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第二十四話・『■■■』

予定通りの投下。

次からも安定したペースで行きたいものですが……努力します。

追記・誤字と呪文を修正。

 その日の夜、ギルドは宴会のような騒ぎになり本部の酒場は大忙し。

 理由はもちろん簡単なこと。

 『大地の塔』攻略の報酬が爆上がりし、後ほど聞かされた話では援助金も出るそうという話だ。これで高級の支給品が得られ、生還率がかなり上がる。どれぐらいかというと、初心者の生還率十パーセントが十五パーセントになったぐらいだが。

 それだけでなく、食材も豪華なものを仕入れられるようになったのも大きい。食事は軍隊の士気にかかわるほど大事なものである。美味い物を食べれば気分は良くなり、自然と笑顔を浮かべる。

 しかしギルドは広いが、経営している酒場は小さい。理由がごく単純。利用するものがいつもは少数であり、店員も少ないのだ。大体いつもは成果を大きく上げたパーティーが小さな宴を広げるのが普通で、こんな大規模な宴会に手が行き届くはずもない。

 したがって探索者の中から臨時店員として働く者が選び抜かれた。

 俺もその一人だ。実を言うと全く無関係な一般市民だったはずだが、推薦状を受付に渡したのが運のつきというものか「合格するために体を鍛えておけ」という先輩たちからの心優しくもイラッとくる言葉をありがたく頂戴し、こうして強制的に働かされている。

 おかげで最悪の気分だ。


「おいこっちにも早く料理回してくれ!」

「チッ……食いたいんなら自分で運べっての……」


【『安定行動』『高速移動』『オートバランサー』スキルを習得しました。敏捷が2.00上昇しました――――情報軽減のため常時発動型パッシブとしてスキル蘭から削除します】


 後から必要になるのかは疑わしいスキルを複数習得しながら料理を次々と運んでいく。一人で十人分の働きをやらされているのに感謝の言葉の一つも飛んでこない。

 それに最悪の気分になっているのはただ働かされているせいだけではない。

 ここの酒場の取締役――――現在カウンターでカクテルを大量にふるまっている長身で細身の男がこちらにウィンクを送ってくる。


「は~い! リースちゃん、十一番のテーブルにこれ運んでちょうだぁ~い!」

「…………うっ」


 顔は普通に整った美男子そのものだ。声も特に目立つ箇所はない。

 なのに、口調が可笑しい。可笑しすぎる。

 酒場のマスター、ハイベル・コーベットは女に憧れているらしい。女に。女にッ。女にッッ!! そのせいでオカマ口調で、顔とのギャップが酷いことになっている。さらに言えばマスターハイベル、他人を着飾らせるのが大好物らしく、現に俺も無理やり改造されていた。

 メイド服に。


「なんでメイド服なんだぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「え~? かわいいでしょ? いけなかったかしら」

