第十話・『不幸、故に』
ルビのミスを修正しました。
設定のミスを修正しました。
色々滅茶苦茶な部分を個人的に整えてみました。
脳。誰もが知っているであろう中枢神経の一つであり人間が人間で在れる要因の一つに含まれる。
その期間は主に動物の頭部に存在し、感情・思考・生命の維持をする最重要と言っても過言ではない器官だ。これを失えば動物は即座に死に至る。
ところで、こんな話を知っているだろうか。
脳は実は全力など発揮しておらず、100%の内約3%前後しか使用していないことを。
そして、その内に眠っている力を全て引き出すことができれば、人間はすさまじいポテンシャルを発揮することを。
勿論話は簡単ではない。
脳の限界を引き出せて、その後何もないなら我々人間は脳の研究に最大限取り組んでいる。
まず問題が二つほど発生する。
一つ目は、人間の体が脳について行けないということだ。わかりやすく言えば、スーパーコンピューターのCPUを中古のパソコンに取り付けたようなものだ。あまりにも信号が強力過ぎて、筋肉の限界値を突破し、いずれは引きちぎれてしまう。更に骨も砕け、体は重症になること間違いなしだろう。身体を強化すれば問題は取り除かれるのだが、残念ながら機械化手術などという代物は現代では先の先だ。
二つ目は、その体を動かすための燃料だ。3%から100%、単純計算で実に30倍以上のエネルギーを消費する。維持することに必要なカロリーも増えて、一日に約六万KCalという途方もないエネルギーを補給しなければならなくなる。
これらの問題から、脳の制限を解除してもいずれ待つのは短期間内での死。
――――だが、これらの問題を一切考慮しなかった場合、人はどうなるのだろうか。
人が医学的に持ち上げられる重量は約五百キロである。だが、筋力にはリミッターがかかっておりこれは本来の力の約五分の一の場合だ。
つまり、制限がなかった場合はその五倍の約二千五百キロ。二・五トンもの重量を瞬間的にだが持ち上げられる筋力を発揮することができる。足の力も同様だ。
結果的に、人間は脆弱過ぎる肉体が無ければ実質生身でも生態系の中でも最強の部類に入ることが出来
る。
なら肉体を限界まで鍛えた場合、人間はどうなるだろうか。
脳の機能を全て使いこなせる肉体になった場合、人間の性能は目を剥く代物になるだろう。
先天的に脳機能を任意で調節し扱うことのできる人種。
椎奈結城という者はその能力により自身の敵を一人残らず蹴散らしてきた。
脳の制限装置を任意で引きちぎられる結城を止められるものは、少なくとも彼の世界では存在しなかった。
彼の師はその能力をこう名付けた。
超過思考加速。
常人では踏み入る事すら許さない超速思考の世界の入門者。
それが結城が人の身で『化物』と呼ばれる所以の一つであった。
――――――
火花が散る。
床が砕ける。
剣と拳がぶつかり合う。
炎が頬を撫でて焦がす。
「アアアアアァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「アハハハハハッ!! アッフャヒャヒャヒャヒャガカッ、カカッヒャッ!!」
先ほどとは強度が桁違いに上がった筋肉が唸り、溶けた籠手越しに相手の柔らかそうな肌を殴る。
だが傷はない。まるで相手も鋼の肌を持っているようだ。
籠手はもうすべて溶けたと言っても過言ではなく、赤い光と途方もないほどの熱を放ちながら燃えてどろりと爛れている。それでも俺は、自分の手が溶岩に叩き込まれているも同然なのに、相手を殴り続ける。
事実を行ってしまうとを、全然熱くない。
服が防火性なのもあるが、謎の補正により肉体が大幅強化され、HPは全回復し、もはや溶けた鉄程度では全然熱いと感じられない。
唯一熱いと感じられるのは、相手の肌だ。触れただけで灼熱の鉄板を押し付けられているような感覚を味わう。実際、俺の手はもう炭化しかけており、肉が焦げた匂いが鼻を刺している。
実質的には攻撃してダメージを受けているのはこちらだけだ。相手を殴ってもまるで手ごたえもない。
このまま攻め続けるのはさすがに部があると断じ防御態勢に変更。相手が飛ばしてくる剣の高速乱舞を手を器用に使って躱し、逸らし、弾く。そのたびに手はボロボロになっていく。
「あらぁ~? 動きが鈍っているわよぉぉぉ~? キヒヒヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!!」
「黙れェェェェッ!! お前だけはァァァァッ、殺ぉぉぉぉす!!!」
真正面からの突き。単調だが速さが段違いだ。
即座に反応して、無計画に灼熱の剣を両手で挟むようにして受け止める。
両手が今まで以上にひどい音を出す。
「ぐっ……がぁっ……!」
「ねぇ、両手が焼ける感覚ってどんなものなのかしら? 味わったことがないから、私判らないの。ねぇ、教えてくれませんこと?」
「だま、れ……この糞アマァアアアアアアアアアア!」
「あ?」
反射的に放送禁止用語で挑発したのが堪えたのか、相手は剣をさらに強く差し込んでくる。
剣は俺の目の前で停止した。
「へぇ、へぇぇぇ? 成程、成程ねぇ……どうしても死にたいみたいね」
「く、がっ、あぁァッ!!」
無理矢理入ってくる剣を首を横にずらすことで回避。すぐに飛び去り態勢を立て直す。
手の感覚が消えている。あれだけ焼かれれば無理はないが、さすがにきつい。しかもいつの間にか床も燃えているせいで足も限界だ。
リーシャの方を一瞥すると、他の仲間たちが集まって彼女を運んでいる。この近くで治療をするにも危険すぎるのだろう。
これで、俺の役目はあともう少しで終わる。
あいつらが逃げてくれればあとは俺もどうにかして逃げる。
一人が時間を稼いでいる間に全員が逃げられる作戦だ。悪くはない。
ただ、俺の死亡率が劇的に上昇したのは否めないが。
「《夢幻の焔剣》」
頬に何かが掠る。
触ってみると、微かに血が流れていた。
後ろを横目で見ると、石床に赤く燃えた剣が刺さっているのが確認できた。
一体どこから来たのかは判別できなかったが、危険なことには変わりない。
「踊りなさい」
「俺にダンスをさせたいなら、もう少しいい女になってからにしな。チビが」
