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第二十話・『炎と氷』

大幅修正&追加。

 俺は今、絶望の淵に立っていた。

 簡単に言えば、リビングデッドどもに四方八方を囲まれている。

 対して此方の武器は、一本のサバイバルナイフ。

 誰がどう見ても、生還率はゼロに等しかった。

 それに何より――――もう右腕を食いちぎられている。出血もひどく、彼らの仲間か餌となるにはそう時間はかからないだろう。


「いやはや……本当に、とんだ貧乏くじを引いてしまった」


 こんなことなら、俺に任せろなどと大口を叩くんじゃなかった。

 この俺アル、もといローウェン・エストラルは、生涯通して『絶体絶命』という物を味わったことが無かった。

 名高い聖杯騎士団の潜入捜査部隊というエリート部隊――――という名のタイマン騎士を処理する部隊に入ったにもかかわらず、だ。運がよかったのだろうか悪かったのだろうか。

 そもそもの話、自分は運動ではなく、座学の方が得意であった。いや、運動もできるほうだったが、面倒でただ座って勉強した方が自分に合っていたのだ。なのに、両親の勝手な要望で、騎士団に入ることになってしまった。筆記試験はすんなり通り、身体能力もそこそこだったので意外とあっさり合格した。

 才能はあった。

 だがしかし、やる気がなかった。

 だからだろうか、騎士団でも目ぼしい成果を出さず、気の合う友人とダラダラと酒を飲む毎日が続くのを望んだのが。やる気が元から無かったのだから、成果が出なくて当然だ。

 入団して数か月後、奇病で母は亡くなった。父は精神を病み自殺した。それに悲しんだのかは、俺自身どうもわからなかった。生まれた時から仕事づくめで、特に会話さえかわさなかったのだ。実際俺にとって両親は近所のオジサンオバサンみたいなものだった。

 いよいよ自分の目的を失い、迷走した。気の合った友人たちは自分の目標を見つけ、どんどん俺と差を付かせていった。


「……なんで、今更思い出しているんだよ」


 数年後俺は、潜入捜査部隊に選抜された。

 どちらかというと、怠惰している兵士を使った捨て駒部隊の様なものだったのだろう。選抜された者たちもどうもやる気の感じられない奴らばかりだった。

 その時不思議と思ってしまった。「仕方ない奴らだ」と。結果的に全員の世話を焼いてしまい、なぜか部隊長をしてしまうことになった。

 俺が変わったのはそれからだ。

 部隊員を死なせないように努力した。なぜか良心が働き、世話を焼き、家族のようなものになってしまった。今思えば、俺はあいつらを守っているのではなく、守られていたのかもしれない。支えられていたのかもしれない。

 それでも、現実は残酷なものだ。

 ある日の任務で、俺以外の部隊員は全員死亡した。

 その任務は簡単――――猟兵団に潜入し情報を集めることだった。

 あいつらは酷く感の良い奴らばかりが集まっていた。俺たちが騎士団の者と分かり、囲んで殺しに来た。だから必死で逃げて、俺は隊員達に生かされながら九死に一生を得た。


「……『あなたは生きるべき人材』か……」


 そんなふざけた理由で俺は今ここに立っている。ここで生きている。

 だけどあいつらの言った意味が今ようやくわかった。

 俺が命を賭していい奴が現れた時、その命を使えということだったのだろう。

 つまりあいつらは自分の命と俺の命を天秤にかけ、俺の命の方が重いと判断したのだ。

 実に馬鹿馬鹿しい。

 命の重さなんてない。全部同じなんだ。

 だけど――――


「今まで生きていた甲斐はあったようだ」


 命を賭けていい奴らが二人も現れた。

 聖人とも善人とも呼べないクソッタレな連中だが、とても気に食わない奴らだが、何か光るものを見つけた。

 ――――少なくとも命を賭けて進ませる価値はあると、確かに、確実に、自分自身で判断した!!


「……さぁ来い、亡霊ども」


 左手に持ったサバイバルナイフで、一瞬だけ振り払う。

 そして、刃の部分を上に向けた。


「ここから先には行かせない。たとえ死んでもな」


 ナイフを崩落寸前の天井へ向かって投擲。

 ガンッ、と良い音を出して突き刺さったナイフは見事天井の木の板を一枚だけ深い傷を入れた。

 そこから皹が広がる。

 上にあるのは崩れかけている大量の瓦礫。

 下にあった障害物が弱くなったことにより、それらは重力に従って下に落ちようとする。


「……ああ。皆」


 左腕のみならず両脚含めた全身をリビングデッドに噛まれる。

 痛かった。

 しかしそれ以上に、安心した。


「ようやく……逝ける」


 そのフロアに集中していたリビングデッドたちは――――上にあった大量の質量の暴力により、全てが潰された。

 当然、そこにいた一人の人間も。



――――――



「《炎属・百剣雨フレイム・ソードレイン》!」

「甘いわァッ!!」


 空から飛来する百の炎剣を、リィは魔剣の能力で凍結停止させる。

 魔法発動後の隙を見逃さず、すぐさま全力での薙ぎ払い。全てを凍り付かせる剣風がリーシャを襲う。

 一人脱落――――そんなリィの予想は簡単に裏切られ、剣風に触れる直前というところで炎の壁が生成されリーシャを守る。氷は氷。所詮天敵の炎には敵うわけがない。


「追撃ッ!」


 先ほど炎剣が降ってきた場所から、今度は千という数の剣が生成される。『アヴァール』の特殊能力、今、俺の体が所持している魔剣の能力『夢幻の焔剣ファントム・フラムアルム』の特殊能力。MPを消費することで自分の分身を際限なく召喚するという、一見地味な能力だがえげつない能力だ。消費MPも一個に付き1MPという超低コスト。

 それが今、高速で降り注いでくる。炎を纏った焔剣はそれを大の苦手とする吸血鬼と正面から衝突する。


「ふん。二度も同じ手に引っかかる我ではないぞ」


 リーシャに攻撃した方法と同じように剣の群れに向かて剣風を飛ばす。いくら炎といえども絶対零度を超す超低温。それに耐えられるわけもなく焔剣はなすすべもなくすべてが地に落ちる。

 1000MPという多大な消費が無意味に散った。誰もがそう思うだろう。

 あの吸血鬼に隙ができた。

 それだけで十分すぎる。


「慢心はよくないぞ?」

「な――――」


 いつの間にか後ろに回っていたヴィルヘルムがガンブレードの銃口をリィの背中に当てていた。照準は当然心臓。いくら多数の命を持つ吸血鬼であろうが、銀の弾丸に貫かれればただでは済まない。

 吸血鬼にとっての銀は、人間にとっての放射能と同じだ。厄介なことに、吸血鬼は銀の武器で傷をつけられるとその部分の再生速度が著しく遅速化する。つまり、再生するには長い時間を有するということだ。

 そんな銀に心臓を破壊されたらどうなるだろうか。すぐには死なないだろう。だが、再生速度が遅くなったことにより治ろうとする心臓は治らず、結果として死に続ける・・・・・。つまり命のストックが尋常ではない速度で減っていく。数千の命だろうが数万の命だろうが秒間に一つというペースでストックを減らされ続ければたまったものではない。命のストックが少ない吸血鬼はまず数秒で死ぬし、たとえ真祖だろうと一日持たない。

 つまりどうあがいても急所に当たったら死ぬ・・・・・・・・・・。それが吸血鬼にとっての銀だ。

 吸血鬼であるリィはそんなものを易々食らうわけにはいかない。体を最大速度で捻じり、弾丸が通るであろう射線から心臓を外す。引き金が引かれると、リィの肩口から銀色の弾丸が肉を食い破りながら突き抜けた。

