番外編9・『破滅を齎すブリュンヒルデ』
武器は拳銃一丁のみ。防弾装備などは一切しておらず、身体能力も平均より少し上程度。
それが今自分が相手にしている敵だと思うとついつい気が抜けてしまう。
空高くそびえる高層ビルの一室で特殊装備に身を包んでうつぶせになり、専用に作成された超々遠距離狙撃用電磁質量投射砲のグリップを握り、スコープをその仄かに光る義眼で覗いている男。コードネームは《鷹の眼》。
新設ソ連が所持する機械化兵の中でずば抜けて超遠距離戦を得意とする狙撃兵である。
両目を試作型の小型量子演算コンピューターを埋め込んだ義眼にすることで例えマッハ二十で大気圏突入中であろうとも地上からたった一発で中に居るパイロットの脳髄を撃ち抜くという超精密射撃を可能とし、身体の約八割を最先端の人工素材に置き換えることで従来のサイボーグと比較して八割の性能向上という破格の性能を実現した義体を以て――――自分はあんな体の改造さえ行っていないような小娘を相手にしているのだと思うと失笑しか出ない。
同時に、戦闘開始から三十分経過しているのにもかかわらず未だかすり傷の一つも付けられていないという事実に対する恐怖も感じていた。
三十分。短いようで、《鷹の眼》にとって多大すぎる時間であった。
義眼の機能により加速された思考の中では実に二十時間以上経過している。
にもかかわらず傷一つ付けられていない。
最新鋭の装備に最新鋭の技術を導入した義体で、無改造の小娘相手に。
彼本人から言わせてもらえば「ふざけるな」の一言に尽きる。
具体的に言おう。
発射音の一つも出さずに超音速を超える弾丸を連続射出するこの最新鋭の武器で、例え数十メートル先のミジンコの挙動一つも見逃さない動体視力に、人間の近くで斬る速度を超えた速度で信号を伝達することのできる義体の超反応を以てしても――――傷一つすらつけられていないのだ。
時間はたっぷり二十時間。
現実なのか夢なのか判断できなかった。
何せ距離は実に、標的を見失った最後の場所から推定でも三キロ以上離れている。最初は1.2キロと生身のスナイパーでも集中すれば狙撃可能というこの義体では楽々以下の作業を行える距離であった。
初弾、何かに来付いた標的が微かに動いた事で外れた。ここだけなら何かの偶然と思った。
だが、この三十分の間に発射された弾数は実に百を超える。
その全てを躱し、一度だけだが距離を二百メートル以下にまで詰められたのは奇跡などという話ではない。
自分が本当に人間を、生身の人間を相手にしているのか信じたくなかった。
しかし《鷹の眼》は今だけは冷静であることに努める。一度頭を冷やして数分前から見失ってしまった標的をもう一回散策し直すのが先決なのだ。
不意に自分の耳に取り付けられた骨伝導型通信機が小さく震える。
どうやら依頼主からの連絡のようだった。
『どうだ、調子は』
「…………」
それに対し《鷹の眼》は言葉を返さない。
いや、できないと言った方が正しいか。
何せ肺に空気を取り込むのではなく、常温液体酸素を肺に満たすことで呼吸を不要にし狙撃に邪魔な呼吸を排除しているのだから。言葉など元々喋れるはずがない。
『強敵か、やはり』
「……!?」
そしてまるで見透かしたように依頼主――――衣渉我堂が言い放つ。
相手が何者か知っているように。
それに対して抗議を言おうとするも言葉を発せられない。意思疎通ができないというものがこんなにももどかしいのかと《鷹の眼》は久しぶりに唇を噛む思いであった。
『何、相手は単に半径十キロ以内を手玉に取るように知覚できるだけの小娘だ。細かく考える必要はない』
「!!?」
冗談か、そう言うこともできない。
何せ衣渉の口調が嘘を言っているようには聞こえない。歴戦の兵士がそう判断したのだから偽りはほぼ無いに等しいだろう。
