第三十話・『待っていてね』
すいません、学校のテストとか準備とかスランプ気味とか色々あって、今回は一つしか投下できません。
本当に申し訳ありません。スランプはどうにか改善しようと思っています。
場面は変わって、中央大陸の東の端の端に存在する国『ニア』。
その国は西洋的な『ヴァルハラ』とは違い、時代劇の舞台のような和風的な建物が多く立ち並んでいた。大国の首都から五千キロ近く離れれば無理もないが。
大国との貿易が、距離、地形、天候によってほぼ不可能になっているその国は、その関係上とある大陸との貿易を強いられ、文化も他の国とは一転している。他の国から来たものは常識を覆される気分だろうが、急斜面や悪地形が多いこの地域ではめったに人が来ないので心配することはないだろう。
と、そんな辺境内にある国の中でもっとも端にある辺境にひっそりと、古びた神社のような建物が立っていた。
暗殺者教会、極東支部である。
「…………ぐっ、おおぉ……!」
その地下五階、拷問部屋で上半身裸にされた黒髪の少年、カール・ナーハフォルガーが両足を縛られ、天井に宙づりにされていた。その時間およそ三十二時間二十六分十一秒。血が頭に集まり、常任ならとっくの昔に意識を手放してもおかしくないその苦行を、この若者は不休不眠で耐えていた。
彼の隣には監視役と思われるしっかりとした体つきの黒髪の男が座っている。
カールが一瞬だけ力を抜いて両脚に固定していた両手を垂らすと、閉じていた両目を開いて容赦ない蹴りを背中に浴びせてくる。
「ごっは、が……!」
「誰が休んでいいと言った。さっさと姿勢を元に戻せ」
「き、きっつぃっすよ先輩~……」
涙目になりながらカールは両手を元に戻す。
「自業自得だ。そもそも貴様が無関係な市民をここに連れてきたのが不備であろうに」
「いや、だって、秘技見られちゃさすがにのうのうと見逃すわけにもいかないでしょ?」
「貴様が技を使う前に事前確認をしていれば起きなかった問題だ」
「情けの一欠けらも無いっすか……非情ですねー」
「暗殺者に非情は褒め言葉だぞ」
「じゃあ褒めたんでさっさと降ろしてがぁああああああああああああああああああああ!!!!」
「そもそも私語の許可を出した覚えもない」
監視役の男は立ち上がって軽口をたたくカールの両手を掴むや否や、本来曲がるはずのない角度まで腕を捻り、折らせる。骨が悲鳴を上げ、皹ができる音が離れれても聞こえる。
もう折れる、という寸前で男は手を離した。最大限の苦痛は与えるが、拷問に支障をきたすから骨は折らないということだろう。ここまで来るともはや生殺しにさえ思える。
(き、きづぃぃ……マヂもう無理。ホントに死ぬっ。この人なら本当に「それまでだった」とか言って見殺しにするっす!? 意地で耐えたとしても意識飛ぶっすし! どっち選択しても死確定っすかぁぁぁぁ!?)
「……ふっ」
(しかも確信犯!?)