苦笑いを浮かべている俺のことは気にも留めず、相手は空中に先ほど飛んできた剣を無数に出現させる。それらすべてが、一斉にこちらに目掛けて発射された。
呑気なことに俺は、昔やってみたビジュアルノベルのキャラクターを思い出してしまった。
こういう時は、こちらも同じ手で対応する。だが――――俺にはそれが不可能だ。
そんな魔法も、覚えていない。
――――ああ、死んだなクソ。
だが諦めない。
俺が死ぬときは皆が逃げた時だ。いや、俺は死なない。死にたくない。
こんなところで死んでいたら、再開すらしていない妹に顔向けできない。
だから、全力で抗った。
「――――――っ」
腰にぶら下げている二本の剣に触れる。
包んでいる布を解き、その奥にある黒い柄を握る。
瞬間、重圧が身を襲う。
だがなぜだろう、昼間よりずっと軽い。
受け入れているからか、とても楽だ。体が地面に叩きつけられようとしているのに、体が軽く感じる。
――――パキッ。
脳裏でそんな音が密かに木霊する。
前の世界で散々やってきたこと。
任意での脳のリミッターを五割解除。体に常識外れの負担を掛ける代わりに、瞬間的に五倍もの力を引き出す禁忌。
思考速度が加速する。
【『超過思考加速』スキルを習得しました】
周囲の色が変化する。
一面青へと変わり、時間がまるで遅くなっているようにゆったりなものとなる。
――――いい加減、認めろよ。
あえて呟かず、頭の中でこの剣に問う。
――――何をすれば認める。
剣が震える。
それに無意識に笑った。
――――無言、か……強情なやつだよ。お前。
過去の自分からしてみれば、完全に頭がどうかしていると思える物言いだろう。
だが、もう過去の常識は通用しない。そんなものは邪魔だ。先に進めない枷となる。
現実なんてぶっ壊せ。幻想を現実に変えろ。
そうすれば――――敵はいなくなる。
――――もう目覚めろ。目覚めろ、目覚めろ目覚めろ――――いいから俺の言うことを聞けッ!!!
漆黒の剣を腰から抜く。
もう重圧はない。
体は羽のように軽い。
飛来してくる剣は止まっている蠅のようにゆっくりしている。
「――――起きろ、イリュジオォォォォォォォン!!!!」
言葉を言い終えた直後、高速の剣が雨のように飛んでくる。
相変わらず床の炎が足を焦がす。
それを感じて――――笑った。
真っ先に飛んできた剣。前の俺なら問答無用で串刺しにされている。
前の俺なら。
「――――な!?」
手に持った剣が、俺自身も見えない速度で剣を弾く。
腕が一つの意思を持ったように動き出す。
一つ目二つ目三つ目四つ目――――無数の剣を攻撃可能範囲に入った瞬間落とす。
二刀を巧みに使い、ある時は接続したものをバトンのように振り回し、俺の体は最初から扱い方を知っていたように動く。剣の中にある大量の経験が流れ込んでくる。頭が冴える。腕が動く。
気が付いたときには、もうすべての剣を弾き終わっていた。
「……まさか、全部捌けるとはね。傷ついちゃう」
「…………くくっ」
「何が笑えるの」
「いや……一応忠告しておく。――――死にたくなかったら本気で守れよ?」
地を蹴る。
――――――
「っは、ぁ……がほっ……ふっ」
リーシャは大きく切り裂かれた脇腹に手を当て出血を押える。
回復をしようにも相手はあの一瞬でご丁寧に魔力の循環道である点穴まで潰してくれた。それでは呪文も魔法名も唱えることができない、というより意味が無い。無詠唱を行おうにも今の状態で使えるのは効力が微妙な魔法だけだ。
終いにはファールたちに肩を貸してもらい、この階層を下りる階段まで運んでもらっていた。自分が役立たずだお荷物だと言っていた者達に助けられているとは、なんと皮肉なことだろうと彼女は自嘲した。
まさか、切り札を切ったにもかかわらず敗れるとは思わなかった。
自分の中で最も高い切断力と速度を秘める奥義を耐えられ、かつこちらを瀕死にした。規格外にもほどがあった。《不幸なる一撃》、あれは本来自分より高レベルの相手を一撃で確実に殺すために編まれた技だ。たとえ自分よりレベルが二倍三倍上だろうと殺すことができる。だが、できなかった。
想定外。
彼女は、リーシャは正直甘く見ていた。
ここまでこれまでの雑魚と差があるとは。
「ここまでこれば大丈夫……なわけないか」
「転移装置は何処にあるんだ?」
「さっきの場所の奥ら辺だ。戦闘中だから近づけもしないぞ」
「……僕たちが行っても、足手まといですよね」
「……認めたくは、ないがな」
意気消沈している彼らを一瞥し、リーシャは大怪我をしているのにも関わらず立ち上がる。
「お、おい! なにやってんだ!」
「うる、さい……私は、リースを、助けに……」
「その怪我じゃあいつの足手まといだぞ! いいから休め」
「う、る――――ッッッ!?」
治りかけた傷口が開き、血が噴き出す。
その激痛に耐えきれずに、体は自動的に崩れた。
「言わんこっちゃない……今は寝てろ」
怪我のある箇所だけ衣服を取り除かれる。
ファールという獣人はそこに何か粘着質のある液体をつけ、リーシャはあまりの悪寒に身震いする。
「止血用ゼリーだ。気持ち悪いだろうが我慢しろ」
「魔法、は」
リーシャとて他人に治療を頼むのは不本意だった。
しかし流血し、多量の血液を失っている今、自分自身に治療魔法を掛ければ自動的に生命維持に回っている残り少ない魔力が枯渇し、尚且つ再生による強烈な負担により傷が悪化しかねないのだ。
こういう場合は他人から魔力を譲渡されるか魔法をかけてもらえばよいのだが――――白兵戦専門の獣人に魔法など使えるはずもない。
そもそも獣人とは魔力が存在しない種族だ。混血ならば多少の魔力は保有しているが、人間と比べれば才の無い人間とそう変わりない。高度な回復魔法など使えるはずもない。
「んなもん獣人に使えるわけないだろ。脳筋のジョンも使えないし、ニコラスも鼻血を止めるぐらいの魔法しか持ってない。セリアは魔力が切れて絶賛居眠り中だ」
「……役立たず」
「お互い様だバーカ。……しっかし、お前の相棒さん、一体何者だ? あのボスを相手に近接戦持ちかけて均衡してるぞ」
「え、ぇ?」
彼女に数段上に運んでもらうと、その闘いぶりがはっきりと見える。
二つの影が何度も何度も交錯していた。
