第十六話・『死した者たちは動き出す』
修正しました。
さてどうする。
生死を分かつ、成功と失敗を分かつ選択を強いられる。
このままイリュジオンで切り込むか、それとももう少し様子見をするか。
常識的には後者の方が安全性は高いだろう。だが万が一、こいつらが人質または見せしめ用の生贄を取ろうとする行動が見られた場合動きにくくなる。
それが見知らぬ誰かなら特別問題などないが、それがもしリーシャやアウローラだったら俺の行動は完全に制限されるのだ。
「……リース、どうするんだ」
「知らん……ただ、攻撃するか何もしないか……それが今後の行動を決める。慎重にやれよ」
ヴィルヘルムが息を飲む。
このまま膠着状態を続けていれば死を待つだけだ。何か、何かきっかけを作らなければ。
少しありきたりだが、試してみるか。
「あ、あの、すいません」
「あ? なんだ」
近くにいたテロリストの男に話しかける。
やりたくはないが、わざとらしく尿意を我慢しているようなリアクションを取った。
「その……トイレ行っていいですか?」
「トイレだぁ? この状況でんな呑気なこと」
「いいじゃねぇか、行かせてやれトイレぐらい。俺たちが見張りとして行けば問題ないだろ」
断られそうになったが、心の広い者がいたようで許可をもらえた。
指示された通り手を頭につけたままゆっくりと立ち上がり、背中に銃を突きつけられる形で歩き出す。
そこで後ろからもう一つ声が上がった。
「あの、僕もいいですか?」
ヴィルヘルムだった。どうやら一瞬で俺の企んでいることに気付いたらしい。
ナイス、とアイコンタクトを送る。
「あん? またかよ。まさかお前らなんか企んでんじゃねーだろーな」
「はっはっは。よく見ればガキじゃねぇか。どうせジュースの飲み過ぎで漏らしそうになってんだ。ま、何回も往復するのは面倒だ。連れてってやれ」
「……了解」
仲間に言いくるめられた男は、渋々と気怠そうにつぶやいた。
少し怪しげな予感がしながらも、俺とヴィルヘルムは二人の男に銃を突きつけられて食堂を出る。
そして、エンジンが爆破された影響か電球が頼りなく点滅を繰り返して、ホラーゲームの舞台のような不気味さの溢れる廊下を嫌々歩く。
四人ともだんまりだ。いや、話をしたら容赦なく銃弾を撃ち込まれるのが直感的に理解してだろうか、ヴィルヘルムも同様口を開かなかった。
「しかし、リーダーもエンジンを爆破するとは、なかなか派手なことをするよな」
先ほど言いくるめをした男が口を開く。
廊下の不気味さに後押しされたのか、さすがに黙ったままでは気分が悪いと思ったのだろう。
「そうだな。おかげで、このブロックが電力供給が不安定になってやがる。エンジンが発電機の役割をしていたらしいからな」
「なんとも最新技術の塊だよ、この船は。これ売ったらいくらになるんだろうな。一生遊んで暮らせるんじゃないか?」
「確かに爆破するにはもったいないよな~。ま、金は金持ち相手に絞りとりゃいい。金目の代物なんて、あいつら腐るほど身に着けてやがるし、客室を調べればアホみたいに出るだろ」
「それもそうだな。とにかく、この仕事を楽に達成して、ゆっくり身を休めたいね俺は」
警戒心が少しだが揺らいだ。
今しかないと判断し、ヴィルヘルムをちらっと見る。すると目が合って、俺たちの心はその瞬間一つになった。
「ふっ!!」
「ラァッ!!」
「んな!?」
「!」
大丈夫だ。食堂からはかなりの距離を歩いている。少し声を上げたからって、よほど耳が良くなければ聞こえるはずはない。銃声は聞こえるだろうが、鈍い打撃音程度は聞こえるはずがなかった。
背中に付けられている銃を裏拳で叩き落とし、振り返った勢いを乗せて首に回し蹴りを入れる。後方にいた男は警戒心を一瞬だが解いていたせいで対応に遅れ、防御もままならずに吹き飛ぶ。
ヴィルヘルムも同じように銃を叩き落とし、掌底で内臓に直接ダメージを与えながら吹き飛ばした。
たった一瞬の出来事である。
「よし、まともに入った」
「これで気絶したはず――――」
「――――いってぇ……殺す気かよ?」
「ちっ!」
俺が蹴り飛ばした男が、気を失わずによろけながら立ち上がる。
まともに入れたはずだが、推測するに間一髪で防御が間に合ったようだ。とどめを刺そうと追撃の耐性を取ろうとするも。
「まぁ、待て待て。待てって安心しろ、味方だ!」
男は両手を上げて敵意がないことを示した。
その光景に狼狽し、俺たちは言葉を失ってしまう。
この男が、敵ではない? 言葉を疑いながら、男の目を睨みつける。嘘をついている様子はない。
だが、それでもどうして敵では無い奴がテロリストの中に――――
「あっはっは。こんな身なりをしているけど、俺はテロリストじゃない」
「それを信じろと?」
「じゃあこれを見てくれ」
男はヘルメットを取り素顔を晒す。
二十代ほどの優男といった顔つきであった。美男子、とは言えないがそこそこといった感じだ。要するに凡人の顔つき。これなら相手を油断させられる、などと失礼なことぉ思っていると男は懐から何かを取り出した。
それは、何かのエンブレムであり、騎士が天馬に乗っているような文様が刻まれていた。 下には『聖杯騎士団・潜入捜査部隊臨時支給紋章』と書いている。