「女に着せるならとのかく男に着せるものじゃないだろ糞がぁぁぁぁぁぁ!!!」


 しかもご丁寧にウィッグ付きだ。傍から見たら俺は妙に中性声の少女にしか見えなくなっているだろう。自分で言ってきて気持ち悪くなってきた。

 自分の親を怨む。なぜに俺はこんなことをされているのか。なぜに皆から「似合っている」などという世迷言を聞かされているのか。死にたくなってきた。


「もうっ、女の子がクソなんて言葉使わないの~」

「女じゃねぇよ! ていうか他のやつらは普通に礼服じゃねぇか!? なんで俺だけメイド服!?」


 俺以外の臨時店員(男)たちは皆スーツ姿であった。皆嫌々と料理を運び、たまに手に取り食べている。

 その男たちの中でも俺だけメイド服。女性の臨時店員も普通のウェイトレス姿というのに俺だけ。理由がわからない。


「似合うんだもの。仕方ないでしょ?」

「なくねーよ!! 似合って無いし着る理由がどこにも見当たらんわ!」


 絶叫しすぎて喉痛くなってきた。

 汗を流しながら必死に弁解しようとするも、カクテルを注がれたグラスを無理やり押し付けてくる。

 ここでグラスをハイベルに投げつけることも考えたが跡が非常に面倒くさそうなのでやめた。もうなるようになれと自暴自棄になりながらカクテルを運んでいく。

 ちらっと十一番のテーブルを見ると、ガタイの良いお産どもが肉を豪快に食っていた。こいつらがカクテル飲むのかよと引き攣った顔を押えながらグラスをテーブルに移す。


「おお嬢ちゃん、お前俺の娘にそっくりだなぁ~」

「……」


 酔ってんのかこいつと思ったら顔真っ赤でべろんべろんになっている。視界が朦朧としていて俺が自分の娘に似ていると勘違いでしているのか。または本当に俺に似ているのか。

 どうでもいいから早く立ち去ろうと踵を返すも、腕を掴まれて引き止められる。


「うぉぉぉぉ! ミーシャよっ! 俺の愛娘よぉぉぉぉぉぉ……」

「んなっ! や、やめろ! ガチでやめろ! 俺に抱き付くな酒臭いんじゃおっさんんんんんんん!?!?」


 完全におれを娘と取り違えたおっさんはデカい体で俺をすっぽり包むように抱いてきた。

 それに生理的嫌悪感を擽られた俺は本能でそのおっさんを投げ飛ばす。


「おろ?」


 撃っ頓狂な声を出しながらおっさんは顔から天井に突っ込み頭部をうずめる。

 ブラ~んと完全に気絶したのか天井に力の抜けたおっさんの体が飾られた。


「はぁっ! はぁっ……」


 一斉に視線を向けてきた奴らに殺気を込めた目で睨みつける。

 すると全員怯えながら視線を元に戻した。なんで俺はこんなことをしているんだ。


「ぷくははははははははっ!! 似合ってるぜリィィィス!!」

「るっせぇ綾……リベルテ! 手前も着たいか!?」

「あ、遠慮しておきます」


 息を荒げながらカウンターへと戻る。そして憎悪の籠った目でハイベルを睨みつけた。


「もう脱いでいいかな?」

「ンも~せっかちな子ねぇ……じゃあ歌でも歌ったらいいわよ」

「う、歌? なんで?」

「脱ぎたいんでしょ? 店員が一人減るんだからそれぐらいしてもらわないと」


 そういってマイクを渡された。「あ」とマイクチェックをしてみたら案の定天井に設置してあるスピーカーから声が出る。ここファンタジーだよな。なんでマイクとスピーカーがあるんだ。魔法と化学は似たり寄ったりということか? 系統が正反対でも辿り着く場所は同じ……なのか。

 しかし歌とは。歌なんて歌ったことほとんどない。知ってるのは、そうだな、「ドラえもんの歌」でも歌うか。


「こんなことい~~~~なぁぁぁぁ!! できたらいーーー~~~~~なあぁぁぁああ!!」

「!?!?!?!?!?」


 ※ここから三人称。

 皆は突然スピーカーから発せられた絶叫に近い奇声に目をひんむけた。

 全員が視線を変えるとそこにはメイド姿の少女がとてつもないほど滅茶苦茶な音程で歌っているのがわかる。原曲を知らなくてもわかる。この少女は誰もが認める音痴だ。


「あんなゆめこんんんんなゆぅぅめ~~~~~~いっぱいあるぅぅぅっっけどおお~~~~~!!」

「ちょっ、結……リース! 歌うな! お前超音痴だろ!?」

「そぉぉぉぉぉお~~~~~~らああああああ~~~~ああああうぅぅうぉおおおおおお!!」

「音程違うしお前絶対覚えてないだろ!? マジやめろ! 超やめろォォォォォォ!!!」

「じゆううぅぅぅぅぅうにいいひひいぃぃぃぃ飛びたいなぁぁぁぁぁああ!!」


 そんな悲観の声はスピーカーから発せられる死神の声にかき消される。

 嘔吐する音を至近距離で聞かされるような気分になった人々は次々と卒倒して倒れる。死神が迎えに来たと泣き叫ぶ人もちらほらいる。この声に名前を付けるなら『地獄からの誘い手ヘル・イン・ザ・グリムリーパー』だろうか。

 結局引き止める声は届かず、歌は最後まで歌われた。

 歌い終えた結城はふぅ、と何かをやり遂げたような顔で閉じていた瞼を開ける。

 ※三人称終わり。


「……え?」


 閉じていた目を開けると、死屍累々が広がっていた。

 ほとんどの者は口から泡を吹いて倒れており、唯一平気なのは辛うじて耳をふさいだ一部の者ぐらいだった。その者たちも膝をついて頭痛に見舞われているようだが。


「えーと、なんだ? 敵でも攻め込んできたのか?」

「き、君……ふ、服はもう……脱いで、いいわよ――――(ガクッ)」

「へ? え、ちょっ……」


 それだけを言い残してハイベルは口から泡を吹いて倒れた。

 一体何があったというのだろうか。


「ふむ、しかし今の歌は結構良かったな。もう一回歌おう――――」

『やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!』

「どうしてだよ?」

「いや本当にすいませんでした! メイド服見て笑ってすいませんでした!」

「もう笑わないんで本当にやめてください死にます今度こそ死にますこめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「いやァァァァァァぁ死神がァァァァァァァぁくるうぅぅぅぅぅぅやイヤあああああああああっっ!!??」


 発狂したように喚き散らす人々を見て俺は若干引いてしまう。

 なんだろうか。俺の底で眠る殺気でも感じ取ったのだろうか。いや、脱いでいいと言われたに越したことはない。素直にその場でメイド服を脱ぎ去り、ウィッグを剥ぎ取り元の服に着替える。なんだかもう宴会は続けられないような状態だったので、軽くあいさつしながら俺はギルドを出た。


「う~ん、どうしたものか」


 なぜ皆が気絶したかわからないまま夜空を見上げる。

 俺たちの世界とは違う、二つの月。それが当たり前のように太陽の光を反射し輝いている。

 思えば思うほど不思議でならない。

 もしかしたらこれは夢じゃないかと思ってしまうほどに。


「……そろそろ分かって来た。……運動の第一第二第三法則どころか、この世界……物理法則のすべてがずれてる」


 今まで可笑しいと思ったことは何度もあった。

 ここで正直に言ってしまおう。俺は前の世界でも飛び道具程度なら生身で避けることはできたし相手の筋肉の動きと力の入り方、物体の質量・速度から慣性を予測計算してどうやって力をかければ最小限の動きで回避できるか軌道をそらせるか、それを可能としてきた。