外道! 悪魔! など言っても褒め言葉にしかならないし私語厳禁の掟を破った罰が下るだけだ。
もはや前も後ろも塞がれてカールは白目をむきかける。
前門の虎後門の狼ならぬ前門の白虎後門の狂狼と言ったところか。この状況で脱走など企てようものなら確実なる死が待っている。つまりデッドオアデッド。
(ああ、死んだっすね、これ)
もう諦めて意識を手放す――――寸前、部屋の扉が開かれた。
「もういいぞハル。検査が終わったから降ろせとの命令だ」
「了解」
茶髪で長身の女性が入り、言葉を発した直後手刀、しかもその衝撃波でカールを吊っている縄が両断される。
気絶寸前の彼が咄嗟の受け身など取れるはずもなくそのまま落下して、カールは首から落ちる。
しかしそこは鍛え抜かれた身体。骨を折ることなく衝撃だけを体に伝えて、無傷で済んだ。
「ぐほぉぅ」
「変な声出してないでさっさと立て。老長が待っている」
「さ、三十時間以上拷問されて解放された人に掛ける言葉がそれっすか……?」
「褒めてほしいのか? なら片玉だせ。快く潰してやる」
「遠慮するっす」
「ならさっさと立ててと言っているだろうが!!」
「ひぃぃぃぃ!?」
女性が苛ついたように地団駄を踏んで床が砕け散る。
それに恐怖を覚えてカールは疲労を素っ飛ばして、足にまだ残っている縄をほどいて立ち上がる。
「よろしい。じゃあついて来い。ハル、お前もだ」
「了解」
「りょ、了解っす……」
もう流されるままにカールは階段を上りながら女性に付いて行く。
彼女の名はスザク。第特一級暗殺者、心巍スザク。極東支部の最強の一角を飾る女性暗殺者。
ついでにその後からついてくる男性は第一級暗殺者、蓑壁ハルアキ。スザク直属の部下であり友人。
つまりは二人とも第四級のカールの上司であり、上にいる猛者。纏っている空気も張りつめたものだ。
そんな人物に前後を挟まれる気持ちはいかほどか。
(ああ、前門の虎後門の狼とかそういうレベルじゃないっすね。何で拷問後にSSS級探索者並の実力者に挟まれなければならないんっすか……!!)
心からそう叫ぶ。
涙腺と心身体ともに崩壊寸前。しかし泣けば軟弱と断じられ殺される。
理不尽をこれでもかと集めた環境に履きそうになりながら、無事何事もなく地下五階から十階部分に辿り着く。
木造りの広く清潔な空間に居たのは、二人。白髪に白鬚の老人と、黒髪黒目のまだ成人していないであろうとも、清く完成されているような美しさを持つ少女。
「あ」
「……あ」
少女と目が合う。
カールは思わず顔を緩ませるが、瞬間後ろから意識を刈り取るためであろう手刀が飛んできて間一髪で避ける。精神のゆるみさえ許さないのか。
「……カールよ」
「はっ、はい」
それを眺めていた老人がゆっくりと口を開ける。
酷く遅い動作だったが、一切の無駄が削ぎ落とされている。歴戦の戦士が老いた姿のようだった。
老人はため息を吐くとカールに手招きしてくる。
「そこに、その小娘の隣に座れ」
「ぎょ、御意……」
言われるがままにカールは上半身裸のまま少女の隣に正座する。
隣にいた少女はなにか不思議なものを見るような眼であったが、すぐに視線を老人に戻した。大人の対応にカールはさりげない優しさを感じた。
「まず、カールよ。貴様が連れてきた、ユーリという少女に対しての処遇を言い渡す」
「…………!」
「現時刻より、ユーリ・ヴィーダーゼーエンは最下級の第八級暗殺者として、此処、極東支部で保護し、仲間として、向かい入れることを宣言する」
「ま、マジっすか?」
「我々の存在を見、そして認識し、理解してしまった以上、それしか対応があるまい」
「そ、相互理解と容認は……」
「すでに完了済みである」
なんとも納得しない顔でカールは隣のユーリを一瞥する。
さして気にもしていないような無表情だった。果たして自分が『暗殺者』になることを本当に理解しているのだろうかと怪しく思う。
「それで、本当にいいのだな? 若き蕾よ。記憶を消し、まだ引き返せると申したはずだが」
