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第八十一話・『時既に遅し』

『侵入者が居たぞー!』

『捕まえろおお――――ッ!!!』


 涙目になりながら全力疾走する。タンクトップにハーフパンツという簡素にして軽装、防御力など期待もできないような恰好のまま俺は今敵地とも呼べなくもない場所を奔走していた。

 そこは獣人たちの大拠点であり大集落。全ての獣人を束ねる『獣王』が住んでいる集落であった。規模だけで言えば『アースガルズ』の首都ヴァルハラには及ばないが、それでも一般人の視点でも十分巨大だと言える規模だ。

 当然、そこに住んでいるのは獣人のみ・・だ。そんな中人間が一人街の中を走り回っていたら、どう思われるだろうか。

 良くてカチコミ、悪くても敵襲かなにかだと思われるのはまず間違いないだろう。

 というわけで、俺は集落の衛兵や一般人――――少なくとも人間の様な貧弱な体ではなくムキムキの筋肉質の二メートル近い奴らが大半――――に追い掛け回されていた。早さもとんでもなく、全力疾走してもなお距離が一向に離れない。ギリギリで縮ませずにはいるが。


『なんだあいつ! 人間のくせに、速いだと!?』

『気を付けろ! 只者ではないぞ!』

「『……あのー、話を聞いてくれませんか!? 敵意は無いんです!』」


 苦し紛れにそう言ってみるが、やはりというか獣人達からは鋭い眼光が返される。


『ふざけるな! 貴様の様な不審人物見たことないぞ!』

『そうだそうだ! 大人しく食われるか死ねぇ!』

『殺す殺す殺す殺す人間殺ぉぉぉおおおおおおす!!!!』

「血の気が多い奴らばっか!! これだから脳筋は嫌いなんだっ……!」


 完全にこちらを殺す気でいた。そうでなくとも捕まったら全身ボコボコにされるのは確定だ。

 死ぬ気で逃げる。捕まったら殺されるのだから逃げたくもなる。それが容疑を確実な物へと昇華させているような気がしなくもないが、すでに確定寸前なのだ。今更弁解しようとしても焼け石に水だ。

 近くにあった土造りの建物の屋根へと跳躍。流石に平面では分が悪すぎる。


『はっ! 墓穴を掘ったか!』

『おらおらおら行け行け行け行けヤァァアアアあああああああああああああ!!!!』


 一人の獣人が激昂とすると、他の獣人達はそれに応えるように雄たけびを上げ跳躍。こちらと同じく建物の屋根へと昇ってくる。当然そうするとは思っていた。というかしなければただの馬鹿だ。

 屋根から屋根へと飛び移りながら、屋根に洗濯物を干してあった建物に着地し、洗濯物を放り動物の骨で作られたであろう白い物干し竿を手に取る。

 直後こちらに襲い掛かってきた獣人の腹に、物干し竿の突きを叩き込む。


『ぐえぁっ!?』


 勢いを殺され、獣人は一瞬滞空する。

 その隙に物干し竿の先を急速に上げ顎を強打。脳震盪を起こさせ、地面に落とす。


『貴様ぁッ!!』

「ふっ!!」


 疾走。

 物干し竿を使い、棒高跳の要領で大跳躍。

 襲い掛かってくる獣人達の遥か上空に舞い上がり、腰を捻りながら物干し竿を構える。


「つぇあっ!!!」


 高速の突きが放たれ、一人の獣人の脳天をぶっ叩く。死んではいないだろうが、気絶は確実だ。

 さらにその反動で飛び上がり、物干し竿を投擲。もう一人の獣人の背中に叩き込む。


『ぎゃぁっ!?』


 空中で回転しながら遠心力を最大限利用し回し蹴り。敵の顎を的確に震わせ、空から落としてさらに気絶した者を蹴って別の獣人に迫りボディーブロー。同時に裏拳で後ろから迫ってきていた獣人の鼻をへし折る。

 腹に手痛い一撃を受けた獣人を踵落としで地面に叩き付け、俺も空中滞空の上体から自由落下へと移行する。そして近くの建物の物干しロープに捕まり、遠心力で再度空に上がり別のロープに着地。また跳躍して別の建物の屋上に着地する。

