第十三話・『赤目の鬼は動き出す』
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頭から降ってくる多量の滴をかぶる。
俺は今シャワーを浴びている。かなり久しぶりに。
道中そんな暇がなかったっていうか、異世界に来てからどこにのんきにシャワー浴びるやつがいるんだよってことだ。病院では体拭いてもらったにしろ、さすがに頭までは洗っていない。
なんか「臭う」というリーシャのコメントから、彼女は俺の頭髪の臭いを嗅ぐや否や俺が借りている客室のシャワー室に叩き込んだ。
自分でも臭いキツイとは思ったが、言葉にしろ言葉に。おかげで尻が痛い。
「………………はぁ」
しかしようやく、ようやく一つの日常を取り戻せた気がするのだ。そこに関しては本当に安堵している。さっさとこの世界に適応しないといけない。
水を一旦止め、室内に置いてあるシャンプーボトルから適量のエキスを絞り出し、髪につけて泡立てる。何か酸性の薬草を使っている物らしいので、化学薬品が使われていない天然物だ。それ以前にこの世界に化学薬品が存在するかはわからないのだが。
――――呑気なものね。
「? ルージュか」
頭の中から急に声がして動作を一瞬止める。
脳内会話という物だ。俺の脳に寄生した人格、ルージュがたった今起床したようだ。
「今更出てきて何の用だ。寝てていいんだぞ、必要になったら起こすからな」
――――私にも自由意志っていうものがあるのよ。
「あっそ」
頑固な奴だなと笑い飛ばしながら、シャンプーの泡を流して話を続ける。
「それで、何の用だ?」
――――血の臭いがしたからよ。
「あぁ、さっきアホ共をぶん殴ったしな」
一応ちゃんと拭いたはずなんだが、と笑いながら言う。
しかし血の臭いがしたからって目覚めるとは、どんだけ敏感なんだこいつは。
いや、むしろ臭う方が異常か。
――――違うわよ。
「え? 何が違うんだ」
――――いろんな血が混ざりに混ざって一つになったような……沢山の臭いがするのよ。かなり凶悪な臭いよ。
「意味わからないんだが……」
そもそも血の臭いなんてどうやって感じているのだろうか。
推測なら確実に感覚共有か何かだろうが、それなら俺が何らかの衝撃を感じている時点で起きているはず。嗅覚だけを共有させているのだろうか。
――――私にもわからないわよ。初めて嗅ぐ臭いなんだから。
「じゃあ意味ねぇだろ……」
――――とにかく、危険分子があるのはほぼ確実よ。用心しなさい。
「お前も危険分子とやらの一つなんだがな……」
ルージュは一週間ほど前、俺と死闘を繰り広げた。
その人知を遥かに超えた戦闘の末に、俺はどうにか勝利をもぎ取った。その努力も後ですべて台無しになったが。簡潔に行ってしまえば、こいつはついこの間までは敵同士だったのだ。
今ここで絶対に裏切らない可能性など存在しない。
――――しないわよ。
「信用できる要素が存在しないんだが」
――――じゃあ何? ここで私が裏切って何か得でもあるの? そもそも私この状態じゃ何もできないわよ。出来ても精々、アンタの脳内で煩く喚き散らすぐらいでしょうね。
「確かにそうだが――――これから変化が無いというわけでもないんだろ」
――――……ずいぶんと信用されてないわね。
「突然味方になった敵を信じるやつはそれこそ馬鹿だ。俺は童話に出る勇者でも救世主でもないんだ。誰かを完全に信じるなんてことは絶対にしないテン…と、思っている」
――――リーシャやアウローラも?
