第七十六話・『反旗を翻すであろう青き竜』
本格的に雪降ってきてくっそ寒い。朝布団から出たくないわぁ・・・
なんだか焦げ臭いな――――そう、まだ冷めきっていない思考を働かせながら脳の覚醒を促す。
俺は、偶に自分の性別が曖昧になって私口調になりかけるがとにかく俺はこれが夢かどうか確かめるために頬を軽くつねる。痛み、景色が変わらないところからどうやら夢の中ではなさそうだ。
頭を押さえながら灰色の髪を掻きながら横になっていた体を起こし、ふらつく足取りで歩き出そうとする。だがはやり三半規管が回復しきっていないのか途中で足がもつれ、そのまま転ぶ。
「うぐっ」
脇腹に鋭い痛みが走る。
触れてみると、小さな刺し傷が少しだけ開きかけていた。血こそ少ししか出ていないが、予想外の痛みに若干だけ焦る。
何時の間に傷など負ったのだと自問していると、ふいに誰かの手で体を起こされた。その手つきは乱暴ではなく、転んだ子供を優しく立ち上がらせる母親の様なものだ。その手つきから敵意が無いのを悟り、目をこすって両足で体を支えながら、自分を立ち上がらせてくれた者の顔を見る。
「――――大丈夫か?」
「……ひっ」
失礼ながら、そう小さな悲鳴を上げてしまった。
何せ顔に大きな斬り傷が見えたのだ。誰でも目の前にいきなり現れた者の顔に大きな傷があったら、驚愕する。それを相手は承知しているのか、少々困った顔で俺の頭を撫でてくれた。
「すまん。驚かせる気はなかったんだが……ソフィ、と言ったか」
「…………そ、うです」
「目覚めたばかりだろうから、休んでた方がいい。外はまだ砂嵐が激しいからな。……あ、これを一応」
男は――――たしかスカーフェイスと言ったか――――俺に一つの機械仕掛けの道具、俗に言う銃、しかもかなり凝っている装飾の三連式ペッパーボックスピストルを握らせる。
「護身用だが、使い方はわかるか?」
「……は、はい」
「ならいい。ここで休んでいろ」
そう言い、スカーフェイスはこの洞窟らしき場所の出入り口らしき場所へと行き、そこに立っていたもう一人の人物。頭から兎の耳が生えた女性と何やら会話らしきものを始めた。
そういえば獣人の少女は、と周囲に視線を巡らせるがそれらしき影は無い。ここではないどこかに居るのだろうか。ならば自分はいったい誰に信頼を預ければいいのだ。
そんな事を独りで思いながら、俺は手に握った銃のグリップをひときわ強く握りしめた。
自身の孤独感を少しでも拭うために。
「…………誰か、助けて」
こんな羽目に陥った自分の境遇を呪いながら、縋る者が無い俺は乞うように誰かに助けを求めた。
助けに来てくれる勇者は、現れなかった。
スカーフェイスはライムパールと共に砂が暴れるように舞う外の空間を虚ろな目で見ながら、口を動かしていた。その中身は単純、これからの方針だ。
何せ、砂嵐で前など見えたものではない。飛行するにも気流が滅茶苦茶過ぎて地面に落ちるのが落ちだという。二重の意味で。いや全然うまくねーよとスカーフェイスはライムパールに突っ込みを入れながら、深いため息を吐いた。
「…………あの二人はまだ偵察中か?」
「様子から見ればそうだろうな。あたしは素人だが、あの惨状の後だ。この辺を竜種の偵察部隊がうろついてもおかしくないことだけはわかっている。二人はそれを危惧して外に出たんだろうが……この気象で帰ってこれるかは、運次第ってとこかね」
「ここって、『アリア』から百二十キロ離れてるんじゃなかったのか。流石にこんな遠くまで探しに来るとは思えないんだが」
「竜にとって百キロ二百キロ、五分十分あれば移動可能な範囲内だ。アイツ等はそれを生かして即座に帰還できる捜索可能範囲ギリギリまで偵察を続けるだろうさ。何せ国の機密事項を知られた可能性があるんだ。きっと血眼でさがしているんだろうさ」
それを聞いてスカーフェイスは目頭を押さえる。
何せ絶対的ピンチ。崖っぷちで十字架に括り付けられダンプカーが最高速で突っ込んできているような圧倒的にして絶望的な状況なのだ。相手は何せ幻想種――――生態系で上位種に輝く強者。まともに相手取って勝てる軟な相手ではないことはアホでもサイコでもわかる。
