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第二十一話・『悲劇への楔』

修正完了。

「ふぁ~~~~……あー、眠い」


 聖杯騎士団・・・・・・騎士団長特別個室。

 豪華な装飾が施された家具や、かの有名画家が描いた絵が華麗な額縁に飾られたその部屋は、下手な貴族さえ舌を巻くほどのものだった。

 それは当然だろう。

 ここに特別発注部屋は最大最強国家『アースガルズ』その経済の七割以上を支えている貿易首都であるヴァルハラの防衛戦力及び騎士団としての地位、そして規模共々世界でも類を見ない最高峰の騎士団『聖杯騎士団』の総軍師にして騎士団長、エヴァン・ウルティモ・エクスピアシオンの私室でもあるのだ。

 公爵でさえ頭が下がるほどの権力を持ち、唯一国王と同等の立場でいられる彼は――――とても暇を持て余していた。

 普段なら傘下の副団長や騎士団随一の悪餓鬼ロートスが問題を起こし、いつもその始末に追われる毎日だったが、その悪餓鬼は現在入院中。副団長も有給中である現在、騎士団はとても落ち着いた状態であった。

 一言でいえば、平和。

 始末書に追われないのはエヴァンとて満更でもないのだが、それとこれとは話が違う。

 基本的に騎士団長という立場のせいで、めったに外へ出られない。万が一暗殺や敵勢力に襲い掛かられたら溜まったものではないのだ。彼一人で師団数個分以上の戦力があるため、国のとってその損失は大打撃。実質聖杯騎士団の戦力は半減どころか激減。そんな立場なので、外に行こうにも許可がいるし、更に大量の騎士団員を同伴しなければならない。

 面倒臭いの限りである。

 これが現在の人類最強の境遇であり、普通なら国王に文句の一つで持たれるところだ。


「……ったく、『工房』から送られた受取人が、まさか最高責任者プレジデントだったとは。おかげさまで、世界最高頭脳の顔が拝めたというか……」


 一日前、依頼を受け部下が回収した謎のメモリーを受取に『工房』からある一人の科学者が贈られた。

 受取人様の捨て駒だと思い、適当に安物のお茶を出してさっさと帰ってもらおうとしたが、その受取人はなんと『工房』の最高責任者の一人であった。

 まさか超重要人物が自分から出て来るとはだれも思わないだろう。

 おかげで「お前は客にこんな美味いお茶を出すのか?」という完全に皮肉ったありがたい御言葉を受けた。このせいで次からはどんな客であろうと高級紅茶を出すことになってしまうとは。


「プロフェッサー・アダム……プロフェッサー・イヴと並ぶ頭脳、ねぇ……あんな子供・・が」


 プロフェッサー・アダム。

 『工房』の最初期メンバーにして頂点に立つ最高責任者の一人にして、とある一国を任されている天才。その者についての噂は良いものから悪いものがいくつも上がっている。当然、闇の世界でだ。

 そもそも彼の存在は国王と騎士団長にしか明かされていない。つまり最高機密でもある者。面談は当然というかやはり国王と騎士団長にしか許されない。

 と言っても、エヴァンがアダムに会ったのはこれが初めてなのだが。


「全く……プロフェッサー・イヴは今頃どこほっつき歩いているのやら」


 代わりにプロフェッサー・イヴには会ったことがある。

 数えるぐらいしか会ったことがないが、それだけで十分好感が持てる人物だとわかった。なぜ彼女が闇の最深部に居るのかは知らないが、それでもあのアダムとやらよりは友好関係を築ける。

 更に、付き合い辛い理由はアダムの外見も関係する。

 彼の外見は、たった二十代前半の青年であった。イヴは熟女めいたグラマラスな感じで、性格口調も外見にピッタリなものだったが、アダムは最悪なことに若い外見で性格がかなりキツイ。ロートスに引けを取らないほどだ。こういうクソガキはエヴァンにとってかなり付き合い辛い人物だった。

 あれで二百歳以上・・・・・だというのが、悪寒をそそってくる。


「ま、俺が言えることじゃないんだが」

『――――団長、いますか』

「……レヴィか」


 声をかけると、部屋に一人の女性が入ってくる。

 髪は相変わらず紅蓮に輝いており、体に小さく湯気を纏っていることから風呂上がりだということがわかる。そして来ている寝間着は赤のTシャツに短パンと、普段着のようだ。何かあったらすぐに外へと出られるようにだろうか。