「……それは答えに困るな」
確かに長い付き合いとも言えない。あってまだ二週間ほど。
アウローラは記憶を喪失しているが、不確定要因が接近して何かを吹き込まないとも限らない。
俺は、二人を少し疑っている。
リーシャに関しては怪しさ満点だ。急に近づき「面白そう」というふざけた理由で俺に付いて来ている。誰に聞いても何かを企んでいるとしか思えない。何か事情があるとしても、疑うのは間違いではない。
アウローラも未だ「アレ」が演技だという可能性がぬぐえないのだ。
――――人間不信は過ぎると後で酷い目に合うわよ。
「経験則なら説得力溢れるな、先生」
――――その嫌味と皮肉も控えた方が良いわね……。
目元をビクつかせているルージュの顔がすぐに連想できた。
髪もかなり泡立ってきたので水で洗い流そうとシャワーに手を伸ばそうとするが。
「いっつ……目に……ああぁっ、クソッ」
髪から垂れたシャンプーの泡が目に入った。
目をこするにも両手共に塞がっていて思い通りにならない。
さっさと両手を洗って目を水で洗おうと手を伸ばすが、方向が狂いシャワーの位置がわからなくなる。ああもう面倒くさい。
ここで、床に落ちたシャンプーを踏みつけ、盛大にこけた。
後頭部から床に激突し悶絶する。
「おぉぉぉぉぉっ……ぐあぁぁぁぁ……!」
踏んだり蹴ったりだ。
――――私はどういう反応をすればいいのかしら。
「助けろ!?」
――――視覚を共有してもアンタの目がふさがれてちゃ意味無いわよね。
「んの役立たずがっ!」
罵倒を吐きながら床を這う。
せめて両手を洗い流そうと蛇口を探す。これも中々上手く行かない。
「……風呂に入るだけでこれかよ」
元の世界でもかなりひどい目に合っていたが。
具体的には水で滑って鏡に額をぶつけ、眉間が割れその後落ちてきた鏡の破片が背中に刺さったり。湯を出してみたら六十℃を超える熱湯だったり。剃刀の刃が爪の間に食い込んでトイレの便座のようにパカパカ開くようになったり。
よくトラウマにならなかったものだ。
その時、水が頭上から降った。量からしてタライに入った水を掛けたのだろう。
誰かは知らないが、とにかく助かった。掛けられた水を浸かって両目をこすり体を起こして、助けてくれた人物に礼を言おうとすると。
「…………」
「…………?」
裸の、アウローラが居た。
しかも俺の頭の位置は、名状しがたい場所の目前にあり、喉から出ようとした完全に言葉が消えうせる。
反射的に危機感を感じてガタガタと後ろにあるものを蹴散らしながら後退する
「なっ、ななな、なぁっ…………!?」
「……ん~」
アウローラは四つん這いになりながら、じり寄ってくる。
息を呑みながらそれに合わせ後退するが、数秒もたたずに壁に背中が付いて後が無くなってしまう。
「……ん!」
「……は?」
「ん~~、んっ!」
すまない。俺はその言語がわからない。
じゃなくて、アウローラは湯船を刺して何かを訴えていた。
もしかすると、湯船に入りたいのだろうか。
洗い流したはずの汗がぶわっと吹き出す。
「じゃ、じゃあ俺出るか――――」
「ん! ん!」
すぐに出ようとした俺の腕をアウローラが執拗にしがみ付いてきた。
一緒に入れとでも言いたそうな目をしている。いよいよ全身から汗が噴き出す。
まずいよね、この状況。
かといって無理に出ようとするとアウローラの機嫌を損ねてしまう。
苦渋の選択なのかね。ひどい頭痛がしてくる。
「あー……わかったよ」
「わぁぁ~~~」
凄い喜んでいる。
できるだけ彼女の裸体に視線を向けないようにし、湯船に水をためていく。
面倒なことになったものだ。
――――ある意味役得じゃないの?
(なわけあるか。幼児の体に誰か欲情するか)
――――あなたの世界では、なんて言ったかしら。『ペドフィリア』というんじゃないんでしたっけ?
(黙ってろよテメ……――――!?)
体が固まる。
あなたの、世界だと? こいつまさか。
――――ずいぶんと珍しい客人じゃないの。歓迎はできないけど。
(は、ははっ……てめぇ、人の記憶勝手に――――!!!)
こればかりは本気で激昂した。
自分の記憶を他人に見られるのはいい気分ではない。その中でも、自分の秘めているトラウマを覗かれたとなれば怒るしかない。
――――残念ながら、少ししか見ていないわよ。最近の一年の記憶しか。
(それでも十分だよ……!)
――――気を損ねたのなら、謝るわよ。興味本位でやったことも。
興味本位で他人の記憶を覗くな、心底そう訴えた。
歯ぎしりしている内に、湯船に水がかなり溜まった。
ちらっと横を見ると、アウローラが目を輝かせている。そんなに物珍しいのか。
「ほら、まずは髪を洗え」
シャワーで軽く髪に水をつけてやる。
なんか、子猫の世話をしているような気持ちだ。アウローラはシャワーが終わった後、体についていた水をブルブルと体を振って払い落とす。その際に何かが揺れた気がしてならなかったが、きっと気のせいだ。そういうことにしておこう。
早速湯船に浸かった。