 なのにここではそれができなかった。

 別に制限があるわけでもない。原因不明であの最初の狼の動きさえまともに読み取ることができなかった。

 何せこの世界――――俺のいた世界とは重力さえ違ったのだから。

 俺のいた世界の重力が1だとするとここは大体0.8程度だ。少し軽く感じる程度。小数点ほどの誤差なら大抵なんとかなるかと思っているものもいるだろうが、細かい計算、更には連続した計算式ではその誤差が放っておけないレベルにまで昇華する。角度で1度ずれたらいずれ辿り着く終着点が大いに違うことと同じだ。

 だからこそ本来の能力を生かせず、結果的にほぼ力任せの戦いを強いられてきた。

 だが今からなら、それもどうにか解決できるかもしれない。

 もうここの物理法則演算式は組み立て終えたのだから。


「さすがに空気抵抗は一緒だったから簡単に済んだからいいものの……本当に、なんでこんなところにまで来てしまったんだ」


 誰もいないはずなのに、愚痴を吐かずにはいられない。

 寝て起きたら異世界に来ていた。今の俺の境遇はその一言にすべて集約されている。他人が聞いたら面白くもない冗談として流されるだろうが、いざ体験してみたら冗談抜きで最悪に近い。最初から情報なしで未踏の土地の地を踏むようなものだ。考えてみろ、ほぼ丸腰の状態で猛獣がうじゃうじゃいる無人島に放り込まれたら生き残れるか? 誰もが無理だという。勿論俺も無理だという。はっきり言って最初狼を退けられたのが俺の唯一の幸運の出来事だったのかもしれない。


「……綾斗、紗雪。すまなかったな……巻き込んで」

「……別に、気にしてねぇよ」

「貴方が謝るなんて、どういう風の吹き回し?」


 後ろから二人が姿を出す。

 どうやら出て行った俺を追いかけてきたようだった。


「俺がお前らを呼ばなかったら……ここに来ることはなかったかもしれない」

「仮定の話だろそれは。それにどちらにしろ長時間行方不明になったら真っ先にお前ん家行くつもりだぜ俺は? 逆にあんなくだらない学校生活から解放してくれて大助かりだよ」

「ぐだらないというのは聞き捨てならないけど、今は聞き流してあげるわ。……結城、これは私たちが突っ込んだことよ。あなたが責任を感じることはないわ」

「……なんだ、急に優しくなって」

「自分のせいで他人に罪悪感持たれるのが嫌いなだけよ」


 二人は言い方はともかく俺を励ましているようだった。そのことにうれしさを感じて苦笑を返す。

 笑うのは、苦手だ。


「さて、私たちが滞在している宿屋があるの。案内するわ」

「……お前ら同棲してるのか?」

「そんな戯言二度吐いてみたらぶっ殺すわよ。別室よ。同じ宿を取っているだけで」

「同棲ならよかったのにな~~~~」

「その時は遠慮なく矢先で脳みそかき回してるわ」

「お前が言うと冗談じゃ無く聞こえるからやめろ……」


 やっぱり紗雪は変わらないなと思いながらも先に歩いていく二人についていく。

 本当に久しぶりと感じてしまう。

 三人で一緒にこうして歩くなんて、ほんの二週間前のはずなのに。


「それで、話してやるよ」

「何をだ?」

「俺たちがどうしてここにきて、どうやって生き残ったかという話だよ」


 少々むかつく顔で綾斗は周囲の人に聞かれないぐらいの小声でかつ俺には聞こえる程度の声でしゃべり始める。

 それは、俺の場合と大差ないぐらいに、危険な物語だった。



――――――



「……うはぁ~」

「これは、酷いわね」


 結城宅に遊びに来ていた二人は同時にこう呟いた。

 それも当然。現在椎奈結城宅は大惨事中の大参事なのだから。窓ガラスは二階部分以外はことごとく割られ、壁には傷だらけで、一階部分では傷のない場所を探す方が難しい。

 更には周囲の人が全員避けて通っている。何ということだろうか。もはやここの周辺は立ち入り禁止区画のような存在になっているようだ。


「あいつ生きてんのかなぁ……殺して死ぬような奴じゃないが」

「何言ってるのかさっぱりわからないわ。殺したなら死んで当然でしょう」

「……比喩だよ比喩! それぐらい察しろ!」

「貴方の口から比喩なんて単語が出てくるとは思わなかったわ。ごめんなさい」

「…………」


 あえて反論せずにチャイムベルを鳴らす。

 しかし鳴らない。よく見たら電線が千切られている。なんともたちの悪い仕業だ。

 現在午後三時。昼食を食べ終え、遊ぶ約束をしていた結城宅に草薙綾斗と柊紗雪は来ていた。前日遊ぶ約束(柊は勉強会。必要かどうかはさておき)をし、約束の十二時を過ぎても待ち合わせの場所に現れず連絡にも出ない結城を心配し、彼の自宅まで自力でどうにか辿り着いた。住所を聞いていたのが幸いしたようだ。