 貴重なチャンスを黒に染めてしまったことへの後悔より、まず先にリィの蹴りがヴィルヘルムにお見舞いされる。

 まるで勢いよく水面に衝突したように、ヴィルヘルムは木製の床をぶち破りながら滑るように止まる。


「くそっ……偽の純銀ダミーシルバーではなく、本物の純銀か……! っつあ……小僧めが……!」

「がっ、は、ははっ……その小僧に一発どキツイやつもらったのはどこのどいつだよ」

「……なるほど、レナードが負けるのも頷ける。小細工を使うが、度胸は人一倍だな。単純な馬鹿かそれとも命知らずの馬鹿か」

「どっちも馬鹿かよ!」

「よそ見してる暇がある?」


 ヴィルヘルムが時間が時間稼ぎをしている内にリーシャが反撃の準備を整え、こちらに高速で走り迫る。爆発のような瞬発力、速度に特化した彼女の一撃がリィに向けられる。


不幸なるフェイタリティ……」

「二度目は効かんぞと、言ったはずだ。――――血よ、固まり」

「三度目だよ。――――一撃ペネトレイター!!」

「我が槍と化せ!」


 血の槍と純銀の細剣が衝突する。

 勝ったのは――――リーシャ。

 血の槍を空へと弾き、更に指を一本切り取っていた。

 しかしそれは武器での勝負の話だ。

 速度は、リィが勝っていた。

 別の手に握られていた氷のサーベルがリーシャの右肩の肉を抉りとり、傷口を凍らせていた。

 本来なら止血の役割を持つためあまり勧められた攻撃方法ではないが、それ以前に温度の低さが問題だった。低すぎて、劣悪な凍傷を起こしている。治療しない限り肩から続く右腕の反応速度は鈍るままだろう。


「く、ぁ……肩が、凍って……!?」

「……あの者から現身の加護を受けているようだが、さすがに直接攻撃には耐えられなかったようだな」


 そう、今リーシャ達はルージュの手により現身の加護を受けている。効果は単純。凍結系の異常状態から身を守るという物。現に甲板の温度はもはやマイナス五十度を下回っている。常人が普通に運動できる環境ではない。

 リーシャ達は今、この加護を受けているから動ける。

 加護を受けなかったらまず攻撃以前に視界に入った瞬間氷漬け確定だ。

 それでも直接攻撃とあらば防御は不可能。あくまで外気から身を守るだけだ。肌に触れられれば凍らされるのは目に見えている。


「リーシャさん!」


 後衛で全員に身体強化&常時HPリジェネ効果を付与していたリルが飛び出し、肩に凍傷を受けたリーシャの治療をしようとする。

 だが目の前にはリィがいる。敵が回復するのを見過ごすほどリィは馬鹿ではなく、二人まとめて葬ろうとサーベルを振りかぶるが。


「そこ」


 突如襲い掛かる横からの衝撃に対処できず、脇腹に巨大な瓦礫の大剣による攻撃が直撃する。

 リィの小さな体では吹き飛ぶのはまず当然であり、空中では身動きが取れない。

 不意打ちをしたアウローラは追撃として空中に浮いたリィを追いかけ、大検で薙ぎ払おうとする。

 確かに、空中では身動きは取れない。

 しかしそれが翼をもつ吸血鬼だったら、どうなるだろうか。


「敵の情報も知らずに突っ込むとは……かわいそうと思えるぐらい阿呆だな」

「!?」


 瞬時に背中から翼を生やしたリィにより反撃に対し、アウローラはぎりぎり反応。空中で繰り出される回転を加えた蹴りを両腕でガードし、とうにか横方向に数十メートル吹き飛ばされるだけで済む。

 もし防御しなかったら、肋骨を全て折られながら船外へ放り出されていただろう。


「……戦闘能力、私の遥か上。一人じゃ、敵わない」

「ほう、よくわかっているではないか」

「でも……気持ちだけなら、私が上」

「それは、私の心が弱いとでも? はっ、戯言を抜かし――――」

「そして、私には『仲間』がいる」


 一つの影が舞い上がる。

 月の光を浴び、逆行を帯びたヴィルヘルムはガンブレードと散弾銃を地上に向ける。

 発射ファイア

 純銀でコーティングされた弾丸がリィに向かって降り注ぐ。

 回避可能――――そう見抜いたリィは次の瞬間崩れた。背中から大量の熱気が感じとられる。

 素早く振り向くと、後ろからブラウン髪の少女、リルから『ファイアボム』の多連弾がリィを食らおうと飛んできていた。マークしてもいない人物からの不意打ち。避けられず足元に起こる爆発に足を止められた。次は銀の弾丸の雨。これは決定打。受けたら勝負は決まる。


「ッ……舐めるなよ小童どもがぁぁぁっぁぁあああああああああ!!」


 リィは空高く咆哮する。

 声により生み出された衝撃波ソニックウェーブは円状に広がり、火薬で打ち出された弾さえも弾き飛ばす。空にいたヴィルヘルムはその衝撃波により吹き飛ばされ、空高く弾かれて落下。

 数回跳ねると、左腕を押えながらこう呟いた。


「隙は作った……決めろリース!!」

「なっ……まさか!?」

「――――喰らえぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええ!!!!」


 四人全員が囮になり、気付かないうちに空高く飛翔していたルージュは叫びながら右腕に炎を纏わせる。もはや氷結などという現象で止められるモノではない。命を燃やすように燃え上がる炎は徐々に何かを模っていき、ついには巨大な蛇の形になる。


「《世界焔蛇ミドガルズオルム》ゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」


 やがて直径一メートルを超す太さになった大蛇は、紅色の軌跡を描きながら振りぬかれる拳に合わせて飛翔する。一人の吸血鬼を食わんと口を開け――――衝突した。

 炎でできた大蛇は飛行船を貫通。

 甲板に大きな穴を空けて、その身を静かに消した。


「やった……か?」

「……たっ、倒した~~~」


 脅威が消えたことにより、仲間たちは抱き合って互いを賞賛し合う。

 もうギリギリというところで決着がつけられた。別にもう戦えない、というわけではないが、これ以上やると本当に必要な犠牲が出かねない。

 足から火を噴かせたルージュは綺麗に着地し、そしてリーシャにタックルを食らった。


「リ~~~~~ス!!」

「え? ――――ごぶぉっ!?」


 ズサーッ、と地面を滑りながらも、リーシャは頬ずりを辞めない。

 再開したのがよほど嬉しかったのだろう。まぁ、今の俺は俺であって俺ではないのだが。


(……この子、こんなに積極的だったかしら)

 ――――結局、俺が出る幕もなかったな。

(何よ。戦いたかったの? そんなこと言ってたら敵さんがまた出てきて――――)


「ふむ、中々やるではないか。どうやら私の目が鈍っていたようだ」


 その声で、全ての空気が、凍った。


「……嘘」


 俺の上に乗っていたリーシャが、無意識だろうか、そう呟いた。

 それも当然だろう。

 あの一撃を食らってなお、敵は生きていたのだから。

 しかも無傷で・・・・・


「お前、どうやって」

「『対光アンライト』と言う魔法を知っているか? 吸血鬼たちが日の光を浴びないように次元を歪ませ、互いに干渉不可能にしてしまう魔法。ここまで言えば、もうわかるな」

「あの状況で、とっさに……!?」


 完全に追い込んだはずだ。完全に仕留められたはずだ。

 なのに相手はまだ、こんな隠し玉を持っていたというのか。


「すまんな、全力と言ったものの、本当は少々手加減していた。貴様らがあまりにも軟弱そうだったからな」

「な………ん」

「そのお詫びとして――――もう遠慮はしない」


 消えた。

 気付いた時には、もう俺とリーシャ以外の奴は、地に伏してした。


「………………え?」

「遠慮はしないと忠告した。ああ、貴様らはただ殺さず血を味わいたかっただけだ。情をかけているつもりはない」

「不味い、リーシャ逃げろ!!」

「――――逆十字架の刑ノスフェラトゥ


 リィの足元に巨大な魔方陣が展開される。その魔方陣は、倒れたやつら含め俺たち全員が踏め、まだ余裕があるほどの広さを有していた。おどろおどろしい感覚を味わう暇もなく足が何かに掴まれる。


