第七十八話・『黒き巨腕』
やっちまいました。
何がって? ナニをだよ言わせんな畜生。晩から朝までこってり物理的な意味で絞られて干からびて死ぬかと思ったよ。
本当、泣きたいです。
どうしてこうなったんだろうね。
「うっ、えぐっ…………」
「あ、その、えっと、あの」
「止めるべきだったのだろうか」
膝を抱えて部屋の隅で裸に布一枚を羽織った姿で涙を流す俺が居た。惨めだ。しかしそれも仕方がない。逆レイ○など人生で初体験なのだ。あまりにも心に堪えてしまったせいか心が閉鎖状態になっていた。
その結果今、アウローラと獣人の少女に背中を擦られながら宥められている。実に惨めである。
その近くには土下座で震えているフェーアの姿。そして呆れてものも言えない状態のベルジェであった。
朝っぱらから惨状とコントを繰り広げている現状である。
「ごめんなさいやり過ぎました許してください何でもしますから」
「ひっ、ぅぅぅぅぅぅっ」
「リース、大丈夫だから。ね? 大丈夫だから」
「あー、うぁ~」
「何なのだこれは……」
お前が止めなかった結果の末路だよこの役立たずトカゲめ。
全力で暴言を吐きたい気分だったが、我慢する。泣いているだけでも正直限界まで感情を限界まで抑えた結果なのだ。これ以上無理に感情を爆発させたら自分を止められる気がしない。
最もベルジェだけが原因ではないのだが。
あのルキナというクソ悪魔が、俺の行動を完全に封じたのが原因の大半と言っても過言ではない。しかも強制勃起のおまけつきだ。死ね。
「いや、しかし、発情期だというようだし、仕方あるまい」
「仕方ないってなんだよ!?」
「……その、すまん」
ただの発情期ならば別の奴に頼めばよろしい物をどうしてわざわざ俺を使ったのかという話だ。
しかもどんだけ性欲が強かったのか六連発させられた。死ぬかと思ったぞ畜生。
目元の涙を腕で拭いて、干からびた身体を起こす。何時までもうじうじ泣いていたら話が進まない。というか別にそこまで気に病んではいない。状況をまとめれば――――
美人のケモノ娘が発情しました。
とても性欲が強かったのでなんか襲われました。
アンアンギシギシ。
朝チュン←今ここ。
あれ、もしかして凄く役得じゃないかコレ。
なわけないだろ。
相手がただの獣人ならともかく――――フェーアは集落を一任された立場だ。もし人間と交わったと噂話をたれ流せば、一気に不信感が積もっていく。男性獣人ならともかく、女性で、しかも身分の高い者だ。しかも混血という微妙な立場。
これを機に長という役職から叩き落しにやってくる輩が存在しないとも限らない状態で、やってしまったのだ。
実に最悪の失態とも言えよう。
「……できればもうしないでください」
「はい。本当に、失礼しました。ごめんなさい。凄く、反省しています」
土下座のままフェーアは泣きながら自分の意思を告げた。
ここまで必死になられると逆にこちらの方が悪いのかと疑ってしまう。
いやどう見ても俺は被害者なのだけれども。
気を取り直して、俺は羽織っていた布を腰に巻いてテーブル近くの椅子に腰を下ろす。深呼吸して気持ちを整えて、表情を切り替えた。
「さて、これからの話をしよう」
「切り替え早いな貴様」
「るっせぇなっ!! わざわざ話題切り替えようとしてんだから戻そうとすんなボケッ! トラウマがよみがえるだろ!?」
「……なんかすまん」
マジ切れして怒りの感情が溢れそうになるが再度深呼吸。落ち着け、落ち着くんだ。ベルジェに怒っても仕方がないのだ。もう過ぎたことは変えられない。
「とにかく、俺達はフェーアに案内を任せて『獣王』のいる集落に行くことにした」
「説得の手段はあるのか?」
「はぁ? ねぇよそんなもん。武闘派に口論とか自殺する気か。見た目は人間でもその頭の中身は爬虫類なのかお前は? あ゛?」
「……その、すまん」
「あ、いや、こっちこそ。ああクソ、すまん感情が漏れ出て来る」
後悔からベルジェへの風当たりを強めてしまう。
別に彼は悪くない。そう、ルキナだ。全部アイツが悪いんだ。そうだきっとそうだ。うん。
一旦頭をテーブルに叩き付けて頭を冷やし、わざと咳き込んで調子を正していく。
