第五十九話・『その頃』
小説の修正に力を言えると言ったな、アレは嘘だ。
いや、単にテストが忙しすぎてやってらんねーよ状態になっただけですけど。
今あまりいい状態とは言えません。もしかしたら執筆ペースがガタ落ちする可能性がありますが、どうかご了承を。
酷く暗い部屋。手術室ともいえそうな場所、一人の女性が背もたれの倒れている大きめの椅子で横になっていた。照明が少ない部屋の中、白衣を着た人間が寝ている女性の半身――――赤い結晶に包まれている個所に研磨用のローターの様な物を近づける。
キリリ、と言う小さな音がする。直後、破裂音。
ローターが結晶の規格外の高度に耐え切れず、弾き飛ばされた。
これでも駄目かと白衣の者たちは作業を断念。用具を箱にしまっていく。
その後直ぐに、騎士団の制服を着たエヴァンとロートスが入室する。白衣の者たちはそれを見て、道具を片付ける速度を上げて速やかに退室した。
「……まだ駄目か、セシル」
「ええ。そのようですね」
体の約半分を結晶化されていると言うのに、意識が残っているセシル・ヴァハフント。ある意味異常だとも言える状態だが、同時に幸いと言えよう。意識を取り戻す手段も見つけられなかったら、それこそ積みなのだから。
セシルはまだ動く左半身を使い、隣に置いてある錠剤を口に放り込み水で流し込む。
恐らくこの状態では食事もままならないのだろう。
「一応、副都の錬金術研究委員会から人員を送るそうだ。原因が錬金術じゃあ、魔法による治療も期待できないからな」
「それはそうですね。魔法による病気は魔法でしか対処できない様に、錬金術による異常も錬金術でしか解決できない。……まったく、あの老害も厄介な置き土産を残していったものですね。堕ちた錬金術師の風情で、最後の最後に反撃を喰らうとは。私も慢心が過ぎました」
肩をすくめて、セシルは自嘲するように呟く。
実際、調子に乗っていたことは自覚していたのだろう。嘲笑い、蔑み、見下していたネズミから痛手をもらった原因は何より自分だという事を知っている以上、文句は言えない。
ロートスを庇った、と言うのも原因の一つでもあるのだが。
「その……すまねェな。俺のせいで」
「あらあら。戦闘しか能のないあなたがまさか謝罪を言えるとは。これも成長ですかね」
「…………面目ねェ」
「いや、そこは『あァン?』って怒るところでしょう? 貴方のキャラでもありませんよそんな府抜けた餓鬼のような態度。もっと生意気な性格でいてくださいよ弄り甲斐がない」
「つってもよォ……」
いくら戦闘馬鹿のロートスでも、弁える時は弁える。
しかもあまり接点のないセシル故に、いつものように強気に出ることができなかったのだろう。知り合いならば態度も変わったのだろうが。
「――――それで、あの第一質料の大結晶に取り込められているエウレルの身体はどうなりました?」
まるで今までの会話が余計なものだったのかの様に、セシルはきっぱりと態度を改めて重い言葉を発する。
久しく彼女の声から殺意を感じ取ったエヴァンは厄介なものを見る目でセシルに結果を報告した。
「……お前と同じだ。硬度が著しく高くて、崩壊寸前にまで追い込まれた首都の設備じゃまともに対処ができない。以前の状態だったら話は違っただろうが、王都と連絡が取れない状態になった以上Sランクの設備を整えるには相当時間がかかるからな」
「ちなみに硬度はどれ程」
「簡単に言えば第二級純製オリハルコン以上。端的に言えば高濃度アダマンチウム並だ。んなもん加工する設備、副都の金属加工専門所にでも行かないと手に入れられないし、行くにしても今あそこの加工施設は誤作動による機器爆発で機能停止状態だ。お前の状態を改善するにも、最低数か月はかかるだろうな」
