊。
質量兵器といっても差し支えない、否、むしろ的を射ているそれは見るもの全てを絶望させるには十分であった。生半可な山程度ならば軽くしのぐほどの巨大な大岩が宙に浮かんでいるのだ。
その後に来る光景は誰にでもわかる。
「《決戦術式・星々の怨嗟》ァァァァァァァァァ!!!」
小惑星もかくやという超大の巨岩が表面を灼熱させながら雲海に落ちていく。
向かう先は当然ウィンクレイの分身。だがあちらも喰らう気はないようで、即座に回避行動に移り始める。
が、それはできない。
「逃がすか――――《縛れ、痺れ、知れ。自由を奪うは神秘の連鎖》、《魔拘束の鎖》」
「ナイスフォローだ――――封技・輪停掌波!!」
割って入る様にスカーフェイスとジルヴェが動く。
詠唱を限りなく最短に近いところまで削った拘束術式により四肢の自由を空中に展開された魔法陣によって奪われるウィンクレイの分身。本来ならば即座に千切ることができるだろうが、ほぼ完璧な背後からの不意打ちとして繰り出されたジルヴェの掌底が背中に叩き込まれた事より完全に自由を奪われる。
そうこうしているうちに灼熱の巨岩が空気を熱しながら迫ってくる。二人は即座にジャターユの分身に乗り射程外へと離脱。
瞬間、ウィンクレイの分身と巨岩が衝突する。
いや、正確には操っている風のバリアか。それと正面衝突し火花を上げながら拮抗している状態。
これを勝機とみてウィンクレイの分身は周囲の風を操り、巨岩を押し返そうと強風で巨岩を押し上げようとする。
不味い――――ソフィがそう思ったその時であった。
スカーフェイスとジルヴェが遥か上空で待機している。
「ソフィ! 巨岩の《核》が壊れたらどうなる!」
「は、え…………っ、ば、爆発します! 形を無理矢理固定している術式の制御核に送られる魔力は尋常ではないので、制御核が壊れたら内包している魔力が暴走して――――」
「よしわかった十分だ。ジルヴェ、やれるな!」
「へいへい。手加減はしないぜ?」
「上等」
二人がジャターユの背中から飛び上がる。
スカーフェイスは魔法陣を足場代わりに、跳躍すれば真っ直ぐ巨岩の中心点に行く角度で自分の状態を固定。その足はしっかりと並べられた状態であった。
そして、ジルヴェは自身の足元の空気を足場代わりに大跳躍。
滞空状態であるスカーフェイスに突進し、再加速しながら空中で体を回転。両足をスカーフェイスの足裏に来るようにし、接触。
「行ぃぃぃぃけやぁぁああああああああああああ!!!!」
間髪入れずにその足裏を思いっきり突き放す。
成人獣人の前回の筋力で射出されたスカーフェイスは体感したことのない音速以上の風圧に耐えながら詠唱開始。
「《輪廻終技・英傑降臨/限定展開・武具》――――《かつて勝利を呼びし矛先よ、小人に創られし戦神の武器よ、偽りの姿で現世に降臨せども、その威光霞むことないと今示せ!!》」
その様は異質であった。
本来あり得ない、単身で起こす異なる魔力同士の反発による超常現象。
普通生物が二つ以上違う性質の魔力を持つなどあり得ない。――――スカーフェイスは世界の条理に反する存在であった。故に世界に縛られない数少ない素質を持つ者の一人でもあった。
その彼が可能としたのは――――神話上の武具の劣化品創作。
贋作、劣化、そんな言葉が良く似合う、本来生物が行えない概念武装の創造。
たとえ品質が劣っていようとも、下手な魔剣や聖剣さえ凌駕するそれを召喚する。
彼が――――スカーフェイスが――――ライル・ハイライト・ヘンシュヴァルドが、こんな辺境の地で無様に戦っている理由の一つであるそれは、彼の意思に反し殆ど無意識で行使される。
体全体に冗談では無いほどの負担を負うという代償と引き換えに、それでも破格の代償で神の槍を引き摺り出す。
「《贋作の器に宿れ――――勝利を呼ぶ戦神の偽槍》!!!!」
白く輝く純白の槍が、ライルの右手に顕現する。
万物を貫く神槍は使い手より遥かに強大な巨岩へと突撃する。その速度は衝撃波を軽く起こすほど上昇しており、生半可な物ならば巨岩に叩き付けられてミートパイの材料が一つ出来上がるだけで終わるだろう。
しかし、自身でも無意識に行使した無詠唱の身体能力向上の魔法の酷使と神槍の絶大な威力が組み合わさり、ライルはすでに全てを打ち貫く槍と化していた。
閃光。
全ては一瞬で決まる。
「――――その命、貫いたぞ」
一瞬でライルは巨岩を貫き、本当ならば予定外のウィンクレイの分身の核さえ貫いていた。
分身は当然煙となって空に散り始める。
それほどの事を成してもまだライルの勢いは消えず、待機していたジャターユの背中に着地することでようやく停止する。ジャターユも流石に堪えたようで、その巨体が大きく沈むのがその証拠だろう。