その度に耳が痛くなるほどの金属音が聞こえる。
「ッ――――イィィィィヤァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「こんのぉぉおおおおっ!!」
正面からぶつかり、空気が弾け、体が吹き飛ぶ。
次元が違う。一目でわかった。
レベルだけなら自分が圧倒的に上のはずなのに、何なのだあの差は。リーシャは真っ先に思った。
最早そんなちゃっちな問題ではなくなってきた。自分が反応できないほどの速度で戦闘が行われているのにもかかわらず、あの二人は相手の数歩先を行こうと読み合いまで行っている。攻撃の予測、数十手先を見据えた戦術、相手の予想通りに行こうとも変則的な動きを出すことでの敗北回避。
生物が行っていい戦闘ではない。
二つの化物が衝突しあうその光景をリーシャは目に焼き付けた。
きっと一生忘れないだろう。
同時に、こんな疑問も出てきた。
「リースフェルト……アンデルセン。一体、何者なの」
様子からみて偽名だと言うのは一発で見抜けた。
じゃあなんだ。名前など自分を表すときの手段の一つに過ぎない。
私は、彼という人物が分からない。
最初合ったときは、単なる馬鹿な夢を見そうな探索者だと思った。運悪く目を付けられたのか、五十匹の厄介そうなモンスターと戦っていて、通りかかったついでに助けた。
よく見たらとても面白そうな匂いをしていた。気まぐれでパートナーにした。
だが――――一向にわからない。
本当の名前どころか素性さえ。彼が何を目的にし何を目指し何を見ているのか、皆目見当がつかなかった。
異端。
リースフェルト・アンデルセンという者を示すには、これ以上の言葉が存在しなかった。
しかしながら、一つだけわかったことがある。
「……まったく、お人よし……だ、ね」
通りかかっただけで、善意も悪意もなく人を助け、見知らぬ女の子を助けにこんなところまで来て、なんだかんだ言って皆を気遣う。だがそこには本当に善意も悪意もない。
性質の悪いことに――――自分を偽っている糞野郎だ。だが不思議と嫌悪感は抱けない。なんだかんだ言ってこちらに気を使ってくれているからか。
それでも見ているこっちがはらはらするというものだ。
「……負けないで」
何もできないリーシャは、そう祈るしかなかった。
――――――
床の炎がより一層強くなる。
今の彼女の心情に反応しているように、赤く、黒く、激しく燃え上がる。
「なんでよ……なんで貴方はそこまで……?」
「何がだ、よっ!」
鍔迫り合いを押し切り、相手を弾き飛ばす。
互いに肩で息をしており、体力的に限界だった。
だが相手は――――少女は悔しいような、悲しいような顔で、涙を流しながら問いかけてくる。
「なんで、あなたはそんな風になってまで戦えるのよ!? どうして傷つきながら誰かを信じられるのよ!?」
「知るかよ」
そんなものは、知らない。
知らなくていい。知ってもそれは意味のないことだ。
「どうだっていいし、知ったこっちゃないんだよ――――自分がどうして闘っているかってことは!!!」
もう懲りた、そんな理由を考えるのは。
何度も何度も何度も何度も考えて考えて考えて考えて、その果てには何があった。何もなかった。理由など必要ない。戦うことに理由などいらない。俺はただ、剣を振る。
答えでもない過程を答えと呼ぶことに意味は無いのだから。
無言で一閃を叩き込む。
少女の腕が皮膚が剥がれ落ち、鮮血がそこからにじみ出る。すぐに回復するが、肉体的な痛みと精神的苦痛が同時に襲ってきたことにより、少女は苦悶の表情を浮かべる。
「ふざけないでっ……あなたが死ぬかもしれないのに、誰も助けに来ないじゃない! なのになんで逃げないの? なんで戦い続けるの? 痛いのが怖くないの!?」
「確かに痛い。痛いのは確かに嫌だよ。だけどな」
俺には、痛みなどもう恐怖の内にすら入らない。
傷つき倒れて、立ち上がりまた傷つき倒れ、それを何度も繰り返すうちに俺はもう何もかもがわからなくなった。何が怖いんだ。俺にとっては何が恐怖なんだ。
そして答えは出た。
俺が怖いと感じるのは――――
「大切な奴ら失う方が、何百倍も怖いんだよ……わからないだろうな、化物がぁあああ!!!!」
気合のままに少女の胸を切り裂く。
炎の様に熱い鮮血が飛び散り、俺の頬にかかる。それは暖かい血。決して、冷たくは無かった。
「お前に感情が残っているならわかる筈だ!!」
「ッ…………!」
「大切な者を失ったことがないのかもしれない。一番大事な何かが欠けた恐怖を知らないのかもしれない!!」
それでも、理解はできるはずだ。
心が残っているならば。
「失ったものは取り戻せない」
取り戻せないからこそ――――
「だからこそ俺は、今できた大切な者を必死に守る…………これがお前が知りたがっていた俺の闘う理由かもなァァァッ!!!」
少女の剣を弾く。
剣を接続し、開いた左手で少女の頭蓋を鷲掴みにした。
「覗かせてもらうぞ――――お前の記憶!!」
「何を……!?」
一拍も空けずに『記憶透見』、発動。
体中の血管が浮き出て熱くなる。弾け、血を飛び散らせ、体を傷つかせながらも俺の中には記憶が流れ込んできた。彼女が歩んできたであろう人生。そのほんの一部を。
筋肉が痙攣し始める。視界がブラックアウトしかけた末、俺の身体は自動的によろめき倒れかけた。俺もそこで記憶を読み取ることを停止し、よろける体を無理に支える。
「何を、した……」
「…………なるほど、な」
対価として、理解を得た。
「馬鹿がッ!!!!」
「ッ!?」
同時に激怒した。
「あれほど大事に思ったなら――――あれだけ無理をして追いかけたのなら、なんですぐに手放した!!!」
「あなた、まさか……!?」
「なんで『親友』にすべての責任を押し付けた!? なんで――――なんでお前は逃げたんだよ!?」
俺が見たのは悲しき悲劇。
全てが乱され、ただ運命にそって生きてきたがゆえに下された天罰。
理不尽な物語。
だからこそ、激怒した。せざるを、得なかった。
「なんで……また追いかけようとしなかった」
「……それ、は」
「追いつけたはずだ、肩を並べられたはずだ、一緒に戦えたはずだ!!! それができたくせに、手放したな……? この、大馬鹿野郎がッ!!!」