「ははっ、もうすぐ三十路だというのに色気ないな」

「団長がそういうなら、次からはランジェリーを――――」

「冗談だ真に受けるな。普通でいい」

「そうですか」

「全く、冗談が通じないというか……今日の下着の色は?」

「黒です。見ますか」

「結構だ。あと真面目に答えるな……他人の前では絶対にやるなよ」

「それは『俺だけを見ろ』というメッセージとして受け取ってよろしいのですか?」

「なわけあるか」


 どこかずれているレヴィに頭を傷ませながら、彼女を椅子に座らせる。

 話を進めるだけでこのあり様だ。長話の時はこれよりもっとひどいというのが信じられない。


「それで、何か用か? 特に約束はしていないと思うが」

「……切実に、頼みがあって参上いたしました」

「敬語はいい。今は仕事じゃないからな」

「プライベートでも、上司に対して敬語を忘れないのが私のポリシーです。話を進めても?」

「どうぞ、ご自由に」


 そう促すと、レヴィはどこか嫌悪感の混じった声でこう言い放った。


「ロートスを、ロートス・エリヤヒーリッヒを解雇してください」

「…………な、……は?」


 その声に対し、エヴァンはかなり不機嫌な声で返す。

 しかしレヴィも不機嫌になられるのを覚悟しての事だろう。額に汗を滲ませながら言葉をつづける。


「彼は騎士に向いていません。壊滅的に。はっきり言ってしまえば、そこら辺の破落戸に力と権力を握らせているようなものです。今回も彼の戦闘今日の一面が暴走し、任務を失敗しかけました」

「……いつもの事、と言い返したいが」

「ええ。確かに彼が暴れるのはいつもの事です。抑えようとしたらその反動が返ってくる。それが問題なんですよエヴァン騎士団長。彼は騎士であるべきではない。貴方が彼に『プルート』と『パニッシャー』を与えたのも、私には理解できない」

「……」

「だからどうか、彼をもう解雇してください。これ以上悪評が広まったら、民衆からの反発や批判が――――」

「レヴィ」


 続こうとした言葉を一言で一刀両断し、エヴァンは困ったような顔をしながらレヴィを見据える。

 優しくも厳しく、しかし団員には比較的甘やかしてしまうエヴァンの瞳には、小さな怒りが灯っていた。さすがに少々怒ってしまったのだろう。


「確かにあいつは超の付く問題児だ。だがな、それを正してやるのも騎士の役目だ。あいつが生まれつきの戦闘狂であろうが、それを正してやるのが俺たちの役目でもある。あいつのような破落戸なんてこのヴァルハラに何十人、いや何百人いると思う?」

「そ、れは……」

「俺があいつを預かったのは、どんな狂気に陥った子供であろうが正せるということを証明するためだ。ロートスを解雇するということは、お前は俺の望みを正面から折りにきているのと等しい。ついでに言えば、あいつあれでもかなり丸くなった方だぞ? 昔なんて敵味方区別なく無差別虐殺なんて日常茶飯事だ。……あいつだって少しずつ真っ直ぐになろうとしているんだ。少しは大人としての器を見せてやれ」

「……しかし、私は」

「騎士団のことを思ってくれているのなら、俺も感謝する。だが一人の人間の善悪、民衆の小さな批判。どっちが重要だと思う? 天秤にかけるまでもない。要はそういうことだ、社会的地位なんていくらでも取り戻せる。……すまないなレヴィ。お前の意思を汲んでやれなくて」

「……私の方こそ、申し訳ありませんでした。団長の意思を察せなくて」


 互いに頭を下げて、話は収まっていく。

 ロートスは騎士団一番の問題児。騎士からの不評が集まるのも承知の上で、エヴァンは彼を下に置いていた。自分の小さな望みを叶えるために。


(公私混同するとは……俺も焼きが回ったもんだ)


 自嘲しながら頭を上げて、レヴィの頭も上げさせてやる。

 その時彼女の顔が紅潮していたのは、おそらく気のせいだろう。


「それで、用ってのはそれだけか?」

「あ……だ、団長、その……来週の日曜の夜、空いていますか?」

「ああ。特に何もないが」

「なら、私と食事を、一緒にしていただければ……」

「……ははは、デートのお誘いなら歓迎だ。じゃあ、来週、良い店を知っているから――――」


 そんなこんなで楽しく会話をしているとき、雷鳴のような叫びとともに一人の兵士が部屋に飛び込んできた。レヴィは心底不機嫌な顔をするが、それを押しとどめてエヴァンは息を荒げる兵士の話を聞く。