「聖杯……騎士団だと?」
「その文様は、聖杯騎士団の旗に書かれている文様だな。確か、団員にはそれと同じ文様の描かれた身分証明用の紋章が支給される……そんな噂は耳にしたことはあるが」
「見るのは初めて、だろうな。その通りこれは身分証明書だ。複製品でも鹵獲品でもないぞ。特殊な金属を使っているから調べりゃわかる。安易に見せていいものではないが……今回は見せていい状況だろう。俺の名前は、アルとでも呼んでくれ」
「アル? 本名か?」
「愛称みたいなもんだ。すまん、潜入捜査中だから本名バレは極力避けたいんだ」
現実でも、スパイなどの潜入捜査をしているものは偽名を使うことが多いらしい。実際今俺も偽名を堂々と使っている。
後々敵になるかもしれない相手だが、まだ敵ではない。ここは一旦信じて、腰から抜きかけたイリュジオンから手を離した。
その時だった。
「てっ……てめえら!」
ヴィルヘルムが気絶させたはずの男が目を覚まし、こちらに拳銃を向けてきた。
しまったと思った時にはもう遅く、引き金が引かれる。
寸前、イリュジオンを素早く投擲。拳銃を握った手を腕ごと切断する。
ほぼ同時にヴィルヘルムはベルトから仕込みダガーを取り出し投擲。喉笛に突き刺して声を出せないようにする。その直後に肉食動物のように跳躍、もう一つの仕込みダガーを手に男に襲い掛かることで完全に喉を使い物にならなくした。
「がっ、ふ……」
「動くな。楽に逝けないぞ」
動きを止めてくれたヴィルヘルムに感謝しながら、腰のイリュジオンを抜刀し、投げた片割れを改修して双頭剣形態へと移行。
それを相手の言い訳や遺言を言わせる間も与えず振り下ろした。さすがというか、イリュジオンの切れ味は抜群で男の首はすんなりと撥ねられた。
首を切断された体は残った断面から赤黒い血を噴水のように噴出させる。
これでは生きてはいまい。
「すまない。仕留め損ねてしまった」
「いや、大丈夫だ。仮に撃たれても避けられるし。確かに撃たれたら面倒なことになっただろうが」
抜いたダガーが血によりもう使い物にならないと判断したのか、ヴィルヘルムはダガーをその辺に捨てる。元々使い捨て型のようだったので、俺自身もあまり言うことはなかった。
「お、お前たち、大丈夫なのか?」
「何が」
「人を、殺したんだぞ?」
「俺は商売柄、野党どもがよく襲ってくるのでな。不殺とかふざけた大義名分掲げていたら生き残れない世界にいた」
「過去にもう何人も殺ってる。今更どうってことねぇよ」
そこでアルは俺たちの異常性に気付く。
下手したら、正体を明かすタイミングがほんの少しでもずれていたら自分が殺されていたのかもしれないのだ。普通の者ならまず悪寒を感じずにはいられないだろう。
同時に、俺たちの『持ち駒』としての有用性も気づいたはずだ。
「……お前たちは、何が目的だ」
「そりゃ生きたいに決まってる。当たり前だろ」
「僕も同じ意見だ。黙って殺されるなんて御免被る」
そのためにはテロリストの制圧、または皆殺しにする必要がある。
俺たちはそれに戸惑わない。いや、戸惑えないのだ。一瞬でもそうしたら死ぬことを理解しているから。
アルはしばらく顎に手を当て考え込む。だがそんな時間などあるわけもない。俺たち二人は死んだ男の体を二人で担ぎ、生首片手にトイレに行こうとした。
するとアルは驚き、声で制止しようとする。
「お、おい。何をやって……」
「死体が見つかったら面倒なことになる。トイレの一室にでも隠して少しでも時間を稼がなきゃならない」
「お前に許された答えは二つだけだ。協力するか……しないか」
俺が威圧を込めてそういうと、アルの肩が揺れる。
頬に汗が流れ、具中の選択を迫られたあるが答えた答えは、これだった。
「わかった、協力する」
「それが正しいと思うよ」
協力しなかったら切り捨てるまでだが。
トイレの一室に知り合いでもない首の無くなった男の死体を入れる気持ちというのは、何とも複雑なものだ。
とにかく事を済ませた俺たち三人は、意外に清潔なトイレの中で簡易的な会議をしていた。内容はごくシンプルで、どうやって食堂にいるテロリストに奇襲をかけるかといことだ。
あちらの人数は三十を超えている、だがこちらはその十分の一。正面からではまず勝ち目が少ないせいで、俺たちは奇襲を余儀なくされた。一応正面突破は可能だが、周りの被害を最低限に抑えるためには奇襲が一番とアルが言ったからこうした。
「まず、見たからにすべてのドアに十名ずづ配置されている。どこから入っても奇襲は不可能だ」
アルは自分が描いて広げた、簡易的な勢力配置地図を指してそう言った。
東西南北に設置された扉、そのどれからでも気付かれず侵入するのは俺でも不可能だった。そこで、アルが指さしたのは中央に書かれた四角い印。通気口だ。
「通気口は基本的にすべての通気口にダクトで繋がれている。それを利用して、天井からの奇襲を仕掛ける」
「……それ、大丈夫なのか?」
「何がだ」
「移動している気、ベコンボコンって音がするかもしれないだろ。それで気づかれたらお終いだぞ」
