第九話・『Chamael』
ルビを振りました。キャーカッコイー
「セァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
高高度からの大上段振り下ろし。今のところ俺の中では最高クラスの破壊力を持ったそれは巨大なサソリ『デススコルピオン・キャンサー』というサソリなのかカニなのか紛らわしい、第八階層のボスと激戦を繰り広げていた状態の止めの攻撃となった。
ブルー・サファイアは真っ直ぐ振り下ろされ、自重と遠心力、そして落下のベクトルを咥えられ、硬い甲殻を破壊するには十分な域まで昇華されていた。当然、正面から当たったサソリの頭部は粉々に砕け散り、透明な液体を撒き散らしながら紫色の煙となった。
「もっ、も、限界……」
「ああ、同感だ。クソッ、拳がヒリヒリするぜ……」
「弱音を吐くなよジョン……と言いたいところだが、無理だ。私も疲れた」
「セリアも~」
ボス専用に作られているのか、巨大な空洞に皆尻を床に着かせる。
現在、出発から約四時間半。少々の休憩を挟み、一気に駆け上がってきた俺たちの体力はもうとっくに底を付き始めていた。唯一元気そうなのは、
「あはははっ、初見でまさか八層まできちゃうなんて……私たち、意外と相性いいっぽい?」
元気溌剌、底知れない気力を持ったリーシャ一人のみだった。
俺もこのまま突っ切ろうなんていう愚策は思ったにしろ、実行できる気力がもうなかった。さっきの一撃でとっくにギブアップ宣言を出しかけている。なのにもかかわらずリーシャはあと数時間は余裕で動けるとでもいうのか、細剣をブンブンと振り回している。
もうレベルとかの問題ではない。なんていう太さの心だ。ちょっとやそっとでは揺れさえしないアイアンメンタル、恐れ入る。
「お前……疲労っていうものを感じないのか?」
「楽しいから、全然疲れないよ~?」
「嘘だろ……」
人間気合があれば何でもできるというが、身体的な疲労さえ消せるというのか。
こいつ、好きなことやらせておけば一週間は寝ないと思う。尋常じゃない気力だ。
「それより、リースのレベルはどうなったの?」
「レベル? ああ、そんなものあったっけな……」
今更だが、レベルという概念を久々に思い出す。
最近あまり見ようとする意欲がなかったから、今やどうなっているのやら。
【ステータス】
名前 椎奈 結城 HP348/710 MP680/680
レベル17
「はぁっ!?」
昨日までレベル7だったのにもかかわらず、源氏あのレベルは急激にうなぎ上りも真っ青な速度で上がっていた。なんと10だ。ヌルゲーのような気がしてきて一気に萎えてくる。いや、強くなって生きられるんなら本望だが……。
「ちなみに私は2上がったよ」
「私は6だ」
「俺は4」
「ぼ、僕は……7、です」
「4だよ~!」
もしかして自分が一番レベルが低いのではないか、という危惧から『心眼(偽)』スキルで片っ端からレベルを除いていく。プライベートもプライドも糞もない行動だが、安全対策だ、仕方ないね。
結果、リーシャは29、ファールは17、ジョンは20、ニコラスは14、セリアは22、幸い最下位ではなかった。ニコラスは戦力外と言っても構わないので実質最下位同然だが、それを言うならファールも同じということになる。
それに、レベルが高ければステータスも全体的に高いというわけではない。俺の筋力は実際ファールをかなり上回っている。やはり素質の違いからか。
「…………ファール、ジョン、ニコラス、セリア」
「なんだ?」
「もう、いいぞ」
「…………あん?」
たった一言だけで、この場が凍り付く。
ファールは何か、逆鱗を振れられたような顔で俺に近づいてきた。
「ここまで来て、何言ってんだお前」
「手に入れた宝石は全部やる。俺には宝の持ち腐れだ」
「そういう問題じゃねぇんだよ……!」
胸倉を掴みあげられた。
当然、こうなるよな。
「上層の宝が欲しいなら、持ってきてやるから安心し――――」