「たっ、大変です!!」

「どうした、何があった?」

「ひ、飛行船が…………!」

「飛行船が、どうした」


 兵士の目からは、ありえないものを見たという感情が読める。

 実際に、兵士は次にこんな言葉を叫んだ。


「大型飛行船が、こちらに向けて落下してきています!!!」

「……なんだと!?」

「エルフェンから来訪しようとしていた豪華客船が! 全長五百メートルの大型飛行船が今、最大船速でこちらに落下してきているのです!! 全力で魔術師たちが迎撃していますが、その質量ゆえに効果は無し! 至急重要人物からの避難を開始しろと上層部からは命令が……!!」

「原因は」

「詳細はまだ解明されていませんが、煙が上がっているのでおそらくエンジンの暴走か爆発かと……内部からは止められる術がないと思われ、更に通信を全く受け付けない状態であります!」

「……平和だと思ったらすぐにこれだよ。クソが……おい」

「は、はっ!」


 過呼吸気味なのか、顔色が不穏な兵士はそれでも倒れずエヴァンにこの情報を伝えに来てくれたのだろう。そのことに敬意を表し、エヴァンはこう伝えた。


「特別通信を許可、上層部にこう言え。『避難の必要はない』、ってな」

「え!? し、しかし」


 部屋のでっぱりに吊ってあった自分のコートを取り、それに腕を通しながらエヴァンは言った。


「俺が出る」



――――――



「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 現在飛行船は高速で曲軌道を描いて落下していた。

 その際に生じる衝撃波や強風もろもろが顔に叩きつけられ、誰も彼も悲鳴を上げている。

 船の中に避難しても意味がないことぐらいはリーシャ達もわかっている。

 止める術もないということも。


「ど、どどどっ、どうするんだ! どうすればいいんだ!?」

「止めるには、何か強力な推進装置がないと……そんなものあるわけないよね!?」


 もはや抵抗もできずになすすべもなくこのまま死ぬしかないのか、そう思った時だった。

 船体の全貌から爆発が起こる。


「何だ!? まさか燃料タンクに火が……」


 ヴィルヘルムの予想は大きく外れていた。

 なぜならその爆発は――――此方に飛んできた火球によるものだったのだから。

 つまり魔法が襲ってきているのだ。


「な、なんで魔法が……まっ、まさかッ!!」


 そのまさかだった。

 ヴァルハラに今墜ちようとしているこの客船を、おそらくこの国に所属しているであろう魔導士たちが焼き払い消し飛ばそうとしているのだ。中にいるであろう船客たちごと。

 人道的には外道であるが、現実的には一番手っ取り早く被害を軽減させられる手段だった。

 当然船客たちの意思など考慮されていない。

 死人に口なし。大を助けるために小を切り捨てようとしているのだ。


「くそっ、何つーやつらだ! せめて救助活動ぐらいはしろよ!」


 悲痛な叫びが木霊する。

 ごもっともだ。救助活動もせずに一方的に放置されて処分されるなどこちら側からしてみれば溜まったものではない。

 と言ってももう後数百メートルでヴァルハラに着地する。四の五の言っている暇など与えられないし判断などもできない。あちらもこっちを破壊するしか手が無いのだ。

 手詰まり。もう死を覚悟した皆は、次の瞬間信じられないものを見た。


疑似重力フェイクグラビティ……斥力発生リパルション!」


 船体が大きくガクンと揺れる。

 リーシャがすぐに自分の膝元を見る。

 結城が、目覚めていた。

 血だらけの体を無理やり動かし、腕を上げ、その手はイリュジオンを握っていた。


「オーケーオーケー……クソが、ようやく言うこと聞いてくれたか」

「リ、リース? どうやって起きて――――」

「そんなことは今、重要じゃない。早く、しないと……これももう、長くは持たない」


 よく見ると、結城の手は異様に震えていた。

 まるで今にも反対側に行きそうなレバーを必死に掴んで逆側に引っ張っているような、そんな焦りが感じ取れる。誰の目にもかなりギリギリな状態だということを理解させるほどの重大。そもそも彼の体は現在限界に近い。意識的にも肉体的にも、持って後数分だろう。

 結城は立ち上がるが、その姿はとても弱弱しく見える。


「いいか、斥力場はあと五分で限界だ。理由は俺のMPが切れていて、HPも今現在かなりの勢いで削れているからだ。みなまでは言わないがとにかく早く船長室に行って推力を逆噴射させろ」