「確かにそうだが……他に何か手があるわけでもないだろう」
「う……」
正面から正論で負かされた。確かに他に方法はない以上、成功率が高い方法に賭けるしかない。
しかし、絶対成功するとは限らないのだ。仲間の命がかかっている以上、慎重に事を選び運ばなければならない。
「気持ちはわかる。だが、大切なのは成功させる気持ちだ。やる前から諦めていては話にならんぞ」
「確かに言えるが……ああ、もうこれしか方法はなさそうだな」
「安心しろ。系統図面は持ってきている。部屋を間違えることはまず無い」
「リース、お前も腹をくくれ。失敗を前提に話を進めようとするな」
ぐうの音も出ない。
半信半疑のまま、作戦会議は終了してしまう。
もうやるしかなさそうだ。
作戦はこうだ。まず通気口から食堂に向かい、天井から予想外の場所からの奇襲を仕掛ける。可能な限り敵が動かないうちに倒し、更に可能ならば攻撃させないで封殺。
普通の奇襲作戦のように見えるが、その分一つのミスで根元から崩れるリスクが高かった。保険だって何もないから、ミスをした時点で強行突破しか方法が残されていなかった。
「行くぞ」
「…………」
トイレの便器を踏み、天井にある通気口の口を無理やり引きちぎるように開ける。先行するのはアルだ。系統図面を持っているから、彼が戦闘のほうが迷う確率が低くなるだろう。
先行したアルに続いて俺も入る。両手を使って体を腕に引き上げ、軽くもがきながらダクトに身を通した。中は埃だらけで思わず咳込みそうだった。
「気持ちはわかるが我慢しろ……こんな空間は声が遠くに響きやすいんだ」
「わ、わかってるよ」
アルが匍匐前進で、音をできるだけ立てないように移動する。俺もそれに見習って、音を殺しながら移動した。後ろからヴィルヘルムが上がってくる音がし、ガタンガタンとうるさい音がする。アルがこっちを見てきて、「俺じゃねぇよ」と小声で返す。
三人とも完全に音を殺し、呼吸音でさえ聞き取れない領域まで静かに空気の吸入をする。
「がっ」
「あ、すまん」
足がヴィルヘルムの顔を踏んでしまう。適当な謝罪をしながら先へと進む。
右へ曲がったり左へ曲がったり、そろそろ腕が疲れてきたころだっていうのに、全然目的地に着かなかった。
「おいアル、まだなのか」
「待て。こっちだって苦労しているんだ。……さすが豪華客船というべきか、凄まじく入り組んでいる」
「そろそろ帰ってこないことを怪しんでいるころだぞ。急いでくれ」
「わかっている。……えーと、C-48から入って右に曲がってそれから左に曲がって……食堂の通気口がC-57だから……」
アルが系統図面を読むために急に止まる。それをあらかじめ予想していたため問題なく泊まれたが、後ろにいたヴィルヘルムはそうもいかなかった。
「がっ……!」
「あ、すまんすまん」
「てめっ、いい加減に……!」
「仕方ないだろアルが急に止まったんだから!」
「だったら止まるって言っておけこのタコ!」
「テメェ人が下手に出てればいい気になりやがってよ……? 今すぐ蹴り殺してほしいか?」
「お前ら煩いぞ! 正しければここは食堂の真下――――あ」
「「……あ」」
…………真、下?
『おい、今なんか声が聞こえなかったか?』
『ああ聞こえた。何か天井からだったぞ』
三人とも汗をだらだら流しながら言葉を失う。
「な……なんでそんなことをいち早く伝えなかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「言う前に君たちが騒がしくしたからだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
「お前らうるせぇぇぇぇええええええええええ!!」
「「お前が言うなああああああああああああああああああ!!」」
「あぁぁぁもう滅茶苦茶だぁぁあああああああ!?」
不幸か、作戦は見事に失敗した。
だがただでは転ばない。
――――――
リースたちの奇襲作戦開始から少し前の食堂。
静まり返った食堂は、ハイジャックが起こる前とは打って変わって活気はなくなり恐怖と不安だけが混じる空間と化していた。
誰もが死にたくないとばかり祈る中、リーシャはテロリストたちの挙動を観察していく。隙あらば奇襲を仕掛けるために。
「……眠、い」
「アウちゃん、だめよ。まだ寝ちゃ」
隣で寄りかかってきたアウローラをなだめながら、脳内で思考をフル回転させていく。
テロリストとの距離は約五十、だがそれは見える範囲での話。後方にもおそらく数人いるだろう。一人ではとてもじゃないがカバーはし切れなかった。アウローラが前の状態のままだったら、と歯噛みしながらリルを見る。
挙動不審になり、焦りを表に出しかけている。元々戦闘職ではないし、性格もまだ成長途中なのだろう。後方支援ならまだしも、戦力としてはあまりにも不安だった。
「……!」
リルと目が合う。
彼女は何を勘違いしたのか、早まってしまう。
頭に添えた手を解くと腰のステッキを手に取って、リーシャはそれを見て目が飛び出しそうになった。
今更後悔してももう遅い。その行動にテロリストの一人が気付き、大声を出す。