こればかりは金でどうにかなる物ではない。機器の修理には人手が居る、それもかなりの職人が複数。
ただでさえ『工房』に救援要請をほとんどしないようにしているのに、これ以上世話になると取り込まれかねないのだ。一応ヴァルハラでも職人育成をしていたのだが、大半の者が死亡か恐れて逃げ出してしまった。使える人材は殆どいない。再教育を施すにも時間が必要。
つまり時間をかけるしか道がないのである。金でどうにかなるのならとっくの昔に実行している。
「まったく、上手くいかないものですね。先代国王も酷い物を残していってくれたものですよ」
「…………今でも、止めればよかったと後悔しているよ」
「ふふっ、無理でしょうに。誓約であなたは王族に逆らえないように調整されている以上、アレは避けられない悲劇でしたよ」
ロートスにあまりよくわからないことを淡々としゃべりながら、セシルは少しずつ瞼を閉じていく。
体の機能が、何かの副作用か酷く低下しているのだ。実質一日の大半を寝て過ごしているとも言っていい。原因は身体に取り付いている第一質料で間違いないだろうが、解決策がない以上避けられない事象でもあった。
「さて、私はもう眠りますが騎士団長」
「なんだ?」
「ちゃんと私の分まで仕事してくださいよ?」
「……善処する」
エヴァンの苦笑いを受け取ったセシルは呆れた様な笑いを浮かべながら眠りについた。
もう話しかけても起きないことを知り、エヴァンはロートスの襟首を掴んで踵を返し部屋を出る。
いきなり襟首を掴まれてひきずられるロートスは最初は抵抗したものの、敵わないと理解するとすぐに抵抗をやめる。事実、エヴァンがこうでもしなければろーつは未練がましく部屋を出ようとしなかったろう。
「……さてと。早速妖精王に協力要請でもしてみるか」
薄い期待を胸に、エヴァンは独り言をつぶやいた。
「そういやよォ、エヴァン」
「なんだ」
「報告書で確認された死体の数……探索魔法で確認された死亡者の遺体――――三割近く消えているんだが、どういうことだァ?」
「……何?」
不穏な空気だけが、そこに残った。
――――――
ヴァルハラの比較的奥地にある緑豊かな公園。運よくテロの被害から逃れられたこの、子供たちがよく遊びそうな公園に立っていた樹木に――――一人の少年が縄で巻かれてつるし上げられていた。
土の様な鮮やかな茶色の髪。その姿も恐らく十四、十五ほどかと思われるほど十分に鍛え上げられていた。しかし吊るされている。
その周囲には黒い長髪を持った大和撫子(外見のみ)、柊紗雪。金髪を相も変わらず無駄に輝かせている草薙綾斗。そして笑顔ながらもご立腹そうな銀髪の可憐な美少女、リーシャル・オヴェロニアもといリーシャ・ティータニア・イストワール。笑顔の中に潜むドロドロとした殺気を新しい相棒、劣化ウーツ鋼で作ったにもかかわらず貴金属の様に輝く業物細剣を吊るされた少年、はっきり言えばサルヴィタールに向けて膠着状態に陥っていた。
ちなみに遊んでいた子供たちは皆リーシャの殺気に触れて泣いて逃げだした。
「で、どういうことか説明してくれるかなぁ。サル」
「サル!?」
「じゃあルヴィでいいや。で、話してくれる?」
「ん~…………」
どうしよっかなぁ、とどう見ても挑発気味のサルヴィタールに額にリーシャは少しだけ細剣の切っ先を皮膚に入れた。しかし痛覚がないのか頭が空っぽなのか、サルヴィタールは気味の悪い笑みを崩さない。
前に一度見たリーシャだが、こればかりはどうもなれないなと細剣を振り上げた。
「ちょっ、リっちゃんストップストップ! 死ぬから!?」
「大丈夫大丈夫。どうせ元『守護者』だし、再生するよ」