「後悔してももう遅い」


 思いっきり足元をすくわれ、顔から地面に突っ込むかと思いきや特に何も起こらなかった。

 ただ、視界が上下逆になった事以外は。

 足元を見ると、赤い手錠か何かで両脚が一本の赤い柱に結ばれている。地面に落ちないのもそのためだ。

 追撃として手が地面から飛び出した赤い手錠で縛られる。そして左右にしばりつけられ、体は十字の形を強要される。

 俺たちはまるで、逆十字架にでも貼り付けられたような恰好になっていた。


「本来ならば、ただの拘束用魔法なのだが……効果は覿面だな。くくっ、油断大敵。さもないとこうして足元をすくわれる」

「くそっ……なんだ、これ。なんなんだよ!!」


 力づくで破壊しようにも、何が材質なのか全然壊れる様子がない。

 この中で一、二をさらそう筋力を持つリーシャと俺が破れないとなると、たとえ倒れたやつらが復活しようが解除のしようがなかった。

 見事に俺たちはネズミ取りにつかまったネズミになってしまった。


「後悔してももう遅いと言ったはずだ。ああ、貴様らのおかげで大分血と命を消費してしまった。代償は、血だな。減らされた血は、減らされた血で補わせてもらう。……ちょうど、美味そうなものがいることだし、な?」

「…………ッ!」


 見たものを凍り付かせるような冷徹の眼差しを受け、リーシャは蛇に睨まれた蛙のように固まる。

 リィはニヤリと悪い笑顔を見せると、ゆっくりとリーシャに近付いた。


「ちっ、近づかないでッ! 『炎属・百剣雨フレイム・ソードレイン』!!」

「無駄だ」

「え……な、なんで、魔法が……!?」

「その柱は抗魔素材で形成されている。捕まっている間は魔法などという小細工、発動させん」

「や、やめろ! リーシャには……近づくな。血を吸うなら俺のを吸え!!」

「……ほぉ」


 その光景を見た瞬間、俺は強制的に体の主導権を握り戻す。弾かれたように後ろに飛ばされたルージュが何かと文句を言ったような気がしたが今はそんなこと些細な問題だ。

 リィはリーシャをかばおうとする俺に視線を変えると、何とも不気味な笑みを浮かべて不思議そうにつぶやく。もし拘束されていなかったら一発殴りに行っていたところだ。


「自己犠牲の精神……そんなものほど美しく、醜いものはない。自己満足、自己酔狂、無知蒙昧とはこのことか。生物としての本能がまるでない愚か者よ。……ふっ、そうだな、一つだけいいことを教えてやろう」

「……なんだと?」


 気持ちの悪い笑みを、一気にどす黒い、親の仇を見つめるような顔に変えてリィはこう言った。

 雪のような右手に黒い血管を浮かべながら。


「私は貴様のような馬鹿が大好きで――――大嫌いだよ」

「ぎっ…………アァァァアアアアアアァァァアアァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「リーシャァァァァァァ!! 手前ッ! くそっ、外れろ! 外せ!!」


 右手をリーシャの腹に突き刺したリィは、心底楽しそうに笑った。まるで、無邪気に虫を殺す子供のような顔で。

 リーシャという大切な者を傷つけられた俺は精神穏やかでなくなり、すぐにでも脱出しようともがく。抗う。それが嗜虐心を駆り立てたのか、リィはぐりぐりと右手を右に左に捻じり、その度にリーシャの悲鳴が上がる。


「くそっ、くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

「はっ、はははははははははははははっ!! 愉しぃなぁ……ァア、本当に、その顔とこの血の味……初めて味わうハーモニィ……まるで最高の晩餐。我もさすがにエルフの王族の血が味わえるとは夢にも思わなッ田ぞ……多少濁ってはいるが、な」

「い、た、ぁ……ぃ……たぃ……ょ」

「外せ! 外しやがれ吸血鬼が!!」

「……それが、お願いする立場の口調か?」

「くっ……」


 態度からして完全に心を折りに来ている。

 俺の選択は強制されていた。その選択肢でさえも。


「外して……くださ、い……」

「なんだと? よく聞こえんなぁ?」

「お願いします……外してください。お願いしま――――」

「断る」

「あ、あァァァぁァァぁぁァァァァァァァァァアアアアアァァァァァッ!!!」


 腹の中で何が起こっているのかはわからない。知ろうとしても想像もできない。

 えげつない傷のつけ方をしながら、決して絶対的な態度を崩さないリィ。

 腹に大穴が空き、今にも絶命寸前の状況に陥っているリーシャ。

 無言になり何も言わない椎奈結城。

 だけど俺は、無言であっても冷静ではなかった。

 感情の枷が、留め金が、弾けた。


「あ、ッァ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 もはや精神はピーク。

 恐怖、憎悪、激怒、悲壮、罪悪感、嫌悪、恥、無力感、後悔、無念、苦痛、絶望、空虚。

 ありとあらゆる負の感情が混ざり合い、自分でも抑えきれないほどの量の水が心の底からあふれ出てくる。

 俺の中に潜む、化け物が出てくる。


「やめろって、言ってんだろ……耳腐ってんのかコウモリ風情がァァァァァ!!」


【脅威度AAAと断定。『自己防衛オートガード』、き、ききキキきキキキキキキキド――――『過剰防衛オーバーガード』発動します。不変値ステータス以外の数値に+99.99――――マスター、ご武運を】


 赤の手錠を100.00以上にまで増加した筋力で無理やり引きちぎり、腹筋の要領で足元についている手錠も外す。支えがなくなったことにより頭から地面に落下するが、片手で体を支えながら安定した態勢を取り戻した。


「まだだ……イリュジオン!!」


 どこかしらへと飛ばされたアヴァールは俺には扱えない。

 だから、俺にとっての唯一無二の武器の名を呼ぶ。


【イリュジオンのスキル『断罪事象イベントホライズン・観測不能の終焉境界・オーバーロードコンヴィクション》』が解放されました】


 飛んできた二つの剣をつかみ、一つに合わせて本来の姿に戻す。

 その瞬間、両手から黒い血管が浮かび上がり徐々に右手を侵食してくる。それも余興か、と特に気にせず、なすがままになりながらリィを睨む。

 俺が破壊不可能なはずの手錠をぶち破ったのがそんなにも不思議なのか、リィは呆然として俺を見ている。しかし手はリーシャに刺さったまま。

 とりあえず、その手を切り飛ばした。すぐに再生したが一度離してしまえばもう関係ない。


「――――いつの、間に!?」

「離れろ」


 回避しようとしたリィを『疑似重力フェイクグラビティ』により過重を付与。計数百トンもの重さを抱え等リィは当然身動きが取れなくなる。

 その隙にリィの腹を蹴る瞬間に能力を解除して、更に飛んでいく方向に荷重力をかけてさらに遠くへと吹き飛ばす。吸血鬼は腸を背中からぶちまけながら高速で船外へ放り出された。