「そう言う問題じゃねぇって――――言ってんだろこの阿保ッ!」
痛烈な右ストレートが飛んでくる。
それを抵抗なく頬に受けた俺は、掴まれた手から離れるように飛ぶ。
軽く尻餅をついて、ファールを見上げた。
「私たちがただ宝が欲しくてお前に付いて行ったと思うか?」
「思うね」
「ああそうか。じゃあその認識を改めてもらう。いいか? 私たちは金だけが生きがいな屑野郎とは違う、ちゃんと人助けもするし困ったやつが居たらなるべく助ける」
「それでも荒くれ者の多い探索者かよ。インディージョーンズじゃねぇんだぞ」
「なんだそれ?」
「笑って流せ」
異世界のことは公言禁止だったな、と鼻で笑いながら殴られた頬をさする。
流石獣人、奥歯が欠けてやがる。
「まったく……人の厚意に気づかないのかお前は」
「殴るのが厚意か……」
「いや、そこは謝るが――――とにかく、私たちは金が目的でお前に付いて行ってるんじゃない。死にに行く馬鹿を助けに行ってんだよ」
「その馬鹿とは俺のことか?」
「当たり前だこの馬鹿」
「……ったく、わかったよ……人の厚意に気づかないのはお前もだっつーのに……」
――――死なないように、別れさせようと思ったのに。
それこそあちらにとっては余計なお世話だろうが、俺にとってはそれが最善手だ。
誰かに死なれでもしたら、一生罪悪感が圧し掛かることになる。
自分のために、相手のために選んだ選択肢が間違っているとは、なんたる皮肉。
「……なぁ、ほんとに帰らねぇの?」
「帰らない! 大体、大体只で生死左右する依頼を受ける馬鹿がいるわけないだろ? つまり『人の厚意にはありがたく甘えろ』ってことだよ。それに依頼内容も『最上層まで』、だろ? 途中から契約破棄なんて許すわけないだろバーカ」
「あっそ……とんだ強情野郎だなお前は」
「私は女だ」
「中身は男勝りだがな」
石が額に命中する。
当然、ファールが投げたものだ。今の発言は若干デリカシーが無さ過ぎたとは思ったが、石を投げるな石を。あくそっ、血が出てる。即座に止血用の魔法を掛ける。
「さて、休憩は済んだか?」
「あ~……腕が痛い」
「あとで魔法で治そうか? リース」
「いや、いい。この程度でへばってちゃ、助けるものも助けられないってもんだ」
床に放り投げていたブルー・サファイア。それを拾って、杖にする形で立つ。
本音はもう寝たい気持ちだが、そうはいかない。不眠覚悟でアウローラ攫って連れ帰る。
仲間だしな。
「じゃあ皆、もう行く――――――」
――――天井が、崩れた。
上から降ってきたのは、六枚もの翼をもった『天使』。
そして――――灼熱の焦熱地獄を沸騰させる炎の翼をもった『悪魔』だった。
「ヒャギャハァアアアハハハハハハハハハハハハハハハハッはァァぁああああああハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
その悪魔は天使の上に乗っていた。
そしてその首を締め上げ、炎で炙っている。
生物の物とは思えない奇声交じりの爆笑に、気温は喉が焼けるほど熱いのに背筋に悪寒が走る。
二つの人外は、床を大きく凹ませながら着地する。
「ルー、ジュ……一体、なにを……代償、に……」
「おぉぉぉしえるわけねぇぇぇええええええだろぉぉオオオオオオォヴァアァァァァァアカ!!!!」
「ッ……侵食現界結界……まさか、土壇場で構築する、なんて……」
「どぅおぉ? アウロォォラ、貴女が百数年かけて編み出したものを立った数十分で構築された気分は? 悔しィでしょぉぉぉおおおおおお!?」
「炎の、強弱……任意に火力を、操作できる……それだけじゃないッ、超高温の炎で、プラズマを……射出、でき……」
「うれしぃわ、うれしぃいいいいいわああぁぁああああああ?? あなたが来てくれたおかげで、私はもっと強くなれたもっと高みへ登れた!! これなら『工房』をぶっ潰す日も遠くなさそうねぇぇ?」