温度は少し温めだが、子供にとってはちょうどいいかもしれないと思い、アウローラを抱き上げて湯船に入れる。触った柔らかい肌が、何とも言えないような気分にさせる。
問題はなんで俺の膝の上に鎮座しているんだという事だ。もうこの際気にしない様にしよう。
「ふぁぁ……」
「気持ち良いか?」
「んっ!」
「……そうか」
気持ちいいなら、そうなのだろう。
アウローラは子供のようにはしゃぐ。まるで自分に娘ができたようで、少々狼狽した。
少々遠くを見て黄昏ていると、アウローラが突然に抱き付いてくる。
本人は嬉しそうな顔だが、抱かれている俺としてはかなり複雑だ。というより、不安だ。
こんなところ誰かに見られたら確実に犯罪者認定される。
一応、不味いことをしている自覚はある。
「……偶にはいいかもな」
別に変な意味で言ったわけではない。
友人と風呂に入るのもいいかもなという意味合いでだ。決して「幼女と一緒に風呂入るの愉しいな」とかそういう意味ではない。勘違いするな。
「――――リース~?」
「ッッ!!??」
マズイ。やばい。
体を大きく痙攣させた俺は立ち上がる。
声を出そうにも硬直していて上手く出せない。というか位置的に股間のモノがアウローラの股間に当たることになる。なにこれ動けないふざけんな畜生。
とりあえず素早くアウローラの体を持ち上げて奥に押しやり、湯船を立とうとする。
「アウちゃんの姿が見当たらないんだけ……ど……」
「……あ」
扉を開けて、リーシャが中に入ってくる。
やっぱり、見られた。
それだけなら、まだいいだろう。
体勢がすごく不味かった。
なんという偶然だろう。アウローラの顔は俺の毛深いあの部分目前に位置づけられていた。
急に立ったことでアウローラもまた立ち上がってしまったのだ。
これを見て、他人はどんな想像をするのだろうか。
知っているものは百パーセント、アレを想像するだろう。
フェ○チ○とか。
(終わった)
――――ええ、終わったわ。まぁ、頑張りなさい。
リーシャが数秒固まっていたが、やがて硬直が解ける。
即座に外に向けて走り出した。
「警吏さぁぁぁぁぁん!! ここに幼女にフェ○させようとする変態がいまぁぁぁぁす!?」
「待って! これは事故だぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
パンツを履いてリーシャを追いかける。
幸いか、彼女が部屋を出る前には捕まえることができた。
「あ」
「……へ?」
ただしスカートをずり降ろしての転倒という形だが。
「きっ――――きゃぁもごもごもごっ!?!?!」
「お願い今捕まったら色々面倒なんだよっ! 頼むから弁解の余地を与えてくれっ!」
――――弁解も何もないでしょうに。
(だぁってろ!)
悲鳴を上げそうになったリーシャを裸のまま組み付いて口をふさぐことで、大きな騒ぎになるのはどうにか避けられた。
抵抗により全身をボコボコにされたが。
――――――
因果応報か。
いや、俺は特に何もしていない。確かにアウローラと一緒に風呂には入ったが、手は出していない。手ね天いないからな。体は触ったが別にそれ以上はやっていないからな。なのに全身をボコボコにされた挙句部屋を追い出された。どういうことだ。
涙目になりたい気持ちを抑えながら、壁に飾られている地図から図書館があるかどうかを探す。
まだいろいろ調べることが残っている。常識はわかったにしろ、専門用語などがまだだ。それにいざという時のためのサバイバル知識、つまり野草についての知識や食物、動物、魔物、その他すべての情報を頭に叩き込む気でいた。さすがにすべての内容が図書館にあるとは思えないが、それでも吸収できるものは吸収する意気込みだ。
図書館があるかどうかは謎だが。
これだけデカい客船でも図書館があるとはあまり思えない。大型クルーザーやフェリーでも図書館なんてない。あって精々子供部屋にある童話ぐらいだろう。
それに、この世界では印刷技術が発達しているのかすら怪しい。もし発達していなかったとすると、本という存在はかなり貴重になる。エルフェンに図書館がある時点でその可能性は薄いが。
「……あったな」
意外とあっさり見つけられた。
第四階層部分に、少し大きめのスペースがあった。そこに『図書館』とはっきり書かれている。
とにかく足を動かした。
エレベーター、のような乗り物に乗り、四階層にまで行く。
当然電気などで動いてはいない。搭乗した者が特殊な装置に魔力を送り込んで使用するタイプだ。魔力が無い奴はどうするんだという疑問が上がったが、スタッフを呼べば解決する話だろう。
チン、とトースターにような音がして扉が開く。
豪華な装飾で彩られた廊下を進む。すれ違う奴らは愛人片手に汚い笑顔を浮かべる奴らばかり。さすが豪華客船と言ったところか。そもそもこれに乗るぐらいなら普通の飛行船に乗ったほうが安上がりだろうに。
俺が選んだ理由は単純に時間の問題だ。一般の飛行船は最大六十ノットしか出せず、ヴァルハラに着くまでかなり時間がかかる。そのために、俺は最短で三日で行けるこの飛行船を選んだ。時間は大事だ。それを少しでも短縮できるなら金など惜しまない。