半径十キロを自由に認識できる。
そのアドバンテージを所有するならば、確かに今の今まで自身の狙撃を掻い潜ってきたのかは説明がつく。何せこちらの銃口の向きと引き金を引くタイミングを見計らって回避すればよいのだから。
『気を付けるのだな。精々、返り討ちに遭わぬように。それと《盲目者》が死亡した。クロウラーも戦域離脱。あとは貴様だけだ。撤退するかどうかは勝手にしろ』
「……!」
導入された総戦力の七割が損失。
いずれも一騎当千の実力と性能を備える者だった。それがただの生身の少年少女らに撃退された。
そんな馬鹿な話があるかと言いたくなる。
しかしそんな話をして衣渉に得があるだろうか。いや無い。むしろ兵士の戦意を削ぐだけだ。
一方的に通信を切られた後に義眼のセンサーに反応。先程まで姿を消していた標的を捉え直すことに成功したのだった。ようやく作戦成功の目途が立ったかと一瞬だけ、一瞬だけ油断した。
故に目の前の光景が理解出来なかった。
標的が居たのは、自分が数分前まで狙撃ポイントとして使用していた場所。
そこで、黒い長髪を風になびかせている少女が二脚を展開した巨大な銃を構えていた。
自分がポイント放棄と共に廃棄した予備の電磁質量投射砲。重く嵩張るため、追いつかれる可能性が残っていた時点では作戦終了時に回収するべきだと判断し残してきた物であった。
それが裏目に出たのだった。
実に八十キロ相当のそれは普通の少女が扱うにはあまりにも重すぎる。したし二脚を使い構えて撃つだけならば可能だ。緊急用の筋力補助器などもあることから、射角を変えることもそう難しくはないだろう。
歯噛みしながら《鷹の眼》は即座に銃口方角を調節し、引き金を引いた。
――――ほぼ同時に、相手の銃口からも摩擦による火花が見える。
二つの中から放たれた弾丸は超々音速に到達したことにより生じたソニックムーブを生じさせながら――――衝突した。空中で爆音を散らしながら、あまりの衝撃と変形により融解して空中に消える。
一寸の乱れもなく正面衝突したのだった。
偶然――――そんな言葉で片づけるほど、《鷹の眼》は馬鹿では無かった。
狙っていたのだ。相手の少女は。
生身で、こちらが先に発射したにもかかわらず。弾丸同士を正面衝突させるという神業を。
その事実に茫然としていると、黒髪の少女は遠慮なく引き金を引く。
しまったと思い引き金を引いた。間一髪で飛来する弾丸の射線を逸らすことには成功したが、結果自分の真横の空間が大きく抉れるという結果を残す。
直後――――こちらの電磁質量投射砲に大穴が穿たれた。
超硬度多層カーボンナノチューブ製フレームが融解しながら、八十キロの大銃が宙を舞う。そんな壮絶な光景を見た時にはすでに図分の体も衝撃波により吹っ飛んでいた。
吹っ飛んだ体が床に叩き付けられる。そして見る。
こちらを揺るぎない視線で見つめていた少女の、尋常ならざる執念の籠った目を。
そして気付く。
アレは人間ではない、と。
言うなれば――――化け物。
自分の様に人工的な物で作られた化け物では無く、自然に生まれた、生まれた時からの化け物。
絶対に手を出してはいけないパンドラの匣の中身なのだと。
そう、下半身を超々音速の弾丸で撃ち抜かれ消し去られながら、《鷹の眼》は最後に思ったことはそれであった。
――――――
喉の奥から熱い液体が逆流し、抵抗もできず紗雪はビルの一室の片隅にそれをぶちまける。
生涯四度目の殺人だ。常人ならば自分の正気を疑っている。紗雪は結城のように先天的に殺人ができるような精神は持っていなかったのだ。冷静に殺人を行ったという事実に対する激しい自己嫌悪と後悔。頭の中にそれを敷き詰めながら、紗雪は力の抜けた身体を無理に立たせて、敵が脱出するときに生じた大穴の開いたビルの壁から地上を見下ろす。