「――――それでは、皆さんに助けられた恩返しができません。助けられたのにのうのうと忘れて生きるなんて、そちらの方が私としては嫌悪を感じます」
「……なら、自分で決めた道ならば、好きにするがよい。……二人とも」
「はっ」
「いかな御用で」
「蓑壁は、この二人に休息の場を与えよ。それから食事も、忘れずに」
「御意」
「スザク。貴様はここに残っておれ。……聞きたいことがあるのだろう」
「……はい」
ハルアキはカールとユーリを立たせてすぐさま連れてこの部屋を去る。
スザクはその場で正座をし、何も言わずに老長を見据えた。
「……発言を許可する」
「老長様。いかな理由であの小娘を受け入れたのですか」
許可をもらうやすぐさま疑問を老長にぶつける。
それを酷く呆れた様子で、老長はゆったりとした呼吸の後こう言い放った。
「確かに、どこの馬の骨とも知らない娘を受け入れるのはいささか問題がある。だが私は、それを踏まえて受け入れた」
「……」
「納得のいかない気持ちは、とても理解できる。しかし……私が受け入れた理由がわからなければ、まだまだ精進すべきだな。スザクよ」
「わ、私はただ――――」
「――――あの者は貴様を超えるぞ、スザク」
「っな………!!」
正面から、嘘偽りもなく、ただそう言われた。
老長の言いたいことはただ「素質があったから受け入れた」なのだろう。それも、現最強の一角を超える素質を持つ、と判断した。
それを言われた当の本人は何を思うだろうか。
羞恥、それとも怒り。
どちらにしろ、冷静ではいられないことは確かだろう。
人間とは、誇りを穢されれば自然と激怒するものなのだから。
「ありえません。あのような、戦いに身を落としたこともなさそうな者が……」
「受け入れ難い事を、ありえないの一言で済ますのは、余り推奨できるようなことではないぞ。スザク」
「ですが、何処から見ても」
「そう。あの者はまだ、蕾でもなければ芽でもない。まだ種よ。しかしその種は、いずれ他を圧倒するほどの、美しさよ。蓮の花のようにな」
「…………」
「スザクよ、精進するがよい。貴様が目指すであろう、最高の暗殺者に。……他を妬むぐらいなら、自身を磨け。この馬鹿者」
「……申し訳、ありませんでした。老長」
感情の波が激しすぎて、一周回って表情が消えたスザクは音もなく立ち上がり踵を返す。
その様子を老長は何も言わずに眺め、スザクはそのまま部屋を立ち去ってしまった。
障子が閉じられた後、老長は深いため息を吐く。
「若さゆえの過ち……と、いう物か。……仕方ないものよ」
自分の長い白鬚を撫でながら、粛々とそう残すのであった。
――――――
「ちょ、やめ――――ふげゃああああああっ!!」
「るっせぇーな」
一階の脱衣所で無理やり裸にひん剥かれたカールは、桶に溜まった冷水を頭からかけられてその後刹那で露天風呂へと投げ込まれた。
露天風呂というものは普通は落ち着くために入るものなのだが、こんな入り方させられて心が落ち着くのだろうかとカールは心の隅で考える。
そのカールを投げ込んだハルアキは反省のはの字も見えない顔でカールを見下ろしている。
後輩の尻拭いをするのが気に食わないのだろう。
「人が風呂に入れてやってんのにさっきから愚痴愚痴愚痴愚痴。少しは静かにできないのか」
「ふぱっ――――入れ方にも色々あるでしょうになんで投げ入れるんすか!?」
「はっ、何で俺がお前の身を心配しなければいけない?」
「酷い! 理不尽! 悪魔!」
「ちっ……体洗ったらさっさと上がれよ。お前の仮部屋は新米どもに渡しているから寝室は仮設寮の一○八号室を使え。鍵は着替えと一緒に脱衣所に置いておく。これが俺のできる精一杯の情だ」
「さっきからなんかキレてません先輩……」
「テメェのせいでこの一週間一睡もしてねぇんだよ。喋っている暇があるなら体を洗えクソガキ」
苛ついた声を残してハルアキは湯気に紛れるように消えた。