「あ、なたにッ…………なにがわかるっていうのよッ!!! 敵の巨大さも知らないくせに! 偉そうなづらして理解者ぶらないで!!」
確かに、お前らの敵がどれだけの者なのはか、今の俺には理解できない。
それでも俺は今まで自分たちよりはるかに大きな奴らと戦ってきた。苦労の末に、代償を支払ないながら、それを退けてきた。
「本当に悲劇を繰り返したくないと思ったのなら、なんで逃げたんだよッ!!」
「う、っぁ………」
少女はひどく狼狽した。正面から言い任されたことに、驚きを持ったのだろうか。
「うる、さい……うるさいっ、うるさいうるさいうるさぁぁああああああああああああああああい!!!」
何も言い返せなくなった少女は血眼で叫ぶ。
悲痛で哀しい、子供の悲鳴を。
激情の証であろう炎が彼女を中心として広がり、このホール一帯を炎の海と変えてしまう。
炎に包まれる。
体が焼かれる痛みと共に、彼女が抱いているであろう後悔と懺悔の念を感じた。
後悔している。やり直したいと感じている。
だけどそれは、許されないことだった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
体が焼かれるのを無視して、燃える体で疾駆する。
剣を二つに分け、力を絞って握り、振りかぶる。それしか今の俺にはできなかった。
この少女を止めることしか。
「いやぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
拒絶の叫びが木霊する。
少女の剣が振られ、俺の黒剣と衝突した。金切声の様な金属同士の悲鳴が耳を壊すと錯覚するほど響く。
「もう、いやっ……あっち、いけぇぇええええええええええええええ!!!!」
「がぁぁあああっ!」
剣が弾かれ、少女の拳が腹に叩き込まれる。
肺の空気が吐き出され、衝撃は体を駆け巡り、体は物理法則に従い高速ではじかれ地面を転がる。
体を焼いていた炎がさらに強くなる。
意識が遠のいていく。
「《神霊終義・第五階――――七罪解放・嫉妬する大蛇海魔》!!!!」
空間が割れる。同時に誰も逃がすまいと、炎の壁が周囲に展開された。
全てを焼き尽くす業火。地獄の様な空間で、もはや逃げられる術は無い。意識ももう首の皮一枚で繋がっている状態だ。まるで、今の俺は日の中に放り込まれた虫のようだな、とそんなことを思ってしまった。
「最後のッ、足掻きだぁぁぁ……………!!!」
全力集中で少女の頭上にイリュジオンの固有能力なる物――――『疑似重力』を叩き込む。人為的に生み出された人工重力。星の与える重力の約五千倍もの重さが少女の体を蝕む。
「ぎぃ、ぐぅぅうっ!!!」
それでも少女はそれに抗うだけの力を持っていた。
五千倍の重力に逆らい、全力で飛翔することで床に穴を開けずに少しだけ浮遊することに成功していた。
これで最後の悪あがきも通用しなくなった。
「ま……だまだァッ!」
それでも俺はあきらめずにイリュジオンに意識を集中する。
余波で空間がゆがむ。脳内で大量の数式を構築し、空間を歪ませる下準備を整える。
「宇宙空間に……放り出してやるよ!!」
この世界に宇宙があると言うならば、そこへ行くことはできるはず。
ワームホールを作るなど自分でも無謀な作戦だとは思うが――――もう、これしか、
「ごぶっ……………が、ぁ?」
全身の傷という傷から血が流れ出てくる。
目から、耳から、鼻から、口から。ありとあらゆる場所から血が這い出てきた。
まるで自身の体の限界を告げるように。
(……今度こそ、か)
全身に力が入らなくなり、膝を付きそのまま倒れる。当然、実行途中だったワームホール生成も中断され、空間のゆがみも一切合財消えてしまった。
残ったのは、巨大な目が見える割れた空間と、炎の翼を生やした少女。
割れた空間から、巨大な『何か』が顔を出した。
いや、顔どころかまだ目しか見えない。割れた空間は二十メートルもあると言うのに、瞳孔程度しか見えていない。流石は、リヴァイアサンと言った所か。伊達にヨルムンガンドと肩を並べられる蛇ではないという事だろうか。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
大蛇の咆哮が聞こえる。世界を震えさせるような大咆哮。受けたら、良くてもひき肉になるだろう。
後悔はする。
まだ、残っていることが沢山あった。
それを成し遂げられないのは非常に残念だが、
(ここで死ぬのも……悪くは無いか)
もう、疲れた。
いいだろう、もう。
瞳を閉じた。
「死なせないよ、リース」
何かが俺の身体を包んだ。
「な……ッ!?」
「……お、前」
翼があった。六枚の翼で俺を包み、炎から守っていた。
頭を潰されたはずの、アウローラが。まるで何ともなかったかのように、息を吹き返して。
薄々気づいてはいた。『行動感知』スキルにより、微かな呼吸は感じ取れた。しかしそれは己が作り出した楽観的な妄想だと吐き捨てていた。そう、信じていた。
なのに、息を吹き返した。
必然か、偶然かは知らない。それでも、死んでいなかった。
アウローラは生きていた。
「お、お前、生きて……」
「頭を、潰したはずなのに!? なんで生きているの……?」
「……私の体は、ちょっと改造されていてね。機械化手術と薬物投与で、ちょっと死ににくいんだ。……話したよねルージュ、右目と右足の機能が潰れかけたって。それを補うために、多少の機械化と大量の薬物を投与された。まぁ、半分ぐらいは『天使』の憑依反動に対する対策っているのもあるけど」
「脳が、潰れたのよ!?」
「脳が壊れないんだよ。体が固定化されているから、脳細胞が破壊されても、固定された情報を元に再構築されていく。端的に言えば私は……不死身かな。さすがに、寿命はあるけど」
ルージュと呼ばれた少女は絶句していた。
憎悪の対象が不死。殺せない。そんな残酷な事実を突きつけられ、完全に思考を停止していた。
そしてそれは怒りに変わった。
「なん、で…………なんでっ……!!」
炎がさらに強くなる。光が歪み、視界のほとんどを覆うほどに。
空気がプラズマ化しているのか、あちらこちらで紫色の電撃が飛び散っている。もはや物理法則もへったくれもない。