要するに今、彼らは腹をすかせたティラノサウルスに囲まれた一匹のライオンなのだ。百獣の王でも恐竜の王に勝てないのは道理中の道理。
更にはこちらの切り札であるルージュとリザが不在の状況で発見されでもしたら、状況は絶望を通り越した何かへと変わる。ライムパールならばある程度時間稼ぎはできるだろうが『あくまで』時間稼ぎだ。彼女も鍛錬され磨かれた純血種相手ではせいぜい五分稼ぐのが限界だろう。スカーも五秒稼げば十二分すぎるほどだ。ソフィなどはっきり言ってそこらの猪にも劣る時点で盾にすらならないと言えよう。
「そういや、ライムパール」
「ジルヴェで構わない。どうせ『あの話』だろう?」
「……ああ。あのウィンクレイ・ライムパールといったやつ、何者だ? やっぱりアンタの」
「姉だよ。予想通りにね」
ライムパール、今はジルヴェか。彼女hあ肩をすくめて嘲笑するようにそう言い放つ。
ただし、その笑いは自嘲であったが。
「……百二十年ほど前、あたしにゃ『姉』って呼べる存在がいた。それがウィンクレイ・ライムパール」
「でもあの時『死んだはず』って言っていたな。一体何があったんだ」
「簡単だよ。二つの理由で集落を追放されただけだ。一つ目は好戦的過ぎたこと。両親を手に掛けて集落の長を惨殺した挙句に子供を嬲り殺しにしかければ、そりゃ追い出される。まぁ、追い出すにも五か月間何も与えずに監禁したあと追放したから。誰も生きてはいないと思っていたけどね」
「嫌味でも冗談でも……ないようだな。しかしなぜ」
嫌なことを思い出したようにジルヴェの顔が酷くゆがんでくる。
スカーフェイスが済まないと言いだそうとしたが、ジルヴェは構わないと手でスカーフェイスの腕を押さえつけた。彼女なりに、今の事態に責任を感じているのだろう。
何せこの砂嵐の原因は、彼女の姉なのだから。
「凶暴性は『因子』が原因だった。知ってるだろ? 獣人の遺伝子には『因子』があって、それによって外見や能力、特徴が変わるって話は」
「ああ。アンタは、『兎因子』か。珍しくはない、か?」
「極一般的だよ。で、姉はというと……『黒豹因子』と『竜因子』だ」
「……………竜?」
それを聞いてスカーフェイスは自分の耳が可笑しくなったのかと疑う。
獣人と竜の混じり子――――普通なら絶対にあり得ない組み合わせだった。
「いや、腹違いだから私にはその『因子』は入っていない。で、話を戻すぞ。まず姉は『黒豹因子』と『竜因子』を持ていたせいか、元々竜に備わっていた凶暴性とやらが『本来ならば絶対に組み合わさらない因子の組み合わせ』のせいで表に強く出たせいで、文字通り虐殺魔になった。……成人していない状態で幼体竜の三倍の筋力と敏捷を誇っていた。当然、成人してからはその強さは文字通り化物そのものだったよ。純血種三体に一人で正面から渡り合って、終いにはぶっ殺してくる正真正銘の『魔物』だ。勿論、獣人と竜種両方から恐れられ、戦えない様に隔離されては最後、暴れてあの様だ。姉を捕まえる時には竜種とも協力して、純血種十五体、古参の獣人五十七体でようやく無力化できたぐらいだ」
「……犠牲は?」
「約九割壊滅。純血種九体が死亡、三体が重傷。獣人の方は四十体死亡、七体重傷。残りの奴らも瀕死同然にされて、ようやく『無力化』だ。バカみたいだろ」
それが真実ならば紛れもない『化物』だ。さらに言えば、ジルヴェの表情には偽りの事を話している世数など皆無だ。話が確かならばあのウィンクレイという者はあの場で自分たちを壊滅させられるだけの力量はあったという事だろう。
あの場で結城が気を引き付けて深手を負わせたのは、ある意味では最高の戦果ともいえる。それのおかげで、今スカーフェイスたちはこうやって呼吸ができているのだから。
「……そう、あの時体の隅々まで干からびた姉は、死んだはずだった。いや死んでなければおかしい。体がミイラ同然になっていたのに、どうして……なんで生きている」
まるでこの世の絶望でも味わったような顔をしながらジルヴェは洞窟の床に腰を下ろして呟く。