 畜生、どうしてこんなことになった。寝ざめ悪いってレベルじゃねぇぞクソ。


「もういいや。もういいわっ!! こっちから獣王見つけてボコボコにしてやるッ!!」


 もうヤケクソだった。これからどうすればことが上手く行くかなんて知るか。もうどうでもいい。ぶん殴ってやる。


『死ねぇ!!』

「るっさい!!」


 後ろから襲い掛かってきた獣人を蹴り一発で遥か彼方へ吹き飛ばす。

 もうどうだっていい。

 ぶっ飛ばす。


「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ」


 肺に溜まった息を吐き――――クラウチングスタートの構えになり――――



 疾駆した。



 まるで飛ぶように滑空し、一跳びで数個の建物を飛び越える。

 音を立てない様に自分と足場へと負担を極限まで減らしながら高速移動。最適な体の動かし方で追いかけてくる獣人達を翻弄し、追っ手を撒いて行く。

 目指すは『塔』。

 何の情報も無く探すよりは、一番目立つ場所に行く方がまだ有意義だと判断した。

 だから俺は、跳んだ。

 もう余裕は残されていない。


「ッ!? 上から!?」


 陰らしきものが近づいてきている。そう認識した瞬間に視線を上に向ける。

 鳥の翼の生えた人間が高速で滑空してきていた。俗に言う鳥人間だ。その速度はすさまじく、新幹線といい勝負できるのではないかというほどだ。人間大サイズであの速度ならば、上々だろう。