それでも俺はこの世界に存在することができた。
アウローラの周りだけは不思議と炎が近づいてこない。熱も遮られているのか全く届かず、逆に空気が澄んだ物だった。魔法の一種なのだろうか。
「どうして、あなたが…………うああぁぁあああああああああああああああああああ!!!!」
泣き叫んだ。
喚き散らした。怒りのままにプラズマを収束させたレーザーを放つ。
だがそれがこちらに届くことは永遠になかった。アウローラが手をかざしただけで、それは散ってしまう。力の差は圧倒的だった。
「私はっ、私はぁあああああああああああ!!! ッ、リヴァイアサァァアアアアアアアン!! アイツを、殺せぇぇええええええええええええええええええ!!!!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
再度、先程の音衝撃が来る。
しかしアウローラは狼狽えなかった。それどころか落ち着いてさえいる。
「《神霊終義・第十階――――断罪・天降りし劫火の雨》」
ルージュの足が、突如振ってきた光に貫かれる。
「……………え?」
ルージュが空を見上げると――――そこには、数億もの光の雨が存在していた。
それは空中に停滞し、まるで主人からの命令を待つ従順な犬の様に静寂に身を包んでいる。
かつて死を宣言した予言者の部下を焼き払ったその炎。
果たして、天使の力を手にしたばかりのルージュに受け止めきれるだろうか。
「あ、あ」
「――――往け」
無慈悲ともいえるアウローラの宣告が発せられ、光の雨は動いた。
光の速さで敵を撃ち、貫き、ルージュは自身に無数の穴が開く想像をしたのか一気に顔色が白くなる。
「受けるかぁぁああああああああ!!!」
だが唯では転ばない。
ルージュはリヴァイアサンに命令し、その咆哮により空間を歪めさせていた。
それでも億を超える光線は防ぎきれず、彼女の体に無数の傷が生まれていく。そしてアウローラもまた――――反動の影響か大量に血を吐いていた。
「ごほっ……!!」
臨界点を迎えたのだろう。アウローラの髪に黒色の斑点が浮かび上がっていく。
それを微かに見たルージュが、動き出した。
「アウロォォォォオオオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ぐぅぅぅぅっ…………あああああああああああああ!!!!」
体を穴だらけにしながらも、ルージュは地を駆けた。拳を振り上げた。魔剣はすでにどこかに消えている。
アウローラも俺を地面に置いてゆっくり立ち上がり、拳を振り上げた。
両者の拳に光がともる。両者共に最後の一撃と、俺は推測した。
「ルゥゥゥゥゥジュゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!」
「アウロォォォオオラァァァァァアアアアァアアァアアアアアアアアアア!!!!」
交わされる拳。
同時に突き刺さる一撃。両者の拳は互いの頬を穿っていた。
爆発する力。拳に込められた謎の力が爆発するように弾け――――この区画の床を、その下の区画も、その下もその下も破壊し――――否、『塔』全体がひび割れ床は残らず吹き飛んだ。
アウローラは気絶した。元々臨界点を突破していた影響か、すでに髪は黒く染まり、翼も消えている。
しかしルージュは気絶していなかった。先程のアウローラと同じく殆ど力は残されていない様子だが、それでもアウローラの何か細工をする余裕程度は残されているだろう。
予想通り、ルージュの右腕が光り始める。
「最後の力よ――――全身全霊を以てあなたを悠久の時の牢獄に、閉じ込めてあげるッ!!!」
俺に残された選択は。
遠のく意識の中、俺は考えた。
俺がアレを受けたらどうなるのだろうか。
庇うか、それとも――――
答えはとうの昔に決まっていた。
「さ、せる、かぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!」
「ッ!?」
瓦礫を蹴り加速。
アウローラへと向かっていたルージュの胴体に向けて、イリュジオンの切っ先を向ける。
ルージュの腕が俺の方に伸びる。きっと触れれば、どうなるかわからない。
それでも、アウローラを護れるなら――――
「きっ!!?」
奇声を上げるルージュ。
俺の方に向けられていた腕は、黒い剣により両断され、宙を舞っていた。
アウローラの愛剣――――『偶然』落ちてきていた『ミゼリコルド』により、俺は窮地を救われたのだった。
もうやるべきことは決まっていた。
「届けぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」
イリュジオンを突き出す。ルージュの悲しみに染まった顔が垣間見える。
同時に、安らいだ表情も。
剣はルージュの胴体を貫いた。HPがほとんど残っていなかったのか、手ごたえは殆どなかった。
血が飛び散り、宙に雫となって舞う。
「…………ねぇ」
ルージュは、先程とはまた違った音色で俺に語り掛けた。
返事は、しない。
「アウローラに、伝えておいてくれないかしら…………」
涙がこぼれる。
「ごめんなさい、って」
遺言を言い終えたと同時に、ルージュの体は紫の粒子となり消えた。
『焔火の塔』守護者は、今日、倒れた。
しかし今は、それより重要な事がある。
「アウローラ……ッ!!」
気絶し、無防備な状態でアウローラは落下を続けていた。このままでは確実に地面に叩き付けられるだろう。いくら彼女が不死だろうと、そんなことは俺が許さなかった。ぞんざいに扱うことなどできなかった。
俺は体を垂直にすることで加速する。アウローラを助けるために。
微かに右腕が輝いていたことを気づきもせず。
――――――
燃えて、光り、消えた。
先ほどの現象はこれに集約される。
何も見えなかった。残されたのは悲惨な状態になった第八階層フロアと、壁と床にぽっかり開いた穴だけだった。状況が飲み込めないのにも拘わらず、皆は必然的に「終わった」と同じことを思った。
残ったのは悲壮感と静寂。
血の匂いが生々しく鼻を擽る。
「やったか……あいつが」
「いやぁ、凄いもの見せてもらったな。なんかよくわからんが」