 次に俺はリーシャの手錠を切断。拘束状態から解放させる。

 リーシャは腹をくりぬかれたことによりかなりの危篤状態であった。ほとんど意識せずリーシャを寝かせ、腹に手を当てる。


「リー……ス、ご、め……」

「喋るな……ルージュ、現身の力は他人にも使えるか」

 ――――炎で回復させようってわけ? まぁ、やろうと思えばできるけど、時間がかかるわ。十分ほど。

「あいつが生きている限り無理……か。おい、みんな起きろ。特にリル!」

「ぅっ……ぁ……っ、はい! え、ぁ、リ、リーシャさん!?」


 気絶していた全員を叩き起こし、状況を理解していないリルの肩を揺すぶり気を確かにさせリーシャの元に連れてくる。

 この中で本格的な回復魔法が使えるのは傷ついたリーシャ本人だけ。だが痛みによるショックでまともに喋れないでいるようだった。たとえ魔法が使えたとしても、この世界の回復魔法は大きいほどそれに比例した痛みを伴う。鼻血程度なら痛みは感じないだろうが、こんな重症なら痛みで意識が吹き飛ぶこと間違いなしだろう。だからかなり体に負担がかかるのでまず即戦力にはなりえないし、血を流し過ぎている。仮に意識が残っていたとしても無理はできない。そして俺では治療もまとも出来ない。応急手当以下だろうが、それでも延命処置が可能なリルに任せるしか他に手がなかった。


「今すぐ回復魔法を使ってくれ」

「で、でも私じゃ、こんな大きな傷……」

「応急処置程度でいい。血を止めて痛みを無くすぐらいで。俺があいつを倒すまで持たせてくれ」

「でも」

「でもじゃない!!」


 消極的になりかかっているリルの肩を強くつかみ、彼女を奮い立たせようとする。

 リルは確かに臆病だ。弱いかもしれない。小さいことしかできないかもしれない。だけど――――


「今はお前にしかできないんだ」

「私に、しか」

「そうだ。『自分にはできない』なんて言うな、自分にできることを精いっぱいやればいい! やる前から諦めてどうする!」

「……私は、弱いんです。皆さんのように戦えないし……気休め程度の援護しか……」

「それでも一緒に戦っている!」

「!」

「お前にはお前のできることがある! それがこれなんだ! 誰もできないから、お前に任せている。俺たちが力不足だから、お前に頼っている」

「……」

「みんな、頼り合っているんだ。悪いことじゃない。当たり前の事なんだ。だからさ……」


 俺は戸惑うリルを優しく胸に抱き寄せ、力強くこう囁いた。


「俺に、お前を頼らせてくれ」

「……私を、頼る」


 そう聞いて自然と力が湧き上がってきたのか、リルはやる気に満ちた顔になる。先ほどとは違い、立派に仕事を成しとけようとする若者の顔だ。この顔ほど感嘆するものはそうない。


「任せてください! 絶対に、リーシャさんを助けて見せます!」

「その調子だ。……ヴィルヘルム、安全な場所まで皆と退いてくれ」

「僕、一応ボロボロなんだが」

「なんだ、地獄に付き合いたいのか? 巻き込まれても知らないぞ」

「わったよ……あのアウローラってやつはどうする」

「アウローラ」

「…………」


 相変わらず無表情のアウローラは、名前を呼ばれたことで俺に近付いてきた。

 持っていた瓦礫の大剣は粉々に砕けて使い物にならなくなっており、リルがリーシャの回復に集中するため彼女はもう前線では戦えない。

 だから、俺が言えることはただ一つだった。


「俺が返ってくるまで、いい子にしてるんだぞ」

「……うん、お兄ちゃん・・・・・

「! ……ククッ」


 悪戯っ子の様な顔を作ったアウローラは、俺をからかうようにそう言った。

 いつの間にかそんな単語を覚えたのか。

 久しぶりにそう呼ばれ、顔が少々にやける。

 軽く頭を撫で、笑顔を残して俺は戦いに行く。


「リース……」

「なんだリーシャ」

「……何も、できなくて……ごめ、ん……なさい」

「……いいよ。一人は慣れてる」




 全てが凍り付く空間。

 温度はもはや生き物が存在できない領域にまで下がっており、その中で生命活動を止めない二人。

 背中から悪魔の翼を生やした少女。

 体を灼熱で包んでいる少年。

 互いに殺気を込めた視線をぶつけ合い、ニトログリセリンのように触れば爆発しかねない状態にまで高揚している。


「……覚悟は、出来ているんだろうなぁ……名前を、聞いておこうか……」

「名乗る名前はない……と言いたいが、リースフェルト。よろしく、アンナ・・・?」

「……く、くくくははははははははっ! ははははははははははっ!! 久しぶりだよその名前で呼ばれたのは……偽名を名乗らず、本名を名乗ってもらおうか」

「なんでこうもバレるのかね……結城。椎奈結城だ。本名だぞ。偽名じゃない」

「そうか、ユウキ、ユウキ……ああ、喜べ。私が真祖化して初めて殺す強者として、名を墓石に刻んでやろう!!」


 リィがサーベルを空高く掲げる。


「そうか……じゃあ、お前を初めて倒した吸血鬼として墓石に刻んでやるよ。来い、アンナ・バートリー」


 それに応えるように俺は、双頭剣ツインブレードを肩に乗せ、足を強く踏ん張るような姿勢になる。

 両者の剣から光が噴出した。

 氷の剣からは赤黒い凶悪な光が。

 漆黒の剣からは全てをねじ切る、光さえ逃さない真っ黒い光が。

 もはや剣をぶつかり合わせるだけの体力は残っていない。

 この一撃に、すべてを賭けるのみ。


「剣よ、槍へと成り代われ」


 サーベルから出ていた光が歪み、赤い槍を形成する。

 彼女の元々の獲物はサーベルなどではない。槍である。

 だから、全力で勝負するにはこの武器以外にふさわしいものなどない。


「消えろ」

「消えるか」


 黒い光の勢いが更に増す。

 イリュジオンから噴出しているのは重力・・。当たれば体を引き裂かれてしまう乱重力の暴力塊。

 この技を使ったせいでMPがゼロになる。

 代わりに体力がガリガリと異常な速度で削り取られていく。

 死の淵に近付く感覚を味わいながら、俺は剣を振り下ろした。



 ――――――――――二人が同時に動いた。




「『聖典・聖人殺しの魔槍ロンギヌスランセ・テスタメント』ォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

「『断罪事象イベントホライズン・観測不能の終焉境界・オーバーロードコンヴィクショ』ォォォォォォォォォォォン!!!!」




 帯状に放たれた黒い光と投擲された赤い光の槍が衝突――――否、擦れ擦れですれ違う。黒の二連斬撃はリィの下半身を削り取り、後から放たれたもう一撃が残った上半身の半分を消滅させる。対して赤の光の槍は、超速で飛来し俺の脇腹を撫でるように通りながら肉を衝撃波だけでついでと言わんばかりに引き裂き――――この飛行船を貫通した。衝撃で船体が大きく揺れる。


「ゴッ、アァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 それにより起きた衝撃波と耳を叩いて混乱させる。