「……こんな奴らが蛆虫みたいに居たなら、話は別だったかもな」
――――それには大いに同感ね。
はっきり言って俺は自分の金を他人に見せびらかしてブイブイ言ってるやつが大嫌いだ。
まず無利益。次に意味無し。最後に醜悪。三拍子そろった醜い行動だからだ。見た目も汚いのだからさらに嫌悪感が増す。見ているだけで胃液が沸騰するような気分になるので、なるべく視界に移さないようにするのは俺の中では普通になっている。
何人かの者は俺が目をそらしていることに気付いたようで、汚らしく唾を吐いてくるような仕草をしてくる。
全身から鳥肌が立ち、思わず襲い掛かりそうになった。理性でどうにか抑え込んだが何度も堪えられるとは限らない。
そうこうしている内に、図書館へと到着した。
左右に取り付けられている扉の片方を開くと、かなり広めの図書館が目に入る。
人は少なかった。物を借りるというのが金持ちのプライドに障るのだろうか。好都合だ。
受付は不在のようだった。いや、居たにはいたが、向こうでクッキーを食べながら本を読んでいる。
食べかすをボロボロと本に落としながらもそれを片づけようとはしない。本への配慮が全く感じられない。なぜこんなものが図書館の受付をやっているんだと思う。
痙攣する頬を押えて、ついでに吐き気がこみ上げてくる口元も抑えながら奥へと進もうとする。
それが仇となる。
人を目に映さぬよう俯いて歩いていたせいで、前に人がいることに気付くのに時間がかかった。
目の前にいたのは、両手に大量の本を持っているスーツ姿の青年だった。この世界では珍しいであろう肩口で切りそろえた黒髪が特徴で、肌もあまり外に出ていないのか青白い。青い血管がかなり鮮明に見えるほどだ。ついでにシルクハットをかぶっている。元の世界では珍しいが、この世界の世界観ならそんなに珍しいものでもないだろう。
すぐ反応して避けようとしたら、同じ方向に人が避けてきた。それらが重なり――――ぶつかった。
「うわっ」
「あ」
咄嗟に踏ん張って転ばなかったが、相手は転んで尻もちをついてしまう。
やってしまったと思いながらも、転んだ人物に手を差し出した。
青年は俺の手を掴んだので、引っ張り上げて立たせてやる。
「す、すいません。つい下を向いてしまい……」
「ああ、大丈夫ですよ。心配ご無用。怪我もしていません。そちらは?」
青年は紳士的な対応をして、逆に俺の心配をしてくれる。こんな船でも良心のある者はいるものなのだなと失礼なことを思いながら返事をした。
「大丈夫です。本当に申し訳ない」
「いえいえ。人とぶつかるなんてよくあることですよ」
せめてもの償いとして、彼の頭から落ちたシルクハットを拾い上げようとする。
だが青年が素早く拾い上げてしまう。上手くいかないものだ。
じゃあ別に、彼が落した本を拾い集めた。六冊ほどだったのですぐに拾い集められた。
「別にやらなくても良かったのですが」
「不手際があったのはこっちですよ。何もしないというのはさすがにこちらも困る」
六冊の本を返す。
ふと表紙の本のタイトルが目に入った。
『Sanguis festum』
「――――サングィス、フェストゥム……?」
シルクハットをかぶった青年は、そのまま図書館を立ち去る。
受付に何も言わなくてよかったのだろうか。
「……血の祝祭、か」
ずいぶんと物珍しい本を読む奴がいるものだ。
微かに漂う血の臭いは、気のせいだろうと断じて。
――――――
「へ、へへ、すまねぇリーダー。ちょっとトラブっちまった」
「…………」
八つあるうちの機関室の一つ。そこに、シルクハットの青年は本を読みながら立っていた。
彼に頭を下げる三人組は、苦笑いで彼に謝罪の言葉を述べる。都市は明らかに自分たちのほうが上だというのに、なんと無様な恰好だろうか。
「あなたたち……少しは場所と時間を選びなさい。宝石が目の前にあるからと、それにかぶりつこうとするなどあなたは犬ですか? それともただのアホですか?」
「す、すまねぇ。この通りだ」
「……」
シルクハットは黙り込み、特別何もせず三人組を見下す。
呆れの混じった冷ややかな目で見ながら三人組で一番前に出ている男にこう言った。
「爆薬の設置は終わりましたか?」
「ああ。第一第二機関室のエンジン部、だろ? 確かに指示通り仕掛けたぜ」
「そうですか。ならいいでしょう」
「ゆ、許してくれる――――」
「用済みの駒は、もう退場なさい」
男は脱いだシルクハットの中から、すらりとした白く長い銃を取り出し、男の眉間に突き付ける。
シルクハットは躊躇なく引き金を引き、男の頭部を粉々に吹き飛ばした。
理由はわからないが、銃声はほとんど聞こえないせいで周囲の人が気付くこともない。
「ひっ」
「おっと、叫ばないでください。人が来ては面倒なので」
二人目の胴体に照準し、オレンジ色の火花を宙に飛ばす。音もなく吹き飛んだ。
三人目に照準を向けようとするも、その三人目はもう駆け出して部屋の扉の付近にいた。逃げられては面倒な事態になるとシルクハットはため息をつきながら追いかけようとするも。