「とにかく糞トカ……ベルジェが居る限り、俺達は明日にでも出発しなければならない。何せ、他の集落に知られればこの集落は『敵の一味をかくまった』なんて言いがかり付けられて、あ、いや真実か。そんな理由で襲われかねない。だからベルジェについては負傷していたところを捕まえた捕虜って事にして、俺達は『獣王』の居る場所にその捕虜を連れて行く、という口実で責任者のフェーアを連れ出す。俺たちについては『同行していた者達』ってことで重要参考人に仕立て上げろ。ついてくるかもしれない護衛については……そうだな、親しい奴らで固めろ。信用できる奴をな。腕っ節が強かろうが下手に信頼の薄い部外者なんて連れてこればこちらの思惑がバレた時に密告されかねないからな。いいな?」
「わかりました」
「とはいえ、私はもう傷が治っているぞ? 負傷兵というにはいささか無理があるのでは?」
「自分の血を滲ませた包帯でも大量に巻いて置けやそのぐらい自分で考えろヴァカかテメェはよぉ?」
「あ、はい」
話はまとまった。
もしベルジェが無駄にプライドの高い奴だったらかなり話は滞っていっただろうが、その心配はなかったらしい。あまりにもあっさり進み過ぎてそれはそれでかなり心配なのだが。
後は、俺だ。
最後に控えている『獣王』とやらをぶっ飛ばせる強さを手に入れなくてはならない。
最悪相手は条件を付けてくるかもしれないので、最低でも素手でドラゴンを殺せるぐらいには成長しなければならないだろう。
かなり無茶苦茶言っているような気がしなくもないが、仕方ない。もう戻れない。
「……よし」
俺はすっと立ち上がった。
そこら辺に投げすてていた自分の衣服を拾って着用し、天幕の幕に手をかけ振り返る。
「ちょっと散歩行ってくる」
「は?」
「見回りだよ、ただの。夜には戻るから、出立の準備をしておいてくれ」
「……リース、私も」
アウローラがねだる様に、俺の服の袖を掴んできた。
どうするべきだろうか。
この先アウローラをずっと守れるとは限らない。かと言って彼女を聞きに放り投げるのは本末転倒だ。しかし、彼女がある程度強くならなければ、いずれ俺にとっての大きい足枷になるだろう。
ここらへんで、少し鍛えさせるのもいい案かも知れない。
「よし、わかった。ついてきていいぞ」
「……うん!」
「無理はするなよ」
「わかってる」
適当にベルジェに相槌を打ち、俺はアウローラの手を引っ張り天幕を後にした。
その後は適当に、穏便に集落の周りを軽く歩いた。
鴨になりそうな獲物を探しながら、広い砂漠を見渡す。今日はそこまで日差しは強くはなく、風は少々砂が混じってはいる者の涼しい。
数分ほど歩いて、岩陰を見つけてそこに腰を下ろす。
アウローラにも手招きして隣に座らせ、一旦休憩にした。あまり無理をするのも、今は得策では無かろう。それもアウローラを連れている状態では特にだ。
「……アウローラ、一ついいか」
「? なぁ、に?」
「お前は、自分の記憶を取り戻したいとは思っていないのか?」
これについては興味本位での質問であった。
もし彼女が記憶を取り戻したいと願うのならば、今まで通りそれを遂行しようとするだけだ。今はまだ余裕がないが、いずれ必ず彼女の記憶を取り戻して見せる。
だが――――それを、今のアウローラが望まなかった場合は、どうするべきだろうか。
「……わかんない」
「え……」
「記憶を失う前の私って、どんな私だったのかな」
「それは、そりゃ……どうなのかな」
言われてみると、記憶を失う前のアウローラと俺が関わった期間は一週間にも満たない。下手をすれば三日無い。しかもそんな者に執着している俺は、どうかしているだろう。
初めて気づいた。
俺は―――アウローラの事をほとんど知らない。
好きな食べ物は何なのかとか、好きな動物はなんなのかさえ知らない。
俺はアウローラを知っていたような気になっていた。だが現実はその真逆だ。何も知らなかったわけでは無い、だが、俺は彼女を語るにはあまりにも無知であった。
「……意地っ張りで、何でもかんでも一人で背負って飛び出して、人を心配させるような奴だよ」
それでも、これだけは言えた。
自分と似ていた部分だけは、はっきりと。
「それって、悪いのかな」
「さぁ、な。人それぞれだろう。でも、嫌いじゃなかったよ」
「じゃあ、リース……」
アウローラは肩を寄せて、不安げに問う。
「今の私は、誰?」
心臓が締め付けられるような感覚がした。
もっと早く気付けばよかった。