「…………んぐ」
喉に詰まった胃酸を飲み込みながらふと思う。
飛び降りてしまえば楽なのではないかと。
してしまいたい、そんな欲望に囚われ一歩だけ足を前に出す。
崩れた壁の一部がビルから落ちる。音は聞こえない。当然だ。推定でも五十メートル以上地表から離れている。よほど体を改造した奴でもなければ一発で死ぬだろう。
心臓が高鳴る。
紗雪の足が――――出される前に、肩が強く引かれる。
バランスを崩し紗雪は自分の肩を引いた者――――結城の胸へと自然と飛び込んでしまう。
少女の様に狭い肩ながら、その胸筋はしっかりと鍛えられており逞しさを感じる。服越しにわかる古傷の感触は、歳に反比例した勇敢ささえも感じ取れてしまう。
「……何で俺の古傷をなぞる?」
「い、いえ、その……つい」
自分でも理解できない奇行をしてしまい動揺する。
何よりの奇行は未だに自分が結城の胸から離れないことだと自覚するまで何秒かかっただろうか。
顔を赤らめながら素早く距離を取った紗雪は、呼吸を落ち着かせる。何を血迷ったか、自殺寸前まで自分の精神が追い込まれていたと頭を悩ませる。
「人間ていうのは不思議だよな。牛や豚の命は平気で奪いながら自分たちの命はそれと同じ扱いをしない。そしてその言い訳は『人の命は牛や豚と同じじゃない』――――可笑しいよな。命の価値なんで人間が一方的に決めただけなのに。神様気取りかよ」
結城は嘲笑しながら、先程まで紗雪が使っていた巨大な銃器を軽々と片手で持ち上げる。
推測でも五十キロは軽く超えていそうな武器を片手で、体の線が細い少年が持ち上げる様は現実離れしていて紗雪の眼が白黒する。
「……つまりあなたは、人間の命は牛や豚と同じって思っているの?」
「いや、違うな。俺は別に博愛主義者でもなんでもない。単に個々の価値を勝手に決めているだけだ」
「え……?」
「殺す必要が無いなら殺さないし、あるなら殺す。それだけだ。価値なんて最初から見出していないから、状況から見定めて必要価値を変動させているだけ。…………身勝手だと笑うか?」
「……いえ、中途半端な覚悟で殺傷を行う私よりはずっと良い」
「やけに自虐的だな」
いつもと打って変わって内向的な態度に結城は軽く驚愕する。
当初出会った際の高圧的な態度が消えて、今はまるで捨てられた飼い猫の様な様子だ。
牙の抜かれた獅子とはよく言ったものだと呟きながら、結城は残った片腕で紗雪を――――抱え上げた。
「へっ?」
「何時までもくよくよするな。追手が来るぞ」
「ま、待っ――――」
結城は片手で持ち上げていた電磁質量投射砲を大穴から放り投げ、自分もまたそれを追いかけるように紗雪を抱え上げたまま飛び降りた。
当然心の準備も何もできていなかった紗雪は悲鳴を上げるしかなかった。
「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁああ――――――――――――――!?!?!?」
「うるさい。気が散る」
それに冷静に対応しながら結城はいつの間にか取り出したフックショットをビルの壁に撃つ。
圧縮空気によって射出されたアンカーが壁に深く突き刺さり、細いカーボンワイヤーがリールから伸びていき、落下速度を少しずつ下げていく。かなり速度を落としながら二人は無事地表までたどり着くことができた。
ちなみにアンカーはそのままワイヤーごと廃棄された。中に仕込まれた高性能爆薬により跡形もなく四散する仕組みなので証拠らしい証拠は残らないだろう。
すっかり脱力してしまった紗雪は口から霊体らしき物を吐きながらよろよろと地に立つ。しかしやはりおぼつかないので、結城は自分の肩を貸して立たせることにした。