「おい小娘! 何をやっている!」
「ひぅっ!?」
男は大きく足音を出して歩み寄ると、リルの手を引っ張り上げる。
その際に彼女の唯一の武器であろうステックが地面に落ちてしまう。
「おい、なんだこれは」
「そ、それは……」
「まさか俺たちに楯突こうとしたわけじゃねーだろーな?」
「あ、うぅ……」
くそっ、とリーシャは毒づき出るタイミングを伺う。
そうすれば、上手くいけばリルは無事に解放されるはずだった。予想外のことが起きなければ。
「放、して」
「アウ……!?」
アウローラがいつの間にか男の手をリルから離そうと飛び出ていた。
完全に想定外だった事態が起こると計画は全部総倒れになる。
「んだチビ。俺と力比べしようってか?」
「ん……!」
「よぇな。弱ぇんだよ!」
「っ!?」
アウローラが蹴り飛ばされて、近くにあったテーブルに衝突する。
リーシャはすぐに駆け寄ってできよせると、彼女の体力はもうすでに虫の息寸前だった。それは当然だ。彼女は今や人類の中で一番弱い領域に立っているのだから。
「っ……ぁ……」
「あなた、何てことするの! 子供よ!?」
「しらねーよガキの都合なんざ。なんだ、嬢ちゃんもやる気か? はっはー、最近の若者は気が強いこ――――が、ああァぁ!?」
神速の打撃が男を襲う。
リーシャからしてみれば、ただ全力で近づいて殴っただけだ。
それが常人からしてみれば超人の域にまで昇華しているように見え、一撃が大岩を砕くレベルにまで鍛えられたものだ。ボディーアーマーがなければまず即死。内臓が破裂して死に至っている。
しかも殴ったところがまたいい。胸はアーマーにより一番守られた場所だ。そこを全力で殴っても男は死にはしないだろうと考え、リーシャは実行した。どちらかというと「アーマーをつけていてもこうなる」という見せしめに近いものだが。
殴られた男は高速回転しながら壁を何枚も突き抜け、煙を立てながら止まる。
気絶は免れない。証拠に男は痙攣しながら、うめき声を出していた。
それを絶句しながら見ていたテロリストたちは一気に我に返り、リーシャに銃口を向ける。
「き、貴様ぁ!!」
「くっ……」
拳が痺れる。皮も少々すり切れている。だがそれは問題の範疇にも当てはまらない。
リーシャは銃弾をよけられない。いや避けるやつらがそうそう居てはたまったものではないが、とにかくここでは大問題なのだ。軽機関銃による弾幕などまず避けられないままハチの巣になる。避けたとしてもアウローラやリルの安全など保障できない。
彼女が二人を見捨てればいい話だが、残念ながらそれはできない。リースの機嫌を損ねてしまっては先に進めない。
苦しい顔をしながら体勢を低くする。フローティを腰から抜刀して臨時体勢を取るがそれは威嚇に過ぎない。
何か活路を切り開けるものはないかと周りを見渡すが、そんなものなど都合よく置いてあるわけなかった。
(リース、ヴィルヘルム……早く!!)
もはや二人にしか活路を見いだせないことを悟り、全力で祈る。
神など元から信じてはいないが、それでも今はそうしざるを得ない。
引き金がギリリと音を立てる。
さすがに、絵本のように都合よく現れるはずがない。
諦めて目を閉じる――――直後、誰かの声が『天井』からした。
『仕方ないだろアルが急に止まったんだから!』
『だったら止まるって言っておけこのタコ!』
『タコとはなんだよこの野郎!』
『お前ら煩いぞ! 正しければここは食堂の真下――――あ』
「おい、今なんか声が聞こえなかったか?」
「ああ聞こえた。何か天井からだったぞ」
一つ聞きなれない声が混じっていたが、それらの声は間違いなく、
「リースと、ヴィルヘルム……?」
二人のものだった。
本当に祈りが神にでも通じたのか。しかしそんな細かいことは今更どうでもよかった。
『な……なんでそんなことをいち早く伝えなかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
『言う前に君たちが騒がしくしたからだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!』
『お前らうるせぇぇぇぇええええええええええ!!』
『『お前が言うなああああああああああああああああああ!!』』
『あぁぁぁもう滅茶苦茶だぁぁあああああああ!?』
絶叫とともに、天井に皹が入り爆発するように崩れる。
そこから三つの影が、死を伝えにやってきた。
テロリストたちはあまりの急展開に思考がついていかなかったようで、完全にその場で硬直。三人は狙い通りと言わんばかりに自分たちの得物を構えてこの場を駆け抜ける。
あとはもう一方的だ。
陣形が崩されれば連携はもう役には立たない。内部崩壊すればなんであれ自然と強さを削られていくのだ。寄生虫のように肉を少しずつ食い破るように、確実に連携を破壊かつ一人一人を無力化していく。
軽機関銃で近接戦に対応できるわけもなく、テロリストたちはほぼ為すがままという状況に陥ってしまった。