「あっはっは。ご名答だけど嫌だなぁ、首を斬られるのは。痛いし」
「じゃあ話せよ……」
ごもっともな事を言った綾斗に後押しされて、サルヴィタールは馬鹿にしたようなため息を吐いて――――ドヤ顔で説明を始めた。
当然この場にいた三人全員が途轍もない殺気を無意識に放ち始める。塔やらサルヴィタールは懲りない性格の人間らしいな、と紗雪と綾斗は密かに得物を取り出す。
「どうして僕が彼らの人形を作ったか、それを知りたいんでしょう?」
「ええ、そうよ」
「うんもちろん――――教えてあげな~~~~~~い! ぎゃはははははっ! ねぇ、教えてくれると思った? ねぇねぇ、自意識過剰さんたち? 今どんな気持ち? ねぇ今どんな気持ち?」
ブチッ。
そばに誰かいたら確実に聞こえるであろう勢いで頭の血管が数本ほど切れた、ような音がした。
紗雪は短剣を取り出し縄の隙間からサルヴィタールの身体を突き刺した。綾とはサルヴィタールの顔面を全力で蹴った。リーシャはとりあえず公園に落ちていた犬の糞を木の枝でつまみ、それを思いっきりサルヴィタールの顔に近づける。
「ぎゃっ!? げぶぉっ!! ちょっ、近づけんな――――ぎゃっばっ!?」
「おい、もうこいつ焼こうぜ。なんかスゲェ存在を抹消したくなってきたわ」
「ええ、同感ね。ついでに両手両足の指の爪全部剥がして麻酔無しで内臓全部引き摺り出してからにしましょう。ああ、手足をもぐのを忘れていたわ」
「んー、じゃあ同時に脳の中ぐりぐりしちゃおうか。私の故郷にはそういう拷問具があったはずだけど……えーと、どうやって作るんだけ」
「まっ、ちょま……ホントに喋れないんだよこれだけは! 僕はお兄さんからの制約でこればっかりは言わないようにしてるんだ! ホント迷惑だよ『現身』システムは! 僕も最初から喋るつもりだったのに急に遠隔契約で口封じなんてっ。僕は悪くない! 悪くないからホント吸いません勘弁してください! 再生するっつっても土がないと再生不能状態になるんだから――――あ」
「それは」
「いいことを」
「聞いちゃったね」
「まっ、いやぁぁぁあああああああああっ!! 勘弁してください!? マジっ、だってしょうがないじゃないかぁぁぁ~~~~~!」
サルヴィタールの悲痛な悲鳴を聞いて、三人はほぼ同時にため息をついて紗雪とリーシャは綾斗をチラッと見る。綾斗も不本意ながらと言う顔でコートの中から取り出したナイフを投げてサルヴィタールを吊っていた縄を切断。ついでに巻いていた縄も切ってあげた。
「はぁっ、はぁっ……こ、これだけはホントに、言おうとしたら脳内に強力な電撃が走るんだよ。何回か試したけど、無理なんだ」
「……大方、自分が無理やり連れて行ったから彼女らに責任は無いとか言うつもりなんでしょうね」
「見え見えだっつーの。ったく……お前、アイツと遠距離で会話はできるか?」
「まぁ、危険信号を送る送られるぐらいなら」
「じゃあいいか。マジでヤバいってあいつが思ったら、すぐに駆けつけてやるだけさ」
そう言って綾斗は正八面体の結晶を取り出す。
転移装置。最近になってようやく普及し始めたと言う革新的テクノロジーの塊である。
一瞬どうしてそれを取り出したのか皆は一瞬わからなかったが、直ぐにそれがなんだか理解する。
「まさか……リースと交換していたの?」
「ああ。かなり前からだけど、いざと言うときに使えるようにな。ま、アイツの事だから無くしてはいないだろうし、かといって緊急時に一人で逃げるために使わないだろうし、全員で一斉に転移してくるんだろうな。ま、そこまで状態が良くできたらの話だが。とりあえず緊急手段の一つは確保できたってわけだ」
「用意周到ね。相変わらず」