確かに、あの悪夢の現況がまだ生きているとなると、絶望もしたくなる。
「……なぁ、もしかしてウィンクレイって…………『灰の風』、なんて呼ばれなかったか?」
「? 何故それを? 確かに、死体の灰を被って狩りをしていたから、呼ばれてはいたが」
「いや、ただ……ちょっと記憶がな。俺、記憶喪失だったから」
「ちょっと待て、姉は百年前に消息を絶ったんだぞ? 何故お前がその名を知っている。お前は人間だろうに。まさか百年以上生きているのか? まさか」
「そうだな…………じゃあ『十二使徒』っていう組織に聞き覚えは」
「ロイヤルナイツ? いや……単語ならともかく、組織は知らん」
「そうか」
それだけ言い、スカーフェイスは話すのをやめた。
これ以上会話をしても、意味が無いのはわかる。それに、無駄話して音を出すよりは音を出さないで静かに待っていた方が見つかりにくいだろう。先程の会話はあくまでスカーフェイスにとっては情報収集だ。
スカーフェイスはジルヴェ動揺床に腰を下ろし、壁に背中を預けて体を休める。
そして、何かを思い出したようにライムパールに言い放つ。
「ああ、後……先程思い出したが、俺の名前は――――ライル。そう、ライル・ハイライト・ヘンシュヴァルド。のはずだ。確か、その……顔は、なんだ。何に切られた。っ、魔女。血の刃。いや、娘が切られかけて……くそっ、思い出せない」
「おいスカーフェイス、大丈夫か?」
「そう、そう。いや、なんだ…………違う、ロストナンバー? 例外処置、削除による保護? 運送途中で、襲撃……シエルティナ? ああ、肝心な所で思い出せない!!」
「……休め。無理をするな。あたしが見張るからさ」
「ぐっ……ああ、お言葉に甘えさせてもらう」
酷く苦しそうにスカーフェイスは胸を押さえ、身体を横にして楽にする。
それでも彼の苦痛は薄れることは無く、まるで心臓を脱ぎられているかのように鈍痛が彼の胸を締め付ける。
敗北者に安息の地などなかった。
――――――
ルージュは暗闇の中に居た。
直接的に言えば、樽の中に居た。何故そうしているのかと理由を問われれば、簡単に答えるだろう。
潜入しているから身を隠している。それだけだ。
どこに潜入しているかは、想像つくだろう。『アリア』の首都内。その住宅街付近の倉庫で、空の木樽の中で周囲の警備員をやり過ごしているのだ。
……なんで潜入しているのかって? それには言えない事情がある。
(誰にも言えないわね……砂塵の中で彷徨っていたらいつの間にか敵地のど真ん中に迷い込んでいたなんて)
『ま~、それはあのウィンクレイっていう奴の仕業なんじゃないんですかねぇ』
ルージュの耳に微かにそう囁くリザの声が届く。
別に魔法を使っているわけでは無い。単純にリザが液体――――つまりエネルギー、魔力を極端に消費しない形態。所謂『休眠状態』になり、ルージュの体に纏わりついているからだ。
何せこの乾燥だ。水そのものであるリザにとっては乾燥は天敵に等しい。乾燥しているという事は空気中に水分がほぼないという事。つまり彼女の得意とする魔法も遠くからわざわざ雲を引き連れてこなければまともに行使することができないのだ。
やりようによってはオアシスから水を引っ張ってきたり、裏技を使って水を大量生産することも可能と言えば可能なのだが。ただしリザ単身では行使が不可能なことが減点だ。
一応魔力を大量消費して魔力を水へと転換すると言う手段もあるのだが、文字通りそれは『有限』。魔力は無限にあるわけでもないし、コップ一杯の水を作るのに並の魔導士一人分の魔力を要するのだ。非効率もいいところだ。
現状、リザは戦力にならない。いや、筋力や敏捷、最後の一手である魔力転換水による魔法を含めれば人間、もしくは獣人などの亜人種や下級魔族ならば余程の手練れでなければ簡単に蹴散らせるだろう。
相手が竜種でなかったのならば、わざわざこんなまどろっこしい手段などとらない。今のところこれが一番良い選択であるのだ。
――――ただしルージュ本人は実に嫌そうな顔ではあるが。
(……ねぇ、身体にスライム状のミミズが纏わりつく気分って知ってる?)