「ガ、ガッ――――」
「爆ぜろ」
大量の魔力を制御する核が消滅したことにより、巨岩は内包していた魔力を暴走させる。
岩の隙間から蒼白い光が漏れ――――炸裂。
雲海の上で盛大な大爆発が起こり、雲があっさりと吹き飛び空が切り開かされる。
「……ごはっ」
同時にライルが吐血し、その身体が大きく揺れ始める。
最悪のタイミングでソフィの魔法の効力も消え、ジャターユの分身が片端から消滅していく。
ジルヴェはどうにか足元の分身が消える前にソフィの居る本体へと移ることで落下を免れたが、身体に多大な負担を掛けたライルはそのまま落下。
意識不明のまま、標高一万メートル以上の場所から自由落下を始めた。
「なっ、スカー!!?」
「スカーさんっ!? ――――うわっ!?」
突如強烈な振動が二人を襲う。
雲を切り裂き、強大な熱線がこちらの近くで何回も掠っていく。
そしてついに――――ジャターユに直撃する。
「なっ」
「え」
ジャターユの耐久力が一気に削られ、消滅。
辛うじてジャターユが盾になったことで熱線からは逃れることができたが――――二人はそのまま落下を始めてしまう。
「う、うぉわぁぁああああああああああああああああああああああああ!?!?」
「きゃぁぁあああああああああああ――――――――――っ!?!?」
こうして、彼ら三人の脱出劇は唐突に終わった。
――――――
一体何度この茶番を繰り返せばいいんだと、私はつくづく呆れる。
拷問器具での身体的欠損を与えることでの痛覚的拷問を十時間前から継続的に行われているこの現状を、一体どうやって改善すべきかと。
かといって抵抗はできない。いや、やりたくてもできないと言えばいいか。
この忌々しい手錠さえなければ今すぐ暴れてやるとに、と私は心底悪態をつく。
「――――言え、貴様は獣人たちの間諜なのだろう」
「この件何回やれば――――がふっ」
「私語は慎め小娘」
要するに、あれだ。口実作りという奴に今私、ルージュは巻き込まれているのだ。
どうやら竜種は自分たちの繁栄に邪魔な獣人種を消したいらしく、しかし穏便派がそれを許さず過激派の動きを抑制している現状、もし『獣人達が送ってきた諜報員を捕えた』という情報を流せばどうなるか。そんな感じだ。
しかし本人からの証言が取れない限りそれは実現しない。
つまり私は今心底どうでもいいと思える理由のためにこんな耐久レースを強いられているのである。
実に殺したくなる。
「……ぐ、おぁっ」
「相も変わらず気色が悪い。私の拳で歯を折ろうが顎を砕こうが幾らでも元通りになる。悪魔か貴様は」
「心臓盗られない限り死なない竜に言われたかぁないわよっ…………!」
砕けた顔面を再生しながらルージュはそう吐き捨てる。
ついでに血の混じった唾を拷問担当官の人型形態の竜種の顔に叩き付けて。
直後私の腹に激痛が走り、座っていた木製の椅子ごと遥か後方の鉄製の壁に叩き付けられる。当然そんな勢いで叩き付けられた椅子は砕け散り、破片が何個も背中に突き刺さる。脊髄に触れていないのは幸運だろうか。
「ご、ふっ、ぐぁ――――」
「しぶとい娘よ。大人しく我等竜種の繁栄のための糧となるならば名誉ある死を与えたものを」
「名誉、ある、死――――ふざけ、ろっ……死に名誉なんてあるかぁぁあああああああああ!!!」
「っ……!」
ついに感情の枷が派手にぶっ壊れた私は我武者羅に叫んだ。
そもそも今まで罵詈雑言に敢えて強く反論していなかったのだ。元々知略で敵を追い詰めることも、罠に誘いこむ事も滅多にしない、というより性に合わないルージュが今の今まで感情を抑えていたこと自体が不思議だ。
そういう意味では、今爆発したのは溜めていた分なのだろう。
「前から聞いていれば種族の繁栄だなんだの――――それがぁっ、竜のぉっ、やる事かあぁぁあああああああ!!! 高貴な種族? 名誉ある死? 生態系の頂点!? そんな下らない肩書に縋っているから今こんなことになっているんでしょうがっ……! んなこともわかんねぇのかこの能無しがぁァッ!!!」
「なん――――」
「そもそも種の数が減って来たからクローンで大量生産とか頭おかしいにもほどがあるでしょうが!! それ以前になんで純血に拘っているのよ! それに拘らないで繁殖していればこんなバカみたいな手段を使うことも無かっただろうに! 馬鹿よ馬鹿! 大馬鹿よアンタら竜種! 百五十年前はもうちょいマシな奴らだったのにたった百年ちょいでこんなに腐るとは思わなかっ……ごはっ、ぐ、は……」
積み重なった体への負担により再生が鈍ってくる。
意識もまた朦朧としてきた。これ以上の拷問は、恐らく危険域に突っ込むだろう。
しかし未だに脱出の術はなく、頼みの綱のリザもすでに逃走済。
そろそろ詰みか。