「それが、できないんだよ」

「……まさかエンジン全て爆破されたから、なんて言わないよな」

「その通りだよ! 逆噴射なんてもうできない。だからこのまま落ちるしかない……!」

「なるほどな……じゃあ、非常用つーか……姿勢制御用推進器、それ全部前に向けて噴射しろ」

「姿勢制御用って、は!?」


 確かにこの大きさの飛行船は細かな制御姿勢のための推進器が数十個は搭載されている。

 もしエンジンが数個停止しても運用できるように魔力ではなく特殊推進剤を使用したもので、この状況でもパイプに損傷が無ければ運用は可能だろう。だがそれで、この客船の落下を止めるなどという発想を疑うのは、結城以外の精神が正常な理由になっている。


「冗談なら、もう少しまともなものをしてくれないかなリース」

「別にこの客船をんなちゃっちなもので押し返そうとしているわけじゃない。もし、俺の斥力場でもこの客船を『停止』させられるようになるまで、減速させるだけだ。そうすれば少なくとも三分は稼げる」

「……お前、何をするつもりだ」

「時間がもったいないんだ。早く行け!」


 叱咤するように言うと、真っ先にヴィルヘルムは船長室に走り出す。

 続いてリルも走り出したが、リーシャとアウローラだけはこの場にとどまっていた。


「……リース、死ぬ気なの?」

「お前らも早く行け。時間が勿体ないって言っているだろ」

「……嫌、だ」


 二人は言うことを聞かず、結城の体にしがみつく。

 そして引きずろうと試みる。だが結城はそれを許さなかった。


「行け!」

「きゃっ!」

「……っ」


 残りの力を振り絞って結城は彼女らを弾き飛ばす。

 さらに斥力場を自分の周りに発生させて、誰も近づけないようにした。


「リース、駄目っ!!」

「やだ、やだやだやだ……!!」

「もう行け、行ってくれ。……飛行船が停止したら意地でも四分稼ぐ。脱出艇全部使って脱出しろ」


 それでもと二人は斥力場を壊そうと叩くが、無駄だった。

 もはや結城の独断は誰にも止められない。彼はとっくに覚悟を決めている。

 死んでもこいつらを助ける、という覚悟が。

 その時、飛行船が大きな爆発を起こした。その揺れは大きく――――二人と結城の間に超えられない亀裂を作るほどのものだった。


「!?」

「……運命さまもこう言ってる。早く、行け。……頼む」

「――――ッ、どうして……!」


 リーシャはもう無駄だとようやく理解したのか、アウローラを抱えて離れて行ってしまう。

 アウローラも抵抗したが、残念ながら彼女はレベルたったの1。四十台に達しているリーシャの手から逃れられる道理など存在しているわけなかった。

 やがて結城は一人になる。

 大きくため息を吐くと。イリュジオンを杖にして立つ力を得ると、両腕に意識を集中する。


「……もう、いいや」


 目を瞑ると、微かに意識が遠くなる。

 危惧して急いで首を振り意識を確かなものにすると、目を大きく開いて、ヴァルハラの住宅街を眺める。そしてこちらに絶え間なく飛来してきている火球も。


「……来たか」


 船体がもう一度大きく揺れる。推進剤を吹き出したのだろう。ゆっくり落ちていた船体が今度は完全に停止した。

 その二分後、船体の側面から脱出艇が排出される。

 ペースは遅めだが、確かに脱出していた。船内にはどれぐらいの生存者がいるのはか知らないが、それでも大量に残っていたのは確かだろう。後二分で全員脱出できるかどうかは、不確かだった。


 ――――大丈夫? 今にも死にそうだけど。

「……大丈夫に見えるか? まぁ、いいさ。今は」

 ――――本当に死ぬ気のようね。私の意思は反映されないのかしら。

「生きたいなら、俺の体を乗っ取れよ。その場合、あいつらも死ぬがな。……お前にとっても、アウローラが死ぬのは不本意だろう? なら黙っていろ。……安心しろ。心配せずとも、生きられるなら生きようとするさ」

 ――――べ、別に心配していないわよ! ったく……現身の再生能力が無ければとっくに死んでいたくせに。


 現在結城のHPは大きく上下を繰り返している。

 大量の損失と回復が同時に行われているせいで彼の脳内は悲鳴を上げていた。言うならば激痛の連続。損失と再生、どっちにも激痛を伴うのだから、彼がどれほどの痛みを受けているのかは想像できない。


「後悔は、している」

 ――――だけど、それ以上に嬉しい。

「誰かのために……仲間のために、命を、捨てられる。……十分すぎだ」


 二分経過――――脱出艇の射出が終了したと同時に、斥力場が消滅する。

 結城も、体力の限界に達して崩れる。

 イリュジオンは未だに床に刺さったままで、まるで主人を見下ろすような構図だった。

 落下が、再開される。

 最後に飛行船がこれまで以上に揺れ、結城は空中に放り出された。


「……これで、いいんだ」


 冷たい空気が全身を擦る中、目を閉じる。

 これでもう、いい。もう、疲れた。


(……寝よう。それが、良い)