下になっていた天使は、上にいる悪魔と何やら意味深な会話をしている。勿論意味などは分からなったが、その会話はお互いのことを熟知しているうえでの会話と見て取れた。旧知の仲だというのが分かる。
天使は――――俺の存在に気づいて、首をかしげてこちらを向いて着た。
瞬間、瞳孔が一気に開き、掠れた声が聞こえる。
「なんで……こ、こ……に……」
「あぁああああんんん?? よそ見している暇が――――あるのかしらァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
一気に表情を黒く染め上げた悪魔は、俺の方を向いていた天使の頭を地面に埋めつける。
だが止まらない。まるでそれが一瞬玩具と遊ぶ子供の用に、ただ遊び気分で彼女の頭をつぶしているのが分かる。狂気しかない、悪寒がひどさを増す。
「アッひゃひゃひゃはハハッはハハハハハはァッ!? ギャッギャギャガギャギャギャ!!」
「お願、い……リース……逃げ、っ……!」
「なんで、名前を……まさか、お前!?」
ここでようやく彼女の正体がわかる。
だが、すでに遅かった。
「アは」
ぶちっ、という、何かが潰れた音が空しく響く。
全員、硬直した。
あまりの急展開に、誰もついていけてないのだ。あのリーシャでさえ、異物と想定外のことを見るような顔だ。
唯一事態を呑み込めて、かつ違う表情をしているのは――――俺だけであった。
「あらら、あららら? あ~あ、死んじゃった? ねぇ、死んじゃった? 悲しいわぁアウローラ、まだまだ痛めつけたかったのに、本当に残念。まぁあ、でも、この術を習得するヒントがもらえただけで十分なのだけれど……」
「クッッソガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」
手に持ったブルー・サファイアを全力で握り、今まで発揮したことさえない速度で突進。
最高潮の怒りを以って、先ほどの一撃とは比べ物にならないほどの破壊力を持った一撃をぶつける。
スピード、パワー、遠心力、慣性、姿勢、それらの要素が完璧に組み合わされたことにより、赤い悪魔を殺すには十分だと推測される一撃が――――虫でも掴むかのように指二本で止められた。
「軽い、軽いわぁあ。この子の斬撃と比べたら……あぁ、私たちのスペックと比べるのが野暮ってものかしら?」
「くそっ、おぉぉぉぉおおああああああ!!」
そのまま力ずくで押し切ろうとした。
直後、相手の指に力がこもった。ブルー・サファイアに大きくひびが入る。
パリィィィン、とガラスが砕けるような音が鳴り――――青の大剣は容易く粉々になった。
「退け、塵が」
間髪言えずに、赤い悪魔の拳が腹に食い込む。
本人にとっては軽く放った一撃だろうが、こちらにとっては内臓の一つや二つは軽々と持っていくような超重量級の一撃だ。とっさの判断でバックステップを取らなければ確実に内臓破裂で死んでいただろう。
だが、直撃が回避されても、衝撃の大半を逃がしても――――俺を数十メートル吹き飛ばす力は余裕で残されていた。
「がっ――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?」
悲痛な悲鳴を残しながら吹き飛び、転がり、背中から壁に激突。
余りの勢いに体全体が壁に食い込み、めり込み、埋まる。
喉から熱いものが込み上がってきたと思った瞬間もう赤い塊が口から吐き出されていた。
「がぼっ……!」
満タン近くあったHPが残り九割まで減少。
文字通り、格が違った。
だが意識がまだ残っていた、体に力は入らないが、言葉を出すだけの力はまだ残っている。
つまり、皆をここから避難させるだけの力はまだある。
「お、前ら……ッ、逃げろ!」
「で、でもお前はどうするんだ……!」
「いい、から……はがぁおあっ!!」
嘔吐物と血液が一緒に出てくる。
「残念ながらリース、その提案はお断りさせていただく」
「おま、っ……この状況、わかって……」
「お前を置いて行くわけにはいかない。それに――――」