――――彼女はアウローラであってアウローラではない。
幾ら外見が同じであっても、中身は全くの別物なのだ。
そんなアウローラが他人から、しかも昔の彼女を知っている者から馴れ馴れしい、とまではいかなくとも親しく接されたらどう思うのだろうか。
それはわからない。推測こそできても、共感はできない。
でもそれはきっと、不安になるには十分たりえる材料と言えるだろう。
知らない者から一方的に厚意を与えられる恐怖――――無いようで確かに在る、脅威的な感情。
「お前は、お前だ」
精いっぱい気力を振り絞って、顔を歪めながらも俺はアウローラにそう告げた。
どうやっても、その事実は変わらない。今ここに居るのは、アウローラ・デーフェクトゥスだ。誰がどう言おうと、それだけは真実だ。
「そうとしか言えない。だけど、自分を信じろ。確かに今のお前は前のお前と違うかもしれない。だけど、だからと言って前の自分を模範しようとしなくていい。ありのままの自分で居ろ。そうしなければ、何時か壊れてしまう」
「……リース、私は、皆に迷惑をかけてる?」
「それを、問うか。確かに、そうかもしれない。迷惑かも知れない」
「っ……」
「だけど、それはわかっていて背負っているんだ。少なくとも俺は、リスクを背負ってでも、お前を護りたい。そう思う。それだけは、信じろ」
未だ彼女が『工房』に狙われているのはわかるだろう。刺客が送られてきた時点で、それは確定的と言ってもいい。
だからと言って今俺はアウローラを見捨てるなどと考えられない。考えたくも無い。
見捨てれば、自分が自分で無くなってしまうから。
彼女はもう俺の『日常』の一部だ。
失ってはならない掛け替えのない仲間なのだ。
「……普通の家庭で、普通に生まれて、普通に育つ者ほど『特別』に憧れるやつはいる。でもなアウローラ、逆もあり得るんだ。『特別』な者は日常に憧れる。普通に生きられる者を妬む。どちらも、その気持ちと『共感』できないからな。……アウローラ、普通の生活を送りたいか?」
「平和に暮らしたい、ってことかな。うん、それもいいかも」
「でもな――――それは許されない。『特別』が『平凡』になることはできないんだ。金塊が石に慣れないのと同じだ。どれだけ足掻いても、それだけは変えられない」
「……うん」
それを身を以て知っている以上、嘘など言えない。
生まれながら悪い意味で『特別』であった俺は、妹と立った二人での平凡な生活さえ送れなかったのだ。
天性の人殺しであった俺には、そんな大層な物を得ることは許されなかった。
「それでも、俺は足掻きたい」
「無駄だって、わかっているのに?」
「だからこそだ。例えずっと、平穏な日常を過ごせなくとも、一瞬でもそれを感じ取れればいい。例えどれだけ短くとも、『日常』の儚さと脆さ、そして美しさを知ることができれば、それでも十分だろう? アウローラ、みんな揃っていた時の旅はどうだった」
「……まぁ、楽しかった、かな」
「そう感じられるのならば、それを大切にしておけ。もう一度その旅を送りたいと思うのならば、この手で守れ。そうすれば、短くても素晴らしいと思える日常はまた戻ってくる。……その日常を捨てるのは簡単だ。だけど、守るのはずっと難しい。でも俺は、手が届く大切な物は、俺の日常の一部は全部守りたいと思っている。夢物語だとは解っている。それでもやりたいんだ。見捨てて後悔するよりも、足掻いて後悔したほうがずっといい。お前も、俺が生きている内は絶対に守る。『不幸』なんて理不尽蹴散らしてでも、な」
「…………ありが、とう」
軽く頭をなでると、アウローラは照れくさそうに俯く。
小さなお礼の言葉を聞き届けると、自分も途端にどっと疲れが滲み出てくる。昨日のアレが響いているのだろうか。心なしか股間も少し痛い。
本当に、休む暇さえない。
「……?」
ふと嫌な気配を感じた。モンスターではない、もっとヤバい気配を。
肌を刺すようなその感覚に不安を覚えて、岩陰から少しだけ顔を出し『遠視』の魔法を使って気配のする方向を観察する。
「……おいおい、嘘だろ」
そこには紛れもなく何かがあった。
鈍く輝く紅い鱗と巨大な鋭い牙を携え、その巨躯をゆっくりと、しかし一歩ずつ巨大な脚を使い進んできていた。
紛れもなく、竜種だ。