「凄く眼が痛いです」
「すー……すー……」
四人、ではなく三人の視線が一人に集まる。
そこにはいつもと変わらない笑顔を保ち、なおかつ何時もより数段と殺気を周りに撒き散らしているリーシャがいた。彼女の表は冷静そうだが内面はそうでもなく、今にも二人が出ていった穴からスカイダイビングをかましたい気分だった。
「あの、リーシャ……さん?」
「なぁに、ファールさん」
「殺気を漏らさないでくれます? ニコラスが失禁一歩手前って顔してるんですけど」
「あはは、何言っているんですかみなさん。僕は全然平気ですよ」
「いやだってお前……気づいていないのかよ」
顔だけは爽やかなニコラス。下半身が電動マッサージ機並みに振動している。
しかも本人はそれに気づいていない様子だ。さらに言えばズボンから少し水のような何かが滲みだしている。これにはさすがにジョンも首を横に振る。
「ニコラス……帰ったらシャワーしろよ」
「え?」
「とにかく、これで終わったな。いや~、疲れた疲れた。返ったら朝まで飲み明かしたい気分だよ」
「すまん、肋骨が一本イった」
「あぁ? お前体格に比べて柔いなおい! みろ、私なんてこんなに動け――――いたたたたたたたっ!?」
「その様子じゃ皹は入ったな。酒なんて飲んでないで休んでろ」
「僕は全然平気ですよ」
「お前も休め。俺が盾になったとはいえ衝撃で内臓にダメージはいってる。無理をするな」
「ジョンさんはやさしいですね~」
「俺がこうでもしねぇと皆自分勝手に突っ走って転んで病院行きになるんだよ。もっとも、今回の場合は俺も焼きが回ったがな」
確かにこのパーティーは色々無茶をしそうな人間ばかりだと思った。
あふれ出る怒りは今は抑えて、すぐにでも転移装置で外に出ようという相談をしたがこの様子ではすぐには無理そうだった。
歩くこともきつい状況なのに、一人は今居眠り姫状態で起きるまで待たなければいけない。
リースという人間のことだから無事に着地はしているとは予想するが、確信を持てない今はあまり希望的観測をしていてはいけなかった。
その居眠り姫は今目をパッチリ見開いているが。
「って、起きた?」
「……グルルルルルルルルッ……!!」
だが様子がおかしかった。
八重歯を剥き出しにし、息を荒げて鱗が肌を侵食し始めている。
竜形態への変態の兆候だということを、ファールはすぐにわかった。伊達に数年も付き合っているわけではない。
「まずっ……みんな離れろ!」
「一体何が……」
「おいセリア、しっかりしろ! 落ち着け!」
「冥王……断罪者…………冥界神……!!」
「何言って――――」
「オオオオヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
金色の粒が全身の肌から放出される。
緊急事態の再来ということは、とにかく皆が飲み込めた。
粒は量を増やし、何かを模っていく。まるで竜のような何かへと。
――――――
――――ここは夢だ。
私の心深領域に直接通ずる唯一のトンネル。
同時に、思い出したくもない記憶を見せられる場所。
頭痛がすると、目の前に突然、二百年も前の映像が流される。
『おめでとう。君は成功した』
『え……?』
いつもの教養施設で、皆と先制から出された宿題をしているとき、若い研究員が現れて唐突にそんな言葉を言ってきた。その時私は、まだ十歳にも満たない子供だった。
研究員が言うには、私の体が天使の力を流し込まれても大丈夫なようにできていたとのことだった。天使とは何だろう、と当時の私はよく思っていた。おとぎ話の天使ならよく知っていた。美しく、神々しく、皆に等しく幸福を配るもの。神様からのメッセンジャー。子供ならそういう風に思うだろう。実際、メッセンジャーという言葉は的確だった。
『君は選ばれたんだ。さあ、来い』
そんなことを言われて素直に行くほど私は馬鹿ではなかった。
断った。皆を置いて行けないと。友達に別れを言いたくないと。
そして、研究員はこんなことを言った。
『君が来てくれるなら、君の友達の幸福を保障しよう』
真偽を疑ったが、実際ここの暮らしはみずぼらしいと言っても過言ではないほど嫌なものだった。朝は固いパン。昼は豆の野菜のスープ。夜は不味いオートミールに塩に漬けすぎた肉一切れ。あまり贅沢は言えないが、それでももっといい食事は誰だって求める。
皆のためにという言葉がダメ押しとなり、私は研究員について行った。
後悔はしていないつもりだった。
だがやはり、行かないでという言葉は胸に突き刺さった。
本当に、いかなければよかったと今は後悔している。
それでもあちらは強硬手段に移っただろうが。
『君にこの名を授けよう。そうだな……丁度メタトロンが発現したから、《サンダルフォン》……それが今日から君の名前になる。せいぜい、我々のために謳ってくれたまえ』
ここから地獄は始まった。
薬物投与、身体改造、脳内電子制御改造、外部記憶装置の取り付け、全身骨への金属コーティング、老化遅速化ナノマシン、電気信号増幅装置、血流速度操作装置――――この世の最先端という技術の全てを体に埋め込まれた。
薬物投与により、麻酔は効かなくなっていた。故に、生き地獄がそこに待っていた。
叫んでも叫んでも叫んでも研究員は手術を止めなかった。生きたまま脳を、体を、目を弄られる感覚は今でも悪寒が走る。あれはもう存在していいものではない。
精神は壊れた。道具と成り果てた私は、地を這うぐらいしかできなかった。
もう笑うことすらできない。
そんなとき、セラフという少女と出会った。
『…………』
その少女は『レーヴァテイン・レプリカ』という長剣を抱いて、死んだ魚のような目でいつも空を見ていた。彼女の半身はもう機械になっており、言葉さえ満足に喋れない状態だった。
数か月後、ルージュという少女が入ってきた。まだ生気の残っている目だった。改造もされていない様子だった。覚えていないが、彼女は知り合いらしかった。もう脳から不要な記憶は削除されていて、微かにしか共用施設での記憶は残っていなかった。
研究員の話を盗み聞ぎすると、彼女は適正はあったものの機械化手術に耐え切れない体だと判断され失敗作の烙印を押されたらしい。そして近いうちに処分するらしかった。更に、私がいた共用施設も焼却処分するという話だった。
