第四十四話・『魔人の如し』
例え話をしよう。急に何言ってんだと言いたいかもしれないが黙って聞きやがれ。
辺境中の辺境にある町からさらに離れた辺境にある寺、に見せかけた暗殺者たちの拠点兼修行場で、任務中へまをして間違って連れてきた女の子が今、数々の訓練を、自分が気を吐きながら突破した難関達を次々と容易にぶち破り、あと一歩で第四級暗殺者の資格を得そうなその女の子が隣で軽く十人分は越えそうな食事をしている様を見て、君はどう思う。
俺だったら間違いなく白目でこう言うね。
「……随分、食べるんっすね」
「ふぇっ? ……んぐ、っと。私、実はちょっと面倒な病気にかかっていまして」
「病気、っすか……」
「はい。あ、お代わりください!」
通りかかった職員に、そう元気よく言い放ちながら空の椀を差し出す少女。その名はユーリ・ヴィーダーゼーエン。ついこの前この俺カール・ナーハフォルガーが周りの確認をしないで秘技を放つという初歩中の初歩的なミスを犯し、已む得なく連れてきてしまった悲劇のヒロイン。
のはずなんだが、どうして彼女はこんなにも生き生きしているのか。頭を抱えて小一時間悩みたくなる。
現在ここは辺境の国『ニア』にある辺境に存在している暗殺者教会極東支部。その中にある第四級暗殺者から使用が許される個別に建設された特別食堂。
俺は現在その畳み敷の特別食堂にユーリなる若い女の子を連れてきて楽しく食事でもするつもりだったのだが――――結果は見ての通り、予想の斜め上を通りすぎていった。
「確かにまぁ、連れて来たときは寄り道できないから非情食料で済ませていたものの底まで空腹にさせたわけじゃないしそもそもじゃあなんで帰ってきてからこんな量を食わなかったのかっている話になるんだよね。じゃあたぶん試練のせいだろうけどアレそんなに体力消費する……いやするけども俺でもした直後には食事なんで到底無理で逆に吐き出しそうになって――――」
「カールさん」
「ん? え、ぇえ? はい、どうかしたっすか?」
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
急に話しかけられて素っ頓狂な声を上げるも、どうにか立て直す。
対してユーリはわくわくしているような子供の笑顔だ。俺はこんな顔を見たのは久しぶりどころか初めてで、いったいどういう反応を返せばいいのか一瞬わからなくなる。
とにかく、一度わざと咳き込んで気概を保ちながら精神集中する。よし、これでどこから奇襲されても問題なし。
「暗殺者って、なんですか?」
…………。
「は?」
「あ、ちょっと言葉足らずでしたね。この世界の暗殺者って、一体どんなもの――――」
「失礼ですけど全然補われていませんっすよそれ……」
まさか基礎中の基礎どころか根本を教えることになるとは、生涯で一度も思わなかった。
確かに園からきて箱入り娘かなにかならわからなくもないが。
後で調べろ、と言ってもよかったのだが残念ながらここは危険地帯。いつどこから奇襲されてもおかしくない環境だ。少なくとも余計な行動をして死に確率を高めるより、先に教えた方が手っ取り早いだろうし死ぬ確率も低くなるだろう。
とう心の中で言い訳を考えながら、必要最低限のことだけ思い出す。
「まず、ユーリさんの暗殺者に対しての知識って、どれぐらいっすか」
「えーと、『依頼された要人の暗殺を密かに計画して、人目にできるだけ捕らわれない様にそれを実行する者』……ですかね」
「概ね合ってます。でも少し前時代的っすね。――――この世界での『暗殺者』っていうのは、まず第一にユーリさんが言ったような『要人暗殺の計画立案及び実行』をする者。そして第二に、『依頼による警護、または要求する情報の収集』。最後に『依頼対象の殺害。または破壊』。この三つにまとめられますね」
「? あの、最初と最後の違いは……」
「最初のはあくまで『暗殺』。最後のは『殺害』――――どっちも手段を選びませんけど、要するに『見つからないまま殺せ』か『見つかっても構わないから殺せ』。です。一昔前は『絶対暗殺』を心掛けていた暗殺者ですが、その存在が公になってからはもう顔を隠しても魔法か何かで特定される時代になりましたからね~。だから、俺たちはこんな辺境に住んでるんっすよ」