『スライムなんて低俗なモンスター風情と一緒にしないでくださぁい。これでも一応元上級魔族ですよぉ~?』
(ええ。邪神の眷属だったわけ。……わかった。我慢よ、ルージュ。こんな些細なことを一々気にしていたらこんな奴と手は組めないわ)
『あれ。ルージュさん、もしかして処女ですか?』
(…………我慢よ、我慢……!!!!)
『へぇ~。意外ですね、まさかパイ――――』
ルージュは無言で耳元の水を握りつぶした。これで一応頼れる戦力でなかったのならば即座に事故と評して始末していただろう。いや、例えそうだったとしても二度耐えられる自信がない。
むしろルージュ自身一度目を耐えられたことに感嘆しているぐらいだ。
裏を返せばそれほどリザのセクハラ発言が酷いという事だが。
『なんですかぁ? あっ、私はいつでも大歓迎ですよ! どっちでもいける口ですから! あ、良かったらキノコが生える薬、試してみます?』
黙っていろやクソビッ○ぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!! とルージュは絶叫しそうな自分の口を必死に抑えながら、樽に空いた小さな穴から外を観察する。
こんな時だけ体を炎にできない自分の経験のなさを悔いる。
リザは現在、身体を四大元素のひとつにして自身が司る『水』に変態していることから、恐らくはフィフスステージ――――自己存在の変質に到達している。
大してルージュは現在サードステージ。非実体物質の強制固形化。土ならばまっさらな状態の砂を鉄以上に固い剣にしたり、水なら霧など直接掴めない水分の固定、炎ならばそのまま炎の固形化、風ならば空気を固定したりと、かなり色々な事に応用ができる。――――その程度だ。
まず説明するのがかなり遅れたが、現身の力にはステージ、すなわち領域という存在が確認されている。所謂能力取得のために用意された目標となる『壁』を突破した際に習得できる能力だ。
それらは確認されている、というより説明されただけならば八つ存在している。
第一領域、基本中の基本である神法以外の自身の属性に属する現象の操作。
第二領域、イメージによる属性神法の変形。
第三領域、非実体物質の強制固形化。
第四領域、共振現象による事象増幅。
第五領域、自己存在の変質。
第六領域、戦略兵器レベルの強化固有武装の創造。
第七領域、事象と事象の共同体化。
第八領域、自己世界の創造と確立による世界永久侵食。
事実上、第四領域以下は『基本』。それ以降は『本番』と言える。
要するに八つの壁があり、それを突破するたびに強くなるという事だ。ただし、突破するには並大抵ではない経験が必要となる。それこそ英雄クラス、少なくとも人間ならばレベル550オーバーの化け物と戦わない限り第五領域への到達は不可能と言える。
延々と雑魚狩りをしていたルージュが第三領域止まりだったのは、ある意味『塵も積もれば山となる』ということわざの通りだろう。それでも『百年』で第三領域なのは、ある意味彼女が保身主義だったのが原因だが。
いや、彼女の居た『焔火の塔』が比較的安全な場所で、ルージュ自身も塔内のモンスターのレベルを意図的に低くしていたので強者が集まらなかったのはある意味当然と言える。唯一訪れたSSSランカーも彼女の強さに腑抜けて帰ってしまったことを見ると――――ぶっちゃけ彼女は守護者の中でも実力は下の下に位置する。
レベル的には同じでも、土台が違うのだ。
物理攻撃を受け付けるレベル600と受け付けないレベル600では、それこそ話が違うのだ。