 だがもう慣れた。音速を突破してくる物体などこっちは何度も見ているのだ。銃弾に比べれば、あんな鳥程度。


「おりゃぁぁっ!!!」


 床を蹴って飛んだ。

 突然の行動に驚愕する鳥人間の首根っこを摑まえる。


『ぐぇぎゃぁっ!?!?』

「ぐぅぅおおおおおおおおおおおっ!!!」


 体を捻り鳥人間の背中に跨る。そして両足を鳥人間の腕、翼となっている腕部に組み付き固定させる。

 そのまま足を自分の背の方向に引っ張り、鳥人間の首を両手で押す。するとどうなっただろうか。鳥人間の両腕の骨がバギバギと凄まじい音を立てながら粉々に折れた。


『ギィギャガガアアアアアアアアアアアア!?!?』

「墜ちろぉぉぉおおおおおっ!」


 失速して鳥人間は俺を背負ったまま地面に墜落。

 着地寸前に俺は組み付いた足を解き、鳥人間の背中を蹴って空中に躍り出、空中で何回転かして着地。

 顔を上げて、相変わらず殺意を見せてくる獣人達と正面から対峙する。

 全方位、囲まれている。

 屋上に逃げ場はなく、背後も大量に待ち構えている。左右に逃げられそうな通路は当然塞がっているし、正面など言わずもがな。

 さてどうしようか。



「『来いよ畜生共』」



 とりあえず全力の挑発をしてみた。


『『『ウオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』』』


 獣人達は怒りの咆哮を上げて集団でかかってくる。

 完全に殺すつもりだ。骨一つ残らず食い散らかす積んロ位が表情から十分に見て取れる。

 そうされる気はさらさらないのだが。

 限界まで息を吸い込む。


「行くぞォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」


 奥歯を食いしばりながら獣人の群れに真正面から突っ込む。

 もうそこから先は、何が起こったのかは自分でもわからなかった。

 体中が鋭い何かで切り裂かれ、しかしこちらもまた柔らかい肉を叩き、折り、砕き、千切る。血を血で洗う戦いが繰り広げられた。

 千切っては投げ、千切っては投げ、その繰り返しだ。

 体中を殴られようが切り裂かれようが、再生して立ち上がり逆襲する。

 顔面を潰す、両手を折る、足を砕く、胸を凹ませ、首を半回転させ、投げ、蹴り、頭突き、引っかき、噛みつき、絞めつけ、殴る。


 殴る。

 殴る。

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。


 際限なく放たれる暴力の嵐。

 狂乱の場となった戦場は血だらけになり、もう敵味方も関係なく殴り合う。

 獣人同士が殴り合えば血が飛び散り、もはや当初の目的さえよくわからなくなってきた。

 ただ一つ、この場にあるのは。

 敵を殺す。

 それだけだ。

 無数に飛び交う狂気の叫び、悲痛の叫び、激怒の叫び。

 何も考えず、この場に居たもの全てが自分以外はすべて敵だとでもいうように殺し合った。

 それは俺でも例外ではなかった。


「あぁぁああああああ!!!!」


 どこの誰かも知らない獣人に馬乗りになりその顔を殴りまくる。

 周りの目など気にせずただ本能のままに相手を殴る。高揚しているのか体が異様に熱い。

 殴っていた獣人がようやく気絶して、一度空を仰ぐ。

 頭を冷やすと、自分が何をやっていたのかわからなくなる。鼻血を垂らす顔を抑えながら弱弱しく立ち上がり、周りを見渡すと未だに覚めそうのない殺し合いが続いていた。いつの間にか集まっていた野次馬はまるでレスリングでも見るかのようにそれを見て歓声を上げたりして熱狂している。

 何とも狂った場所だ。

 いや、俺もか。

 何も考えずに、その死闘を離れて眺めている。事を大きくした本人が何と無責任なんだろうかと思うが、なんで味方同士の殺し合いに発展したのかはたぶん自分のせいではないと思う。


「…………ん?」


 不意に、少々だが重圧を感じた。

 いつの間にか野次馬の歓声も止んでおり、殴り合っていた者たちはその手を止めている。


「来たか」


 その存在を直感で察した俺は、不自然にあけられていた中央部分へと歩み出る。

 すると獣人達がモーゼの奇跡の様に、綺麗に割れる。

 それに挟まれてこちらに向かって来ているのは、簡素な革のズボンしかはいておらず、腰に何かの生物の牙を吊り下げた、二メートルは確実に超えているであろう巨漢。体中に藍色の獣の体毛が生えており、しかししっかりと二足歩行で、隙の無い歩行法で着実に自分との距離を詰めていた。

 その顔は――――百獣の王のそれだ。

 気付くとライオン顔の巨漢が、並の人間ならば身動きすら許さない重圧を放ちながらこちらを見下ろしていた。

 獣王――――レオニード・レックス・クロスフォード。

 獣人最強の男。


「…………グローリアか、ユリウス。どちらの差し金だ」

「……は?」


 獣王はそんな突拍子もなく訳の分からないことを言ってきた。

 グローリア、ユリウス――――EXランカーのグローリア・ヴォルフ・エスペランサとユリウス・アルシリャファミリアのことか?


「いや、残念ながらどっちでもない。俺個人の都合でここに来た」

「ならば消えろ。できなければ、死んでもらう」

「来客に早々に帰れはないだろ。礼儀のなっていない奴だ」

「来訪早々面倒事を引き起こしてくれる貴様が言うか、幼き人間よ」


 互いににらみ合う。

 間に火花が散るそんな空気、静かに手の骨を鳴らす音が響く。


「今夜はライオン鍋だな」

「丁度小腹が空いていたところだ」


 両者の額に青筋が浮かび、同時に拳を振りかぶる。



「「殺す」」



 超人的な一撃同士が衝突する。

 寸前、一つの影がその間に割り込み――――二人の一撃を止めた。


「!?」

「ほう……」


 獣王と俺の拳を素手で止めていたのは、フェーアだった。

 前とは違い、若干だが顔に獣毛が生えている。限定的な獣化だろうか。よく見ればその細長い腕は獣のそれであった。細く、しかしその中に詰まっているのは絶え間なく鍛え抜かれた高密な筋肉。