「先読みは化物並だからな、アイツ。もしかしたら、これを想定して渡したのかもしれない」
万が一何かがあって、自分が離れ離れになった時を想定した。
ある意味用心深いとはいえるが、この判断はある意味正解だったと言える。転移装置は専門の物ではないとブラックボックスその物ではあるが、逆に言えば専門の物に任せればある程度自由は効く。
つまり座標をコピーし、新しい転移装置に座標を上書きすることもできる。
今のヴァルハラに専門家がいるとは限らない。いやむしろいない可能性が高いのだが。
「いずれにせよ、俺達が行っても追い返されるだけだ。無理に着いて行っても足手まとい以外の何物でもないからな」
「私たちは今できることをするしかない、かぁ。うーん、この際高難易度クエストでもこなしてSランクになろうかな。あ、そうだ! 折角だし私たち三人で組んで遠出しようよ! そうすれば何か役に立つものが見つかるかもしれない!」
「役に立つ……ねぇ」
紗雪は少しだけ額を突き、綾斗の襟首を引っ張り耳打ちをする。
(今私達にとって役に立つものって、やっぱり元の世界に帰るための手段よね)
(ああ、そりゃな。でも中央図書館にそれらしき資料は無かったぞ。異世界だなんたらって書いている本も、結局は『魔界』っていう俺たちの世界とは所縁も縁も無い場所だったし。空間魔法だってはるか昔に無くなった魔法に分類される『消失魔法』扱いだし)
(じゃあやっぱり、ここに留まる必要性はあまりないと言えるわ。情報を一個でも多く集めるために、リーシャの言う通り遠くへ旅立つ方が有意義だと思う)
(……まぁ、今はそれしかないよな)
諦めて、この世界に自分たちより『まだ』詳しいであろうリーシャへと助言をもらうべく紗雪は問う。
「りっちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「そのあだ名もう定着してるんだ……」
「え? 駄目?」
「いや、もうちょっと別の名前とか」
「シャちん?」
「……リーシャって呼んで。そっちも一応愛称だから」
「えー」
「おい話ずれてきてるぞ」
少々の軌道修正を加えながら、紗雪はリーシャに対し魔法がかなり発達している場所。あるいは古代の魔法が保管あるいは使用されている場所を問い質した。それに対しリーシャは何か口ごもるようにうーんと唸るだけで、明確な答えが出てこない。
――――紗雪の左目が微かに光る。
「……もしかして、迷ってる?」
「え、あ、いや、その…………知ってると言えば、知ってるけど」
紗雪の左目により心を微かと言えど読まれたリーシャは少しだけ動揺を見せる。しかし悪意は感じられない。どちらかと言うと「教えてもいいが、その場合は自分がどうするか」と言う種類の感情。
つまり彼女は――――この先は何か非常に不味いリスクを背負うという事だろう。
「もしかして、妖精王国のアルフヘイムとか?」
「…………」
「図星か」
確かにリーシャにとってはかなり不味い場所だろう。
現王女の娘、姫君であり冒険心での逃亡中の彼女にとっては、今戻ればどんな仕打ちが待っているか想像に難くない。最低でも短期間の身柄拘束。最悪恒久的に王城と言う監獄へと縛られる。
そう考えれば、いけないのも道理だろう。
特に綾斗は非常によく理解できた。拘束される苦しみを知っている彼にとって、リーシャの苦しみや動機は全面的な理解をしているつもりだ。身分が身分故に、少々の差異があるかもしれないが。
「場所がわかったなら、俺達だけでも行こう」
「えっ!?」
「別にリーシャ、お前を巻き込むつもりなんざねぇ。お前の身分にたかって何かを得るつもりもな」