何という扱いの酷さ。正直にここの境遇には泣きたくなるカール。先輩からは酷くこき使われ後輩からは冷めた目で見られ、もう逃げようかなと小一時間考えようとしたが、当然そんな長時間入っていたらハルアキに殺されるのでさっさと体を洗って出ようと体を風呂に沈める。
この露天風呂に使われている水は治療水と呼ばれる特殊な水だ。天然水ではなく特殊な配合で人工的に作成された薬水だが、触れた傷の再生を促すという効果はそれ以上に実用的だ。寛ぐために用意された施設ではなく医療施設のようなものなので天然ものが使われていなくても仕方ないのだろう。
「街にはちゃんと天然ものがあるのになぁ~……」
この寺院――――表上はただの修行僧の通う巨大な寺と称しているが、実質は暗殺者教会、世界中にそれぞれ活躍している『暗殺者』の教育施設兼支部は当然ながら『ニア』の都から遠く離れている。人目に付かずかつ人もあまり来ないような辺境に。
おかげで休暇をもらっても、街まで出かけるのに半日近くかかるという苦労。
街に食材の買い出しに行く時などは飛行船を使うが、それでも『ニア』独特の悪天候により二十時間はかかるという始末。
機密主義などはわからなくもないが、かといってこんな端の端に支部を作ることもなかったのではないかという疑問を考えるのはカールだけではないだろう。
せめてもの褒めるべき点は、空気と景色が良いというだけ。
常人ならすぐさま逃げたくなる環境である。
「あぁぁぁあああああああ痛ってぇなぁぁあああああああああああああ!!」
『五月蠅いぞ誰だこんな深夜に叫んでるのは!!』
「あ」
そういえば深夜三時だったのをすっかり忘れていた。
見つかるのを避けるため水の中に全身を沈ませて五分ほどその状態を維持する。
もう問題ないかなと目を線にしながら頭を浮上させ、もういいかなと風呂を上がる。
「……え?」
「………………ありぇ?」
カールは思う。
何だろうか、この熟した果実もとい柔らかそうな袋は。
何でだろうか、ここにあの少女、ユーリが居るのは。
「きゃ――――」
「ちょ、ま……叫ばないでくださいお願いします!!」
カールはとりあえずその場で速攻土下座をする。顔が水中に沈んだがそんなこと構っていられるか。
土下座、それはすなわち地に頭をつけて許しを請う人間の最終兵器にして最大の謝罪表示――――そんなもので裸を見たことを許されるわけないよね。
「え、えーと……いや、別に、気にしてません、よ?」
「……え、マジっすか」
水中から顔を上げ、と見えそうになったので顔を下に向けたまま会話するカール。
絵面がとてもシュールだった。
そのまま何も言わずユーリは体を湯に浸からせる。これで見えないのでたぶん安心だろう。
カールはとりあえず難関を一つ突破したことに落ち着き、同じく湯に体を沈ませた。
(って落ち着く場合じゃなぁぁぁぁぁぁぁぁああああい!!)
年の近い男女は二人とも素っ裸で露天風呂。しかも二人きり、二人きりである。
筋力などは当然カールのほうが高いわけで、つまりそのまま襲ってしまえば――――
(できるかボケェェェェェ!! こっちはまだ年齢イコール童貞歴だっての!)
カールはヘタレである。
たとえこんな状況でも女を襲わない。いや襲ったら社会論理的にアウトなのだが。
(いや職業がとっくにアウトなんっすけどね……)
「あの」
「ひゃ、ひゃぅぃい!?」
下らないことを考えている間にユーリが話しかけてくる。
大きく体を震わせて返事をするカールだったがテンパっていたがゆえに自分でもよくわからないほど噛んでしまう。普通逆ではないのか。
「わ、私上がっていましょうか? 邪魔でしたら」
「いや俺が上がるっすすぐ上がるっすというか今上がらせてくださいっす」
速攻で体を起き上がらせようとしたが、一瞬だけユーリの視線が自分の股間に吸い寄せられるのを感じてすぐに腰を落とす。
詰み。なのか。
(いや、まだだッ……まだ、諦めるわけにはいかないっす!)