ちょうど綾斗が何処からか自動車に乗りこちらに迎えに来てくれる。
壮絶な爆音を上げながら。
ランボルギーニのアヴェンタドールGTで。
「へぇーいそこのお二人、俺とドライブしていかないか?」
「していかないか~?」
「…………」
綾斗と代理人の実に次元の違うギャグを受けて、結城は固まるしかなかった。
「馬鹿じゃねぇの。ていうか何処から持ってきたそれ」
「いやぁ、さすが札幌。品ぞろえも良いぜ。なんせ高級車をたんまりと飾っていたからな! 四人乗りのランボルギーニとかそうそうねぇぞ!?」
「代金は」
「え? 何それ美味しいの?」
悪びれもなくそんなことが言えるのだからこの男の胆は据わっているというレベルではない。
頭痛薬を常備したくなる結城であった。
「……飛ばすぞ、稚内までひとっ走りだ」
「稚内って……北端じゃねぇか。どうしてまた」
「運び屋と連絡がついた。あっちも命からがら逃げたした様子でな。航空手段は使用不可になったらしいから、潜水艇でコルサコフまで送ってもらう」
可能ならばモスクワまで一気に飛びたかったのだが、仕方あるまい。
高高度から落下して地面に突き刺さった電磁質量投射砲を改修して後部座席に――――はデカすぎて押し込めなかったので仕方なくワイヤーで車体に括り付け、未だ回復しきっていない紗雪を後部座席に放り込んで結城もまた助手席に座る。
ほどなくして爆音を鳴らしながら四人を乗せた車体は進み出す。
そこでふと結城は思う。
何故綾斗が車を運転しているのかと。いやそもそも何故運転できているのだと。
「おいちょっと待て、なんでお前運転してる」
「え? 大丈夫大丈夫、こんなもんシミュレーターで練習したから何とかなるって。グラン○リーモとかよくやっていたし」
「ゲームじゃねぇか!? 事故る前に退け早くッ!?」
「いや大丈夫だって任せ――――あ、ドリフトって何ボタンだっけ」
「退けテメェええええ!!」
――――――
シンプルながらも細かい装飾により飾られた一室。VIP専用の客室とでも表現すべきか。
そこには威厳のある四角い顔で厳しい顔で、薄く透明な投影版を見つめている老人が高級皮で包まれた古臭くもある椅子に座っていた。
薄く生えた髭を撫でながら見るのは、何かの遺伝子がモデル化された物。
それを静かに眺めていると、小さく部屋の扉がスライドし、白衣姿の白髪の老人が無表情で姿を出す。
ルドルフ・アレクサンドロヴィチ・ジノヴィエフ。新設ソ連の技術開発部門総合責任者。現存する全ての兵器の土台を覆し、多目的多脚型巨大機兵やバイオメカニズムによる超高精度サイボーグの実現、量子コンピューターの小型化。一般的に普及している物でいえばカーボンナノチューブの量産技術の提供だろうか。
いずれも既存の科学技術を軽々と凌駕している作品を何度も創りだした稀代の天才。
同時に人間を平然と使い捨てるマッドサイエンティストでもある。
それに対峙するは――――衣渉我堂。
遺伝子改良技術、クローン技術による食料安定供給、無人型兵器の高度AI量産技術、等々一般人の目線からでも偉業を何度も成し遂げている者でもある。
ある意味この二人がこうして一緒に居る様子は現代科学者ならば誰もが一度は想像する光景だろう。
それが実現するとは誰も想像していないだろうが。
「私の作品は素晴らしいだろう、衣渉」
「この優性遺伝子選抜による先天的強化人間のことか、それともお前の創った玩具の事か」
「どちらもだ。しかし私の兵器を玩具呼ばわりするとは、つくづく気取っている奴だ」
「違いないだろう。あんな巨大な機械人形、良い的になるだけだ」
「だからこその貴様の開発した電磁式防御皮膜発生器の出番だろう。あれがあれば現存する兵器は全て無力化する。例え反物質爆弾であろうとな」