「その通りよ。貴女が不味いことになるなら、私たちは自分の身だけ捧げる。無理はしなくても――――」
「い、いやっ、ちょっと待って! 一人にしないでッ!!」
「「!」」
予測もしていなかった言葉が出てきたせいか、二人はひどく驚愕する。
まだ二人はリーシャの本質を理解していない。いや、そもそも彼女自身理解者を作ろうともしなかったし、自分の身に降りかかった災難も何も語っていない。一番信頼するであろう結城にも。
それほど隠したい何かがある。
たとえ自分の自由を放り出しても守りたいものが。自分への枷が。
「大丈夫だから、私は。大丈夫……どうにか説得すれば、平気だよ」
「でも……」
「いいの。もう一人にはなりたくない。一人で……折角作った仲間全員と、離れたくない」
ある意味似たような人間を、二人は、紗雪と綾斗は見てきた。
椎奈結城、志乃七結城と言う、自分より何よりも互いを信頼している関係の仲間を、命よりも大切にする彼と同じ何かを、二人は見た。
かつて大切な何かを失ってしまい、再度得たそれに依存する者を。
失わないためならどんなことだろうと構わず実行する、殺人鬼の種子を。
彼女を放り出すことは即ち、危険その物。
二人はほぼ同時に理解した。最初から選択肢などありはしない。不条理により公平の破綻と破滅。人間性を一粒でも欠けた故に、狂い始めた、歪み始めた歯車。正すことはもうできやしない。
だが止めることはできる。
不本意ながらも、二人はリーシャを連れていくことを強いられていた。
「…………わかったわ。後悔しないでよ」
「うん!」
元気のある返事をもらったところで、紗雪はある存在に気付く。
先程からこちらを監視してくるように見つめてくる、異物の存在を。敵意は無い、だからこそ危険。
一見危険のない物こそ危険である。危険なものは危険なものとして認識することで距離を置けるが、危険か危険なしか判別不可能な物はどうすることもできない。自分たちに許されるのはいずれ出るであろう逆襲の剣と敵意を待つだけだ。
しかし紗雪や綾斗はある種の『玄人』と呼べる者たちであった。
敵意があろうがなかろうが、危険因子は速やかに排除すべし。――――彼らの住んでいた世界で鍛え上げられた感覚。かつて殺しもいとわない狂った子供達としての一面が垣間見える。
紗雪が弓をアイテム欄から取り出し、綾斗が懐からナイフをありったけ取り出す。
同時に二人の眼前に――――細い切っ先が突き付けられた。
しかし二人もまた、自分の得物を襲撃者の首筋へと向けていたのだった。
「ふむ、成程。好戦的、とまでは言えませんが……まぁ、人間種にはお似合いの凶暴さだ」
「…………妖精族か」
「予想通りとはいえ、気持ち悪かったわよ。貴方の視線」
「あなたたち野蛮人に言われる筋合いはございません。今すぐその汚い武器を下ろせば、手首を切り落とすことだけは勘弁しましょう」
「……」
いくら二人でも、相手の力量を判断できないわけでは無かった。
襲撃者の姿は、世では執事服と呼ばれるようなスーツであった。埃一つないその生地は素人目でも高級素材だとわかり、また持っていた剣も煌びやかな装飾が施されているが実戦向きともいえるほど洗礼されている。ここですでに只者ではないとわかる。
埃一つ起こさず、十数メートルの距離を一瞬で詰める。罰剣さえしていなかった状態から、ほぼ視認できない速度で野罰剣と同時に相手の急所を的確に狙う。完全に手練れ以上の何物でもない。
勿論二人ではせいぜい腕の一本持っていくのが限界だろうという事が理解できていた。明確な敵意がまだ向けられていない以上、武器を下ろした方が身のためであるし無駄がないともいえた。そもそもこんな公共の場で争いでもしたら確実に後収集が面倒なことになる。それは相手も勘弁願いたいものだろう。
