番外編7・『渡り船にはまだ乗れない』
なんだろう。すっげぇ体中痛いしやる気ない。冬眠かな。
「…………タバコが不味い」
「何やってんすかユスティーナ元帥。つか室内でタバコ吸わないでください。くっさいんですよ」
「そう堅いこと言ってると禿げるぞ~ガァァリス」
「気持ち悪いイントネーションで私の名前を呼ばないでください」
鋼鉄の壁に覆われた、置いている家具などが最低限中の最低限なこの独房と言われても納得できる個室の中、ユスティーナは安いタバコを吹かしながらノートPCを眺めていた。
ノートPCの画面には巨大な飛行機のような物の写真が張り付けられている。否、飛行船というには少し奇形であったが。後ろが空であるのだから、一目見ただけなら『これは飛行機なんだろう』と普通の者なら言うだろう。事実ユスティーナも最初見せられた時「何ともへんてこな飛行機だ」と呟いていたのだ。
「もうちっとマシなタバコは用意できんのか、ガリス・アーベライン少佐。日本の老舗タバコ屋でももう少しまともなものが用意できるぞ?」
「仕方ないでしょう。この空母は換気機能が滅茶苦茶な機材設置のせいで劣悪なんです。普通なら全区域禁煙ですよ。貴女は吸えるだけまだいいでしょうに」
「はぁぁぁぁ……技術大国ドイツはもう昔の話だねこりゃ。外に出て吸うにも追い風で火が消えるから面倒面倒。喫煙室ぐらい作りやがれってのあのポンコツエンジニアどもめ」
「無茶言わないでください」
文句を言いながらユスティーナは軍服の上着を脱ぎ捨て椅子の背もたれに背中を押し付けて体をリラックスさせる。男性であるドイツ空軍第119部隊所属のガリス・アーベライン少佐が隣に居るというのにまるで気にもしない。ある意味女性として機能していない証拠だ。
「異性の傍で服を脱ぎますかね普通」
「はぁ? 私はもう48だぞ? いまさら何をギャーギャー騒ぐ」
「見た目だけなら二十代前半と言われてもまだ信じられますがね」
「なんだ。童貞を卒業させてほしいのかアーベライン少佐?」
「失礼ながら私は二児の父でありますが」
「冗談だ。ノリが悪いなお前は。……しっかし新設ソ連もまぁこんな趣味全開な物を造るねぇ。――――ワイバーン級核融合原子力空中空母ノエフ・コフチェク。全長819m、全幅1,718m、自重10,992t。20基もの核融合ターボファンエンジンによる推進を使ってこの鉄塊を時速421Km/hに半永久的に維持できる文字通りの『飛竜』。誰だよこんな化け物を設計したイカレ野郎は」
「ルドルフ・アレクサンドロヴィチ・ジノヴィエフ。現代のアインシュタインとかというふざけた異名が付いて回る、紛れもないマッドサイエンティストですよ。噂じゃ人体実験なんか行ってバイオメカニズムとかバイオニクスやクローン技術なんかにも手を出していて、大型の有人ロボットや強化人間まで作っているとかなんとか」
「あー……そりゃこんなゲテモノ作るわな」
大半が灰となった紙タバコを灰皿に押し付け、ユスティーナは深い溜息を吐いた。
何せこの頃まともに休息が取れていない。最近ようやくとれた休暇も衣渉我堂の介入のせいでパーだ。さらに言えば『とある客人』を丁重にもてなすためにかなり時間を割いた結果ほぼ働き詰めと言える休暇を送ってしまったのは痛い。
仮眠室であるこの部屋も、騒音や揺れのせいでまともに寝れたものではない。
ため息はそのせいなのだろう。
「ま…………こっちも空中空母に乗っている以上、人様の事は言えないんだがね」
「規模は全く違うでしょう。あっちが竜ならこっちは鳩だ。収容人数六百の空母と八十の空母を比べないでください」
「確かに空母と言っても高高度からパラシュートで奇襲が主な作戦だから空母と言えないがね。戦闘機は三機ほど置いてはいるが――――『うち』の隊員は使う必要はないし」
「そりゃあなたの直属部隊じゃぁ、むしろ現代兵器なんて『お荷物』でしょう」
ガリスは窓から見える雲海を眺めながら、情報端末を操作していた手を止める。