「別に私が開発したものではないがな」
「それより考えてくれたか、例のサンプルの提供。アレは面白い、今まで生きていて一番興味の引かれる代物だった。どうだ」
「……アレに手を出せばユスティーナの馬鹿が飛んでくる。私とてむやみに自分の命をさらけ出すわけにはいかないからな」
椅子を下げて衣渉は立ち上がる。
そして窓から見える白い景色に目を映らせ、気を紛らわすように広くを見渡した。
ロシアでもよく見られる雪の草原。もう夏に差し掛かる頃だというのに全く溶ける気配がない。
極寒の地、故に冷却材には困らないというのは機械無くしてでは人の生きてゆけない環境の証拠か。
その機械が人をまた滅ぼそうとするのだから実に笑えない。
「あの女か……ああ、アレは一度調べてみたいものだ。貴重なサンプルだからな」
「確保できればいいんだがな。流石にあれは貴様の玩具でも強化人間でも勝てんよ」
「この前見事真っ二つにされたからな。はっはっは! しかし貴様の所持しているアレを組み合わせれば不可能ではあるまい」
「…………昔貴様と似た様なことを考え、実行した者がいた」
「ほう。それは初耳だ」
「当然だ。アメリカが必死に隠したがっている情報。要するに……貴様の欲しがっているサンプル同士の優性遺伝子を組み合わせて更なる兵器を創り上げるプロジェクトだ」
「それで、結果は?」
「失敗――――とは厳密に違うがな。完成品は素体二人に撃退され、プロジェクトは責任者の逃亡や結果情報の紛失により頓挫。情報こそどこの国にも掴まれていないが、ユスティーナや一部の人間はそれを認知している。私もその一人だ」
「つまりなんだ、お前は私が失敗すると?」
「そうは言っていない。ただ、そうだな…………」
此処で初めてルドルフは衣渉我堂の笑みを見ることになった。
上っ面だけの空虚な笑みではない、心底から笑っている顔。それが不快で不快で、ルドルフはついつい無表情を崩して不快感を顔に出してしまう。
自分と同じはずの人間が予想外な奇行をするところなど誰も見たくないだろう。
「因果応報と言えばいいか。何故か世界というのは悪事を働けば必ず報いが来るらしい」
「何とも非科学的な。生まれ故郷の言葉か」
「そう。実に不思議だ。だが、非科学的故に、それが理解出来ない人間にはどうすることもできんのだよ。実証も、観測も」
衣渉は笑みを無理に崩しながら、懐から黒いメモリーチップを取り出し徐にルドルフに放る。
それを難なく受け取るとルドルフは「何だこれは」といった顔をしていた。
「なぜこんな旧世代の記録媒体を」
「私は骨董品が好きでな。……というのは冗談だ。ただの拾い物だ、それは」
「……まさか」
「《Α》と《Ω》の情報。好きに使え」
それを聞いた途端ルドルフは顔色を変えて即座に部屋から退室する。
やれやれと呆れた様子の衣渉は棚からそこそこ高級品の紙タバコを取り出し、先端にライターで火をともして吸い始めた。
「……始まりと終わりを冠し、偽りの王を打ち倒した英雄二人が。今や表と裏から姿を消し、眠り果てている。その二人が残した息子。……いや、息子ではないが――――あの二人にとっては我が子だろうな」
灰となった煙草が落ちる。
それに目もくれず、衣渉は遠い目で空を見つめた。
爆炎を上げて地上に墜ちていく鉄の鳥を目に捉えながら、静かに呟く。
「我が戦友ら、七死秦夜。そして九生士織。――――お前たちの息子は実に想像もできない運命に巻き込まれているぞ。全く、お前たちは寝たままで居ながら一体どこまで私を楽しませてくれる……!」
視界の向こうで、巨大な爆炎が上がった。
――――――
ユスティーナは呻く。
まさかこんな事態にまで発展するとは思わなんだといった様子だ。事実予測していない。