ファールの強情がまだ働いている。
この場で最も邪魔だった。最悪への歯車が動き出した音がした。
「試したい、もっと試したいわぁこの力! うふふふあははははははっ? 貴方たち、記念すべき実験台よ? 喜びなさい」
「あちらが逃がしてくれなさそうだ」
「……くそ、が……」
どちらにしろ、同じ結果になりそうだった。
――――――
天使を模った姿は、神秘的の一言に尽きない。
六枚の翼は華やかであり見る者を魅了するような美しさと、触れたものを問答無用で粉みじんにする破壊力を秘めていた。
その姿は紛れもなく天使そのもの。といっても、人間が作りだした『想像』に過ぎないのだから、本来の力の断片程度しか引き出せないが、それでもこの『塔』を丸ごと破壊できるだけの力は十二分にあった。
そして、力の代償は経験値。
今まで自分が培ってきた物を代償として発動する『侵食現界結界』。その名も【月蝕の暁】。自分の名前をつけた、彼女が自身の中でも最強と誇れるほどの禁術である。
効果は単純。
世界を侵食し、己の心象を写し取った世界を顕現させるだけ。
月が消え、月の光を秘めた結晶が地面から生え、その力を使い自分のコードネームとしてもつけられている大天使『Sandalphon』の力をを肉体に宿す。
仕組み自体は簡単だった。
実行するのが難しいだけだ。
「……天使を堕天させてその身に宿すなんて、常人の発想じゃないわね」
「常人じゃないし、貴女には一番言われたくないわ」
「あっ、はっはっはっは!! さすが、成功作とだけあるわ。ええ……怒りと憎悪があふれ出しそうよ。それだけの力が、あったなら……『工房』をつぶせるはずでしょう?? なんで、それをしないのかしら」
「もう、私一人でどうこう出来る規模じゃないのよ。それに、あっちにはセラフがいる。さすがに、私もあれには敵わないわ」
「どうして!? あの怪物は単に全身を機械に置き換えただけよ! 天使の力さえまともに引き出せないのに、勝てない道理はないでしょう!?」
「熾天使の名は伊達じゃないってことよ……。貴女が消えて二百年間、色々あったのよ」
「ッッッゥゥ…………アアアァァアアアアアアアアッ!!」
怒りのままに『アヴァール』を握り直し、『夢幻の焔剣』を発動。
大量の魔力を消費して生成された数十万もの剣が高速でアウローラへと飛来する。
だが無意味だ。
アウローラは軽く手を薙ぎ払うと、それに連動し一枚の翼が無限に伸び、剣を薙ぎ払う。触れたものは文字通り消滅した。余波で残りの剣も粉々に砕け散った。
凝縮された魔力を暴発させながら剣の残骸は降り注ぐ。風は乱れ、その事実は確実にルージュの戦意を削いでいく。
「はぁっ……はあぁぁぁあああっ……!」
「もう魔力も残り少ないでしょう。その武器は元々熱で相手の武器を切断する前提で、白兵戦を予想して作られた武器よ。スキルは偶然の産物に過ぎないわ」
「うるさい……うるっさいわねぇぇええええ! 指図するんじゃないわよこの裏切り者ぉぉぉおおおッッ!!」
「調整もまともにされてない人工魔剣が、真価を発揮できるはずもない。時間があったのに自分でそれをしなかったのは、貴女の敗因の一つよ」
「私は負けていない! 負けではいけないんだから!」
「序盤はまだ勝機があったのに、一気に決着をつけようとしなかったもの一つね。性格の問題なのだから仕方ないと言えばしかないのかしら」
「ふぅぅっ……グゥゥゥゥウウウァァアアアアアアアアア……!」
「最大の原因はやっぱり、鍛錬を怠ったこと。……いつまでも最強気取っているんじゃない、とかって神様が言っているんじゃないかしら」
「殺す……殺す殺す殺す殺す殺す! 殺すぅぅぅううううッッ!!」
「そんなに叫んでいて、喉が痛くならないのかしら」
一歩踏み出す。
それだけの行動で、ルージュは総ての自由権を失った。
手足が動かなくなる。
体が金縛りにでもあったかのように反応を見せない。
「《天からの拘束具》……もう勝ち目はないわよ。大人しく話を聞きなさい」