なぜそこまで必死になっているのか。
「……なんで」
「ぷっ」
「なんで無関係の私を連れて行こうとしたんですか?」
「は、はぁ……?」
柔らかかった空気が一気に冷え始める。
どうやら社会性とか論理的とかそんな話をする雰囲気ではなさそうだ。
「だって、暗殺者なら機密保持のために、口封じをするんですよね? じゃあわざわざ連れてくるよりその場で殺した方が、面倒事にならなくて済んだはずです」
「……あー、君の暗殺者のイメージは大体わかったっす。ま、実際その通りっすよ。大抵の奴らは自分の理性を押し殺して、正体が知られそうなとき、情報が漏洩しそうなときはその原因を真っ先に潰すっす。確かに、暗殺者としては正しいっすね。ええ、胸糞悪いぐらい」
「じゃあどうして、厳しい処罰をを受けると分かっていたのに」
「はは、こんなこと言うのは暗殺者失格なんすけど……」
肺に溜まった重い空気を吐き出して、カールは苦虫をかみつぶしたような顔になりながらも無理やり笑顔を見せる。これが、彼のせい一杯の笑顔なのだろうか。
「僕は、暗殺者にはなりました。けど、人間を辞めるつもりは、一切ないんっすよ。人を何も思わず殺すのは、そいつはもう人じゃない。それが嫌で、僕は無関係な人はできるだけ殺さないようにしてるっす。そのせいで、先輩方には異物扱いされるわ、後輩たちには腰抜けと舐められるわ……。可笑しいっすよね、人間のくせに人間を躊躇なく殺すなんて。もう少し、良い道があるのに。でも、ここじゃそんな馬鹿は半端者扱いっすよ」
「……あなたは、じゃあどうしてこんな事を」
「そりゃ、ろくでなしの両親を自分で殺して、顔バレしたまま飛び出して……そんな状態でまともな職に就いて、長く生きられると思いますか? できないっすよね。……もうこれしか、道が無かったんすよ。人を殺して生きる道しか」
暗殺者は確かに人を殺す。
それには憎しみや怒りなどの感情は一切存在しない。ただ依頼されたから殺す。それだけなのだ。
それを人は『人』とは言わない。『道具』と呼ぶのだ。
カールは『道具』になるのが嫌で、せめてもの感情を生み出して人を殺している。
だけど――――それでも、
「五十歩百歩っす。どうせ殺していることには変わらないんですけどね……正直、自分でもただの逃げだということは、理解してますよ。そうじゃなきゃ、ただの馬鹿だ」
顔には出していないが、カールの声はどんどん暗い気を纏っていっている。
自分の中のしこりを口から吐き出しているような気持ちになり、カールは自制した。奥からこみ上げてくる嗚咽を殺し、吐き気を押えながらユーリの目も気にせず立ち上がる。
「君は、向いていないっすよ。この糞みたいな仕事には。恩を返すのはいいっす、でも……殺すと、もう後戻りできなくなりますよ」
「あなたも、向いていないよ」
「お互い様っすか。ははっ……明日からは、先輩として訓練指導するっす。したくなければ、早く老長に言って、何とかしてもらうことがいいっ、す……よ…………」
「……あ、え……え!?」
上がった途端、石畳みの上でカールがぶっ倒れるさまを見てユーリ――――もとい優理は顔が真っ白になる。
原因は当然疲労だ。一睡もせずに二日通して高速航行し、着いた途端拷問に掛けられ三十時間も粘ったのだから、そりゃ疲労も溜まるだろう。
突然の出来事に硬直するも、優理は素早く行動に出た。
まず風呂を上がって体をタオルで急いで拭くと、カールの体を脱衣所にまで引っ張る。
それからできるだけ局所部分には視線を移さないように体の水気を拭き、事前に用意されていたであろう服を急いで着せる。自分もすぐに着替え、髪を乾かすこともなくカールの頭を自分の膝に乗せた。
それから備え付きの扇子でカールの顔を扇ぐ。
のぼせたのではないにしろ、今できる応急手当としてはこれが最適だろう。少し休めば、自然と目覚めるはずだ。それが何時間後になるのかはわからないが。