こんな言い方は失礼だが、ルージュは全体的に見れば世界でも『ちょっと強い』部類なのだろう。彼女が今の今まで狙われなかったのは、そのおかげでもあるのだが。
何せ本気で力を欲しがる者が襲来すれば彼女は確実に死んでいる。
(……そもそも、守護者を殺せる奴がわざわざ得体のしれない力を手にする必要はないしね)
そう。ガーディアンを倒せる奴は基本的にレベル250~300以上。そこまで来るともはや『現身の力』などダイナマイトの横にある爆竹の束のようなものだ。
この百年間、『塔』を攻略していない人間がいるのも無理はない。
何せ『もう必要なくなっている』のだから。
「……って、何変なことを長々と考えているのかしら」
『何でもいいですけど、何時まで樽に籠っているつもりですか? このままだと蛇になりますよ?』
「……なんで蛇?」
『なんかリベルテさんが言ってました』
何吹き込んでんだアイツ。と思いながら、とりあえず誰もいないことを穴で確認し、ルージュは樽のふたを上げて背を真っ直ぐにして立ち上がった。
そして真正面に青の、頭が竜で太い尻尾の生えた、青い鱗の人型形態の竜が居るのを確認した。
「――――――――」
『あ』
「…………■■■?」
ルージュは固まった。
そういえば、あの穴には一つ身落としどころがあった。それは穴の近くにある物体に関しては見えないという事だ。つまり今目の前に居る青い竜は、偶然この樽の非常に近い場所に居たという事だろう。
迂闊。
その時ルージュに電流走る。そう、アンプッシュだ。互いが硬直状態ならばその場のアトモスフィアにより意識し始めたものが先にアンブッシュを仕掛けることができる。この行いはスゴイ=シツレイだがこれを受けて死ぬようなニンジ――――ではなくドラゴン・ケンドー――――でもなく竜ならば戦場に立つこと視許されない三下ニン……三下竜。
ゴウランガ! ルージュ=サンは音もたてずにアンブッシュ! その技の速さとキレは一般的なサラリマンならば決して見切れず追いつけず認識もできない速さ。喰らえばたとえ竜であってもただでは済まない!
……もちろん腕を掴まれて止められたが。
「……言葉は、通じるか?」
「な、え……え?」
「なぜ子供がここに居る。迷い込んだのか? しかし人間種……いや、詮索はよそう。とにかく来い。誰かに見つかる前に」
「は、は、は?」
反論する時間も与えられず、ルージュは青い竜の脇に抱えられてそのまま連れていかれる。
あまりの急展開に何が何だかわからなくなり、ルージュは抵抗することを忘れてただ狼狽した様子で青い竜を見つめた。リザは「まぁなるようになれ」と言った様子だ。助ける気は微塵も無いのだろう。
「な、なんで? こ、これ攫っているんじゃ」
「安心しろ。私は比較的受容的な人格だ。人間であろうが獣人であろうが我が家に来る者はすべて等しく受け入れる。もっとも、無礼を働く輩は追い出すがな」
「…………えと、それって」
――――反国家思想なんじゃ、と口には出さない。
何せ竜種は『異物』を嫌う。他の種が存在することは許容するが、それを自らと同じ立場へと受け入れるなどと言語道断。下等種をわざわざこちら側に引き入れるメリットなどないのだ。いわば豚などの家畜を人間と同じく扱おうとしているようなものだ。
だがこの青い竜はそれを「くだらん」とばかりに鼻で笑う。
「やはり寿命が長いというのは、生物としては欠点だ」
「?」
「新しい世代への思想交代が、古き老害の存在により妨害される」
憎々し気にそう吐き捨てるように言うと、青い竜は立ち止まる。
彼が立ち止まったのは神殿のような建物であった。他の建築物が人族たちの民家をそのままスケールアップしたような形であったが、これは確かに神殿と呼べる物であった。