覚えてない。私が何なのかももう忘れている状態だった。
ルージュは連れていかれた。きっと施設とともに処分される運命なのだろう。
だから、だから……私は、剣を盗んで――――
『……ごめんなさい』
もう遅かった。
施設は焼かれ、燃えていた。子供たちの焼死体がそこら中に転がっていた。
その中心には、全身痣だらけのルージュがへたり込んで悲鳴を上げている。
久しぶりに理性を取り戻した。
私はその時決意した。
もう二度と、あんな悲劇は起こしてはならないと。
約百年後、施設の一区画を覚醒した天使の力で粉々にした。
その隙に私は初めて外へ出て、土を踏んだ。
そして思う。世界とは、こんなに綺麗だったのか、と。
故に、私のような者をもう生み出してはならないとも思った。
もう彷徨って、仲間を集める旅に出て百年ほどになる。
――――……私は、正しいのかな。
この二百年、私が思ったのはそれだけだった。
本当にこの行いが正しいのか、確信が持てなかった。
あの場所にはまだ罪のない人たちがいるのでは? 騙されている善良な研究員がいるのでは? もしかしたら人々のためにあの研究をやっているのでは? こんな疑問を上げたらキリがない。
ただの自己満足だ。
そう思っていた頃に出会う。
ルージュの匂いが残っていた少年に。
なんとなく、優しそうな顔をしている少年に。
自分を理解してくれそうな、寂しそうな少年に。
「――――おい、起きろ。返事しろよアウローラ」
頬に小さな衝撃が起きる。
薄らと目を開けると、その少年が――――リースフェルトという偽名を使っている少年が居た。
空から、私を覗きこむように。
「……ここ、は?」
「『焔火の塔』真下、階段が螺旋状になっていただろ? その中心部分」
「濡れて……雨?」
「ああ」
頬を触ると、水があった。冷たい、今の私の心情を表すように。
少年は覆いかぶさっていた態勢を戻し、私の隣で腰を下ろす。
「……その、急に雨が降ってきてな。雨の届かないここまで運んだんだよ」
「どうやって着地したの?」
「やっぱり気絶してたか。……地面に衝突したと同時に、転ぶようにして慣性を傾けたんだ。で、弾かれたように何回転もして勢いを殺した。三途の川が一瞬見えたよ。百メートル上空からノーロープスカイダイビングとか自殺志願者でもなきゃやってないっての。……足首は捻ったがな」
よく見ると、少年の体は傷だらけだ。泥も血も体中にへばりついており、大惨事に直面したのは容易に想像がつく。人間が高高度から落下してただで済むはずがない。私はこの少年が本当に人間なのか一瞬疑ってしまう。
「ッ――――ルージュは!?」
「死んだ」
「……………………そう」
予想はしていた。
しかしどこかで説得できると思っていた。
当人が死んでしまった以上、もうどうすることもできやしないが。
少年を責めるつもりは無かった。
全て自分が原因なのだから。
「ったく、自己防衛とかっていう身体強化があったから勝てたものの……マジでギリギリだった。二度とやりたくないな」
「……ねえ」
「しかもイリュジオンは使いにくいはいざというときに役に立たないわ、散々だよ……ん? どうかしたか?」
「……どうして、私を助けたの?」
当然の疑問をそのままぶつけてみた。
少年が私を助ける理由なぞ、ごく限られたものだ。
戦力になるからか? 情か? それともこの体か? いずれにせよ、私は少年の期待に応えることはできなかった。まだ、やるべきことが残っているから。
「知らん」
と悩んでいると予想斜め上の答えが飛んできた。
思考が一瞬真っ白になる。
「え、ちょ……!? わ、判らないのに助けに行ったの!?」
「体が勝手に動いたんだよ。俺もこんな死闘繰り広げるってわかってたなら行かねぇよ。ま、俺を舐めてるお前をギャフンと言わせたかった、というのは苦しい言い訳かね」
「……いい人?」
「かもな。俺も知らん。人のため世のため……っていう綺麗事は一番嫌いなはずなんだがな。結果的にそうなっちまう。運悪く、な」
「リース……」
最後の言葉に、なんだか複雑な感情がこもっていた。
何かしら、彼の過去と深く結びついているのかもしれない。
「何だろうな。俺が望むことは、結果的に叶わない。過程は特段どうってことないが、結果的には全て
ひっくり返る。俺が晴れになればいいと望めば雨になった。生きてほしいと願ったら次の日には事故死。ああ、妄想みたいだろ? でも違う。……今もな、俺が『このまま平穏に事が進めばいい』と臨んだ結果だ。結局はこれだ。全部壊れた。……全くどうしてかね。俺は確かに善人でもない。悪人ともいえるし見方によってはそうでもないかもしれない。だが『世界』は俺が気に食わないらしい。小説の主人公みたいに毎回毎回なんかに事件に巻き込まれてはバットエンド直行ルートだ。酷い話だろ。誰かを守りたいと思えば、そいつは死んだ。助けたいと思えば、そいつも死んだ。死んだよ。俺が初めて好きになって、愛したいと思った女は殺された。二番目に助けになりたいと思った思い人は俺を庇って殺された。わかるか? この気持ち。自分が原因で恋人が二回も殺される気持ちは。…………いや、すまん。こんなこと聞かせて」
彼が何を言っているのかは半分ほどわからなかった。
だが何かを思いつめ、ここでついに爆発したのは間違いないだろう。
自分と同じ、運命に振り回された者。世界の理不尽を垣間見た者。その言葉はわからなくても心情は理解できる、共感もできる。
私は、その姿がかつての自分と重なり合って見えた。味方がいないと絶望し、頓挫し、何もかもを諦めた姿。天涯孤独、自分しか自分はわからない。だけど、理解者は欲しい。少しでもいいから、この悲しみをわかってくれるものが居てほしい。そう願った。
この場で、彼の気持ちを少しでも理解できるのは、ここには私しかいなかった。
彼を立たせることができるのは、他には誰もいなかった。
「……辛かったんだね」
「ああ」
「誰も助けてくれなかったんだね」
「助けてほしいと願った時点で全員離れていったよ」
「……君は頑張ったよ」
「頑張ったよ。でも、全部裏切られた」