しかもかなり上位に食い込む連中だと思われる。そこら辺の雑種竜とは纏っているオーラが違っていたのだ。精鋭とまではいかなくとも、かなりの練度を誇る部隊だろう。
「アウローラ、今すぐ集落に戻れ」
「え? な、なんで」
「竜が近づいてきている。急いで知らせないと不味い。頼む」
まずいなんてところじゃない。
使者とも思えないその集団は明らかに敵意全開で近づいてきている。過激派の差し金なのかどうかはわからないが、どちらにせよ今すぐ対処しないと集落が地図から消えることになるのは避けられない。
一刻も早く集落の皆に伝えねばならないのだが、例え知らせたところで立ち向かう準備間に合うかどうかもわからない。
時間稼ぎをせねばならない。
「リース、は……」
「時間を稼ぐ。お前の逃げる時間も含めてな」
「でもっ」
「行ってくれ。安心しろ――――ここでくたばるほど俺は弱くはない」
アウローラを少しだけ抱きしめる。
その小さな体は震えていた。俺が死ぬかどうか心配なのだろうか。
俺が死のうが、全員共倒れするよりかは良い。
それに、此処で死ぬ気はさらさらない。無意味な死は御免被りたい。
「大丈夫、必ず帰る。だから、行ってくれ」
「……うんっ!」
俺の言葉を信じて、アウローラは走る。
逆に俺は、こちらに向かって来ている竜達に向かって歩き出した。
竜達と対面するまでの時間がとても長く思えた。一分が一時間に延ばされたように感じる。おかげで、ある程度の覚悟はできた。
相手の戦力は、見える限りは約三十匹ほど。
中々苦戦しそうな戦力だ。
「………………あまり使いたくはないが」
右手を握り、竜らの前に出る。
俺の存在に気付いたのか、竜達は一瞬だけ硬直しその歩を止めた。
『……何の用だ、人の子よ』
「念話か。随分器用なんだな」
『質問に答えぬというならば、例え蟻とて容赦はせんぞ』
先頭に立っていた赤い竜は牙を剥き出しにして威嚇をする。
流石竜というべきか。たった一瞬だが後ずさりそうになった。これでもまだ小手調べの範疇に無いのだから、成程この世界はやはり化け物だらけだ。
だが、ヘルムートと比べれば赤子に見える。
「この先には獣人たちの集落がある。引き返すか別の道に進め」
『我らはその集落を襲撃し、その奥にある獣王の統べる集落を落とすために派遣された戦士だ。貴様こそ人の子の分際で我らの道を妨げるか』
「で?」
『…………身の程を弁えんか!』
「こっちの台詞だ。お前らは、俺を助けた恩人の居る場所を、『奥に生きたいんで潰しますね』みたいな感覚で襲撃しようとしているわけだ。――――それを見逃すと思うか?」
臨時態勢に入る。
全身から押さえていた殺気を振りまいて、右腕を横に付き出す。
今回ばかりは、手加減はできない。使いたくはなかったこの力を、初めて自分から最大限に行使しよう。
思い浮かべろ――――あの腕を。
『人間風情が、口だけは達者なようだな』
「トカゲの分際でよく喋る」
会話はそこで終了した。
互いに譲るつもりは毛頭ないと、すでに数回交わした会話でわかったのだ。
ならばこれ以上無駄な会話をすることは望ましくない。
先頭に立っていた竜が大きく息を吸った。
【『月蝕の右腕』のスキルを習得しました。完全侵食が1.00上昇しました】
黒い右腕が一気に膨れ上がる。
気色悪い音を立てながら変質し、変形し、やがては形を成す。
生み出されたのは、巨大な右腕。筋肉をむき出しにしたような表面に、幾つもの紫の光を放つ線が走っておりそれは掌に終点をとしていた。
あえて表現するならば、黒き巨人の腕。
「力を借りるぞ、ルキナ」
不思議と右腕は軽かった。
右手を竜達に向ける。
『なんだ、貴様。一体――――』
「消えろ」
腕から黒の混じった紫電が放電する。
腕に走っている線がひと際輝き、掌の中に黒紫色の球体を生み出した。
それは――――全てを消し去る暴力の塊。
「侵食しろ――――ディフィート・スフィア」
慈悲なき宣告が下される。
虐殺が始まった。
黒い球が俺の意思に応えて高速で発射される。たった直径五十センチの球は音速をはるかに超える速度で戦闘に居た赤い竜にぶつかり――――黒紫色の爆発をした。
そして、赤かった竜の体が一瞬にして黒に変わる。
黒くなった竜の体は高速で分解され、俺の右腕へと吸収された。