 ――――駄目ダヨ、勝手ニ死ンダラ。



「――――――――ゴハッ!?」


 胸に、何か大きなものが突き刺さった。

 何が起こったのか理解できないまま、視線だけを下に向ける。


『――――イヒッ』


 悪魔が、そこにあった。

 黒き剣の形をした、双頭剣ツインブレードを模した、悪魔が。

 口角を大きく歪め、不気味な笑顔で、結城を見下ろしていた。


 ――――マズッ――――結城早く抜いてぇっ!! このままじゃ――――あ、ァッ。

「…………が、ッあ―――――」


 その時結城は、何か黒いものに、包まれた。

 

 


――――――




 場所は変わって、現世・・

 結城宅――――可笑しなペイントやら落書きがされ、窓ガラスさえ割られてガラクタ同然となった自宅を見て、椎奈優理は何を思うだろうか。

 衣服や日用品が入ったスーツケースを片手に、家の呼び出しベルを押す。

 壊れているのか何回押してもベルはならない。よく見れば電線が着られている、なんと性質の悪い悪戯のだろう。

 自分のいないところで兄がこんな目にあっていると思うと、自然と胸が締め付けられる。

 そう、美しいと言っても言い足りない黒く水のような髪。体のラインは細く滑らか。モデルとしても通じるであろうその整えられた体に、美人と言っても過言ではない顔立ち。顔からこの少女が、心の底から人を心配できる人間だと見抜くのはそう難しくはないだろう。

 椎奈家の長女優理はたった今空港からタクシーで実家に帰ってきたところだった。オーダーメイドのスーツに身を包み、その服装が周囲の人の目線を固定させる。彼女の立っている家を見るとすぐに視線を戻してしまうが。

 成績優秀、八方美人、完璧超人、そんな優理の実家がこんな幽霊屋敷じみた家などとは誰に言っても信じないだろう。


「……お兄ちゃん、何してるの?」


 恐る恐るドアを引くと、スムーズに空いた。

 鍵が壊れている様子はないので、おそらく外からあけられたのだろう。鍵をかけないほど無用心――――いや、兄はそこまで馬鹿ではない。事実、優理自身より優れているのだから鍵をかけ忘れるなんて真似はしない。

 つまり、何者かが合鍵か何かで開けた、という結論に至る。

 まさかと思いながら、家の中に入ってみる。

 殺人現場。

 そんな言葉が似合うほどの現状だった。

 誰かのかもわからない血が四散しており、床や壁はあらかた剥がれている。殺人現場というか、大人数で抗争でも起こしたような有様だ。そんな場所が、優理に嫌な妄想を加速させる。

 人の気配がしない。

 幸い汚れていたのは玄関付近だけのようで、リビングなどはほとんど傷はついていなかった。

 ただ、リビングに置いてある広いテーブルの上に誰かの携帯が置かれていた。最新型のスマートフォンである。もしかするとと手に取り、電源を入れる。当然パスワードを入れなければならないが、あの兄の事だ。十中八九妹の誕生日を入れているだろう。

 優理の予想は的中。最新型のくせにかなり少ないアプリが出迎える。もともと無駄なことぉお好まない兄なのだからそれも仕方ないとはいえる。

 気まぐれにメールボックスを除くと、意外にもかなりの数があった。柊、草薙――――どちらも知らない苗字である。


「そっか……お兄ちゃん、友達できたんだ」


 結城は友人や知人を作ることに酷く消極的であり、はっきり言ってしまえば高校生になるまで友人と呼べるものが一人もいなかった。一匹狼もいい所だ。

 それでも自分のいない間に友人を作れていたのだから(二人だけだが)少しは安心すべきだろう。

 小さく微笑む優理は、兄のメールの内容が少し気になり軽く覗いてみる。


【20XX年/X月XX日・From/草薙 件名・今度遊びに行っていいか?