標的がうっすらとだが見えてきたのだ。距離はおよそ百キロ先だろうか。しかしそんなに離れていても視認できるほど相手の空中空母は巨大であった。
「……そういえば、ユスティーナ元帥が話していた子供たちは無事なのでしょうか」
「んー? なんだ、気になるのか」
「そりゃ、あの衣渉我堂ですよ? 我々に察知されずに新設ソ連に亡命した奴です。手際だけならうちの諜報専門部隊を上回っている。アイツがもし本気になったら、子供四人を屠るなんてそりゃ……」
「あー。大丈夫大丈夫。うちの息子はあの程度でくたばるような奴じゃないよ。そういう育て方はしていないつもりだ。まぁ、『無所持者』だから苦労はするだろうけどね」
「……むしろ『無所持者』で今の今まで生きていることが、私にとっては奇跡と思えますよ」
壁に立てかけておいた自身の軍帽を被り、ガリスはロッカーを開けて中にある装備一式を装着し始める。
仮眠室の天井に画面が表示され、そこにはもう『29:59』というカウントらしきものが始まっていた。ユスティーナはそれを見てうんざりと言った顔で椅子の隣に立てておいた軍刀をひったくるように取り、放り捨てていた軍服を拾って羽織る。
「ガリス。初の実戦に出た新兵みたいに空中で五月蠅く喚くなよ」
「わかっていますよ。私が何回こんな作戦をしていると思ってるんですか」
「はっ、軍部のトップに対する言葉か? それ」
「そのトップがなんで最前線に出てるんだと質問してよろしいでしょうか?」
「テスクワークは性に合わないんだよ。――――行くぞ、開戦だクソッタレ」
「了解」
直後――――仮眠室が光に包まれる。
その一瞬後には、二人の影はすでに消えていた。
――――――
目が覚めると、見知らぬ部屋の天井が目に入った。
しかし覚えている。頭がこの場所の臭いを、数年前に訪れて以来だがこの臭いははっきりと覚えていた。
第二札幌臨時活動拠点。安価で繁華街から少々外れた場所にあるマンションを安地ごと買い取って作り上げた「いざという時のため」に用意した場所だ。中には数年分の長期保存用の保存食に内蔵器官一つ分ぐらいならば機能代替できる医療器材や数百もの病症に対応した薬品類一式がそろっている。そこらの田舎にある診察所や病院程度ならば軽く超すぐらいの医療設備はある。さらには銃器生産用の機器も備えられており、電波傍受や通信遮断、大規模並列ハッキングなどが可能と、ある意味では一人が運用するにはあまりにも大きすぎる施設だった。端的に言えば小規模な民間軍事会社レベル以上の拠点だ。
そこまで思い出して、薄れていた記憶がようやく帰ってくる。
「そうだ、俺は……右腕が」
札幌に着いた俺たちは人目を避けながらこの人影一つないマンションに入り込んだ。ホームレスが居ないのはドアや窓がしっかりと施錠されており、鉄筋コンクリート造りで窓は完全防弾仕様だからだろう。例え米軍だろうと侵入には数時間はかかる代物だ。最新式の携帯式レールガンをぶち込まれたらおしまいだが。
余計な考えを振り払い、今度は自身の右腕を見た。
医療に使うパッドとテープに巻かれている。パッドはおそらく高速再生ナノマシン入り鎮痛剤配合再生補助ジェルが塗られた物だ。これを使えば骨折程度ならば一日で跡形も無く修復できる。しかし俺の右腕は複座骨折。というより完全に粉々になっていたのだ。これを使っても恐らくは一週間はかかるだろう。いや、前に再生用ナノマシンを直接注入されたから、ある程度は時間短縮はできるだろうが。
「……バレット片手背面撃ちなんて、よく無茶したな。俺は馬鹿か」
それにあの過剰攻撃。脳のリミッターを解除しての全力殴り。
頭に血が上っていたからそれを使ったのだろうが、冷静になってみれば普通に首の骨を折るなり銃を奪って頭に撃ちこむなりでいくらでもやり方はあったはずだった。興奮しての冷静な判断力の欠如。実に嘆かわしい失態だ。結果的に助かったからよい物を、もし紗雪が動かなかったら間違いなく死んでいた。
そういう意味では、紗雪を少しだけ信頼しての行動だったのか。