「それにしても、凄いことになっちゃったな」
誰もいないことを確認して、優理は独りでに呟いた。
「……ベッドが無かった。携帯も置きっぱなしだった。出かけた形跡もない――――なら、お兄ちゃんもこの世界に来ているはず」
優理は少し時間がかかったものの、状況から素早く自分が異世界に来ていることを察知した。
そしてそれを理解して受け入れた。否定などしては時間が勿体ないからだ。
それから兄、ついでに数名がここに迷い込んでいると推理することができた。
兄に似たのか高い推理力と判断力の為せる業だろう。伊達に海外留学していないということだ。
「ならまずは知識と、力をつけなきゃならない。暗殺者になるのは少し戸惑ったけど――――お兄ちゃんに合えるなら、人を殺すなんて、安いよ」
空気が凍てつく。
優理の目は、まるで恋い焦がれたような者を思い浮かべているようだった。
笑った。
瞬間、とてつもない濃度の殺気が放出される。
「待っていてね、私が、会いに行くから。――――――――絶対に」
――――――
「ぱしゅーんぱしゅーん」
「え? 波旬?」
「んでそんな物騒な単語に聞こえるんだよ……」
右手で構えた魔導銃を、暗闇からどこからともなく現れる土でできた犬、『マッドドッグ』の頭部に的確に撃ち込む。
銃口からは青い光球がレーザーの様な軌跡を残して飛んでいる為、癖があるのかないのかとても分かりやすかった。すぐにこの武器にも慣れたためもう手足のような感覚で次から次へと虫のように湧いてくる犬どもを殲滅していっている。
この武器、威力がとても弱いが非常に軽くて扱いやすい。中身がスッカスカと言われても信じる。
「敵をセンターに入れて撃つ、敵をセンターに入れて撃つ……」
「アチョォォオオオオ! ホワチャァァアアアア!!」
「るっせぇ!」
そして後ろ、ファールとニコラスが的確に追ってくる犬を潰していっている。
こういう種類の、数で圧倒しようとするタイプは基本的に囲まれるとかなり面倒なので、皆に遠距離からちくちく攻めてくれと発見した直後に言っておいたおかげか。
そのため近距離や魔法(下手にやばいものぶっ放されたらこの洞窟が崩壊する恐れがあるため)しかできないリーシャやセリアなどは動けない。動かない方が良いというのか。リーシャは大層不満そうだが、セリアは「わかったー」と素直にいう事を聞いてくれた。そもそも武器らしい武器を持っていないように見える。身に着けているものと言えば両腕にブレスレットをつけているぐらいか。武器とは全然思えない。
ファールは元々持っていた機銃斧は威力が高すぎるため封印してもらい、代わりに彼女は予備に持っていたであろう銃身を切り詰めた小型単発式ショットガンで対応してもらった。少々散らばるが彼女の射撃の腕は早撃ちはともかくあまりいいものとは呼べないのでこれがベストだろう。
ニコラスは持っていたのがクロスボウだったのでそのまま。射撃の腕はかなりいいようで、正確な射撃で安定した撃破が望めた。彼自身が少し臆病な性格だったが、ファールのサポートでどうにかなっているようだ。
「ねー、まだ見つからないのー?」
犬の殲滅終了後、だるそうにリーシャが聞いてくる。
出来れば俺も早く見つけたいところなんだがな。その心情が察せられないものか。
「十五分は歩いたわよね。それで見つからないって……どこまで深く進んでいるのかしら」
「大体時速五キロぐらいで進んだから、1.2キロは移動しているはず。どれだけ進んだかより、この洞窟どこまで深くできているんだっていう話だよ。ここまで長いとできるのに時間がかかったはずなのに、誰にも見つかっていないというのが可笑しいだろう」
「……それだけ巨大なものがあるってこと?」
「そういうことだ」
紗雪の疑問に答えながら魔導銃を紗雪の方に向ける。
その行動の意を察したのか首を軽く傾け、そこに躊躇なく引き金を引いた。