 俺お前の家行ったことないから、たまには行っていいだろ。

 ちなみに柊も来るってよ。そこら辺よろしく。今週の休日に】

【20XX年/X月XX日・From/柊 件名・ただの偵察よ。

 別に遊びに行くわけじゃないわよ。あなたが不衛生な生活をしているかどうか確かめるだけだから。

 生徒会長として一人の生徒を心配しているだけよ。変な気は起こさないでちょうだい。

 出すお茶は紅茶を希望するわ。濃い目の。ミルクも用意しておいて】


 普通に友人とコミュニケーションをしているらしい。まさか生徒会長とまでパイプをつなげているとこは予想外だったが、悪いことではない。

 それに対し、兄の返事はこのようなものだった。


【20XX年/X月XX日・宛先名/草薙 件名・無

 承知した。あまり期待はするな。

【20XX年/X月XX日・宛先名/柊 件名・無

 お前は上から目線で物を頼む奴に贅沢な物を差し出すのか。残念だが粗茶しか出せない。すまないな】


「……き、キツイなぁ~」


 やっぱり変わっていないようだ。

 いや、返信しているだけで十分丸くなったと思っていいのか。


「でも……なんで携帯がここに」


 携帯を家に置いているということは出かけていないということ。先ほど確認した限り靴もある。

 なのに、気配が一切感じられない。

 耳を澄ましても呼吸音さえ聞こえてこなかった。

 拉致の可能性が見え始める。そんな考えは振り払うべきだと首を振るが、それでも妄想が頭から離れない。

 気を取り直してスーツを脱ぎ、普段着に着替えると家の二階に上がる。

 古くなった床が軋む音に喉を締め上げるような圧迫感を感じながら、あたりを見回しながら記憶が確かなら兄の部屋である部屋をノックする。


「お、お兄ちゃん、いる? 優理だよー」


 急な帰国のせいで連絡さえまともに入れられなかった。おかげで一種のサプライズとして兄をびっくりさせようとした魂胆だが、残念ながらそうもいかなさそうだ。

 返事が返ってこないのでドアノブに手をかける。

 暖かい。まるで先ほどまで誰かが触っていたように。

 息をのみ、ドアを開ける。

 ドアの向こう側には、素朴な部屋があった。箪笥があり、クローゼットがあり、本棚があり、机がある。最低限の家具しかないその部屋は住んでいる者の性格がわかるというが、本当だろうか。

 殺風景な部屋は今や廃墟に似た不気味さを醸し出しており、思わず身震いする優理であったがここで突っ立っているわけにもいかない。消臭剤の効いた部屋の中に入り、兄の面影がないか探す。

 その努力空しく、何も見つからない。

 見つかったものといえば、何かの液体がこぼれた後ぐらいだ。

 興味本位でその期待を指につけ臭いを嗅いでみる。


「……こ、コーラ?」


 兄はコーラなど飲まない。本人曰く「炭酸が気持ち悪い」らしいので、まずよほどのことが無ければ飲むことはない。つまりは、兄以外の者がここに立ち寄ったということ。よく臭いを嗅いでみれば、かすかに女物の香水の匂いも感じられる。


「一体何が……どうなってるの」


 判断材料がなさ過ぎて状況把握が不可能だ。

 微かな違和感。それが今更やってきた。


「……ベッドが、ない?」


 そう、他の家具はあるのに、ベッドはない。

 さすがに兄といえどベッドを売り払って床で寝るのはない。証拠に、最近までここに何かがあったというように、埃が長方形状にごっそりなくなっている。たしか兄のベッドは解体でもしない限りこの部屋からは出せないタイプ。兄に気付かれずベッドだけ解体して持って行った? いや、金目のものは無くなっていない。じゃあ兄の拉致? しかしベッドを解体する理由がない。コーラの意味とは。


 ――――クスッ、フフフフハハハハハ。


「……え?」


 急にどこからか声が聞こえる。

 男か女かもわからない、そんな声が。

 空間が、割れた・・・

 そんな表現がピッタリなほどの現象だった。部屋全体に皹が入り、割れる。割れた場所の向こうからは、白い空間があった。

 見たこともない超常現象に脳がついていけなく、その場で棒立ちになってしまう。

 部屋という光景から、何もない白い空間に自分が経っていると認識できたのは数分後だった。

 優理の前に、人の形をした黒い『影』が現れる。


「な、なに、何なの……これ」

『あっはっははは! まさか善神の作ったゲートが役に立つとはねぇ』

「……あなたは、一体!?」


 優理がそう問いかけると、『影』は口元を釣り上げて、無邪気ながらも凶器に満ちた顔をする。

 瞬きする間に優理の目の前に現れ、『影』は優理の口を片手でふさぐ。


「――――!?」

『いやぁ、残念だったね妹ちゃん。君のお兄ちゃんはもうあそこにはいないんだ』

「!!!」

『だからさぁあ、僕が君のお兄ちゃんのいる所に連れて行ってあげるよ!! さぁもう一人入りました! 四人目・・・の異邦人! 善神よ、僕の遊戯にどこまで付き合えるかな? すごく楽しみだッ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃはははははははははははははっ!!』