 そして今、拉致の可能性が見えてくる。ここまでひどいと本当に数の暴力で押し切られて拉致されたのではないかと思うほどの惨状だ。


「あれ? 鍵開いてるぞ?」

「ずいぶんと不用心ね。よほど自信があったのかしら」

「こりゃ確かに中から開けられてるな」


 ベルが鳴らないので仕方なく「お邪魔しまーす」という気の抜けた声を上げながら綾斗は中に入る。

 血生臭い。

 まず感じた感覚はそれだった。

 殺人現場。いや、戦場。

 次に目に入った光景はそれほどひどいものだった。

 剥がれた天井壁床隅々まで血だらけになっている。しかもかなり時間が経っており固まっていることも傍から見てわかる。もしかしたら本当に殺されているのではと心配するが。


「……血の色が違う箇所があるわ。複数人の血液よ、これ」

「ああなるほど。ただの返り血か」


 つまりここで殺し合いに近い殴り合いをして、それが無数に蓄積した結果こんな血の空間を作り上げてしまったのか。考えただけでも背筋に冷たい物が感じられる。

 そしてここで二人は気付く。

 あまりにも人の気配がないことに。


「……本当に拉致されたんじゃないかこれ」

「可能性としては、有りね。あなたたち確かほぼ毎日のように暴力団と抗争していると聞いたけど」

「いや、抗争じゃねぇよ。毎回違う集団だ。で、一人二人見せしめに骨折って後は気絶するまでぶん殴ってる。逃げるやつは首に縄かけて引きづり回してヒャッハーしてたぜ」

「酷い絵面」

「お褒めに預かり光栄でございますよ」


 皮肉気にそう返しながら結城の影を探していく。

 リビング、キッチン、トイレ、テラス、倉庫――――どこを探しても無視一匹見つかる気配がなかった。

 さすがにここまで来たら二人の顔色が悪いものへと変わっていく。

 偶然見つけた結城のスマートフォン。それを開こうとしたがパスワードが何かわからず挫折。

 これで残るは二階のみである。

 早速探索、と行こうとしたが綾斗が冷蔵庫であるものを見つける。


「おっ、コーラ発見。ラッキー!」


 大好物の炭酸飲料に食いつき、キャップを開けて即座にそれを飲み始める。

 結城は基本的に炭酸飲料は飲まないので、おそらくは二人のために用意した菓子類の一つであるのだろう。よく見たら棚にはポテトチップスもある。そのさりげない気づかいに彼のやさしさの一片を感じる。


「……」

「なんだ。心配か?」

「私は生徒会長よ。生徒の心配をするのは当たり前よ」

「またまた照れちゃって~。少しは素直に慣れって」

「??」

「……無自覚かよ」


 素直になれないのではなく自覚がない。

 仕方ないのだろうか。

 彼女も、そして彼もまた、結城と同じ『狂ってしまった者』なのだから。

 二人は人気を感じ取れないまま二階へと昇る。

 ギシッ、ギシッ、そんな単純な音が恐怖を掻き立てられる。ここは未知の場所。構造は把握していないしどこに何が潜んでいるかもわからない。慎重になるのは避けられなかった。

 まず階段から手前側の扉を開けようとする。だが鍵がかけられていて開けられない。力づくで開けることも考えたが後から怒られることを考慮すると止めた方がいいだろう。


「こっち、開いてるわよ」

「本当か」


 試しにドアノブに手をかけ捻ってみると、手ごたえを感じた。

 慎重に扉を少しずつ開けていく。

 小さい隙間を作ってそこから部屋を覗き込む。


「誰もいないな」


 何もないことがわかり勢いよく扉を開ける。

 そこにあったのは素朴な部屋。ほとんどがシンプルな無地の家具。最低限しか用意されていない部屋の家具は無機物のように色を放たず、動かない。まるで道端に転がっている石のようだった。確実に愛着などを持たれていないせいなろう。部屋を見れば人の性格がわかるというが、本当のようだ。