「ぐぇっ?」
突然、男の頭部が三分割された。
何が起こったのかもわからずこの世を去ったであろう男の体は血を噴水のように噴出させながら倒れる。
シルクハットは、それが誰の仕業なのか大体想像がついた。
「部屋から出ないほうがいい、と忠告したはずなのですが」
何もない場所に、少し大きめの声でシルクハットは言い放つ。
すると空間が少し歪み、彼の後ろに何者かが現れ、鉄製の床に足をつかせる。
「ふん、退屈なものだったのでな。さすがに密室は息が苦しくなる」
「……リィ、あなたは我々の切り札なのですよ。さすがに勝手は困ります」
「我に下等生物の命令に従えというのか? その首、落そうと考えるべきか……」
「はぁ……頑固ですねあなたは。それでも夜の支配者、吸血鬼の一族ですか?」
「貴様に評価されて、私が喜ぶとでも?」
異音がするや否や、小さな指がいつの間にかシルクハットの顎に当てられていた。
視線の下には、原色の色をぶちまけたような白髪と、夜でも美しく輝くであろう赤眼を持つ少女がいる。肌は透き通っているように白く、体は全体的に細い。子供とはいえ、誰もが一度は振り向くほどの美貌だ。
そんな少女を見て、この体に人間の数倍近い力が眠っていると言ったら、誰が信じるだろうか。
「我は支配するが支配はされない。わかるだろう? 我が協力してやっている理由は報酬が目当てだ。それ以外には興味はない。貴様の血が美味ならば話は違っただろうが……」
「では、吸ってみますか?」
笑いながらシルクハットは、服をずらして自分の肩あたりを露出させる。
それを吸血鬼の少女は鼻で笑い、指を顎から離して踵を返す。
「貴様のような阿呆の血を、誰が吸うか」
「そうですか? 意外と美味しいかもしれませんよ?」
「人間の血の味など高が知れている。私を操りたければ竜種の生血でも持ってくることだ」
「そうですか。それはさすがに贅沢というものですよ、リィ・カーミラ・エリタージュ。私たちが用意できるものには限りがあります」
「その限界が妖精族の凝血、か。確かに味は良かったが……一瞬だが殺してやりたくなったぞ? あの時は」
冷ややかに微笑を浮かべる吸血鬼――――リィは地を軽く蹴る。すると体が浮き、彼女を囲むように黒の球体が出現する。
「まぁ、せいぜい努力をしろ。我はできれば表に出たくはない。術式を張り終えるまではな」
「わかりました。しかし、いざという時は」
「可能な限り、協力はする。貴様らが私の怒りを買わなければな」
そう言い切ると、リィは黒い球体に包まれその球体ごと空間から消えてしまう。吸血鬼特有の魔法、日光を遮断する障壁で自身を包む《対光》。姿や気配を悟られない代わりに、外側に干渉さえ不可能になる術。それでも極めれば、タイミングを操ることで一方的に相手を嬲り殺すことも可能になる凶悪な術だが。
当然禁術指定。今や習得しているだけで豚箱にぶち込まれること確定の危険指定魔法である。
「まったく、プライドが高い女性は本当に扱いにくい。なぜ私が管理者を任されたのか……あれでも真祖候補ですか」
愚痴を吐き出しながら彼は、シルクハットに自身の武器――――極消音散弾銃をしまう。暗殺向きの銃器だというのにロングバレルとはいかに、という感想が仲間から飛んできたこともある変哲な武器だ。
しかし音もなく榴弾を放てるというのはこの上なく危険な代物だろう。
「別に問題はあまりありませんがね。……すべては復讐のために。――――我ながら大層な建前ですね。くははっ」
シルクハットを深々とかぶり、男は静かに消え去った。
後に残されたのは、悲惨な死を遂げた死体だけだった――――はずだが、その死体はいつの間にか消えていた。床に付いた血の一滴さえ残さず。
――――――
指をテーブルに何度もゴツンゴツンとぶつける。
義手の左腕で頬杖を突きながら、俺を軽蔑の眼差しで見てくるリーシャを見返した。
「……あのなぁ、食事の時ぐらい機嫌直してくれないか?」
「リースが悪い」
「不可抗力だっつーの。お前俺は幼女を密室に連れ込むやつだと思ってんのか?」
「うん」
「即答かよ!」
現在午後八時半。ちょうど夕食が出されていたので、俺たち三人は食堂で食事をとっていた。
メニューは仔牛の煮込み、ボルシチ風スープ、シーザーサラダ(仮)、赤毛鶏の唐揚げ、焼きたての小麦パン、その他。夕食にふさわしい豪華なメニューだった。特に仔牛の煮込みが美味い。リンゴのような酸味が肉汁とマッチしている。
だというのになぜだろうか、溜息しか出てこない。
ついでに言うと美味いはずなのにとても不味く感じる。
「……確かに、悪いとも思う。すぐにお前を呼ばなかったのも俺の非だ」
「何。今更謝るの?」
「謝ってねーよ。だから、人の話を聞かずに警吏に知らせるのもどうかと思うぞって言ってるんだ。……いや、同じ状況なら確かに警吏ぐらいは呼ぶが、最低限言い訳は聞け」
「ふーんだ。どうせアウちゃん連れ込んで変なことしてたんでしょ」
「はいって行ったら信じるか?」
「……そ、それは」