もう、何も言えなかった。
ルージュは脱力する。
ここまで力の差があったとは想像さえしていなかった。
『焔の現身』としての刻印を与えられて、自分はもう誰にも負けないと思っていたのだ。
その思いは、今完膚なきまでに叩き崩された。
「……改めて挨拶するわよ。久しぶりルージュ、元気だった? ま、今までの様子じゃ、元気してたみたいだけど」
「…………」
羽を椅子のように折り畳み、腰かけてアウローラは戦意喪失しているルージュにそんな言葉を贈る。
だが、ルージュはもう何も答えない。自分の死を待っている死刑囚のように。
「まったく、こんなに様変わりしちゃって……結構心配していたのよ? あなたがひとりでにどこかへと出て行ってしまったその日から」
「……嘘だ」
「嘘じゃないわよ。仮にも知り合いよ? 勝手にいなくなったと思ったら、まさか『塔』でボスなんてしていたもの。確か……塔が現れたのが百年前だったかしら、それ以前は何をやっていたの?」
「……何も、しなかったわよ。そう、何も、ね……」
「答えてくれる気はない、と。……本当に、強情なところは変わらないわね。それとも何、昔話が嫌なのかしら」
「うるさい……黙れ……!」
「はぁ……全く、面倒くさいわねホント。――――昔話が嫌なら話を変えるわよ」
声のトーンが急激に低くなる。
それを感じ取ると、ルージュはついに来るのかと肩を震わせる。
「私と一緒に来ない?」
「……は?」
そしてまた声のトーンが急に上がる。
あまりの可笑しさに、ルージュは自分が一瞬正気なのか疑ってしまう。
「一緒に、『工房』潰そうって話よ」
「……さっき、一人でどうこう出来る規模じゃないって言ってなかったっけぇ?」
「ええ。だから仲間を集めているのよ。『騎士団』の上層部にいる反体制派、機人種にいる『工房』をよく思っていない『機人達の反乱軍』。そして――――『工房』内にいる『作られた天才達』で作られた戦闘部隊内の極秘反対勢力『対工房戦闘部隊・復讐猟犬』。数百年前までは反対勢力が一つも無かったから、悲劇を止めるものが存在しなかった。でも、今はいるのよ。だから、一緒に起こさない? 革命を」
手の込んだ嘘にしても、出来過ぎていた。
『工房』の規模は未知数だ。どれだけの犠牲を払ってきたのか、また何時から始まっていたのか、そしてどれだけの『闇』に潜り込んでいるのかわからない。
そんな組織に歯向かおうとする者は少なくて当然だ。下手したら国を数十個敵に回すのと同然なのだから。
だがいつの時代にも、反感を覚える者はいる。
そんな者達が集まり、工房を、闇の世界を敵に回そうとしているのだ。
アウローラは十中八九リーダー格。
本当に、革命を起こそうというのか。
「……うっふ……ふ、ふふあはははははははははははっ!!」
「どう? いい話だと思うけど」
「いひひっ、くっ、くっ……いいわ、いいわよ……!」
「ほ、本当に? よかった……」
アウローラはゆっくりと歩き、ルージュの下に寄る。
そしてバインドを解除して、よろける彼女の体を支える。
「貴女が判ってくれなかったら、どうしようと思って。本当に、よかった……」
「ええ、いいわよ……
――――――なーんて、虫唾が走るわバァカ」
ドスッ、という感触がアウローラの腹に生まれる。
信じられないものを見るような目でアウローラは視線を下に向ける。
そこには、燃え盛る『アヴァール』が突き立っていた。肉を焦がし、地を蒸発させ、アウローラの華奢な体を貫通している。
「な……ど、うし……て」
「馬鹿じゃないの? 許すわけ、無いでしょう? 裏切り者を味方にするほど私はアホじゃねぇぇぇぇええんだよこのタァァァアアアコ!!」
ルージュは激昂に身を任せて脳を限界まで回転させる。
『侵食現界結界』。理論上は天使の加護を受けている者なら誰にでもできる。いや、そもそも普通の者にもできる。
それができない理由はあまりの費用故にだ。一秒間維持するだけで信じられないほどの量の魔力を奪っていく。当然だ。世界の修正力を上回る力で世界を書き換えないといけないのだから。