元々竜はその体の大きさ故に、家という物を持てない。だが力を抑え、半休眠状態である人型形態へと変身すれば体を3~4mほどにまで小さくできる。ただし戦闘力が大幅にダウンすると言う欠点があるが。
というか、竜サイズのまま家宅など作ってみろ。百メートルは下らないサイズになるし、身体維持に必要な栄養分も馬鹿にならない。
「古い神殿を譲り受け、家にしたものだ。一般的な生活用品は揃っている」
神殿の中に入り、広大な廊下を歩きながら青い竜は自慢げに語る。
自宅を自慢できる機会がほとんどいないという事だろうか。それはそれで悲しいことである。
「久しぶりの来客だ。存分にもてなそう」
「………えーと」
もしかしなくても、この竜は『すごくいい人』だろう。罠ならばわざわざ自宅まで連れてくる必要はないし、そもそも匿う必要性も無い。
ただ純粋のこの青い竜は、自分を心配しているだけなのだろう。
そう思うと自然と胃が絞まってくる。
「あ、ありがとう……ございます」
「なに。客に接待をするのは道理だろう」
ルージュはこの絶好の機会を利用すべき、今はただ息をひそめてされるがままになるのだった。
――――――
痛い。
殴られたのだから、まぁ痛いだろう。
「……っ」
問題なのは、なんで俺が殴られたのかわからないことだ。
仲間が全員無事目覚めたと聞いて、朝早くから外に出てみれば――――俺に待っていたのは招かれざる客としての対応だった。
子供からは泣かれるし、老人は恐ろしい物を見るような目で見られ、若者からは『これ』だ。
初対面でぶん殴られると言う経験は何度も味わっているが、流石に『人間だから』という理由で殴られたのは初めてだ。
赤みを帯びた頬を擦りながら、ゆっくりと倒れた身体を立たせる。
殴られてなお泣かずに立ち上がった俺に驚いたのか、俺を殴った獣人の若者は苛立ったような顔をする。
『……人間め。ここに災いを持ち込む存在が!』
「とりあえずわかる言葉で話してほしい物だがな……。『なんのつもりだ』」
『今すぐここから出て行け、よそ者め! お前にここに居る資格は無い!』
「だから明確な理由を話せっつってんだろうが。なんだ……そこまで脳が腐ってんのか」
折れた奥歯を再生して、軽く拳を握る。
『は。人間が我々獣人に敵うとでも――――』
とりあえず全力で殴り飛ばした。
祝・レベル三桁到達祝いだ。手加減はしない、加減も無くただ全力で殴りつけた。
殴りつけた獣人の腹が大きくゆがみ、拳は深く突き込まれ、衝撃波全身を駆け抜ける。全身全霊の一撃は獣人であろうとも五十メートルほど地表擦れ擦れを滑空させて吹き飛ばし、それでも勢いを殺さず数百メートルを転がり、その向こうにあった絶壁に近い丘に突っ込ませて巨大な穴を作るには十分すぎるほどの威力であった。
ただしちょっとやり過ぎた感があるが。別にいいか。あっちからケンカ吹っ掛けたんだし。
「ったく……以外に固かったな」
皮が擦り向けた右拳に付いた埃を掃い、無言で歩き出す。
不思議と周りの視線が一層厳しい物へと変わった気がする。ああ、ちょっとまずった。和平交渉に来ているのに逆に威嚇してどうするんだ。
やってしまったと手で顔を覆いながら、吹っ飛ばした獣人の元へとたどり着く。
瀕死に近いが、死んではいない。死んでないなら何とかなるか。
手をかざして『現身の力』を行使し、『土』の力を使い周囲の砂を媒介として傷を修復させる。かなりの激痛を伴うだろうが、気絶しているし無用な心配だ。
傷を治し終えると、ちょうど騒ぎを聞いて駆け付けた衛兵……というより戦闘員が壁にできた大きなへこみを見て驚愕し、次に俺を見て畏怖したひょうな表情をみせる。