「うっわー……なにもねぇな」

「そうね。まぁ、私としては好感が持てるけど」

「マジで? どうでもいいけどエロ本ないかなエロ本。ちょっと机の裏とかベットの下とか……ってベットないな。あいつ布団派か? いや、エロ本探すが先決だな」

「何言ってるのあなた。ここに来た理由覚えてるの」

「いーじゃん。あいつの性癖がわかるかもしれないんだぜ?」


 というわけで綾斗は何かを隠す隙間を徹底的に探し始める。

 反面、紗雪は人が隠れられるスペースを徹底的に洗い出した。クローゼットやタンスはもちろん、屋根裏に繋がる空間さえまでも見つけられた。だが、人一人見つからない。

 その頃綾斗はタンスの下の隙間に薄い本らしき物を見つけた。


「お、エロ本はっけ――――ん?」


 その本の題名は、こちらである。


 『お兄ちゃん、大好きっ!』


 冷や汗が流れる。


「………………ふぅ」


 薄い本をそっと元の場所に戻して深呼吸を。

 俺は何も見てないと何度も言い聞かせるように呟きながら、内心納得する。


「まぁ、あいつほとんど妹の話しかしないからね。仕方ないね! 仕方ないよね!」

「何叫んでるの」

「仕方ないよね!?」

「だから何がよ」


 それはそうと、紗雪はふと気になることがわかり始める。

 ベットがないにもかかわらず、布団がない。

 ではどうやって睡眠をとっているというのだろうか。結城の事だから床で寝るのも想像できるが、さすがに毎日ということはないだろう。そして床にある、何かが長時間置かれ、急に取り払われたように色が違う部分がある。

 つまり、ベッドがあった。そして突然どこかへ取り払われたということ。

 しかしベッドの残骸など今までの道のりで目にもしていない。

 どういうことだと頭を悩ませる。


「本当にどこ行ったんだろう……」

「ま~、あいつのことだ。いつかひょっこり帰ってくるだろ」

「そのいつかっていつよ! 楽観的推測はやめて!」

「いたっ! な、殴ることはないだろ!」


 後頭部を殴られたことで口に含んでいたコーラが床に落ちる。

 後で拭かなければと思いながら、注意深く周囲に目を配る。


「…………?」


 一か所だけ、違和感を感じた。

 なんだろうか。

 激しく燃えている炎の周囲の景色が歪んでいるように。

 たった一か所だけ、異色の違和感を放っていた。空間が歪んでいたのだ。光の屈折などという物ではない――――空気さえもが歪んでいるのが見て判断できた。


「……ん? おい、何やってんだ」

「ねぇ……何かしら、これ」

「――――! おい待て!!」


 とっさに綾斗が紗雪の肩を掴む。

 だが遅かった。

 もう紗雪の指は、その空間の歪みに触れていた。


「ッ――――なんか、やべぇぞこれ!」

「何なの……これは、一体」


 景色が歪み始める。

 白が滲み、空間を上書きしていく。

 体を支えていた床が消え、浮遊しているような感覚に襲われる。

 その自然なら起こりえない現象に自分の目を疑う。

 幻覚でも見ているというのか。


 ――――【まさか、塞ぐ途中のゲートに触れるとはね】

「な、んだ……? 誰だよ、あんた?」


 目の前に突如として現れたノイズの塊・・・・・。それが口を開き、男性かも女性かもわからない声が聞こえる。聞き取りにくいノイズ交じりの声のはずなのに、はっきりと聞こえる。

 その矛盾が常識を壊し始める。


 ――――【君は、椎奈結城の友人たちか?】

「ッ! なんでアンタ結城の名前を……!?」

 ――――【どうやらそのようだね。丁度いい。彼は苦難しているようだ。助けてやってくれ】

「ま、まさかあなたが結城を拉致したの?」

 ――――【拉致……ふむ、似たようなものかもしれないそうではないかもしれない。だけどわかってくれ。仕方のないことだったのだ】


 ノイズの塊は腕を上げる。

 そして、二人の額に触れた。


 ――――【すまない、巻き込んでしまって。君たちはこれから生死の間際を何度も彷徨うだろう。しかしこれだけはわかってくれ。世界のためだと。君たちは世界などどうでもいいと思っているかもしれないが、私たちにとってはそうもいかないのだよ。こちらからの干渉は最低限にしたい。だからどうか、乗り越えてくれ。…………■■■を】