残像が見えるかと錯覚しそうな速度で駆け回る何者かに手足を撥ねられ肉をあらかた刃物で刻まれ、空中でアクロバティックでトリッキーな攻撃戦法を取るガンブレード使いに翻弄され、味方の姿をしヘルメットをしているので判別も不可能な敵に対し味方に対して銃を撃ち――――テロリストは自分から破滅の道を突き進んだ。
「すごい……」
戦いは二分も待たずに終わりを告げた。
勝利したのはたったの三人。死屍累々で血だらけの絨毯の上で静かに立っている。
「っぶねぇ……何とか間に合ったみたいだな」
「君たちのせいで危うく失敗するところだったよ、はぁ」
「お前にも責任があるだろ」
テロリストと同じボディーアーマーを着込んだ男はまるで敵ではないと言っているように、リースと軽口をたたき合っている。
シュールな光景に何も言えず、リーシャやほかの者たちは何も言わずに固まっているだけだった。
――――――
血だらけの外套を脱ぎ捨て――――少々勿体ないと思ったがどうせもう使い物にはなりそうにない――――その裏側で顔に付いた血を拭いながら、近くで尻もちをついていたリーシャに手を差し出してやる。
それを数秒見つめると、リーシャはいつものように笑って握り返し、立ち上がった。
「怪我は無いよな」
「この通り、無事だよ。リースたちが間に合ってくれたおかげで」
正直あれは賭けだった。
出口がなければ作ればいいじゃないという意味不明理論に超高速で達した俺は、パニック状態になる寸前下を拳で無理やり突貫。天井を力づくでぶち破ることにより奇襲を成功させたのだった。
おかげでアルやヴィルヘルムには怒りの眼差しを向けられかけたが、結果的に成功ということで見逃してくれた。はたして彼らが与える罰とは何なのだろうかと気になると所だが、どうせ碌でもないものだろうから勘弁する。
テロリストどもは一人残らず封殺または無力化した。一人二人死んでいるかもしれないが、どうせ心中するつもりだったのだから気にはとどめない。ほんの微かな罪悪感はあれど、正当防衛だ。犯罪者相手に手加減しろというのが無理な相談だ。
「さて……俺はこれから頭を叩き殺しに行く。お前らはどうする」
そう聞くと、ヴィルヘルムは無言で頷く。ついてくる気満々らしい。俺も最初からあいつは連れていくつもりだったから、好都合だ。
「わ、私も行く」
「リーシャ……いや、お前はここにいろ」
自分よりレベルが上のはずのリーシャの助力を断る。
それには理由がいくつかあった。
「どうして!」
「お前には、ここで防衛線を引いてもらいたい。愚図とはいえ、観客が三百人近くいるんだ。ここを再度襲われたら地獄絵図になる可能性がある」
「それは、そうだけど……」
「……それに、お前、人を殺したことがないだろ」
「え……!?」
図星を突かれたようで、リーシャは目を白黒させる。
予想通りといったところか、とつぶやき背中を向ける。
「ちょ、ちょっと待って!」
肩をつかまれて移動を阻害される。
溜息を吐きながら用件を聞く。
彼女の目はまるで、嘘が親にばれた子供のような目だった。
「なんだよ」
「どうして私が……人を殺してないって」
「……なんつーか、さ。お前からは、血の臭いがあまりしないんだよ。ただの勘だけど。それに、同類のことは同類が一番わかるんだ。同族嫌悪ってやつ? それ、お前には感じないんだ」
「それ、どういう……」
「話はここまでだ。意味はあまりないだろうが、俺とヴィルヘルム、そして……あいつ、アルが出たところでお前らは食堂の扉を封鎖。床からとった木の板をネジか釘かで固定することぐらいできるだろ。で、それでも向こうが突破して来たならお前が迎撃しろ。リルは後方支援に回して身体能力上昇の魔法をかけてもらえ。できなければ回復魔法。それもできなければ……後ろに下がってもらってアウローラの面倒でも見てもらえ」
話を一方的に終わらせ着ると、俺は外套を歯と手を使って千切り、包帯状にすると、右腕と脇腹にもぐりこんでいる弾丸を無理やり手で抉るように取り出し、そこに巻く。かなりの激痛だったが、《ブラットストップ》のおかげで血は出ない。
腐っても兵器だ。乱射されたせいで軌道が読めず、更に注意外の弾丸を二発ほど食らってしまったらしい。影響は少しあれど、体を動かせるなら格別問題はない。
それに、これ以上の激痛を知っている。
「リース、その傷」
「問題ない。魔力がもったいない、魔法は使うな」
回復魔法を行使しようとしたリーシャを止め、包帯をきつく縛る。
余った外套を腰に巻き、テーブルに椅子に座って若干だが休憩を取る。体を一週間もまともに動かさず、かつスキル行使も控えていたせいかどうも鈍っている。
義手は完璧だ。反応についてきてくれる。足りないのは俺の速度。『超過思考加速』を使いたかったが、あれに頼っていてはだめだ。あれは脳に極大の負担がかかり、最悪戦闘中に視界の損失、体の麻痺という悪効果を連れてきてくれる諸刃の剣。余程の強敵でもなければ使いたくはない。
相変わらずイリュジオンの重力操作は使えず。
自分の未熟さがはっきりと感じ取れる。
「リース、水だ」
「……ありがとう」
ヴィルヘルムが気を利かせて水を持ってきてくれる。
半分を飲み、もう半分は頭にかぶせる。作戦を立てるため、疲労して熱くなっている脳を冷やすためだ。