「ああ、名前を言うのを忘れていました。もっともリーシャお嬢様には必要ないでしょうが」
二人は同時に後ろを振り向く。
顔を青白くし病人の顔を作っていたリーシャがそこにいた。体は一ミリたりとも動かず、まるで蛇に睨まれた蛙の様にピクリとも動かない直立不動。まるで死神でも見ているような目で、襲撃者を見ている。
絶句、と言うより喋ったら不味い、と言う様子だった。
瞬間直ぐに二人は状況と、襲撃者の正体を理解した。
「私はエウロス・カイム・エヴェリントスと云う者です。幼少の頃からお嬢様を世話し、現在お嬢様を探すことを命じられた身でもある…………いわゆる、お嬢様の執事であり世話係です。以後、お見知りおきを」
「「……やっぱりか」」
ほぼ予想が的中した二人は、リーシャをちらりと見ながら呆れたように顔を抑えて首を振った。
当人のリーシャは、冷や汗を滝のように流しながら苦笑いを浮かべていた。
――――――
銀色の馬が柔らかい天然芝生を踏み、草原を駆け抜ける。
その後ろには少し大きめの、恐らく三人ほどは雑魚寝ができるであろう大きさの馬車がその馬にひかれて疾走していた。おおよそ時速百五十キロほどだろうか。馬としては破格の速度、しかもそれを長時間維持しながら銀色の馬は走っていた。この事実を踏まえれば、この馬がただの馬ではないことは素人でも理解できる。簡単に例えればチーターの最高速度の一・五倍ほどの速度を約五時間維持し、なおかつ自分より巨大な荷物を引き続けていると言えば凄さが理解できるだろうか。
「一体どんな肺活量してんだよ……」
そのあまりにもぶっ飛んだ性能の銀色の馬、曰くシルバーホースは魔法により品種改良を施され、筋肉の量と質、矢眼活動可能な眼、筋繊維が千切れても即座に超回復をする体質、下手な武器程度ならハルクはじき返す皮膚。はっきり言って化物そのものだ。モンスターの一種にカテゴリーされてもおかしくない。希少が中々大人しいのが救いだろう。
綾戸に見せたら絶対に「これ競馬場出そうぜ!」など言われそうだ。こんな化物出したらそりゃもう勝負にならない。馬の最高時速は平均で時速七十五キロ、最大で九十五キロ。その倍近い速度を叩き出しているシルバーホースなど出したら観客は己の目を疑うだろう。
「それで、今日はどこまで進むつもり?」
「そうだな……」
隣で地図を広げていたルージュが肘で俺の脇腹を突きながらそう聞いてきた。服は中にワンピース一枚来ているだけらしく、追い風で冷えないように毛布を掛けている状態だ。『炎の現身』だから体が冷える心配はないだろうが。絶対零度でも平気で行動できるのだから。
更に言えば後ろで何かして遊んでいるリザとアウローラ。彼女らが着ている服もまた新しい物だった。自腹なのか盗んできたのはか定かでないが、リザはブラウス&コルセットスカートというなんだか高級そうな服。脱ぐの大変そうだなという感想は置いておいて、アウローラはこれはまたシンプルな灰色のドレスだった。汚れてしまう事前提なのか、もう少し綺麗な色もあったであろうに。
まぁかわいいから別にいいけどね。
そ、今まで無視していたルージュの行為に対して特に仕返しはせず、無言で地図の一点を指さす。
この草原の、大体三百キロ向こう。フキュオールスド樹海。面積約八百六十平方キロメートルの、文字通り木々の海だ。海というには少し小さい気がするが、まぁ小さい人間からしてみれば海と大差ない。五十歩百歩というやつだ。
しかし問題が一つある。
「ここ、一応危険地帯なのだけれど」