それを一部始終見届けた竜達は茫然とし、やがて自分たちの目の前に居るのがただの人間ではなく『敵』だという事を理解し始めその顔に怒りを浮かべ始める。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
「おーお、声だけはデカいな糞が」
精いっぱい余裕なふりをすると、竜たちがドラゴンブレスを吐く。炎の様で、しかしその色は黒と深紅が混ざったような色をしていた。
どす黒い炎とも形容できるだろうそれは、本来ならば炎が一切聞かないであろう俺の身体をごくわずかにだが焼き始める。
竜固有の属性――――竜属性だ。
この属性が付与された攻撃は再生阻害を受け、回復魔法を行使しても効果が薄まるという。
つまり今受けている火傷は回復魔法を使っても治りにくいという事だ。現に『現身の力』の再生能力が働いているというのに火傷はちっとも治らない。炎属性に耐性があったらから火傷の規模が小さくできたからよかったものの、耐性無しでこんなものを受けていたらどうなっていたことやら。
端的に言えば相手の攻撃でこちらもダメージを受けるという事だった。
やはり慢心はいけないなと思いながらも、炎に包まれながら再度黒腕に黒球を生成した。今度は先程の物より少し小さい。だが効果は変わらない。
それを発射すると、炎の向こうから雄叫びが聞こえた。死んではいないという事だ。サイズが小さい分効果範囲も減少したのだろう。だが効いている。ならば十分。
「くたばれぇぇぇえええええええええええええええええ!!!」
生成した遠距離戦用炸裂型球状侵食現象――――ディフィート・スフィアを連射する。分間百二十発程度の連射速度だったが、威力は対物ライフル以上。いや、竜種に致命打を与えられる一撃を〇・五秒間で発射できるのだ。現代兵器顔負けのスペックと言っていい。
炎が晴れると目の前に体を黒く染めた竜が何体もいる。
同時に、数が異様に減っていた。直感に従い空を見上げると、案の定殆どの竜が空に飛び上がっていた。
「空を飛べないとでも思ったか!」
周りの砂を集めて鋭い翼へと変形させる。さらにそれを炎で熱し、高速振動させ飛び上がった。
速度は炎の翼の比ではない。戦闘機並の速度で飛び上がった俺は衝撃に耐えながら竜達と空中戦を繰り広げる。
火球が無数に飛来する。それを冷静に躱しながらディフィート・スフィアを連射して的確に竜を地表に落としていく。だがそれも楽ではない。何せこちらの攻撃を掻い潜って近接戦を挑んでくる竜も居たのだ。その個体を撃ち落すと、気を取られていた隙に背後に接近した竜がその拳を振り上げる。
「おおおおおおおおおおおお!!!!」
急速旋回し拳を振りかぶる。
竜の巨岩のような拳と黒い拳が衝突する。
負けたのは、竜の方だった。
反動によって筋肉が膨張し、爆発するように弾かれて腕の骨が折れる。その痛みに絶叫し、竜はこちらにドラゴンブレスを放とうとするが、俺はそれをさせる前に右腕を竜の顔面に叩き込む。
竜の頭蓋骨が砕け、触れた個所から侵食。肉を潰すような音と共に、竜はあっけなく俺の右腕に吸収された。
「ぐぅぅぅうううううああああああああああッッ!!!!」
半ばヤケクソ気味に叫びながら右手に精神を集中する。
「焔神之剣――――火之迦具土神之神威ィィィィィッ!!!」
黒く汚染された右腕にの肉が増殖し、それに真っ黒な炎が集約して一つの大刀を形成する。
近くに居るからよくわかる。大刀の熱が通常状態の焔神之剣・火之迦具土神之神威とは桁違いの代物になっている。恐らく触れたら自分自身でさえただでは済まない。
それを竜達に向けて、振るう。
すると砂漠に赤い線が入ってしまった。
なんだ、と思った刹那―――――砂漠が割れた。まるでモーゼの奇跡で二つに割れた海の様に。
同時に振るった軌道上にいた竜は跡形もなく融けてしまった。仲間の亡骸とも呼べない何かを見た竜達は本能的に動きを止めて、割れた砂漠を見つめる。
瞬時に竜達は自分たちの進んできた方向に飛び始めた。撤退か、それとも逃亡か。
どちらでもいい。
今俺は無性に――――こいつらを消し去りたい。
だが我慢だ。欲望のままに力を振るうのは楽だ。だがこの先の事を見据えて行動していかねばならない以上、安易な暴力での解決は避けたかった。