「……ヴィルヘルム、食堂に取り付けられたスピーカーのマイクって、どこにあるか知ってるか?」
「そりゃ、船長室じゃないか? この船の全てのスピーカーに繋げることができるマイクがあると聞いたことはある」
「なら、テロリストのリーダーは船長室にいると断定可能か。……船長の生存確率は?」
「死んでいるだろうな。船長は指揮官役。操縦に関しては緊急事態以外にはしない。テロリストからしてみればそれほど生かす価値はないだろう」
「そうか」
無造作に立ち上がると、アルに顎を使って合図を出す。
アルは怪我人の手当てを終えると、テロリストたちの死体の山から軽機関銃と弾帯を取り出して俺たちと合流した。
「どこに行くかは決まっているのか?」
「船長室。この区画の電源は恐らく弱くなっているから、エレベーターは使えない。他の区画に行くより非常階段を使ったほうが手っ取り早い。意味は分かるな」
「階段を使って上がり、船長室に行く。正解か?」
「正解だ。復唱はいらない、行くぞ。時間がもったいない」
イリュジオンを握って、歩みを進める。
その時だった。
リーシャが回復魔法を使い、俺の傷を塞いだ。
相変わらず再生時に激痛が走るという欠陥ぶり。今更こんな痛み、どうってことはないが。
「……使うなと、念を押しておいたはずだが?」
「その状態じゃ肝心な時に痛んで動けなくなるかもしれないでしょ? ……倒してきてよね」
「ああ、そっちは……任せたぞ」
「任された」
拳を合わせて、互いに健闘を祈る。
俺たち三人が部屋を出ていくと、後ろからガンガンと壁を鈍器でたたくような音が聞こえ始める。
封鎖開始、予定通りだ。
このまま順調に事を進めば、問題なくこの事件は解決できる。
想定外の事態が起こらない限り。
「……早速おいでなすったか」
暗い廊下の向こう側から、十数人の影がうっすら見える。
焦った様子もないので、敵と判断して間違いないだろう。
だが少し、違和感があった。
「ヴィルヘルム」
「なんだ」
「……あいつら、何も持ってないぞ」
そう。相手は拳銃どころか、素手だった。
武器持ちのこちらに素手で挑むとは、その根性は褒めるが無謀と言って許される。
そこで二つ目の違和感に気付いた。
「……腐臭、だと?」
肉が腐ったような臭いが、かすかにだが感じ取られる。
うなじが痺れてくる。
一瞬だけまばゆく光った魔力電球により、そいつらの姿は見えた。
皮膚が爛れ落ち、異色ので生気のない肌を持っていながら動くもの。眼球は方向性を失い瞳孔があちらこちらを向いている。しかしまっすぐ歩いてくる。当たり前なのか。あいつらは臭いで獲物を追ってくる。血の流れている肉の臭いだけをたどり。
干からび、死んでながらも動く怪物。死してなお動く者の一つと呼ばれ、ホラー映画では最も親しまれた存在。
【ヒューマン・リビングデッド 推定レベル10】
一般的にはゾンビと呼ばれている、数だけは達者な化け物どもだった。
「マジかよ……」
数百ものゾンビが道を塞いでいた。
まるでここは通さんと宣言したかのように。動く壁となってこちらに向かって来ていた。
その虚ろな目を鈍い光で輝かせながら。
生者の肉を喰いたいとばかりに。
――――――
「これで、よし」
「ありがとうございます」
「いえいえ。困った時はお互い様です」
怪我人の治療を淡々と済ませ、自分の分が終わったことを認識して額ににじみ出る汗を拭く。
リーシャの持つ魔法はなかなかの質と効力がある。致命傷でなければ大抵の傷は簡単に治せるのだ。相応のMPは減らさなければならないが、この場合は彼女は相手の怪我に応じて減らすMPを調節していた。かなりの難度を誇るが、リーシャにとってはお茶の子さいさいだ。
「いたっ! もっと丁寧にやりたまえ!」
「す、すいません!」
「まったく、私を誰だと思って――――」
だがリルは違った。
彼女は宝石鑑定を専門とする。魔法は使えてもほとんどは初級止まりなのだ。魔法を使うにはそれ相応の才能と時間を有する。宝石鑑定職人という職業に魔法の腕など求められるはずもなく、結果的にリルは魔法をかじった程度にしか習得していない。
それを補助するように、消毒液や包帯、傷薬を使い治療をしているのだが医学の知識にも乏しいリルにミスは付き物で、ミスをするたび彼女は苦情を振りかけられていた。
それをリーシャは苦虫を噛んだ表情で眺める。
「ご、ごめんなさい……」
「ふん! 謝るくらいなら最初から失敗などしないことだな。この私に痛いという感覚を味わせた代償は大きいぞ……」
「ひ、ひっ……!」
「さて、どうしてくれようか。まずは観衆の目の前で服を――――」
「そこまでにしてもらえます?」
もう見ても居られず、リーシャはリルをどかして代わりに治療をする。
治療と言っても、治療という名の拷問だが。
「い、いたたたたたたたっ!?」
「あらら。すいませ~ん、つい包帯をきつく縛っちゃいました~」
「きっ、貴様! こんなことをしてタダで済むとは」
「あら、手が滑っちゃったー」
血が噴き出るほど鬼包帯をきつく縛ると、豚のような男は悲鳴を上げる。
さすが社会の生んだ塵。性格も豚以下なら見た目も豚以下である。