じゃなければこんな窮屈な場所に住んでいない。
幾ら顔を晒さないためとはいえ、こんな野営キャンプ同然の(さすがにベットはあるが)場所に寝泊りするなんて、常人の神経では真っ平御免だ。
なんせ、『ニア』の町の安宿の方がよほど落ち着ける環境だからである。
厳しい先輩たち、嘲笑う後輩たち。そいつらに囲まれながら寝るなら、本当にそっちの方が万倍マシだ。
「しっかしまぁ、マジで暗殺者目指すとは思いませんでしたよユーリさん。今ならまだ間に合うっすよ」
「敬語はいいですよ。……言ったでしょう、行く当てがないって。そこらでうろついて誰かにさらわれるぐらいなら、ここで生活した方がよほどいいです」
「……あー、まぁ、本人がいいなら別に良いっすけど」
最後のシラサバの切り身を食べながら頬を掻く。
どこか、ずれている。
しかもちょっとやそっと所ではない。根っこそのものが俺たちとは異なっていた。
確信する。ユーリという少女は、まともではない。そもそもまともな人間とは何かという哲学論を引き出す気はないが、何処からどう見ても俺たちとは何かが違う。
しかし人を殺しもしないで暗殺者を目指すと豪語している馬鹿という類ではない。端的に言えば――――生物を殺し慣れている人間のようだ。
「ユーリさ……ユーリ」
「はい」
「……今僕を殺す必要があったら、殺すっすか?」
「はい」
「……ははっ」
一般人、などと言っていたが、どうやら前言撤回する必要があるようだ。
狂人どころか純粋な狂気そのものではないか。
まるで人間を虫同然と子供の様に平気で殺す、一切の躊躇がない、この世で一番危険な人種。
そして一番暗殺者に向いている人種だ。
躊躇がないという事はそれだけ気づかれずに事を終えられるという事。
我ながらとんでもない物を連れてきてしまったと、激しい頭痛に襲われる。
「気に障った?」
「いえ、別に。ただ……怖いな、って」
「よく言われるよ」
(自覚有りかよ……ますます厄介だな)
箸を置いて、座らせていた腰を立ち上げる。
可笑しな雑念が大量に入ってしまった。自室でどうにか整えねば。
「――――ユーリ・ヴィーダーゼーエン。居るか」
真後ろに位置する障子がパン! と気持ちいい音が響く実に良い勢いで開かれた。
少し壊れないか心配だが、仮にも暗殺者。寝込みを襲う輩対策のために大体の建物には魔術防壁でコーティング処理をしている。少なくともライフル弾でもないとこの障子は壊れはしないだろう。
――――と、拉げた障子を見る前までは思っていた。
鉄の板並に固いはずのそれを見事に壊してくれた犯人は、きっちり肩口で髪を切りそろえ、珍しく完璧な手入れが行き届いている女性。その名は心巍スザク。第特一級暗殺者という暗殺者教会にとって最大の名誉を授かれし最強の暗殺者の一角。確かの彼女ならばこんな障子程度、紙の様に歪ませることができるだろう。
しかし他人の所有物を勝手に壊すこととはまた違う話だ。
「ちょっ……何壊してんっすか!? ここの修理代一応俺の経費っすよ!?」
「知らん。この障子が弱いからいけないのだ」
「アンタが触ったら鉄塊でも寒天程度でしょうが!? いい加減『指輪』付けてくださいっすよ!」
「あんなもの、私の法に反する。そんな事よりユーリ・ヴィーダーゼーエン。最後の試練だ。これを突破すれば貴様は今日から仮登録の暗殺者から正規の暗殺者になれる。当然、結果次第では第八級から第五級までの暗殺者に選定されることとなる。今から三十分後、教会を出てすぐ近くの修練所に来い」
「……えーと、わかりました」
「私からは以上だ」
そう言ってスザクは壊れた障子を無理やり引き戻し、敷居を壊して立ち去った。
部屋の修理代に悲鳴を上げる俺とは反して、ユーリは相変わらずの笑顔でのほほんとしている。暗殺者のしていい顔ではない。
「……機密事項なんで言いませんけども、最後の試練って今までとは段違いっすよ」
「へー。でもやってみなきゃわからないよね」