 『影』の言葉一句一句にただならぬ狂気を感じ、背筋が本当に凍るほどの恐怖を覚える。

 そんな優理の目を『影』は見透かすように見つめると、笑った。


『特典として僕の一部を差し上げるよ。これさえあればまずドラゴンでもない限り負けることはないね! すぐに終わらせないでくれよ……きっ、いひひひひひっ! 見せておくれよ絶望を!! 掻き乱してくれ、狂い混ぜてくれ、あいつらの意思をぉぉぉぉ!!!!』

「ぁ、ぁぁあぁぁぁぁああぁぁあああああああああああっ!!」


 『影』の触れた場所から優理に黒いものが流れ込んでくる。

 気持ち悪い、そうとしか表せない物体にあらがう術はなく、優理は意識が朦朧になるまでそんな感覚を味わい続けた。


『開け扉よ! 凱旋だクソがッ! せいぜいつぶし合えよ塵屑ども!! 僕を楽しませろォッ!!』


 またもや空間に皹が入る。

 同時に『影』かの手から解放された優理が地に崩れ落ちる。


『さようなら椎奈優理。また会える日があることぉお、祈っているよォォォォ?』


 空間が弾ける。

 次の瞬間には、船の倉庫のような場所に居た。

 何が何だかわからず、理解も追いつけず、ただ泣き叫ぶ。


「なんな、の……いやぁ、助けて、誰か……!!」

「ァァアアアアアアァァァァアアアア」

「ひっ!?」


 遠くにいた何者かが奇声を上げて近づいてくる。

 その様子からすでに普通の人ではないことは悟れたが、鼻を刺すような腐臭には目を細めた。

 出てきたのは――――ゾンビだった。


「アアアァァァァアアアア!!」

「な、ぁ……うっ、ぁあああああ……!!」


 訳も分からず、大量のゾンビが押し寄せてきたことにより涙が自然と流れる。

 自分はただ家に帰って兄と再会するはずだった。なのになぜゾンビに追われている? 訳が分からない。理解ができない。

 あまりの理不尽さに白目をむきかける。


「誰、か……助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 ゾンビが目の前まで近づいた。

 理不尽にも、意味も分からせてもらえずこのまま死ぬのか。

 健気にも、最後に頭に浮かんだのは、兄の顔だった。



覇斬はざん多殺たごろし」



 冷たいものが頬にかかる。

 ゆっくりと目を開けると、地面にはゾンビの死体が転がっていた。

 一体何が起こったのか。

 呆然としていると、向こうで一つの影が動く。


「ったく、なんすかこいつら~。邪魔ばっかしやがって……これだからリビングデッドは」

「……は、ぇ?」

「ん? 人? こんな倉庫に?」


 近くに来たことで、姿がはっきりと見えた。

 黒いフードをかぶり、さわやかな印象を与える笑顔を持つ青年。しかしその奥に眠る殺気は確かに感じられる。

 フードの青年はしゃがんでこちらに視線の高さを合わせると、笑顔でこう問いかけてきた。


「君、なんでここにいるんすか?」

「わっ、わかんない。気付いたらここに居て……ゾンビに追いかけられて」

「ゾンビ? リビングデッドのことか……まぁ、追いかけられてここまで来たということっすね。はぁ……んで、さっきの、見たっすか?」

「さっき、の?」

「ほら。僕ちんがリビングデッドをブッ飛ばしたアレ」

「えっと、確かはざんとかなんとか――――」


 首に刃物が添えられたと気づくまで、何秒かかっただろう。

 気付いた瞬間、言葉が止まる。


「あっちゃー、見られたッすか―。見られちゃダメなのになぁ、一般人には……情報漏洩を防ぐためとはいえ、罪も無いか弱い女の子を殺すのは胸が痛むっす~」

「私を……殺す?」

「すみませんね。一応アレ暗殺者アサシン教団の秘技なんすわ。一般人に見られたら殺すっていう決まりなんすよ。本当に申し訳ない」

「……私、は……」

「さて、ここで二つの選択肢があるっす。一つ目はここでおとなしく死ぬか、二つ目――――暗殺者アサシンになるか」


 二つとも後戻りが不可能な選択肢だ。

 そもそも優理は現在暗殺者アサシンという単語自体が聞き慣れなく、彼が何を言っているのかわからないと思っている。しかしここで死にたくはない。

 優理が選んだのは――――当然、後者だった。


「よ、よくわからないけど……その、仲間になれば、助けてくれるの?」

「そっすよー。俺たち野蛮ですけど、仲間意識だけは強いんすよ~。……ま、裏切った時は容赦なく集団リンチっすけどね」

「じゃあ、なります。だ、だから……助けてください!」