まずはこちらの力を示しての牽制行動。例え全滅させてもデメリットは無いが、大したメリットも無い。逆に一定の数を残して自分の存在の情報を持ち帰らせた方がある程度有益だ。存在が抑止力になり、竜達もあまり辺りをうろつくことは無くなるだろうからだ。
「今すぐっ、立ち去れェッ!!!」
乞うようにそう叫ぶ。事実今の精神状態はかなり不安定だ。精神汚染と肉体汚染を同時に受けている現状、自我を保つことは箸で生卵を落とさないようにするぐらいの集中力を要しているのだ。そう説明すると簡単とも思えるような気がするが、残念ながら高重力下での作業と付け足すことになる。
「今去るのならば、命は奪わん。俺の糧になりたければかかってこい!!!」
『グルゥゥウゥゥゥ…………人間めがっ、舐めた真似を――――』
「見逃してやるから消えろっつってんだ今すぐにッ!! ぶっ殺すぞぉぉぉッ!!!」
文句を言いだした竜の首をすっ飛ばして絶叫する。
頭と喉が痛い。
見ると侵食が左半身にまで及んでいた。ギリギリで下半身にまではあまり届いていないが、身体のおよそ五割を汚染されたと予想できる。今回は自分から力を無理に引き出したからであって侵食の進行ペースが速かったからだろう。いつもこんなペースで侵食されたら一生こんな力使うものか。
『…………撤退だ皆の者。黒き災厄が我々に反応し始めた!!』
『オオオォォォォォ…………! 撤退、撤退!!』
急に竜達が焦り出した。
恐怖していたのだ。――――だがその対象は俺ではなかった。
ふと項辺りがかゆくなる。『危機感知』スキルの効果だ。第六感の教えに従い、俺は真下を見る。
「……何だと」
竜の死体が消えていた。
全てがまるで砂の中に飲み込まれたように、消えていたのだ。
流石にただ事ではないと確信して俺も警戒を強める。
【――――騒がしいぞ――――】
赤い竜達の念話があったから怯むことは無かった。
だがその念に込められた『怨念』はまるで惨殺された者のそれであった。恐らく普通の者であるのならば気絶していてもおかしくないほどの高密度の殺気と思念。
砂が吹き飛ぶ。
雲一つなかった空に急速に黒い雲が生み出されていく。一瞬ウィンクレイの仕業かと思ったが、彼女の気配はない。ならば原因は――――あれしかないだろう。
真下を見る。
【久しぶりに熟睡していた我を起こすとは何とも不敬な輩どもよ。だが】
「……おいおい、冗談か何かと言ってくれよ」
【おかげで……とても腹が疼く。感謝せよ、小さき竜らよ】
今まで戦っていた竜とは明らかに全てが違っていた。
五十メートルにも達するかも知れない巨躯。
一つ一つが歪な気配を持つ漆黒の鱗。
頭部に生えた、黒曜石を思い出させるほどの深い黒を見せる一角。
動物の血で赤みを帯びた巨大な牙。
この世の終わりを思わせるその容姿は、見るもの全てを圧倒し畏怖させる。それがさも当然であるかのように。
【我が名は魔竜ニーズヘッグ。此度三百年ぶりに目覚めて最初の食事となることを光栄に思うがいいわ】
かの黒竜は自身をニーズヘッグ、神話での最大戦争であるラグナロクをも生き残った魔物と名乗る。
そして間髪入れずに――――逃げ纏う竜の前に転移して、近くの赤い竜の胴体を削る様に噛み千切った。傷跡もその通り、スプーンで抉ったような様になってしまっている。
【所詮は雑種か。肉が固い。――――だが前菜としては上々と言えよう】
ニーズヘッグは次々と竜達を喰っていく。
逃げようとしても一瞬で追いつき、食い散らかす。骨も砕いて口の中に肉ごと放り込んでいく。
本当にただの『食事』であった。
戦いでもなく、蹂躙でもなく、そもそも争いですらない。一方的に料理を口にする食事だ。相手の意思など関係なくその身を食い千切り、己が肉体へと変質させていく。捕食者にのみ許された場だ。
たった一分で、ニーズヘッグは全ての竜を食い尽くした。その体は竜の鮮血塗れで赤く染まっていたが、直ぐに鱗をも口を持っているかのように付着した血は吸収させるように消えていく。
【それで……貴様は何だ小さき者よ。我に喧嘩を売るためにわざわざそんな魔力を纏って現れたのか?】
「何の、話だ」
【所詮は無知なる者か。まぁいい、せっかくだ。食ってやろう】
「ふざけんな…………」
いきなりしゃしゃり出てきて「食ってやろう」とは何様だ。
右手を握りニーズヘッグを睨む。
「乱入してきて人の獲物食い散らかすとは言い度胸だな『トカゲ野郎』。ちょうどいい、鬱憤が溜まりに溜まっているんだ、サンドバッグになれ」