 ほぼ一方的に話を終えられてしまう。

 反論する暇さえ与えられなかった。

 体を水のような何かが包んだかと思いきや――――全てがもう終わっていた。


「…………」

「…………」


 草原だった。

 綺麗な緑色に彩られた草たち、心地よくちょうどいい温度のそよ風。その風により気持ちいい音を立てながら揺れている木々。


「……えっ」


 先ほどまで室内にいたはずなのに、屋外に来ていた。

 何を言ってりうのかわからないと思うが俺もわからない、という顔をして綾斗は急いで手持ちのバッグからスマートフォンを取り出す。

 結果、県外。


「まっ、まさか……俺の底に眠る超能力が暴走して――――」

「ないわよ。本当にここどこ?」


 紗雪は私服のスカートに付着した埃を払いながら立ち上がり、軽くあたりを見回す。

 同じくスマホを取り出してGPS機能により現在の場所を探知しようとするが、駄目。


「ありえないわ」

「どうしてだ」

「私の携帯……衛星通信型なのよ。県外になるなんて完全密室で対電波材質でも使わないと無理よ。それがこんな開けた場所でなるなんて、ありえない」

「衛星通信? それ幾らだよ」

「そうね、オーダーメイドだから五十万は超えるかしら。ま、私が買ったわけじゃないけど」

「え? じゃあそれ誰の……」

「結城が誕生日プレゼントにくれた物よ。さすがに驚いたわ」


 そのさりげない問題発言に綾斗は脂汗を滲ませる。

 誕生日に五十万越えのプレゼント差し入れるとか夫婦でもしねぇよ……! という心の声は空しく反響する。


「……ま、まずはここがどこか情報を集める必要がある。頭を動かすより先に体を動かせ、だ。とりあえず一方公に進んでみるぞ」

「馬鹿ね。どこかわからないからこそここにいるべきよ。様子から見るに人が通らない危険区域っていうわけでもないみたいだし。下手に動かないほうがいいかもしれないわ」

「そりゃ仮定の話だろ。ここでじっとしていたら野生の猛獣に襲われるかもしれないぜ? 俺とか」

「死ね」


 手厳しい言葉を受けながらも綾斗はしゃがみ、軽く地面を掘り起こす。

 手に掬い上げた土を乗せ、それを鼻に近づける。


「……ん?」


 次に軽く指でつまみ、擦る。


(土の成分は確かケイ素アルミニウム鉄分カルシウムカリウムナトリウムマグネシウム酸素炭素窒素水素……それは全部入ってる。だがなんだこの異臭……クロム? マンガン? いや違う。この臭い……掻いた事がねぇ。それになんだこの青い蛍光を放ってる物質は。固体のはずなのに気体みてぇだ。見たこともない、こんな物質)


 一方で紗雪は一本の木に近付き、表面をさする。


(……状態は極めて良好。病気なんかもないし至って正常な樹木。ても……何、このドリルみたいな葉。それに外皮はコルクのように以上に柔らかい。そのはずなのに瑞々しい。サボテンのように水を蓄える貯蔵庫って所かしら。こんな植物、初めて見た。他は普通……いえ、酸素炭素水素意外に異物が混じってるわね。これは…………何かしら)


 二人とも、共通の物質に興味を惹かれる。

 まるで夜に尾を光らせるホタルの蛍光のような蒼い物質。しかしどうやって発生しているのかが全く分からない。もしや未知の物質なのでは、と妄想してしまう。

 その時、ふと遠方からズンという大きな音が聞こえる。

 二人が同時に振り向く。


「……フグルルルルルゥゥルルルルルルルル……」

「「――――――――――――」」


 現れたのは――――まるで無理やり鋼鉄の塊を削って作ったようなあらづくりの巨大な鉈を持つ、牛人間だった。

 そのあまりの非常識な外見に大きく口をあんぐりと開ける。

 そんなことなど知るかとばかりに、二人の視界に現れた牛人間は空へと高く雄たけびを上げた。


「フモォォォオオオオオオオオオオォォォォォオオォォオォオォオオオオオオオオオオ!!!!」

「ぎっ――――」

「――――ギャアァアァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!?!?」


 それに応えるように二人とも悲鳴を上げながら(紗雪はギリギリ抑えたが)同じ方向に走り出す。

 それを見て得物を定めた牛人間は鉈を引きずりながら走り出す。五メートルは楽に超すであろうその巨大はどうして二人が気付かなかったのか。それはあまりにも未知の物質に夢中になり警戒を怠っていたせいだろう。自業自得、なのか。


「ななななななな何!? 何なのアレ!? 牛、いや違うぅぅぅぅ!!」

「みっみみみみみ、ミノタウロスよッ! 頭が牛の巨人!パーシパエーがポセイドンに呪いをかけられて牛にしか性的欲望を抱けなくなって生んだ牛頭! 成長すると次第に狂猛になってミーノース王が迷宮に閉じ込めてテセウスが――――」

「解説は良いから足を動かせコンチクショウ!! 何なんだあれ、なんで神話生物が現実世界にいるんだよぉぉぉぉぉぉ!! UMAか!? UMAなのか!?」

「あんな巨体なら嫌でも見つかるわよそんなこと考えず逃げ切ることだけを考えなさい!!」


 互いに互いをまくしたてながら草原を走る。しかし巨体の割にミノタウロスはよく動き、例えるならマウスのような超弩級戦車が時速三十キロ超で追いかけてくるようなものだ。

 それに対し二人はあまりにも貧弱。そもそも人というのは基本的に時速二十キロ出ればいい方だ。ウサイ○・○ルトなどは例外だが、足の力だけでいえばこの二人は平均値を少し上回る程度。

 ついに距離があと二、三メートル程にまで縮まる。

 刹那、ミノタウロスは鉈を大きく振り上げ、体をひねり一回転させて遠心力を鉈に送る。襲い掛かるのは巨大なギロチン。避けられなければ――――死!