 上目づかいで必死にそういうと、フードの青年は肩を震わせる。

 そして鼻を押さえてそっぽ向いてしまった。

 優理は何か悪いことをしたかなと思っているが、フードの青年――――カール・ナーハフォルガーは少々鼻血を押さえていた。

 彼自身まだ成人していないのだ。若い女の子に上目づかいで、しかもその女の子がすごい美人なら興奮ぐらいする。


「く、くそ……俺としたことが。ていうか超可愛いじゃないっすか。なんすかあの超の三つ付きそうな純情美少女。大抵の男ならあれで即座に堕ちるっすよ……」

「あ、あのー」

「あ、ああ! 大丈夫っす! ……後悔しないんすね?」

「……ここで死んだ方が、後悔しますから」


 ここで死ぬなら見知らぬ誰かについていった方がまだいいと判断したのだろう。

 不安そうな顔をする優理だが、カールに肩を叩かれたことでキョトンとした顔になる。


「よし、これからここを脱出するっすよ。この船はもうすぐ墜ちますからねー」

「お、墜ちる? ここ、飛行機の中なんですか?」

「ヒコウキ? 飛行船の事っすか? ……んまぁ、今それはどうでもいいっすね。さぁ、早くいくっすよ。もうすぐ大勢の人がなだれ込んで来るから、早く脱出しないとまずいっす」


 カールは優理の手をつかみ、通路を走る。

 沢山のパイプが入り組んだ見慣れない通路を走りながら、計器などを見て優理はこう思う。


(……何、あの数字。見たことないのに……わか、る?)


 初めて見る言語のはずなのに読める。

 それがとても不気味で、出来るだけそれを見ないように走る。

 何回か階段を降りると広い空間に出る。

 所々に大きな穴が開いており、そこから空が見える。そう、空が。


「やっぱり、飛んでるの?」

「おーい! 早くするっすー!」


 引っ張られるように何か小さな船のようなものに入れられると、カールは操縦棒を握り色々な機械をいじり始める。優理はこんな乗り物を見たこともないし、そもそもここは空だ。船でどうにかできるはずもない。当然不安を覚える。


「こ、これ、飛べるんですか!?」

「え? 救命艇なんすから飛ぶのは当然っすよ? あー、大丈夫大丈夫、一応訓練は受けているんで。安心して大船に乗ったつもりでいるといいっす」


 そんなこんないている内に、カールは座席の横についているエンジンの推進力調節レバーらしきものを握り、思いっきり前に倒す。


「さて、何か掴むといいっすよー!」

「え――――きゃっ」


 弾かれるように、救命艇は発進する。

 推進力を全開にした救命艇は親である飛行船からどんどん離れていく。小さな窓から、船の形をしているにもかかわらず飛んでいる乗り物を見て優理は絶句した。


「…………一体、何が起きてるの――――!?」


 その飛行船から爆発が起こる。計八つ。下方から爆炎が上がり、飛行船は大きくバランスを崩した。

 瞬間、心臓が大きく鼓動する。

 一瞬だけだが、兄があそこにいるような気がした。

 だがそれだとあの船と一緒に地に落下するということになる。嫌な妄想を辞め、視線を前に戻した。


「危機一髪、あと数秒遅かったら巻き込まれていたっすね」

「……名前」


 今頭の中にある困惑と不安感を胸の中に姉妹、一度冷静になりながら優理は状況把握に努めることにした。今焦っていても何も解決しない。まずは、情報収集。

 その一歩として、協力者になるであろうカールの名前を聞く。


「俺っすか? ……そっすね、仲間ですから、別に隠す必要もないので教えるっす。カール・ナーハフォルガー。それが俺の名前っすよ」

「カール……ナーハフォルガー……後継者。良い、名前ですね」

「そっすか。……そういわれると鼻が高いっす。じゃあ、君の名前は?」


 別に本名を明かしてもいい。

 しかし、何があるかわからない。もし推測が正しければ、本名を明かすのは危険を伴う。

 だから――――優理は思い付きの偽名を使うことにした。


「ユーリ・ヴィーダーゼーエン。ユーリ、って呼んでください」

「ふ~ん。ユーリ……はは、良い名前っすよ。綺麗ですわ」

「ありがとう、カールさん」

「さん付けはいいっす。敬語は無しで行きましょうや」


 そう言い放ってカールは優理に軽く手を差し出してくる。

 それを見て、笑顔で握り返す。


「ようこそ、暗殺者教団クソダメに」




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