【グッ、グハハハハハハハハハハハッ!!! なんだ小僧、肝が据わっているようだな。我を前にそんな戯言を抜かしたのは『獣王』と『神竜』ぶりだ。成程貴様もそういう類の者か、面白い】
ニーズヘッグは何かを勝手に確信したようで、高らかに笑いながら俺を見つめる。
どうやら俺は獲物から玩具にランクアップされた様だ。
実に迷惑な話である。死ねばいいのに。
【いいだろう。我の前でそんな小言を抜かしていい者か試してやろう】
「試されるのはどっちだろうなァ……ッ!」
【寝起きの遊戯だ。少しは楽しませてくれることを期待するぞ小童!!】
「黙って殴られろクソトカゲがぁぁああああああああああああ!!!!」
色々溜まっていたのか、俺は無我夢中に叫びながら突貫した。
後から思い返すと実に馬鹿らしい理由で戦いを挑んだなと思う。
――――――
「ルヴィちゃ~ん、こっち手伝ってー!」
「はいはーい。今行きますよ、っと」
首都ヴァルハラに位置する探索者ギルド本部。
その中は半分飲食店兼酒場にもなっており、探索者以外にも昼時には部外者の来客が来る場所でもある。
中にある飲食店は基本的に何でも扱っており――――各地から人や異種族が集まってくるので――――当然メニューも多く、そこら辺の飲食店程度なら歯も立たないほどだ。
しかし一つ問題がある。
人手が足りないのだ。料理人はもちろんウェイターやウェイトレスも足りない。
なぜかというと、探索者は荒くれ者が多い。人格者などは少ないわけではないが、基本的にこんな命知らずな仕事をする者は総じて性格の歪んだものが大半を占めるのだ。おかげで何かと文句を付けられてセクハラや暴行を受ける者も少なくはない。
おかげでウェイターなどは基本的に実力者ぞろいだ。B級以上でもなければ仕事が務まらない以上、必然的に数は少なくなっていくのだ。
ただ今は、その問題も解決しているのだが。
これはルヴィ――――サルヴィタールの存在が大きい。何せ彼が作った人形が実に有能だ。人形にセクハラをする者はいないし、もしちょっかいを出しても体のどこからでも手や足が生え自衛可能で強さもゴロツキ程度ならひねりつぶせるほど。
料理はさすがに出来ないが、おかげで仕事が楽になったのは確かだ。元々料理担当だったウェイターやウェイトレスもそっちの作業を集中できるし、人形も可能な限り人間に似せているので集客効果もそこまで落ちてはいない。むしろ自動で動く人形など見世物にもなるし、更には小さなスペースを借りて軽い人形劇もやっている始末。
ある意味サルヴィタールが料理以外の仕事を殆ど引き受けていると言っても過言ではなかった。
つまり彼は今やギルド本部で掛け替えのない存在となりつつあるのだ。
「やれやれ、置いて行かれたから探索者登録して小金でも稼ごうとしただけなのに、どうしてこうなったのか」
小言を呟きながらサルヴィタールは器用に果物の皮を包丁で剥いて行く。
そう、彼は最初こんなことをするつもりではなかった。元々彼は紗雪と綾斗に着いて行くつもりであったが、エウロスに警戒された挙句リーシャに同行を拒否された。
これについては彼がとても胡散臭い奴というのが原因であり、本人もあまり交流を深めようとしたかったのが悪いともいえる。しかし彼は本来の仕事であった『三人の守護』をできなくなってしまう、途方に暮れていたのだ。
なので適当に金でも稼ぐかと探索者になって、いざ仕事に行こうと思ったらちょうど人手が足りないとかなんとか言われて無理やり接客業をやらされた挙句ショタコンの人たちに体を触られまくって、終いにこうしてわざわざ『現身の力』を行使してまで手伝っている。
給料は案外悪くはないのでしぶしぶやってはいるのだが、戦闘が本業であるサルヴィタールにとってはあまり向いている仕事とは言えなかった。
と、サルヴィタールは慣れた手つきで山積みになっていた果物の皮を全てむき終える。
以外にも彼、家事全般得意である。
(ま、元執事だったからね。ってああ、なんで自分から抹消したい過去を思い出すんだか)
そう言いながらヤシの実の様な食材を包丁で真横にぶった切る。
果物の盛り合わせと木の実の新鮮ドリンクを手に持って、サルヴィタールはカウンターを出て客席の方に出ると注文した客が手を振っているのがわかる。