 身動きが取れない状態で、爆発。

 自然のものではない可笑しな音を響かせながら、遥か彼方で黒い光がそこら中に散らばり閃光を上げる。爆発の手前から見えたのは――――氷のサーベルと赤い槍を持った少女。


「死ぃぃぃねぇぇぇぇぇェェェェェッ!!」

「お前がなぁぁぁあああァァアアアアアアッ!!!」


 もう再生を完了し爆発に乗って速度を上げたリィは弾丸のごとき速さで両手の武器をx字をなぞる様に振る。

 すぐさまイリュジオンを二つに分け、左右同時攻撃を防御。ミシッ、と両者の武器が軋む。


「まさかあの一撃で決められないとはな!」

「同感だよ。くそっ、早くしないと……」


 もうMPがない。HPももうすでに三割を切っている。

 MPを大量に使う『疑似重力フェイクグラビティ』を利用シタであろうイリュジオンの特殊スキル『断罪事象イベントホライズン・観測不能の終焉境界・オーバーロードコンヴィクション』はもう撃てない。撃ったら最後共倒れ、最悪防がれて自滅だ。引っ込んだルージュを引っ張り出してHPを回復するにも相手がそんな隙を与えてくれるわけもない。

 肩で息をするようになり、イリュジオンの刃が自分の首の皮を一枚切ってきたところで俺の思考は高速回転を始める。


 ――――『超過思考加速オーバーアクセル』、起動。


 思考速度と身体能力が一時的に強化され、まず左右から俺を殺しにかかってきている刃を弾く。

 そして両手に持っているイリュジオンをリィの心臓部に突き刺す。そしてすぐに上へと跳ね上げ、上半身から頭を真っ二つに切る。

 が、すぐに修復。化け物じみた速さの再生に悪寒が走るがそんな事を気にしている暇などあるはずもない。再生した頭部を上半身から切り離す。つまり首を撥ね飛ばす。

 撥ね跳んだ瞬間、断面から職種なようなものが飛び出し頭部を戻そうとするが、再生する暇など与えない、与えてはいけない。


「オッ……おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 時間が許す限り切り刻んだ。とにかくバラバラにした。

 加速された世界の中で一人の少女をミンチどころか液体にする勢いで斬る。

 それでも次から次へと再生する光景は常識の範疇外。それに負けずと神速の連撃で対応するが、終わりが見えない。例えるなら、飲んでも飲んでも水が湧き出るようだった。

 視界が消える、脳が酷い痛みを発する、両腕の感覚がなくなる。

 だが止めない。

 止めたらどうせ死ぬ。

 我が身も心配せず腕を動かし続けていると、とうとう再生に追いつかれてしまう。

 上半身を再生しきったリィは両手から攻撃を繰り出す。

 その妨害のせいでついに俺はリィの完全再生を許してしまった。


「この速度に追いつくのかよ……!!」

「ははは! 二百回は死んだぞユウキィィ!! 今度はこっちの番だ!」


 互いの剣がぶつかる。

 この遅速化した世界でも見えない速度で俺たちは剣を交し合った。

 ぶつかる度に花火が散る、剣が悲鳴を上げる。

 床にとてつもない速度で傷がつき、大気が震え、腕の筋肉が異様な音を出し始める。

 この状況を打開する方法は一つ。

 俺が現身の力を使いこなせるようになることだ。

 だがこんな土壇場で覚えられるか? 感覚さえまだつかめていないというのに。


「――――いや」


 今の今まで、やろうと思えば何でもできた。

 なら――――俺なら、やれる。

 やるしかない。

 体から出る炎が強くなる。

 俺の心に応えているように、それは徐々に勢いを増す。


双頭焔犬オルトロス――――!!」


 両手に炎が絡みつき、炎は犬――――否、化け物の頭を模っていく。

 ルージュの使った世界焔蛇ミドガルズオルムには劣るが、それでもこの吸血鬼に致命的な一撃を与えるには十分すぎる威力。それが二つ、かつて邪神と女神の間に生まれた犬の化け物オルトロスと成り、左右からリィを襲う。

 俺の両手に宿った犬は血の槍を焼き尽くし、クリュエルを弾き飛ばし、迷いなく突き進む。


「……現身の力を制御したか」


 自分の天敵であるはずの炎を見ても同様の色を見せないリィ。

 しかも、その炎を、両手で受け止めた。


「な――――」


 予想だにもしなかった展開を見せつけられ逆に動揺してしまう。

 ニヤッと笑うと、リィは背中から生やした翼を大きく広げ、飛んだ。俺の両腕をつかんだまま。


「まっ、まさか……!」

「そのまさかだ!」


 空高く舞い上がったリィは、そこから俺を船外へ放り投げた。


「リィィィィス!!!」


 誰かの叫びを聞きながら、俺は空中で身動きもとれないまま落下を開始。

 ものの数秒で俺の乗っていた飛行船は小さくなり始める。


「っ……ァァァァァァァァッ!!」


 背中に力を集中させると、炎の翼が生えてくる。

 不慣れな証拠か、ルージュの時は何ともなかったTシャツが焼け焦げ、翼は四枚から二枚に減っていた。

 熟練の戦士と素人の一兵卒を比べてもらっても困る。


「想定内だ――――ウォォォオアアアアアアアアアアアアアァァァァアァァァァァァァァ!」


 鼓膜が破裂するかと思うほど耳の痛くなる咆哮を歌い始める。

 何とかあのスキルを解析できないもんかと思うと、網膜にこんな文字が浮かび上がった。


【『特技解析スキルスキャン』のスキルを習得しました。知力が1.00上昇しました】

【スキル『警告咆哮ワーニングハウリング』・一定範囲内に存在する対象を硬直させる】


「まずっ……!」


 すぐに体を動かしたくても体が動かない。

 眼球だけを無理やり動かすと、禍々しく伸びた赤い爪が俺を引き裂こうと近づいてきていた。


「『血爪ブラッティネイル』!!」


 赤の残光を残し、きれいな曲線を描きながら骨程度なら簡単に切断する爪が襲い掛かる。

 無意識に体の防御本能が活動。

 背中の翼で自分を覆うことにより、致命傷を回避。火傷の跡が残る頬に三つ傷ができる程度まで抑え込めた。

 それだけで攻撃は止まらない。

 拾ってきたのか、クリュエルによる斬撃が放たれる。


「受けるかぁぁぁぁぁ!!」


 イリュジオン力を微量解放。重力の刃が放たれた斬撃を切り裂き、その奥にいたリィの胴体を真っ二つに切断。だがすぐに再生。一体何回殺せば死ぬというんだ。

 弱点で炎の翼で前方を薙ぎ払う。


「がぁっ……!」

「効いてる……ッ」


 翼は見事右腕を焼き消した。そして、腕は再生を止める。

 炎で攻撃すればある程度再生は阻害される。ならば――――頭か心臓を潰すのみ。


「いい加減……死ね!」


 やけくそ気味に双頭焔犬オルトロスを放つ。

 俺の両拳はリィの腹をとらえ、彼女の腹から肉の焼ける音と焦げる臭いがする。

 いける!!

 瞬間、リィがクリュエルを強く握る。

 周囲が凍る。空気さえ・・・・凍り、それはもはや絶対零度に近い温度に達しているということ。

 だが俺には効かない。火炎や凍結系の攻撃など、炎そのものをこの身に宿しているのだから効くはずがない。

 リィが周囲を凍らせるなら――――俺は周囲を燃やす!!