「信じたくない事実を何で正当化しようとするんだお前は。どっちなのかはっきりしろ」
「だ、だってリース、私に……興味ないのかなーって……ちょっと、嫉妬して……」
「え? 何か後半から聞こえなくなったんだが」
「何でもない!」
何がしたいんだお前は。
こうなると対応に非常に困る。人とあまり接したことのない俺には、このような態度を取っている女性への対応が全然わからずじまいだった。このままでは後々関係が破綻するのは目に見えている。
どう声を掛ければいいのか。
元凶の一人と言っていいアウローラは俺の隣で料理を食べている。相変わらずこぼしている。先ほど洗った患者服がどんどん汚れていくではないか。後で他の服を買ってあげるか。
「……はぁ、二人のところにでも行ってるわ」
「え……」
「なんで残念そうな顔するんだよ。ただ頭を冷やしに行くだけだ……お前も少しは頭冷やしておけ」
ちょうど九時になりかかろうとしている、いい頃合いだろう。
背中を向けて手を振りながら、ゆっくり食堂から退場した。当然追いかけてくる様子はない。
さすがに当たりが強かったと後悔しかけるが、自業自得だ。あちらがあんな態度をとったからそれ相応の態度をとったまでだ。イリュジオンは今回部屋に置いてきているので喧嘩になったらおそらくこっちが負ける。だって俺女殴るのは抵抗ある。必要とあらば遠慮なく実行して見せるが今は必要な時ではない。
もう一度黒い名刺を見て場所を確認する。寝室区画二階267号室。再確認が済んだところで門をくぐり、寝室区画へと行き、エレベーターに乗る。魔力を込めて二階に行き、267号室を探す。
辺りの番号を確認しながら足を進めると、部屋はすぐに発見できた。
軽くドアを二回ノックする。
『誰だ』
「リースフェルト……えーと、昼間会ったろ。リルってやつ探しているときに」
本人確認は済んだようで、ドアの鍵が開けられる。
遠慮もせずにドアを開け放って中に入る。すると銃口が出迎えてくれた。
「……は?」
「僕が渡した名刺、見せてもらおうか」
恐る恐る、震える手で黒い名刺を渡す。
少年は「本物だな」とつぶやくと銃を下してくれる。何なんだこいつ。
……いや、当然か。変装用の魔法が用意されていないとは限らない。
「すまない。職業柄、奇襲や騙し討ちをしてくる輩が多くてな、偽物かどうか判別させてもらった」
「来客に対していきなり銃口突き付けるのはどうかと思うぞお前……」
装いとはいえ、苦笑いさえ出ず引き攣った表情しか出せない。さすが、武器商人ということか。盗難防止のためならこいついつか人も殺すな。人の事は言えない立場なのだが。
ヴィルヘルムは先の平べったい巨大な刃付きの銃――――ガンブレードを担いで手招きしてくる。
項垂れながら付いて行くと、武器だらけの部屋に出た。
ベットは二つあり、そのうち一つにはリルが腰かけて宝石をじっと見ている。カオスな光景だ。
更にヴィルヘルムはどうにも俺を信頼できないのか、痛々しい眼差しと警戒を降り注いでくる。若干居ずらい雰囲気になってしまったが、あの状態のリーシャと一緒にいるよりはまだいいだろう。
「どうも、リル」
「……えーと、リースさん? 来てくれたんですか!」
「相方といろいろ揉めてね。気晴らしに来た」
床に座り、胡坐をかきながら愚痴を言う。
人間関係はこんなに複雑なのか、と久々に思えてきた。何せ友人が二人しかいない。知り合いならば数百はくだらないが、どいつもこいつもビジネスパートナーみたいな奴らだ。人間関係など最初から捨てているような奴らに交友方法を学ぶなどできもしない。
故にこうやって仲間と多少ギクシャクしているのだが。これだけはどうにもならないので困ったものだ。
「……宝石鑑定ってさ、儲かるのか?」
「あ、いえ。そんなには……私はまだ見習いなので、なんとも」
「へぇ。……俺にも一回やらせてくれないかな」
「い、いいですけど……いきなりやってできるものでは」
「いいから」
立ち上がり、彼女から鑑定用ルーペを受け取る。
作業台を借りて手ごろな宝石をつかむと、少しだけ覗いてみる。
余計なスキルは習得しないと言ったな、あれは嘘だ。
【『宝石鑑定』スキルを習得しました。知力が0.05上昇します】
やっぱり、か。
「落下速度軽減……珍しいのか、これ?」
「えぅ、え?」
リルは俺の手から宝石を取ると、自分でそれを除く。
そして彼女の表情は驚きの一色に染まった。
「えっ、えええ!? 本当に、出来ちゃった?」
「みたいだな。ま、俺も初心者みたいなものだろ」
「ふ、普通は覚えるのに一週間以上はかかるのに、見様見真似で……」
「……ヴィルヘルム、整備していない武器はあるか?」
「あるが、どうかしたか?」
「少し貸してくれ。ああ、整備用道具も」
懸念そうな顔をしたヴィルヘルムだが、「壊したら弁償しろよ」という言葉とともに銃を一丁貸してくれた。構造が一切わからない、アサルトライフル風の銃器である。
布を敷き、銃を底に置く。整備用品で次々と部品を分解して、分解した部品から磨いていく。欠けている部品はパテをつけ、油がつきすぎている部品は少しだけ磨いていく。