つまり費用さえどうにかできれば誰にでもできる。
魔力に変わる代償。ルージュが唯一経験値以外に大量に所持している力。
生命力。
数千万近くあるそれを代償にし、彼女は超高速ともいえる速度で術式を構築していく。
過去のノウハウのおかげでそれは一秒かからない。
そして――――完成した。
「《炎は原初の理、世界は炎に包ま|れ、それ以
《us flammis》外の存在を許さなかった》」
「ルージュ……まさ、か……!?」
一句一句が終わるごとに、アウローラの心象世界が割れていく。
少しずつ、書き換えられていっているのだ。
「《原点は炎に始まる。炎は全てを焼き尽くす。希望の光であるとともに、その光はまた絶望に等しく、何もかもを焼き尽くした。人も、家畜も、植物も、命の生まれ故郷の海までも。私の炎は、万物を干からびさせ、潤いを奪い、血液を蒸発させ、ありとあらゆる生命の存在を許容しない》」
世界が揺れる。
確たるものとなっていたアウローラの夜に、微かな罅が入る。そこから罅は連鎖的に広がってゆき、その奥に隠れていたであろう陽光を少しずつ導いていく。
「《私は神に絶対の忠義を誓い、神に反逆する者は許さなかった。皆等しく断罪した。それが例え間違いであったとしても、私が正しいと信じたならばそれは正しいことである。それは神の意志であるのだから》」
地面から生えていた結晶がすべて同時に砕け散る。
月の光は解放され、空に月が生まれる。
「《さあ立ち上がれ破壊の天使たち、赤い豹がお前たちを導こう。その先暗黒だとしても、我ら恐れずしてその先にいる敵を討ち滅ぼす。我は戦の神、今こそ立ち上がり敵を蹴散らそう。憎悪のままに、悪者をこの手で切 り裂く》」
代わりに地面から炎が出現する。
全てを焦がし、燃やし尽くす地獄の炎。
「《天獄の門番、地獄の悪魔。顕現せよ。
憑依せよ――――【堕天せし疑似天使・永久に神を見る者】!!》」
ルージュの背中から一対二の悪魔のような翼が出現する。
その翼は焔。彼女の怒りを表した心炎。
「アウローラ、貴方の敗因を教えてあげる。それはね――――私が同等の域に至れる筈がないと油断したからよ」
「ルージュ……どう、し、て……! ッ……《神霊終義・第十階――――ッが!?」
「《天蠍宮・一穿撃》ァァァァァアアアアア…………!!」
アウローラの腹に突き刺さっていた『アヴァール』を遠慮なく引き抜き、ルージュはそう囁いて――――『塔』の最上層を跡形もなく粉砕した。
――――――
状況は最悪。
全員臨時態勢。
対して相手は余裕を感じる暇すらあるのか、俺を見てヘラヘラと笑っている。
再度確認。
状況は不動の最悪。
全員は動けない。
相手は今油断している。
「……全員」
静かに呟く。
喉がかなりキテいるのだ、無理はできないがこのチャンスを逃がしたら恐らく敗北は確たるものになってしまう。
「最大火力、一点集中!! 魔法でも何でもいいから攻撃させるな、ぶちかませ!!」
その言葉に全員は一斉に動き出す。
「崩竜魔撃――――いっけえええええええっ!!」
「氷結徹甲弾、凍れぇぇッ!!」
「ウゥゥゥゥオオオオオオオオオッッ! 《竜崩・黒禅砕冑》!!」
「《四元素、水の属性は我が手の内に。集まり、型を成し、鋭く速く、敵を貫く》!!」
「(長ったらしい詠唱をする暇なんてあるわけねぇ……!! ぶっつけだ!)《フローズンエア》!!」
「《降れ・水よ・剣よ》《水属・百剣雨》!!」
全員が一番効果的かつ高威力だと判断したものを同時に一点に集中して放つ。
中央にいた赤い悪魔はそれを避けもせず正面から衝突する。
セリアの崩竜魔撃は床の石ごと全てをなぎ倒した。触れたものは構わず砂へと変えていく。しかし俺達のパーティの中では最高威力とも断言できるセリアの渾身の竜の息吹を、悪魔は手を少し早く水平に薙ぐだけで弾いた。