「双方とも、殺意を抑えてください」


 フェーアは宥める様に、そして叱る様に両者にそう告げる。


「でないと――――少々暴れますよ」


 その一言で、獣王は引いた。

 どういうつもりなのだろうか、あっさりと。何も言及せず、揉めることも無く。

 それを見て俺も渋々殺意を収めて体の力を抜く。


「ありがとうございます、リースさん。……ごめんなさい、ちょっと最近気分が制御できなくて」

「いや、構わない。どちらにせよ早かれ遅かれ一度揉めただろうからな。むしろ腕試しに役に立ったぐらいだ」


 冗談交じりフォローはしておく。

 何にせよ人間を嫌う種族の本拠地に足を踏み入れるのだ。一回や二回衝突があってもおかしくはないし、無い方が逆に不自然と言える。今回の事はとりあえず自分の実力を見せつけるという事で納得するしかない。つか逃げた俺も悪いのでフェーアだけを責めることはできない。

 ……逃げなかったら枯れていただろうけど。


「……何をしにここへ来た。フェーアよ」

「お話があります」

「それを私が聞くと、本気で思っているのか?」

「っ、それは……」


 確かに話を聞く道理はない。少なくとも獣王は厄介事を持ち込まれることを拒否する権利がある。

 だが状況が状況だ。いま獣王の協力が得られないのならば、事態の解決はほぼ不可能に近い。


「まぁ、話ぐらいは聞いてほしいものだな」

「……貴様は」


 体の所々に血の滲んだ包帯を巻いた竜人ドラゴニュート、ベルジェが空から舞い降りる。

 その存在に気付いて周りの獣人達が一斉に身構えるが、獣王が手をかざしてそれを止める。どちらかというと「しても無駄」ということを伝えるためか。

 ベルジェは重体と偽装させている包帯を解きながら、獣王と正面から向かい合う。

 その光景は、圧巻というしかない。


「名乗る必要はあるか?」

「…………何をしに来た、混血の竜人よ。この集落を攻める気か?」

「誤解をするな。私はただ『交渉』を手助けするだけだ。それ以上も以下もしない」

「――――いいだろう、話程度は聞いてやろう」


 以外にもあっさりと承諾してくれた。

 何だこの気の変わりの速さは。本当に聞く気があるんだろうかと疑いたくなる。


「賢明な判断だ、獣王よ。自身より民を選ぶことは、王の務め。王としては最低限の器は持っているという事か」

「口が達者だな、竜と人の落とし子。その誕生が願われなかった代物であろうが、命の使い方は知っておくと良いぞ」

「お互い様だ」

「……ふっ」


 そのまま蚊帳の外に出されたまま、話は一応の形で収束を迎えた。

 前提として口約束など結べるとは到底思ってはいないが。



――――――



 ルージュは真夜中の街を音もなく駆け抜ける。

 足音と気配を極限まで消して移動するのは中々神経を削る作業であるが、彼女自身それを苦とも思わずそれを易々行いなおかつかなりの速度を維持している。

 迷路のような街道を静かに抜けながら、本の数時間前の出来事を確かめるために脳内で再生する。


『――――リザ、貴女はまず洞窟に居る皆の安全確認のために一度戻りなさい』


 ファルスの自宅を出たルージュはまずリザにそう申告した。

 理由は二つ。一つ目は単純に全員の安否確認だ。自分たちがこうしている間に竜種の偵察部隊に見つかりそのまま交戦状態に陥ったならまず仲間たちの命は無いといってよい。ライムパールは例外であるが。

 そして二つ目は、今後の行動にリザが邪魔であったからだ。

 宮廷への潜入。ツーマンセルで行うのも一つの手であったが、残念ながらルージュとリザがコンビネーションを発揮するにはあまりにも相性が悪すぎる。持っているのは『炎』と『水』。完全に対極の位置に存在するそれを組み合わせるなどほぼ不可能に近い。それこそ水蒸気による目暗ましか熱湯を作り出すぐらいしかできないだろう。

 つまり戦闘では互いが邪魔になる・・・・・・・・のだ。それは大幅な戦力低下と言ってもよい。リザの属性が『土』や『風』ならばまだやりようはあっただろうが、無い物をねだっても仕方ないだろう。