「まぁ、そうっすけど……」
今まで楽々突破してきたこいつに言うのが馬鹿な話か、と自分の懸念を笑い飛ばす。
ユーリが暗殺者になろうがならなかろうが、正直知ったことではない。自分は今の今まで通り仕事をこなすだけだ。確かに面倒を見ろとは言われているけども、流石に将来まで気にかけてやる義理は無い。
……連れて来た身としてこう言っては失礼ここに極まれり、なのだが。
三十分後、食事を終えたユーリは言われるがままに教会近くの修練所に向かった。
俺も食事代の請求書を白い目で見ながら彼女に着いて行った。理由は二つ。あのスパルタ思考の心巍スザクが、もし気絶してしまった訓練生をわざわざ医務室に連れてわけがない。後は単純に興味があったからだ。
俺はユーリがどうやって試練を突破したのが、全然見ていない。いや、後始末に追われて見る暇がなかった。機能ようやくその始末が終わり、ゆっくりと彼女の培ってきた業を見れるぞーと思いきやいつの間にかもう最後の試練に移っていたのである。その時間、わずか二日と数時間。訓練生時代に一週間かけて血反吐を吐きながらようやくここまでこれた自分の立つ瀬がない。
しかも、この試練で俺は本当に死ぬ一歩手前まで追い込まれた。冗談や比喩抜きで。
その訓練内容とは――――
「あれ、誰もいませんね」
「…………」
「スザクさん。呼んだくせに、遅れるんですか? 外見からなんとなく時間にルーズな人だとは解っていましたけども――――」
――――第四級以上の暗殺者十人での刃引き武器を使用した洗礼。
「…………!」
最後の最後に瀕死に追い込まれ、「お前は弱い」という言葉を心に深く刻み付けるための儀礼。
そして何より集団対単体という暗殺者として現実的な戦況に追い込まれた際に発揮される判断力や状況把握力、環境適応能力、洞察力諸々を図るための訓練でもある。
もっとも、自分の時は滅茶苦茶で、ただ地形を利用した戦闘や自然を利用した罠を使いどうにか三人仕留めたのだが、流石そこは先人たち。見事に回り込まれた上に囲まれて手痛い洗礼を受けた。
それでも三人退けられたことが評価されて、どうにか合格したのだが。
果たしてこのユーリと言う少女はどう出るのだろうか。
そう、近くの瓦屋根に座り、目を深く細めた。
ユーリの周りに位置していた草むらから十人もの黒服の暗殺者が同時に飛び出す。その速度は最高。その速度が緩むことは無く、一番速度を出していた暗殺者の手に持っていた小太刀が完璧な精度と速度でユーリの首に、届くことは無かった。
なぜなら――――すでにユーリはその暗殺者の手首を捕まえていたから。
『!?』
その場にいた全員が目をむく。
明らかに第八級暗殺者に対応できる足ではなかったはずなのに、いとも簡単に受け止められた。
しかしその事実だけならともかく、もっと別の現象がかけらの胆を抜いた。
掴まれた腕が、歪な方向に曲がっていた。
つまり、握力だけで、骨折させられていた。
ようやく腕を折られたことに気付いた暗殺者が悲鳴を上げる――――前に、ユーリは片手で暗殺者を折れた腕で持ち上げると、暗殺者の頭が地面に向かうようにしてそのまま真下に残像が残る速度で振り下ろす。
鈍い音がして、真下にクレーターが出来上がる。
当然、腕を折られた暗殺者は――――頭蓋骨が砕け、死亡した。
「…………え?」
残り九人の暗殺者の内の誰か一人がそんな声を上げる。
瞬殺。最低でも第四級が、数秒で撃沈どころが死亡した。
油断も原因の一つであろうがなによりの原因は、ユーリのその異常なまでの筋力。
その細い体からはとても連想できない怪力が、今ここで表に出されたのだ。
嘘だろ、と誰もが思う。
「……なるほど、そういう試練ですか。そうですか。……なら、こちらもそれなりの対応をさせてもらいますよ?」
悪鬼――――否、阿修羅。
そう思っても仕方のないくらいの殺気が広がる。もはやこの殺気の質は人間ではない。これは文字通り化物にのみ許された代物だ。そう――――目の前にいる少女は人間ではない。
残った九人の暗殺者は全員そう確信し、殺す覚悟で向かった。刃引きされた武器を捨て、自分の得物を構えながら高速で接近。確実に殺すために全員が各急所を狙う。