それ故に事態への対処が上手く行っていないのは当然か。
流石に、敵の空中空母を襲ったら自爆覚悟で敵が自国の領土に突っ込んだなど思いもしないだろう。重度のプロパガンダの賜物か。ユスティーナは今だけは相手の執念に脱帽しそうになる。
敵軍事基地を目の前に据えての激戦化。僅か三十人にも満たない精鋭部隊が敵最重要軍事拠点の防衛軍五千人以上を相手にどうにか踏ん張んている現状。奇跡に近いその戦況だが流石に物量で潰されるのは時間の問題だろう。
そもそもこちらは急襲目的で空中空母を攻撃したのだ。装備など短期間戦闘用の物しかなく、弾薬なども心もとない。というか墜落する空中空母からどうにか部隊全員を生還させるために物資の七割は捨ててきたのだ。最初からこちらにとっての不利の場しか設けられていない以上、撤退すべきだろう。
とはいえ目の前には本命の相手。部隊員が中々引きたがらないのも理解できる。ユスティーナ一人ならば勝手に突撃して終わりだろうが、他人が居る以上その者の安全を優先しなければならない。
私怨で動くほどユスティーナも腐っていはいないのだ。
切り倒した針葉樹をバリケード代わりに銃撃戦を繰り広げている隊員たちを見る。やはり皆疲弊している。一日ぶっ続けで制圧作戦を行いその後最終決戦染みた状況にぶち込まれれば訓練された精鋭だろうと疲弊するのは目に見えている。
相手が相手なので『許可』を出しても良いのだが――――その場合は確実に戦火が広がり始める。
それだけは不本意極まりない展開だ。
何せ確実に死傷者が一気に四ケタに増えるのだから。
敵兵だけが死ぬならユスティーナとて別に構いやせんのだが。
「元帥、撤退命令を。貴女の命令ならば誰も逆らいません」
「とは言ってもねぇ……相手が撤退させてくれるような間抜けならいいけども」
そう、それが問題だった。
たとえ撤退命令が受け入れられたとしても相手が撤退させてくれるかどうかは別問題だ。すでに相手も包囲網の構築に勤しんでいる。撤退するなら早期にすべきだろうが、相手の物量がそうさせてはくれない。思いっきり弾薬をつぎ込んで弾幕を張りこちらを逃がそうともしてくれない。
――――舌打ちしてユスティーナは隣に居るガリスを指さし言い放つ。
「《グレイプニル》のリミッターを第四階層まで解除許可。今すぐ私以外の隊員を戦域離脱させろ」
「しかし」
「それ以外に何か手段はあるか? 私の任務はお前ら全員を無事故郷に届けることだ。こちらの犠牲は出さない、いいな。お前の負担も考慮したんだが……すまんな、毎回苦労させて」
「問題ありませんよ。祖国のためならば」
ガリスは首にあるチョーカーに触れる。
四回、電子音がしたかと思うと――――ガリスの体が発光して消える。
次の瞬間ガリスは数十メートル離れた場所に存在し、隊員を三人ほど抱え上げると再度体を発光させ消えてしまう。
そんな超常現象を見てもユスティーナの隊員たちは怯まない。
それが当たり前なのだから。
――――《PSI》。
都市伝説程度でしかないが、一般にも認知されている所謂『超能力』。
それが実在していることを知っているのは世界でもごく一部。実際に国内にその存在を観測した国はドイツ、イギリス、新設ソ連、アメリカ、日本しか存在しない。当然全ての国の意でその情報はトップシークレット扱い。決して表ざたにならない様に情報規制が厳重に掛けられている存在でもある。
そんな《PSI》を人間として扱い、一人の兵士として扱っているのはおそらくドイツのみだろう。理由は簡単。
「さて、と――――《グレイプニル》、リミッターALLパージ。久しぶりに本気で暴れようじゃないか」
ドイツ軍の元帥がその《PSI》であるのだから。