『いいんですか? いざという時、助けられませんよ~?』

『それを踏まえてよ。それに私が捕まる状況になったということは――――この国には私たち以上の化け物が潜んでいるって事の掲示よ』

『ルージュさんと私を比べられても……まぁ、私はサポート専門ですし、戦闘力自体は殆ど一緒でしょうし。相性も相まって、ね』

『馬鹿にされているような気がしてならないのだけれど…………とにかく、全員の安否の確認を行った後、ファルスに協力を仰いで全員をそこに待機させて。貴女は……そうね』

万が一のため・・・・・・、情報収集に専念しますよ。というか、目的の術式さえ破壊できていないじゃないですか。私はとりあえず二日でそれを破壊します。だから、最低でも三日四日は捕まっても救出はできないと思ってください』

『何で私が捕まっている前提なのよ……』

『だってルージュさんいざという時はかなりドジ踏みそうじゃないですかぁ~』


 実に清々しいほどのどや顔であった。全力でぶん殴りたくなったが、どうにか自制してここに居る。

 しかし妄言とも言えない。事実、最優先事項であるはずの術式はウィンクレイの介入で未だに破壊できていないし、ルージュ自身自分が何処か詰めが甘いところがあるのは自覚している。彼女自身、知略を張り巡らせる対応ではない。むしろ猪の様に何も考えずに相手を潰しにかかる方がまだいい結果をもたらす。

 だが今回ばかりはそうもいかない。猪も竜には勝てないのだ。むやみに飛び込めば死を招くだけだ。

 ――――この身体で物理的な原因により死ぬかどうかは、定かではないが。


「さて、と」


 もう宮廷正門前にたどり着いてしまった。

 門の前には見張りが二人。どちらも素手であるが、むしろ竜種にとって武器など飾りの様な物だろう。鋼鉄さえゼリーの様に裂いてしまうその鉤爪の前には、オリハルコンの装甲でも持ってこないと話にすらならない。


「――――『コールファミリア』……『フレイムコロニーラッド』」


 可能な限り発光を抑えながら魔法陣を地面に展開。

 魔法陣から大量の、恐らく数千は越えるであろう赤い鼠があふれ出る。一つ一つの強さは大したことはないが、この赤い鼠の厄介な所は集団で獲物にかじりつくという事。

 数千匹のネズミに群がられれば、どうなるだろうか。


『……ん? な、なんだ――――ぐわぁっ!?』

『鼠!? どうしてこんなところに、ったぁっ!?』


 予想通り、召喚者の指示通りに従って門番二人に群がる。

 その隙を使ってルージュは気づかれない様に宮廷の壁を登り、一番近い窓に近付き実体化した炎で窓の隙間をくぐり内側から開錠。一応物理的な物なので、魔法的なセキュリティには引っかかっていないはずだと思いながらルージュはささっと侵入する。抜かりも無く、窓はしっかりと閉め直す。

 彼女が侵入したのは、どうやら書物の保管庫らしく大量の埃被った文書などが積み重なっている。どちらかというともう必要ない本などをとりあえず突っ込んでおくような場所だ。

 だからこそ、ルージュは舌打ちをした。これだけ埃があるならば、下手に火をつけると瞬時に引火してしまう。わざわざ明かりをつけて目立つつもりはないが。


「…………?」


 さっさと出てしまおうかと、周りに積みあがっている書物を避けながらルージュは部屋の外に出ようとする。しかし途中、一瞬だが何かが視界の端で捉えた。

 直感任せに足を止め、「それ」に手を伸ばす。

 不自然に本に挟まれ、飛び出していた一枚の羊皮紙を。


「えーと、何々。『生物の脳を魔術的に再現する術式の記録』? ……また可笑しな研究をしているものね」


 嫌味を呟きながら、ルージュは文を読み進める。


「研究記録・0072号…………二次元魔法陣では再現不可能と断定。以後三次元魔法陣による再現を試みる。ベースとするのは、自我を失った雑種竜……0073号、研究から二年、脳の構造の再現に成功。しかし知能が芽生えず失敗に終わる。素材に問題ありと推定し、中央から仕入れた人間の脳を使用。0074号、再現に成功。しかし一定時間経過で自我の崩壊を確認。実験結果、人為的に作り出した魔術脳は脳の寿命を劇的に下げてしまうことが判明。一部の研究員がプロジェクトの断念を推奨したが、総合担当者の命により研究は続行。……途切れてる。と、あったあった」