ファールの放った、中身が彼女自作の薬品で詰まっているであろう弾丸は悪魔の背中に命中した。中にあった薬品ははじめ、撒き散らされ、触れたものの温度を極限前まで奪っていく。そこにニコラスの作った水の矢と、俺の放った氷点下の風が撫でて氷結速度をさらに早めていく。そこにジョンがその巨体とは似つかわしい速度で飛び込み、凍った背中に竜の鱗を砕く事を想定にして創作された一撃が入る。打撃音とは思えない音がし、直後に頭上から水を纏った剣が雨あられのように降り注ぐ。当然ジョンはバックステップで回避し、降り始めた剣は全て悪魔に命中する。
「やったか!?」
「おいそれ言っちゃ――――」
誰かさんが完璧にやってないフラグを立てたところで、悪魔は炎の翼で全方位を薙ぎ、自分に刺さった剣を溶かし、ついでと言わんばかりに俺達を吹き飛ばす。
俺は元々壁に近い場所にいたのでほぼノーダメージだが、周りはそうともいかない。全員は残すことなく壁や天井に叩きつけられ、身体に重度なダメージを受ける。
「く、がっはっ……!」
「なんつー出鱈目さだ……攻撃が効かないだと?」
「痛い、痛いよぉ……」
「魔力が切れて……動けな、い……」
全員が危篤状態一歩手前だ。マズイ。早くアウローラを救出して脱出せねば。……もう、手遅れかもしれないが。
全員が自分の生を諦めているとき、不意に異様な空気を放つ人物がいるのに気付く。
――――正体は、狂喜が混じったような笑みとこれ以上ないまでに高揚した気分が混ざり合った笑顔を浮かべているリーシャだった。
銀の細剣を片手に、壁に打ち付けられながらも、口から血筋を作ってもなお、笑顔を浮かべていた。そこに異常な感情が混じっていることを本能的に悟り、戦慄する。
「くっ、ふふふふふ。あっは、あははははははははははは!! 最高……最ッ高にいい展開になってきたよ……ふっ、ふふふふふ」
「おい、リーシャ。変な真似は――――」
「――――《妖精は我が僕なり。僕ならば我に力を貸すべし》」
リーシャの体から緑色の何かがあふれ出す。そしてそれが質量を持った光と気づく。
彼女の体はそれに包まれるようにして輝き出し、白かった髪を緑に染め上げる。
「奥義――――」
一句を呟いた後、光を残して姿が消え、リーシャが居た地面が激しく爆発――――直後、彼女は悪魔の目の鼻の先まで接近していた。
手に持った銀色の細剣は緑色の光で包まれており、何かの力が宿っているような印象をばら撒いた。
「――――《不幸なる一撃》」
再度姿が消える。
気づいたときにはもう終わっていた。
リーシャは、先ほど自分が居た場所の反対側に何もなかったかのように立っていた。
赤い悪魔は、変わらず気持ち悪い笑顔を崩さず、いつの間にか手に持った剣を突き出した姿勢のまま首だけ動かしてリーシャを見ている。
「へぇ……悪くない一撃だったわよお嬢さん。下手したら上半身がちぎれ飛んでいたかも」
悪魔は自分の胸のあたりに触れる。
すると、その場所から血が噴水のように噴き出した。
誰もが決まった、と思った。
だが、現実というのはそんなに甘くはない。
「……ご、ぼっ」
「《天蠍座・一穿撃》。……私の方が一枚上手だったようね」
口から赤いものを大量に流れださせたリーシャは、糸が切れたように地面に崩れ落ちる。
そんな冗談のような光景を一部始終見届けた残り五人は開いた口が塞がらず、畏怖の目でしかその光景を見れなかった。
それに大層歓喜した悪魔は、高らかに嗤う。
「ァァアハッ、アハハハハハハハハ!! いいわねぇ、人の絶望する光景ってなんでこうもゾクゾクするのかしらァ……癖になっちゃう」
悪趣味にもほどがある。
だが俺はそんな言葉なの、耳にも入れなかった。
見ていたのは、倒れたリーシャ。
彼女の下には血だまりが出来上がっている。
致命傷は確実だった。
「やったな……」
頭の中で、何かが切れる音がした。
「アアァァアアアアぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!」
【脅威度AAA++――――修正SS++と断定。自己防衛、発動します】