「いや、ないか」
「何が?」
咄嗟に腰に手を伸ばすが、そこに俺の求めていたものは無かった。
舌打ちしながら声のした方向を向くと、案の定猫の耳が付いたフードを目深にかぶった少女が立っていた。微かに見える口元は人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべており、視方でなかったのなら即座に眉間に銃弾を叩き込んでいるほど頭にくる笑いだ。
「……何だ、まだいるのか。もう帰れよ」
「と言われても、僕も帰りたいさ。しかし仲間との連絡が途切れてしまった以上、僕も君たちの傍を離れたくはないんだよね。薄いプラスチックの盾でも、紛争地帯では手放したくないのさ」
「あ、っそ。別にいいが、本格的に巻き込まれる前にさっさと離れた方がいい。死にたいのなら止めやしないがな」
痛む右腕を無視して簡易ベッドから立ち上がる。
体は微かにだがやつれている。しかし動くこと自体には問題はないようだ。近くのデスクの上に置いてあったスマートフォンの電源を入れ、現在時刻を確認する。
「……昏睡状態から二日。ナノマシンの副作用か」
「むしろあの状態で気絶しない方がどうかしてるよ。さ、今は朝だ。ご飯はどうする? 点滴にする? 普通の愛妻朝食? それとも、わ」
「倉庫から高カロリー栄養バーを取ってこい。レミックス社製のな」
「ノリ悪いねぇ結城くぅ~ん」
こいつのペースに付き合っていたらこっちが可笑しくなる。
相変わらずぐちゃぐちゃの髪の毛を掻きながら、両足をしっかり地面に付けて軽く準備運動をする。筋肉の衰えはあるが、この程度なら微々たる影響しか及ぼさない。首の骨を鳴らしながら、裸の体を温める衣服をクローゼットから探す。
「つか地味に裸にひん剥かれてんじゃねぇかよ……」
「そりゃ体の表面火傷と裂傷だらけで服着たまま治療なんてできるわけないじゃんか。ほら、栄養バー」
点滴の針をむしり取り、Tシャツとハーフパンツと下着を着た後に、代理人が投げ渡す栄養バーを受け取る。袋を破って中身を齧るとまるで大量の砂糖をそのまま固めた様な味がする。酷く甘い。甘すぎる。思わず吐き捨てようとしたほどだ。
しかしこれで栄養価は抜群なのだ。砂糖だけの様に見えて様々な栄養が配合されている。これ一本だけで大の大人一日分のカロリーや必要栄養素を摂取できるのだから、味以外は完璧と言っていい。
「万物全て一長一短、か。クソ師匠の言っていることも偶には正しいもんだな」
「何でもいいけど二人の心配はしないのかい?」
「二人? ……ああ、草薙と柊か。そういえばどうしたんだアイツ等。姿が見えないが」
浄水器から紙コップに水を注ぎ、乾いた喉に流し込む。少々痛むが、仕方ないだろう。
「二人なら『食糧調達』とか言って出かけたけど?」
「ぷぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」
俺の耳が遂にぶっ壊れたかと思うほどのとんでも無い言葉を聞いてしまった。
飲み干した水を噴き出してむせながら代理人を睨みつける。
「何考えてんだよ俺たち今狙われてるんだぞ馬鹿かアイツ等なんで止めなかったテメェ!?」
「何か『保存食だけじゃ舌が死ぬ』とか言って勝手に飛び出したよ。ここって外からのセキュリティには強い癖に中からはガバガバなんだね。もうちょっとそこら辺考慮したら?」
「……善処はする。クソッ、馬鹿かとは思っていたがガチで真性の馬鹿だったか」
「まー、こんな場所に閉じこもるよりはいいとは思うよ? それと、個人的なルートで『運び屋』に連絡してみたけど、全部空振りだ。たぶん」
「消されたか取り込まれたんだろうな。知ってるよ。裏の世界の住人だ、俺達が『運び屋』を使おうとするぐらいはわかるだろう。そもそも北海道に来た時点でばれるのは目に見えているんだ。裏公認の『運び屋』は能力が評価されている反面所在が掴みやすいからそもそも当てにしていない。むしろ邪魔な奴らが消えてくれて清々しいぐらいだ」