 さらに別の羊皮紙を見つけ、ルージュは読み解く。

 かなり重要な記録なのか、一部竜言語が使われている。竜言語とは古代、竜が一般的に使用していたとされる言語であり、基本的にエーテル翻訳機能を持たない生物では理解ができない言語である。それは文字も同じで、それこそ特殊なスキルでも持たない限り解読は難航を極めるだろう。

 しかしルージュはその解読方法を『刷り込まれている』ので、問題なく読み解くことができた。


「9112号、計画は失敗。禁断の領域と言える他部族の純血竜の子竜を内密に拉致し研究材料としたが、結果的に出来たのはお粗末な魔術脳であった。原因は単純、術式が送り込む大量の魔力に魔術脳自体が絶えられなかったのだ。過激な細胞寿命低下もこれが原因であり、更に言えばより上位種族の脳であればあるほど大量の魔力を要する。構造維持にもそれ相応の魔力が必要だ。計画の失敗を上層部に報告したが、納得してくれずに強制的に計画は続行。しかし成功の目途が立っていない以上どうすればいいのだろうか……うわ」


 ルージュがそんな声を上げたのは、その記録内容だけではなくその分の下、竜言語と高位次元暗号、更には第五元素介入隠蔽記号まで使用されている文であった。これではまるで最初から解読などさせないように作られているとしか思えない。

 しかし不思議と、最後の一部分だけは黒く塗りつぶされたりして途切れ途切れであるものの、普通の竜言語であった。

 ルージュは黙ってそれを読み解いた。


「…………傀儡、すること……元老院、決定。失敗により、重なった結果…………知能が無い雑種竜、量産。戦力増強。非人道的と判断、反体制派誕生。内乱、発生。主要研究員、処刑。効果無し――――疑似的に強制的な身体成長の結果、精神が不安定になる。大量の魔力をつぎ込み、精神の固定化。いずれ精神を破壊され、傀儡になる。駄目だ、防がねば。済まない、私がこんな事をしなければ。セリア様、申し訳――――…………」


 最後は血で塗りつぶされていた。

 いや、飛び血が掛かって見えなくなった、と言った方が正しい。

 厄介なものを見つけてしまったと後悔しながら、ルージュはその記録を適当なところに放る。

 急がねば、かなり不味い。

 いや、すでに遅いのだ。だがまだ間に合う。


「アイツ……結城は、どうやったのかしらね」


 堂々と正面突破か。

 あり得ない話だがあの馬鹿ならやりかねない。頭がいい癖に実行に移すときは酷く盲目的になる。悪く言えば目先の事だけに必死になる馬鹿、良く言えば単調でわかりやすいアホだ。


「ま、私は私の役目を果たすとしましょうか」


 扉を静かに開け、速やかに閉めて周りを見渡す。

 そこで違和感に気付いた。


「……誰もいない?」


 気配が一つも見つからない。気配を消しているのかと思いきや、そう言った違和感の類も一切なかった。

 試しに堂々とエントランスホールの中央に飛び降りてみるが――――反応はない。唯一、正門の向こう側から鼠に噛まれている門番の悲鳴が聞こえるだけだ。


「まさか」


 嫌な予感がした。こういった予感は酷く当たりやすい。

 無言のまま階段を上り、誰もいない廊下を歩き回りながらやがて宮廷の最上階へ到達する。

 ――――守護騎士の一人もいない。


「嘘でしょ……!?」


 流石にここまで来たら焦らざるを得ない。

 駆け足で走り、最上階の部屋に扉を蹴破りながら飛び込む。

 そして、ありえない物を見た。



 大人びた姿に変化していたセリアが、巨大な竜の頭部の前で鎮座していた。



 更には部屋の隅々にまで待術式がこれでもかというほど書き込まれており、これが魔術的な施しを受けた儀式部屋であることは素人目でも一目瞭然だった。

 もはや隠蔽のためのリソースを一切残さず使い切るほどの儀式準備。魔法に通じている者が見れば完全に狂気の塊のそれであった。


「セ、リア…………?」


 止めに、大人の体格へど変化しているセリアの存在。

 その肌は複雑な刻印が見解まで刻まれており、布地の少ないシルク製の服――――もはや服と呼べるかどうかも疑わしいが――――を身に着けて、光を失った眼でただ竜の頭部を正眼に捉え続けている。