 背中だけではなく全身から炎を吹き出す。


「おおおおおおおおおおおお!!」

「はぁぁぁぁぁああああああ!!」


 炎と冷気がぶつかり大量の蒸気がまき散らされる。

 空気プラズマ化するほどの高熱とすべてを問答無用で氷漬けにする絶対零度。



「――――『大焦熱地獄ムスペルヘイム』ゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」

「――――『大紅蓮地獄ヨトゥンヘイム』ゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」



 爆ぜる。

 空気中にある大量の水分が凍り、そこに超高熱の炎が触れたことにより一気に連鎖爆発を開始。

 近くに居たらまず衝撃波で吹き飛ばされ、それに耐えられても鼓膜を破るほどの大音量と目を焼き尽くさんと発せられる発光が起こる。

 文字通りの地獄。

 互いに切り札を相殺され、体勢が緩む。

 それを先に立て直したのは――――俺だった。


「止めっ、だぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」


 炎を纏った右拳を、翼を全力で吹かしながら全力で突き出す。

 狙うは心臓、拳は完全に捕らえていた。

 そして拳は――――リィを貫かない。

 見事に体を捻られてかわされた。


「キヒハハハハハハハハハッ!!」


 どこかで聞いたことのあるような笑いを口に、リィはクリュエルを振る。


「デジャヴッ!?」

「何をごたごた抜かしている小童ァッ!!」


 クリュエルを片手で掴んで止める。仮にも炎の現身。氷のサーベル程度素手でも止められる。

 それを見越したのかリィは俺の腰に手を回してくる。何をするつもりだと危惧した直後、加速が開始される。地上へ向けての、音速飛行が。


「まっ――――」


 不味いと叫ぶ暇さえ与えてくれなかった。

 リィは音速で俺事地上へとダイブした。ソニックウェーブを発生させながら地面へと正面から激突。

 余りの衝撃に地面は水のように波打った。


「ごハァッが……!」

「ぐふっ……アハッ♪」


 まるで運命の恋人にでも出会ったような目をしながら、リィは俺の体に馬乗りする。

 そして――――拳を振り下ろした。


「ガァァァァァァァァァァ!!」

「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!! アヒィィィヒヒヒハハハハハキャヒャヒャヒャハハハハハ!!」


 まるでどこかの誰かさんの影を見ているようだ。

 リィの拳が俺の胸に落ちるたびに周囲の土が陥没する。『過剰防衛オーバーガード』の効果により肉体面も超強化されているおかげか。じゃなければ今頃俺はミンチになっている。力が抜けて片手元からイリュジオンを取り落とすが、もう片方でリィのクリュエルを遠く絵弾き飛ばす。代わりにこちらも両手の武器を失った。男が女に馬乗りにされて一方的に殴られる、何ともドロドロした光景だ。

 そんな場違いなことを考えていると、意識が引きずられて後ろへと弾かれる感覚。

 ルージュが無理やり表へと出たようだ。

 それから振り下ろされるリィの両手を鷲掴みする。

 まだ意識があったことに驚いているのか、リィは絶句の表情だった。


「い~い? 本当の笑い方という物をぉぉ~、教えて、あ、げ、る♪」

「へぇ~。それはまぁまぁ、ぜひとも教えてもらいたいものだ」


「ギャハハハハヒャヒャヒャハハッギャギャギャギギヒヒヒイイイイカカキャキャッハハハハハハハハハフヒュギッ!? イッヒ、ハハハハハハハハハァッゲヒャ!!」

「ヒィィィィィィィハハハハハハハハッッ!! ガァァァアアアアアアハハハハハハハハハハッヒュ!? ――――ハッハァァァァァアアアアア!!」


 武器をも捨てた殴り合いが始まる。

 リィは骨が折れても再生した、俺は受けても大きな傷ができなかった。

 完全に耐久レースになり、そこら中が血だらけになり始める。


「アァァァヴァァァァァァァァァァァァァァァルゥゥゥゥゥ!!」


 狂気の入り混じった声でルージュは相棒を呼ぶ。

 瞬間飛行船から赤く輝く物が高速で飛来。リィの腹を貫かんと空気を裂く音を奏でながら地面に激突。

 流石に炎の化身とも呼べる剣を素手で受け止めることは遠慮したいのかリィは即座に退避。

 アヴァールは俺の体手前で止まり、ルージュはそれを奪い取るようにつかむと早速炎の剣波を無数に放つ。MPが削られるかと思いきやさすがはアヴァールの固有能力か、MP無しで大量破壊攻撃を繰り出す。

 繰り出された剣波は周囲の森林を焼き尽くし薙ぎ払い、破壊し尽くしながら高速で飛行するリィへと襲い掛かる。だがあちらももうすでにクリュエルを拾っていた。炎と対極の位置に値する氷の斬撃を飛ばして相殺。燃やし、凍らせ、破壊する。極大規模森林破壊とも評せるこの行いはすぐに広がり、周囲五キロ圏内の森林はすでに燃えているか凍っていた。地面も抉られ陥没し、もはや立った二人が行っているとは思えない規模の惨状を二人は作り出している。


「引っ込んでろ阿婆擦れがぁぁぁぁぁ!!」


 そんな戦闘狂状態に入っているルージュを無理やり引っ込ませると、手の内で燃えているアヴァールを投げ捨てイリュジオンを呼応して手元に引き寄せる。

 相手に判断させる隙すら与えずに俺は重力波を放つ。命が大量に削り取られるがその分大量に回復していく。炎の現身としての効果だろうか。しかし今はそんなこと考える暇などない。

 放たれた重力波地面や樹木を消滅させる。すべてを原子レベルにまで分解し尽くす最悪の暴力はすべてを刳り貫いてたった一人の吸血鬼へと向かった。

 対するリィもただ受けてばかりでいるわけにはいかない。

 その体内に流れる血を手投槍と作り変え投擲。マッハ11・・・・・という視認不可能の速度で重機関銃顔負けの速さで射出。当然というかほとんどは重力波によって飲み込まれ、消滅するがそれでもしぶとく残ったものは俺の肩や足に突き刺さっただけでなく貫通した。すぐに治るが一瞬だけ、立った一瞬だけ足を崩れさせてしまう。


「ユゥゥゥウゥゥゥゥゥキィィィィィィィイイイ!!」

「アンナァ……バートリィィィィィィィィィィィ!!」


 リィは即時に方向転換し、最速ルートである正面から音速を超える速度で突進。

 俺はそれを見据え、治った足で地面を蹴りながらイリュジオンを合体。体から炎を吐き出しながら全力で振りかぶる。


「消え去れぇぇぇぇええええ゛ええ゛えええええ゛え!!!!」

「滅びろぉおおおおお゛おおぉぉぉお゛おおぉぉおおおお!!!!」


 剣はぶつかる。

 ――――その時生じた衝撃波は、周囲の地表を余す事無く、消し飛ばした。

 剣が火花を散らす。

 ――――極高温と極低温が混じり合い、大量の蒸気が生じ、爆発した。

 剣が罅割れる。

 ――――氷のサーベルが砕けた。黒き剣は、吸血鬼の上半身を、消滅させた。





 グジュッ。


「……ヵ、が、……ははっ」


 空中でバランスを崩し、小石だらけの地に滑り落ちる。

 プラスとマイナスがぶつかったおかげか、特に地表は熱くも冷たくもなかった。

 しかし自分の腹が異様に暑いのは感じ取れた。


「うぐ、ッ……お」


 血反吐を吐く。

 ゆっくりと、首を下に傾ける。

 すると、自分の胸に赤い槍が突き刺さっているのが、はっきりと見えた。


「ふ、フフハハハハハハハッ」


 遠くであざ笑うかのような声が聞こえる。

 その声の持ち主である少女は、体を血だらけにしながら俺の目の前に現れる。


「……危なかった」


 リィはかすれた声でそう言った。

 その声には感嘆と尊敬、相手をたたえるような感情が含まれているようにも感じ取れた。

 考えるまでもない。

 こいつは、リィはあの一瞬の交錯で俺の胸に槍を突き入れていた。

 左手にはクリュエルを持っていた。残った右手も破壊され、再生阻害を受けていた。

 それでもこいつの方が一枚上手だった。

 自分の右腕を――――自分の血で再構成した。それが答えだ。

 あの大量の蒸気が舞った一瞬、それを目くらましに使い腕を再構成。クリュエルが折れるまでに俺に全力の一撃を入れた。敵ながら、これは賞賛する。あの一瞬でここまで判断できるとは。