「ふーん、じゃあどうやってロシアまで行くつもりだい?」
「俺が頼る『運び屋』は正確には『運び屋』じゃない。どっちかっつーと、貸出屋だな」
「貸出? 何を貸してくれるんだい」
もう一度水を飲みながら、デスクの引き出しの中にあった薄いタブレットを取り出す。
電源を入れると、そこには飛行機の画像があった。
「マッハ25の大気圏離脱用超々音速高速機貸出屋だよ。わざわざ海を渡るよりは宇宙の上がった方がよほど安全だろ」
代理人が引きつった笑いを浮かべた。
紗雪は自分の手を見つめて、数度握ったり開いたりを繰り返す。
脳裏に浮かぶ光景は――――自分が初めて人を撃った光景。父が亡くなったという映像を見た時以来の症状だ。まるで過去の出来事が今起きたような生々しさが、まだ手に残っていた。
今にもこの手に、まだ滑り気のある血糊がついているのではないかと疑ってしまう。
「……あっけない物ね」
先程ようやく学校への連絡を済ませたところだ。すでに一日を無断欠席していたため、かなり話がこじれそうになったが「親戚の葬式のため外国に行くことになった」とどうにか校内データベースにハッキングして個人情報を書き換え説得することができた。作れた時間は凡そ一週間。それ以上時間がかかるときは――――恐らく自分が表の世界に立てられなくなる瞬間だろう。
もう七月上旬だというのにかなり涼しい。やはり北海道か、気温は東京と比べて低いらしい。
少し冷たくなった手を擦りながら、座っていたベンチから立ち上がる。流石にもう長居はまずいだろう。それに、ちょうど待っていた人物も姿が見えてきた頃だった。
「おっ、帰らないでいてくれたか柊」
「……食材だけ買うんじゃなかったの?」
帰ってきた人物、草薙綾斗が持っていたのは買い物袋と――――スマートフォンやノートパソコン、高性能無線WiFiや大型コンデンサと発電機などなど、買う予定は前線なかった機械類が詰まった袋であった。
これを見た紗雪は額を手で押さえて呆れたようにため息を吐く。
「あのマンションにあった数々の超高性能機材をあなたは目に入れなかったのかしら」
「ん~? 別に俺達ずっとあそこに住むわけじゃないだろ? なら持ちは込める最低限のシロモノは用意し解かなくちゃならんでしょうに。こんな市販のちんけなモンでも幸い俺のダチはデミゴッド級ハッカーだ。スマホ程度でもハッキングは難なくこなしてたが……まぁ、こっちの方がやりやすいだろ?」
「まぁ、別にいいけど。私のお金で買うわけじゃないし、他人の買い物に文句をつけるほど性根を腐らせたくはないしね」
その時タイミングを見計らったかのようにポケットの中にあるスマートフォンが震えだす。
呼出名には予想通りというか『不明』となっていた。どうせあいつだろうと思い、紗雪は特に抵抗なく電話に出る。
「もしもし」
『自殺願望でもあるのかお前ら?』
結城からの開幕手痛い言葉を受けて紗雪は軽い頭痛がした。
「言って置くけど、私は反対したわよ。でも言うことを聞きそうになくて」
『お前があの馬鹿を制御できるとは思っていない。問題はどうしてお前も一緒に行ったかだ。いよいよ自暴自棄になったか?』
「煩いわね人の事ばっかり注意して……アンタの方こそもういいの? その怪我、どう見ても数日は安静にしないと」
『他人の心配より自分の心配をしろ。……今そこら一帯の監視カメラを傍受している。不穏な影がないかチェックしているが、そちらで何か見えるか』
「はぁ?」
『――――わかりやすく言うとだな、カメラの履歴からデッカイ荷物を運んでいる不審人物が確認された。ただの勘だが、気抜くと死ぬぞ』
「な――――」
瞬間、スマートフォンの液晶に風穴があいた。同時に衝撃でその残骸が手から吹き飛び建物の壁に叩き付けられた。茫然とその残骸を見つめて数秒、即座に後ろを振り向いた。
微かに光に反射したスコープ輝きが彼女の右目が捉える。
狙撃手のご登場だ。
「草薙っ!」
「わかってるよ。ったくよ、TPOを弁えろよなクソ野郎ども!」