 どう見ても精神的に細工を施された者の典型的な様であった。

 それを見てルージュは酷く頭が痛くなる。

 それも当然だ。なにせ此処にある竜の頭部から感じられる溢れんばかりの魔力と気品。


 ――――神竜ナーガの頭が置かれていたのだ。


 絶句せざるを得ない。

 推測するに、いやほぼ確実にこの竜の頭部は、セリアの母の物だ。

 聖遺物として、儀式の媒介として、生贄として置かれた竜の生首。しかも自分の母親の無残な亡骸を直視して、セリアの心境は混沌を極めている。

 しかも体に刻まれた術式からして完全に精神操作を受けている。

 これでは、殺した方がまだマシなほどの精神状態と化しているのは直感的に理解できた。


「どうして……いや、待って、これ、まさか、そんな………ッ!?」


 ルージュはそこである推測を出した。

 最悪の。最低の。

 外道のそれを。


「――――彼女を、神竜ナーガの肉体を媒介として、地脈から魔力を吸い上げて……『生体複製上位術式バイオ・デュブリケイト・スペリオルスペル』の起動と維持、遺伝子情報を組み合わせて、神竜ナーガの劣化複製品の量産……肌に刻まれたのは、精神封印術式、本人の意思を無理矢理押し潰して計画を強行……? 頭部は、聖遺物として、魔力伝達ラインの正常化と、術式のブーストッ………!?」


 完全に外道の行う行為であった。

 計画の中核となる人物の意思の尊重も何もなく意思自体を殺して無理やり人形にし、肉親の肉体を使い術式の強化。さらに断りもなく遺伝子情報を改造を施したクローンを複製量産。

 終いには多大なる負担が伴うはずの地脈の魔力吸収に何の対策もせず生身のまま行わせる。

 ふざけている。


「ご名答」

「――――――――――ッ!?」


 いつの間にか、ルージュの背後に顔を隠した黒ずくめのローブを身に纏った人物が佇んでいた。

 咄嗟に距離を取る。しかし、それで状況が改善されたとはとても言えなかった。


「まさか鼠が紛れ込んでいたとは。いやはや、やはり警備は置いておくべきだったかな? いや、むしろこれに見つかった場合の方が、リスクは高いかも知れんな」

「アンタは……」

「名は無い。とうの昔に捨てた身だ。今ではただの一匹の竜である身よ」

「…………」


 嫌悪感を隠しもせず、ルージュは無言でアヴァールを抜き出す。


「この儀式は、貴方がやったの」

「当然であろう。この国でこんなことができる者は、今や私しかおらんよ。どうだ、素晴らしいであろう。この綿密で計算され尽くされた術式構造は。先人たちの知識を使ったのは減点物だが、実に良い。過去最高傑作ともいえる。たった一滴の魔力さえ無駄にせずサイクルを回すその様を見ていると、まるで複雑なパズルを何度も連続で解いていくような気持ちになる!!」


 狂信者のように、名も無き竜はそう言い放つ。

 その一語一句を聞くたびに、ルージュの心は少しずつ沸騰し始める。


「あの、首は……何?」

「竜の首に決まっているであろう。盲目か貴様は」

「――――なんであの首がセリアの前に置いているんだって聞いてんだよ!!!!」


 ついに激怒する。

 いや、むしろ押さえていた怒りが爆発したのだ。冷静に事を処理したいがために、その爆発は一回りも二回りも巨大であった。

 アヴァールの切っ先を向けて威嚇しながらルージュは、少しずつ名も無き竜に近付いて行く。


「はて、何と答えるべきか」

「ッ……………!」

「そうだな、敢えて言うならば」


 見えない顔の口がわずかに吊り上がった。



趣味かね・・・・?」



 枷が完全に吹き飛ぶ。



「ふッッざけんなァァァアああああああああああああァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」



 怒りに任せて、ルージュはアヴァールを振る。

 だが名も無き竜の笑みが消えることは無かった。




次回投稿予定は三月五日です。

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