そう思った頃、ふと聞き覚えのある声が聞こえる。
「……もうよいぞ、担当官よ」
「っ、総司令。何故ここに――――」
「もうよいぞ、と私は言ったのだが……貴様は耳かきをしておらんのかね?」
「了解しました、失礼します」
拷問担当官の竜種はその殺気の籠った言葉に圧し負け、何も聞かずに拷問室から立ち去ってゆく。
無理もない。
今目の前に立っている黒ずくめの人物は――――SSS危険指定の生物に匹敵する威圧を出しているのだから。
下手をすればヘルムートさえ凌駕するほどの圧力。
「……今更、何?」
「もう用済みである、と言いに来た」
「何ですって……?」
「すでに口実は作り上げた。貴様はすでに重石同然の価値に成り下がった、と言っているのだよ」
「どういう事よ!」
動かない両足を無理に動かそうとして、ルージュはバランスを崩して倒れる。
そして初めて黒ずくめの両目を見る。
こちらを真っ直ぐ見下ろす目は――――生物の眼とは思えないほど冷たく、弱弱しい目。
生きる意味を完全に喪失した廃人に限りなく近い何かだった。
「現王女アリアスフィールの死去を利用した。獣人の暗殺部隊に弱ったところを狙われ殺害され、我等王室親衛隊がその魔の手から次期王女であるセリアレジスタールを死守したこと。それを次期王女直々に述べてもらうことで穏便派を消すことに成功した。ある程度は残ってしまったがな」
「――――直々、に?」
「至極簡単な事よ。高度な傀儡魔法は時にして廃人を生者のようにふるまわせる。……役目は傀儡で十分なのだよ、あの小娘には」
「あ、んたはぁぁああああああああああああああああッ!!!!」
後ろに回されている両手首を縛る手錠を外そうともがく。
だが無駄に近い行為はどうやら相手の琴線に触れたのか、ふと黒ずくめの竜は愉快と笑顔を浮かべる。
「全く笑い物だ。太古に竜を守護する一柱であった王女が、今やその元部下に殺され、その娘を人形に仕立て上げられている。卑怯者にはお似合いの最期よ」
「どの口がぁぁぁっ…………!!」
「違いないぞ。アリアスフィールは愚かだった。私の竜種による世界支配計画を論外と吐いて私は数百年も封印し、挙句の果てにそれに反発し争いを起こした志を同じくした同胞たちを処刑したのだ。我々は優れていた、この砂漠も計画が実行されれば緑豊かな大陸になっていたのだ……っ! そして眠りから覚めてみれば計画に必要な有機魔力強制還元結晶生成大釜遺跡をあの糞みたいな無知蒙昧の集団である獣人共に乗っ取られた挙句、それに危機感も覚えず呑気に世界を眺めている奴を愚かと言わずになんという!」
「そんな、そんな理由で!」
「そんな理由だと!? わかっていないぞ魔人めが。この世界を竜だけの物にすることにどれだけの価値があるか! 低能の貴様ら人類種には理解出来んだろうがな! グッハハハハハハハハハッ!!」
「屑がァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「王女が失脚して私の計画を推す者たちは増えた。本格的に種族の存続危機を感じ始めたのだろうな。遅いと言わざるを得んが死ぬまで気づかないよりは良い。故に我々は世界を制す。自然を破壊することしか知らぬ人種や突然現れた訳の分からぬ妖怪ども、そして魔法のみならば我等竜種と匹敵すると舞い上がっている盲目な妖精と北で何やらコソコソやっておるガラクタどもを消し飛ばす! 世界は平和になる。母なる星は豊かな緑に包まれる。永劫の平和の実現だ! 素晴らしい、素晴らしい!」
狂ったように黒ずくめの竜はケタケタと嗤う。
そこにもはや正気は存在せず、ただただ妄執と憤怒、そして狂気でしか動いていない。
ここまで来るともう生者と呼ぶのも憚れるほどだ。
「さて、そういうわけでもう邪魔な貴様には消えてもらおう。研究材料としては中々だが、まだ未熟。それならばあのウィンクレイという獣人を確保した方がまだよいだろう」
「ぐぅぅぅっ…………!!」
「では――――さらばだ」
漆黒のローブから真っ赤な腕が伸びてくる。
血まみれのその腕は刃物のように鋭い気質を帯び、こちらの首を断つという意思をまるで独立した生物の様に見せつけてくる。与えるのは死と恐怖だけ。狂ったような呪いを秘めているのは狂気を孕みながらその手に掛けた命の数が計り知れない故にか。
「ふ、ざける、な……………」
赤腕が振り下ろされる。
ルージュはその間にも思考を巡らせる。
どうすればいい。どうすればいい。手錠は外せない。身動きは一瞬だけ。
勝機はない。いやある。だがどこに? 考えろ私。確実に見落としている個所がある。
あの腕は、そう――――竜種の王女の鱗を切断したほどの腕。
ならば、可能性はある。
できるか?