綾斗はとっさの判断で買い物袋を放り投げ服の中に入れていたS&WM36を紗雪に投げ渡す。それを素早く受け取った紗雪は放り投げられた買い物袋を空中で受け止め走り出した。
「――――サイレンサー付き。厄介なもの持ちだすわねェッ!!」
サイレンサーは音と発火を最小限にとどめるために作られた外付け部品だ。
その効果はこの2050年代では絶大と言っていいほど優れており、命中精度や反動の軽減なども50年前に比べればはるかに進化したと言える。事実、普通の手段では見つけることすら困難を極めた。
それに何しろ紗雪の『右目』の計測では狙撃手の居る距離までは約1,200メートル。外したとはいえその距離で紗雪の頭を撃ち抜く一歩手前まで迫れたのだから、その腕は十分一流と言えるだろう。
「柊、目の前に気を付けろよ!」
綾斗は何を思ったのか信号銃らしき物を空に向け、引き金を引いた。
花火を打ち上げたような音の後に、発射された弾は空中で炸裂し数十もの弾頭に分裂。そこら中のビルに突き刺さった直後――――大量の煙幕を発生させ約半径500メートルを白い煙に包み込んだ。
子機炸裂拡散式クラスタースモークグレネード弾。高価ながらもその効果範囲は類を見ない物であり、最大で半径1キロを煙だらけにして視界を封じられる代物だ。恐らく勝手にあのマンションから拝借してきたのだろう。だが今になってみれば逃亡方法を確保をするならば適切な判断だと言える。
ただ、正しい判断が何時の時も正解とは限らないのだが。
【アァァァァァァアアアア゛ア゛アアアガアア゛ァアアアァァァァァァァァアアア゛アアアア!!!!】
コンクリート製ビルの壁に大穴を開けて、奇声を上げながら飛び出してきた影を紗雪の右目が捉える。
体中どこもかしこも機械に付ける導線らしき物と鉄の網に包まれた湾曲パイプが突き刺されており、手足は機械化したように巨大で機械的だ。だがそれに反比例して残された生身はまるで思春期の少年のものを使っているかのように細く小柄だった。
頭髪は辛うじて生えてはいるものの、額にはバーコードらしき表記と痛々しい施術された傷跡だらけ。
機械化兵士――――一瞬だがその正体を悟りそうになり、紗雪は体を震わせる。
「伏せてッ!!!」
【アアアアアアアアァギギギィガガアアアアアアアアァァァァアアァァァアアアア!!!】
前を走っていた綾斗にしがみ付いて、紗雪は身体を伏せる。
刹那――――弾丸が機械化兵士の巨大な両腕の指先に存在していた穴から雨霰の様にばら撒かれる。空中からそれを獣の様に振りまく姿は紛うことなく『悪魔』を連想させる。
周囲に居た一般市民が放たれる7.62x51mm NATO弾の雨によって一瞬でひき肉へと変わる。その様は、視るに堪えがたい凄惨な光景であった。紗雪は嘔吐しそうになるも、ただ頭を押さえて這いずり何かの陰に隠れて怯えるしかなかった。
完全に相手の戦力を甘く見ていた。
巨大な機械人形の時に察しておくべきだったのだ。――――こいつらに手を出すべきではなかった。
すべて忘れるべきだった。
だがその判断は、あまりに遅すぎた考えであり、もう選べない選択であった。
「柊っ……結城からの連絡だ、耳かっぽじってよく聞け!」
いつの間にか近くに接近していた綾斗が手に持っていたスマートフォンをこちらに向けてきた。
涙目になりながらそれに耳を傾ける。
『――――よく聞け、そいつはお前らの手に負える代物じゃない。全力で逃げろ』
「待ってっ。結城、あなたあれが何なのかわかるの!?」
『ああ、知っている。で、それが何だ。それを知ればお前らはどうする。立ち向かうか? 無理だね』
「……ッ」
悔しいが、彼の言う通りであった。
アレは自分たちがどうこうできる代物じゃない。アレは捕食者で自分たちは餌だ。
それを理解していたからこそ紗雪は何も言えなかった。
『あれの名前は《盲目者》。名前の通り視覚がない機械化された人間だ』
「…………人間?」