「その程度ですか」
ユーリの右腕が消えた。
瞬間、彼女から見て右にいた暗殺者の同体が爆発した。ただの衝撃波で。
そこで全員の動きが一瞬止まる。それが全員の精子を分かつ瞬間であった。
今度はユーリの姿が消える。
まず彼女の正面にいた暗殺者が、頭を鷲掴みにされそのまま潰された。次にその隣にいた暗殺者は只の掌底で首を折られるどころか頭部が爆発。次にユーリの真後ろにいた暗殺者はただの蹴りで胴体に大穴が開き、ついでに上空にいた暗殺者はパンチで起こした衝撃波で肋骨骨折と心臓破裂。次に左の方向にいた暗殺者は得物の小太刀を絡め取られ、逆にそれを首に差し込まれ追撃と言わんばかりのボディーブローで内臓破裂。次に彼女の背中に攻撃しようとした暗殺者は振り返りざまに放たれた回し蹴りで内臓破裂と脊髄骨折。残った二人はコンビネーションで挑もうとするがする前にユーリが接近。同時に頭の側面を掴まれ、頭部同士を衝突させられ二人共々頭を潰され死亡。
たった一分弱で起きた殺戮が幕を下ろした。
第四級暗殺者たちが、文字通り手も足も出ずに瞬殺。当然ユーリ自身に傷などついていない。
完全封殺。
本来ならばありえない光景を、彼女はその不条理なまでの強さで実現した。
俺は咄嗟に『解析望遠鏡』なる魔導具でユーリの【ステータス】を盗み見る。ただし見れるのは名前、レベル、そして筋力敏捷技量のみ。
それでもこの状況ならば十分すぎる。
【ステータス】
名前■■■■ HP99999999999/999999999999 MP1800/1800
クラス■■■■
レベル5
筋力999.99 敏捷399.99 技量450.90
「………………………は、ぁ?」
筋力、上限数値。体力、理解不能。
その他二つも目逃すことのできない数値だったが、そんなもの今目に入らなかった。
999.99。見たこともない数値に目を限界まで見開く。
その間にも彼女は血で汚れた部分の服を千切る。そこから覗けるユーリの、完璧なまでに整えられ引き締まられた体の筋肉。
一般人には少し鍛えた女性程度に見えるだろうが、俺には全く別の物に見えた。
密度が、違いすぎる。
恐らく常人の五倍もの密度の筋肉は細く絞られており、服を着れば普通の体型に見えるし素肌もそんな遜色は無いだろうが見る人が見ればわかる。どこからどう見ても『普通』ではない。
まるで神の肉体。
戦乙女と言っても足りないぐらいの存在が、そこには居た。
「カールさん。私、病気にかかっていると言いましたよね」
「……はい」
「その病気の名前は、【ミオスタチン関連筋肉肥大】って言いまして、私はその中でも特に異質の……体がミオスタチンを少量しか生産しなくて、さらに細胞もその受容をしないんですよ。しかも、筋肉が異常に圧縮される病気にもかかっていまして。筋肉が普通の人の約八倍の密度なんです。それと、生まれつき脳の制御装置を任意に解除できる体質でもあるので――――そうですね、貨物自動車……八t程度なら一人で持ち上げられます」
「……冗談、じゃなさそうですね」
「代わりに、凄いカロリー消費してしまうんですけどね。しかも、体が早すぎて思考が付いていけません。脳の制限を解除してようやく全力で動けますから、欠陥品ですね」
こんな欠陥品があってたまるか。
本能がそんな悲鳴を上げた。
「随分暴れたようだな」
「スザク!? ……さん」
突然現れたことで思わず呼び捨てしそうになったが、彼女の鋭い眼光によって素早く敬称を付け足す。
一体どこで何をしていたのかはわからないが、少なくとも今の戦いを見ていたことははっきりとわかる。それほどに彼女は今殺気立っていた。
同胞を十人も殺されれば、そりゃ怒りもする。
「ユーリ・ヴィーダーゼーエン、殺すだけが暗殺者の仕事ではない」
「と、言いますと」
「同胞を護ることも、暗殺者の仕事だ。だが、これは何だ? 貴様は、自分より遥かに格下の相手を、殺すのか?」
「確かに少しやり過ぎましたが――――こちらを殺す気で来たのなら、殺されても文句は言えないはずですよ?」