「お、覚えていろよメスガキ! 向こうに付いたら奴隷として飼って、たっぷり犯しつく――――」
「――――いい加減黙れよポークピッツチ○コが。口から臭い息吐きながら来たねェ言葉吐くくらいならブヒブヒ豚のように鳴いてろ。ていうか汚い言葉しか言えないのかこの腐れチン○が」
視線が養豚場の豚を見る目どころか家畜以下の豚の糞を見るような目になる。
殺気は十分。豚の口を黙らすにはこれ以上ないほどの効果を発揮した。
「……! …………!?」
「そーです、そぉぉぉです……。黙っていれば問題ないんですよ……はい、他に怪我をしている方はいらっしゃいませんか~?」
先ほど十七の女の子とは思えないほどの言葉を言ったリーシャは、悪魔のような顔から天使のようなスマイルになって周りに呼びかける。だが周りは彼女の殺気を浴びたせいか、一向に声を出さなかった。
リーシャは自分の役目が一つ終了したことにより一息つき、椅子に背中を預け背伸びをする。
「あ、あの……」
「なぁに、リルちゃん」
「ごめんな、さい……私が不甲斐ないばかりに」
「いーよ別に。最初から威厳なんてリルちゃんに期待してないし」
「…………ご、めんなさ……」
「かわいいからいいの! かわいいのに威厳があるって嫌でしょ。リルちゃんはこれでいいの。人それぞれ、あるものとないものがあるから」
「……ありがとうございます」
子犬のようなリルに威厳がある態度を取れというのが無理な話だ。適材適所、得意不得意があるように彼女はこれでいい。変な方向に成長されたら、ヴィルヘルムにタコ殴りにされそうだし。
リーシャは面白おかしげに想像しながら笑う。
人格が曲がっていても、人を気遣うぐらいの精神は残っている。それはリーシャにも当てはまることだった。
「えっと、アウちゃんはまだ起きないの?」
「は、はい! 一応怪我は無いか調べましたけど、特に目立った傷はありませんでした。気絶したのも頭を少し強く打ったぐらいで、命に別条はありません」
「そう、よかった。生きているなら何とからるよね」
密かに胸をなでおろし、アウローラの様態を見る。
苦しんでいる様子もなく、静かに寝ている。白い肌とその美貌により、まるで童話にでも出てくるような『眠り姫』のようだ。
少しだけリースが彼女を守りたいと思える理由を、理解できたような気がした。
「だっ、誰か来てください!」
「?」
誰かがそう叫ぶ。
その声には焦りが含まれており、自然と叫んだ女性の近くに駆け寄る。
「どうかしました?」
「友人が、吐き気や眩暈がするって言って、そのまま倒れて……」
「吐き気と眩暈? ……貧血の症状、だよね」
倒れた女性の様子を見ると、手足が徐々に干からびかけていることが見える。
一瞬思考が止まりかけたが、急いで回復魔法を行使する。だがそれでも手足は干からびていき、顔からも水分が少しずつ失われていった。
「な、なにこれっ!?」
最終的には女性はミイラのようになる。この様子だと、もう生きてはいないだろう。
なのに、彼女の目が見開かれた。
「ッッ!?」
死体になったはずの女性は、自分の友人であろう者の首を――――噛み千切った。
何が起こったのかもわからず、首の肉を失い頸動脈が露わになった女性は、血を冗談のように勢いよく噴出させ絶命し倒れた。
直後、倒れた女性の皮膚が急速に変色していき、死んだはずの女性はゆっくりと立ち上がる。
【ヒューマン・リビングデッド 推定レベル8】
「嘘……で、しょ」
「ア、アァアアアアアア」
不死性持ちのモンスターが、わけもわからず原因不明で出現した。
先ほどの不自然の現象から、失血が原因だとリーシャはすぐに突き止めた。
血を吸い尽くし、その者を不死者に変質させる。
「吸血鬼と死霊術……!」
どちらも人類の間で忌み嫌われた種族と禁術。
吸血鬼は人間の血を吸う。それはなぜか。答えは決まってこうだ。人間は広く繁殖しているし、多くの人は単体としての力は弱い。故に吸血鬼にとっては良い食料源だった。昔からに種族での抗争は頻繁に起こり、最終的には協定を結ぶことにより落ち着いた、はずだった。
吸血鬼は人間を家畜程度としか思っていない。全部がそうではないが、とにかく大部分がそう思っているのだ。家畜と手を組むなど死んでも嫌だ、と思う勢力が出てくるのである。だが逆に、協力してでも上に生きたいという上昇志向の持ち主もまたいるし勢力としても存在している。
恐らくその勢力に属する吸血鬼の仕業だろうと考えた。更に死霊術師。儀式的な魔法で広範囲から血を間接的に吸い尽くした後その死体をリビングデッドとして蘇らせる。
これ以上の最悪な組み合わせはそうそうない。
リーシャはどうしてここに吸血鬼や死霊術師がいるのかは知らない。
だがこのモンスターは、この場に行かせておくわけにはいかない。
「……はぁっ!!」
行使から瞬時に抜刀したフローティ――――純銀製の対不死者のために作られた細剣は鋭くうねり、二体のリビングデッドの頭部を二つに切り裂いた。
リビングデッドに対しての対処法は二つある。一つは体のどこかに刻まれている魔方陣に傷をつけるか、もう一つは頭部を破壊するか。