「貴様が、貴様がもし炎の現身でなかったのなら……反撃の機会をつかめていなかったのならば……やられていたのは我だったのかもしれない」

「……ただの田舎貴族じゃなかったってことか」

「ハッ、我がただの田舎貴族であったなら、もうとっくに死んでいる」

「……それもそうか」


 静かに目を閉じたリィは、俺の腹に刺さっていた血の槍を乱暴に引き抜く。

 心臓を刺してのか激しい痛みとともに大量の血が出てきた。HPが大量に減っていく。炎の現身の力でも、さすがに致命傷は直せないようだ。傷口でかすかに燃えてはいるが、本人の生命力に左右されるらしいのか傷はほとんど治らない。

 体から力が抜けていき、やがてリィの冷たい目も尊敬の眼差しへと変わっていく。

 背中から噴出していた炎の翼も消失。


「さらばだ、強敵ユウキよ。貴様の事は、刺激的すぎて忘れられないだろうな」


 皮肉と敬意を込めた一言を言うと、リィは飛び去った。その後ろ姿はとても幻想的である。

 飛行船は証明を輝かせて華やかに飛んでいる。とても、不死者たちが蠢く巣靴とは思えない。

 血の出る胸を押えながら、虚ろな目で空を見つめる。


「……終わり、か」

 ――――ずいぶんと、素直ね。……生きたいって、思わないの?

「……俺が生きていることに、意味があるなら……そうしたかもしれない」


 俺は、生きる意味を見つけられなかった。

 特にやりたいこともない。

 夢もない。

 妹の成長を見守るぐらいしか能がなかった俺に、望みなどなかった。

 人間性がないゆえに、欲望という感情が薄いのだ。

 だから自分自身が、理解できなかった。



「………………優理」



 心残りといえば、妹に看病されながら去りたかったものだが。


 こんな所で終わりたくない。


 俺にどうしろっていうんだ。俺は世界にとっての腫瘍。存在しても害しかない。


 死にたくない。


 ……もう生きるのも疲れた。これ以上不幸に振り回されるのは御免だ。


 それでも。


 もう、終わりにしよう。


 俺は、




 ――――生きたい。




 抑制者ディータレンターを殺さず死んでいいと、使命を果たさず死んでいいと、誰が言いました?



 誰だ、お前。






「■、■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!」





 自分の声ではない、獣の雄叫びが喉から這い出てくる。

 なんだこれは。なんなんだ、体の奥から出てくる■■は。

 やめろ。俺の中に、入って――――


「――――――――――」


 右半身が黒い液体に包まれる。

 生物のように気持ち悪く脈動する液体は胸に空いた穴に入り込み、傷を瞬時に治してしまう。

 それから俺の右腕と右足を勝手に使い、立ち上がる。

 やがて黒い液体は俺の全身を包み込んだ。

 それが何かはわからなかった。

 ただ、この世のすべての不快感を味わっていることだけは理解できた。


「ッッッ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」


 飛んだ。

 そう思った瞬間には、もう飛行船の甲板にいた。

 自分でも状況が理解できなかった。


「――――な、に?」


 甲板の上で、俺の仲間を、ヴィルヘルムの首をつかみ宙吊りにしていた吸血鬼がいた。

 その光景に、怒りしか感じられない。


「貴様、何者……いや、その姿まさか貴様は……なぜ生きて……」

「■■■■■■■■■■■■■■■…………!!」


 獣の唸り声が響くと、吸血鬼の顔が目の前に忽然と出現した。

 俺自身も理解できないほどの速度で、瞬間移動のような速度でリィ接近したのだ。

 証拠に、リィは身動きが取れずに、狼狽したような表情で俺を見た。


「ユウキ、貴さ――――」

「■」


 リィの身体が吹き飛んだ。

 理解不能な速度で攻撃した俺に反応できず、反撃も抵抗もできずに。

 頭を床に叩きつけられながら停止し、俺はリィの上に馬乗りになる。

 殴った。

 潰した。

 殺した。

 あとからあとから頭が生えてきたので、とりあえず生えてこなくなるまで潰し続ける。


「き、ざま――――なん、だ……ぞの、ぢが――――抜けられ、が――――」


 なんだか、今から調理しようとする生きた魚のように暴れだした。

 押さえつければあまり暴れなくなった。

 料■の基本■。


「は、はは――――ッ!」


 吸血■が笑い出■た。

 気に入らない■で潰したが、■た生■■きた。


「貴様はついにッ――――人であることをっ――――捨てるのか!」

「――――」


 ■の言■に、振り■■し■けた■が■■る。

 え?


「リース!」

「……リー、■■……?」


 意■■なく■も、名■が■■■出てきた。

 この■界に■て、■番■■一緒に■るであ■う少女。

 唯一、信頼で■る■。

 俺■、相棒。


「もう、いいんだよ……」

「……で、■」

「大丈夫、だから。もう、無理しなくて、いいから……リースの傷つく姿、もう……見たく、ない!」

「……■レ、は」


 リ■■ャは、傷■いた体■俺を■■く抱きしめ■く■る。

 暖かい。

 心が、落■着いた。

 そ■だ。


「何ヲ、■って……」


 ――――■は、何を、やッ■いルんだ?


 プツンと、意識が切れた。



――――――



「リース……リース!」


 リーシャが急に倒れた結城の体を揺すぶるが、反応がない。

 簡単に呼吸しているか確認してみるが、微かに息はあった。

 その事実にどうにか胸をなで下ろす。


「ま、さか……我が、三百回も、死ぬ、と、は……ゴボッ!!」


 結城が馬乗りになっていた少女が、血を吐きながら体を這わせる。

 こちらから距離を取っているようだったが、その速度は非常に遅い。離れている距離も短く、リーシャが自分の細剣を抜いて向ければ簡単に届く。

 純銀の細剣が鼻先に向けられ、吸血鬼は両手を上げて降参のポーズをとる。

 力のない瞳に、もう戦う意思は見れなかった。


「安心しろ……もう、戦うつもりは、ない」

「……それで、命乞いでもするの?」

「くくっ……命が危ないのは、そちらもだろう」


 言われて、リーシャは腹に空いた傷を意識してしまう。

 痛みは大分引いているが、何せ出血が止まらない。応急処置はしているが、このままでは十分持っていい所だろう。後ろからどたばたと足音がし、リルがリーシャを寝かそうとする。