「危ねぇぇぇぇっ!!」

「きゃぁぁっ!!」


 とっさに綾斗は紗雪に覆いかぶさるように彼女をかばう。

 直後鉈が地面を大きく抉る。土がめくれ上がり、衝撃で土による大波が生じる。

 めくれ上がった土の波に巻き込まれ、二人を空中に投げ出されそのまま落ちた。紗雪は綾斗が守っていたおかげか傷は少なったが、綾斗は落下時の衝撃をもろに受けてしまう。灰の空気がなくなり、呼吸にもだ着いて一瞬だが身動きが取れなくなってしまった。


「ばっ、馬鹿! 何やってるの!?」

「ごほっ、がっ……よ、けろっ!」

「へ? ――――ッ!!」


 ミノタウロスが鉈を大上段に構えていた。そして、垂直に振り下ろされる。

 それを見て紗雪はすぐさま綾斗を引きずり横へと全力回避。鉈が綾斗の靴をかすめながら衝突し、近くにあった大木を真っ二つに割り地面を脈動させる。衝撃で爆発が起こり、二人は再度吹き飛ばされた。

 今度は二人とも綺麗に着地する。だがもうこの距離では逃げられないと確信する。


「どうすればいいのよ……これ」

「逃げるにしても回り込まれるの確定だしなぁ~……詰みか」


 そう言いながらも綾斗は近くに転がっていた割れた大木の欠片を手に取る。先端は鋭く、突いたり投げたりするだけなら十分武器としては使えるだろう。紗雪も折れた長い小枝を掴み、水を蓄えるための柔らかい表皮を千切って捻じり弦を作ると即席の弓を作り上げる。強度は怪しいが無いよりはマシだ。ドリルのような葉を千切り、それを木の枝に刺して弓矢も作る。


「だったら、全力で足掻く!」

「偶然ね。同感よ……何もしないで死ぬより、精いっぱい足掻いて死んだ方が万倍良いわ!」


 限界まで勇気を搾り取り、武器を構える。

 無慈悲にもミノタウロスは、一ミリの躊躇もなく鉈を振り上げる。

 弓を引き絞る。投槍のように腕を引き絞る。

 鉈が振り下ろされる――――直前、ミノタウロスの背中から巨大な火の玉が飛翔し、衝突した。


「フゴォ!?」

「はっ?」


 一瞬巨大な火炎放射器でも現れたかと思ったが、違った。それらしきものは影も見当たらない。

 唯一見つけられたのは、目深に黒いローブを被り、木の杖を持っていた人物。見るからに怪しい。

 しかしその人物はフードを脱ぐと素顔をさらしてこちらに手招きして叫んでくる。


「君たち! 早くこっちへ!」

「えっえ、え!?」

「急げ、死にたいのか!?」

「……早く行くわよ!」


 謎の人物に言われるがまま、俺たちは走り出す。

 勿論姿勢を立て直したミノタウロスは追いかけてくる。歩くたびに足元で爆発を起こしている化け物は巨体に似合わぬ速度で突進してきている。間に合うとはとても思えない。


「綾斗、私を担いで!」

「え? 死ぬ間際にご褒美でもあげるてか? ずいぶんと優しくなったものだな氷の処女アイアンメイデン!」

「もう一回その名で呼んだらぶっ殺すわよ! いいから早く担ぎなさい!」


 紗雪は綾斗の首にほぼ一方的に飛び乗るや否や、背中をブリッジのように曲げて後方へ矢を向ける。

 ギリリと弦を引いて照準を合わせようとするが綾斗が揺れていて中々定まらない。


「もう少し穏やかに走って頂戴!!」

「無理言うな!? 俺は忍者じゃないんだよ!」


 体を揺らさず走るなど至難の業。

 そんなことをただの高校生である綾斗ができるはずもなかった。


(っ……安定翼もない矢に過振動という悪条件のハンデ――――上等)


 左目をつぶり、右目を限界まで見開く。

 瞬間、視界が鮮明化と共に拡大。風に揺れる草や虫一匹の羽の振動回数まで見える。

 紗雪はある事件から『観る』ということに特化した目を持ってしまった。特異体質ではないないのは確かだが、とにかく一キロだろうが十キロだろうがはっきり見えるのだ・・・・・。視力は測定不能。故に学校の部活ではその才能を生かすために弓道部に入った。当然その実力は文句なし。問答無用の百発百中である。

 この程度の悪条件を覆すなど、簡単すぎて欠伸が出る。

 不完全ながらも実戦使用レベルまでこぎつけた仮組の弓から絶対必中の矢が放たれる。

 放たれた矢は吸い込まれるようにミノタウロスの額に命中。表面の皮膚に刺さっただけであるが、怯むには十分だ。今だ走れと足で綾斗の顔を蹴って走らせる。


「ぐおっ……てめっ、いい加減降りろ!」

「嫌よ。速く走りなさい」

「チッ、お前たしか体重がぁぁぁぁぁぁ!? すいません冗談だから首取れるぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 何やかんやでギリギリローブの人物の元までたどり着いた綾斗は倒れるように地面に倒れる。

 紗雪はすぐに飛び去り綺麗に着地。木から葉っぱを千切り弓矢を急造していく。

 その過程の中で――――ローブの人物の杖の先から光る文様が発生した。

 初めはホログラムか何かと思ったが、すぐに違うとわかる。その文様から巨大な火の玉が数個生成され、ミノタウロスへと飛ぶ。そして命中。それによりミノタウロスの怒りは頂点に達したのか、体が赤く光り始める。

 それらの光景が理解できなかったが、酷く悪い状況だということはわかった。


「くそっ、ジャイアントタウロスめが……あいつ等はまだ到着ないのか? 信号弾は撃ったぞ?」

「あ、貴方は、一体……?」

「そりゃこっちのセリフだ餓鬼ども。ここは危険区域でBクラス探索者以外は立ち入り禁止だぞ? どうやって入った。衛兵の目をごまかすにもレベルはそんなに高く見えないし……火事場泥棒の盗賊ってわけでもなさそうだな」