「もう無理をする必要はないよ」
「どうしてだよ……お前、どうして俺がここに居るのかもわからないんだろ?」
「なんとなくだけど、何か理不尽な目にあってここに居るんだよね」
「……ああ」
「なら、落ち着こう? 少しは休もう。急にできないことを急いでやる必要なんてない。ゆっくりでいいんだよ」
「……でも、待っている人がいる」
「きっと、来るまで待っててくれるよ」
私はふらふらと立ち上がり、圧し掛かるように少年を抱いた。
身長の差からこちらが引っ付いているようにしか見えないが、これでも結構一生懸命に抱いているつもりだ。彼を慰めるために。味方はいると伝えるために。
「ほら、もう気を張り詰めなくてもいいんだよ。我慢しなくていい、甘えていいんだ。ええと……簡単じゃないけど、君の願いは知らないけどさ、きっと方法があるよ。だから、休んで、また頑張ればいいよ」
「…………」
「私がいるから……ね?」
「…………ぷ」
「え、えぇ?」
結構真面目に慰めたつもりだったのだが、笑われた、笑われてしまった。
そんなに効果がなかったのか、少しばかり凹む。
「いや、すまん。その……初めにあった時とは随分と印象が違ってな。子供っぽいと思ったら意外と母性あったんだな、なんて考えてた」
「……若作りしてたんだよ」
「だろうな。口調が安定しないから、あのルージュってやつと話していた時のが素か。随分歳とってるようだが……外見固定の魔法でもあんのか?」
「ねぇ、デリカシーって知ってる?」
「はははっ、すまん。……気を使ってくれてありがとな」
彼はそういって頭を撫でてくる。
自分より百年単位で年下のはずなのに、なぜだろうか。彼は自分と同じ経緯をたどってきたような気がする。本当に、長年もの間苦悩してきたような。しかもそれは自分より大きいものだった。
彼は立ち上がった。これから歩を進めるために。
「そういや、俺の名前……教えてなかったよな」
「偽名なら教えてもらったけど」
「そうか。……もう会うことはないかもしれないから言っとく。――――椎奈結城、それが俺の本当の名前だ」
「シイナ、ユウキ……? 変な名前」
「こっちにとっちゃそうだろうよ。……ああ、苗字はまだ偽名だ。はっきり言って本当の名字は語りたくもない」
「そっか………ユウキ、か。……いい名前」
「お褒めにあずかり光栄だ。それじゃ、帰るぞ。ああ、上にリーシャたちが居るんだよな……まぁ、ここで待っていればいずれ――――」
「下らねェ茶番はよォ、ここまでだぜお二人さん」
活気と余裕たっぷりの腑気味な声が聞こえる。
刹那、銃声が鳴る。二回。
しかしその弾丸は私に届くことはなかった。
――――キィィィィィイイイイイイイイイインッッ!!
弾丸が切れた。
二つに割れた弾丸は軌道を大きくずらされながら後方へと弾かれる。
今の私はとある理由で大幅に弱体化している。そんな芸当ができる人間は、一人しかいなかった。
隣を見ると、ボロボロの外套を翻したユウキがイリュジオンという漆黒の双頭剣を振り切った姿勢で立っている。
今までに見せたことのない殺気を放ちながら。
――――――
「……ロートス」
「久ッしぶりですねェ、リースさん。いや、さん付けはやめた方がいいのかな? リィィィィスフェルトォォォォォ?」
「何のつもりだよテメェ……!!!」
その容姿と独特な口調。
間違いない。朝方出会ったロートスという少年であった。
一目見て只者ではないとは分かったが――――なぜこいつがここに居る。
「改めで事項紹介するわ。キィヒヒハハハハッ、俺の名前はロートス・エリヤヒーリッヒ。聖杯騎士団、軍隊長だ」
「聖杯、騎士団? なんだそれ」
「よっぽどのド田舎もんでもなきゃ知らないはずはないんだけどなァ。説明面倒だからとりあえずそーゆーもんがあるんだよ。で、俺は一個軍団を任されているってわけだ。一番偉い奴から……大体二個下ぐらいかァ?」
「それがどうした。俺は権力とかどうでもいいんだよ。テメェが偉かろうが無かろうが、攻撃してくるんならそれなりの対応はさせてもらう」
騎士団だろうが何だろうが襲ってくるんならぶっ倒す。
遠回しなメッセージははっきりと伝わったのか、ロートスはにやにやと嬉しそうに笑ってくる。
「おお、おおおお。いいねェ、俺も退屈していたところなんだよ。戦いたくてうずうずしていたんだ。キキッ、さぁ始めよ――――」
「先走り過ぎよロートス」
「あ? おいおいおいレヴィそりゃねェだろこの野郎。ヒッ刺しぶりに味のありそうな奴が来てくれたんだ。いつもいつも仕事回してくれないからこっちは退屈してたんだよいい加減にしろゴラ」
「黙っていなさい。っていうか誰が野郎よ。全く、不必要な戦闘はなるべく避けたいのよ。いつも血の気が盛んなアンタが居るから騎士団の評価が下がるっていうのに……」
軽く舌打ちするとロートスは後ろに下がる。
代わりに前に出てきたのは、紅蓮の髪を持つ女性だった。才色兼備、という気品が漂っている。
「初めまして、私はレヴィ・オーラリア・ヘンシュヴァルドと申します。貴方は?」
「……リースフェルト……アンデルセン」
「早速ですが私たちの要望を言いましょう。――――アウローラ・デーフェクトゥスを今すぐこちらに引き渡していただきたい」
「断る」
唐突に贈られた申し出を速攻で一刀両断する。
なんであろうが銃弾を送ってくれた奴の仲間の願いなんて知ったことではない。もとより叶える気もない。イリュジオンを両手で構えて二人を見据える。使えるスキルは全て展開。
「なら、貴方の願いを叶えましょう。豪華な食事も、富も、名声も」
「全部要らないんだよ、そんな人間の汚点の根源の様な物にはな。アウローラは渡さない。誰にもな!!」
「では、夢は?」
「手前らに叶えられるもんじゃねぇし叶えてもらおうとも思っていねぇよ!」
「そうですか。中々強情ですね……はぁ、一番苦手なタイプよ。――――交渉決裂、ロートス……好きにしなさい」
どうやっても俺が言うことを聞かないと判断したレヴィは、額を押えて踵を返す。
その後ろからロートスは出現し、両手には異形の漆黒銃剣。
連動するように、イリュジオンを二つに分解して構える。
「――――了ォ解……俺を楽しませてくれよ?」
「殺すぞガキが……!」