「巫山戯るなよ小娘が……! 命を何だと思っている!!」
堪忍袋の緒が切れたのか、スザクはユーリの胸倉をつかみ上げた。
それでもユーリは動じないし表情も変えない。
まるで目の前の者がどうでもいいと考えているかのように。
「じゃあ、なんです? 命はそんなに大切なんですか?」
「当り前だ! 一つの生物にたった一つだけ与えられた生。それが大切でなくて何なのだ!」
「……ならそれを奪ってはいけないと」
「少なくとも、背負う覚悟もないのに生物を殺すなど言語道断。貴様は暗殺者などではなくただの殺戮機械だ……!」
「それは誰が決めたんですか?」
「……なんだと?」
妙に食い下がるユーリ。一度冷静になったスザクも、再度火をつけられたことで怒りが倍増していく。
見ているこちらとしてはこれほどハラハラすることは無い。ここで献花などされてみたら、恐らく地形が変わることは覚悟せねばならないだろう。
「それって、人が勝手に決めた物でしょう。絶対に従う必要はないです」
「法を否定するのか? 法は人を護るためにあるものだ。貴様は同族を塵呼ばわりするのか?」
「それがいけないことだと?」
「今度は他者の侮辱か……つくづく終わっているなユーリ・ヴィーダーゼーエン!」
「――――法というのは、社会を構成するために生まれたものです。暗殺者が社会に嵌れると思いで? とんだロマンチストでも考えませんよそんな事。それに、人を殺めるための訓練を受けたものが、今更『人を殺すな』? それこそ随分と巫山戯ていますね」
「ッ……お前は――――」
「責任を持って殺せ……そんな綺麗事を吐く時点で、あなたは暗殺者としては終わっていますよ。私が人として終わっていることは否定しませんが、まず自分を見つめなおしてはどうですか、心巍スザクさん?」
「わ、私はそういうことを言っているのでは……」
「そもそもの話、法から外れた私たちが法を守る時点で可笑しいですよ。外道は外道。法なんて律儀な代物には縁がないはずでしょう。…………綺麗事を言いながら人を殺すより、何も考えずに殺した方が『暗殺者』としては何倍も有意義と考えませんか? 別に言うなとは言いませんが……それではまるで悪戯がばれた子供の行動ですよ」
言上での完封。
確かにスザクの言い分も正しい。だがそれはあくまで『人』としての話だ。『暗殺者』としては間違っている。例え味方であろうとも、的になれば容赦なく殺せ。それが大昔の『暗殺者』の方針。つまり無慈悲だ。今のスザクはそれに真正面からケンカを売っているような信念だ。それが間違っているとは言わない。人には人の信念があるのだから。
「仮にも頂点に立つものなら、公私混同はしないで頂きたいですね。大先輩?」
最後の最後に最大級に皮肉を投げかけられたことで、スザクは折れた。
掴んでいた胸倉を離し、内ポケットから封筒を取り出して俺に投げつけるとそのまま教会へと戻って言ってしまう。
ちなみに俺は終始間抜けな顔でポカーンとしていた。
彼女が、暗殺者の頂点に立つ心巍スザクが言葉と言えど正面から打ち負かされる光景など、信じられなかったからだ。
凄い、とは思わなかった。
ただ、怖いとは思った。
目の前の交易が、まるで夢のようだった。それほどに今までの現実とは違いすぎている。自分の常識を根本から叩き折ってきている。頭がどうにかなりそうだった。
「……えーと、嫌われちゃいましたかね」
「確実にそうでしょうっすね……あれで嫌わない奴が居たらそれはもう聖人っすよ」
「それで、試練は合格……ということでいいんですか?」」
「ええ。たぶんですけど、スザクさんもそこら辺はちゃんと守って老長に進言すると思うっす。たぶんこの封筒も、第四級試験の合格の証明書でしょうし」
封筒を開いてみると、案の定合格と書かれた紙が一枚入っていた。
それを手裏剣の様に飛ばしてユーリに渡す。
「それに軽く血をにじませれば、登録完了っす」
「わかりました」
ガリっ、と親指を噛んだユーリは、一粒の雫となった血を髪に染み込ませる。
するとすぐに紙は燃え、灰と化した。
これで登録は完了だ。試練も、これできっかり終了した。