いや、やるしかない。
そう思った瞬間にはすでに体を捻り回転。最後の足掻きのように見せかけた回転蹴りを繰り出す。
抵抗をすることも無く黒ずくめの竜はそれを受ける。しかしダメージを受けた様子はない。微かに見えるその顔からはほくそ笑みが見えた。
隙が生じる。たった一瞬だがそれでも作れた。
黒ずくめの竜に触れていた足を使い、全力で相手の体を弾く。
瞬間、私の体に触れそうな赤腕は――――狙い通り手錠だけをバッサリ切断してのけた。
「な、にっ――――!?」
「はっ――――ザマァないわねぇぇぇええええええええええええええええええ??????」
晴れて自由の身となったルージュは空中で回転しながら綺麗に着地。
そして血走った目で黒ずくめの竜を睨みつける。その殺気は一級品。あまりの濃密などす黒い殺気に実力だけならば本来上回っている黒ずくめの竜が一歩だけだが後ずさってしまうほどであった。
「ああ、あぁあ? 散々やってくれたわねぇぇえええ? っは、はははははっ。あぁぁぁぁあ、とりあえず――――セリアの分も、私の分も、落とし前ぇえええええええええええ、つけてぇぇぇえええええええ??」
不意に、ルージュの全身に文様の様な物が浮かび上がる。
直後強烈な魔力の奔流。散乱していた拷問器具やらが軽く吹き飛び壁に突き刺さる。
その余波としてか布きれの様な服が一瞬で燃え上がり、代わりに半透明のワンピースが突如出現しルージュの身に纏わりつく。その素材は――――ルデュッセイアの生糸。
この世で最も希少で稀有な蚕であるルデュッセイアから生きたまま取ることのできる糸であり、その魔力伝達率は100%どころか増幅さえこなしてしまうほどの一品。
そんなものだけで服など作れば国一つが傾いてもあまりある財が動くだろう。
それをどうしてルージュが持っているのかは本人も知らない。知る気もない。
彼女の中にあるのはどうやって目の前の屑を燃やし尽くせるかという問題だけであるのだから。
【『炎の神法』スキルがサードステージ臨界点を突破しました。フォースステージへ移行開始――――事象共振増幅が使用可能になりました】
網膜に金色の文字が表記され、同時に全身に浮かび上がった文様がひと際輝く。
帖子密度の魔力が増幅に増幅を重ねて理論上の魔力の増幅可能な臨界点に達しようとしている。
あまりの密度に空間そのものが音を上げ、それだけで武器になりそうな赤い雷撃が四方に飛び散り、空間を揺らす。
「キエロ屑がァァァア――――その肉片一片たりとも、この世に残ると思うなよォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」
ルージュの魔力が一瞬だけ強烈に圧縮される。
そして――――爆発した。
「《覚醒する憤怒の獄焔》ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!!!」
その夜、『アリア』の宮殿は黒く濁った緋色の爆発に包み込まれた。
その余波は凄まじく、何らかの拍子に飛び散った爆発が熱線となり、幾つもの流れ星の様に空に吸い込まれていった。さらに謎の爆発が起こったこともまた、記録されている。
次回投稿日は来週の木曜日を予定しています。トラブルが無ければ変わりません。(多少時間にばらつきはあるでしょうけど・・・)