光弾が紗雪の後ろに潜んでいたマッドドッグに当たる。HPがゼロになって、犬は紫の煙へと霧散した。
出てくるのは決まって泥のように濁った色の宝石。純度は最悪。撃っても売り物にはならないだろうからすべて放置している。
「あいつ、無事だといいんだが」
「大丈夫よ」
「紗……ブラン」
「あいつはたとえ熊の巣に放り込んでも熊と和解して帰ってくるタイプだから」
「どういうタイプだよ……」
一応心配はしているのだなと解釈する。
しかしここ、変に空気が乾きすぎている。おかげで喉がカラカラだ。水は持ってきている為あまり問題ではないが、やはり何か引っかかる。
「乾いた土……異様に深い洞窟……土が掘られたにしろ掘った土が何処かに置かれている形跡もなし……さ、ブラン」
「いい加減名前間違えるのやめてくれないかしら」
「いや、すまん。どうせあいつに無理やりつけられた名前だと思て」
「概ね当たってるわ……。それで何? ここにいる大型モンスターの性質なら大体想像ついたけど。あと、そのヘンテコ性もね」
「やはりか」
恐らくというか、確実にここに住んでいる大型モンスターは土を食して暮らすタイプのものだろう。
しかも湿った、泥に近い土を。
適度な物を食すタイプなら基本的に植物型のはずだ。しかし異様に湿ったものを食べるのはその両立型と言ってもいい。だがここは地下空間。太陽の光など届くはずもない。なら植物ではない。なら動物としか考えられない。
湿った土を食べているのは栄養面の問題ではなく十中八九体内に水分を蓄えるため。体が必要とするエネルギーは推測だが土のミネラル分などの栄養分で補っているのだろう。ずいぶんと特殊な生物だ。
そして、綾斗が言っていた『デカい亀』。これはその生物のことを言っている。
亀型の大型土食生物。それなら短期間にこれだけ深い穴ができても、違和感はあまりない。
だがそれなら少しおかしいことがある。
「何でここ、こんなに乾燥しているのかしら」
「問題は、そこなんだよな」
そう。体に多量の水分を必要として蓄える亀なら体表面は乾燥を避けるために粘膜を張っているはず。こんな乾燥した空間は好まないはず。それに泥を食べただけでここまで水気が失われることはない。
つまり亀が別の方法、体表面から空気中の水分を吸収する特製でも持っていなければ、ここにはもう一つの生物がいるということになる。
それは土は食べず、ただ土や大気中から水分だけを奪う植物型。
なぜ土を食べないと結論付けたかと言えば、新しく食べられた跡が無いからだ。というより、食べられた跡はすべて同じであるから別の生物が食べたという可能性は低い。
つまり、お互いに水分を必要としながらも乾燥に耐えられるか耐えられないかなどの違いでこの二体は共存できない。なのに同じ場所に居るということ。
縄張り争いが起きている可能性が極めて高い。
仮に亀が負けたとしたら、自分の子もしくは卵を抱えて逃走中のはずだ。万が一の話だが、綾斗を子と間違えて連れて行ったとしたら? それなら食べられている可能性は少ないだろう。
じゃあ勝った方はどうなったという話だが――――恐らくだが、新しく手に入れた縄張りの中を徘徊し、俺たちのような異物が入ってきていないか監視しているはず。
例えば、天井などに。
「…………自分の推理力が怖くなってきたよ」
「触らぬ神に祟りなし。だけどお手柄よ」
首を上に向ける。
そこには、泥に汚れた緑色の犬が居た。
汚い溶解液の涎を垂らし、俺たちの水分、栄養価の高い体液を求めている、体が植物でできた気色悪い化け物が。
【プラント・オブ・ハウンドドッグ 推定レベル49】
「――――お前ら、構えろ!」
まったく面倒臭い奴に出くわしたものだ。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」