「ルヴィちゃーん、指名来てるよー。二階の十三番テーブル!」
「え? あ、はい」
持っていくはずだった品を近くの人形に預けて運ばせ、指名したという人物の元に行く。
言われた通り、十三番テーブルにその人物はいた。
ぶかぶかの黒コートに黒いサングラスに黒ボーラーハットと完全黒ずくめの金髪の少女が如何にも不審人物ですと宣伝するように澄ました顔で珈琲を飲み――――苦かったのか「うえっ」と言いながら口を軽くハンカチで拭いていた。
完全に格好つけたい子供のそれである。
「貴女がご指名の?」
「ん…………ええ、そう。座って」
推測できる外見に似合う幼い声だった。
しかし妙に大人びている。
まるで何度も修羅場をくぐってきたような屈強な兵士のように。
「えーと、どこかでお会いしましたっけ」
「いいえ。初対面。でも私はあなたの名前を知っている。――――今名乗っている偽名なんかじゃない、ね」
「ふむ…………。成程ね」
つまり――――旧帝国の関係者か。
そうサルヴィタールは推測した。何せ彼の出身地である『グレイン帝国』はすでに滅びて現在は『リグレイン王国』となり新生しているのだから。その過程で帝国の頃に誇っていた領土の大半を失い、現在は『アースガルズ』傘下の小国になり果ててしまっているのだが。
「それで? 僕に何か用でしょうか。僕としてはもう帝国関係者とは関わりたくはないのですが」
「お願いがあるの」
「……無理のない範囲でなら聞きましょう」
正直サルヴィタールはうんざりしていた。
こうやって昔の関係でごちゃごちゃが起こることを体験したのは一度や二度ではない。
その度に面倒事がこうやって来訪してくるのだ。じつにはた迷惑である。
「今、極西大陸で戦争が起こりかけているのは知っているよね」
「ええ。それは、まあ」
「そのことでだけど……ダークエルフ陣営が様々な国々に協力要請をだしたの。『買ったら恩恵を与えてやるから協力しろ』って。大中小、国の規模関わりなく」
「それにリグレイン王国が誘われたと」
「それだけならきっぱり断れるんだけど、ほら、リグレイン王国は資源も少ないし経済規模も比較的小さいの。だから、推進派と否定派に分かれているんだけど」
「……国が空中分解する前に戦争を止めろとでもいうつもりですか?」
頭が痛くなりそうだった。
そんな国家規模の問題をどうして自分だけに依頼してくるのか実に意味不明だったのだ。
「これは私個人のお願い。だから、その、ええと……」
「まぁ、確かにそれは重要な問題ですね」
「なら」
「でもそれを僕一人に任せるのは少し非常識ではありませんか? 個人に国家を左右する問題を任せるのは、いささかいい判断とは思えませんが」
冷たい言葉をサルヴィタールは返した。
それは正論であり正しい。
確かにサルヴィタールならば止められる可能性はある。彼にとってダークエルフの軍隊など少し苦戦する程度の相手でしかないのだから。だがそれは自分の危険度を自ら周囲に晒すようなものだ。
例えればどこかのDQNが「俺銃もってっからねぇ~」と大々的に宣伝しながら大通りを闊歩すればどうなるかは想像できるだろう。
そんな危険を見ず知らずの他人のために被るのはあまり良い行動ではない。
他人、ならば。
「お母さん、から…………あなたのことを教えてもらって、えと」
「……?」
「写真、子供の頃に見ていたから、変わっていないなって。思って、その、あの…………頼れるのが、あなたしかいなくて」
「……………失礼ですが、名前は?」
予想はしている。きっとそれは当たっているだろうという事も。
だからこそ、サルヴィタールは深い溜息を吐いた。
「フェルシア・アロスティア……です」
「…………百年待たせたツケを支払う時が来た、ってわけですか。……はぁ」
そう感慨深そうにつぶやくサルヴィタール。
その顔は嫌々ながらも仕方なさそうに『主君』に従う従者になっていた。
久々に彼も自分の『仕事』をやる気になったのだろう。
「いいでしょう、依頼は引き受けました。報酬は無くていいです、明日には出発しましょう」
「え、え?」
「久々の『命令』です。体を解すにはちょうどいいでしょう」
「あ、あの……ありがとうございます」
「…………礼はいいですよ」
運命というのは実に可笑しい物だ。
サルヴィタールは静かに笑った。
次回の投稿はいつも通りです。