【『銃器整備』のスキルを習得しました。知力が0.1上昇しました】
バレルは内部にある金属の塊を落とし油をたっぷりつけたクリーニングロットで磨き、切れているリコイルは取り替え、ゆがんだフレームはハンマーで軽く叩き直す。
最後に整備した部品をすべて組立て、仕上げにマガジンを取り付けコッキングレバーを軽く引いて弾丸が入ったか確認。さすがに発砲は無理なので、専門家のヴィルヘルムに渡す。
「お前……元武器職人か何かか?」
「いや、違う。後、その形状の銃をしたのは今日が初めてだ。…………武器いじりは死ぬほどやっていたからな、その受けおりだ」
「……お前、何者だ?」
「ただの旅人さ。と、いうわけだ。手伝えることがあるなら手伝うぞ? かなり素人だが、邪魔にはならないと思う」
「…………」
寄りにもよって、この体質が再現されているとは、一番いらない能力を引き継ぎやがって……。
「よし、わかった。だが、余計なものは触るなよ?」
「了解」
「じゃ、じゃあ早速、これを鑑定してください」
「それが終わったらこの山を処理するの手伝ってくれ」
……今夜は忙しくなりそうだ。
――――――
久しぶりに、昔の夢を見た。
その内容は、ただ単純なものだった。
過去の追想。
今までの人生を焼き付けた映像。
……ずいぶん昔の話になる。
俺は五歳の時、もうすでに二次関数の数学を解くことが可能だった。英語も、下がうまく回らなかったものの問題なくしゃべることができた。親からは凄い……などという賞賛はなかった。
代わりに、気持ち悪いなどという侮辱の言葉をいただいた。
すぐに脳の研究施設に運ばれた。数日すると、どうやら俺の右脳は異常に発達しているそうだ。代わりに、左脳が若干不安定であり人間性に欠けているという。
IQテストで500超という数値を叩き出した俺を、研究者は次第に畏怖の眼差しで見るようになってきた。しかし子供の俺は、特に何も思うことはなかった。
数学は趣味、国語は言葉の羅列、社会は世界の腐り具合をよく表した文章、理科は過程と事実を述べただけのもの、英語は暗号のようなものだ。テーブルゲームなどはもはやただの作業。本来不確定要素に頼るポーカーなどはカードの位置を記憶すれば計算可能だ。神経衰弱も同様。
やろうと思えば何でもできた。野球、サッカーと単純なものから、空間感知、動作予測、計算による物体の軌道予想。とにかくやりたいものはやったらできた。靴を作ることも服を縫うことも建物の設計も知らないはずの空気力学も、専門的なことさえ簡単に為せた。
欠点がない、わけではなかった。
体を動かすのは少々苦手だった。面倒、という感情が働き次第にやる気がなくなっていくのである。……苦手というだけで、別に体が弱いわけではなかったが。
六歳になり、ついに施設から出られた。親は笑顔で出迎えてくれたが、それが作り笑いだというのは自分が見てもわかった。夜、盗み聞ぎすると『消えてほしい』『いなくなればいい』という言葉が聞けた。
特に気にはしなかったが。
六歳になったので小学校に通うことになった。それはもう、退屈としか言いようがなかった。
授業のレベルの低さ、精神の幼稚さ、以下略。真面目に受けていたら死にそうなほど退屈だったので、暇つぶしにノート一面にP≠NP問題への解法でも書いた。結果的に解けなかったが、それでもあんな授業を受けるよりはマシだった。
テスト。語ることもないので割愛。全部満点だったので先生に褒められたが全然嬉しくなかった。模範的という奴だろうか。今思えば高校生が小学一年生のテストを解くようなものである。
小学四年生になったころだろうか、ゴミ箱に捨てたノートの切れ端を担当の先生に見られた。案の定すぐに捜索は始まり、結果俺が犯人だということが知られた。
先生は『どうやってこの問題が分かったのかい?』と聞いてきたが、答えられなかった。だって常識を語れと言われて『お前はそんなことも知らないのか』と思うようなもんだ。価値観が違い過ぎたのだ。最終的に俺は新聞に報道された。これ以上の傍迷惑なものがあるだろうか。
後日、マスコミというものが家の前にウジャウジャとあらわれた。なぜかいろいろな質問を投げかけてきたので全部無視した。のだが、あまりの密度に家から一歩も出られなかった。学校は休んだ。夜に両親から殴られた。なぜ二人が自分を殴るのかわからなかった。
中学生ほどの年齢になった頃だろうか。いつものように学校から『化け物』『消えろ』『凡人の敵めが』などという罵詈雑言を無視し家に帰った頃、少し異臭がした。それは両親の部屋からしたものだった。
部屋を覗いてみると、両親は天井から垂れ下がった輪っかにぶら下がっていた。冷めた目で見ながら警察に通報すると、あまりの冷静さから迷惑電話と一瞬勘違いされた。
遺書を見ると、そこには俺に対する怒りや憎しみ、憎悪、悲観、嫌悪、恥、軽蔑、恐怖。良心が胸に秘めていたであろう負の感情が込められた文章が敷き詰められていた。
最後には、こう書いてあった。