あれだ。この人がやったんですよとごまかすのは――――無理か。
『我らと敵対するか!』
「『いや、向こうから手を出してきたんですけど』」
『嘘をつけ! 誇り高き獣人が理由もなく手を出すなど……』
「『人間だからって、本人が堂々と公言して殴りつけたんですけどちょっと』」
理不尽だ。ああ、久しぶりにそう思った。
例えるならば、あれだ。優等生が殴ってきたので殴り返したら、こちらだけ責められる。
不平等。
ハイエナがライオンの群れに紛れられるだろうか。――――ああ、無理だな。
頭が痛い。糞が。
「『頑固な奴らだ』」
『何だと!?』
「『……いや、違うか。動態を嫌う性質――――獣人は外部との接触を嫌悪する。ああ、種族的な傾向なら仕方ないか。それとも、恐れているのか』」
『貴様、何を言っている』
「『身内だけで開いた大会でじゃれ合ってて楽しいのかよ』」
喉が痛い。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
右腕がふいに震えだす。左手でそれを抑えるが、黒い液体が包帯越しに滲み出してきた。
抑制剤。抑制剤は――――いや、すでに打った。
ならば、原因は俺自身か。
これを一時でも受け入れようと、どこかで考えでもしたのだろうか。
『我々を侮辱するつもりか!』
「『い、い加減……やめろよ、そういうのさぁぁあっ。何一人で勝手に勘ぐって深読みしてんだ……ああ、痛いっ。痛いなぁっ……喉が痛い。まずは、話をしろよ。何事も暴力で解決するわけ、な、いっ…………ごふっ、ぐ…………畜生、ルキナめ。心を一瞬許しただけでこれか。つくづく迷惑な力だ』」
血を吐く。喉が酷く乾き、痛む。
よく見ると、侵食が喉まで達していた。痛みの原因はこれだろう。
「『……アンタらの仲間はもう治した。もういいだろ、俺も暇じゃないんだ』」
『そう易々と―――』
『もうよい』
後から駆けつけてきた二本の角を頭から生やした老人が、驕り高ぶる若者を制止する。
自分の行動を止められたのに不服なのか、若者たちは苛立ち気に老人へと反論する。
『なにがいいっていうんだ! こいつは災厄の元、断っておくに越したことはない!』
『そうだ。これを口実にこいつを始末すれば全て無かったことに――――』
『集落の長直々の招集だ。それに今からこの者に対して無礼を働かぬように、とも言われている』
『なっ――――』
『重要な客人だ。いわば調停者。争いを回避できるかもしれない重要人物に危害を加えるなど、許される行為ではない』
『しかし人間如きに!!』
『くどい!! 何度言われればわかるのだ! 未熟者が、少しは受け入れる心を育てんか!!!』
老人が一喝すると、若者たちは皆怖気づいたように黙る。濃密な殺気を至近距離から浴びせられればそうなるのも無理はない。
やれやれといった世数で老人は俺に近付いて軽く頭を下げて会釈をする。
「申し訳ない。集落の若者たちは、礼儀という物を知らなさすぎるもので」
「……いえ。私も少々、やり過ぎました。こちらも申し訳ありません」
ここまで丁寧に謝罪されると、今まで抱いていた嫌悪感が少しずつ薄れていく。
やはり常識人はいい。清涼剤の様に俺の心を浄化してくれる癒しだ。
「先程申した通り、フェーアさまがお呼びしております。急いでお向かいになられた方がよろしいかと」
「わかりました。それでは」
喉の渇きと痛みを抑えながら、一息つく。
これは中々に、想像以上に骨が折れそうだ。
呆れ半分になりながらも、俺は黙って歩を進めた。未だ痙攣をやめない右腕を抑えながら。