そう、フキュオールスド樹海は危険地域。しかも出る魔物が基本がスライム、物理攻撃が効きにくいモンスターが出る。それだけなら俺たち二人でも十分に対処できるだろうが、ある一つの面倒があった。
ここは、なぜか盗賊団の根城となっている。いや、正確に言えばかつてフキュオールスド樹海にあった、古代の城、今でいう古城にかなり規模がデカい盗賊団が潜伏しているのだ。
ただの盗賊団なら遠距離から一方的に虐殺できるだろうが、今回はそうもいかない。
フキュオールスド樹海は特殊な魔法、いわゆる『天然魔法』という物が存在しており、炎系の魔法が一切使えなくなる。つまりルージュは魔法がほとんど使えなくなったと言っていい。さらにそれだけならばまだよかったものを、ある特殊なアイテムを使わないと、霧の効果で延々と樹海の中を彷徨うことになる。
足止めとしてはかなり悪質な糞みたいな魔法だった。
「……まさか今夜中に攻略するつもり?」
「ああ。時間を割いている余裕はない。正面から乗り込んで脱出用アイテムを奪う」
「確かに出入りのために脱出用アイテムは置いてあるでしょうけど……私が足手まといにならないかしら」
「身体能力だけなら、お前この中で一二を争うだろ。魔法がなくなっても魔剣で斬りこめばいい」
「随分と大雑把ね」
「シンプル・イズ・ベスト、だ。じゃあなんだ、お前この山脈を越えるつもりか?」
そう言って俺はフキュオールスド樹海の両隣に位置している山脈を指さす。
右側は標高約四千二百メートルを誇る高山スノウクリスタル。昔、雪が高圧縮されて永久に溶けないものとなった氷の水晶、氷水晶が発掘されていたことからその名前が付いた山。現在ではもう雪の結晶は発掘されなくなり、ただの高い山として旅人の行く道を邪魔する愉快な障害物と成り果てている。
左側は標高約五千二百メートルの、エベレストとまではいかないが雪だけで出来た氷山ラギアクルォエール。頂上の温度は魔法でもかけられているのか氷点下マイナス230度。普通に言ったら確実に死ぬ氷の地獄だ。越えるにはサラマンダーの護符付き氷山用服装フル装備でなければならないと言う鬼畜山だ。
つまり現状、左側の山は越えられないし、右側を行くとしても馬車を放棄し数週間をかけて山を越え、その後さらに徒歩で港町まで行かねばならない。それでは本末転倒だ。
だからこそ、正面突破しか道が残されていない。実にウザい選択肢だ。ゲーム的に言えば「はい」と「YES」しか選択肢が用意されていない奴だろうか。糞が。
「雪山を魔法で吹き飛ばすと言う手もあるのだけれど」
「何日かかる。出力全開でやっても数日かかるだろ。それなら正面切った方がまだ楽だ」
「……わかったわよ」
ルージュの気持ちもわからなくはない。自分の得意とする魔法が使えない=自分が足を引っ張ってしまうかもしれない。そんな予想があるのだろう。実際、身体能力だけでは無理があるのは否定できない。相手が面制圧用魔法でも放たれたらかなり不味い戦況になるのだ。いくら厳密に魔法ではない神法とはいえ、発動できるかどうかはかなり怪しい。できても恐ら弱体化は免れないだろう。
これだけ理由があれば、確かにルージュが心配をするのも無理は無かった。
「大丈夫さ」
それでも俺は、ルージュを宥めた。
そう、ルージュが心配する必要はない。というか、俺達が戦うつもりは毛頭ない。
「だろ――――リザ?」
後ろでアウローラとトランプ(らしきもの)をやっていたリザに視線を投げる。
それをいつもと変わらない笑顔で受け止めると、リザもまた悪魔的な笑みを浮かべ「あはっ」と狂気が感じられる笑いをもらす。
そう、彼女は『水の守護者』。『水の理を統べる者』。『水の現身』の所持者。
――――情報が確かなら、あそこでリザに敵うものなど存在しなかった。