『正確にはクローンだがな。一ヶ月前にそいつを旧ソ連のデータベースで見たことがある。今回の奴は恐らくそれより数段アップグレードされているだろうがな。まぁ対策事態は同じはずだ』
「貴方、一体……何者よ」
『それを今語ろうとしたらお前らは殺されるぞ。いいか、一度しか言わない。こっちもこっちで大変なんだ。――――近づいて来たら音を立てるな。アイツは視覚には酷く疎いが聴覚だけは限定的な範囲でだが生物学上最高クラスだ。絶対に音を立てるな、呼吸音程度なら風の音として処理されるが、もし小石でも動かしてみろ。一発で居場所が見つかるぞ』
「じゃあ今会話するのも」
『当然危険だ。だが安心しろ、そいつは半径三十メートル以内の音でないとそこまで敏感に反応しない。その範囲外なら精々気のせいぐらいで済む。対策法は以上だ。可能ならそこでジッとして居ろ、こっちでどうにか片をつけ――――』
スマートフォンの向こうから何かが壊れる音がして通信が途切れる。
紗雪は思わず泣きたくなるのを我慢して、嗚咽を漏らしそうな口元を抑え込みながら綾斗に視線を向ける。予想に反して彼は冷静であり、かなりの修羅場をくぐった戦士の様な表情であった。
「……柊、時間稼ぐから全力で逃げろ」
「どっ、どうやって――――」
「気にする必要はねぇ。さて、俺は俺の役目があるんでね。――――お前はここから逃げて狙撃手をやれ、いいな」
綾斗はそれだけを告げ、伏せていた体を起き上がらせる。
その手に握っていたのは――――軍用のコンバットナイフのみであった。
立った二本のナイフで、あの化け物に立ち向かおうとしているのだ。
紗雪は何も言わなった。
この状況で何を言ってもしょうがない。それに言われたのだ。『狙撃手をやれ』と。
射程外からの攻撃の阻止。そんな最重要任務を疑うことも無く任せてくれたのだ。背中を預けてくれたのだ。ならば言われた通り、それを熟すことが自分の役目だ。
唇を噛み切り、涙を拭いて前を見る。
「緋乃柊の意地――――舐めんなッ!!」
紗雪は口元に付いた自分の血を親指でふき取り、駆け出した。
綾斗はやれやれと首を振る。
まさか自分がこんな、化け物相手にナイフ二本で立ち向かうという無謀に無謀を重ねた様なアホらしい行動を取るとは昔の自分からしたら信じられないだろう。
しかし、自分の後ろには友人がいる。
親友が居る。
此処でやらねば全員死ぬ。
それだけは彼は許さない。自分がしなかったせいで全てが台無しになるなど認めない。
「ったく……あんまり使いたくは無かったんだがなぁ」
笑う綾斗はナイフを放り捨てる。
そして両手を力強く合わせる。パンッ、と乾いた音が響くと、煙を振り払って機械の巨腕を持つ目が縫われた少年が奇声を上げながらこちらを見た。
【ガァァァァァアアアア゛ア゛アアアアアアア゛ァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!】
「――――理崩せよ、此処より理は転じて妖霊の理とならん」
綾斗が合わせた手を開いて行くと、華やかで強烈な紫電と共に『それ』は出来上がっていった。
紫色の気を纏い、鋼の刀身が輝く。
「来たれ大蛇を断つ益荒男の剣――――霊刀・天羽々斬」
虚空より現れた太刀を綾斗はつかみ取る。
太刀は所有者の意思に応えるように、より一層輝き出した。
「第二十三代目草薙家次男、草薙退魔流零ノ型皆伝。……草薙綾斗、もう二度とコレは使わないと言ったが」
綾斗は一歩踏み出し、腰を低くして太刀を顔の隣に構えた。
相手を殺すための殺人剣の構えだ。
「友人助けるためだ。自分の信条ぶっ壊してでも助ける価値はあると信じるぜ、結城よ」
【グゥゥゥォォォオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアァァァッ!!!!】
《盲目者》が地面を蹴り、粉塵をまき散らしながら綾斗に跳び掛かる。
いつもなら絶対に見せないであろう冷たい目でそれを見つめ、綾斗は静かに呟いた。
「零ノ型・十二番――――霞切」
一閃が空を走る。