いくら不死者といえど下位種族。吸血鬼クラスの不死性を持たない限り脳の再生は不可能である。はっきり言ってしまえば焼いてしまうのが手っ取り早いのだが、ここは船内。燃え移って広がってしまえば絶体絶命である。
脳を二つに切り裂かれた死体はその場で倒れ、動かなくなる。血はもともとすべて抜き取られているので血が飛び散ることもない。
「皆さん、吐き気や眩暈がする方はいらっしゃいませんか! 手遅れになる前に――――」
「――――アアアアアアアアアア!!」
「くそっ!」
一足遅かった。
次々と失血し、リビングデッド化するものが出現し始める。生者の肉だけを食らう存在となった死体は、肉を食いちぎり、血を飛び散らせ、仲間を作っていく。
言っていい省の魔法耐性が無ければ恐らく血を間接的に座れる術式がすでに張られているのだろう。しかもリーシャが微かながらに倦怠感を覚えるほどの高等術式。鍛錬していない一般人程度ならば抵抗もできない。故に、対魔法結界術式でも展開しない限りいずれこの食堂内で生きている者はリーシャとアウローラ、そしてリルしか存在しなくなる。
片っ端から対処していくも、次々と出現してはキリがない。このままでは圧し負ける。
そう確信しても、リーシャは決定打を出すことができずにいた。
「きゃぁああっ!」
「リルちゃん!」
仲間が危機に陥っているのを発見し、即座に近付いた死体を蹴り飛ばす。
リーシャたちはすぐに囲まれた。そしてパニックに陥った人間たちは固定した扉を叩き壊して外に出ようとする。
その時、リーシャの脳が激しい痛みを発する。
焼き付けられるように映像が映し出される。彼女が持っている、稀に未来を見透かす神の技能。
刷り込まれるように見せつけられたそれは、最悪の未来の予想図であった。
「駄目! ぁぐっ――――私の予知では……!」
壊れた扉から、大量の死体群がよし寄せてくる。
あとはもう地獄としか呼びようのない事態になった。食われ泣き叫び、血が飛び散り――――数時間前とは逆転したような光景が広がる。
地面で寝ていたアウローラを抱いて、リルと一緒に食堂の中央に下がる。
もはや自分たち以外には敵しかいなかった。
手段を選んでいる場合ではなかった。
「《降れ・炎よ・剣よ》……! 《炎属・百剣雨》ッ!!」
詠唱に応え何もない空間から大量の炎剣が生成される。一つ一つの威力は弱い、だが雑魚相手には攻撃できる表面積も広くこれが有効ならば戦局は一気に覆される。
剣が降る。
燃え盛る剣は死体群を串刺しにする。数十体が燃え倒れる。
それは前方だけの話だった。
リーシャが使う太古の魔法である魔剣召喚魔法は、残念ながら今のリーシャでは降らすことのできる範囲が決まっている。半径十五メートル、一度使えば数十秒ほどクールタイムを要する。それはリーシャが未熟であるのが原因である。
彼女の師ならば半径数千メートル単位で降らし、一つ一つに爆発属性を付与することもできただろう。
今召喚した剣たちは爆発などしないし、長時間維持もできないためすぐに消失してしまう。
リビングデッドの群れは、倒れた仲間の屍を踏んで後から大量に押し寄せてくる。
「リーシャさん! このままじゃ」
「全滅を待つだけ……何か打つ手は……!」
――――使うしか、ないの?
心臓の鳴る間隔が狭くなっていく。
このままでは全員死んでしまう。それ以前に自分たち以外の人間はもう食われ動く死体となった。
自分が絶対使わないと誓った魔法を使うしかない。
リーシャは苦悩する。
使わないで死ぬか、使って生きるか。
(禁じ手、古代魔法……赤の属性を、使う!)
静かに呟く。
自分の心を閉ざし、破壊の力を放とうと精神を集中する。
その時横やりが入った。
《詠唱・対不死者結界術式展開。詠唱開始【貴様らは生きていない、故に消えろ。】》
アウローラが目を覚ましたかと思いきや、突然聞いたこともない詠唱を開始。
彼女を中心に半球状の決壊が展開。近づこうとした死体が触れた瞬間弾き飛ばされ、活動を停止する。
「アウちゃん……?」
『急、いで……私が、食い止めている、間……』
その声は、今まで聞いた声とは何かが違った。
しかし細かいことを気にしていられる状況ではない。
リーシャは自分が発動しようとしていた魔法を再度展開。古代に失われていたであろう『赤』の属性を持つ魔法を放った。
「《赤は情熱の証・心は爆ぜるように踊り狂う・今こそ其れを傲慢なる王に見せるとき――――》」
剣を握っていない左手に魔力を込める。
すると、左腕が赤く、紅く淡い光を発する。それは魔力を『破壊』という概念に転換したもの。
それを受ければ、たとえ竜種であろうが幻想種であろうがただでは済まない――――
「リルちゃん! アウちゃん抱えてジャンプして!」
「え!? はっ、はい!」
リルが支持された通りアウローラを抱えて跳ぶ。
その瞬間を狙い、リーシャは叫んだ。
「喰らえぇぇぇえええええっ!! ――――《破壊する感情》ァッ!!!!」
その拳を地面に叩きつける。
赤の力は床を伝い――――この場全てのリビングデッドの群れを跡形もなく破砕・消滅。
古代の魔法は動く死体を影も残らないよう破壊しつくした。