「き、危険区域? ここが!?」

「……どうやらただの迷子らしな。どこからこの平原に入ったのかは知らんが隠れてろ。あれはお前らの叶う相手じゃない」


 意外とダンディな素顔の男は嫌な笑みを見せると綾口で何かを唱えていく。それは呪文か何かのように思えたが、伊那の時代そんなオカルトめいたことをするやつはほとんどいない。

 なのに、なぜだ。

 オカルトのはずなのに、なぜこんなことが現実に起こっている。





「《再現す(Multiplica)るは炎(mini et fl)、秘め(ammis, Occ)られし(ultus res )物は爆(Hazel Shi )ぜる力(vis. A spi)四大(ritibus ex)元素の(quatuor el)精霊よ( ementis, )私に(non vis mi)力を与(hi. Vim ma)えん。捧(gicam trib)ぐの(utum. Hoc )は魔の(est quod a)力。奇(miracu)跡を再(mo, lum r)現せよ(eferunt.)》。《劫火球フランメスフィア大炸裂性質付与エクスプロージョンエンチャント/三連撃バースト》」







 今度は三つの文様が浮かび上がる。

 そこから巨大な火の玉が生成されるが、先ほどのより赤く、熱い。しかも中心に脈動する何かを秘めている。一発でやばい物体だと直感で悟る。

 男は「行け」と手短に命令すると、三つの火球はそれに応じるように前方に加速。

 避ける暇さえ与えず、爆発する火球を三回も受けるミノタウロスはまるで案山子だ。回避しないとは、でくの坊にもほどがある。


「ふむ、もう来たのか」

「え……?」

「さすが毒のスペシャリストということか。姿を見せないところは本当に徹底してる」

「な、何が」


 口ぶりからあのミノタウロスは毒を受けて動けないらしいが、いつの間に。何かが飛んで当たったようなことはなかったし、何かいるなら紗雪の『目』で見えるはず。存在さえ隠蔽するほどの存在が、そこに存在しているというのか。


「――――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「よし! ナイス連携!」


 空から獣のそれかと疑うほどの雄叫びが聞こえる。


「親方! 空から黒人の筋肉モリモリマッチョマンが!?」


 と綾斗が叫ぶほどの黒人の巨漢。どれがどういう方法を使ったのは知らないが空から降ってきたのだ。

 それをなんも不思議に思わないローブ男。それがまるで当然かというように見ている。

 黒人は手に持っていた巨大な両手剣を、ミノタウロスの脳天に突き刺す。しかし脳にまではは届いていないようで、逆に刺激して暴れてしまい黒人は振り落とされてしまう。だが表情は笑顔だ。

 それが狙い通りだったかのように。

 目を凝らすと、空中にもう一人人がいる。しかし落下している様子はない。むしろ浮遊している――――!?


「《大いなる雲よ、我が言葉に応え現れよ。造られよ。さすれば汝の求めし魔の力を与えん》」


 その人物は小さくながらも皆に聞こえる声で何かを唱えていた。

 まるで中学生が考えたような呪文を。


「ほぉ……剣を避雷針代わりにか」

「はぁっ!?」


 言っていることが無茶苦茶だった。

 第一、雷などを人力で起こすなど徹底的な準備でもしていなければほぼ不可能。専用の機材でもないと人工的にも作るのは難しいのだ。今来たばかりの人間にそんなことができるはずがない。

 普通ならば。


「《吹き荒れるは冷たい突風。その中で作られるは水と巨大な光。地上への光を遮るものよ、今こそ、その力を放たれん――――》」


 空に大量の雲が集まる。

 大量などという生易しい言葉で表していいものやら。

 積乱雲が、普通の数倍もの規模の積乱雲が、上空に生み出されていた。

 その意味の分からない光景に、ついに脳が理解を拒否する。


「《雲の王よ! 大いなる雷光の鉄槌を、地上へ降ろせ! その雷光、断罪の光にして最強の矛!》」


 積乱雲が唸りを上げ、中から大量の稲妻が散る。

 雲全体が爆発するように弾け、圧縮し、その際に発せられた数十本もの稲妻が一点に収束する。

 そして――――堕ちた。



「《雲王槌キュムロニンバス雷光罰災ライトニングディザスター》ァァァァァァアアアア!!!!」



 通常では起こりえないほどの巨大な稲妻がミノタウロスの巨体をあっさりと包む。

 地表が吹き飛び、空気が爆ぜ、音が鼓膜を揺るがす。

 もう意味が分からない。

 超常現象の連続に目が回る。脳が一切の情報をカットしようとするがそうもいかない。

 二人は狼狽するどころか一周回って気持ちの悪い笑みを作り小さく笑っていた。

 これは夢だ。そう、夢なのだ。そんな趣旨の妄言を吐きながら――――気絶した。


「えっ? え、あ、お、おい!?」


 最後に聞こえたのは、ローブ男の心配するような声だけだった。

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