「さーて、もう終わりましたからかえって休みましょうか」
「そうですね。あとカールさん」
「ん? なんすか」
「敬語はいいって言いましたよね?」
「……あー」
そういやすっかり忘れていた。
しかし敬語にするなと今更言われても、慣れない。何時も腰を低くしているせいか。
でもいつまでもそうするわけにもいかないだろう。
これを機に、一度改善してみよう。
「……えー、ユーリ。で、いい、か?」
「いつもの口調は無理なんですね」
「まぁ、えーと。アレは、敬語みたいなものっす……だから」
「出来ないなら無理はしなくていいよ~」
「いや、ユーリだって敬語使わないん……だ。僕……俺だけ使っていたら、なんかカッコ悪いっす……からな」
「いつもの口調でいいよ」
「……悪いっすね」
本気を出すとき以外は基本的にこれで安定しているようだ。
我ながら恥ずかしい限りだ。
(……さて、今日でユーリ・ヴィーダーゼーエンという少女の裏の一面を垣間見ることができたが)
思考だけを切り替えて、深く考え込む。
これはかなり、不味いことになってきたのかもしれない。
(……まるで、伝承にある魔人だな)
心の中で鋭い舌打ちをしながら、俺は自室へと足を運ぶのであった。
――――――
「――――以上が、私から見たユーリ・ヴィーダーゼーエンの印象です」
「……ふむ」
老長の個室、ただ畳だけ敷いた簡素なつくりの部屋にはその部屋の持ち主とスザクが星座で対面している。目の前に置かれているのは茶。老長はそれを手に取って、静かに啜る。
鋭い眼光の残滓だけを残して。
「肉体、精神ともにすでに人外の域に達している……と」
「しかも負の方向に、です。……あの価値観は、歪み過ぎている」
「確かに、スザクよ。お前の言うことも正しいだろう」
「…………」
「だが、だからと言ってあの小娘の価値観が、必ずしも間違っているわけではない。確かに、私たちから見た視点では、歪んでいるのかもしれない。……しかし、あちら側から見た私たちもまた、歪んでいると見られていることを忘れるな」
「それでは、どうするおつもりで」
スザクの問いに対し、老長は茶の椀を置くだけで何も返さない。
二人の周りの空間が数秒間だけ静寂に包まれる。
どんな音も遮断されているこの状況。
今、二人はいったい何を思うのだろうか、ほとんど予想がつかない。
「……まずは、傍観するしかなかろう」
「……ええ」
「いずれ答えは出る。私たちの役目は、その答えが本当に間違っていると思ったとき、それを止める役だ」
「納得は……できませんが」
「人間、本心から納得できることなど数少ない。我々の時間は短いのだから……」
「はい」
何やら意味深い言葉を残して、老長は瞼を閉じる。
それから少しだけ薄く眼を開けると、懐から感慨深そうに短剣の欠片を取り出し、ただ無言で眺める。
スザクはそれを見た瞬間、顔が酷く歪んだ。
「……あの子は、まだ戻らぬのか」
「連絡はまだありませんが、もう時期に戻るかと……」
「そうか……」
老長は深いため息をつく。
まるで我が愛娘の悪戯を目撃した、父親の様に。
「我が娘、ニヒトよ。一体何処を目指しているのか……年老いた私には、よくわからぬ」
スザクはその名前を聞いて、微かに怒気を漏らす。
――――ニヒト・フェッセルン・セヴンズライフ。
かつて暗殺者教会極東支部出身の第特一級暗殺者にして、暗殺者教会歴代最強にして歴代最高の暗殺者。
さらに暗殺者教会で数ある称号の中でも【七生九死】という最高峰の名誉を授かれし、文句無しの暗殺と武術の天才。
そして何より――――極東支部元老長アインザームカイト・ヘルツ・セヴンズライフの娘である。
「あの馬鹿……一体どこをほっつき歩いてるんだか」
自分にしか聞こえない声で、スザクはそう呆れるように呟いた。
親友の帰還が遅いことに、微かに苛立ちを感じたのだろうか。
もっとも、彼らが現在ニヒトがテロリストと協力していることなど知る由もないが。
優理さん、すっかりバイオレンスになっちゃって・・・・。まぁ、これは彼女の本性でも何でもないんですけどね。