「リーシャさん、動いちゃだめです!」

「ごめんねリルちゃん。さすがに、こいつを見逃すわけには、行かないのよ」


 数百人分の血を吸い取り、仲間をギッタギッタに痛めつけ、しまいには自分とその相棒を瀕死に追い込んだ。どう考えても、瀕死に追い込まれた者が許すわけがない。

 ここで殺さねばならない。

 リーシャの本能がそう言っている。


「貸して」

「アウちゃん?」


 近づいてきたアウローラがリーシャの細剣を引ったくり、それを吸血鬼の左腕に刺す。


「がぁッ!!」

「無力化完了。ヴィル、任せる」

「ああ。任せろ」


 最後にヴィルヘルムがリィの額にガンブレードを突きつける。

 当然、込められているのは純銀製の弾丸だ。

 吸血鬼とはいえ頭部に喰らえば即死は確定。

 さすがにこれにはリィも肝が冷えた。


「……なんだ、殺さないのか?」

「テロリストの居場所および武装解除を所望する。あと、爆弾の除去もな」

「なるほど、そういうことか。だが残念だ、それは我の管轄外でな」


 それを聞いてヴィルヘルムはゴリッと銃口を押し付ける。

 しかしリィは嘘などついていなかった。


「嘘ではない。我はテロ組織のメンバーではなく、個人的な理由で参加しているに過ぎない。我が行っても人質としての機能も果たさないぞ?」

「クソが……止める方法は」

「レナードに頼め。ああ、貴様が吹っ飛ばしたんだったな、すまないすまない。無理なことを言った」

「……そうか。じゃあもう、用済みだ」


 ヴィルヘルムは引き金に力を込める。

 価値がない敵にはもう死んでもらうしか道はない。

 外見が幼女でも実際はその数十倍以上年を食った婆。遠慮する理由などありはしなかった。


「我を殺すのか?」

「ああ」

「黙ってはいないぞ」

「誰がだよ」

「もうすぐ来る、レナードがだ」

「………………………は?」


 リィが指を刺した方向に視線を変えると、黒い塊がこちらに向かってきているのがわかる。

 すぐに危険物体だと察し、ヴィルヘルムはリルおよびその他の者たちの頭を押さえつけ、地面に伏せさせた。直後に背中に何かが掠る。

 瞑った眼を開けると、もうリィは先ほどの場所にいなかった。

 どこにいるか探そうとすると、頭上から声が聞こえる。


「こちらですよ」


 全員が一斉に上を向く。


「……遅いぞ、レナード」

「すいませんリィ。何かと遠くまで吹き飛ばされたもので。まぁ、ヒーローは遅れてくると言いますし」

「貴様がヒーロー? ハッ、戯言にしては面白いな」


 シルクハットをかぶり、背中から悪魔の翼を生やしている男性がリィを抱えて空中に漂っていた。

 その姿は吸血鬼特有の妖艶さをばら撒いているのか、見とれるほど華麗であった。


「レナードォォ!!」

「はは、ヴィルヘルム、でしたか? あなたの一撃、かなり痛かったですよ。頭が消し飛びました」

「てめぇ、何で生きてやがる!」

「吸血鬼特有の不死身。貴方の攻撃は私の命のストックを一つ二つ減らすだけでした。……ま、時間稼ぎには十分すぎた戦果ですがそれと、残ったゾンビどもから私も少々血をいただいたので、今の僕なら君程度ならひねり殺せると思いますよ? 今はしませんけどね」


 そういってレナードは馬鹿にしたような目でヴィルヘルムを見下ろす。

 しかしリィの重体に気付くと、すぐに顔を引き締める。

 シルクハットの中に手を突っ込むと、中から極消音散弾銃サイレントショットガンを取り出し――――気絶しているリースに銃口を向けた。


「気絶中失礼だが、貴様は生かしておけない。あの禍々しい悪魔・・……一刻も早く排除しなければならない」

「何言ってるんだテメェ……手を出させるわけないだろ!」


 ヴィルヘルムは倒れているリースの前に出て、両腕を広げて盾になるように立つ。

 今の状態では攻撃する前にやられると確信しているのだろう。事実、今この場所でレナードに並べる者は居なかった。


「わ、私も!」

「させない」


 リルも、アウローラも、同じようにして立つ。

 その光景を心底呆れたように見て、レナードは容赦なく引き金を引く。

 ――――のだが、金属がこすれる音だけが空しく響く。


「……?」


 よく見ると、機関部に大きな皹が入っていた。

 その皹は、弾丸に当たった・・・・・・・ような傷から・・・・・・広がっていた・・・・・・

 誰も知らない、一人の警備員が命と引き替えに作った傷から。

 ヴィルヘルムが命を削って広げた傷から。


「……悪運が、強すぎませんか? リースフェルト。さすがに嫉妬しますよ」


 愉快愉快とばかり笑い、レナードは空を仰ぐ。

 不幸でも、悪運は強い。

 こんな状況下でも、誰もが死ぬと思っていても生き残る。

 まるで、童話の主人公だ。

 そんな自分の考えを鼻で笑い飛ばし、もう使い物にならないとわかった銃を放り投げる。


「さて、もうこの飛行船も用済みです」

「……なんだと」

「気付きませんでした? あと少しでもうヴァルハラですよ。ここで飛行船を落とせば、計算上滑りながらヴァルハラの都市部を破壊して最後には偽りの・・・王城を下敷き――――筋書ではそうなってます」


 ハッと気づき、ヴィルヘルムは船の下を見下ろせる場所まで行き、見下ろす。

 雲もなく、はっきりと見えた。

 イルミネーションのように沢山の明かりが美しい、ヴァルハラの住宅街を。


「君たちの健闘には脱帽します。だが意味だった」

「や、やめろ……」

「さようなら皆様。どうぞ、終幕を見届けてください。――――全員に告げる、撤収!!」


 レナードが張った声で叫ぶと、飛行船の側面から次々と小型の飛行船が飛び出す。

 非常用の、救急艇だ。小型の脱出装置がつけられており、MPさえあれば長時間の飛行を可能とする。

 あれには、何が乗っている?

 決まっている。テロリストたちだ。あらかじめ、救急艇乗り場に集まっていたとでもいうのか。



「さぁ! 美しい花火を散らしましょう! 皆様、どうかご覧あれ!!」

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!」



 その夜、ヴァルハラ上空では八回、空から大きな音が響いた。



――――――



「ごはぁっ……!」


 リィは上空を移動中に、激しい痛みに襲われ血を吐く。

 かなりのダメージを負っているようで、彼女の空はあちらこちらから細かい傷が見える。


「ぐっ、ふぅっ……はぁっ」

「大丈夫……には見えませんね」

「あたり、まえだ……!」


 吸血鬼にとって細かい傷など一秒かからず再生できる。

 なのに現在、それが自動的に治っていない。それは明らかに異常を物語っており、それほど彼女の容体が深刻であることをうかがえる。


「短時間による急な真祖化と……今回の戦闘で受けたダメージが、重なり……っつ、身体に異常をきたしたっ。今のままでは、不味いな」

「そうですね。取りあえず支部に着いたら本部へと報告書を提出して、私の別荘で休みましょう。安心してください。日光は届きません」

「……何か勘違いをしているようだが、別に日光は吸血鬼にとって不味いものではない。特に真祖にはあな」

「へぇ、そうなんですか」

「普通の吸血鬼なら並の人間ほどに身体能力が落ちるぐらいだが、真祖なら肌が少し痒くなり疲れやすくなるだけだ。灰なったりはしない。それに光を受けて死ぬなら微かな日光でも死ぬ。反射した光でもな。本当に弱点ならば空間を歪めて完全に光を遮断する他あるまいよ」

対光アンライトはなんだったのか……」

「流石に真祖でも痒いのはつらいからな」


 こんな状態でも、リィは冗談交じりに話しながら笑う。


「ああ……あの人間は、素晴らしい。人間のくせに……純粋だ」

「そうですか? 私としては限りなく混じっているように見えましたが」

「逆だ。混じったものしかない。故に純粋――――純粋な不純物なのだよあの者の心は。だから非常に面白い」

「…………」

「人間にあのような奴が居たとは、実に興味深い。――――あれは、誰にも渡さんよ。誰にも。同胞だろうと、お前だろうと、な」

「リィ、残念ながら私の獲物はもう決まっていますよ。さすがに殴られた仮を返さなければ紳士の名が泣きます」

「紳士……くくっ」

「そこ笑うところですか」


 月下、複数の救命艇と二人の吸血鬼が空を舞う。

 醜い家鴨の子は雲池の原で泳ぎ続ける。

 憧れの白鳥になるまで、果てなく、永遠に。




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