『お前という存在を生んだのが一番の間違いだった』
そこで少し人間性が刺激された。
初めてではないが、まさか両親からも自分の生誕さえ否定されるとは思わなかったのだ。
ほんの一滴だが、涙が流れた。
唯一、俺を抱きしめてくれたのは妹だった。
椎奈 優理。俺と年が二つだけ違う、唯一無二の妹だった。
彼女だけは、どんなことがあっても俺の味方でいてくれた。周囲が化け物と言おうが彼女は、いつも毎日、俺を抱きしめてくれた。
なぜ優理がここまでやるのかわからなかった。
化け物という存在に、なぜここまで優しくするか理解できなかった。
しかし理由などどうでもよかった覚えがある。
とにかく俺は優理を一生護ろうと誓った。自分の子を奇異の眼差しで見るような親などどうでもいい。彼女だけは命に代えても護ると思えた。
優理が高校生になった時、俺は優理の腕に痣ができているのを見てしまった。
問いただしたが、彼女は転んだだけと答えた。嘘だとはすぐに分かった。誰かによる危害というのは見てもわかった。初めて、怒りというものを感じた。
事はその一週間後に起きた。
いつも帰ってくるはずの時間帯に、優理は帰ってこなかった。携帯に連絡してみるも、通話はできなかった。ふと嫌な予感がし、優理の通う女子中学に訪れた。
人がほとんどいなくなった学校はとても静かだった、風も偶々無く、異音はとても聞き取りやすい環境だった。神経を全集中して、音を聞き分ける。微かにだが悲鳴がした。
体育館に建てられた、少し大き目の倉庫だった。予想通り鍵が閉められていたが、蹴破った。ドアが旧かったのもありたやすくドアは吹き飛んだ。
嫌な予感というものはよく当たるものだ。
十名以上の女子生徒が、服をズタズタに裂かれた優理の姿を携帯に収めていた。
状況はすぐに頭に入った。
おおよそ、俺という存在をかばい建て続けた、または兄に持ったせいで他人から虐げられたのだろう。それが徐々にエスカレートし、こうなった。
拳に自然と力が入った。
肌を黒くした生徒は笑いながら罵詈雑言を俺に言い、ハイヒールのとがった部分で足を蹴ってきた。血が出た。その生徒の顔を殴り吹き飛ばす。それに気づいた生徒たちはバットやらバールやらを構えて俺を殺そうとする勢いで突撃してきた。
金属製のバットは蹴って二つに折り曲げ、バールは奪い取って逆に持ち主の頭をフルスイングでぶっ叩いた。あとはもうノリだ。女子生徒全員は俺に襲い掛かり、負けた。
駆け付けた教師が通報し、彼女たちは全員病院に送られた。悪かったものは肋骨骨折もあったそうだが、最悪なものは頭蓋骨骨折だった。
俺も病院に送られた。右腕の完全骨折、下顎骨骨折、頭蓋骨に皹まで入り肋骨も数本折れたらしい。
数日後、女子生徒の一人が死んだことが伝えられた。原因は脳挫傷。パールを使い頭を殴った生徒だった。即死だったらしい。
当然警察の調べが入った。確か、なんて言う名前だっただろうか。顕谷 新司という警官に真実を伝え、証拠品に彼女たちの携帯からボロボロになっている優理に写真を見せた。
少年法により死刑はまずないだろうが、俺は別に死刑になっても構わないと思った。優理を傷つけていた者たちを取り除けたのだ。逆に清々しくも思える。―――人を殺すことに始めて快感を覚えた瞬間だった。
数週間後、判決により無罪ということが決定した。正当防衛が成立したらしい。先に手を出され、更には肉親に危害を出されてそれを防ぐために暴行を実行し、さらに数による暴力により生死を彷徨いかけるほどの重症を負ったのでどうにかできたようだった。そして少年法。これも重なったようだ。
とどめに、最初に殺害する意思がなかったのが理由ともなったようである。
どうにも納得がいかなかった。
病院からも退院し、優理は相変わらず帰った俺を抱きしめてくれた。
だが高校の生徒たちは違った。
校区内のネットワークにより、俺が犯人であるという情報はすでに出回っていた。被害者の女子生徒が情報を流したらしい。俺はついついさすがインターネット、と感嘆してしまった。
暴言が増えた。『人殺し』『サイコパス』。予想はしていたが予想通りの言葉が出てくるとは思わなかった。これ程単純なアホと、俺は今まで同じ場所に居たのか、と。
だが優理も暴言を受けていたことを知ると、全員殺しておけばよかった。などという異常な考えを笑いながら浮かべてしまった。
俺はともかく優理はもうその中学にいることはできなかった。
お金は両親の遺産といくつかの未解決問題を解いた報酬でかなりの量があったので、優理をアメリカへと留学させてやった。もともと俺譲りか頭は良かったので、向こうでは問題なく適応できた。
笑った。
学校で俺に暴言を吐いてくるやつらに、全員笑顔を見せた。
『――――死にたい?』
すると皆は黙った。
こうして、俺の孤立は確たるものとなった。
その時ふと思ったことがあった。
俺が化け物という存在になったのは、不幸故なのではないかと。
今となっては世迷言そのものだと断言できるが。
何が不幸だ。
俺は『普通』を捨てた。それだけの事だった。