ユスティーナは腰の軍刀を抜刀する。そして倒れた丸太をまたいで前へと出る。これを好機として捉えたのか、敵兵たちはユスティーナへと射線を向け、引き金を引いた。
弾丸は真っ直ぐユスティーナへと向かう。
だがその弾丸は、肌に突き刺さる事は無かった。
傷をつけることさえも敵わず、全てその鋼鉄の様な肌が弾き飛ばしたのだ。
敵兵士たちは全員自分が幻覚を見ているのではないかと疑う。
しかし自分たちの近くに寒冷地仕様戦車が現れたことでそれは払拭される。これがあれば幻覚は消える。自分たちは楽に勝てる。
その思いに応えるため戦車の主砲から巨大な弾頭が超音速で発射される。人間ならば動態真っ二つどころかひき肉になるのが当然な威力。その弾頭は真っ直ぐユスティーナへと向かい――――
「あァ゛?」
片手で受け止められる。
開いていた左手で。
素手で。
高速で回転する戦車主砲の弾頭を力づくで止め、そのまま握りつぶすユスティーナ。中に詰まった爆薬が弾けた雷管に反応して炸裂するが――――無傷。
そんな芸当を披露したユスティーナは満面の笑顔だ。
そしてゆっくりとした動作で軍刀を両手で握り、大上段に振り上げる。
「あー、十五年ぶりに出すと色々鈍ってるし、手加減とかできないからそのつもりで。死にたくないならちゃんと避けろよー?」
そう言った瞬間――――ユスティーナの体から強烈な雷撃が飛び散る。
幻覚では無かった。周囲の針葉樹の幹が雷撃に当たると一瞬で触れた個所が黒焦げになり、周囲一帯の雪はユスティーナを中心に溶け始めている。
「やっぱ力加減難しいなー。力入れただけでこれか。やっぱ練習はしとくもんだね」
それらの現象を「力を入れただけ」と称する。
幻聴か何かだと誰かが言った。
だがその言葉はあまりにも小さすぎて掻き消えてしまう。
銃撃が止む。それに気づいた敵兵の一人が発砲し――――それがユスティーナの手前で停止し、形を歪ませて遥か明後日の方向に弾かれたのを見てさらに絶望する。
敵兵が一目散に逃げ出す。戦車でさえ後退を始める。
だが既に全てが遅かった。
「《破滅を齎す遺産の魔剣》」
軍刀が振り下ろされる。
最初に発生した副次的な衝撃波によりユスティーナを中心とした全てが吹き飛ぶ。
そして本命として放たれた剣の軌道上にある物全てを消滅させる一撃が距離など関係あるかと一直線に伸びていく。それはまるで荷電粒子砲――――などという生暖かい表現で済ますべきではない。爆発する方向と範囲指定が可能な核兵器と言ってもまだまだ甘い。
物質、いやこの世界に観測できる全ての存在を抹消可能な衝撃波が何もかもを破壊しながらユスティーナからまっすぐ進んでいく。
その先には軍事基地。受ければ地図を大幅に書き換える必要が出て来るであろうその攻撃は――――軍事基地に届くことはなかった。
進行方向に出現した紫色の半透明な半球がそれを難なく防ぎ、二つに分けて逸らしたのだ。
受け流された衝撃波は触れた物を分解しながら大気圏を越えて真空空間まで伸びていく。やがて衝撃を伝えるべき空気が無い真空空間に衝撃が全て散った跡には、切り払われた雲に滅茶苦茶に捲れ上がった地面、そして――――ユスティーナと半球内の中心にいる衣渉我堂だけが存在していた。
「基地を護っていた兵士五千人は全滅。表に出していた戦車三百台、攻撃機四十五機、爆撃機二十機が修復不可能なレベルで全壊。ついでに基地内のあらゆる電子機器は衝撃波と副次的に発生したプラズマによるEMPで対電磁パルスコーティングした機器以外全壊――――被害額はいくらになると思う、ユスティ」
「さぁね。敵国の被害総額を一々計算するほど私は暇人じゃないんだよ、我堂」
十五年ぶりにユスティーナと我堂は旧友と再会することになった。
望まぬ形で。
……あれ、なんかインフレしてない?




